昨夕、散歩している時に小田急線沿いで見つけたヒガンバナを先程撮ってきた。下駄をつっかけて片道10分くらいの行程だが汗だくになって戻ってきた。陽射しは強くはないが、ビルの日陰に来るとほっとするほど暑かった。
一輪だけだと思っていたヒガンバナはガードレールの向こうにたくさんあった。これらのヒガンバナは球根を誰かが植えたのだろう。ちゃんとお彼岸の頃に咲く。今年は暑い日が続いているが花が咲く時期は例年と変わらない。日照時間に因るのかな?
自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。
原発不要・核廃絶
昨夕、散歩している時に小田急線沿いで見つけたヒガンバナを先程撮ってきた。下駄をつっかけて片道10分くらいの行程だが汗だくになって戻ってきた。陽射しは強くはないが、ビルの日陰に来るとほっとするほど暑かった。
一輪だけだと思っていたヒガンバナはガードレールの向こうにたくさんあった。これらのヒガンバナは球根を誰かが植えたのだろう。ちゃんとお彼岸の頃に咲く。今年は暑い日が続いているが花が咲く時期は例年と変わらない。日照時間に因るのかな?
老化とは、筋力がみるみる失われて行く現象の一つだ。ぼくは歩けなくなるのが嫌なので、ビッコを引きながらも40分くらい歩いている。足腰の筋力は散歩することで維持される。が、上半身、腕の近い、握る力、背筋・腹筋は衰えたままである。その為、図鑑が重くて持ち上げられない、鉢物の水遣りが腕が疲れて大変だ。ペットボトルの蓋が開けられない、缶ビールのピンが開けられない、腹筋が無くなったので腹が出てきた。
今朝から650ccのペットボトルに水を入れてTVを見ながら腕を鍛えている。朝と昼に階段を利用して腕立て伏せの真似事をした。60度くらいの角度で5回でギブアップだ。少しでも回復すると良いなぁー。
ヒトもターキンのような四つ足歩行なら(図1)、散歩するだけで前肢も後肢も鍛えられるのに!
陸上や水中で生物が形を保つためには、一部の動物を除いて、回りを全部堅い物で囲ってしまうか、堅い物に支えられなければならない。
ぼくの大好きな毛ガニは全て殻で覆われている。この殻はキチン質よりなり外骨格であり、毛ガニの身体を支えている。殻(外骨格)の中には美味しい肉やミソが詰まっている。
この毛ガニやエビや甲虫のようにぼくらの頭骨も外骨格である。中には脳で満たされ、食事の時に必要な、歯や舌まで骨に覆われている(図1&2)。 しかし、他の骨は全て肉で被われる内骨格である。
昨夜は2時過ぎに目が覚め、なかなか眠れなかった。Aさんが亡くなったせいもあるのかな?で、何故か腓骨が脛骨と癒合している動物たちの足を思い浮かべて4時過ぎまで思いめぐらしていた。
1)腓骨が脛骨と癒着し、腓骨の痕跡しか残らないようなシカやカモシカ(図1)。
2)腓骨が脛骨の中ほどから遠位端まで癒合合体しているウマ、ウサギ、ネズミ(図2)。
3)腓骨と脛骨は独立した1本の長骨のイノシシ、サル、タヌキ、ネコ、リス。しかし、リスの腓骨は針金状に細いものだ(図3)。
1)と2)と3)との大きな違いは、3)の動物たちは足首を様々な方向に曲げ内側や外側に動かすことができる。しかし、1)のシカやカモシカは内外に動かせない。殆ど前後だけだ。また、2)の動物は少しだけ動かせるだけである。1)の動物たちの足首から先は、何故、前後方向にしか稼働しないのか?
ぼくは子供の頃から身体全体が堅い。しかし、シカやウマの足首はぼくの足首をはるかに堅く可動性が無いのだ。
何故、1)の動物たちの足首から先の可動性が低いのか、シカの足で確かめる(図4)。足首にあたる足根骨、距骨、踵骨に接するの骨は脛骨だけである。しかも、脛骨と足根骨が関節する部分は滑車のような構造になっている(図5&6)。
お隣のAさんはぼくより10歳上で、沢登りや渓流釣りをやっていたが、10数年前に止めた。渓流を移動する時に岩をピョンと軽く渡ることができなくなり、さらに怖くなってきたからだと云っていた。こちらは尾根歩きだが、今まで何でもなかった細尾根が足が竦んで怖くなっている。あるいは、何でもなく下ることができた岩場やザレ場の尾根が足が竦んでしまっていた。もっとも、今は散歩もようやくだ。山歩きをしていたのは今年2月の高取山が最後だ。
Aさんが8月に入院した。肺ガンのようだ。ぼくも通っている同じ内科医に診てもらっていた。毎年のように肺ガン検診も受けていたが、レントゲン検査では見つからなかったようだ。Aさんは、毎日朝から夕方まで畑仕事、草取り、庭木剪定と動き回っていた。さらに週2回はダンスのインストラクターをしているようだった。ぼくはしゃがめないので草取りをしている身軽そうなAさんを羨ましく思っていた。
そのAさんが8日に亡くなった。Aさんが戻っているので顔を見てやって欲しいと玄関前の草むしりをしていた奥さんが声を掛けてくる。完全防腐された棺桶に入れられて戻ってきたようだ。連れ合いと二人でAさんの顔を見た。綺麗な顔をしている。線香を上げ合掌だ!
Aさん宅とは、夕食の総菜のやり取りをしたり、家を2,3日開ける時は庭の鉢物の水遣りを頼み合う仲だった。山で拾ってきた死骸を庭の水道栓で洗っていると「精が出ますね!」と云われたものだ。ぼくの両親が逝った時は特別な悲しみの感情は湧かなかった。しかし、15年飼ったクロが死んだ時は思い出しても涙が出た。Aさんの死は胸にぽっかり穴が空いた感じだ。死を悼む気持ちは、死の直前まで顔を見て接していた時間の長さによるものかな?
昨日、4時半過ぎに連れ合いと散歩に出た。20分くらい歩いた道路脇の住宅の庭にヤマボウシのような花が咲いている(図1)。連れ合いのスマホで撮った。我が家のテイカカズラも白い花をたくさんつけているから、ヤマボウシの狂い咲きのようなものかな?っと立ち止まって見た。でも葉がテカテカ輝いて常緑だ。あまりにも猛暑が7月が続いていたので、ヤマボウシも、、、、と思ったが、しっかりした常緑の葉だ。なんと果実までヤマボウシの実(図2)、そのものだ!