先日は通った中学校と小学生時代の大半を過ごした鳥取の十条製紙工場の社宅跡まで足を延ばした。共栄中学の正門の場所が移動していた(図1)。学校の正門玄関も建物もグランドも全く昔の面影がない。以前のグランドは校舎の東側にあったが、今は西側にある(図2)。正門付近の草むしりをしていた若い教員と話しをした。ぼくの担任であった故茂木先生の事が思い出された。当時、学年は12組まであり、各クラスは50名くらい生徒がいた。今は4クラスとか?子供が見かけないのが理解できる。
図1.共栄中学校の正門 西側にグランドがある
図2.共栄中学校、校舎と正門玄関
中学校を後にして、大曲を通り、鳥取橋を目指した。日向はやはり釧路と云えども暑い!鳥取橋だ(図3)。子供の頃のこの橋は木造だった。冬は雪が凍り付いて歩くのが怖かった。橋のしたまで降りる。製紙工場の煙突と煙が何故か懐かしい(図4)。
図3.鳥取橋に着いた!
図4.製紙工場の煙突
新釧路川にはカモメがたくさん浮かんでいた(図5)。子供の頃は右岸のほんの一部が仕切られて夏はプールになったんだ。橋の上に戻り十条製紙工場の社宅跡を目指す。途中で、同級生のHとIの家があった道に入るが全く雰囲気が変わっており、かっての彼らの家の場所がわからず。図5.カモメたち
鳥取大通りにでる。すぐ昔の十条製紙工場の正門だ(図7)。正門の前の広い庭の雰囲気は昔のままだ。春はタンポポで一杯になった所だ。図6.かっての十条製紙工場の正門前
図7.前庭
鳥取大通り2丁目のバス停(図8)から3丁目まで歩いた。が、かっての社宅の間の通りを通って製紙工場の材木置き場の間を通り、新富士駅までの道を捜したが判らず。帰宅してから妹のPCでグーグルマップを見たらもう少し歩いたらその道に行けたのだ。すっかり雰囲気が代わり、浦島太郎になった感じがした。そりゃーそうだ70年前の記憶を頼りに歩いているのだ。
図8.鳥取大通り2丁目バス停
引き返してまた鳥取橋から新釧路川を眺める。70年前はこようちらの右岸から、ウグイ、アメマス釣りを楽しみ、遡上してくるシシャモを引っ掻けたものだ。仁々志別川も見える(図9)。中学の同級生が雪解けの川で父親とボートで釣りをして亡くなった川だ。この仁々志別川に十条製紙工場のホッケーリンクが冬場に出来た。夏はトンギョ、ドンコ、ドジョウの釣り場だった。トンギョの巣を始めて見たのが、ここか春採湖かはっきりしない。図9.仁々志別川が新釧路川に合流する
自動販売機で水を買おうと思ったが販売機は見当たらない。コンビニの前にも販売機はおいていない。ローソンに入る。セルフレジでまごまごしていると中学生くらいの少年に教わった。全く、年寄りはちょっとセルフレジのやり方が変わっただけで対応できないのだ。首尾良く妹の家に帰宅。1万歩近く歩いた。









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