タンチョウヅル雪原に広がってなんとなく手持ちぶたさ。
タチョウたち同じ方向に目を向ける。
タンチョウもカラスもカメラパーソンたちも騒がしくなる。
バケツを持っておじさんがでてくる。
餌(何か不明、ドジョウ?トウモロコシ?)を撒きはじめる。
オジロワシたちが十数羽旋回し始める。
何羽ものオジロワシが餌を取ろうと急降下し始める。
この時、餌がトウモロコシではないことを知る。
カメラパーソンたちのお喋りは完全に止み、シャッターを押すと同時に3コマ撮れるように設定している音が響き渡る。
ぼくのカメラで瞬間的映像はとても撮れないので、カメラパーソンたちを写すことになる。
ぼくにとっては非常に異様な光景であった。
まず、タンチョウヅルはもう十分な個体数になっているだろう。
もう、絶滅の危機をまぬがれている筈なので、餌付けを続ける必要性があるのだろうか?
ぼくが高校生くらいの頃、タンチョウヅルの写真を撮る釧路在住の医者の林田恒夫さんがいた。
彼は、年中一人で、タンチョウを追って、写真を撮っていたと記憶している。
皆、裕福になって多くの人が高額なカメラを買い揃えることができるようになった。
その一方、生き物を見つめる姿勢の大事なものが失われてしまった印象をもっている。
素晴らしい写真とは高額な機材から生まれるとはかぎらない。
4 件のコメント:
ホント、異様な光景ですね〜。
地元にこれほどの数の高価な望遠レンズを持つバードウォッチャーばかりいないでしょうから、日本全国から集まってきているのでは?
タンチョウヅルは花札の1月。たぶんそれにあやかってバードウォッチャーの初詣的なものになっているのかも。
そうとしか考えられないですね。
しかし、これは野鳥クラブなど、人間関係だけの「ワク」のなせるわざ。
とても自然相手の行為に見えません。でも、地元ではここを観光名所にしているのでしょうね。それにしては一般客がみえない。
隊長、尾の白いのがオオワシで、あまり白くないのがオジロワシです。
昔はこれほど人前に出てこなかったのでしょうね。
take隊員へ
え?本当? また、間違っている?
で、ネットで調べた。丁寧にオジロワシとオオワシの見分け方まで解説しているのがあった。
じゃー、ぼくが見たのは大半がオオワシだったんだ。で、なんだかあまり尾が白くないのがいたが、それは幼鳥だと思っていた。
正月からのぼくにとっての新知見です。takeさんありがとう。
春や夏に湿地で小鳥捕りや魚釣りに夢中になっていたのに、上京するまでは野生の丹頂鶴を見たのは中学の時、春早朝3羽が我が家の屋根の上を飛んでるのをみた一回だけ、もちろん、オオワシもオジロワシもキタキツネもエゾジカも見たことはありませんでした。
当時のぼくは野生鳥獣を見つければ捕まえようとしたし、それが無理なら石をぶつけようとしたものです。そういう意味では野生生物とぼくとの関係は非常に野蛮な関係だった訳ですね。大人たちと野生生物との関係もしかりだと思います。
でも、ぼくは今の子どもたちに自由に摘むことができる草花、好きなだけ採ることができるトンボやチョウなどの虫、あるいは小鳥の卵取りなどの外遊びを味合わせてあげれるような、危険なところがいっぱいのそういう自然が欲しい。
うわ、みんなとてもお高いレンズで撮ってますね。
特に鳥を撮る人たちの一部は、カメラマニアの間でも、マナーが問題視されていて色々な醜聞があります。カワセミの名所ではカワセミがとまる杭に常連の縄張りがあったり、ひどいときは自分専用の杭を立ててしまったり、場所取りのけんかをしたり、いい写真を撮るために餌をまいてしまったり、自然を愛する人たちの行為とはとても思えません。
野生の生き物を撮るのはとても難しいですが、時には写真に収められなくても、人の手の届かないところで生き生きとする彼らを肉眼で追うのも楽しいですね。(後で自分の鈍さに地団駄踏むのですが・・・)
take隊員へ:
花札をしなく、あるいは見なくなって随分経ちます。
以前、暮れの帰省列車の東北本線から見る東北の山の景色は花札の「坊主」そっくりだったことを思い出しました。
鶴は千年、亀は万年の鶴は確かに丹頂鶴ですね。丹頂鶴は縁起が良いので、バードウォチャーの初詣でですか、なるほど。
雲山さんへ:
カメラマンばかりでなく、研究者もフィールドを私物化する人たちがいて、そういう有名研究者たちをみてフィールド研究から撤退する人もいます。
動物で見られる先住権のようなものが妙にハバを効かせます。
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