「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2011年11月13日日曜日

鳥糞からでた種子

先週の雨の高畑山の続き:
鳥糞が橋の欄干にたくさんあった。どれも同じ種子が混じっている。
この大きな種子、ミズキ?イヤちょっと違う。
持ち帰り、水洗いすることにした。
辺りの目につく木の実を探すと、カラスザンショウ、アカメガシワ、ヌルデがたくさん小さな果実をつけた房をぶら下げている。さらに果皮が黒いが果柄が赤っぽいクマノミズキの果実が目についた。
写真中央の黒っぽい種子はカラスザンショウだとわかった。
他、ミズキの種子のような大きなものと小さな褐色の種子が見える。
採集してきた、果実はクマノミズキとヌルデである。
上の糞の塊から出てきたのは、下の二つであった。
カラスザンショウは出てこなかった。

この2種類の種子、上はクマノミズキの種子で、ミズキよりも一回り小さく、
縦方向の筋はあるが、盛り上がらない。
褐色の小さな種子はヌルデであった。

哺乳類の糞の中にまだヌルデの種子を見つけていない。
ぼくは、この房状の果実を見つけると、そのまま口の中に容れる。
酸っぱく、ショッパイのが良い。
今週は一泊二日の丹沢なのでヌルデの種子が入ったテン糞を見つけたいものだ。

2011年11月12日土曜日

登山道の道標が混乱を生む

続:雨の中の丹沢                 

雨天の中、学生たちに尾根を歩いて、登山道に出てもらい、そこから高畑山で合流した。
1尾根は御殿森の頭から全員で降りてきた。
2、3、4、5、6尾根は登り口を指示した。7はぼくが登る予定だった。
学生たちに登る前に、
高い処、高い処を目指す。1時間半も歩けば登山道に出る尾根と指示。
下ることは危険なので禁止した。
5、6、7尾根や青宇治橋からの登山道を登ってくると、
宮ヶ瀬・丹沢山の登山道に合流する三叉路道標がある。
GPSのウエイポイントの赤丸と黒棒がのマークがあるところだ。
道標には宮ヶ瀬、丹沢山、青宇治橋と記されている。
そこは6、7尾根や青宇治橋からくると、登山道が下っているので、”え”、”高畑山を過ぎてしまった”と勘違いする道標でもある。
以前、二人がここで頭が混乱したと述べている。
今回もここで青宇治橋の道を逆に歩いてきた学生がいた。
偶然、青宇治橋の登山道を登ってきたぼくと会ったので、事無きを得た。
ぼくも何度か一瞬”??”と勘違いしそうになったことがある。
道標は、高畑山・宮ヶ瀬と記せば全く混乱する登山者がいなくなるだろう。
下ると宮ヶ瀬だ、登ると丹沢山だ、だから青宇治橋への道を辿ることになる。
高畑山へは登りなのに登山道はいったん下るので混乱するのだ。
もちろん、地図と磁石を使えば、混乱が解消するのだが、一度混乱した頭は磁石が間違っているとさえ思ってしまう。ぼくは、二つ磁石をもって歩いたことが過去に何度もあった。特に、雨天や夜間のことを思うと、道標を高畑山・宮ヶ瀬方面とすべきだ。

2011年11月11日金曜日

雨の中の丹沢:高畑山

雨天決行の案内を水曜日に出していた。
来週は一泊二日で一年生と一緒の丹沢実習。
大勢で歩いても動物には会えないので、今日は、それぞれがリーダーになってもらい、6つか7つの班に分かれて歩く訓練だった。
そのために、コースを覚えてもらうために、6班に分かれた。
山を歩いている時は汗だくである。
雨に濡れるように汗でも濡れた。

下は、2コースから歩いて落ちあい。記念撮影。

高畑山にはすでに皆到着しており、寒さでふるえていた。
お昼が1時を回っていたし、雨と汗に濡れたのが冷えたので、皆ふるえている。
しかし、笑いが絶えない。他愛無い言動で皆笑う。

