「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2023年2月18日土曜日

少年たちの魚獲り   Catching fish of young boys

 昨日は散歩に引地川沿いを歩いた。河津桜がもう6,7分咲きだ(図1)。メジロやヒヨドリ、シジュウカラがカワズザクラの花の蜜を吸い、花弁を飛ばしていた。ピラカンサスの実に停まったメジロ(図)。

図1.河津桜
図2.カワズザクラ
図3.ピラカンサスの実とメジロ
歩いているぼくをぼくを追い越してタモ網を持った少年が自転車で通り過ぎた。行くともう一人が居て彼は胴付き長靴を履こうとしている。合流した一人はすぐズボンを脱ぎ、上着も脱いだ、エー!この寒いのに!っと思ったが、、、。ぼくの子供の頃のようで見ていることにした。ぼくを自転車で追い抜いた少年はゴム製短靴を履き、二人ともタモ網を持って、コンクリートの土手の手摺りをするする下りて川に入った(図4)。
図4.二人の少年
堰は魚が登れるようになっている。かなり滑るようだ。慎重に歩いている。いつもはここでコサギなどがじっと立って獲物を狙っている。二人とも半袖で、一人は半ズボンだ。水温は何度位だろうか?ぼくが子供の頃は鼻水を袖で拭いながら雪が溶けた川に入ったものだ。下はパンツ一枚だった。少年たちは中学1,2年かな?小学校の横を通ってきたが、14時だ!もちろんまだ学校は終わってない。中学の月末試験、期末試験の準備のために早く学校が終わったのかな?でも、彼らにとっては、試験勉強よりも少し温んできた川での魚獲りなのだ。
図5.二人離れて堰を下る。滑るようだ。
鉄管を持ち上げて中の物を網に空ける。鉄管のようなものが2本持ち上げた。彼らが仕掛けて置いたのかな?すると狙いはウナギ?
図6.鉄管を持ち上げて中の物を網に空ける
ぼくが見ている橋の下を潜って川下側に魚がいそうな処を突いて下っていく。半ズボンの少年はさぞかし寒いことだろう。が、今は逆に身体が熱っている時かな、これからだ寒くなるのは、、、、。この二人にとっては大人になったら素晴らしき思い出になるだろう。この写真を二人にあげたいくらいだ。
図7.仲の良い二人
戻り始めると堰を超えたところでマガモのペアがいた(図8)。さらに川沿いに歩いて、往きに見たカワズザクラを対岸から見た。カワズザクラが咲いているところだけが明るくなっているようだ(図9)。
図8.マガモのペア
図9.対岸から見たカワズザクラ

2023年2月17日金曜日

境川遊水地公園までの散歩  Waliking to Sakai river anti-flood pond park

昨日は久しぶりに境川遊水地公園まで散歩した。このコースは途中に日大の農場がある。そこには牧草が植えられているのかイネ科植物の芽生えがあった。春だ!図1の奥の林はタイワンリスの巣があってタイワンリスを見かけたところだ。立ち入り禁止の看板があったが、林の中を探索した。が、以前は7,8個もの巣を木の又にあったのに今回は一つも見当たらなかった。が、離れた場所に一見するとタイワンリスの巣を思わせるような木の葉の塊があった(図2)。しかし、以前見たタイワンリスの巣は小枝を集めて作られていたので、これは何だ?カラスの巣とも思えない。
図1.日大資源生物学部の飛び地の農場
図2.これは何だ?
境川沿いの遊水地外縁の横浜市側の道を歩く。俣野遊水地、下飯田遊水地から藤沢市側の今田遊水地に入るが、ぼくはずーと境川左岸の横浜市側を歩いた。最後は相鉄線や横浜市営地下鉄線の高架下を通り、白鷺橋を渡って藤沢側に入って湘南台公園の中を横切って戻ってきた。9183歩、6979m、1時間半の散歩だった。
図3.今田遊水地近くの境川でオオバンがいた
図4.オオイヌノフグリが陽の光を浴びていた
ロシアのウクライナへの攻撃が激しさを増しているようだ。ロシアは西側からの戦車や爆撃機がウクライナに入る前に決着をつけるつもりかな?それにしても絶え間ない空襲警報にウクライナの人々はこの寒さの中で大変だ。プーチンが一刻も早く侵略戦争を止めることを願うばかりだ。

2023年2月16日木曜日

ピンクの沈丁花が咲きだした!   Pink winter daphne flowers have started blooming!

