「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年9月13日土曜日

ホトトギス

ホトトギスが咲いていた。
庭にはすでに秋が到来だ。
花や茎の感じが以前あったタイワンホトトギスと違っている。
でも、確か昨年も、一昨年もこの花だった、、、。
ここに移ってきて30年過ぎた。
当初はタイワンホトトギスは地下茎でどんどん延びてはびこるので、晩秋に毟り取っていた記憶がある。タイワンホトトギスの茎は太く、花色や柄ももっと赤茶けたいた筈だ。

で、本で調べた。ヤマホトトギスと花の咲き方がいっしょだが、花がちょっと違う。最近はヤマホトトギスとタイワンホトトギスの雑種ができているという。

結局、タイワンホトトギスを抜き取り、しだいにヤマホトトギスとの交雑種に変わっていったのだと思っている。しかし、このホトトギスは可憐な草姿であり、タイワンホトトギスの荒々しさがない。
これはヤマホトトギスそのものなのだろうか?

2008年9月12日金曜日

オンブバッタ

ベトナムから戻ったら、フクシャが丸坊主になって枯れている。
昨夕、シソの葉を取りに庭にでたら、ほとんど虫に食べられている。
インチパチエンスもなんだか虫食いだ。
今朝、学校へ行く前にインパチエンスをみると、2、3センチくらいのオンブバッタがたくさんいる。
昨夕、気が付かなかったのは葉の色と区別しがたい色をしているからだ。

フクシャを食べ、シソを食べ、今度はインパチエンスを食べている。
オンブバッタを一匹一匹摘んで除くことはできる。
が、止めた。
このわずか数平方メートルの狭い庭でもオンブバッタが生きているんだ。
それに庭はヤブカが多くて長靴、長ズボン、長袖シャツ、軍手と重装備で出ても首筋や耳や顔がやられる。
5分も出ていられない。

狭い庭の睡蓮鉢に水が入っているからボウフラがわく。
シジュウカラが水浴びし、野良猫が水を飲む。
トカゲが動き回る。

トカゲはオンブバッタを食べているのだろう。
時々姿をみる小鳥たちもバッタを食べているのだろう。
あと1ヶ月もするとオンブバッタもいなくなる。
インパチエンスには悪いが、それまで我慢してもらおう。

2008年9月11日木曜日

心地良い文化の違い

mainichi.jp/life/love/news/20080909org100036000c.html参照

フランスの独身女性法相が妊娠し、それが新聞を賑わせている。
独身なのにお腹の大きいのを指摘されて法相は;
私の私生活は複雑なの、、、、。
お腹の子が安定するまで静かにして、、、。
お国が違えばこれほど違うものかと思うほど、彼女の言葉は心地良いほどだ。
しかも、うるさい記者たちも納得する。
公の仕事と私生活と一緒にしないで、分けて考えられることが素晴らしい。
それが、日本ではどうだろう。
公私の区別なく業者と夫婦でゴルフをやったりしていた役人が捕まったけ!
議員や閣僚という権力をチラつかせて、賄賂を受け取ったのは誰だったけ?

変化した環境に対応できない


早朝の散歩から戻って、我家と隣の家の境目の門柱の間を何気なく除くと見たこともない変なものがいる。
木の枝でそぉーと取り出してみた。
なんのことはない。セミである。

アブラゼミの幼虫が地中からでて地面のコンクリートの上を最短でも4メートル歩き、門柱の間の隙間を登り始めた。
が、隙間の間で脱皮が始まった。
コンクリートと鉄の門柱の間は2センチあまりしかない。
幼虫の殻から脱皮しようにも、これ以上身体を出すことができなかったのだ。
翌日、アリに見つかって殺されてしまったのだろう。
内臓が食べられている。

セミが生まれる場所は親によって選ばれる。が、生まれた子供にとっては、生まれた場所から地中生活をして、さらに再び地上に出てきても、祖先たちが行ってきたように、只、登れば良いというものではない。それを選ぶ能力は見につけていない。

セミの生息する環境の変化は、100年前とは雲泥の差だろう。
セミが100年間でヒトが変えた環境に対応して、行動・生態を変えることなどできない。
ヒトは自分で自分の生息環境を作り変えてる動物である。
が、多くのヒトは激しく変わる環境に対応できなく、病死、事故死、自殺となって現われている。
ヒトは、自分で自分の生存を妨げる動物となっていることに気が付かなければいけない。

