「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年4月4日土曜日

釧路湿原

今朝、好天気だったので、お袋と兄貴の嫁さんと3人で釧路湿原を見渡せる展望台に行ってきた。
下は、細岡展望台からの釧路湿原、遠くの白い山並みは雌阿寒岳。
残雪はまったく見えないが、日陰には雪が残る。
湿原の中を流れる川で、釣り人が二人。
細岡展望台から塘路のサルルン展望台へ向かう途中。
メスジカが轢き殺されている。これを撮った後、歩道にあげる。
「史夫さん、どうするの?」と兄貴の嫁さんから尋ねられるが、ここで、頭をちょん切ることもできない。
条件が悪過ぎる。しかし、エゾジカの頭骨はもってない。頭は大丈夫のようだ。ナイフも持ってきていないので諦める。
サルルン展望台に兄貴の嫁さんと登る。
シカ道が縦横に走る。
シカの食痕だ。下顎の第一切歯の2本の跡が轍のようにはっきり残る。

2009年4月2日木曜日

ハエが!

残雪も融けて、湿った枯葉が見えてきたなかの日向に!
フクジュソウがポツポツ咲いている。
小さな小さな太陽が地面にもあるようだ。 現場で写真を撮ってる時には、気がつかなかった。
ハエが休んでいる。
この花の中は、日向の日溜まりの中で温かく、ストーブにあたっているようなものなのだろう。
釧路の春も確実に近づいている。

2009年4月1日水曜日

クーちゃんの釧路川

午後4時過ぎに妹とクーちゃんを見にいった。
川縁の有料駐車場210円に車を置いて、人の動きを確かめる。
いるようだ。人だかりがしている。

幣舞橋の欄干から川面を見下ろす。 真下にいた。愛嬌たっぷりに何度も潜ってはホッキ貝やツブ貝を2、3個抱えてきて、両手で叩いてわる。このような動物の前では見知らぬ人たちの間でも「可愛いい!こちらで写真撮ると良いですよ!」と云い合っている。動物出現がこんなにも人々の間を和やかにするものかと驚くと同時に、丹沢のサルやシカ、クマ、タヌキもこのように愛される時がきて欲しいと思う。
まるで、橋の上の観客に演技をするかのようにさまざまなポーズをしてみせてくれる。
ヘソがあり、さらに睾丸があるのをはっきり確認だ。この鰭足の大きさにびっくり!
尻尾が別の生き物のように動く。
1日に何キロの貝を食べるのだろう。30分くらいでバケツいっぱいくらいの貝は食べたことだろう。

夕日が眩しい。寒くなってきたので、帰ることにする。いつまでクーちゃんがこの釧路川にいてくれるのか、、、。明治の頃は、集団でラッコがいたようだ。せめて、メスと子供がいたら、どんなに楽しいだろうか?漁業関係者は困るかな?

まだ冬の釧路

今朝、釧路にやってきた。
雪がちらちら降る中をバスが走る。
マフラーと手袋を持ってきて良かった。
家について、お袋の補聴器の電池を入れ替え
お茶を飲んで一息だ。
5日までこちらにいることになる。

2009年3月31日火曜日

鹿解体沢!

朝、5時に家を出る。今日は、やまぼうしさんに教えてもらったシカの死骸を拾いに行く。
これが、その現場。狩猟後、ここで解体したようだ。上顎と四脚と肋骨つきの肉を取り、脊椎と寛骨だけは用無しで捨てたのだ。
下顎はあるので、上顎を捜したら、3、4メートル上にあったが、角だけを持っていったようだ。
そんな解体作業をやっている現場は凄惨な様子が窺える。
下顎などは後で持ってかえろうと、岩の上にのせて、上流へ向う。
50メートルも歩かない内に再び、シカの解体痕。
これをみて、この沢に他にいくつシカの解体作業をした痕があるか、調べようと思う。
何故か、下顎だけ。
次から次と、シカを解体して、背骨や骨盤と壊れた頭骨を残した現場にぶつかる。頭蓋が破壊されているので、角を頭骨を叩き割ってもっていったようだ。
この沢だけでなんと9箇所、解体作業を行った現場跡があった。
沢を詰めていき、最後は、斜面の木の根などを手掛かりに三点確保で登る、緊張もあって汗だくだ。
見覚えのある尾根道を辿っていくと、丹沢山への登山道にでた。
この沢をシカカイタイ沢と名付けたい。
結局、骨の一欠けらも持ってこなかった。10年くらい前の5月に学生とこの沢でシカの骨をいくつか拾ったことがあったが、この沢は、猟期になると、シカを勢子で追い込んで撃つ場所なのだ。
綺麗な花を幾つか撮る。

2009年3月30日月曜日

このマユの餓は?

