ぼくが学生の頃の1960年代から2000年代くらいまで、山へ行くのに必ず持っていくのは刃渡り7,8センチのナイフや刃渡り30センチくらいのナタであった。ナタは大きいので、ザックの横に付けて電車やバスに乗っていた。しかし、2000年を過ぎた頃からバスや電車に乗る時はナタはザックの中に容れた。山ではナタは左腰に下げた。サルを追っている時はさらに柄が60センチくらいあるナタをサブザックに付けて背負った。ナタは行くての木の枝やブッシュを切り払うために使った。登山道や古い杣道などの山道を歩いていても倒木の枝を払い落して歩きやすくするための必需品であった。それはマハレ山塊を歩く時も同じだった(図1)。トングエ族のトラッカーたちは中国製の青龍刀のようなパンガ(スワヒリ語)を持っていた(図2)。これで爪まで切っていた。
図1.マハレ山塊のビレンゲからムエシまでサファリで、1975年
右端がぼくで左腰にナタを下げる。このナタは帰国する時にマハレ山塊国立公園のセキ公園管理長にプレゼントした
図2.トラッカーたちはこのパンガをいつも剝き出しで手に持っていた。それぞれのパンガは持ち主の個性が溢れている。
小さなナイフは植物標本を採るために、ちょっと枝や茎をナイフで切ったり、キノコを見つけて切ったり、昼食時にグレープフルーツを切ったり、リンゴの皮を剥いたり、スケールとして標本の横に置いたり(図3)、あるいは動物死体を見つけた場合に、現場で頭部を切り放すのに使った。しかし、ナイフは何よりも日常的な生活の一部の必需品であり、同じナイフを食卓のテーブルにも置いている。以前はスイスアーミーの十徳ナイフを持っていたが、搭乗手続きの時に機内持ち込みバックの中に容れていたので、取り上げられてしまった。今では手続きをすると到着空港で戻してもらえるが、1970年代は取り上げられたままだった。あるいは買ったばかりのナイフをどこかで落としてしまうこともあったので、ナイフではなく安いカッターナイフを持ち歩くことをあった。これだと刃も毎回取り換えられて切れ味が良いので、山での動物の解剖に使用した。
図3.テン糞のスケールとしてのナイフ
テン糞は持ち帰ったが、このナイフはここに置き忘れた
林道に車を停めていた時に警察官からトランクの持ち物を調べられ、そんな事が2度あり、ナタで煩く云われ警察署まで同行を求められたことさえあった。以来、ナタは持ち歩かなくなった。しかし、2010年からはOpinelのナイフを常時ショルダーバックに容れている。切れるナイフはステーキを切り分ける時は凄く重宝である。
アフリカで使っていたナタはあげてきたので、帰国後同じナタを買った(図4)。これは現在まで使っている。
図3.ナタ
今は、何故か刃渡り5,6センチの小型ナイフをバックに容れているだけで警察官から咎められるようになった。まるで秀吉の刀狩りの再現である。日常の生活用具としての小型ナイフが咎められる。以前は学校に行く時は小型ナイフが筆箱に入っており、いつでも鉛筆が削れた。今はもう鉛筆なんて学校では使わないのかな?
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