「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2013年10月23日水曜日

ビフトンさん帰国 Burton san goes back his home country,Belgium.

ん?外は真っ暗だ。何時?18時だ。
飛び起きる。
14時頃、慶応から戻り、手を洗い、ウガイをしてバタンキューと寝た。
 
昨夜皆が帰ってから、ビフトンさんが明日の飛行機の出発時刻は11時だが、
登場時刻の8時には成田空港に行きたいと言い出した。
寝たのが真夜中を過ぎていた。
起きたのが、4時、コーヒーとトーストで朝食とし、5時6分発の始発の電車に乗っていった。
連れ合いが成田まで送り、昨夜泊まったK.W氏も一緒に帰っていった。 
慶応の2時限目の授業は10時45分からだ。
寝過ごすことを恐れて起きていることにした。
授業も何となくふわふわした感じであった。
帰宅したら、すでに連れ合いは寝ていた。
 
ビフトンさんはまだ飛行機の中だ。
ぼくらも彼と一緒に旅行している気分になっていた。

2013年10月22日火曜日

今日は、かっての若者たちがやってくる。 It's the day that tha past young people is coming.

今日は、Burtonさんの来日を記念して、奥湯河原でサルを追いかけていたものたちが我が家にやってくる。ぼく以外は皆35、6年ぶりに顔を合わすことになる。
さらに、お互いに顔を合わすのは30年ぶりだろう。
 
下は、1976年1月の広河原の大堰堤の回りに現れたT群のサルたち。
当時は、この堰堤の上をぼくたちは走りまわれた。
が、今は、この写真を撮った場所からサルたちがいる堰堤の上まで降りるのも足がすくむ。
木々が成長してこの写真を撮った場所を木の枝が覆いかぶさっている。
1メートルも段差があると飛び降りられなくなった。飛び降りると膝や腰の骨が砕けるのではないかと心配してしまう。普段山を歩いているぼくでさえそうなのだ。
 
皆、60歳以上だ。30年前のように吞むことはできないし、食べることもできない。
昨日は、釧路の和商市場から季節の魚を送ってもらったので、イカは刺身や塩辛にしたし、
ハタハタは煮魚にした。ホタテは解凍して刺身だ。秋鮭は切り身にしてバター焼きにしてだそう。
今日は、2、3、4時限目の葛西の専門学校の授業があるので、帰宅は6時過ぎになる。
歓迎パーティは4時からなので、戻ったら皆がわいわい盛り上がっているだろう。


2013年10月21日月曜日

奥湯河原の植物 The Plants of Okuyugawara.

ノササゲだ。ヤマボウシさんに教わった植物はいくつあるが、これもその一つ。
この鮮やかな青紫色が豆の鞘としては何とも不思議な色であう。
豆そのものは黒紫色だ。
この豆2個をもらってきた。我が家に植えてみたい。
ヒヨドリジョウゴ の赤い実だ。
クサボタンの花が終わった後
 ダイコンソウだ。
 この花は何だろう?
黒褐色の種子は粘っこく車のボディにまでついた。
 キノコがないか探したのだが、これしか目にできなかった。
Burtonさんが来て早くも5日目だ。明後日にはもう帰国することになる。
こちらも疲れたが彼はさらに疲れているだろう。明日は、昔のサル仲間がやってくる日だ。
皆、30数歳老けてしまったが、会えばすぐ分かるだろう。楽しみだ!
植物は何年たっても、あるいは異なった国や地域でも変わらない花を咲かせる。
馴染みの植物に見知らぬ土地で出会うと、その植物が愛おしくなり、声をかけてしまう。
お前、こんなところにもいるのか!

