「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2010年10月7日木曜日

庭のムカゴ豊作だが!

台所の軒下の壁に朝日が当たるので、そこにナガイモの切れ端を植えて
毎年、ムカゴを採って楽しんでいる。
今年もたくさんなって触ると落ちるので、採った。
大小さまざまな大きさのムカゴだが、、、、、、。
たいていのものが虫に食べられている。きっと、大きな茶色の毛虫がついていたのでこの仲間が齧ったのだろう。でも、十分な収穫だ。今夜はムカゴご飯で秋を食べたい。
残りは、フライパンで炒ってウィスキーの友としたい。
ぼくは、このような自然からの収穫物が大好きだ。
何だか気持ちまで豊かになるから不思議だ。
農業や漁業にたずさわる人たちはこの喜びがあるから、頑張れるのだろう。

このムカゴを生らせている親芋はどのくらいの大きさになっているのだろうか?
茎の太さはUSBケーブルよりも太いくらいだ。

キノコがいっぱい!

驚くことに、土山峠‐辺室山でも、あるいは半原越‐経ヶ岳でもヒルが出てこない。
先週の金曜日には物見峠にもヒルがさわさわといたのに。
キンモクセイが花の香りが立ち込めるほどの秋になったのだ。

ホウキタケ、少し古いがゲットした。キノコ汁にしようと見るとカビが生えている部分もあるので、半分以上は捨てざるを得なかった。
ノウタケ、食べる前に成長してホコリ状にならないように根元部分を取る。
ホコリタケが直線状に並んでいる。暗いところだったので、どの写真も手ブレを起こしていた。
5個だけゲットして、キノコ汁に。
これが旨そうなキノコ。
5本ゲットしてきたが、同定できず。もちろん食べていない。
キノコ汁で味がでて、美味しかったのはホウキタケとタマゴタケ、これらは舌触りも良い。タマゴタケは煮るとアカっぽい色が出るが、醤油少しと味噌じたてでその色がわからなくなる。さらにアカモミタケが小さいのを一本いれた。ぼくはコイツが好きだ。
写真は撮らなかったが、ハナビラニカワタケ(これについては次回にも)も良かった。

上のキノコ、今は成長?してカサが破れている。少し噛んでみても苦くもないが、噛み砕いて唾液と混ざると黒くなった。
今回のキノコ汁はホウキタケが入っているので連れ合いも食べた。

2010年10月6日水曜日

ん?この香り!

今朝、8時に大棚沢駐車場で、読売新聞湘南支局の記者と待ち合わせた。
なんでも、丹沢のサルについて聞きたいという。
7時半頃着いたので、カメラをもって車から出る。
「ん?この香り!キンモクセイだ!」
あった、道路沿いに一本植えられていた。今年最初のキンモクセイだ!
記者が来たので、土山峠まで歩く。途中にサル糞がいくつか。ハナレザルの糞と思われるものに未消化の米がある。稲田を荒らしたのだ。
橋の欄干の上に齧られたアケビの実が乗っていた。サルが齧ったものだ。
記者を辺室山まで連れていく。が、午後には支局に戻りたいというので、途中で戻る。
久しぶりにゆっくりと上や下を見ながら歩いた。
フィールドサインやキノコも見つける。
記者と駐車場で別れて、ぼくは坂尻から法論堂林道を通って半原越のところに車を置き、昨年サルにあった所まで歩く。が、糞も見つけられず。
沢の水が溢れるように流れるところにツリフネソウがたくさん咲いている。
が、多くは上部をシカに食べられている。
半原越まで戻り、経ヶ岳まで行き、お昼を食べる。
サルナシを食べたテン糞を見つけていたので、サルナシを探しながら歩いた。
サルナシの太いツルを見つけたので、下まで行き上を見上げる。
「あったー!」金曜日には授業があるし、週末には新宿で7年前に卒業した専門学校生との呑み会である。サルナシを一個でも食べてもらおうと登ろうと思ったが、無理だった。
数種類のキノコをゲットしてきたが、美味そうなキノコが同定できない。
ホウキタケ、ノウタケ、ホコリタケ、タマゴタケ、うまそうなヤツ。
うまそうなヤツを除いて、大根、人参と一緒の味噌味のキノコ汁にする。

