「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2018年1月31日水曜日

小さな真鍋島 Very small the Manabe island 

帰る日の朝、寝ながら本を読んでいたら、同部屋のHさんが6時にトイレに起きたので布団から出て、着替えて階下に降りる。朝食は8時ということなので、少し明るくなってきたので、山の神に行ってみることにする(下の電子国土に作図した地図参照)。
三虎から峠に出て、山の神までと山の神から本浦までは推定ルート

三虎の裏の斜面の幅1メートルもない狭い道を登り、稜線に出たので、昨日行った城跡とは逆の方向へ向かう。先日アップしたイノシシ檻があり、畑があったりする。
踏み分け道が続く。しかし、山道に慣れない人にとってはどれが道か判らないだろう。
7:09 イノシシ檻
全く整備されていないが、地図を見てルートを頭に入れていたので稜線上を歩く。
おー、お地蔵さんたちだ。ここでやはり良いのだと安心する。
7:21 地蔵菩薩たち
が、ひどい倒木が進むべき方向を塞いでいる。しかもこの倒木後だれもここを通った人はいないようだ。意を決して、枝を掻き分けて進む。が、すぐ2メートルを超すカヤバだ。ここで諦めようと思ったが、腰を低めてカヤを両手で掻き分けて進む。幅7、8メートルのカヤバだった。
7:24 ひどい倒木だ!

7:25 潜ってきたカヤバ
ミカンが生っている。帰りに1個もらっていこうと思う。
7:26 ミカンがなっていた
おー、道だ!踏み分け道がしっかり着いている。右に行く方の道をとる。
7:27 登り口のようだ
階段状になっていたりして、山頂に辿り着く。
7:33 山の神(阿弥陀山)の説明(クリックして拡大)

7:33 山の神さまの辺りはまだ薄暗いので休まずに一回りしただけだ。

7:33 山の神を後にする
山の神を登った道を降りて、この入り口まで来た。ミカンを1個もらって、カヤバに突入したが何だか来たときと雰囲気が違う。入り口まで戻ってはカヤバに突入するが、来た方向が分からない。
7:38 入り口には左に行くと遍路道とある
踏み分け道を見つけたので、それを下ることにする。石畳になっていたりするので、安心して下る。間もなく、本浦の家並みが見えてきた。 
7:47 本浦の家々が見えた
民家の横を通って三虎まで山越えする道がある方向へ歩いていると、野菜を背負った婦人がやってきたので、聞く。港まで出た方が良いと港までの道を案内してくれる。
7:50 小中学校がある。
7:54 港がある広い通りに出る。車がある!
この港に面した広い道を歩いていると間もなく、民家の壁に三虎へという道標がある。
それに従っていくとすぐ、巾1メートルくらいのコンクリートの道だ。
汗も出ず、すぐ峠に辿り着く。
今日は、曇りのようだ朝日が雲に隠れている。
8:01 峠を越えて三虎だ!
まだ、朝食は始まっていなかった。
思っていた以上に小さな島であった。山越えも10分もあればできるだろう。
たっぷりの朝食を完食し、砂浜を散策したり、峠に登ったりして帰りの船が出るまで時間を潰す。
帰路の新幹線は空いており、福山から3人掛けの椅子を回して5人一緒に座ることができた。
関ケ原は往きと同じように又も雪で徐行運転だった。楽しい二日間は終わった。

2018年1月30日火曜日

真鍋水軍の島 The Island of the Manabe Navy.

27日(土)、笠岡港からチャーター便に乗って直接、真鍋島の島宿の三虎に向かう。
すごいスピードだ!
13:51 仲間の子供を含む15名が船に乗る
ネットで見たそのままだ!宿の前に浮き桟橋が作られている。
14:24 着いた
乗ってきた船を振り返る。大きな船が、、、

夕食までまだ時間があるので、本浦の方まで山越えして行くことにする。
峠に着いて、ぼくとIさんとで城跡に行くことになり、皆と別れる。
15:21 ん?城跡だ。
本屋大賞の「村上海賊の娘」を文庫本で読んでいたので、この場所は村上海賊(水軍)が華やかりし時に活躍した真鍋水軍の城跡に来ていることに気が付く。実は、下の史跡の説明を読まなければ全く何も気が付かなかったのだ。
真鍋島で宴会をやると知った時は、場所を電子国土で見ただけで、島の歴史も調べてもみなかったのだ。ただ、食べきれない程の刺身や魚料理を食べて呑むということだけでやってきたのだ。夕食時にまるで「村上海賊の娘」を彷彿させるようなスタイルの良い女将からの話しを聞いて、歴史を調べてこなかったことを少し悔んだ。
史跡説明の看板だ
15:29 山稜部分は平坦なので畑がみられる
15:45 山頂に着く ここで海上の見張りをしたのだ!
山頂から、島宿の三虎の浮き桟橋が見える
本土の笠岡かな? 
島宿の三虎に戻り、呑む前に野天風呂に入る。塩水の風呂とのことで、確かにショッパイ。穏やかな暮れた海を見ながら思う。冷たいビールを、、、。

2018年1月29日月曜日

島の砂浜に動物の足跡  Mammal foot print on the sandy beach in Manabe island.

