野生動物のサインから、サインを残した哺乳動物の性別を判断することができる。
柔らかい地面や雪上や乾いたアスファルト上に、残された足跡とオシッコの痕からだ。
哺乳類のオスは長いペニスをもつが、メスはそうではない。
男女の排尿器が異なるため、ヒトがはくパンツやズボンには男用と女用では前が開くかどうかでことなっている。
ぼくが子供の頃は、男の子は立ったままオシッコができるので、女の子たちからも羨ましがられたものだ。
専門学校の男子に尋ねた。家では座ってオシッコをしていることがわかった。若い男子の同僚の先生にも聞くと、「息子にも座ってやるように躾けているし、自分もそうしている」と話してくれた。
一般家庭では、男子の小用便器は無くなり、男女兼用の便器一つになっている。
物心つく頃から日本の男子は、便器の周りにオシッコを飛び散らさないようにするために、便器に座らされてするように躾けられてしまっている。
さらに、屋外での立ちションを禁じられて育った子供たちは、山中でも気軽にオシッコができなくなっている。
小さい頃から、オシッコもウンチもズボンを下ろして便器に座って女子のようにしかしたことがないし、野原ではもちろんのこと立ちションをしたことがないので、山の中でさえ立ちションができない若者が 多数を占めるようになってしまった。
野山で用をたせない若者にとって、野外実習は苦行そのものになっている。
野生のカモシカをリスやサルを観察したい、野山を歩きたい若者にとっては、山にはトイレが無いので、山は嫌いになる。
これは、女子の話しではなく、高校を卒業した男子学生の話しである。若者が変わってきていること考えてほしい。
屋外における立ちションは市街地では禁止だが、農耕地や山野では許される。もっと幼稚園や小学校で子供たちを野山に連れていき、野山で気軽にオシッコをさせるべきだ。
山の素晴らしさを知ってもらうためにも、男子学生には尾根から谷に向かってする立ちションの開放感を、気持ち良さをあじ合わせてあげたい。
メーカーは、男の特権をいかせる周りに飛び散らない男子小用家庭便器を開発すべきだ。このままでは日本男子はメス化の一途を辿ることになる。
「特定秘密保護法反対」
「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!
自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。
原発不要・核廃絶
2008年6月17日火曜日
2008年6月16日月曜日
エゾリスの糞
2008年6月12日木曜日
梅の実の季節
3、4年前、学生たちが実習で採ったサルナシの実を焼酎ではなくウィスキーに浸けたら、抜群の旨さの果実酒ができた。卒業した学生が訪ねてきた時に味わうように少しづつ呑んでもらった。だれもが、その風味というか香りというか素晴らしいおいしさに感動した。
庭の梅の葉が茂り、狭い庭が鬱陶しいので、伸びた枝を切り落とし始めたら実がいくつかなっている。採集したら、18個だった。ぼくの背丈くらいの梅の木だ。
スーパーで梅を買ってきて、梅酒をつくることにした。
もちろん、浸け込む酒は焼酎ではなく、ウィスキーだ。酒屋に行くと、安い2.7リットルのビンのウィスキーとともにブランデーもあった。ちょっと迷ったが、今回はやはりウィスキーにした。
焼酎より、ウィスキーの方が数段アルコール度数が高い。このアルコール度数の高さが、果実のエキスを引っ張り出すのだろうと、勝手に思っている。
子供の頃、親父が山葡萄を一升瓶に詰め込んで葡萄酒を造っていた。毎年晩秋になると、調理台の下には3、4本の一升瓶が新聞紙の帽子を被されてあった。発酵してくると薄桃色に濁った泡が浮かんでいた。子供の頃にお猪口に注いでもらって飲んだことがあるが、色は汚れたような赤みがかった桃色で甘くなく、気味悪いものであった。それでも親父は旨そうに飲んでいた。当時、ワインと言えば赤玉ポートワインというのがあった。それは甘かった。
庭の梅の葉が茂り、狭い庭が鬱陶しいので、伸びた枝を切り落とし始めたら実がいくつかなっている。採集したら、18個だった。ぼくの背丈くらいの梅の木だ。
スーパーで梅を買ってきて、梅酒をつくることにした。
もちろん、浸け込む酒は焼酎ではなく、ウィスキーだ。酒屋に行くと、安い2.7リットルのビンのウィスキーとともにブランデーもあった。ちょっと迷ったが、今回はやはりウィスキーにした。