2013年10月20日日曜日

思い出の奥湯河原 Okuyugawara of Memories

昨日の続き、奥湯河原で:
T.Kishidaさんの車は外車のようだ。広河原から藤木川に沿った山道に入ったが、
車底が擦るし、左右の木の枝や伸びた草がフロントガラスにぶつかりそうになるので、
車から降りて歩く。Burtonさんにとっての思い出の道を歩く。
彼は、その変わりように立ち止っては感嘆の声をあげる。
ホトトギスがちょうど見ごろであった。 
このヤクシソウは大きいので、別物かと思うほどだ。 
 神社に辿り着き、変わってない様子にBurtonさんは安堵したようだ。
ぼくの釧路の故郷の風景はずいぶん変わってしまった。
ぼくが出た小学校はなくなるし、中学は以前のとことにあるものの様子が違う。高校は以前の場所から移転してしまった。
いつまでも変わらないで欲しい物。それは、思い出の故郷の景色であり、何よりも小・中・高の建物や場所は変わらないで欲しい。残っていると恐らく一つ一つ昨日のように思い起こせることが失われてしまう。
懐かしい、神社を見て嬉しそうなBurtonさんだ。
彼は73歳になるので、もうこれが最後の来日だ。
欧州各地には、古い建物がしっかり残されている。
日本は地震・津波・台風による災害が多い国であるが、
もう少し、時を経ても同じ所に同じ建物が欲しいものだ。
神社前の休み台でカップラーメンを食べ、オニギリを食べ、お菓子やブドウを食べ、
男3人はビールを飲む。大満足だ。
神社のいつもの場所で記念撮影だ。
白雲の滝にも脚を向けてみたかったが、3月下旬に心臓に2本のバイバス手術をしたBurtonさんを考えて、取りやめた。もちろん、彼は大丈夫と強がった。 
奥湯河原は山菜が多い。これはモミジガサの花が終わったものだ。
葉を摘んで食べてみたがゴワゴワしていた。 
ゲンノショウコが咲いていた。
これはヨーロッパでも煎じて飲むようだ。
ぼくの子供の頃は、オオバコやゲンノショウコを根から抜いて採ったものを買ってくれたので、
お金が落ちているように思ったものだ。
M.Kishidaさんの運転なので、男たち3人は後の座席に移動して、そこでチビチビ飲む。
温泉に入り、出たあとは車の中でうとうと状態であった。
今朝は、上智大の教会で行われあるミサに出席するために出かけた。
雨が降っているし、行っても知人の神父さんたちが亡くなっているので止めようという気分になっていたが、元気を出して行くことを決める。
っと間もなく電話だ。誰から?ぼくが電話をとる。一昨日、我が家にBurtonさんを訪ねてきた統計学のS.Takakuraさんだった。10時から始まるミサに出るので、Burtonさんと教会で会いましょうと云うのだ。もちろん、今度はウキウキして出かけていった。
尚、Burtonさんは日本の文部省の国費留学生と来日した時から、カソリックの神父であり、動物行動の研究者であった。
ぼくらがイメージする神父像とは異なる。

2013年10月19日土曜日

天昭山野猿公園餌場跡

今日は、Kishidaさんの車で奥湯河原へ、
Burtonさんにとって、懐かしの餌場跡は木が生い茂り、寂しい感じのようだ。
天昭山神社まで登り、そこでお昼にする。
以前は、ミカン狩りの人たちが椿ラインから、白雲の滝を経由して降りてきたハイキングコースもすっかり荒れ果てている。
ぼくは年に2度くらいは来ているのでその移り変わりを知っているが、
30年振りにきたBurtonさんにとっては、寂しく感じたようだ。
帰りは、「いずみの湯」で温泉に浸かって1時間くらいのんびりする。
帰宅したのが4時半、すぐ電車に乗って、江の島へ向かう。
江の島の花火大会だ。
目の前で見る花火は素晴らしい。
 
 

