北京オリンピックが終わった。
男女ともマラソンは惨敗に終わった。
金メダル候補と目されていた野口選手はオリンピックそのものにも参加できなかった。
野口選手は、オリンピックの前のインタビューで、走ることが好きであり、走った距離はウソをつかないと練習すればするほどタイムが良くなるようなことを言っていた。
ランニング中毒だった2,30年前までのぼくなら、そうだ!と野口選手の言葉に相槌を打っていただろう。
ぼくは、今年の春頃だったか野口選手の言葉を聞いて、余り走るな!走るならストレッチやイメージトレーニングをしなさいと言ってあげたいと思った。
男子マラソンの金メダリストのケニヤの選手は、50位以下に終わった日本の男子選手のことで、日本選手は練習をし過ぎるような発言をネットで見た。
どうも、日本のマラソンは科学的トレーニングから程遠いところの、コーチや選手の経験で走り込み練習に励んでいるとしか思えない。そういう科学的トレーニングの欠如が今回のオリンピックの結果ではないかと思っている。
野口選手や土佐選手のような可哀想な選手を出さないような指導・トレーニングをしてもらいたいものだ。
「特定秘密保護法反対」
「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!
自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。
原発不要・核廃絶
2008年9月8日月曜日
ジョギング
このところ4、50分くらいの散歩をしている。
歩くコースは、横浜市と藤沢市の市境を流れる境川に沿って作られたサイクリングロード。
5時頃、行くと、ジョギングをする者、イヌを散歩させる者、自転車に乗る者などがいる。
2、30年くらい前は、1日100キロを目標に朝、昼、夜と走っていた。
前に走っている人を見つけると、追い越すことを楽しみにしていた。
そのため、ジョギングではなくランニングだと言われたりした。
膝が痛く、椅子に座っていても立ち上がる時が一苦労であり、吊り皮にぶら下っていて目的の駅について最初の一歩、二歩を踏み出す時に膝が痛く、フラフラしながら歩いた。
しかし、走りだすと痛みがなくなり無限に走れそうな感じになった。
走ることを辞めたのは、ぼくの本来の仕事に支障をきたすようになったからだ。
山の登りは問題がない。が、下りは膝が痛く荷物を持ってもらっても下ることができなかった。
下る時に膝痛になるので、登りの歩き方を考えるようになった。
なるべく膝に力をいれないでゆっくり登ることを心がけた。
それでも15年以上も膝痛で悩んだ。
2本のストックを持ち始めたときは、まるでシカかカモシカのような四足動物になったような、四輪駆動にギアーチェンジしたような楽な気持ちになった。
下りも楽になった。が、楽になった分歩きすぎた。
膝へのサポーターもダメ、膝痛用のサプリメントも無意味。
膝痛はもう治らないものだと諦めた。
ただ、山の歩き方だけは変わった。
膝が痛くならないように登りも下りもそろりそろりと老人が歩くような歩き方となった。
その結果、膝痛から解放された。一泊二日くらいの登山なら全く平気となった。
そんな力を入れない歩き方は、足の筋肉ばかりか腹の筋肉もタルマセテしまった。
自分で早く歩いているつもりでも、サラリーマンたちに追い抜かれる。
足首の蹴る力や足全体の筋力が弱ってしまっている。
もう限界だと、今、街を歩く時は足首に力をいれて、跳ねを効かすようにして歩いている。
階段もできるだけ2段跳びに登っている。
散歩しながら、時々、ジョギングをしている。
膝はまだ痛くなってこないが、ちょっと不安でもある。
歩くコースは、横浜市と藤沢市の市境を流れる境川に沿って作られたサイクリングロード。
5時頃、行くと、ジョギングをする者、イヌを散歩させる者、自転車に乗る者などがいる。
2、30年くらい前は、1日100キロを目標に朝、昼、夜と走っていた。
前に走っている人を見つけると、追い越すことを楽しみにしていた。
そのため、ジョギングではなくランニングだと言われたりした。
膝が痛く、椅子に座っていても立ち上がる時が一苦労であり、吊り皮にぶら下っていて目的の駅について最初の一歩、二歩を踏み出す時に膝が痛く、フラフラしながら歩いた。
しかし、走りだすと痛みがなくなり無限に走れそうな感じになった。
走ることを辞めたのは、ぼくの本来の仕事に支障をきたすようになったからだ。
山の登りは問題がない。が、下りは膝が痛く荷物を持ってもらっても下ることができなかった。
下る時に膝痛になるので、登りの歩き方を考えるようになった。
なるべく膝に力をいれないでゆっくり登ることを心がけた。
それでも15年以上も膝痛で悩んだ。
2本のストックを持ち始めたときは、まるでシカかカモシカのような四足動物になったような、四輪駆動にギアーチェンジしたような楽な気持ちになった。
下りも楽になった。が、楽になった分歩きすぎた。
膝へのサポーターもダメ、膝痛用のサプリメントも無意味。
膝痛はもう治らないものだと諦めた。
ただ、山の歩き方だけは変わった。
膝が痛くならないように登りも下りもそろりそろりと老人が歩くような歩き方となった。
その結果、膝痛から解放された。一泊二日くらいの登山なら全く平気となった。
そんな力を入れない歩き方は、足の筋肉ばかりか腹の筋肉もタルマセテしまった。
自分で早く歩いているつもりでも、サラリーマンたちに追い抜かれる。
足首の蹴る力や足全体の筋力が弱ってしまっている。
もう限界だと、今、街を歩く時は足首に力をいれて、跳ねを効かすようにして歩いている。
階段もできるだけ2段跳びに登っている。
散歩しながら、時々、ジョギングをしている。
膝はまだ痛くなってこないが、ちょっと不安でもある。
2008年9月7日日曜日
タメ糞、サル糞、食痕
丹沢日帰り学生実習の続き
複数のイノシシが湿った地面を歩き回り、ミミズをさがし回った痕
アオバトの死骸:何故か頭部の毛が毟られて頭骨が出ていた。誰の仕業なのか?ぼくらが来たために獲物をそのままにして逃げたのだ。死後硬直した状態だった。
カモシカのエゴノキの樹皮食いの食痕:学生が樹皮に挟まった毛を見つける。このエゴノキは毎年のように同じように他の幹が食べられている。
タヌキの溜め糞である。これは前日か早朝のものだ。1メートルも離れていないところに溜め糞が昆虫たちに土中に運び込まれた、直径5、6ミリの穴が地面にたくさん開いていた。同じ穴が糞塊の右上にもある。
サル糞である。もう2、3週間も前のものであろう。黒く固くなっている。
5日(金)の東丹沢・尾根歩き(土山峠・宮ヶ瀬尾根・鍋割・登山道・辺室山・土山峠)は、雨と蒸し暑さを覚悟していたのに、実に涼しく気持ちが良かった。後1ヶ月もするともっともっと涼しくなってきて、サルやシカたちの恋の季節が始まる。
複数のイノシシが湿った地面を歩き回り、ミミズをさがし回った痕