2010年10月5日火曜日

秋の気配がいっぱい、しかし、、、、

坂尻・物見隋道の続き:
リュウキュウマメガキかな?まだ、青いがなんだか果肉がない。
霜が降りる11月の下旬くらいになったら、甘く食べられるだろうか!
シラキの実がついているが、葉と同じ緑色なので分かるかな?
クリックすると拡大します。
クマシデが房ふさした実をつけていた。
学生の頃、イチゴパックに土を容れてタネを蒔いたら、翌年の夏はイチゴパックにクマシデの林ができた。
ホコリタケ科のノウタケである。このように若いときはマショマロ状態なので、ホコリタケの若いのと同じように食べられます。もちろんゲットしてぼく一人で食べました。薄切りにしてバター焼きです。
連れ合いはぼくが山で取ってくるキノコはシイタケでさえ食べない。
それは、2度明け方までトイレや風呂場の排水溝にへばりついてげーげーやったことがあるからだ。
秋の菊の花、シオン属である。同定できない。
秋の花の、キンポウゲ科のクサボタン。高いところにあったので、ぼくのカメラではピンが難しかった。
秋の木の実がなったり、花さいているのに、初夏の花であるイタドリの花が咲いていた。
さらに、初夏の花のボタンズルが満開だ。
狂い咲きというのだろう。
一時期のあの暑さは無いが、朝、夕は涼しいのに昼間はなんだか暑い。
体調を崩しそうなので、気をつけているが、植物には気の毒だ。

国民目線!

なぜか、ブログへ画像をアップできなくなった。
それで、国民目線を問題にしてみたい。
大多数の国民は自らの情報収集手段は持っていない。
大半の情報は既成のマスコミに頼っているだろう。
国民の多くは、マスコミによって流される情報によって、事件を判断することになる。

マスコミによって流される情報は事実かどうか受けて側の国民が判断できない。
どんなマスコミも取材記者がいて、取材内容を吟味し編集する部局がある。
10人の記者があれば報告は10通りの報告になるだろうし、10のマスコミがあれば10通りの異なったニュースとして流れるだろう。

マスコミは「事実」をそのまま伝えてはいない。編集され、悪く言えば「事実」が歪められて流されることもある。
国民は、その報道内容が歪められているか否かを判断するには多くのマスコミの同じ報道を見なければいけないだろう。

尖閣諸島の魚釣島の問題でも日本の報道と中国の報道とは違うこと誰にもわかる。それと同じようなことが日本のマスコミの報道でもある。
国民目線とは云っても、日本なら4大新聞、5大テレビ局の報道から多くの人たちは国民目線をもつことになる。
ぼくら国民一人一人は「事実か否か」を判断する目を持たなければ、マスコミの作られた報道をそのまま受け入れてしまう。

2010年10月4日月曜日

坂尻から物見峠へ(続々)

辺室沢沿いを走る古い山道に待ち受けているヒルの襲来に懲りて
森林保全用に作られた経路を登る。
唐沢林道に出たところで、真新しいテン糞である。
まだ、緑色で黒い種子や緑の果皮が見える。サルナシの果実を食べたあとのテンの糞である。
少し、ゲットしてきた糞を水洗いする。まだ果肉がついている厚い果皮がいくつかと、褐色の種子である。これがサルナシの種子だ!
それにしても、テンやタヌキを含む食肉目の動物たちは、果実が主食とも思えるが、排出された糞を見るとただ果実を潰しただけのようにしか見えない。
果皮はもちろんのこと未熟な果実では果肉も消化できないのだ。果実のほんの僅かな糖や脂肪しか腸で栄養分として吸収されていないのだ。
それでも、彼らは果実を食べてお腹を満たす。

