「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2010年8月10日火曜日

久しぶりの東京湾フェリー

8時20分発の久里浜ー金谷間のフェリーに乗った。6年ぶりだ。
これから専門学校のタカゴ山実習が始まる。
気掛かりは台風の進路。
曇りでも雨が降らなければ万歳だ。
山歩きが楽しみだ。

2010年8月9日月曜日

釧路の湿原!

今年の釧路は例年に比べて温かいせいか、初夏の花がほとんど終わっていた。
低地は湿原、高台はクマザザの群落となる。
アキタブキである。
フキと云えばこの大きなアキタブキしか知らなかった。
フキノトウも赤ん坊の握り拳くらいあり、2、3個採れば十分であった。
5、6月の朝の味噌汁はこのフキの茎であった。
大きく空洞があってストローのようにして汁を吸ったものだ。
釧路動物園の散策路脇のアキタブキ、ぼくの帽子を被せてみた。
フキの葉の大きさや背の高さが分かるでしょう。
オオマツヨイグサが咲いていた。
この花の名前が分からなかった。クサレダマという可愛そうな名前であり、
サクラソウ科・オカトラノオ属である。
これは、サルルン展望台に登った時に、その道沿いのヤマブドウの葉の表面に出ていた不思議な突起物だ。虫えいだと分かるので、「ヤマブドウ、葉、虫」で検索すると、ブドウトックリタマバエというハエの幼虫が一匹入っているようだ。
キンミズヒキである。何だか、関東地方でみるキンミズヒキよりも大きく鮮やかだ。
釧路の郊外の草むらにはどこにでも生えてくるホザキシモツケである。
湿地が好きなようだ。
湯河原にも丹沢にもあるツリガネニンジンである。
花が少し大きいようにおもう。
湿原に咲くタチギボウシである。
これはホソバノヤマハハコかな?
最後に、サルルン展望台への砂利道で、見つけたテン糞。
半分は踏み潰されている。
砂利を道に蒔いて欲しくないが、、、、、。
ブラッセル・釧路に行く前、丹沢でブヨと雨にやられて疲労したのが、ようやく回復してきた。
まだ、アムステルダム・ブラッセルの写真などを整理できていない。
さぁー、明日から二泊三日で専門学校生を連れての千葉の高宕山実習だ。
1、2年生合同で20名近い。
電気釜でしか御飯を炊けない学生たち、ちょっと大変だ。
しかし、今の若者は他人を思いやる気持ちが強いのでやっていけるだろう。

2010年8月8日日曜日

釧路の涼しさの原因!

釧路の夏は全国でもっとも涼しい。
子供の頃は一夏に気温が20度Cを越えるのが2、3度くらいしかなかった。
釧路の港祭りの時の花火大会は寒いので、セーターを着込んで見に行った。
この寒さは、今までずーと釧路沖で寒流と暖流がぶつかるために生じる霧が原因だと思ってきた。キャッチボールもできないほどの濃霧となるので、陽が射さず大地が温められない。

しかし、温暖化が叫ばれて山の植層も少し変わってきている。
晴天の日でも、釧路より北にある根室や北見より涼しい。
釧路の街は湿原地帯と海に囲まれている。
(サルボ展望台より、塘路湖)
広大な湿原の中に大小さまざまなたくさんの湖がある。
陽が射せば、湿原の水の蒸散作用により気化熱で温度が奪われる。
釧路の街の周りで、終日のごとく打ち水をしているようなものだ。

濃霧よる日光不足による低温と、
晴れると水の蒸散作用による気温低下がある。
この二つの自然の要因によって釧路の街の気温は低いのだ!
と帰りの飛行機の中から湿原を阿寒の山々を見ながら感じた。
釧路を、7、8、9月の関東地方の人たちの避暑地として勧めたい。

釧路動物園の中に見事にたくさんの花を咲かせていたサビタの木:
恐らく、当初は園芸用の樹木が植栽されていたのだろう。
サビタの種子が飛んできて芽生え、大きくなっただろう。

2010年8月6日金曜日

サルボ展望台から

叔母さんを連れて湿原を見渡せるサルルン展望台とサルボ展望台に行ってきた。
真夏のサルルン・サルボ展望台は始めてである。
塘路湖の中に茶色の動く物が!
カメラで撮り、拡大するとエゾジカのメスであった。
塘路湖には、水草のヒシ(アイヌ語でベカンベのこと)があるのでそれを食べているようだ。(クリックすると拡大してシカがわかります)
エゾジカが上のように湖に入って水草を食べるのを見たのは始めてだ。
このシーンを眺めながら、ニホンジカが湖に入って水草を食べることがあるだろうか?と思った。
かってはあったことだろうが、現在はそのような光景を見ることはできないであろう。