寒い日が続いているが、ピンクの沈丁花が咲きだした。ここは北が我が家の壁に接して南に向いていて、日溜まりのようなところだ。白梅は満開で、水仙は咲いた花は切り花にするので、庭にはちょっとしか咲いていない。オオアラセイトウ(諸葛菜)も大分大きくなってきた。でも、エ?っと思うところにタチツボスミレが咲くんだ。タネを植えて3,4年のナデシコは株が大きくなってきている。1年草かと思っていたが宿根草だ。タネを植えたキキョウもそうだ。キキョウは立派な太い根になる。
家の南側にへばり付いている沈丁花
このコロナ禍の3年間、友人・知人とも年に1回くらい会うが、2時間以内の飲食だ。Zoomでのオンラインの呑み会は全く味気ない。オンラインで会議をやった事がないが、これも味気ないようだ。やはり、友人・知人とは直に会ってその息遣いや雰囲気に接してこそだ!今日、午前中は境川の遊水地公園まで足を伸ばした少し長めの散歩をしてきた。帰ってくると、昼過ぎにK夫婦が来てお昼を一緒に食べると云う。え?K夫婦の家は境川の近くなので、疲れたのでお茶でも飲みに寄って来ようかな?っと思ったのだ。彼らが蕎麦屋で買ってきた掻き揚げを食べながらビールを飲み、ソバを食べ終えた後はバーボンだ。彼らが帰った後、パソコンの前に座ったがそのまま1時間くらい寝てしまった。このK夫婦とはぼくが学校を辞めてから2ヶ月くらいに1回、飲食をともにしている。





 

2023年2月14日火曜日

死を少しだけ考えた  I thought about death a little.

先日、友人の母親が亡くなったので葬儀に参列してきた。自分の両親が逝った時は葬儀が終わったらもう葬儀の事や死の事など考えなかった。しかし、昨年2度、今年早くも1度目の葬儀に参列して、死の事を考えるようになった。それは自分が歳をとったせいもあるだろう。
サル調査で、見知らぬ土地の里山の藪の中を歩き回っていて藪に埋もれた古いお墓にぶつかると妙に不安な気持ちがして一瞬でも早くその場から立ち去りたかった。お墓の下には死んだ人が埋められているという事を知っていたからだ。海外のサル調査でも身体が竦み歩けなくなるような時があり、その場から早く立ち去りたいと思うことが度々あった。特にスラベシ島では背筋がゾッとするようなが場所があった。しかし、アフリカでは以前村が存在した場所を歩き回ってもゾッとするような場所はどこにもなかった。アフリカでも土葬だが、村々では特に墓地を決めているわけではなかったので、土葬の場に小さな石が一つ置かれたり、木を植えられたりするだけであり、それらが自然に消えてしまっていたせいかも知れない。
キンシコウの調査で秦嶺山脈の麓にある玉皇廟村をベースにして山に入っていた。村から離れた処に土葬のお墓があった(図1)。ここまで遺体を棺桶に入れて運んできたのだ。でも、こんなものだとイノシシなどが掘り起こさないか心配であるが、重い石を置いているので、大丈夫なのだろう。お墓に大きな石を乗せるのは野生動物に掘り起こされるのを防ぐためなんだっとこの時思った。
図1.玉皇廟村の里山にあるお墓
クロアチアの首都のザクレブで公園のようになったお墓を歩いた。どのお墓も大きな石が置かれていた。しかし、ぼくにはどうにもこの石の下には棺桶がありその中に死んだ人が横たわっているっとしか思えなかった。
図1.ザクレブのお墓
インドのベナレスに行く前は、ぼくもインドの人たちと同じようにガンジス川で口を漱ぎ、沐浴をしようと思っていた。が、岸辺で死人を焼き、翌朝になってもまだ燻っている異様な臭いと、うろつく野良犬とそれらの半焼けの骨などをガンジスに捨てる光景を見て、とても沐浴する気など失せてしまった。それは水葬で若い男がまるで水草に乗っているかのように流れて行くのを見たせいかもしれない。
図2.ガンジス川の水葬
父親が2001年3月に亡くなってから、その遺灰を、メコン川、モルダウ川、黄河、ナイル川、スリランカのマハ・オヤ川、ガンジス川に撒いた。何故か自分がその土地の水とともに海に流れて行くように感じ、さらに撒いた灰を魚たちが寄ってきてバシャバシャ食べる様子を見て、仏教の輪廻思想が生まれるのも判ったような気がした。
図3.ガンジスで両親遺灰を撒く
ぼくは骨はほとんど気味悪いとも恐ろしいとも思ない。枕元に置いて眺めている。しかし、干からびた状態でも肉が付いたものは嫌だ。ぼくは死んだら火葬してもらってできる限り骨は細かくして草花や野菜の骨粉として利用してもらいたいと思っている。90歳くらいで火葬した骨は崩して粉々にするとマグカップ一杯くらいもないだろう。

2023年2月9日木曜日

蕗の薹の酢味噌和え  Boiled buds of Japanese butterbur with vinegar and miso.