2010年10月3日日曜日

坂尻から物見峠へ(続)

物見峠で昼食後、クマ出没の看板を囲って。
ここでもヒルが多かった。Take君のお腹にも一匹ついていた。
皆、飽和食塩水を持ってこなかったり、好い加減なつくりなのでHPに作成方をUPした。
ミツバアケビの実が色付いて美味そうだ!
皆で、わいわい言い合いながら写真を撮り、この実をもぎ取り、、、
ナイフで割って、食べようとしたら、、、、辺室山の山側斜面から石がパラパラ落ちる音。
皆、そちらの方を見る。カモシカだ!
ひそやかに「可愛い!」という声が上がる。
皆、カメラを向ける。一眼レフのカメラはTake君のみ、彼が撮ったのを皆で覗き込む。
しばらく、このカモシカ君はこの姿勢でぼくらの方を見ていたが、ゆっくりと斜面を登っていった。
眼下腺がすごく膨らんでいる。
ここから出る匂い物質を木の枝や幹に擦りつけて、自分のナワバリを主張するのだ。
カモシカのナワバリは同性同士は反発するが、異性は受け入れる。
その結果、オスとメスが同じ地域内でペアで一緒に生活することになり、一夫一妻の性関係となる。しかし、オスは交尾するだけで育児にはまったく参加しない。
それにしても、この4、5年はシカとカモシカが同じくらいの割合で出会うようになった。
しかし、シカは警戒音を出して逃げるが、カモシカはこのようにたたずむ。
以前、踊り猟というカモシカの狩猟の仕方があったようだ。
猟師が踊る真似をするとカモシカがじっとたたずんで見るので、そこをズドンと撃つという猟である。

2010年10月2日土曜日

坂尻から物見峠へ

昨日は久しぶりの専門学校の丹沢実習であった。
本厚木駅前に7時半に集合し、宮ヶ瀬行きのバスに乗り坂尻で下りる。
バス内にストックを置き忘れたことに気づき、宮ヶ瀬から本厚木駅行きのバスを待つ。
学生たちには注意を与えて先に行かせる。30分ちょっと待つ。ストックを取って学生たちを追いかける。彼らは、立ち入り禁止と私道への二又に分かれるところで待っていた。
立ち入り禁止の看板を無視して、昔の物見峠までの道を行く。
辺室沢に沿った道である。
煤ヶ谷の人たちがかって札掛方面に行く場合や辺室山に登る場合に、大事にした道であったのだろう。しっかりした石垣がいたるところに残っており、幅1メートルから1.5メートルくらいある。
道は、沢に沿って谷間にあるため湿っており、たくさんのヒルがゆらゆらと近づいてくる。
途中で、GPSのスイッチをいれる。水源林を保護育成する経路を作ったり伐採している人たちに出会う。彼らもヒル忌避剤を足元にかけながら仕事している。
ヒルの多さに負けて経路を使って唐沢林道にでることにした。
物見隋道から物見峠まで登ってお昼にする。昼食後、①辺室山から土山峠、②三峰山から広沢寺、③煤ヶ谷、④唐沢林道に戻って上煤ヶ谷の4コースの阿弥陀籤を学生の代表に引かせる。
なんと④に決まる。植物や動物のフィールドサインに注意しながら舗装道路をくだった。
すぐ下るのは勿体無いので、少し札掛方面に歩いてホトトギスの状態を見た。
咲き始めている。暗いので三脚が欲しかった。
テン糞も見つけたが、早くも?サルナシを食べたものだった。
さらにミツバアケビの実が色づいていたので、採って分けて食べようとしていると、石が落ちてくる音でカモシカに気が付き、カモシカの撮影会と化す。
学生がこの④コースを引いたのが正解だった。