カモメとカラス

もう何年も幼稚園の庭の木にカラスの巣があり、毎年ヒナが巣立っているという。
このカラスたち庭に撒く餌(主に食事の残り)を綺麗に食べてくれるので、個体識別をして可愛がっているようだ。

大声で妹が呼ぶので、階下におりて行く。
カモメが来ているという。
カモメはカラスよりも二回りも大きいので、カラスはびくびくしている。
今年はサンマが不漁のようなので、カモメたちも港ばかりでなく釧路の市街地でも見られるようだ。

2010年8月5日木曜日

釧路動物園に行く!

お袋の妹たちを車に乗せて、釧路動物園に行く。
入り口の案内がないので危うく通り過ぎそうになる。
駐車場の案内も酷過ぎる。
シカの仲間の北米に生息するワピチがいた。
以前、ここでカリブーを見たことがある。
ワピチはニホンジカより二回りくらい大きい。
身体や目の周りにブヨが集っている。
キタキツネやエゾモモンガがいた。
オジロワシやオオワシがペアーでいた。
類人猿としてシロテテナガザル、オランウータン、チンパンジーがオス・メスでいた。
オランの赤ん坊が生まれている。
カナダカワウソのペアーが仲良くしていた。
帰路、人家も農家も全くないところでれき死体があった。
ネコであった。なぜ、ネコ?と思ったので、ひっくり返して道路から草むらに移した。
上にはすでに、トビとカラスが待っていた。
釧路動物園は内陸にあるため、暑かった。
飼育係とお客とのコンタクトが頻繁にあり、動物園側の良くなろうという姿勢が感じられた。
が、園長を含む、上部は市からの天下りだ。
地方都市の元気の無さ、地方の不活発は行政のあり方を変えることで半分は変わると思った。

2010年8月4日水曜日

釧路の夏!

昨夜、釧路に帰省した。
空港から国道をバスに乗って走った。
これほど暗いとは思わなかった。
地方都市は寂びれてきているが、夜になるとそれが如実にわかる。

涼しいというよりも寒いくらいである。
アムステルダムやブラッセルよりも寒いかな?
釧路を東京の避暑地として売り出したら良いのにと思う。
せめて、夏場だけでもかっての賑わいのある街になってもらいたい。

釧路沖で寒流と暖流がぶつかり合うので、夏の釧路は霧に覆われる。
陽が射せば暑いくらいだが、、、、。
ぼくが子供の頃は肝油を飲まされ、保健室に設置された太陽塔というものにサングラスをかけて入らされた。日照不足によるクル病の予防である。

太陽が顔を出せば、日差しが強いので暖かい。
そのため、花々の色が鮮やかだ。
ダリアは子供の頃、図工の時間にしばしば絵に描いた花である。
ピンクのダリアが咲き。
黄色のダリアが咲き始めていた。
釧路の夏休みは20日までだが、10日を過ぎると秋風が立つ。

今日は、これからお袋の納骨式だ。
8人姉妹の長女だったお袋だが、残っている妹たちは3人。
来釧したおばさんたちは賑やかだ。

嬉しいことに8月1日(日)の北海道新聞で「頭骨コレクション」が本の表紙とともに紹介されていた。
クリックすると拡大します。
是非、読んでみて!
凄くうれしい。

                                       

2010年8月3日火曜日

「ブラッセルのBurtonさんを訪ねる旅」を終えて!

7月27日に成田を発って、8月2日に戻ってきた。
箱根・湯河原のサルを一緒に観察したビフトンさんを訪ねる旅だった。
いつもは、南仏にバカンスに出かけるところを出発を遅らせて
ぼくらを待ち受けてくれた。
アムステルダムに2泊し、列車でブラッセル南駅に着くと、
彼はホームにいた。
25年前に来日した時に、
ぼく等2家族と一緒に思い出の湯河原でキャンプした。

彼が勤めるブラッセルから6つ目の地下鉄駅のモンゴメリー学校の前で:
明るいが、夜の9時を過ぎている。
グラン・プラス近くのシェ・レオンというレストランで美味しいムール貝の食事をした後で、、。
背骨と腰骨の病気のために、骨を削ったようで、背が低くなっていた。
日本には京大の国費留学生として湯河原のサルの調査・観察をしていた。
美味しいブランディーやウィスキーを教わったのは彼からであった。
彼は、カソリックの神父でありながら、科学を志していた。
上の神学校では図書室長?となり学生に教えたり、図書の管理をしている。

