「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年5月25日日曜日

学生実習

23日、24日と一泊二日のTCA専門学校の野外実習だった。10名中7名の出席。本厚木駅に集合し、バスで宮ヶ瀬の三叉路まで、そこから歩いて宿泊予定の長者屋敷キャンプ場に行く。サブザックで身軽になって、ヒル沢を詰めて丹沢までの登山道と目差す。途中、右岸の斜面を登り、尾根にでる。気持ちとの良い開けた場所があったので、そこでお昼をたべる。
お昼を食べたところから登山道を目差して尾根を登る、枝打ちしたスギの枝が落ちていて歩きづらい。登山道に出る前にアナグマの糞、おもしろいことにアナグマは何故かこのように穴を掘って糞をする習性がある。
糞を学生たちが一塊づつ採集し、日時、地点との記録をつける。次週の授業はこの糞分析をしてどんな物を食べているか確かめなければいけない。

2ヶ所にあった ヤマシャクヤクの株が一株盗掘されていた。写真の場所のものは4株あった。花は来週に咲くだろう。5枚も撮ったのにどれもピンボケ。
高畑山に登り、帰路は、御殿森の頭まで登山道を行き、そこから「宮ヶ瀬 平成の森」の碑がある所まで尾根沿いを歩く。尾根に沿って幅5、60センチの山道が作られていた。長者屋敷キャンプ場の落合さんに聞くと、神奈川県の水源涵養林の為の見回り道では?ということだった。良く整備されたハイキングコースのようだ。このような道を作るには多くの植物が根こそぎ潰されていく。


2008年5月22日木曜日

増水で流れた丸木橋

増水した早戸川と増水で流れ落ちた丸木橋。増水の川音をお聞きください。

橋が流されていた!

矢部さんの車が来て、5時に家をでる。
緑の風が香る早戸川林道をいく。魚止め橋をすぎて、舗装道路が途切れたあたりで車を置く。道路に腰をおろしてヒル避け用に飽和食塩水をスプレーし、ストックを両手に持って歩き始める。
林道終点の伝導、雷滝登山道口に覆いかぶさるように生えているウリハダカエデの花がたくさんぶら下っている。下の写真は下山時に撮る。
伝導からずーと登りの道が続き、尾根に辿り着く。ほっとしたところで、ちょっと下ると造林小屋がある。そこからは斜面につけられたなだらかな道を木漏れ陽の中をいく。晴天、穏やかな緑風、叫びたいほど良い気持ち。朽ちて落ちかけた木道が斜面の随所にある。岩肌の道を下ると早戸川だ。先日の台風崩れの熱帯性低気圧の通過で、雨量が相当増しているようだ。沢の音がゴーゴー聞こえる。
早戸川を渡るべく最初の丸木橋のところにくる。案の定、橋が流されている。対岸の岩にワイヤーでしばりつけられた丸木橋がある。
今日のぼくの目的は先日見つけたカモシカの骨を拾い集めることだ。靴を脱いでパンツ一枚になれば渡渉できるだろう。でも、そこまでしなくてもまた来週か再来週でも来れば良いのだ。連れの矢部さんとも無理はしないことで一致し、急流をバックに記念撮影して戻ることにした。
帰路、造林小屋に入ってみた。土間となっており、薪ストーブがあり、風呂場や台所もある、もう一つの部屋は囲炉裏があり、蚕棚ようになっており、10人はゆうゆう寝られそうだ。掃除をすると快適に住めそうなところだ。使わないとどんどん朽ちていくだろう。
目の前に沢が流れ、水には不便はしない。緑の日差しの中の小屋は実に快適そうな様子である。夜にはいろんな動物たちが出ることだろう。矢部さんと一度泊まりにこようと云うことになった。もちろん、ぼくはウィスキーを持って、、、。
車を置いた場所には8時半に戻る。大きなサンショウの木があったので、新芽を摘む。今夕はこれを擂り鉢で擂って砂糖と味噌で、山椒味噌をつくり、肴としよう。
(対岸にワイヤーに繋がった橋の一部が見えている。クリックして拡大して!)

