「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2012年12月12日水曜日

笹子トンネル事故と命の大切さ The Sasago tunnel accident & the importance of life

笹子トンネルの天井の崩落事故は、ぼくらに現在の物の価値観について様々な
事を教えてくれている。
ぼくは、子供の頃から橋やダムなどの建造物を新規に作ることはたくさん目に
してきたし、ニュースでも大々的に取り上げられてきた。神主さんが祝詞をあ
げたり、市長や代議士などの偉いさんがテープカットをする。
しかし、これらの維持管理はほとんど目にしたことがない。

一方、個人住宅では、壁の塗り替えや屋根の葺き替え、さらには歪んだ箇所の
修理・修繕は5年や10年に間に一度修繕が行われる。
その為の費用を積み立てる。
 
子供の頃なら、鍋に穴が開いたに始まって、テレビや洗濯機、電気釜まで修
理してもらうことができた。もちろん、ついこの間まではカメラも修理しても
らえた。
それが、今、金物店に持っていっても、電気店に相談しても買い替えを勧めら
れる。修理する方が新品を購入する場合よりも高いことさえあるのだ。
先日、カメラが雨に濡れてダメになったので、修理にだした。が、修理代が市
価よりも数万円も高い見積書が届いたので、修理を止めてもらった。
一時が万事これだ!

途上国に行くと、路傍や軒先で衣類のボタンの付け替えから靴の修理、自転車
や車など、さまざまな修理をやっている。
途上国では日本で廃車にされた車がどうどうと走っている。あるいは、旧型の
ブラウン管テレビが修理されて使われている。
物が大事にされていると云える。
 
丹沢を歩いて気が付くのは、シカの防護柵や水源地見回りの道は作られるばかり
で維持管理のための修理をしているのを見たことがない。砂防堰堤や林道は作
られて山は崩されるが、その維持管理は無いに等しい。新しい物は作るがその
維持管理はナシだ。
上のシカ柵は塩水橋から本間ノ頭への尾根 
 
今の社会では造られた物を大事にしないのだ。
命の大切さは、物を大事にする心から生まれるのでないか?
作った物の維持管理をしないのは、命を粗末に扱うのと同じだ。
仕事を正規職員ではなく、派遣職員に任せているのと根は同じだ。
 
笹子トンネルの崩落事故は、維持管理のための修理、修繕が欠けていたことを
教えてくれているし、現在の物を修理して大事に使用できない社会的風潮に一
石を投じているだろう。それが取りも直さず命の大切さにも通じるだろう。
これは、グローバル化した資本主義が問題なのかもしれない。
選挙はそういう意味で、日本をどのような未来に形作るかが試されている。


2012年12月11日火曜日

またもや、ハクビシンの糞! A scats of palm cibet, again!

昨日、またもや。これで2階のベランダでは、2回目のハクビシンの糞だ。
こんどは、反対側の鉢の上にしている。
前夜にしたようだ。
我が家のベランダは小田急線の線路までは30メートルくらいしか離れていない。
向こうに見える白壁の家との間に線路が走っている。
こんなところに、ハクビシンが出没しているのだ。
日本固有のタヌキ、キツネ、テンなどは影も見えないのに!
今回、糞があったのは奥の鉢だ。 
早速、水洗いした。
黒っぽい糞なので、何を食べたのか興味津々であったが、カキの皮と果肉が
大半であった。
しかし、この種子は何の種子?と不明な種子が一個あった。
下の鉢受けの右側の上がカキの種子かな?その下の銀白色の尖った種子が不明なものだ。
上の不明な種子とカキの種子のようなものを一緒に撮った。
これはカキの種子ではないかもしれない。でも、やはり薄ペラでもカキの果肉があるのだからカキの種子かな?さらに、丸っこい種子、実は、この種子の周りにクスノキの果実のような2、3ミリの厚手の果肉と果皮が半分被さってあった。

右の大きいのは、カキの種子だと思うのだが、、、左の丸っこいのは、、、、?
それにしても何故、我が家のベランダの鉢の中や庭のスイレン鉢に
ハクビシンはウンチをするのだろうか?
また、コヤツはどこに棲んでいるのだろう?
我が家の天井、壁、縁の下、エアコンなどの外設機の周辺、物置の裏や下など、
ハクビシンが潜めるような場所は無い。


2012年12月10日月曜日

異常聴覚と色覚 「アリス症候群」 "Alice's syndrome"Abnormal senses of seeing & hearing

この1年、ぼくの聴覚と色覚がおかしい。
 
一昨日も風が強かった。
突然、ぼくの部屋の外で、大型二輪車のエンジンを吹かしたような音がした。
耳が壊れるんではないかと思うほど大きな音に聞こえた。
連れ合いが、二階のベランダから戻ってきた。
「突風が吹いて洗濯物が飛ばされそうになった」と云った。
どうも、その時の音のようだ。
 
外出した連れ合いから電話があった。
耳をつんざくばかりに大声に聞こえるので、
「声が大きすぎる、小さい声で話してくれ」と云った。
しばらくして連れ合いが帰宅して、先ほどの電話は普通に話をしたと云った。
 
先日、O女子学生から実習に持っていく装備について電話があった。
耳にがんがん響くので少し携帯から離れて小さな声で話すように言った。
彼女は何も大きな声を出していないようだ。
 
ぼくの耳はアフリカから戻ってきてからは難聴になっているのだ。
虫やセミの音、小鳥の鳴き声など高い波長の音が聞こえないのだ。
それがどうして、女子学生の声が大きくはっきりと聞こえたのか?
 
