「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年10月6日火曜日

アカマツのエビフライを作ったのは誰?

2月に湯河原野生動物探検隊の集まりで拾った数々のエビフライ
手を広げて見せてくれるのはk-ta隊員

このエビフライの作成者はリスか?ネズミか?take隊員が判断できないものもあった。

エビフライのことが気になっていて、Collins Guide to Animal Tracks and Signs を読んでみた。
リスとネズミによって作られるエビフライの違いについて次のように書かれてあった。

見つかる場所:リスのエビフライは開けた場所。 ネズミのエビフライは隠れることができるような場所
エビフライの頭側(マツカサが木についていた方):リスのは根元がボサボサした毛房状になる。ネズミのはきれいに噛み取られて丸くなる。
エビフライの胴体の表面部分:リスは軸から離れるほどボサボサ状態。ネズミのエビフライはなめらかとなる。
噛み取った鱗片の状態:リスは鱗片がしっかり残る。ネズミに関しては記載ナシ。

ということで、湯河原で拾ってきたエビフライを確かめた。1個だけネズミのものと思われるエビフライがあった。

左がネズミかな?右がリスであろう。    

2009年10月1日木曜日

地震

アメリカ領サモアで大きな地震があり、日本沿岸への津波が心配されたが小さなものだった。
昨日はスマトラでも大きな地震があった。
9月にはジャワでも大きな地震があった。

子供の頃に十勝沖地震があり、津波がくるというので釧路市内の多くの人たちが高台に荷物を持って登ってくるのを歯をガタガタさせて、ただ立ち尽くして見ていたことがあった。

安定している筈の大地が揺れるというのはなんとも恐ろしいものである。

東海沖地震がいつきてもおかしくないと云われ始めてもう30年は経っている。
東京は週3日、電車に乗って出かけている。東京で地震に遭った時のために、瓦礫の上でも歩けるように登山靴をいつも履いている。コンパスも常に持っている。明日からはザックに水も持ち歩こう。

パダンには霊長類研究所に留学していたアムジルさんがいた。地震は大丈夫だったろうか?

2009年9月30日水曜日

貧富の差(続々)

タンザニアのマハレ山塊国立公園のビレンゲ基地:
基地で働くレインジャーや管理官の子供たち
山から降りて来たら、右の川で食器洗いや洗濯をしていた。

トングエ族の子供を含む複数の部族の子供たち、
左の木の葉に隠れて座っている子は主任管理官の子供である。
ここでは、食べる物着る物に差がない。

2009年9月29日火曜日

貧富の差(続)

タンガニーカ中央にタンザニア側から突き出したマハレ山塊を北から南に縦断する。
トングエ族の人たちが井戸から水を汲み上げていた。

タンザニアには有名なマサイ族を含む86以上の部族がこの国で生活している。経済を握るのはインド人、アラビア人、ヨーロッパ人である。
国民の大半が貧しい。が、こここの人たちは明るく、よそ者をもてなすのが好きである。

ぼくは、3年間この国で暮らした。86以上の部族があるのに、ぼくが付き合ったのはトングエの人たちである。
トングエの人たちの中には金持ちはいない。というよりも金持ち=富める者ができないようになっている。食事時に歩くとと「カリブー」(いらしゃい!)と声が掛かる。

お金がなくても収穫がなくてもカリブーと声を掛けられるので生きていける。また、持たない者が持つ者に対して、物を要求すると、その物を与えなくてはならない。ぼくが使用人たちに渡す給与はその日の内に無くなる。両親兄弟親類がお金を借りにくるからだ。もちろん、借りるだけで返しはしない。

それは、村でも同じだ。富める村はできない

2009年9月28日月曜日

貧富の差

中国では海岸部と内陸部、都市部と農村部、漢族と他の民族、一部の金持ちと大多数の肉体労働者との間の貧困格差が拡大しているようだ。
それは、ぼくが2000年2月に西安に行った頃から見られていた。
下は、キンシコウの調査で基地にした百皇廟村の風景、西安の方を眺める。