28日の朝食後、笠岡行きの船が11時に出るというので、それまで海岸を散歩した。
ジョウビタキが飛び回っている。
ジョウビタキの背中

この真鍋島のヒト以外の哺乳類は、イヌやネコとさらにイタチと最近渡ってきたイノシシがいるらしい。早朝に「山の神」まで散歩した時に、イノシシを捕るための檻が山稜の少し平坦なところに仕掛けられ、
餌としてフスマの粉が撒かれていた。
イノシシ捕獲用の落とし戸の檻

ん?砂浜に足跡だある。これはイヌの足跡だ!小型犬ではなく中型犬だ。 
爪の跡がはっきりあるイヌの足跡

ん?これもイヌ?イヤこれは爪の跡が無いのでネコだ!
爪跡がないネコの足跡

すぐ、砂浜が途絶えて岩場になったので、戻ることにする。 

この島の南にある砂浜には三虎という宿が一つあるだけだ。島の中心は山稜を越えた北側にある本浦だ。早朝、山の神まで歩いた時、帰路2メートルを超えるカヤバで道を失い。本浦に下りた。
桟橋の正面が泊まった本館
船が出る11時までは1時間あるので、山稜まで登る。5,6分だ!
エンジン音が聞こえてきたので、北の海を見ると本浦港に船が近づいている。
海の向こうは岡山県、しかし、見えるのは北木島だ!
小雨が降ってきたので、戻ることにする。この雨が雪になる。
本浦から城跡・山の神の山稜にある地蔵菩薩。
三虎と本浦を結ぶ峠でもあるので、道祖神でもあるのかな?

カラスも内臓から食べる! Crow eats from intestines/entrails like carnivora, too.

27日、家を出て新横浜から岡山まで「のぞみ」で行き、山陽本線に乗り換えて笠岡に行く。笠岡で友人・知人たちとお昼のラーメンを食べた後、真鍋島まで行くための船着き場まで歩いていると、カラスたちが白いハトを襲い、地面にハトとともに落ちてきた。
車が来て、カラスが逃げたのでハトを拾って見ると、内臓がほとんど食べられている。
食肉目の哺乳類は、獲物の内臓から食べるのは、襲われて食べられた動物の死骸からも判るが、カラスも生きたハトを殺して食べるのは先ず内臓からなんだ。
この殺された白いハトは目立つためにカラスたちに狙われたのだろう。

2018年1月27日土曜日

真鍋島で宴会


タンザニア時代の人達と瀬戸内海の真鍋島の島宿「三虎」で宴会

2018年1月25日木曜日

タヌキやテンはサルとほぼ同じ物を空間的・時間的に棲み分けて食べていた。 Racoon dogs and martens ate the alomost same foods as macaques separating spatially and temporally in this season.

24日に広沢寺温泉駐車場から鐘ヶ嶽、山ノ神隧道と歩いてきた。
タヌキ糞やテン糞は鐘ヶ嶽から山ノ神隧道間で見つけた。サル糞は新大平橋で見つけた。
9:15 タヌキ糞①:
マメガキDiospyros lotus種子、ケンポナシHovenia dulcis種子果皮果柄多数、サルナシActinidia arguta種子

10:32 テン糞①
マメガキ種子果肉果皮

10:36 タヌキ糞②
ギンナンGinkgo biloba、マメガキ種子果肉果皮

10:40 テン糞②
ケンポナシ種子果皮果柄

11:28 サル糞
サルナシ種子果肉果皮、マメガキ種子、キブシStachyurus praecox種子

表:タヌキ、テン、サルの糞内容物
今回、テンやタヌキの糞は合わせて4個しか見つけられなかったので、サル糞も拾ってきた。ニホンザルは厳冬季は樹皮や冬芽食いが主だが、1月の山はまだまだ木の実が木についており、そのためマメガキやサルナシ、キブシの果実食いとなったのだ。決して林床に落ちた果実をタヌキのように拾い食いしたものではない。そういう意味でサルとテンは採食場を巡って争うようにも思えるが、サルは明るい時に採食し、テンは暗くなってから動き回るので競合することはないだろう。
タヌキは落下した果実を食べ、テンは夜に木に登って果実を食べ、サルは昼間に食べるので、タヌキは他の2者とは空間的に棲み分け、テンとサルは時間的に棲み分けいると云える。

GPSのルートとカメラ  The root of GPS & Camera

今朝は我家の庭の睡蓮鉢に初氷が張った。今冬一番の寒さだ!
昨日拾ってきたタヌキ糞やテン糞を庭の水道栓でとても洗う気になれない。昼過ぎには温かくなるだろう。先日の雪やこの寒さでも開花している梅の花が増えている。
梅の開花を促すのは、気温ではなくて日照時間の長さかな?