焼酎より、ウィスキーの方が数段アルコール度数が高い。このアルコール度数の高さが、果実のエキスを引っ張り出すのだろうと、勝手に思っている。
子供の頃、親父が山葡萄を一升瓶に詰め込んで葡萄酒を造っていた。毎年晩秋になると、調理台の下には3、4本の一升瓶が新聞紙の帽子を被されてあった。発酵してくると薄桃色に濁った泡が浮かんでいた。子供の頃にお猪口に注いでもらって飲んだことがあるが、色は汚れたような赤みがかった桃色で甘くなく、気味悪いものであった。それでも親父は旨そうに飲んでいた。当時、ワインと言えば赤玉ポートワインというのがあった。それは甘かった。
2008年6月10日火曜日
ヒメカンゾウが咲いていた
梅の木の根元に植えているヒメカンゾウが今年も咲いている。今年は花茎が2本になっている。一本へった。梅の木とすぐ南西側のナツツバキの木が大きくなりの葉が生い茂るために日陰になっているせいだろう。ナツツバキの枝を切らねばならない。
このヒメカンゾウはすっきりした黄色であり、清楚な感じがする。同じ仲間に赤みがかったのとはちょっと違う。いずれも花は一日でしおれてしまう。これらのカンゾウの春の3、4センチに伸びた新芽を根元から切り取って、熱湯でさっと茹でて酢味噌和えで食べる。ビールの摘みに良い。
キンシコウの調査地の秦嶺山脈の麓の農家の周辺にもカンゾウがでており、向こうでは蕾を採取して乾燥させたものが大量に市場に売っていた。もちろん、生も摘んで豚の脂とともに炒める。美味い。
今日は二輪咲いているのが、ぼくの部屋からみえる。
キンシコウの調査地の秦嶺山脈の麓の農家の周辺にもカンゾウがでており、向こうでは蕾を採取して乾燥させたものが大量に市場に売っていた。もちろん、生も摘んで豚の脂とともに炒める。美味い。
今日は二輪咲いているのが、ぼくの部屋からみえる。
2008年6月9日月曜日
ますますナタをもてなくなり、山道が荒れる。
秋葉原の通り魔殺傷事件で、町村官房長官がナイフなどの所持について考え直さねばならないようなことを云っていた。
以前は、登山するにも、サル調査をするにもナタ(鉈)は必需品であった。首から双眼鏡、腰にナタというのがぼく達学生時代の山歩きのスタイルであった。1980年代まではサル調査には必ずナタを持ち歩いた。ハイキング道や登山道、あるいは尾根道沿いの枝を払いながら歩くのが常であった。とくに、サルの移動を追跡していく時には、ブッシュを切り払ったり枝を切り落としたりしながらでないととてもサルを追跡できなかった。
人に出会いそうもない山奥を歩いていて、ナタを持った山仕事の男に遭うのは恐ろしい感じがした。相手もそのようであり、互いに挨拶をすることで気味悪さ、恐ろしさが消えた。
以前は山仕事の人ばかりでなく、山に入る多くの人がナタを持って山道沿いの枝などを切り落としてくれていたので、あるきやすかった。里山は頻繁に人々が利用するので、道沿いの枝が払われて整備されていた。
いつ頃からだろう。ナタを持ち歩かなくなったのは、、、?山に持って行っても、腰には下げないで、ザックの中に忍ばせている。電車やバスの中ではナタが鞘に納まっていたとしても人前で出すのがはばかれる感じがする。ザックに容れてあると、歩いていて邪魔な枝が張り出していても、あるいは倒木があったとしてもほとんど使わないですましてしまう。
ぼくが山に行くのにナタを持ち歩かなくなったのは、山道が整備されて歩きやすくなったからではない。逆に現在の山道は枝が突き出していたり、倒木で塞がれていたり廃道と思われるくらい荒廃している。何となく、人々がナタを持っている者に対して非難しているような視線を感じるからである。
それは、人々がもっている「自然保護思想」が、ナタを持っているだけで、樹木を切って、自然を、森林を破壊してしまうような人と感じてもいるようでもある。
何年か前に丹沢で同定できない木があったので、枝を30センチくらい折ったところ登山者に「枝を折り取るようなことは止めて下さい」と注意された。あるいは、学生が実習で採集した数種類の枝をビニール袋に容れてザックに括りつけていたら、「盗掘はやめろ!」と云われびっくりしたことがある。
里山の山道だけでなく、ハイキング道や登山道も荒れている。それをナタを持って歩くことによってハイカーが登山者が一人一人、山道の整備をすることになり、気持ち良く歩くことができる山道の復活になればと思っていた。しかし、今度の通り魔殺傷事件によって、ナタの持ち歩きに更なる規制が掛けられるようにならなければと思う。もし、規制が掛けられるなら、ますます森は荒れて人々は森の素晴らしさ楽しさから遠ざかってしまうことになる。