長い一日だった。

昨日は、朝、6時半に家を出て、葛西にある専門学校に行った。
この日は、授業として近くの江戸川動物園で、動物の観察データーのとり方の実習をおこなった。先ずは個体識別だ。ペンギン、ケナガクモザル、ジェフレクモザル、レッサーパンダ、ワラビ、プレーリードックなど、自分たちがこれから観察したい動物の識別をしてもらった。
下のオオアリクイは誰も見ようとはしなかった。
 ケナガクモザルはたくさんいるが、個体が識別されたボードがあった。
帰路、横浜駅近くのヨドバシカメラにより、Burtonさんが持ってきたiPhone、デジカメ、髭剃りなどの電気器具が使えるように変換アダプター160円を買う。ポイントカードを今夏のクロアチア旅行で紛失していたので、再発行してもらう。なんと、残っていたポイントがそのまま使えるのだ。
そのまま、西口駅前の交番の前で、Akabori氏を待つ、が現れない。
携帯にAkabori氏から連絡が入る。相鉄駅近くの交番の前だった。
無事、出会う。彼は脳梗塞で4年前に倒れ、麻痺が残っているとメールで知らせれてくれていたが、話し方も表情も、歩き方も全く以前と変わらず。リハビリで元に戻ったのであろう。
あれなら丹沢の山くらいなら歩けるだろう。
彼から、リンゴ、菓子、株主優待券などさまざまな物をもらう。
帰宅すると、BurtonさんがサルのD論をまとめるのに協力してくれた統計学者のS.Takakuraさんが来ていた。彼女はフランスに6年くらいいたようで、Burtonさんと二人でフランス語で話し合う。もう、Burtonさんは英語が出なくなる。何となく、フランス語が分かったような気になってくるから会話って不思議た。6時になり、Kishidaペアーがやってくる。楽しくなり、ウィスキーを少し飲み過ぎる。
 
今日は、これからKishidaさんの車で湯河原の餌場跡にコーヒーとカップラーメンをもって行って、
1970代後半を思い出そう。空模様があやしい。雨かな?
 

2013年10月16日水曜日

ビフトンさんが明朝来日する。 Burton-san will come to Japan, tomorrow morning.

1974年から81年まで国費留学生として箱根・湯河原でサルを追っていたベルギー人のビフトンさんが、突然、来日することになった。
今年のお花見の季節に来る予定であったが、出発2、3日前に心筋梗塞で倒れて
来日の予定が判らなくなった。
バイバス手術が上手くいったようで、元気になり突然明日から一週間の予定で
来ることになった。
ビフトンさんとは奥湯河原の山小屋で何度も言い合いの口喧嘩をした。
ぼくら日本人は残りご飯を大事にとっておく、彼は硬くなったパンや腐った牛乳や肉でも食べる。
食文化の違いが強烈だった。
美味しいブランデェーやウィスキーのオールドパーを初めて飲まされたのも、彼からだった。
 
下の写真は、1976年湯河原町天昭山神社野猿公園餌場で、台風のような大風によって剥がれ落ちた看板の前でのBurtonさん。この時ぼくは30歳だ。
2010年夏、ブラッセルの気軽に入れる小さなレストランでぼくら夫婦と知人のMiharu/Toru夫婦との食事。ムール貝の料理が最高だった。
今回は、ビフトンさんが来日できるのはおそらく最後だと思うので、当時のサル仲間とわいわいやるつもりだ。が、皆、もう歳だ。静かに吞んで語り合うことになるかな?もちろん、1時間でも上の写真の天昭山神社野猿公園餌場跡に連れていくつもりだ。
明日は成田空港に8時55分着のフィンランド航空でやってくる。成田・東京・我が家までは電車に乗るのが難しいので、出迎えに行くことになった。