2008年9月6日土曜日
キノコがいっぱい!
昨日の丹沢日帰り実習の続きです。
ウラグロニガイグチ:イグチの仲間がいろいろたくさんあった。
キンチャヤマイグチ:これと上のはお持ち帰りした。
カラカサタケもあった。これは、ぼくが天麩羅用にもらう。
不明、食べられそう。だがあやしそうなので、採らなかった。美味しいものだったら、残念。
この一見、ハツタケ風のキノコが多かった。食べれるかなと思って5個採ってきたが、まだ同定できていない。
タマゴタケは採りきれないほどで、イグチの仲間もたくさんでており、また、さまざまなキノコを見つけた。不明なキノコが多すぎるので調べる意欲が失われる。下ばかり見て歩いたせいかキクラゲの仲間は一つも見つけなかった。
ウラグロニガイグチ:イグチの仲間がいろいろたくさんあった。


ノウタケ:ホコリタケの仲間、他にホコリタケや、似たものに栗のようなツチグリがあった。
これは、採集してきたが、バス停留でキノコを分けていたら、マシュマロのような白い部分が、黒っぽく溶けかかってきたので、捨ててきた。一つはぼくが持ってきた。
これと、傘も茎も真っ白のドクツルタケがあった。赤い傘に白い斑点のあるベニテングタケはなかった。




クマ、熊の糞
9月5日の丹沢実習のコースは、7月19日に矢部さんと歩いたコースである。
宮ヶ瀬尾根を物見峠の方に歩いていると、昨日か一昨日のものと思われるクマの糞をみつける。
半端な量ではないし、内容物として一様に大きなタネが混じっている。
学生たちが、クマ糞を指さす。
上の場所から3メートルくらい離れた斜面の木の根元に(丁度、今ぼくがカメラを構えている足元)、その3、4倍の量のクマ糞をみつける。もちろん、内容物は上の写真と同じものだ。
土山峠の辺室山登山道口にも、宮ヶ瀬尾根を越えたハタチ沢に沿った林道終点にもクマ出没注意の看板があり、ハタチ沢では三日前にクマ檻をみつけている。矢部さんがブログに載せている。
宮ヶ瀬尾根を物見峠の方に歩いていると、昨日か一昨日のものと思われるクマの糞をみつける。