昨日、広沢寺温泉の駐車場から浅間神社の入り口から参道を通って、神社まで行き、
さらに、鐘ヶ嶽に登り、再び、駐車場まで戻った。
そのルートを、GPS Trip Recorder 747ProのPhto TagerのGoogle mapで表示されたものが下の航空写真である。カメラのマークはぼくが写真を撮った地点である。
上の軌跡をカシミール3Dを用いて国土地理院の電子国土に落としたものが下の地図である。写真を撮った地点はウェイポイントの赤い頭で示されている。

GPSを持って歩くようになってから、迷うことを恐れなくなった。帰宅してパソコンとGPSをつなぎ、軌跡を見る事で迷った場所を特定することができるからだ。
GPSを持ち歩いて、注意していることは、1)出発地点に着いたら、すぐGPSをONにする。2)戻ったらすぐOFFにする。3)カメラの時刻を1ヶ月に1度パソコンに合わせる。

GPSを持って歩いていると、写真を撮った場所が特定できるのは非常にありがたい。

2018年1月24日水曜日

雪に覆われた鐘ヶ嶽  Mt.Kanegatake was covered with snow.

今日は、広沢寺温泉の駐車場に車を置いて、鐘ヶ嶽まで行ってきた。
朝早いと路上が凍結していると危ないので、いつもよりも1時間くらい遅れて6時半頃家を出た。車が通る道路は雪は無かったが、広沢寺温泉の無料駐車場は30センチくらいの雪で埋まっていた。車が一台既に置かれているので、ぼくも車を雪の上に乗り上げた。奥まで乗り入れようと思ったが、帰りに出られなくと思い、途中でバックにして1メートル程戻り、再び、1メートル程突っ込んで車を停めた。

浅間神社への登り口の階段の上にも雪が積もっている。氷さえ踏まなければ一歩一歩登ることができる。
シカ柵のゲートを開けて、入ったが、ゲートの扉が曲がっているようでなかなか閉めることができなかった。陽が当たる場所は雪が溶けて無い。しかし、大抵は10センチくらいの雪がある。
8:35 雪の登り道
シカのメスグループの足跡や道を横断する足跡が多数ある。
それらを確かめながら写真に撮りながら登る。
8:36 シカの足跡
見晴らしの良い所にきた。鐘ヶ嶽へ上るこの浅間神社へのルートで一番気持ちの良いところである。しかし、今日は冷たく強い風が吹く。耳掛けが欲しいくらいだ。
紺碧の空の中に大山山頂がある。大山ももちろん雪で覆われている。
尾根や稜線は木で縁取られている。
9:02 大山山頂の アンテナが見える。
南東の方には江の島が浮かんで見える。
江の島や房総半島が見える
まもなく、左側の道下沿いに、やまぼうしさんが雪が降る前にアップしていた石切の痕とタヌキのタメ糞(橙色の線で囲った部分)だ!
9:13 石切り場跡とタヌキのタメ糞
昨日、単独行の人が上から降りてきている。
9:43 6本爪のアイゼンをつけて一人が下っている。昨日の跡だろう。
最後の階段を登って浅間神社だ。ここでも、帽子、手袋を取り外して、鈴を鳴らし、お賽銭をちょっぴり放り込み、柏手を打って「山の安全」を祈る。
9:47 浅間神社着
境内の陽が当たっていて東京スカイツリーなどが見える場所に座り、コンビニで買ってきたアメリカンドックを食べ、サーモの熱いウーロン茶を飲む。
今日は風が冷たいので、食べ終えるとすぐ上の山頂を目指す。 
10:07 鐘ヶ嶽山頂だ。どうも、背が丸くなっている。胸を張らなくては!
もう、この辺りは陽が当たるところも雪が積もっている。
家を出るときに既にスパッツを付けているので、雪が膝までこようが、おちゃのこさいさいで、楽しいくらいだ!
10:11 単独行の人の足跡が続いてある。
稜線の鞍部になると、強風で雪が飛ぶのと陽が半日以上当たるので、雪が無い。
ここで、タヌキ糞とテン糞を見つける。
10:42 雪のない鞍部
杉林の中の下りの道を通らないで、トイレがあるところに下るジグザクの鎖場の道を通る。
11:02 簡易トイレがある広場は30センチ以上の雪、足跡はぼくのもの!
林道は雪で覆われており、結構歩きづらい。雪道を下る。 昨日、不動尻を行き来した足跡が数条付いている。
11:40 ゲートのところまでも3、40センチの雪
水汲みの車がとまる場所を過ぎると、道を塞ぐ倒木だ。
11:17 舗装された林道を塞ぐ倒木
流石に、車は入って来ていない。それでも新大平橋近くまでは車の轍の跡があった。
11:28 新大平橋 ここには新しいサル糞がいくつもあった。一つをゲット!
駐車場から歩いて戻ってくるまで、GPS上の距離は8.6キロ、4時間であった。