老年的超越、この言葉を高校同期のTGからのメールで知った。85歳過ぎた高齢期の老人の考え方のようだ。それを、東京都健康長寿医療センター研究所研究員の増井幸恵の日老医誌(2016;53:210-214)の論文から引用する。
老年的超越とは、高齢期に高まるとされる、「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化」を指す。この概念の提唱者であるスウェーデンの社会学者Tornstamは離脱理論、精神分析論、禅の知見など取り入れこの理論を構築した。
と何だか難しそうだが、毎日新聞ネット版(2022・8・27)で増井は、北欧や日本の研究から、単身で寝たきりでも幸福感で満ち溢れている超高齢者が大勢いると述べている。寝たきりでも独りぼっちでも幸せだと感じているようなのだ。つまり、家族と離れ身体機能が衰えても幸せに感じている。
1997年に赤瀬川原平が「老人力」という概念を打ち出した。これにはボケるのも物忘れも老人力だ!とこれは痴呆症の一歩手前の多くの老人たちの症状を現わして笑い飛ばしている。
しかし、老年的超越はさらに年齢を重ねた85歳以上の高齢期の老人たちの考え方である。身体は不自由で孤独でいても幸せだというものだ。
ぼくはサルを追っていて、群れからオスばかりでなくメスも離れていく現象を観察した。サルでは通常はメスは生まれた群れから出ていかない。しかし、歳をとったメスのサルは、群れから離れて群れの遊動域内の100m四方にも満たない狭い場所で採食し、群れがその場に来ると群れのメンバーである娘たちとグルーミングをし群れが離れるとその場に留まったり群れと一緒に遊動する。オスに関しては拙著「箱根山のサル」晶文社の二章のオスザルの生活でアリ地獄タイプとして述べている。
今日は、山に行くつもりであったが、5時頃目覚めてから、収集した骨の事やExcelに記録したテンやタヌキの糞の事が頭に浮かび、あーでもないこーでもないと考えている内に5時半を過ぎてしまい。6時に階下に降りた。出かける前の娘から「これから山に行くの?」と聞かれ「もう車が渋滞に巻き込まれるので止める」と云い訳をし、コーヒーを飲んだ。
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