「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年10月13日火曜日

サルナシは食べ頃

ハタチ沢林道の沢側の斜面にサルナシの蔓があった。

双眼鏡で覗くと雄木でなく雌木である。
果実がなっている。クリックして拡大!

木の下まで行くと、登れそうな手掛かりがある。
ザックを降ろし、双眼鏡やカメラを斜面の木の枝に下げる。
太い蔓が絡み付いているので、それを頼りに登る。
樹幹まで出て、腹這いになり、手元の実から採る。
柔かい。先ずは口に放り込む。5、6個食べたら、口の中が少しヒリヒリする。
持ってきたレジ袋に取り入れる。
なんだか、サルになったようなというよりもクマになったような気持ちだ。

あと40センチも移動できれば大量に採れるのだが、そこまで行けず。
上流の谷間から「ウアーン」という低音で響くような動物の声。
クマ?こんな状況でクマが下から登ってきたら、太刀打ちできない。
と!また、「ウァーン」という響くような低音の動物の声。

もう少し、移動するとたくさん採れるのだ。
が、降りることにする。

降りるのは登るのにかけたエネルギーと時間の倍以上のものを費やす。


林道に出て、ほっとしてレジ袋に容れたサルナシを道の上に空ける。
半分くらいが降りるときに潰してしまった。
きれいに残った実を撮る。
熟し過ぎて、生食しかない。
サルナシのウィスキー漬けによる果実酒は来年のお楽しみだ!

持ち去られた小鹿!

今朝、早起きできたので丹沢・ハタチ沢へ向かう。
先月20日の実習で剥皮した小鹿の状態を見るためでもある。
http://tanzawapithecus.blogspot.com/2009/09/blog-post_20.html
が、置いた場所に痕跡すらもない。
あたり半径20メートルくらいの中を念入りに探す。
見つかったのはあの小鹿のものではないシカの左足の脛骨(下)。


まだ、あれから1ヶ月も経っていない。台風で流されたわけでもない。
肉食動物たちやイノシシが持ち去ったのか?
それにしても一欠けらの痕跡も無いとは驚きであり、動物たちの消費分解能力に脱帽だ!

2009年10月12日月曜日

山帰来

伊勢沢林道の山側斜面の路肩に積もった土砂や枯れ枝をブルで、綺麗にし、斜面や林道を覆う枝やツルが切り払われていた。

サルトリイバラの蔓が切り払われていた。

昔、山に入った梅毒患者がこの赤くなった実を食べて治って戻ってきたということからサルトリイバラのことを山帰来という別名があると何かの本で読んだことがあった。で、本を探したが分らず。
何のことは無い。ネットで「山帰来」と検索したら、以下に詳しい。

若芽は天婦羅に、実を生食もできるようなので今度は試してみよう。
いずれにしてもシオデと同じユリ科なので美味しそうだ!

秋の色の一つ

コムラサキシキブの実が色づいている。
ここは朝日しか当たらない気の毒な場所、植え替えてやりたいが、場所が無い。
そんな一日2,3時間しか日があたらない場所でも花が咲き実をつける。

日があまり当たらないせいだろう。紫色が淡すぎる。

これから葛西の専門学校でのチャレンジキャンパス
高校生は運動部以外、屋外活動をしないようだ。
今日来る高校生も青白いだろう。

2009年10月11日日曜日

この良い匂い!

日が差しはじめてきたので、窓を開ける。
あ!この匂い!
キンモクセイの香りが部屋に入ってくる。
先週から街を歩く人たちの気持ちをやわらげてくれる匂いだ。


我が家の庭の選定され、切り詰められたキンモクセイにも橙色の小さな花。


庭木は可哀想だ。自由に伸ばしてやりたいが、近隣の家との兼ね合いからそうもいかない。
毎年、毎年切られることになる。
そういえば、先週の伊勢沢林道でも工事車の荷台に乗った人が林道を覆う枝を切り払っていた。
山でも木々は自由に手足を伸ばすことができないのだ。
ウサギに食べられ、シカやカモシカに食べられるならまだしも、ヒトの都合で切られる。
まるで経団連の御手洗キャノン社長のように都合が悪くなれば切り落としていく。
ヒトがヒトを切るのは殺人と同じだ!

2009年10月10日土曜日

東丹沢の秋:伊勢沢林道で

昨日、伊勢沢林道でお昼を食べたところでヤブキリをみつけた。大事な右の後足がない。ぼくがこの草むらを座る場所をさがして歩いたために慌てて隠れようとしたために彼女の足をもいでしまったのかもしれない。
このキリギリスによく似たヤブキリは、日本刀のような産卵管をもっているメスを多く見つける。
ヤブキリはキリギリスより羽などは大きいが、キリギリスの「ギー、チョン、ギー」という鳴き声よりもか細い音色で鳴いている。
キリギリスは素手で捕まえるとすぐ噛み付き、結構痛い。が、こやつは大きいのに噛む力はどことなく弱い。

コオロギやヤブキリたちのような鳴く虫たちも朝夕は寒くなってきているので、もう少しの命である。
このメスは卵を産むことができたのであろうか?