以前は、登山するにも、サル調査をするにもナタ(鉈)は必需品であった。首から双眼鏡、腰にナタというのがぼく達学生時代の山歩きのスタイルであった。1980年代まではサル調査には必ずナタを持ち歩いた。ハイキング道や登山道、あるいは尾根道沿いの枝を払いながら歩くのが常であった。とくに、サルの移動を追跡していく時には、ブッシュを切り払ったり枝を切り落としたりしながらでないととてもサルを追跡できなかった。
人に出会いそうもない山奥を歩いていて、ナタを持った山仕事の男に遭うのは恐ろしい感じがした。相手もそのようであり、互いに挨拶をすることで気味悪さ、恐ろしさが消えた。
以前は山仕事の人ばかりでなく、山に入る多くの人がナタを持って山道沿いの枝などを切り落としてくれていたので、あるきやすかった。里山は頻繁に人々が利用するので、道沿いの枝が払われて整備されていた。
いつ頃からだろう。ナタを持ち歩かなくなったのは、、、?山に持って行っても、腰には下げないで、ザックの中に忍ばせている。電車やバスの中ではナタが鞘に納まっていたとしても人前で出すのがはばかれる感じがする。ザックに容れてあると、歩いていて邪魔な枝が張り出していても、あるいは倒木があったとしてもほとんど使わないですましてしまう。
ぼくが山に行くのにナタを持ち歩かなくなったのは、山道が整備されて歩きやすくなったからではない。逆に現在の山道は枝が突き出していたり、倒木で塞がれていたり廃道と思われるくらい荒廃している。何となく、人々がナタを持っている者に対して非難しているような視線を感じるからである。
それは、人々がもっている「自然保護思想」が、ナタを持っているだけで、樹木を切って、自然を、森林を破壊してしまうような人と感じてもいるようでもある。
何年か前に丹沢で同定できない木があったので、枝を30センチくらい折ったところ登山者に「枝を折り取るようなことは止めて下さい」と注意された。あるいは、学生が実習で採集した数種類の枝をビニール袋に容れてザックに括りつけていたら、「盗掘はやめろ!」と云われびっくりしたことがある。
里山の山道だけでなく、ハイキング道や登山道も荒れている。それをナタを持って歩くことによってハイカーが登山者が一人一人、山道の整備をすることになり、気持ち良く歩くことができる山道の復活になればと思っていた。しかし、今度の通り魔殺傷事件によって、ナタの持ち歩きに更なる規制が掛けられるようにならなければと思う。もし、規制が掛けられるなら、ますます森は荒れて人々は森の素晴らしさ楽しさから遠ざかってしまうことになる。
2008年6月8日日曜日
続)梅雨の晴れ間の丹沢山麓
林道を歩いていて飛び出してきたヒバカリ:30センチくらいで細くて小さいヤツだが気は荒い。こうやってとぐろを巻いたようになって、飛び掛ろうというのである。飼育してみたいと思うような可愛さもある。
テン糞を見つけた。すでに、モミジイチゴやクサイチゴは熟した実をつけている。そのタネが見える。甲虫の羽も入っていた。
何故か、巣立ったばかりのカラスが枝にとまっていた。3メートルくらいまで近づいたら不器用に飛んだ。
何故か、これほど鮮やかな黄色はあろうかと思った。エニシダの仲間が斜面にたくさん咲いていた。
久しぶりに気が付いたドクウツギである。毒々しい赤い実をたくさんつける。鳥が食べて糞として分散させたのだろう。コンクリートの斜面に力強く生えていた。
今回、会った哺乳類はリスのみ。シカかカモシカの食痕はいたるところにあったが、出会わなかった。
2008年6月7日土曜日
梅雨の晴れ間の丹沢山麓
今朝、丹沢山麓の奥野林道を荒沢まで歩く。周りは濃い緑色の世界だ。
ガマズミ(スイカズラ科):晩秋の少し萎んだ赤い実は甘酸っぱくて大好きです。サルがするようにそのまま口をつけてほおばりタネだけを吐き出します。
アワブキ(アワブキ科):秋に赤い実をつける。ぼくは食べたことがないが、テン糞の中にこのタネが多く含まれることがある。
ウリカエデ(カエデ科):カエデの仲間で、チドリノキとウリカエデの葉が手の平を広げたようにはならない。
オオバアサガラ(エゴノキ科):エゴノキやハクウンボクはしっかりした割と大きな実をつけるが、このオオバアサガラの果実はどんなのだろう?オオバアサガラは樹皮を簡単に剥くことができ、しかも剥いた白っぽい木肌がすべすべして綺麗である。