先日、伊勢沢林道で見つけた繭?
これとほぼ同じものをもう一つ2月に見つけましたが、それは中の蛹が空の状態でした。
これは、蛹が入っています。
でも、死んでいるのか、軽すぎるのです。また、このように蛹を包むべき枯れ葉が取れております。
もう、死んでいるのかな?
この餓は誰なのだろう。繭の長径が55ミリもあります。大きな餓のようです。
下の写真が、2月に伊勢沢で見つけたものです。繭の中の蛹が半分になって空でした。

2009年3月28日土曜日

足踏み?

境川沿いにある、サクラを見に行った。
10本くらいある木のなかで、この木のこの枝だけが開いていた。
桃色に膨らんだ蕾が、辺りの雰囲気を淡いものにしている。
視線に気が着いて、サイクリング道路の下をみると、土管の中にネコ君が、、、。
何か、凄い不満気な目でぼくを見ている。
ネコキチのことを思い出した。
正月に帰省してから、もう、3ヶ月ちかくも姿を現さない。
「お前、良いねぐらを見つけたね」っと声をかけたが、人間不信の目付きだ。太っているので、妊娠中か。

2009年3月27日金曜日

反省!

カバノキ科ハンノキ属  ユキノシタ科ネコノメソウ属
写真では、絵合わせだけであって、同定できない。区別するポイントを幾つかおさえて、それらを記録してこなければならない。植物なら、葉は対生か、互生か、鋸歯の状態、毛の有無、花が咲いているなら、、、、、

isa隊員は虫眼鏡を取り出して、細かに見ている。

この頃のぼくは、双眼鏡もザックに容れたまま、フィールドノートに記録もつけなくなってきている。

と、反省だ。

2009年3月26日木曜日

これは何のフィールドサイン?

ミヤマシキミ(ミカン科)は葉も実も猛毒ということだが、、、、
カモシカかシカには良く食べられる。
ここ東丹沢では、カモシカとシカが棲み分けしていない。
右の山側に積もった、落ち葉や土砂の中をかき回したのは誰?
これは、何?
石を払いのけて、直径7、8センチの穴を20センチくらい掘ったのは誰?
早朝歩くと、夜中から明け方にかけて動物たちが獲物を捜し求めた跡・痕が見られます。
日照時間が長くなり、日の出が早くなったので、動物たちは夜はめまぐるしく動き回っております。
明るくなるとともに、鳥たちが囀り、多くの動物たちは巣穴でうとうとします。

春の丹沢

山の春です。
フサザクラのこの花は麓の方ではもう終わって、だらしなく残っているが、上部では咲いていた。
ウワバミソウが3、4センチに伸びていた。
伊勢沢の最後の岩場に芽生えていたホトトギス。
林道を過ぎてからは、このトリカブトが群落をなしている。
このヤナギの仲間、だれか教えて!

2009年3月25日水曜日

アズマイチゲとイノシシ

昨夜は9時半に寝た。
2時頃から目覚めるので。3時半には起きる。
外は雨模様ではない。
5時に家をでる。安全運転を心がける。
6時に林道ゲート前着。久しぶりの丹沢でウキウキした気持ちだ。
右膝、痛みを感じない。
木々の芽生えを見たり、撮ったりしながら歩く。
山越えして隣の林道へ向おうと思ったが、調子が良いので、この伊勢沢林道終点で気が変わり、沢を詰めることにする。
間も無く、ヤマトリカブトの芽生えの群落地帯をすぎる。
と、アズマイチゲが首をもたげている。ポツンポツンと十数株、白い花弁をさげている。
午後から晴れて温かければ咲くだろう。
伊勢沢の最後?最初?は岩壁である。ここを右に巻いて登っていくと焼山と蛭ヶ岳を結ぶ登山道にでる。しかし、今日は、雨のことと膝が心配なので、戻ることにする。
一人で、記念写真などを撮っていたら、案の定雨がポツポツときた!
下りは、やはり右膝がダメ、痛い。ストックを持ってきて正解だ。
トビよりも大きな鳥がゆっくりぼくの横を飛んでいく。
飛び立ったと思われる方向へ目をやると。
ん?カモシカ???近づいてみると、イノシシだ。
左顔面と首と前足が食べられている。
すでに、左の肩甲骨はかなり齧られている。
雨が降っているが、後悔しないようにしようと思う。
そのために、今日は、大きな厚手のビニール袋や、カッターナイフや研いだナイフを持ってきているのだ。
首がかなり食べられているので、15分くらいで頭を首から離すことができた。
まだ、全然腐っていない。肉を少し取ろうかと思ったが、頭だけもらって、他は丹沢の動物たちにあげよう。
頭の皮や肉も剥がす。ザックに容れたが、重い。でも、ニンマリだ!
しまったぁー、性別を見てこなかった。
このイノシシ君、おそらく、滑落して打ち所が悪かったのだろう。
お座りしたままの姿勢で、昨日か一昨日死んだようだ。
猛禽や、ネズミ、テン、アナグマ、タヌキ、キツネ、クマたちはしばらくは毎夜宴会だろう。
膝の痛さも忘れて、小雨の中を傘をさして車までもどる。
帰宅が12時半であった。