昨年、仏果山に咲いていたキンランが金色に見えなく白く見えたことがあった。
先日も学生実習でK君が見つけた茶褐色のキノコを写真に撮り、一本持ち帰って
見ると、現場ではムラサキ色に見えず茶褐色に見えたものが、
ムラサキシメジそのものだと判ったのだ。
 
ネットで調べた。「アリス症候群」というもののようだ。
色覚は狂い、形も大きくも小さくも歪んでみえたりもするようだ。
自分以外の者が巨人に見えたり、小人にも見えるようだ。
時間も実際よりも遅く感じたり、早く感じたり、さらには浮遊感まで生まれるし、
音も異常に大きく聞こえるらしい。
でもその異常状態は数分で終わってしまうようだ。
 
車を運転して色はともかく周りの景色が大きくなったり、小さくなったり、
ゆがんだりしたら、危険だ!
そろそろ身体検査を受けるべきかもしれない。

2012年12月9日日曜日

ノウサギの脛骨と腓骨だ!   The leg bones of a hare!

昨日、サルスベリとカエデの枝を剪定した。
その後、枝をゴミに出せるように短く切り詰めてまとめていた。
何気なく、物置の入り口の下を見ると、骨だ!どうしてここに骨が?
思い出した。
2年前の初春に伊勢沢を詰めた時に、見つけたノウサギのものだ。
これを肉をとった後、物置の縁の下に置いたのだ、。
それが、どうして入口の手前に出てきているのだ。
ハクビシンの仕業?あるいはノラネコの仕業?
ともかく、小骨一つ残さず拾い集めた。 
ノウサギの後足だとすぐ判ったのは、
この脛骨と腓骨が足首のところで合体しているからだ。
上が左脚で、下が右脚のものだ。
右脚を拡大したものだ。足首方で腓骨は脛骨と合体し、上部の膝にあたる部分では
離れている。
この脛骨と腓骨が足首の方で合体しているのは、ウサギの仲間の他に、齧歯目のネズミ科、トガリネズミ目、ウマの仲間がおり、シカ科やウシ科では腓骨そのものが無い(あるいは脛骨を一体化している野かも知れない)。


 
 
 

2012年12月8日土曜日

やはりあったテン糞 A marten scats there were again.

6日の奥湯河原の続き:
奥湯河原に行ったら、必ず行ってみるところがある。
藤木川にかかる大堰堤と名付けている砂防堰堤だ。
ぼくが写真を撮るために立っている辺りに、テン糞がある。
(但し、この写真は昨年12月24日のものだ)
今年もあったのだが、ぼくは見つけられず、連れ合いが教えてくれた。
連れ合いに感謝だ!
しかし、糞だとは思わなかったようで、動物がここで吐き戻したものだと思ったようだ。 
もちろん、全部、ゲットしてきて、茶漉しに容れて洗った。
この糞は、サルナシの果柄付き果皮、果肉付き果皮、種子だけであった。
奥湯河原のテンはまだサルナシだけを食べてお腹を満たすことができるんだ。
 
この場所は、もう何年も続けてテンが糞をする場所である。
これは、同じテンなのか、それともこの場所がテンたちにとってのホットスポットなのか。
それを知るには、テン糞の表面から直腸の細胞の破片を採取して、DNA分析をすると判るだろう。
そのような野生動物の研究者がそのうち表われてくるかな?
 
この大堰堤、ついこの間までは、小走りで向こう側まで行ってみて、動物たちのフィールドサインである糞を探したものだが、この2、3年この上に立つだけで足がすくむ感じがする。
これはどうしてなのか?

2012年12月7日金曜日

見事な富士山!  The wonderful Mt.Fuji!

昨朝は雨模様であり、丹沢行を躊躇していたら、とうとう行き損ねた。
でも、山へ行きたい。
7時頃起きてきた連れ合いは、丹沢行かないなら奥湯河原に行こうという。
久しぶりの奥湯河原行きだ。
 
新湘南バイパスから富士山が丸見えだった。
広河原から藤木川に沿って山道を上がり、大堰堤があるところでいつもの探し物だ。
ここには、テンがマーキングのために糞をするスポットがあるのだ。
ぼくは、見つけられなかったが、連れ合いが見つけた。
一人よりも二人の方が探し物をする時には良い。
 
駐車場に車を置いて、天昭山神社の鳥居をくぐってスギ林の中の山道を登る。
30分も歩かないで神社に到着だ。
丁度12時なのでお昼を食べる。お湯を沸かしてインスタントラーメンだ。
食べ終わると、上から中高年のハイカーたちが5、6人下りてくる。
駅前からタクシーに分乗してバス停の神社入り口で下してもらって、下ってきたようだ。
紅葉を見にきたのだ。
しかし、昨日からの雨とこの強風で紅葉は飛ばされてしまった。
 