2008年9月10日水曜日

若者の目

先日、専門学校の卒業生と横浜で飲んだ。
彼女は、専門学校を出た後、青年協力隊で環境教育指導ということでガテマラに行っていた。
そこで、ワシントン条約では取引が禁止されている野生動物たちが、取引されている現場をみてきた。
中米の野生鳥獣が、日本を含む国々に流れていく。
自分の小さな存在では、取引を止めさせることは並大抵の努力ではダメだと知った。

ガテマラにいる時、日本の大学に野生鳥獣の取引に関するそんなことを調査・研究している大学があるなら大学に進学したいと言っていた。
スペイン語はもう自由に議論をできるくらいになっているようだ。
帰国してから、帯広畜産大学に進学した。

今回、横浜で会ったのは、夏休みを兼ねて東京にあるWWF内のTraffic Japanに研修に来ていたのだ。
彼女はスペイン語ばかりでなく、英語も自由に操れるようになるために英国に留学したいという。

夢を語る彼女の顔は、ぼくが以前知っている顔でなく、眩しいほど輝く目をしている若者の目になっている。
久しぶりの輝く目だ!
輝く目を持っている若者は、それだけで周囲の者たちに明るさと勇気をくれる。
多くの輝く目を持った若者が出てきて欲しい。それは、中年を過ぎた大人の問題なのだろう。

2008年9月8日月曜日

ジョギング(続)

北京オリンピックが終わった。
男女ともマラソンは惨敗に終わった。
金メダル候補と目されていた野口選手はオリンピックそのものにも参加できなかった。
野口選手は、オリンピックの前のインタビューで、走ることが好きであり、走った距離はウソをつかないと練習すればするほどタイムが良くなるようなことを言っていた。

ランニング中毒だった2,30年前までのぼくなら、そうだ!と野口選手の言葉に相槌を打っていただろう。
ぼくは、今年の春頃だったか野口選手の言葉を聞いて、余り走るな!走るならストレッチやイメージトレーニングをしなさいと言ってあげたいと思った。

男子マラソンの金メダリストのケニヤの選手は、50位以下に終わった日本の男子選手のことで、日本選手は練習をし過ぎるような発言をネットで見た。

どうも、日本のマラソンは科学的トレーニングから程遠いところの、コーチや選手の経験で走り込み練習に励んでいるとしか思えない。そういう科学的トレーニングの欠如が今回のオリンピックの結果ではないかと思っている。

野口選手や土佐選手のような可哀想な選手を出さないような指導・トレーニングをしてもらいたいものだ。

ジョギング

このところ4、50分くらいの散歩をしている。
歩くコースは、横浜市と藤沢市の市境を流れる境川に沿って作られたサイクリングロード。
5時頃、行くと、ジョギングをする者、イヌを散歩させる者、自転車に乗る者などがいる。

2、30年くらい前は、1日100キロを目標に朝、昼、夜と走っていた。
前に走っている人を見つけると、追い越すことを楽しみにしていた。
そのため、ジョギングではなくランニングだと言われたりした。
膝が痛く、椅子に座っていても立ち上がる時が一苦労であり、吊り皮にぶら下っていて目的の駅について最初の一歩、二歩を踏み出す時に膝が痛く、フラフラしながら歩いた。
しかし、走りだすと痛みがなくなり無限に走れそうな感じになった。

走ることを辞めたのは、ぼくの本来の仕事に支障をきたすようになったからだ。
山の登りは問題がない。が、下りは膝が痛く荷物を持ってもらっても下ることができなかった。
下る時に膝痛になるので、登りの歩き方を考えるようになった。
なるべく膝に力をいれないでゆっくり登ることを心がけた。
それでも15年以上も膝痛で悩んだ。

2本のストックを持ち始めたときは、まるでシカかカモシカのような四足動物になったような、四輪駆動にギアーチェンジしたような楽な気持ちになった。
下りも楽になった。が、楽になった分歩きすぎた。
膝へのサポーターもダメ、膝痛用のサプリメントも無意味。
膝痛はもう治らないものだと諦めた。
ただ、山の歩き方だけは変わった。
膝が痛くならないように登りも下りもそろりそろりと老人が歩くような歩き方となった。
その結果、膝痛から解放された。一泊二日くらいの登山なら全く平気となった。