台風一過

関東地方に台風が上陸する予報が出てたので、今日の慶応(日吉)の2時限目は休講だ。
風雨が止み、外をのぞいてみてびっくりだ。
お隣さんの玄関前に我が家のキンモクセイの花が落ちて吹き溜まっている。
連れ合いは、「少し乾いたら掃除してくる」と云って新聞を見ている。
今まで花が残っているとは思わなかった。
すでに香りが薄くなっているので枯れたのかと思っていたのだ。
伊豆大島では鉄砲水のように水が流れたようで、凄い状態だ。
鎌倉でも家の前の大岩が落ちてきて道を塞いだ。
関東地方に台風が上陸しないで良かった。船を持っているtake隊員のような人はこんな暴風雨の時は船のことが心配だろう。例え岸壁にしっかり係留していても無傷で収まるわけがないだろう。漁には出られないし、風雨が治まるまで船の様子を見守るしかない。それとも諦めて晴漁雨読とばかりに普段読みこなせない本でも読んでいるのだろうか?

2013年10月15日火曜日

我が家に棲みついているヤマアカガエル A montane brown frog which habits in my small garden.

先日、草むしりをしていた連れ合いが、この浮草が入っている水鉢からカエルが跳び出たので驚いたようだ。しかし、ぼくは庭でカエルを見ても写真に撮るチャンスがなかった。
今朝、スイレン鉢のグッピーの様子を見てから、何気なく浮草で埋まる水鉢に目をやると
カエルが頭を出している。が、すぐ潜ってしまった。
ぼくの部屋の庭に面した窓からはスイレン鉢や水鉢が見える。
本を読みながら、水鉢をのぞいていた。
すると、午後3時過ぎ、ん?よく判らない。双眼鏡で見た。あのカエルだ。
300mmで撮る。
3月13日に、この水鉢に卵塊があったことをアップした。
卵塊から生まれたオタマたちは、8月には全員分散していった。
今いるカエルは、これらのオタマを生んだ親だ。性別は不明だが、このカエルはこの水鉢があるから生きてこれているんだ。いずれにしてもコヤツと性別の違うヤツがいることになる。
横浜に住んでいる友人の庭にはガマガエルが数匹生息している。
庭に小さな池があるので、それがあるから友人宅のガマは生きていけるんだ。
カエルの生息環境は水場がなければダメだということだろう。
では、カナヘビは?トカゲは?イタチは?サルは?
 
我が家のヤマアカガエル、これから寒くなるといういうのに庭の土の中にでも潜るのかな?
自分の部屋でヤマアカガエルの鳴き声を聞いてみたい。ぼくの耳では無理かな?
台風が接近している。今朝、水鉢を見たらヤツがいた。何だか嬉しい。
今日は、これから葛西の専門学校だ。明後日は成田空港まで行かなければならない。
今週と来週は大変になりそうだ。

2013年10月14日月曜日

交通事故で死んだ小鹿  A fawn that was killed by traffic accident.

この小鹿はすでに乳離れした子だろうか?あるいはまだ母ジカのお乳を吸っているシカだろうか?
シカの第一切歯は他の切歯よりかなり幅広いのに、そのようには見えない。
しかも左の切歯3本と犬歯は前上方に伸びているのではなく、真上に伸びており、
さらに、犬歯は切歯とは異なっているのが明白だ。もちろん全て乳歯だ。
どうも、この小鹿はまだ母ジカのお乳を吸っていた個体であろうと思う。
口を開けて、歯の無い上顎の様子を知りたかったが、死後硬直のためだろう。
口を開くことができなかった。
ン??シカは受け口なんだ!
このように死んで間もないシカの口を開けて、歯を見たのは初めてだ。
前足の蹄の大きさを知りたいと思って、500円玉をスケールとしたが、一人であるのと、死後硬直のため上手く撮れず。左が左前足で、右が右前足の蹄だ。
後足の左足の蹄だ。
耳介の大きさ。
脚の長さや体長は、側溝のコンクリートの蓋の大きさから割り出せる。 
おそらく11日(金曜日)の夜に、この小鹿は母ジカの後について道路を渡ろうとしたのだが、飛ばす車にはねられたのであろう。この近くで、今年1月10日にタヌキの轢死体をアップしている。
 もしかして、この場所は動物たちにとっての通路になっているかもしれない。