奥湯河原の帰りに大観山で、富士山を見て行こうとなる。
椿ラインを走って、大観山に行くと見事な富士が目の前に見える。
外は零下かと思えるほど風が冷たい。
ターンパイクを下るのは風が強くて怖いので、芦ノ湖湖畔まで下りて、御玉ヶ池や甘酒茶屋を通り過ぎて、畑宿、湯本に出て、西湘バイパスを通って帰宅した。
車は疲れる。

2012年12月6日木曜日

フクロウのペリット  A pellet of a owl

先日のShirokaze君との仏果山の帰路
前を歩いていた彼は立ち止まって、ぼくの方を見ている。
「これ!あ!糞ではなかった!」と手に取ったものを捨てようとした。
「見せて!」と手渡してもらう。
ほとんど、短い毛の塊だ。
彼にこれは鳥たちが消化できないものを吐き出したペリットだと説明する。
「ほら、これは爪だ!」
このまま、ウンチを容れる小袋に入れて持ち帰る。

昨日、慶應の2限目の授業から戻り、毛の塊を大きな鉢受けに置いて、
二つのピンセントを使って、塊をほぐし、毛を取り除いていった。
ネズミのような小型哺乳類を食べて、消化できない物を吐き出したのか?
毛を除くと、下のものが残った。
左は小動物の下顎骨と臼歯だ。右の〇で記したものは爪だ。
モグラの下顎骨と臼歯であり、〇の爪はモグラの前脚の爪である。
フクロウ(多分)は一匹分のモグラを食べ、毛と骨などをペリットとして吐き出したのだ。
哺乳類の糞からはまだモグラと判断できるものが出てきたことがない。
 
やぁー、しかし嬉しい。歯を見てモグラとすぐ分かったのが嬉しい。
もちろん、手持ち標本のモグラと見比べている。
骨や歯の研究を専門にやっている者なら見ただけですぐ判るのだろう。
その域に達するようになるのはいつのことか?

2012年12月5日水曜日

また、ハクビシンの糞だ! Scats of a masked palm civet,again!

昨日は、専門学の授業はお休みだった。
雨模様であったが、お昼を過ぎてからお日様まで顔を出したのでカメラを持って庭にでた。
こんな街にはモズのハヤニエなどないよなと思いながら庭木を見ていた。
フウランの鉢につけたカヤランの様子を伺った。
もう大丈夫だろう。これで来春は花が見られるかな?
その下にあるスイレン鉢をみた。
先日は、キンギョモを採ってグーッピーの水槽に容れてやったのだ。
え?まただ!ハクビシンの糞だ!
柿の実を食べたのだ。
カキの木は、我が家にはないが、道路一つ隔てた前の家の庭にある。
 
北海道生まれのぼくにとっては、カキは本州や四国を代表する日本の秋の果実である。
本当はこっそり盗りたいくらいだ。だが、写真を撮るだけで我慢している。 
しかし、何故こうも我が家にハクビシンが来てウンチをするのか?
このところベランダに足跡がつかないので、アメリカハナミズキを剪定したために、
ベランダには来づらくなったかなと考えていた矢先のことだ。
 
前の家のカキを食べたのか見に行った。
駐車場に張り出している枝を見上げた。
② 
③ 
④ 
ハクビシンのカキの採食の仕方がわかった。
彼らは、細い枝先では、恐らく前足と後足で枝に逆さにぶら下がって、カキを食べるのだ。
枝に上に四足で立って食べて、滑り落ちるような危険なことはしないのだ。
①と②の食痕は下からかぶりついていることを示している。
細い枝を渡る時は尾を上手にバランサーとして使って歩き、
後足で木をしっかりつかみ、尾を木に絡ませて、ぶら下がりながら食べているのだろう。

2012年12月4日火曜日

仏果山の展望台からの山並み The Ranges from the belvedere of Mt.Bukka

仏果山の展望台から丹沢の山並みを遠望
山に名称を入れたが合っているだろうか?
大好きな鍋嵐が尖っているのは、実際に登った感じと同じだ。
しかし、これも南や北から眺めたら、こう尖っては見えないだろう。 
丹沢山の左側の稜線に見えるピークは、何て云う山かな?
南東を見ると、横浜みなと未来やスカツリーが見える。
この美しい山並みが巨大地震によって崩れることもあるのだ。
 
それにしても、笹子トンネルの天井落下は、
日本という国そのものが劣化してきているのではという印象をもった。
建造物、社会、人間そのものも、、、。
昨日テレビを見ていたら、ドイツのトンネルは100年間はメインテナンスをしなくても維持できるような作りになっているようだ。そのくらい、最初の建設に対して費用を掛けるということを名古屋大?名誉教授が話していた。
日本は梅雨があり台風がありの湿度が高い、さらに地震が頻発する国である。
トンネル、橋、高速道路、原発施設でさえも100年間、そのままで持ちこたえることはできない。
もう、建造物に対する考え方を根本的に変えなければダメなのだろう。
古くなれば作り変える。それは木や紙の建造物ならたやすいことだ。