学生たちが、クマ糞を指さす。


尾根上に大量に赤みがかったヤマボウシの果実が散乱している。
学生たちにも食べることを勧める。
皆、甘い、粉っぽいが甘いと言う。
ヤマボウシのタネが、クマ糞に含まれるタネであった。
このクマ、清川村の農耕地や市街地に出没しないで、この東丹沢の山麓で生活してもらいたい。そして、一度くらいは山中で会いたいものだ。
2008年9月5日金曜日
大量収穫のタマゴタケ
今日の丹沢日帰り実習:
参加した専門学校の学生は4/10であった。4人とも突然の雨に備えて傘とレインコート、着替えを準備してきていた。
しかも、暑い中を汗をかきながら尾根を登ったり降りたりすることを覚悟してきた。
ぼくは、バスの中で突然、今日の目的地の変更を宣言する。人数が少ないので、少し厳しいコースをやることにした。
不思議なほど涼しく、どうしてこんなに涼しいの何度も皆で言い合った。
だから、爽やかな冷風を受けて、Tシャツでは寒いくらいだった。
こんなにもタマゴタケを見つけ採集したことはない。実家から通っている女子二人には、家庭内のだれもが3本づつ食べられる以上の収穫があり、この写真の後からは、もう見つけても採集はしなかった。
今頃、ぼくが教えたバター焼きで醤油を掛けて食べるやりかたをしていることだろう。
さらに、巨大なホコリタケの仲間の幼菌などもたくさん採った。
雨を覚悟していたのに、涼しく、キノコ狩りのような一日であった。
参加した専門学校の学生は4/10であった。4人とも突然の雨に備えて傘とレインコート、着替えを準備してきていた。
しかも、暑い中を汗をかきながら尾根を登ったり降りたりすることを覚悟してきた。
ぼくは、バスの中で突然、今日の目的地の変更を宣言する。人数が少ないので、少し厳しいコースをやることにした。
不思議なほど涼しく、どうしてこんなに涼しいの何度も皆で言い合った。
だから、爽やかな冷風を受けて、Tシャツでは寒いくらいだった。

今頃、ぼくが教えたバター焼きで醤油を掛けて食べるやりかたをしていることだろう。
さらに、巨大なホコリタケの仲間の幼菌などもたくさん採った。
雨を覚悟していたのに、涼しく、キノコ狩りのような一日であった。
今日は日帰り丹沢実習
雨模様の日がつづく
一昨日、昨日の天気予報、今朝の予報、皆、違う。
はっきりしているのは、何時雨が降ってもおかしくないということだ。
天気を予測できないとは、、、、。
まるで、真夏に梅雨がやってきたかのようだ。
晴れていても、急に暗雲がたれこめて雨となる。
その雨も降れば豪雨。
今日は、代えの上着や下着をもっていく、もちろん傘やレインコートももつ。
学生たちはさぞブーブーいうだろう。
動物は雨でも雪が降っても野山にいる。早朝も夜中も彼等は野山で暮らしている。
だから、ぼくらは雨の日も山に入るのだと学生に話している。
一昨日、昨日の天気予報、今朝の予報、皆、違う。
はっきりしているのは、何時雨が降ってもおかしくないということだ。
天気を予測できないとは、、、、。
まるで、真夏に梅雨がやってきたかのようだ。
晴れていても、急に暗雲がたれこめて雨となる。
その雨も降れば豪雨。
今日は、代えの上着や下着をもっていく、もちろん傘やレインコートももつ。
学生たちはさぞブーブーいうだろう。
動物は雨でも雪が降っても野山にいる。早朝も夜中も彼等は野山で暮らしている。
だから、ぼくらは雨の日も山に入るのだと学生に話している。
2008年9月4日木曜日
喉仏・のどぼとけ
昨日、ハタチ沢沿いの林道終点近くでアナグマの脊柱の一部の頚椎と胸椎をみつけて、頚椎の端の連なった三つの骨をもってきた。
ヒトをふくむ多くの哺乳類の首の骨(頚椎)は、首の長いキリンであろうとも7つの骨よりなっている。頭蓋骨に接する最初の頚椎を環椎、2番目の頚椎を軸椎という。
拾ってきた3つの頚椎は、軸椎(右端)と第3頚椎と第4頚椎(左端)であり、軸椎を喉仏とも呼ばれる。
親父が火葬されて、窯から出されてきた時に、葬儀社の職員が、何故か軸椎を取り上げて喉仏ですと別に置いた。ぼくは反射的に違うと小声で言った。
ヒトをふくむ多くの哺乳類の首の骨(頚椎)は、首の長いキリンであろうとも7つの骨よりなっている。頭蓋骨に接する最初の頚椎を環椎、2番目の頚椎を軸椎という。
拾ってきた3つの頚椎は、軸椎(右端)と第3頚椎と第4頚椎(左端)であり、軸椎を喉仏とも呼ばれる。