昨日またNKさんからフキノトウや柑橘類をもらった。フキノトウは洗って回りの葉を取り、その葉を茹でて酢味噌和えにした(図1)。美味い!フキノトウは天麩羅が一番だが、甘い蕗味噌よりもぼくはさらに春の苦みが感じる酢味噌和えが好きだ。ウィスキーの肴としてぼく一人で食べてしまった。連れ合いは天麩羅や蕗味噌なら苦くはないが、酢味噌和えは苦すぎると云う。
図1. フキノトウの酢味噌和え

 先ほど、庭に出た。ピンク色の花の沈丁花の花が2輪咲いている。白梅の花もだいぶ開いた(図2)。

図2.庭の白梅
岸田内閣を含む自民党はLGBTの人たちに対しては旧統一教会の考えを持っている。同性愛嗜好は信長が森蘭丸との話しは有名であったし、江戸時代にも浮世絵ではホモ・レズを描いたものが当たり前であった。しかし、明治になって欧米のキリスト教を含む思想が入ってくると、家の姓は男系となり嫁いだ女性も夫の姓になった。今でも当たり前のように中国でもアフリカでも結婚しても女子は前の姓を名乗る。日本が結婚後も男女別々の姓を名乗っていたのが明治以降に変わったのだ。
そして、ニホンザルやチンパンジーではホモ・レズは当たり前だ。それでもサルからヒトへと進化してきたので。LGBTの仲間が「近所にいた」からこそ「生産力があった」のだ!とも云える。

2023年2月8日水曜日

PC早くも戻る!   PC back early!

 昨日は朝9時半に妙蓮寺駅から歩いて10数分の丘の上にある葬儀場に連れ合いと出かけた。学生の頃世話になった友人の母親が97歳で亡くなった。お昼を参列者で横浜で食べて2時過ぎに帰宅するとぼくがPCを梱包した段ボール箱があった。エ!っと思って見たらEpson Directからだ。修理ができずに送り返されたのか?っと思い箱を開ける。ぼくが梱包した状態のPCの上に納品書兼修理ご報告書と書かれたA4用紙がある。見ると修理が完了したとある。

ぼくとしてはとても信じられない。4日の15時半頃クロネコがやってきてPCを持って行ってくれた。それが7日の14時にはもう修理されて戻ってきたのだ。マザーボードを交換したとある。早速、着替えて接続して立ち上げた。前と出てくる画面や入っているソフトも変わっていない。PCのHDは初期化されなかったのだ。こちらの不具合状況の説明でマザーボードの故障と考えられ交換したとある。

修理されて戻ってきたら丸1日掛かってソフトのインストールに費やさなけれならないと思っていたのだ、4日に出して7日に戻った事と、フォーマットされずにそのまま戻ってきたことで大感激だ。しかも、輸送費から部品交換代も無料だ。もっともPCをエプソンダイレクトから買う時に「6年お預かり修理」として1万円を余分に払っていた。ちょうど今年の9月で6年目に当たる。

今、サクサクと気持ち良くタイプしている。修理に出して良かった!

2023年2月6日月曜日

高取山の4個のテン糞の内容物   Contents of four marten scats in Mt.Takatori

 2月1日の仏果山登山口から高取山までの往復に見つけ拾ってきたテン糞は4個であった。テン糞①と②は10メートルも離れていないところで見つけ、さらに③と④も近いところで見つけた。恐らく①と②、③と④は同一個体のものと思われる。③は5個の糞がほぼ固まってあり、タヌキならば溜め糞の状態である。

①②の個体と③④の個体は別個体であると考えられる。それは①②の糞の方が③④の糞よりも直径が小さいという印象を受けた。

さて、食べている物、糞の内容物は冬季の彼らの果実であるキブシがどの糞にも含まれていた。さらにオオウラジロノキの大きな飴玉くらいの果実を食べている。これらの実は林床に落ちたものであろう。さらにケンポナシの果実も木の枝から落ちたものだろう。相変わらずカマドウマやムカデを食べているが、これらの節足動物は枯れ葉を掻き分けて見つけたものではなくテンが潜り込めるような斜面の穴や木の洞穴で漁ったものだろう。

