先日23日、散歩して戻ってきてシャワーを浴びてから、ズボンを履く時に勢いよく膝を上げて右足をズボンに突っ込んだ。その時に腰と云うか背というか激痛が走った。で、ゆっくり左足をズボンに入れて少し前屈みになりながら自室に戻った。それでも昨日も痛い痛いと感じながら4キロちょっとを歩いた。しかし、散歩すると周りの景色などに目が行き、あるいは歩く事に夢中になり痛さを感じない事がある。
ぼくは自分の日常的な痛みと補聴器との事で思いを巡らした。初めて補聴器を付けた時は、ありとあらゆる外界の音に悩まされた。外を歩けば、他人の話し声、車の音、靴を引きづる音、電車に乗れば、前や隣の人の新聞や本を広げたり閉じたりする音、家に戻ると水道の流れ出る音、食器のカチャカチャぶつかる音など生活している音が全て耳に入ってくる。補聴器を調整してくれた技師は生活音になれるために風呂や寝る時以外は補聴器を付けるように言われた。その煩かった生活音も4,5日で聞こえなくなった。慣れたのだ。自分が必要とする音だけが耳に入ってくるようになった。我が家は小田急線の線路から50メートルくらいしか離れていない。当初ここに引っ越してきた時は電車が通る音でTVの音さえ聞えなかった。しかし、今では、窓を開けたままでも電車がいつ通ったのかも判らない。つまり、電車が通る音は生活音としてぼくの頭が認識してくれたのだ。
もう、1年前くらいから足、腰、背が痛い。朝、ベットから起き上がる時も一苦労であり、階段を下り、顔を洗う。そんな日常生活の事で痛がっている。今朝からぼくは考えている。足腰背の痛さは日常なのだから慣れなくてはダメだ。足が痛い、腰が痛いとイチイチ反応してないで、痛さに慣れなくてはいけないと思っている。
痛さについては、拙書「ヒトの子どもが寝小便するわけ」の”サルは痛みを感じない?”の項目の中でヒトの痛み、苦痛について言及した。是非読んでみて下さい。
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