耳に入ったところによると、この村の多くの人たちは西安の街へ家族もろとも出ていったようだ。
中国は共産党の一党独裁国家である。
富を分配し、平等を目指すのが共産党であった筈だ。
それが、幹部の汚職・腐敗がひどい状態まで進んでいるという。

最初に兵馬俑に行った時のことを思い出した。受付嬢がお客である僕が目の前で切符を差し出しているのに、編み物をする手を休めようとしなかった。
あるいは、キンシコウの保護区に入るのに、僕らにとっては不思議なお金を払わなければいけなかった。払うと幹部たちとその土地のレストランで宴会である。
そうそう、こんなことがあった。屋台で一個のキュウーイフルーツを買おうとしたら、保護区の役人が屋台の女性に何か一言二言云うと、女性は仕方なさそうにぼくに一袋あまりのキューイフルーツを手渡してくれた。お金を払おうとしたら、役人が手を振って遮った。すごく後ろめたい気持ちでその場を後にした。

富める国は貧しい国の安い労働力の上に成り立っている。富める人は貧しい人たちの上になりたっている。派遣会社は、以前の手配師たちと同じではないか!手配師(派遣会社)を必要とするような会社をなくしていかなくては、、。少なくても貧富の格差の拡大は人々が荒ぶ。
誰もが富める社会を望むよりも、誰もが貧しい社会を望みたい。

2009年9月26日土曜日

秋の収穫

庭の軒下から出てくる長芋(ナガイモ)のツルに今年は大粒のムカゴがたくさんついた。塩とバターでフライパンで炒めてビールの摘みとし、何度かに分けてムカゴご飯をたべた。
イチゴパックに容れるとあふれるくらい採れた。

昨夜は、トルコ旅行の反省会を我が家でやって、ムカゴご飯を出した。もちろん好評であった。
山菜やキノコ、あるいはサルナシをたくさん採ると豊かな気持ちになる。
つまり、蓄えるほどたくさんの食物は気持ちを落ち着かせる。

しかし、このような余剰の食物の蓄積から富める者とそうでない者との差が生まれたのだ。たくさんの収穫物を共同で蓄えて、分配できるようにしたいものだが、、、。

2009年9月24日木曜日

こころの風景

人は各人がそれぞれ自分の心の風景をもつのだろう。
本を一つ取り上げても、読んだ時期がほとんど同じなのに受け取り方がずいぶん違う。
子供の頃、食べた物においても人それぞれの受け取り方が違っている。
ぼくはご飯が嫌いで、ジャガイモ、カボチャ、サツマイモ、トウモロコシの食事が好きであった。しかし、これが嫌だった言う人がいて驚いたことがある。
子供の頃、遊びまわった屋外の風景も同じように各人に違って受け止められているのだ。
下は前の家に植わっているナツメのの樹とその実

生まれてから高卒まで暮らした北海道釧路出身者にとって、ナツメという言葉は何故か憧れの懐かしさ、小学校唱歌の内地の風景を思い起こす。
小中学校で習ったすべての教科書に出てくる挿絵の風景は、遠い海を隔てた異国の風景であり、国語や音楽や理科、社会に出てくる桜や柿や水田、稲穂、気候や、鎮守の祭りのお話は北海道では味わえないものであった。

ぼくは教科書の中の街や田園の風景に憧れた、梅雨や台風にさえ憧れた。
生まれ故郷の心象風景は、灰色の空に覆われた寒々とした荒涼とした原野(釧路湿原)に埋もれる家屋である。

かっての日本人が欧米が憧れ、日本を卑下し欧米のすべてを美しく思い描く。
このようなことが宗主国である日本が日本語を含めてアジア各国に押し付けた時代があったのだ。今も帝国主義的に商品や文化という名である特定の価値観を押し付けている。

生まれ故郷が暗い寒々としたイメージを持つような子供を作り上げる教科書を含む文化は間違っているだろう。
そういう意味で、政府が変わったことによって美しい故郷が、水没から免れると考えられないものだろうか?
地方に目を向かせなく、東京へ、都会へという流れを作ってきたこれまでの政府の教えを払拭させる良い機会でもある。

2009年9月22日火曜日

丹沢実習で(4):このハチは?

