7月27日に成田を発って、8月2日に戻ってきた。
箱根・湯河原のサルを一緒に観察したビフトンさんを訪ねる旅だった。
いつもは、南仏にバカンスに出かけるところを出発を遅らせて
ぼくらを待ち受けてくれた。
アムステルダムに2泊し、列車でブラッセル南駅に着くと、
彼はホームにいた。
25年前に来日した時に、
ぼく等2家族と一緒に思い出の湯河原でキャンプした。
彼が勤めるブラッセルから6つ目の地下鉄駅のモンゴメリー学校の前で:
明るいが、夜の9時を過ぎている。
グラン・プラス近くのシェ・レオンというレストランで美味しいムール貝の食事をした後で、、。
背骨と腰骨の病気のために、骨を削ったようで、背が低くなっていた。
日本には京大の国費留学生として湯河原のサルの調査・観察をしていた。
美味しいブランディーやウィスキーを教わったのは彼からであった。
彼は、カソリックの神父でありながら、科学を志していた。
上の神学校では図書室長?となり学生に教えたり、図書の管理をしている。
湯河原では何度か喧嘩をした間柄でもあった。
酒、パイプ、チェスが大好きな神父でもあった。
箱根・湯河原のサルを観察している時は、我が家に毎週のごとく泊った。
そのため、ジャガイモとキャベツを一緒に煮るだけの簡素なベルギー料理を教わった。
下は最後の日にブラッセル中央駅から空港駅往きの地下鉄を待つ。
暗いがお昼過ぎ頃だ。
オランダもベルギーの少し離れると北海道の景色で農業国というのが良くわかる。
アムステルダムもブラッセルも大都会なのに木々がたくさんあり、花がアイビーゼラニュームやサフイニアが綺麗であった。
街路樹が太く、高く伸びており、それが街を落ち着かせている。
それと、広告の看板・ネオンが少ないのと家々が統一されている。
日本は台風があるから、街路樹は剪定しなけれいけないのだろうし、
日本の町並みは好き勝手な色や建築になっている。
人は赤ん坊・子供・青年・壮年・老人があり、生と死がある。動物たちもそうだ。
人が造る組織や建造物、さらには自然観も生死・老若がある。
アムステルダムやブラッセルは銀髪の中年の街並みだ。
その点、横浜も東京もまだ少しギラツク壮年の街だ。
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