高畑山展望台の下に潜って、雨を避けてお昼を食べる。 

下りは、御殿森の頭から舗装道路への尾根道を辿ったが、
ショートカットの意味がないと思われる程、倒木やガスっていたために難儀した。
三叉路を15時51分発のバスに乗れてバンザイを叫びたかった。
雨が降っているのに、傘や雨具さえ持ってこない者がいた。
山を甘く見すぎている者がいることは残念なことだ。

これからは、指示に従わない者は待ち合わせ場所で帰ってもらうしかない。
それが、本人ばかりか全体の安全のためでもある。
帰宅して、風呂に入り、ウィスキーを飲み、ビールの飲むが身体が冷えたままだ。

2011年11月9日水曜日

アカンボウに触った!

知人夫婦に突然孫ができた。
娘さんがシングルマザーとなったのだ。
娘さんが倒れて病院に運ばれて、そのまま入院・出産した。
それまでは本人以外は妊娠していることに気が付いていなかった。
喜びというよりも驚きの知らせを受けた。
退院したので、お祝いに出かけた。
アカンボウの居る家は、ただそれだけで昼間のような明るさと賑やかさがある。
アカンボウを身近に見て触ったのは、半世紀以上ものあいだ無かったことだ。
知人夫婦はこれで自分の次の次の子孫が確実にできと喜んでいる。
曾祖母も三重県から、お手伝いとお祝いを兼ねてきている。
不安げな様子でぼくを含む世の中を見る。
ぼくが酒を飲みながらカメラを構えるものだからとうとう泣き出す。 
歯が生えていない歯茎がなんとも奇妙だ。
こんなに小さな足! ニホンザルのアカンボウの足と変わらない?
こんなに小さな手! 
とうとう寝てしまった。 
この子の未来はどのようなものか?

シングルマザーとなった娘さんは、顔つきがお母さん顔になった。
知人夫婦は、このアカンボウを娘さんと一緒にみていきたいと話す。
そう話す、この夫婦が輝いて見える。

ぼくが3年間暮らした、タンガニーカ湖々畔のアフリカの人々は、14、5歳の少女がシングルマザーになると、アカンボウは家族みんなで育て上げる。

おそらく太古の昔から、家族の娘が子供を産んだらお祝いしたのだろう。
アカンボウを産んだ女性をみなで祝福し、
アカンボウをみなで世話をする世の中にしたいものだ。

2011年11月8日火曜日

秋の野菜をもらう!

帰宅すると間もなく、ピンポーンとなる。
慌てて受話器を取る。同じ町内の知人で、一緒にトルコ旅行に行った人の奥さんだ。
夫婦で隣駅の付近で自家消費用の野菜作りなどに凝っている。
食用菊、カブ、小松菜などを持ってきてくれる。
連れ合いが留守なので、カブは洗って、葉とカブの本体そのものを漬け物にし、
食用菊は、大好きな酢の物にする事に決める。小松菜は明日の朝炒めて食べよう。

綺麗な黄色の食用菊、花を毟り取ってしまうのは可哀想。
このまま水に浮かべても綺麗。
でも、それでは新鮮でなくなる。
花弁を花芯から毟り取る。気持ち良いほど、スイ、スーと取れる。 
沸騰したお湯に、塩少々とお酢を少々入れ、上の花弁を鍋に空け、
急いで、かき混ぜ、すぐ、そのままザルに空け、冷水に浸す。
お酢に砂糖を好みに入れかき混ぜ、水を切った花弁を容れる。
ミョウガがあったので上に乗せた。 
これらの工程をウィスキーを飲みながらやる。
上の写真の菊の花の酢の物は、食べ終わった。
しかし、まだ、まだあと4倍くらいある。

酢の物って旨い!酒に合う。

2011年11月7日月曜日

お酒大好きは遺伝だ!

