「特定秘密保護法反対」
「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!
自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。
原発不要・核廃絶
2012年8月20日月曜日
2012年8月19日日曜日
入道雲
名古屋を過ぎた。
入道雲が空高く登っている。
明日は「天然記念物臥牛山のサル生息地」保護管理委員会がある。
協議事項を読んでいが、眠い。
今夕は、岡山でアフリカで知り合いになった元協力隊の女史との飲み会だ。
明日中には帰る予定だ。
入道雲が空高く登っている。
明日は「天然記念物臥牛山のサル生息地」保護管理委員会がある。
協議事項を読んでいが、眠い。
今夕は、岡山でアフリカで知り合いになった元協力隊の女史との飲み会だ。
明日中には帰る予定だ。
玉皇廟村で In Yuihuanmiyao village.
前夜の乾杯攻撃によって酔っぱらって寝たため、
部屋のドアをきつく閉めてしまったのか、ドアを開けることができない。
早起きしてトイレに行きたかったが諦め、皆が起き出すのをまっていた。
内装も外装も綺麗だが、ドアが開けられなくなって部屋に閉じ込められたのはアフリカのホテル以来だ。だから、一人で、ぶつぶつとここはアフリカではないんだよ!と唸っていた。
ドアは結局蹴破られた。ここのドアは前から問題があったようだ。
ドアの鍵を作った人たちがいてもそれを実際にドアに組み込んで作動させる技術者となる大工がまだ、近代的なドアの鍵技術に精通していないからこのような問題が出てくるのだ。
ともかく、朝飯を食べ、ぼくとE氏で往復2時間のかってのエサ場へ行く。
農家の前を通り、純粋で可愛い子供たちにニーハオと声を掛けて農道を進む。
親子のウシがいる。道を譲ってくれる。
今年、生まれたばかりの子どもであろう。母親にシンクロナイズして動く。
丸木橋を渡り、農家の前を通る。ニワトリが3,40羽遊んでいる。
キンシコウの保護区の役所がこの餌場を観光用にしようと考え、
双廟子からの道も4輪車が通れるように拡幅し、トイレも設置し、滑ったり、
ぬかるんだりしていた道は整備されて階段がつくられた。
しかし、観光客はほとんど来なかったようだ。
それで、もとの状態のようになっている。
このキンポウゲ科の蔓性のトリカブトのような花は、ハナカズラの近縁種か?
そして、この蔓性の花がすぐわかるかと思ったが、
花の正面から
きれいではないが、なんだこれっと目についたのが、この巨大なガンクビソウのような花。
オトギリソウ科の?
もう一つオトギリソウ科のトモエソウ
2時半に戻ると女子学生の李さんが饂飩を作ってくれる。
美味い。食べ終えて、今度は一人で、さらに奥に川に沿った道を歩く。
先ほどの帰路に出合った子ども二人が手にしたペットボトルに魚(ヤチウグイ?)を4,5匹取ってきた。それの写真を撮らしてもらう。
リスが追いかけっこをしている。どこに2匹いるか判るかな?クリック拡大!
カモシカの仲間の頭骨だ。ここではヤギを飼ってない。
またもや今度はほぼ全身骨格ある。おそらく冬季に滑落死したのだろう。
カモシカ頭骨
はじめて見るカエデの仲間
ウルシを取るために、幹にV字状に傷をつけている。
かって、この辺りは漆の産地だったようで、日本にも卸していたらしい。
右の木が上のカエデの仲間の木だ。
さらに川沿いの道を遡上するが、道がはっきりしない。が、進む。
そうこうして、うろうろしていると一人の農民が軽やかな足取りで下ってくる。
「あ、向こうに道があるんだ!」と思ったら、その人は「シャン?シャン?」と話しかけてくる。
シャンは山だ。だから、ぼくはうなずくと、彼はニコニコしてすたすた下っていく。
どうも道がはっきりしないし、地図も持ってないので、戻ることにする。
この川で水浴。
6時半に施設に戻る。中国は日本との時差は1時間遅く。
日本が7時に時、中国では6時だ。
夕食は楊家に招待されているので、買ってきた白酒と日本からのお菓子を持っていく。
そのお菓子に日本語で、
「楊さんへ、これは日本のお菓子です。皆さんで食べてください」
と書いた紙をつける。シャオフンに渡す。
シャオフンはすらすらと読んだので、驚いた。
なんと、男の子のシャオガンも戻ってきていた。
皆で記念撮影したのはもちろんのことである。
2012年8月18日土曜日
調査基地の玉皇廟村 Yuhuangmiao village of the research station of Golden Monkey.