通常、ぼくらが言ってるノドボトケ(水を飲むと動くのでわかる)は触ることができる。触ってみて!
ぼくは、このノドボトケのことを葬儀社の職員が言ったのだと思った。
実は、後で知ったことなのだが、葬儀社の職員の言ったことが正しかったのである。
第2頚椎の軸椎をその形が仏様に似ていることから喉仏(ノドボトケ)と名付けられていたようだ。後になって、普通にぼくらが言っている軟骨でできている喉の出っ張りもノドボトケと言うようになったようだ。
しかし、軸椎をどう見たら、仏様に似ているのか、どのようにながめまわしてもダメ。仏の心、慈悲の心が乏しいのだろう。2008年9月3日水曜日
ゲリラ豪雨後の丹沢
9月3日:東丹沢、ハタチ沢沿いの林道を歩く。
5時に矢部さんの車に乗って丹沢へ向かう。1時間ちょっとで着く。
宮ヶ瀬湖にそそぎこむ中津川の水面は流木や枯葉などが密集している。まるで、間違ってコーヒーの粉を撒いたようだ。
林道一面が河原のように砂、石、木の枝が散在している。
5時に矢部さんの車に乗って丹沢へ向かう。1時間ちょっとで着く。
宮ヶ瀬湖にそそぎこむ中津川の水面は流木や枯葉などが密集している。まるで、間違ってコーヒーの粉を撒いたようだ。

山の斜面の間伐材や枝打ちされた木々が流れ落ち。
斜面の土砂や岩が流されて、土石流のようになって林道上を流れた痕がいたるとこに残る。
林道歩きでこうだから、山の中は荒れ放題で、登山道や尾根道も倒木や岩が転げていたりして歩きづらくなっていることだろう。
全国の多くの山が最近の豪雨で荒れてしまっているだろう。
動物たちもさぞかし今夏は驚いているかもしれない。
2008年9月1日月曜日
値段は自分が決める
ベトナム通貨の10万ドン紙幣の裏側である。
日本円の価値で650円くらいの価値がある。
久しぶりの海外で、あらためて物の価値、値段について考えさせられた。
物の値段は交渉によって決まる。
一個のオレンジを買うのも、
一切れの豚肉を買うのも、
トイレットペーパーを買うのも、
タクシーに乗るのも、
話し合いによって決まる。
高い(=損をした)か安い(=得をした)かは、買う側のその物に対する価値をどのように置いているかだ。
物の価値というものは、その物を必要とする者と、それを欲しい者との交渉によって決まる。
塩を渇望している者は、塩10キロと牛1頭を交換して得したと思う。
一方、牛を欲しかった者は、塩10キロを得て得したと思う。
物々交換の時代はこうやってそれぞれの物の価値が決まったのだ。
今は世界中どこでもお金で物と交換できる貨幣経済の世の中だ。
日本では、ありとあらゆるお店で物の値段が決まって貼り出されている。
売る側が、買う側の反応を見て一方的に値段を決めているのだ。
しかし、生産者と仲買業者との間では話し合いが行われている。
豊作であれば、値が下がるから畑の野菜がブルトーザーで踏み潰される。
以前なら、生産者から消費者へ安く大量に与えることができたのに、、。
日本円の価値で650円くらいの価値がある。

物の値段は交渉によって決まる。
一個のオレンジを買うのも、
一切れの豚肉を買うのも、
トイレットペーパーを買うのも、
タクシーに乗るのも、
話し合いによって決まる。
高い(=損をした)か安い(=得をした)かは、買う側のその物に対する価値をどのように置いているかだ。
物の価値というものは、その物を必要とする者と、それを欲しい者との交渉によって決まる。
塩を渇望している者は、塩10キロと牛1頭を交換して得したと思う。
一方、牛を欲しかった者は、塩10キロを得て得したと思う。
物々交換の時代はこうやってそれぞれの物の価値が決まったのだ。
今は世界中どこでもお金で物と交換できる貨幣経済の世の中だ。
日本では、ありとあらゆるお店で物の値段が決まって貼り出されている。
売る側が、買う側の反応を見て一方的に値段を決めているのだ。
しかし、生産者と仲買業者との間では話し合いが行われている。
豊作であれば、値が下がるから畑の野菜がブルトーザーで踏み潰される。
以前なら、生産者から消費者へ安く大量に与えることができたのに、、。
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