「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2014年8月6日水曜日

衝撃のインド:続4  India shock!

母なるガンガー川のバナーラスを飛び立ってあの左右対称の綺麗な幾何学建築のタージマハルがあるアーグラに着く。先ず、レストランでお昼にするが、もともとカレー好きではないので、早くもカレー嫌いになっている自分に気が付く。
インドビールのKingFisherカワセミ飲んで、カレーを胃に流し込む。
ここでも青い唐辛子を一本カレー代わりに食べる。
赤い左岸のブロックを積み上げて作ったアーグラ城にチケットを切ってもらって向かう。
何と、ここもドブの臭いがする。この門までの橋の下は堀になっており水がゴミで腐っているのだ。
この7,8歳のハナレオスのアカゲザル、観光客のインド人たちを脅かしている。
日本にこんな悪ザルがいたなら即捕獲されてしまうかな?
ぼくはもちろんコヤツを追い払った。
門を潜ると幅5メートル高さ4メートルの壁に囲まれた登りになる。
敵が攻めてきて入城してきてもこの状態なら敵を左右からと前から攻撃しやすい。

これがアーグラ城である。
チケット売り場の前では絵葉書売りや土産物売りの子供や大人がわんさかいたのに
ここはほっと一息がつけるくらい閑散としている。
このお城には息子があのタージマハールをつくった父王を幽閉していたようだ。
権力欲の強い者が大きな建造物をつくる。
ここにも背中に5本の白線が走るリスがうろちょとしていた。
なんと餌までもらっている。
コヤツの警戒の音声は鋭く高く何度も叫ぶ。
どうもぼくは彼らの巣に近づいたようだった。
このムクドリくらいの大きさの鳥もよく見かけた。
インドはやはり暑い、脇腹や背中の一部が見えるサリーを巻いている女性も暑そうだ。
その点イスラム教徒の男たちの白い衣装は涼しげだ。





衝撃のインド:続3:India shock!

ガンガーを流れていく水葬された死者
 ぼくは思い出したようにショルダーバックから親父とお袋の火葬された骨の袋を取出し
川に流す。ガイドのジョシさんからは「大変良いことをしましたネ!」と感激の言葉を受ける。
メコン川河口で、親父の骨を散骨したのを皮切りに、黄河の支流、チェコのモルダウ川、ベトナムのフエ川、ナイル川、スリランカのマーオヤ川などでも散骨する。
ぼくも死んだら火葬して残った灰は、鉢植えの骨粉としての利用か石灰肥料として
散骨?してもらいたい。そうして土に戻りたい。

流された埋葬者はカラスなどの鳥たちや魚たちに食べられて、骨はガンガーに浸されるようだ。
火葬された灰というよりも生焼けの骨はそのままガンガーに流される。
大きな魚たちが飛び跳ねていた。

ガートの建物の壁を移動するアカゲザルの群れの動画です。
なんだか食べ過ぎてデブっている個体が多い。
ホテルに戻って朝食をとり、シャワーを浴びて空港へ向かう。
憧れ?のガンガー川を見ただけでもインドに来たかいがあった。
聖水を少し持ってきたが、飛行機に乗るのでホテルの花鉢に空けた。

轢き殺されたアカネズミ A large Japanese field mouse who was killed by cars

昨日、広沢寺温泉の市営駐車場に車を置いて、不動尻まで行きそこで行先を考えようと思った。
8時を過ぎているので、太陽はじりじり焼けつくようだ。
不動尻までは舗装された二の足林道の照り返しのため、
歩くのが嫌になってくる。
車が2台追い抜いて行くが、1台は家族連れで林道脇の沢遊びをしていた。
もう1台は水汲みの車だった。
いつもゲート前の沢の水を20リットルのポリタンクや2リットルのペットボトルに
汲み入れている人たちがいる。
ぼくは水道水も十分美味しいと思っているので、水を汲んで持ち帰ったことはない。
ゲートの手前でテン糞をゲットした。
     なんだか、今日はこのテン糞を拾っただけで帰っても良いかなーという気持ちになる。
不動尻の手前のところで、戻り、鐘ヶ嶽登山道口の手前で先ほど見落としたテン糞を見つける。
ここで座って、コンビニで買ってきたアメリカンドックを食べる。
何だか、このところ丹沢行きの朝食はこれになった。
テン糞2個を拾ったので、トンネルは潜らないで山越えをする。
で、山道を歩き始めてすぐ今度は新鮮で量も多いテン糞だ。
おー、こちらに足を向けて良かった。
稜線のT字路で30分の大休憩だ。
ここでもテン糞ゲットだ。
下りもゆっくりだ。
簡易トイレがある場所に着き、再び二の足林道歩きだ。
行きは誰にも会わなかったが、帰路は最初は単独行の男性、次は単独行の女性だった。
とその女性と挨拶を交わした直後、アカネズミの轢死体を見つける。
酷い状態だ。一度だけでなく2、3度轢かれたのではないだろうか?
運転席から道路上のアカネズミが見えない筈がない。
しかも、せいぜい30キロくらいのスピードで走るところだ。
インドでは、高速道路のようなところでもイヌ、ウシなどの動物が寝そべっていたりで、
かれらの足や尾を轢かないように運転している。
インドの社会のようにとは言わないまでも、もう少しヒト以外の動物たちの命を
大事にしてもらいたい。