そんな力を入れない歩き方は、足の筋肉ばかりか腹の筋肉もタルマセテしまった。
自分で早く歩いているつもりでも、サラリーマンたちに追い抜かれる。
足首の蹴る力や足全体の筋力が弱ってしまっている。

もう限界だと、今、街を歩く時は足首に力をいれて、跳ねを効かすようにして歩いている。
階段もできるだけ2段跳びに登っている。
散歩しながら、時々、ジョギングをしている。
膝はまだ痛くなってこないが、ちょっと不安でもある。

2008年9月7日日曜日

タメ糞、サル糞、食痕

丹沢日帰り学生実習の続き
 複数のイノシシが湿った地面を歩き回り、ミミズをさがし回った痕
アオバトの死骸:何故か頭部の毛が毟られて頭骨が出ていた。誰の仕業なのか?ぼくらが来たために獲物をそのままにして逃げたのだ。死後硬直した状態だった。
カモシカのエゴノキの樹皮食いの食痕:学生が樹皮に挟まった毛を見つける。このエゴノキは毎年のように同じように他の幹が食べられている。
タヌキの溜め糞である。これは前日か早朝のものだ。1メートルも離れていないところに溜め糞が昆虫たちに土中に運び込まれた、直径5、6ミリの穴が地面にたくさん開いていた。同じ穴が糞塊の右上にもある。
サル糞である。もう2、3週間も前のものであろう。黒く固くなっている。
5日(金)の東丹沢・尾根歩き(土山峠・宮ヶ瀬尾根・鍋割・登山道・辺室山・土山峠)は、雨と蒸し暑さを覚悟していたのに、実に涼しく気持ちが良かった。後1ヶ月もするともっともっと涼しくなってきて、サルやシカたちの恋の季節が始まる。

2008年9月6日土曜日

キノコがいっぱい!

昨日の丹沢日帰り実習の続きです。

ウラグロニガイグチ:イグチの仲間がいろいろたくさんあった。
キンチャヤマイグチ:これと上のはお持ち帰りした。
ノウタケ:ホコリタケの仲間、他にホコリタケや、似たものに栗のようなツチグリがあった。
これは、採集してきたが、バス停留でキノコを分けていたら、マシュマロのような白い部分が、黒っぽく溶けかかってきたので、捨ててきた。一つはぼくが持ってきた。
これは、恐ろしい毒キノコのタマゴタケの仲間のテングタケの幼菌
これと、傘も茎も真っ白のドクツルタケがあった。赤い傘に白い斑点のあるベニテングタケはなかった。
カラカサタケもあった。これは、ぼくが天麩羅用にもらう。
不明、食べられそう。だがあやしそうなので、採らなかった。美味しいものだったら、残念。
この一見、ハツタケ風のキノコが多かった。食べれるかなと思って5個採ってきたが、まだ同定できていない。
タマゴタケは採りきれないほどで、イグチの仲間もたくさんでており、また、さまざまなキノコを見つけた。不明なキノコが多すぎるので調べる意欲が失われる。下ばかり見て歩いたせいかキクラゲの仲間は一つも見つけなかった。

クマ、熊の糞

9月5日の丹沢実習のコースは、7月19日に矢部さんと歩いたコースである。
宮ヶ瀬尾根を物見峠の方に歩いていると、昨日か一昨日のものと思われるクマの糞をみつける。
半端な量ではないし、内容物として一様に大きなタネが混じっている。
学生たちが、クマ糞を指さす。
上の場所から3メートルくらい離れた斜面の木の根元に(丁度、今ぼくがカメラを構えている足元)、その3、4倍の量のクマ糞をみつける。もちろん、内容物は上の写真と同じものだ。
土山峠の辺室山登山道口にも、宮ヶ瀬尾根を越えたハタチ沢に沿った林道終点にもクマ出没注意の看板があり、ハタチ沢では三日前にクマ檻をみつけている。矢部さんがブログに載せている。
http://ko1fujisawa.blogspot.com/
このあたりには、糞の量からすると割と大きなクマが生息しているようだ。
尾根上に大量に赤みがかったヤマボウシの果実が散乱している。
学生たちにも食べることを勧める。
皆、甘い、粉っぽいが甘いと言う。
ヤマボウシのタネが、クマ糞に含まれるタネであった。
このクマ、清川村の農耕地や市街地に出没しないで、この東丹沢の山麓で生活してもらいたい。そして、一度くらいは山中で会いたいものだ。