10年前までは、西北大学のホテルを朝、出て、玉皇廟村に着くのは夕方であった。
もちろん、当時は高速道路は無かったし、周至から双廟子というキンシコウの保護区
の支所に立ち寄り、そこで四輪車からオートバイに後ろにリアカーをつけた乗り物に
荷物を含む一切を移し替え、運転手以外の人はその荷物の上に乗って
断崖に作られた細い道を行った。
土砂崩れを取り除き、壊れた橋をなおしながら進んだのだ。
それが、今回はどうだ一度の乗り換えも無しに、荷物の上に乗ることもなく。
なんと、昼過ぎの一時には玉皇廟に着いたのだ。
しかも、車は小さな車ではなくゆとりある大きな車であった。大学の車であり、
10年前とは隔世の感さえする。
(今回乗った車:周至で朝食をとった店の前で)
待機していた学生たちがぼくの重いトランクを含む、荷物の全てを運び入れる。
若い学生たちのきびきびした動きが羨ましい。
村は、周至の方から送電されていた。
これまでのような村の川に設置された水力発電ではないのだ。
しかし、村人の大半は西安などの大都市に出稼ぎに出ている。
研究施設の隣は、ぼくらがお世話になった楊さん宅であり、そこにママや娘の小風(シャオフン)
が帰ってきていると聞き、楊さんのところに挨拶に行く。
(下の写真はHPの自然・生物→キンシコウの秦嶺山脈→楊さん宅1の写真から)

シャオフンはこの時確か小学校1年生だ。
かって、ぼくらが宿泊に利用させてもらっていた楊さんのところに行くと、シャオフンの御爺さんがいて、シャオフンを呼ぶ。何という感激だろう。彼女も今日ぼくが来ると聞いて驚いたようだ。
互いに、手をとり目を見つめ合う。
なんだか恋人に再開したようで涙がでそうになった。
彼女は現在、西安の大学で英語を学び、第二外国語として日本語を学んでいるという。
今までは、ニーハオくらいの片言の中国語しか話しをしたことが無く、目を見て互いの思いを伝え合ってきたのだが、彼女は英語をぼくの数倍流暢に話し、日本語まで話す。
シャオフンは飛び級で村の小学校を出ていって寄宿舎生活をするようになったので、後からは
ときどき帰ってきた時にあったくらいだ。
この写真は彼女が目をつぶってしまっているので、別に皆で撮った。
なお、シャオフンは小風ではなく暁鳳と書くようだ。
小風も良い名だと思ったが、暁鳳という名は、今の中国の勢いを表していて
素敵な名である。
父親の楊さんは北京に出稼ぎに行ってるので、今夏は戻らないようだ。
翌日の夜、楊家に招待される。
写真は暁鳳にメールに添付して送ることを約束する。
楊家への挨拶を終えて、E氏と二人でカメラを持って村内を歩く。
道沿いはまるでお花畑である。
ツリフネソウの仲間が3種類あった。
一番、元気よく咲きほこっていたのは、シュウメイギク
と橙色が目立つエゾセンノウ(やまぼうしさんに聞きました)。
トウシャジン?
ウスユキソウ?
ヤマハハコ?
アスチルベの仲間
アカバナ科の仲間
まだ、たくさん花を撮ってきました。
この日の夜は、ぼくとE氏とスタッフの斉君と運転手の歓迎会で、45度近くもある白酒の
乾杯攻めにあった。
2012年8月17日金曜日
西安からキンシコウの調査地へ From Xi'an to the golden monkey research area.
西安市の城壁外の南西に位置する西北大学のホテル前から
キンシコウ調査チームのもつワゴン車に乗って西南西にある秦嶺山脈の麓にある
玉皇廟村に向かった。
8時をちょっと過ぎた時間なので、スゴイ車と人だ。
中国では他のアジアの途上国とは違って、自転車から一気に車時代に入った。
来ている服装も10年前とはすごく変わっている。
歩いていても日本人か中国人の区別がつきづらいほどだ。
歩道橋があり、横断歩道があり、交通ルールも皆ある程度守っている。
しかし、横断歩道ではないところを渡る人たちがいる。
10年前の西安の町からどうやってこのようなビル群を予想できただろうか?
車、人、車、人、、、、、
丹沢のシカやサルの個体数増加が森林を破壊するように
人の増加は、シカやサルに比較できない程の大きさで自然を壊すということが素直に理解できる。
この車の中は、運転手と研究スタッフのC君のタバコの煙で喉が痛くなりそう。
周至という街で、朝飯と食糧の買い出しのために立ち寄る。
この食事は、野菜と羊肉と堅いパンを千切ったものが入った脂っぽいイスラム料理である。
それにニンニクの酢漬けがつく。これが好きだ!
右のコップにビールだ。そう、朝からビール!
買い出しは、ぼくが5、6年前から買っていたお店だった。
店の前の道路。この道路をまっすぐ向こうへ行くと秦嶺山脈がある。
黄砂で曇っている。
ここから3時間も走ると玉皇廟村である。
キュウリでないの?
もちろん長ネギもたくさん買った。
調査地には学生たちが5人も食糧を待っている。
これは、日本では東北の方で食べるユウスゲの蕾である。
ここでは、これをスープや油炒めにする。
コイも買った。泥臭さはない。
香菜である。
はじめて台湾に行った時はこれを取り除いて食べた。
硬い豆腐である。測り売りだ。
肉屋だ。
ぼくは、個人的にブドウを買う。
車に乗りながらタネを吐き出す。
2012年8月16日木曜日
中国サル紀行 Monkey travel in China.
8月5日に成田を発ち、上海で乗り換えて西安へ
西安でキンシコウの調査地へいく。
停年・退官したEn氏とWa氏との3人での旅行であった。
Wa氏は西安に着いた翌日に父親が逝った知らせがはいり、とんぼ返りするが、
10日には戻ってくる。
キンシコウの調査地はEn氏とぼくで行ってきた。
案内は西北大学の助手の斉君がついてきてくれた。
その後は西安から広州へ、広州でアカゲやロリスなどを見ようとしたが、結局見たのは繁殖コロニーのラングールの仲間のフランコイシと回復してきた森を歩いた。
下の写真はキンシコウのオトナオス
コドモ3歳?がこちらを気にしている。
中国の森は回復し、葉や枝が邪魔で写真を撮るのが面倒だった。
この群れはぼくらが2000年に追っていた群れであり、
今は西北大学の学生たちが個体識別をして追っていた。
森の回復もさることながら、中国の発展振りや物価の高騰には驚いた。
これから連れ合いの仲間が来て我が家で飲み会。
飲むと疲れがとれるので、付き合うことにする。
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