2014年8月4日月曜日

衝撃のインド:続2 India shock!

3日目の早朝、5時にホテルを出てガンガー川のガート(岸辺)に向かう。
神聖な朝日を拝めるようだ。
ガート付近では、人を焼いた後の燃えかすが燻っている。
イヌたちがケンカをしながら燃えかすの中の物を引っ張り出して食べている。
人を焼いた臭いってこのような臭いなのかと戌年のぼくは鼻を動かす。

早くも薪が積まれて人を焼く準備がなされているガートもあり、ボートの上に白布で覆われた人が横たえられている。ヒンズー教徒にとっては、わざわざガンガーに来て死を待つ人も多いようだ。
死人は焼く前に一度ガンガーに浸けられてから、焼かれる。
積まれている薪は直径30センチくらいの太さのものもあり、燃やすのが大変だ。
最初にガソリン状の液体がかけられて火がつけられた。
ぼくらはそれらを横目で見ながら通り過ぎる。さまざまな臭いが漂う。
早くも、沐浴している人たちもいる。
ぼくらはボートに乗ってゆったりと流れる母なるガンガーへ乗り出す。
東のヒマラヤ山系の空に朝日が出始める。
日の出を見ると何となく厳粛な気持ちになるから不思議だ。
火葬が本格化している。
ボートには順番待ちの人が横たえられている。
ここで火葬されるのは槇を買える裕福な人たちのようだ。
川にはさまざまな物が流れていき。その上に鳥まで止まっている。
何か得体のしれない大きな物が流れてきた。
ツグミのような鳥が真ん中にいるのが分かるかな?
黙って川面を見ていたぼくらは”エ、人だ!”っと声を出す。
ぼくらのボートのすぐ横を静かに流れていく。
まるで、寝ているような30代の男性だ。
ボートの上の同行者は神妙な顔付きで、流れる水葬者をただ見続ける。
ぼくは他の漂流物と同じように写真を撮る。
ガイドのジョシさんによると、毒蛇でも咬まれてショック死した人は、生き返るかもしれないから
焼かないでバナナの樹の梯子に載せられてそのまま流されるようだ。
妊婦も火葬されないでそのまま流されるようだ。
ガンガーの水で産湯に浸かり、死してはガンガーに戻される。
ぼくらは、神妙な気持ちでただただガンガーの流れを見、ガート(岸辺)にも目をやる。
ガートにはたくさんの人々が沐浴をし始めている。
下はボート上からガート方面を撮ったものです。
3分以上あり、長いですがご覧ください。

衝撃のインド:続1 India shock!

インドに着いた翌朝、国内便で以前ベナレスと云ったワーラーナシーに飛び、
すぐ車で以前ガンジスと云ったガンガー川の岸辺(ガート)に向かう。
途中2度ガンガに流れる支流の橋を渡る。
岸辺はゴミ捨て場であり、溝の臭いがする。
ぼくの子供の頃の日本も何でも川に捨てていたのだ。
しかし、今は燃えない、腐らない自然分解しない化学物質の加工物が
天然の物と一緒に捨てられている。
これは、中国大陸も同じだ。
このあたりの環境教育を徹底するには、今教育を受けている子供たちが
大人になって次の次の世代が出てくるまでは難しい。
たくさんの巡礼者たちが歩く。皆裸足だ。
天秤棒のように肩に背負っているのは聖水であるガンガーの水を容れて
故郷へ持ち帰る容器だ。 
少しの聖水でも他の水に混ぜるとその水も聖水になるようだ。
車の上に載った巡礼者たちもいた。
それにしても凄い渋滞だ。
この夜はお祭りのようであった。
それでなくても全国から否世界各地から巡礼者や観光客が集まるのに、
凄い人混みだ。
まるで、江の島の花火大会を見にきたような雰囲気だ。 
急に、人々が騒ぎ始め、ガイドのジョシさんがぼくらに危険だから下がるように言う。
何事かと思ったら何のことはない小さなオオトカゲの子供のようだ。
どうも川を流れる物に載って流れてきたようだ。
ジョシさんがあまりにも怖がるので、ぼくはシッポをつかんでガンガーに放り投げた。 
ボートの上に落ちないで上手く川面に落ちてくれた。
お祭りを手漕ぎボートに乗って見る。
船頭さんは一人で、8人とジョシさんと船頭さん本人を載せて力強く漕ぐ、漕ぐ。
ぼくらは感動してしまう。 
聖なる川ガンガーは茶褐色に濁り、ホテイアオイを含むさまざまな物が流れてくる。
ぼくは当初はガンガーで、インドの人々に混じってうがいをして沐浴するつもりだったが、
うがいなどはとてもできそうもない。水そのものが汚いのだ。
インドに来て2日目だからそう思うのも当然か!
途中の支流で見たように、全ての物を川に流して身の回りを清らかにしようとする。