久しぶりにキブシやケンポナシの種子やマタタビ(サルナシの種子よりも少し小さい)を見つけた時は感激するほど嬉しいものだ。

図1.テン糞1
キブシ種子、オオウラジロノキ果肉付き果皮・種子、植物細片
図2.テン糞2
キブシ種子、オオウラジロノキ果肉付き果皮、植物細片
図3.テン糞3
マタタビ種子、ケンポナシ果柄・種子、オオウラジロノキ果肉付き果皮、直翅目産卵管、ムカデ外皮3匹分、昆虫外皮・脚、カマドウマ脚
図4.テン糞4
キブシ種子、植物細片、カマドウマ脚・外皮、砂・小石

図5.歩いたGPSの軌跡とテン糞①~④の位置

PCを修理に出したのが2月4日午後15時半頃クロネコが取りに来て、運んでくれた。先ほど「修理状況紹介」にアクセスしたら、「ただいま診断中」となっていた。連れ合いのノートパソコンを借りている。山に持って行くスマホでも見られるがぼくは指一本で打つスマホは苦手だ。

2023年2月3日金曜日

パソコンの修理  Repair of PC

 昨日夕方もらった蕗の薹(図1)と蕗味噌であった。NKさんが借りている畑の周りは休耕地や庭木などの木々の仮植え場所になっており、フキノトウやナズナ、ノビルやツクシも出ている。どれも春の山菜として一度は味わいたい山菜である。フキノトウやナズナは苦いのが良い。

昨夕はもらった蕗味噌を味わい、フキノトウは紙袋に包んで冷蔵庫に容れたので、今夕こそ天麩羅で食べたい。

図1.もらったフキノトウ
とうとうPC本体を修理に出すことにした。明日、業者が来て運んでくれる。電話で修理を頼もうと思ったが混んでるようなのでWeb修理依頼をした。買った時に6年間の修理保証があった。今年の9月で6年目になるので、昨年秋頃からPCの調子がオカシカッタが引き延ばしていたのだ。途中でシャットダウンがあったり、ファンの異常音が度々するようになったので修理に出すことに決めたのだ。外枠を外してファンの塵を払うのも面倒だし、交換するのも自分では大変だ。さらに内部の方が問題だと思うので思い切って修理に出すことにした。
これまでPCは何台買ったか記憶が定かではない。最初はMS-DOSのヤツで3.5インチのフロピーディスクを挿入することができるPCが発売された時に買った。プリンターを含めて4,50万円位したと思う。NECの製品だった。買ったは良いが全く使い物にならないただのブラウン管の箱だった。小学校1年だった娘が音を鳴らしたりしてプログラムを作って遊んでいた。英語論文をタイプライターで打っていたので、WordStarが出た時は感激したものだ。自分でプログラム作成をしなくてもWSが英語を打ってくれるし打ち間違えても戻って消して打ち直す事もでき、さらに驚いたのが単語やセンテンスをコピーして好きな箇所に張り付けることができるのが何よりも感激だった。タイプライターで打ち間違えるとそこに白インクで消して再度打つ。コピーなど無論不可能だ。
何時だったか覚えていないが、e-mailができるようになり、ニフティのフォーラムに加わり、offで上野公園に集まったり、食事会をして楽しかった。今でもこのフォーラムの仲間の一人と年賀状の遣り取りをしている。当時は若かったので、ラップトップのPCとプリンターを持ってアフリカにも行った。このラップトップを記念に持っていたが昨年捨てた。
っと今思い出した。ラップトップPCは3年間アフリカで使ったが全く故障などしなかった。1996年に帰国したら、友人たちからもうPCはMS-DOSの世界ではなくWindowsだと云われ、家に会ったデスクトップも持ち帰ったラップトップも使い物にならなくなった。

2023年2月2日木曜日

風が強く冷たい高取山 続     Windy and cold Mt.Takatori, cont.