2009年3月22日日曜日

ユキヤナギ咲く

北側の玄関前に置いてある鉢植えのユキヤナギが咲いた。
近くでみるとリンゴの花そっくりだ。
ヒヨドリがタネを蒔いてくれたサンショウの木、だいぶ大きくなってくれた。
はやく、葉を採ってもよいくらい大きくなって欲しい。
春の便りは、植物がいち早く教えてくれる。
そろそろチョウチョウが飛ぶのが見られるかな。

2009年3月21日土曜日

タチツボスミレ咲く

北側の駐車場横の砂利から今年もタチツボスミレが咲いた。
夏にははびこるので毟り取られるのだが、タネがいくつかこぼれていて、4株が冬を越していた。
タチツボが可愛いのは、この咲き始めの頃だ。これから花茎がイチゴのランナーのように伸びて周りを埋め尽くす。そうなると引き抜かれてしまう。
シャガも咲き始め、今、庭はショカツサイの空色の花でいっぱいだ。
部屋の中では、ファレノプシスやカトレアの花が咲いている。
今年は、もうすぐサクラも咲きそうだ。
八重桜が咲いたらラン類は外だ!

2009年3月19日木曜日

鼻もろとも噛み取られる。

箱根湯河原T群の1973年12月10日の1歳オス(左の個体)、この時からグシャオと名付けられた。
このグシャオについては、「箱根山のサル」(晶文社)p.70に詳しい。
1975年、群れ離脱の前に姉からグルーミングされるグシャオ。
11月の3歳の秋に荒野に向けて出発した。が、その後は不明。
1歳の秋に、T群の多くの子供たちが顔面に酷い怪我をした。現場を見ていないが、群れに接近したオトナオスの犠牲になったものと考えられる。このグシャオは鼻から歯茎もろとも噛み取られていた。骸骨の鼻孔のようになった鼻穴から流れる液体を赤い小さな舌でペロペロ舐めていた。
このグシャオのこともあり、丹沢で見つけた老猿の頭骨に愛着を感じます。もちろん、グシャオではないが、もしかしたら、グシャオが武者修行をしながら東丹沢までやってきたかもしれないからです。
オスザルは生まれた群れを思春期前に出て、他の群れに加入し、そこもまた出ていくわけですが、生きて行くための術は他のオスザルと仲良くするか敵対するかの駆け引きです。
オスは一頭では怖いのです。怖いのは自分と同じ仲間のオスです。

2009年3月18日水曜日

よくここまで!Teeth of an aged male Japanese monkey

このニホンザルオスの頭骨を含む死骸は2000年の春に丹沢で見つけたものだ。
1999年の冬まで、馬の背群についていた個体であると考えられる。
当時は、背が曲がり、四足も肘、膝が十分曲げられないような状態で、ヨタヨタと群れの移動についていた。
頭骨を上からみるとこんなに立派だ。眼窩の上が隆起し、矢状縫合も隆起している。
正面から、え?と思えるほど歯がなくなっていたり、曲がっている。
こんな歯でどうやって冬芽を食べたり、樹皮を剥がして食べていたのだろう。
何故か、下顎の左右の長さが違ってきている。口が曲がっていたのだ。
歯がほとんど歯根の近くまで磨り減っているため、左第一臼歯は歯根まで磨耗し、二つに割れている。
前臼歯・臼歯は揃っているが、左犬歯は子供の時に消失したのだろう。無くなった後治癒している。
左犬歯と共に左切歯が2本とも消失したのだろう。恐らくオス同士のケンカであろう。
右の犬歯と2本の切歯は凄く磨耗している。
下顎の歯ほど磨耗していないが、歯槽骨が後退し歯根が見える。右犬歯は左犬歯の半分以下の長さに磨耗し、左第一切歯が消失しているため(下顎の左犬歯と切歯と同時に消失したのだろう)、左第二切歯と右第一切歯が消失側に曲がっている。


野生動物は、食べることができないと死である。
この歯では枝を噛み切ることも大変だったことだろう。
この左の上下の犬歯を磨り合わせて噛み切っていたのだ。下の犬歯も上の犬歯も磨耗がひどい。
老齢のため歯槽骨が減って、歯根部分がでてきている。
この個体は恐らく、子供の時に群れに接近したオトナオスによって顔面を咬まれて左の下顎の犬歯・2本の切歯と左上顎の第一切歯を咬み取られたものと考えられる。
子供の時に口の前の一部が無くなったため、かなりのハンディを持って生きながらえてきたこの個体に凄く愛着を感じる。


2009年3月16日月曜日

清川村の大蛇の祠

塩水林道の帰路、「やまぼうし」さんのブログにあった大蛇の祠に寄った。
顔は、あきらかにサルだ。
二人かかりでも持ち上げられないだろう。
直径1メートルはありそうなトグロを巻いている。
が、顔は蛇ではなく、竜でもなくどう見てもサルだ!
左横には尻尾の先がでている。
これは、砂岩のような石を掘ったものだ。
これが個人の持ち物だという。
どういう謂れでこのような形になったのか?面白い。