2014年8月3日日曜日

衝撃のインド India shock!

8日間の北インドの旅行を終えて帰ったきた。
インドはスリランカと同じく緑が豊富であった。
見た哺乳類はハヌマンラングール、アカゲザル、ウシ、スイギュウ、ラクダ、ウマ、ロバ、ヤギ、ブタ、イヌ、リスであった。
これらの哺乳類はヒト、ヒト、ヒトの海の中に混然と生きている。

飼い主のいない野良犬たちがゴミ漁りをするのは日本でも見慣れた光景であった。
が、ヒト、サル、ウシ、ウマ、ブタ、リス、ヤギたちがゴミ漁りをしている。
ウシやウマが道路沿いの新聞紙を食べる。
インドで生を受けたヒトや動物たちは自分がともかく食べ物にありつこうと頑張っている。
おそらく、インドではヒトの乳幼児の死亡率は日本とは比較にならないほど高いことだろう。
丈夫な身体を持って生まれたものだけが生きていける社会のように思われる。
灼熱の太陽の下でたくましくも、気の毒にも感じる。
ぼくが20歳の頃に見た台湾の混然とした社会には若かっただけにすぐ慣れた。
30代の東南アジアの貧富の差にもすぐ慣れた。
4、50代のアフリカの混沌にも度胆を抜かれたが疲れなかった。
しかし、インドは人々が途切れずにいて、
街の交通渋滞の中の隙間で生きている人や牛たちがいたり、
道路沿いの街路樹の下で生活している人、ゴミの中で生活する人や牛や犬たちがいたり、
観光地の王宮跡でもインドの観光客で溢れかえる。
観光できるたくさんのインドの人々がいる。一方、腹を空かせて餓死寸前の人々もいる。
一方、どうしてこんなところでサルが生きていけるのだろう。インドの国鳥のクジャクが生きていけるのだろうと思うほど、動物たちが周りにいても人々は気にしない。
日本ではすぐ排除されてしまうヘ野生動物が、インドでは嫌われずに生きていける。
インドは野生動物が生活していけるほど人々の心が豊かな国なのだ。
人が出したゴミで溢れていることが、動物たちを生かしているのかもしれない。
っと今思い始めている。

2014年7月26日土曜日

引地川沿いの夏  The summer along the Hikichi river.

昨日も引地川に沿って散歩した。
これはザクロだと思うのだが八重咲だ。
この草は?草丈の高いのは2メートルを軽く越えている。
上の不明な草の奥にハナマメの赤い花が咲いていた。
故郷の釧路では親父が毎年、庭の空き地に植えていた。
でも、その花の色は赤と白があり、豆も白い豆と赤紫の豆があった。
たいてい煮豆で食べたものだ。
このタデは異様に大きい。2メートルちかく伸びている。
え?これはセンダンなのかな?
奥湯河原の千歳川左岸にもセンダンの木があったが今でもあるかな?
お!シジミだ。ベニシジミだ!コヤツは割とゆっくり止まってくれる。
昨夜は厚かった。が扇風機をつけて寝ていたら寒くて目が覚めた。
採点、評価付けのWeb入力も終わり、ほっとしている。
ぼくの夏休みが始まった。
これからいつもの旅仲間との8日間の北インド。

2014年7月25日金曜日

ぼくの夏の田圃のイメージ  My image of the rise field in summer season.