 テン糞を久しぶりに見て気持ちが高揚し、少し元気が湧いて感じである。おー、またテン糞だ!小さな種子が浮き出ている。テン糞を拾ってダイソウで買った小さなビニールのチャック袋に容れて、もうすぐ宮ヶ瀬越の看板が見える直線コースへ出ると思うところで上から中年夫婦を思われる二人が下りてきて男性は山側の木に摑まって道を開けてくれ、「ゆっくりで良いですよ!」といたわりの声を掛けてくれる。ぼくはゼイゼイ荒く息を吐きながら彼らの横を通りすぎる。何だか、横断歩道で車が止まってくれたので急いで歩いているようだ。ぼくは相当な老人と思われた訳だ。

図1.10:04 テン糞2
ん?どうしてこんなにもたくさんのミヤマシキミの小枝が散らばっているのだ(図2)?小枝を取って枝先を見るがナイフのようなもので切り取られた訳ではない。上方にはミヤマシキミがあり、枝先が無い(図3)。シカかカモシカの仕業だ!でも、食べないでただ噛み落としただけだ。こんな事をするのはサルか?イヤ切り口?がザラザラだからやはりシカかカモシカだ!
図2.10:18 ミヤマシキミの小枝が登山道の上にも散在
図3. ミヤマシキミの枝先が摘み取られている
おー、宮ヶ瀬越だ!道標が見える(図4)。左に折れて高取山へ向かう。また、テン糞3だ(図5)。
図4. 10:18 宮ヶ瀬越
図5. 10:24 テン糞3
流石に稜線はさらに風が強い。道標(図6)を過ぎて登っていくと高取山方面からぼくくらいの歳の人が下りてきた。ニコニコ顔で「風が強いですねぇー。大棚沢の方から登ってきたのですね。車を停められましたか?バスですか?自分はダムの方に車を置いて登ってきたが、向こうへ下るのは急なので、、、。気を付けて!」と元気だ!ぼくは「お互い気を付けましょう!」と云ったら「そうですね!」とニコニコして下りて行った。
図6.10:26 
ニコニコおじさんと別れてすぐ高取山まで50メートルの道標だ。山頂の休み台にガスストーブでお湯を沸かしている登山者が一人いた。登りで2番目にぼくを追い越して行った人だ。ぼくがカメラをセットして走って高取山道標までドタドタと走ったものだから休み台の登山者は何事か?っと思ってこちらを見て、笑っていた。
図7.10:44 高取山までの最後の道標
図8.10:46 山頂で笑われた
すぐ、展望台に登り、蛭ヶ岳、大山を遠望する。標高1000メートル以上は雪で覆われている大山北尾根歩きにはアイゼンが必要だ。宮が瀬湖を見下ろす。すると展望台の下に登山者が一人やってきた。ぼくを登りで最初に追い越していった人だ。
図9.10:50 蛭ヶ岳
図10. 大山
図11. 宮が瀬湖
下に降りてぼくを追い越して行った人に話しかける。仏果山の帰りだ。早い!展望台を登っていった。ぼくは、展望台に登っていった登山者に下りも追い抜かれる屈辱を味わいたくないので、急いで下る。宮ヶ瀬越の手前でテン糞4だ(図13)。宮ヶ瀬越からの急な道を下っていくと下から二人の登山者が登ってくる。え?向こうが立ち止めってぼくを待っている。大変!さらに急がなくてはならない。また、登山者が登ってくる。今度はぼくが待つ。マスクをした同年配か上の人だ。クマ避けの鈴を鳴らし、ラジオまで流している。屋外でこんなに風が強いのにマスクをしているなんてっと思うが、冷たい風で唇が荒れるのを防ぐだろう。また、寒さ避けにもなるかな?
図12. 10:54 展望台に登る登山者と休み台の登山者
図13. 11:13 テン糞4
休み台のところで、ザックを下ろして裏へ回りまた小便だ。そして戻ってきてスポーツドリンク。若い単独行の人がこんにちはと云って通り過ぎる。こんな天気なのに随分登山者が多い。
図14. 11:33 休み台を過ぎる
登山口近くまで下りて来て、後ろを振り返ったら登山者が駆けるように下りてくる。宮ケ瀬湖の湖面に陽が射しキラキラ湖面が輝いている(図15)。車に着くが、キーが見当たらないので探していたら駆け下りて来た若者がぼくの隣の車のトランクを開け、下着を取り換え、衣類を着替えて出ていった。え?これから会社
図15. 12:21 眩しい湖面
GPSでは7.9キロを4時間37分で歩いたことになる。拾ってきたテン糞は温かい日のお昼頃にでも洗おう。久しぶりの山歩きなので帰ってからすぐ風呂に入ったが、その後も今朝も膝が痛いし、太腿や脹脛が痛い。膝が痛いので階段も手すりにつかまりそろりそろりだ。

先ほど、いつも野菜をもらうNKさんの奥さんがフキノトウをたくさん持ってきてくれる。ヤッタね!もう蕗の薹が出ているんだ。今夕は天麩羅と酢味噌和えで一杯かな!