父親は小学校の教員をしていた。
年に何回か、師範学校時代の友人の服部先生が我が家に遊びに来た。
この先生はお袋が女学校を出て最初に努めた小学校の同僚でもあった。
はじめは釧路市内の学校であったが、ぼくが知っている服部先生は当時は郡部と言われた
釧路郊外の大楽毛、桜田の学校の校長先生であった。
親父と服部先生は酒を飲みながら碁を打つのであった。
酒の強い親父が碁では勝っていたようだ。
服部先生は、酔い潰れてそのまま寝てしまうことも何度かあった。
そんな服部先生の家には、小さい時から子供たちで、あるいは家族で遊びに行った。
春の雪が溶けはじめた頃に雪の中から真黄色の花を咲かせるフクジュソウを見に!
あるいは、山菜のアイヌネギやコゴミを積みに! 
サクラの花を見に!

日帰りすることができたので、泊まった記憶はないが、お昼を食べたことがあった。
その中で、今でも鮮明な記憶として残るのは、おばあさんがいつも袋貼りをしていたことだ。
当時、八百屋や雑貨屋で買い物をすると必ず、紙袋に買った物を入れて渡してくれた。
その紙袋は新聞紙であった。
その頃の我が家は、お袋は学校を辞めて幼稚園の雇われ園長であり、
親父は小学校の教員を続けていた。
二人働いているにも関わらず、食事は質素なものでありいつもヒモジイ思いをしていた。
腹一杯食べられるのはカボチャやジャガイモであった。
ご飯は嫌いであった。外米であり、時々小石が混じるので、それが嫌であった。
今でもカボチャやジャガイモは大好きである。覚えていることがある。
我が家は両親と兄妹とカリエスのため我が家に同居していたミッチャン(お袋の妹)がいた。
リンゴ一個を食べるのに、6人で分けてたべた。
ぼくはリンゴの皮と芯をもらった。その方が量が多いからだ。
そういう貧しい時代を、学校から帰ってきて、
すぐウィスキーのオンザロックにして飲み始めたら、思いだした。
親父は酒好きだったが、ぼくのように毎晩飲んではいなかった。
今の時代は、ぼくのような人間でも毎晩飲める時代だ。
今の時代に生きている幸せを感じている。

2011年11月5日土曜日

横浜中華街

今夜は久しぶりに中華街で丹沢サル観察し隊の夕食会だ。
1980円の食い放題だ。
食べた、食べた、食べた。
杏仁豆腐を含めデザートもしっかり食べた。
関羽を祀った廟がある。
中華では、食い放題があるが、和食であるだろうか?
七名の楽しい食事会だった。
明日から又学校だ。

2011年11月4日金曜日

糞は臭うが、、、、

11月2日にアップした、「秋の糞、糞、糞!」の内容物
今日、授業の一環として、持ち帰った糞はどんな内容物なのか水洗いして学生たちが調べました。
臭いと大げさな思えるほど顔をそむける学生もおりましたが、ウンチの匂いは慣れるからと無理やり、押し付けて調べさせました。

水洗いが終わって、内容物を分類する。
同じ果皮(ウラジロノキとヤマボウシ)や、種子を並べる。

 

これらの結果、下の内容物の結果が判明しました。
ハクビシンの糞:①が内容物です。

②が内容物です。

これは、サルナシ種子71個・果皮1、ミズキ種子45個・果皮小片多数、マメガキ種子2個・果皮小片、ウラジロノキ種子1、さらにバッタの足1個ありました。

これはウラジロノキ種子8個、果皮15個

これは、サルナシ種子25個、アケビ種子77個でした。

これは、サルナシの種子が29個とサルナシの果皮1個でした。

今回は、珍しく、同定できない種子や果皮はなかった。
先週の仏果山山頂付近の尾根沿いに行動域を持っているハクビシン、テンは、食物をウラジロノキやサルナシの果実に依存しており、アケビを見つけたテンはアケビを食べて腹を膨らませていたようだ。一方、アナグマは落下物食いなので、サルナシ、ミズキ、まえがき、ウラノジロノキの果実と幅広い。

丹沢の食肉目の動物たちの食物の大半はその時期に実っている果実ということになる。
少し、春から秋のカエルやトカゲは素早くてとても捕まえることができないのかもしれない。
美味しい?カエルやトカゲを丹沢の食肉目の動物たちが食べられるようになるのは、動きが鈍くなる越冬中なのかもしれない。しかし、それでも探し当てるのは難しいだろう。枯葉の下や腐葉土にいる土壌動物たちと、キブシの実食いになるのだろうか?