シナノキ(シナノキ科):シナノキ?の語源をしらべた。長野の信濃(科野)が源のようだ。樹皮は繊維がつよくロープに使われたようだ。Wikipediaによる。
ガマズミ(スイカズラ科):晩秋の少し萎んだ赤い実は甘酸っぱくて大好きです。サルがするようにそのまま口をつけてほおばりタネだけを吐き出します。
2008年6月6日金曜日
男のトイレ学(1)
人はサルの仲間であるため、どこでもいつでもしたくなる。サルは巣穴を持つ他の哺乳類のようにトイレを持つわけではない。サルは移動しながらでも、休息しながらでも、採食しながらでも用を足す。サルにとってはどこもトイレである。巣穴を持つようなタヌキでは巣の中や巣の周辺で用を足すわけにはいかない、糞尿による不衛生な環境は病気をもたらす。
しかし、サルは移動して生活しているので、自分たちの周りの環境が不衛生になり、そのことで病気になるという心配がない。だから、いつでもどこでもとなる。
人もサルからの習性を遺伝的に持っているので、トイレの躾は非常に難しい。犬、猫なら躾けられるのに、幼児にはオムツをつけなければいけない。誰もが幼児の時に寝小便をしたことがあるように、所かまわず出してしまう。
さて、このところ男子トイレが混むことが多い。トイレが近くなった中高年が多くなった訳ではない。順番を待ちながら、放尿している男たちを観察した。順番がきて空いている場所に立つ、①チャックを下げる、②ペニスをつまみ出して放尿する。終わると③尻をちょっと後に引くようにしてペニスをパンツ内に戻し、④チャックを上げる。という決まりきった行動ではない。
先ず、⑤ベルトを緩め、①②③⑥シャツなどの下着をズボン内に納める。④という行動である。この⑤⑥の行動が付け加わるためにスピーディではないのだ。さらに、⑤の行動ばかりでなく、ズボンを少し下ろす者もいる。
これは、昔の子供たちは野外で年上の世代の子供たちと遊ぶことによって素早くする癖がつくようになった。今は、外遊びをしたとしても屋外での立ちションは公衆道徳に反するために禁止である。さらに、今は家庭のトイレには男子用の小用の便器はついていない。一つの便器で大小をも行い、女子と共用だ。このため、母親は男の子が立ちションをして便器を汚さないように教える。あるいは、女子のように座ってするようにさせる。その結果が、男子トイレの混雑につながっているのである。
サルのようにいつでもどこでも出したい遺伝子をもっているので、駅などのトイレでは可能な限りスピーディにお願いしたいものだ。
しかし、サルは移動して生活しているので、自分たちの周りの環境が不衛生になり、そのことで病気になるという心配がない。だから、いつでもどこでもとなる。
人もサルからの習性を遺伝的に持っているので、トイレの躾は非常に難しい。犬、猫なら躾けられるのに、幼児にはオムツをつけなければいけない。誰もが幼児の時に寝小便をしたことがあるように、所かまわず出してしまう。
さて、このところ男子トイレが混むことが多い。トイレが近くなった中高年が多くなった訳ではない。順番を待ちながら、放尿している男たちを観察した。順番がきて空いている場所に立つ、①チャックを下げる、②ペニスをつまみ出して放尿する。終わると③尻をちょっと後に引くようにしてペニスをパンツ内に戻し、④チャックを上げる。という決まりきった行動ではない。
先ず、⑤ベルトを緩め、①②③⑥シャツなどの下着をズボン内に納める。④という行動である。この⑤⑥の行動が付け加わるためにスピーディではないのだ。さらに、⑤の行動ばかりでなく、ズボンを少し下ろす者もいる。
これは、昔の子供たちは野外で年上の世代の子供たちと遊ぶことによって素早くする癖がつくようになった。今は、外遊びをしたとしても屋外での立ちションは公衆道徳に反するために禁止である。さらに、今は家庭のトイレには男子用の小用の便器はついていない。一つの便器で大小をも行い、女子と共用だ。このため、母親は男の子が立ちションをして便器を汚さないように教える。あるいは、女子のように座ってするようにさせる。その結果が、男子トイレの混雑につながっているのである。
サルのようにいつでもどこでも出したい遺伝子をもっているので、駅などのトイレでは可能な限りスピーディにお願いしたいものだ。
2008年6月5日木曜日
カモシカの頭骨