赤くなりかけたハダカホウズキの実が目にはいった。葉の上にクモが日向ぼっこをしている。
クモの目って結構愛嬌がある。
このクモは網を張らないで待ち伏せして獲物を捕まえるのだろうか?
クモの図鑑を持っていないので、名前を調べることができない。

赤いハダカホオズキ。ナス科の植物には、ジャガイモやピーマン、トウガラシなど有用野菜となる植物もあるが、ハシリドコロやチョウセンアサガオなど毒草も多い。このハダカホオズキも危ないようだ。でも、小鳥たちが食べているから分散していく。なお、タバコもナス科だ。

アカメガシワが黒い実をこぼれそうにつけていた。
コブシやモクレンにも似た奇妙な実のつけ方だ。

2009年10月9日金曜日

秋の丹沢

今日は、早起きして丹沢へ行く予定であった。5時に起きたが、二日酔いで頭も身体もすぐれず。水を飲んだり、コーヒーを飲んだりして、8時過ぎに家を出る。
伊勢沢林道をゆっくり歩く。工事車両が後ろから追い抜いていく。音見沢橋のところに12月4日まで森林保全の工事という看板がある。
音見沢橋をわたり、焼小屋沢橋を過ぎて、ようやく身体が汗ばんでくる。
時計を見ると12時だ。日陰で鳥屋の店で買ってきたカツ丼弁当を食べる。
が、何だかカツとは違う歯触りである。一口噛み切って、切り口を見る。
これは魚だ。だが、
カツ丼って印刷した紙を張ってある。
何の魚かちょっとわからなかった。

ヤクシソウが咲いていた。

ヤクシソウの近くに大好きなリュウノウギクが咲いていた。

サルナシを見つけたが登る手がかりがない高木に絡み付いている。

左足をかばいながら歩いたので、結構疲れ、帰りは運転をしながら眠気と戦った。

2009年10月8日木曜日

学生からもらったイヌの頭骨

昨日、専門学校で、授業を始めようとしたらS.Ando君から、不透明のプラスチック袋の物をプレゼントされた。
イヌの頭骨である。下顎骨はないが、全ての歯が揃っている中型犬のものだ。

今朝、じっくり見なおすと、左の頭頂骨に生前に傷つき治癒した痕がある。
これは、手製の空気銃のようなもので撃たれたものと思われる。

さらに、良く見ると、後頭骨の項稜部分が縦12ミリ、横最大5ミリの幅で切り取られている。
黄色の線で囲った部分である。
これは、生きている時に首根っこを大きなサバイバルナイフか鉈か斧状の物で切られ、
それが致命傷となったものと思われる。

S.Ando君の話では、この可哀想なイヌの頭骨は海岸の草むらで見つけたようだ。
おそらく、幼犬の時から付近の中学生くらいの少年に虐められ、
最後には、、、、、、。

この頭骨のイヌ君、今は優しい飼い主に出会って楽しい暮らしをしていると思いたい。

2009年10月6日火曜日

アカマツのエビフライを作ったのは誰?

2月に湯河原野生動物探検隊の集まりで拾った数々のエビフライ
手を広げて見せてくれるのはk-ta隊員

このエビフライの作成者はリスか?ネズミか?take隊員が判断できないものもあった。

エビフライのことが気になっていて、Collins Guide to Animal Tracks and Signs を読んでみた。
リスとネズミによって作られるエビフライの違いについて次のように書かれてあった。

見つかる場所:リスのエビフライは開けた場所。 ネズミのエビフライは隠れることができるような場所
エビフライの頭側(マツカサが木についていた方):リスのは根元がボサボサした毛房状になる。ネズミのはきれいに噛み取られて丸くなる。
エビフライの胴体の表面部分:リスは軸から離れるほどボサボサ状態。ネズミのエビフライはなめらかとなる。
噛み取った鱗片の状態:リスは鱗片がしっかり残る。ネズミに関しては記載ナシ。

ということで、湯河原で拾ってきたエビフライを確かめた。1個だけネズミのものと思われるエビフライがあった。

左がネズミかな?右がリスであろう。    

2009年10月1日木曜日

地震

アメリカ領サモアで大きな地震があり、日本沿岸への津波が心配されたが小さなものだった。
昨日はスマトラでも大きな地震があった。
9月にはジャワでも大きな地震があった。

子供の頃に十勝沖地震があり、津波がくるというので釧路市内の多くの人たちが高台に荷物を持って登ってくるのを歯をガタガタさせて、ただ立ち尽くして見ていたことがあった。

安定している筈の大地が揺れるというのはなんとも恐ろしいものである。

東海沖地震がいつきてもおかしくないと云われ始めてもう30年は経っている。
東京は週3日、電車に乗って出かけている。東京で地震に遭った時のために、瓦礫の上でも歩けるように登山靴をいつも履いている。コンパスも常に持っている。明日からはザックに水も持ち歩こう。

パダンには霊長類研究所に留学していたアムジルさんがいた。地震は大丈夫だったろうか?