ぼくの生まれ故郷は道東の釧路である。
高校2年の時の修学旅行まで、北海道以外の世界を知らなかった。
釧路から列車と青函連絡船、奥羽本線で二昼夜かけて京都・奈良に辿り着き。
庭先に柿が生っているを始めて見つけて感激し、バスの中でその渋さを味わった。
出会う人々の日焼けした肌に、自分たちの肌と較べて異質の人々ではないかとさえ感じた。
水田の稲を見るのも始めてであれば、見る風景がすべて教科書のようであった。
小豆島、高松と周り、鎌倉・東京を経由してまた列車に揺られて釧路まで戻ってきた。
道産子にとっては北海道から南にある本州、四国は内地であった。
内地から転向してきた子たちは綺麗な服を着て、頭も良かったし可愛かった。
風の又三郎のように消えていく転校生もいた。
転校生は内地からやってきた。
内地に対する憧れのようなものが芽生えていた。
教科書は、音楽でも、国語でもぼくら道東で生まれた子供には想像さえつかないような
内地の農山村の世界が広がっている。
台風一つとっても道東の子供には楽しそうなものであった。
”夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、、、、、”
道東では、まだ若葉が茂っていない。
”桜、桜、弥生の空は、、、、、”
道東では桜が咲くのは皐月である。
国語の現代文や古文の文法が苦手であった。
現代文でもぼくらが日常使っている文法と違った。
日本のように北から南まで長い国の遠隔地で生活する人々にとっては、
中央の考えが知らないうちに押し付けられる。
中央は素晴らしい所、遠隔地は「いなか」と蔑まされる。
故郷へ錦を飾ると云うのがその表れであろう。
アメリカ、ロシア、中国は広大な国土をもった国である。
北海道生まれのぼくが考える以上にそれぞれの国の遠隔地で生まれた
子供たちは中央とのギャップに戸惑っているのだろう。
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