丹沢実習で、見つけた昆虫。
ハナムグリが、、、、。

この腹部の長いツチバチの仲間が、幼虫を持って地面の上を這うようにして移動している。写真を撮ろうと近づいたら幼虫を置いて飛んでいった。しかし、また同じ幼虫を運んで移動していた。

最初に、置き去りにした幼虫をお玉の上に乗せて焼いて食べてみた。少しカシュナッツのような味がした。

このハチを調べた。キンケハラナガツチバチとも違う。なんというハチだろうか?そして幼虫はスズメバチの幼虫ではないかと思った。

イナゴやハチノコ、テッポウムシを食べるような昆虫食は、日本ばかりでなくアジアやアフリカでも見られる。東南アジアではクモ、ゴキブリ、セミ、タガメなども焼いて食べる。もともとサルの祖先は食虫類のような哺乳類だったようなので、サルやチンパンジーたちは多くの昆虫を食べる。ぼくらは魚、鳥、哺乳類の肉食は盛んだ。健康の面からも昆虫食による動物タンパクの摂取をすべきかもしれないと思うがいかがだろうか?

丹沢実習で(3):小鹿の年齢?

丹沢実習で、女子たちが拾ってきたオスの小鹿の下顎の切歯・犬歯を上から写真を撮った。
シカやカモシカの仲間の下顎の犬歯は切歯と同じように並び、まるで切歯が4対あるようにみえる。

左の第一切歯が乳歯から既に抜け替わり永久歯になっている。
右の第一切歯はまだ乳歯のままで、小さな歯だ。
エゾジカでは第一切歯が抜け替わるのは生後2年目の冬ということだ(小池・大泰司、1984)。
エゾジカの例をニホンジカに当てはめると、この小鹿は今年生まれではなく昨年生まれの個体なのだろうか?
とすると1歳半となるが角が出ていない。
身体の大きさからは今年生まれの個体と思ったのだが、、、。

2009年9月21日月曜日

丹沢実習で(2):カモシカに出逢う。

小鹿の解体作業を終え、林道を歩く。シカの足跡がアスファルト上に残る。正面の斜面に何かが動く。カモシカが急斜面からこちらを見ている。

斜面の直下まで近寄って写す。

若い個体と思ったら、そうではない。年齢推定に使われる角輪がいくつも重なってみえる。写真で見る限り7歳以上の個体だ。それにしても黒い毛皮の持ち主だ。
さらに歩いたところで再び別のカモシカを見つける。

サルのクワンという警戒音が前方の谷間に響く、先に歩いて学生にサルを見なかったか?と尋ねるとシカは見たがサルは見てないようだ。
カーブミラーにはサルの手形がついている。

林道終点となり、そこから尾根にとりついて稜線を目差す。急な登りであるし、途中からスギの植林地で間伐した幹や枝打ちした枝が縦横に転がっているので歩きづらい。稜線にでて一休みし、堤川林道を目差して下る。
稜線の直下にあったアナグマの巣穴

下は昨日見つけたエビフライ。

今回は、シカ、カモシカ、サル、アナグマ、リス、ムササビ、さらにはネズミのクルミ食痕などのフィールドサインを見つけることができた。
小鹿はオスで、左の第一切歯が永久歯に生え変わったばかりで、他は乳歯であった。この時季に面白半分で動物を撃つ人がいるのだ。もっとも6月に散弾で撃たれたばかりのタヌキを拾ったことがあるが、山歩きでそんな人たちがいるなんて恐ろしい。
猟期外の猟銃は警察に保管されるようなことにしてもらいたいくらいだ。