2011年11月3日木曜日

引地川沿いにイタチ糞を探す!

我が家がある湘南台は北から南に流れる引地川と境川に挟まれた丘陵地である。
20分も東や西に向かって歩くと川にたどり着く。
どちらの川沿いにも、道が走っており遊歩道になっていたりする。
道沿いには遊水地が作られていたり、水田があったり、自然林が残されている場所がある。
「おそらく、イヤ、きっと、否、絶対、イタチかテンはいる!」
と思っている。
昨日は、イタチ糞を探しに引地川沿いを歩く。
昨年からようやく覚えることができたダイサギが魚を狙っている。
この川には大きなコイがいるし、小魚もいるし、アユも登ってきている。
うん?タヌキ! 子猫だ! 
どうして、この子ネコはこのような目でぼくを見つめるのか?
近づくと逃げるが、、、、、。 
やはり、ぼくに不審な目を向ける。
まだ、小さいのにどのような人と接してきたのか?
それとも、ネコとはこういう目付きをする動物なのか?
犬好きのぼくから見ると、この子猫は気の毒な生き方をしてきたと思えてならない。 
うん?シュレーゲルかな?と思ったら、ただのアオガエルだった。
鼻から鼓膜にかけて褐色の横線がある。
あの子猫はこのようなカエルも食べているのかな? 
それとも、イタチやテンが食べているかな?
カラスウリがたくさんぶら下がっている。 
コサギが気取った足取りで小魚を追う。 
今回もイタチ糞やテン糞は見つけられなかった。
きっと、そのうち、、、、と思っている。

2011年11月2日水曜日

秋の糞、糞、糞!

先週28日(金)高取山・仏果山・土山峠の続き
尾根歩きで見つけた食肉目の動物たちの秋の糞です。
これはハクビシンでヤマボウシとウラジロノキ、他を食べたようです。
これもハクビシンの糞で、ウラジロノキとマメガキ、他を食べたようですね。 
これはアナグマの糞で、ミズキの実、他を食べたようです。
ハクビシンがウラジロノキの果実を食べたようです。 
これは、テン糞ですが、何の果実を食べたものでしょう?
(ごめん!イタチ糞と書いてました)
これもテン糞でサルナシを食べたものです。
(これもイタチ糞と書いてました!このところ、頭の中では〇〇と書いたつもりでも実際には△△と書いてしまうことがあり、頭が急速に劣化しています。お気づきのことがあればご指摘下さい。) 
ウラジロノキの実が林床にもたくさん落ちているので、
サルのように目が良いわけではない、ハクビシンやイタチ科のイタチ、テン、アナグマにとっては地面に鼻先をこするようにして匂いを嗅ぎながら落ちている果実を探しているのだろう。
木にに登るよりもその方が見つけやすい?

この頃、ちょっと気になるところが、クマを含む日本に生息する食肉目の動物たちの視覚と嗅覚である。
クマが、アオハダの赤い実を大量に食べるには木に登って食べているはずだが、アオハダの赤い実を嗅覚で感知して木に登り食べているのだろうか?それともアオハダの木そのものが果実が赤くなると特別の匂いを発しているのだろうか?
同じように、ハクビシンやテン、イタチはどうやって、ウラジロノキの実やサルナシの実を察知しているのだろうか?
アナグマは、地面に鼻をすりつけながら歩いているので、嗅覚だけで食物を感知していると考えている。果実を食べる他の食肉目の動物は果実を探索するレーダーはどんなものなのだろう?
とっくにもう判っていることかもしれないが、ぼくには知識がない。