湯河原では何度か喧嘩をした間柄でもあった。
酒、パイプ、チェスが大好きな神父でもあった。
箱根・湯河原のサルを観察している時は、我が家に毎週のごとく泊った。
そのため、ジャガイモとキャベツを一緒に煮るだけの簡素なベルギー料理を教わった。

下は最後の日にブラッセル中央駅から空港駅往きの地下鉄を待つ。
暗いがお昼過ぎ頃だ。
オランダもベルギーの少し離れると北海道の景色で農業国というのが良くわかる。
アムステルダムもブラッセルも大都会なのに木々がたくさんあり、花がアイビーゼラニュームやサフイニアが綺麗であった。
街路樹が太く、高く伸びており、それが街を落ち着かせている。
それと、広告の看板・ネオンが少ないのと家々が統一されている。
日本は台風があるから、街路樹は剪定しなけれいけないのだろうし、
日本の町並みは好き勝手な色や建築になっている。

人は赤ん坊・子供・青年・壮年・老人があり、生と死がある。動物たちもそうだ。
人が造る組織や建造物、さらには自然観も生死・老若がある。
アムステルダムやブラッセルは銀髪の中年の街並みだ。
その点、横浜も東京もまだ少しギラツク壮年の街だ。

2010年7月31日土曜日

From Brusseles-Belgium

July 27th, arrived at Amsterdom and took tour of  "Fuusha".
We saw a very beautiful landsape like a picture.
Every house is arounded with flowers, which we can see in Japan.
Gamano ho!
\Yanagiran? to Fuusha!
Shiroi Hana no Hamanasu.
In Brusseles;
I will go back to Japan on August 2nd.

2010年7月26日月曜日

サルの群れに出会う

伝道・鬼ヶ岩ノ頭の帰路:
松茸山登山口を過ぎたところで、道路を横切るサルを目撃。
車を左に寄せて停車する。
アカンボウを腹につかまえさせた母子ザルが渡る(写真)。
右側の宮ヶ瀬湖側からだ。すでに林の中はサルたちの声がする。
電線をわたる個体もいる。
この個体は首に発信機をつけている。アカンボウを抱いている。
非常に警戒心が強いので、車から出て写真を撮ることができない。
オトナメスが草を採食している。
左腕が肘の下あたりから無いオトナオスがヒコヒコ歩いて車の方へくる。
群れについている少し周辺気味の個体だ。
この片腕になった原因はオス同士の喧嘩によるものだ。
しかし、ちょっと珍しい。オス同士の喧嘩によって腕が切られる場合の多くは、肘関節からだ。
肘関節に犬歯が入った時にスパッと肘から先の部分が離れ落ちる。
ククリワナの場合は後ろ足が多いので、やはりこの片腕の原因は若い時のオス同士の喧嘩によるものだろう。お尻の性皮も睾丸も大きいが、顔はもう中年である。
今の時季にこの群れに着いて歩いているということは、この片腕オスはこの群れのメンバーとして認められているオトナオスだ。
元気なワカモノオスが電線をわたる。
鳴き声や全体の木揺れなどからして40頭を超えると推定した。
この場所でこのように大きな群れに出会うのは初めてだ。
馬ノ背群が大きくなって戻ってきたのだろうか?
早戸川橋を渡ってこちらに来たのだろうか?
早戸川橋や金沢橋の上の糞の有無と新旧が分かれば、この群れは県立宮ヶ瀬ビジターセンター前の斜面に出没する群れでもある。

急にこの群れの存在の面白みが沸いてきた。
しかし、携帯は壊れ、身体はボロボロバテバテ状態だ。泣く泣く後にする。
翌朝早く来て、松茸山に登ればその様子が分かる筈だったが、その体力が無かった。

明日から箱根山のサルを追って一緒に奥湯河原で生活したベルギー人に会いにブラッセルに行き、帰国した翌日に釧路行き、釧路から戻ってから専門学校のチャレンジキャンパスや千葉富津の野外実習で、8月15日くらいまで予定で埋まっている。

顔面と耳、腕のブヨによる痒みは改善されていない。これから衣類などをトランクに詰める。可能なら向こうからブログにアップしたい。今はウィスキーを呑みながら、、、、。