道東生まれのぼくにとっては夏の田圃のイメージは次のようなものだ。
田圃には水が引かれ、田にはカエルやフナやドジョウなどがいる。

高校を卒業してこちらに来るまで夏の稲田を見たことがなかった。
高2の修学旅行で稲刈りの終わった秋の奈良の田圃を見たことはある。

試験の採点が一段落したので、気分晴らしに引地川沿いの散歩に出かけた。
田圃は温かい水でうまり苔状のウキクサが水面に浮かび、オモダカの白い花と矢じりのように尖った葉が涼しげだった。オモダカを欲しいと思った。
っと!何か動くものがカエル?っと思ったらアメリカザリガニだった。
キアゲハだ!子供の頃釧路湿原で見たものはもっと大きかったと思う。
せっかくピントが合ったと思ったら飛び立ってしまった。
シオカラトンボだ。オスかな?
シオカラトンボが飛び立ったと思ったら、イネの根元にアメリカザリガニがガサゴソと出てきた。
コヤツぼくがカメラを向けるとぼくの気配を感じて静かに後ずさりして逃げた。
メスのシオカラトンボのムギワラトンボかな?っと思ったが、シオカラトンボだ。
しかし、コヤツ先ほどは胸から腹まで白っぽかったのに胸は黒っぽい。
コヤツ、ぼくが動くとすぐ飛び上がる。が、すぐ戻る。
正面から狙う。飛び上がったが戻ってくれる。
こんなにも羽を下にさげているんだ。
こうやって餌となる小昆虫を狙っているのかな?
おーおー!網を張るだけで餌を取れるナガコガネグモだ。
この網のはりかたがジョロウグモとは違う。
いかにも絡んだようなジグザグのトンボやチョウたちを誤魔化す網を張り、
本体は見えずらい細い糸を張り巡らしている。
なかなかの使い手だ!
こやつ、ぼくが動き回ってもまったく動じず。
キアゲハやシオカラトンボ、アメリカザリガニとはヒトに対する対応の仕方が違うのだ。
クモを食べる小鳥はいないのかな?
サルを追っていて顔に覆いかぶさるクモの網を思い出した。
ちょっと田圃の周りを歩いただけで夏の田圃の生き物たちが見える。
これに、カエルにミズスマシやゲンゴロウ、さらにはホタルやイモリなどがいたら、
ぼくの子供の頃の内地の田圃のイメージだ。
もっとも、もう少し念入りに歩けば見つけられたのかもしれない。

さー、頑張って試験の評価付けをWeb入力しよう。

2014年7月23日水曜日

聞こえないクビキリギスの鳴き声  Sounds of a grasshopper that I can never hear.

夜8時頃、居間の窓は開け放している。
聞こえない!
え?鳴いている?
娘がうるさいほどすぐ側で鳴いているという。

嬉しいことに?悲しいことかな?連れ合いも聞こえないようだ。
娘が左手を上げた時が鳴いている時だという。
耳を澄ましながら網戸越しに耳を傾け、目は娘の左手を見続ける。
左手が上がった。が、まったく鳴き声が聞こえない。
娘は、え?どうして聞こえないの?と訝る。
「ジーーーー」というか「シーーーー」とと鳴いているようだ。
それは、毎年初夏になると鳴いていたクビキリギスだ。
ぼくが生まれた故郷の釧路でも夏の夕闇が迫ってくると、ホタルが飛び、この
クビキリギス Euconocephalus thunbergiが鳴いていたのだ。もちろん、子供の好奇心と執着心で鳴いているのを捕まえて竹籠で入れて飼ったこともある。

35,6年前にこの湘南台に引っ越してきてからも庭や線路沿いの藪で鳴いていた。
いつの頃からだろう。あの「ジーーーーーー」という鳴き声を聞かなくなったのは、、、、、。
娘は毎年今頃鳴いているよねと相槌を求められてもこちらには聞こえない。
連れ合いも同じように聞こえなくなっている。
洗濯機や炊飯器などの電気製品のお知らせ音がこちらには聞こえないが、
連れ合いはまだ聞こえる。
自転車の注意を促すチリンチリンという音が聞こえなくなってもう20年近くなる。
そのため、丹沢を歩いていても動物を見つける機会がほとんどなくなった。
動物を見つけるのは気配なのだ。気配とは肌で感じる微妙な音だ。
見つけることによってしか動物に出会えない。
幸い、鼻が利く。しかし、匂いで動物に出会えたのはイノシシくらいだ。キツネの匂いがしてもそこはすでに通った後だ。死骸を見つけられるのも鼻のせいだ。
(20140712唐沢峠で)
世の中の現象が、一つ一つ、聞こえなくなったり、見えなくなったり、味わえなくなったり、感じなくなるのだろう。そうやって生き物は死んでいくということが良く解る。

歩くのが遅い、血圧は高い、脚が浮腫む、身体が硬い、頻尿である。
ストレッチをしなければ、歩かなければと思う。

今日は、慶応春学期の試験だ!
帰宅したら250名分の採点と成績簿つけだ。
これが終わるとぼくの夏休みが始まる。