2010年10月1日金曜日

組織の生と死(2)

ヒトという動物種が作る国家という組織にも誕生・成長・死があるだろう。

日本という国は明治に生まれた。列強のさまざまなところを参考にして国の組織を作り上げた。
急速に成長して中学生くらいになると肩を強請って近隣の国々を脅し始めた。
政府はもちろん、学校やマスコミも富国強兵の道をまっしぐらに進んでいった。
欲しいものは力で取ってやれとばかりに、お金も持っているものもないのに戦争を始めた。
原爆が落とされて目が覚めたかのようにおとなしくなった。

戦後は、若者の元気な力が残っていたので米国の援助の下に経済を発展させていった。
オリンピックや万国博覧会をやり経済力という力を鼓舞してきた。
明治維新から100年で隆盛を向かえ、その後は衰退の一途を辿っている。
政権交代によって新たな国が誕生するかどうかは今のところ不明である。

今夏、ブラッセルに居る友人を訪ねてオランダ・ベルギーを見てきたが、これらの国は綺麗で落ち着いていて老成した国であると感じた。10年くらい前に行ったイギリスやフランスもそのように感じた。
ドイツはトルコからの移民を労働者として多く受け入れているので、イギリスやフランスに比べると活気が感じられ壮年の国である。そのトルコはというと内に力を蓄えた成長過程の青年の国のように感じた。

さて、中華人民共和国はどのような段階にあるのだろうか?
中国共産党が国を作ってから60年経ってからオリンピックを行い、今、万博をやっている。
若者期の国である。怖いもの知らずの国である。力を誇示したい成長期の国である。
広い国土と何億もの人口を抱えているため、まだまだ長年月を得て成長をしそうである。
だが、共産党の一党独裁の国でもある。中国共産党が作られてやはり60年以上たっている。

国を治めるのが一党独裁のもとに行われていくのは非常な無理が起こるだろう。党そのものが汚職が蔓延し老衰化していっている。よほど上手な舵取りをやらなければ内から崩壊していくし、外圧に対抗できなくなるだろう。

今のネット時代にどのような舵取りをやっていくのか見ものである。

2010年9月30日木曜日

組織の生と死(1)

動物には新生児から少年・青年の成長期さらには老年期などの誕生・成長・死の成長段階がある。 生き物は性成熟まで生き残る個体以上に多くの個体が死ぬから進化していける。
死亡する個体が少なくて多くの個体が長生きする種はそれだけ進化が制限される。

ニホンザルでもチンパンジーでも子供期は可愛らしい。大人は怖いので大人の顔色を伺う。しかし、成長を遂げた青少年期は自分の力を誇示したくなるようで、乱暴になる。

それは、ぼくらヒトでも同じだ。
中学生・高校生の少年期の若者は電車内を含む公共の場で、他の人々が目に入らないかのような傍若無人・無礼千万な行動をとり、それが自分たちの特権だとさえ思っている。

二輪車を大音響を立てて乗って走り回り、男も女も自分を誇示する。
怪我をすることも厭わない。怪我が勲章のように思っている。
さらには死をも厭わない。歳をとる程に死を恐れるが、少年は死との瀬戸際の危険な行為に生き甲斐を感じる。

動物たちの多くも乳児期と思春期の頃に多くの個体が死ぬ。
動物の個体に誕生から死までの成長段階があるように、動物が作る社会組織にも同じような成長段階がある。

ニホンザルやチンパンジーが作る最小の社会組織の群れ社会にも誕生があり、分裂や消滅がある。死・消滅があるから新しい群れが誕生する。

群れの成長期は群れの個体数が増加し、群れそのものが活気に満ちている。
しかし、老衰期になると群れ内の血縁集団間に明確な格差ができて、劣位の集団は群れの周辺でひっそりと暮らし、群れ全体に活気が見られなくなる。そして、その群れは分裂と言う形で消滅し、新たな複数の群れが誕生することになる。