2023年2月1日水曜日

風が強く冷たい高取山    Windy and cold Mt.Takatori

 家を出たのが6時20分くらい。もう、渋滞を覚悟したが、山へ行きたい気持ちが勝った。初めの目的地は早戸川の国際マス釣り場を過ぎた処で車を置き、早戸川に沿って林道を歩き、造林小屋までであった。でも車を運転しながら目的地は造林小屋から伊勢沢林道を歩いて焼小屋沢左岸の尾根に変わった。しかし、大棚沢駐車場の処に来て、駐車場を見て、そこに左折して入ってしまった。しばらくこの駐車場は一般車は止められなかったのだ。もう、決めた仏果山まで歩こう。

図1.8:10 登山道口から0.5キロきた道標
風が強い。耳が冷たい。耳掛けが欲しいくらいだ。ジグザグに上る。
図2.8:24 お社だ。飲みかけたワンカップ清酒に、10円や1円のお賽銭がある。
このお社から杉林を登っていこうかと迷う。今日は仏果山までは行かず、高取山までとする。Geographicaを見る。ピークまではすぐなので、このピークまで行ってみよう!
しかし、登り口を探している内に登山口から1キロの道標(図3)のところまで来てしまった。もう、ここから登らざるを得ない。
図3.8:33 登山口から1キロの道標
図4.宮ヶ瀬越まではここを行く
図5.トラロープで立ち入り禁止だが、、
図6.8:36 エ?巻き道がある。
トラロープを潜って仕事道を行くと、下に向かう巻き道がある(図6)。どこに行くのだろう。ヒルが出てくる前に歩いてみたい。向こうに宮が瀬湖が見える(図7)。
図7.向こうにダム湖が見える。
頂上を巻くようにこの仕事道は作られている。直接ピークに向かった方が楽だったかな?っとも思う。以前、学生を連れてバス道路から登ってきたこともあったのだ。尾根に出る。カモシカ糞がある(図8)。このところ、カモシカ糞を見つけてもカモシカそのものに遇えてない。シカの個体数調節のためにハンターが入っていることが長年続いているので、カモシカも警戒心が強くなって、以前のようにノホホンと人前には姿を見せなくなった。もしかしたら、カモシカが間違えられて撃たれているかな?
図8. 8:49 カモシカ糞 
図9.8:50 尾根を歩いてピークへ
図10. 8:51 地図には載っていないが、小ピークだ!
490ピークはなだらかな丘と云う感じだ。風が強いのでここで水だけ飲んで食事するのを諦める。
図11. 8:54 ピーク490だ!
ピークで自撮りした後、手頃な丸太があったのでそれに座ってスパッツを付ける。スパッツを付けるのに7分かかった。前屈や脹脛のストレッチをしているので少し屈めるようになった。風が強く寒いので、ザックの中にある羽毛服を着ようかどうか迷う。このピークは図16のGPSの軌跡で分かりますね。
図12. 8:56 ピークで自撮りだ!
図13. ピークから尾根を下って登山道に出る
登山道を登っていると後ろから人の気配がする。振り向くと10メートル位下方に単独行の人がどんどん登ってくる。道を譲る。彼の後を追うように着いて歩きたいが、みるみる姿が消える。休み台があるところにきたので、ここでザックを下ろして裏へ回り、小便だ。戻ってきてスポーツドリンクを飲みながら餡パンを食べる。で、また自撮りだ(図14)!実は愛用していたSONYのデジカメが使えなくなったで、このLUMIXのカメラの中古をアマゾンで買ったのだ。NIKONのカメラは重いのでぼくの山歩きには向いていない。で、いろいろ試している。
図14. 9:40 休み台が
「植生保護のため登山道以外は歩かないで下さい」との標識がある。また、下から人の気配がするので、見下ろすと登山者が一人登ってくる。へー、仏果山・高取山は人気がある山なんだと思って、道を譲る。っとテン糞1だ! 久しぶりのテン糞を見つけたので嬉しい。これ以降、さらにテン糞を拾うことになる。
図15. 9:58 テン糞1
図16. 歩いたGPSの軌跡