先日、丹沢は雷平から採集してきたカモシカの頭骨である。両方の角ともすっと伸びて長くて立派である。このカモシカが若いと判断したのは誤っていた。他の三つの頭骨を比較すると、カモシカはかなり老齢になっても前顎骨や鼻骨、上顎骨の縫合が不完全である。それはシカも同様である。
カモシカもシカも上顎の前歯が無い、カモシカではさらに犬歯も無いので、カモシカの口吻がシカよりも短くなっている。その分、足元が見やすいだろう。
丹沢には同じ場所にカモシカとシカが生息している。カモシカは単独だが、シカはメスグループを作っている。カモシカは警戒音を出さないが、シカは対岸の斜面からでも警戒音をだす。両種ともアカンボウはしばらくヤブの中にじっとうずくまっており、そこに母親がきてミルクを飲ませる。両種とも草や木の葉、枝、樹皮を食べる。
カモシカとシカのフィールドサインで区別がつけがたいものに糞粒や足跡の形や大きさ、食痕がある。草や小枝を食べた食痕(引きちぎった痕)は、区別は無理と思われる。しかし、木の幹の樹皮を剥がした痕に、歯形が残っていたなら区別できそうだ。
下の左が今回採集してきたカモシカの下顎の歯、右がシカの下顎の歯である。ご覧のように両種とも前歯が一見4対あるかのように並んでいる。しかし、端の一本は犬歯なのである。
さて、シカでは第一切歯が幅広くシャモジ状になっており、この歯一つで、前歯の大半を占め、第二、三切歯や犬歯は単に第一切歯に添えられたようなものになっている。が、カモシカでは各3本の切歯や犬歯も同じ大きさをしている。
樹皮剥がしの痕に歯形が残っているなら、この形態状の違いがでていることは間違いがない。
カモシカもシカも上顎の前歯が無い、カモシカではさらに犬歯も無いので、カモシカの口吻がシカよりも短くなっている。その分、足元が見やすいだろう。

カモシカとシカのフィールドサインで区別がつけがたいものに糞粒や足跡の形や大きさ、食痕がある。草や小枝を食べた食痕(引きちぎった痕)は、区別は無理と思われる。しかし、木の幹の樹皮を剥がした痕に、歯形が残っていたなら区別できそうだ。
下の左が今回採集してきたカモシカの下顎の歯、右がシカの下顎の歯である。ご覧のように両種とも前歯が一見4対あるかのように並んでいる。しかし、端の一本は犬歯なのである。
さて、シカでは第一切歯が幅広くシャモジ状になっており、この歯一つで、前歯の大半を占め、第二、三切歯や犬歯は単に第一切歯に添えられたようなものになっている。が、カモシカでは各3本の切歯や犬歯も同じ大きさをしている。
樹皮剥がしの痕に歯形が残っているなら、この形態状の違いがでていることは間違いがない。
森の中を撹拌させよ!
森の中の、いっさいの動植物や土や石の全てを持っていかないこと、森の中に持ち込んだものは全て持ち帰ること???
梅雨に突入している。丹沢の沢はこの時季ばかりは豊富な表面水がみられる。雨水は有機物や土や岩の無機物までも溶かし込んで沢となり、川となり海へと流れていく。その海の水が蒸発して雲をつくり、再び雨となって山に降り注ぎ、川となって海へながれる。
森林では光合成によって、デンプンが作られる。が、山の有機物や土砂までもがどんどん海に流れくだり、海はますます有機物な豊富な湖となっていく。しかも、大洋では寒流と暖流によって、あるいは深底の水が上昇することによって、大洋の水は絶えず撹拌されている。
天然自然を守るために人の入場を制限し、自然に手を入れないことが、最も効果的な自然保全、森林の保護であると考えられている。たとえ腐るものでも持ち込んだ物を持ち帰り、木を切らない森林はますます痩せ細っていく。
梅雨に突入している。丹沢の沢はこの時季ばかりは豊富な表面水がみられる。雨水は有機物や土や岩の無機物までも溶かし込んで沢となり、川となり海へと流れていく。その海の水が蒸発して雲をつくり、再び雨となって山に降り注ぎ、川となって海へながれる。
森林では光合成によって、デンプンが作られる。が、山の有機物や土砂までもがどんどん海に流れくだり、海はますます有機物な豊富な湖となっていく。しかも、大洋では寒流と暖流によって、あるいは深底の水が上昇することによって、大洋の水は絶えず撹拌されている。
天然自然を守るために人の入場を制限し、自然に手を入れないことが、最も効果的な自然保全、森林の保護であると考えられている。たとえ腐るものでも持ち込んだ物を持ち帰り、木を切らない森林はますます痩せ細っていく。
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