2008年5月19日月曜日

大好きなスイカズラの花の香り

庭の鉢植えのスイカズラの花が今年もたくさんさいている。
この高貴な香りに包まれると、疲れも吹っ飛んでしまう。
この花をガクのところから引き抜いて吸うと甘い。

2008年5月18日日曜日

ヤマウツボとショウジョウバカマ

登山道の湿った斜面にゴマノハグサ科のヤマウツボが10株ほど咲いていた。腐生植物だと思っていたが、調べたら寄生植物で、ブナ科、カバノキ科、ヤナギ科の根に寄生しているようだ。
ギンリョウソウは腐生植物である。両種とも葉緑体がなく、この5月に咲く。
陽が射す斜面でショウジョウバカマを見つけた。ピンク色の花が終わっていた。
春の山は、山菜と花と新緑で散策するだけでウキウキしてくる。

ン?死体の臭い!


久しぶりに早戸川林道を車で詰めて、伝道・雷平・雷滝と歩く。
昨年本を出した出版社の編集人たちとの一緒の丹沢山菜パーティである。
歩き始めから、ぼくが摘んだ同じ葉を各自自分が食べるだけ摘んでもらう。
オオバコ、オオイタドリ、ミツバアケビ、サルナシ、アザミなどを摘む。

2度、川の上にかかる丸木橋を渡らなければいけない。皆、どうにかそれを乗り越え雷平に着く。丁度12時なので、ここでお昼にする。コッヘルに食用油600gを注ぎ、キャンプ用のガスストーブに乗せる。プロのコツ入りという「ごちそう天ぷら粉」を沢の水で溶いて、沢で綺麗に洗った葉に衣をつけて揚げる。

いつもそうだが、このように山で揚げる天麩羅は旨い。塩をつけて食べるのがまたいい。

食後、雷滝までいくことにする。
歩いて、まもなくカモシカの白骨した死骸。頭の部分は白骨しかかっているが、首から背にかけては皮が残っており、下腹部にはウジが蠢いており、ハエが飛び回り、凄い臭いだ。

頭骨を持ち上げたが首の部分がくっついており、頭骨を首から離すことはできない。知人たちはこわごわ離れてみている。ぼくが持ち帰りたいと言うと猛然と反対される。誰かに持っていかれてしまうからと頭部を石などで隠す。

このカモシカ、死骸の場所から自然死とは考えられない。骨を一本々、拾って確かめたい。猟期にシカと間違えられて撃たれた可能性が高い。この辺りは猟区になっており、古い薬きょうが2、3個落ちていた。

ニホンカモシカは国の特別天然記念物に指定されている。丹沢では40年前は、一度も見たことがなかったが、このところしばしば観察することができる。山中ではサルに出会う回数より多い動物だ。

帰路、車の置いた場所に着いて、斜面を見ると、林道上から捨てたのだろう車の3台分のエンジンや車の修理工場の廃棄物と思われるものが不法投棄されているのに気が付く。確か、朝、車を止めた時には無かった。美しい丹沢に入り込んできて不法投棄するとは、このような輩は厳罰に値する。

せっかくの楽しいハイキングが不法投棄で台無しだ。

2008年5月13日火曜日

パンダは生息地へ

一昔前の動物園は動物たちを汚く狭い檻にいれている見世物小屋といったものだった。中国の西安動物園ではお客を呼び込むために死産して生まれた奇形の双頭のヤギまで展示されていた。

今の動物園は、展示ということよりも野生動物の保護に関わる飼育を目的としており、動物たちが本来の生息地で生活しているような状況を作り出し、動物たちが豊な生活ができるように工夫が凝らされるようになった。

ズーラシアで飼育繁殖されたキンシコウが中国へ戻された。このキンシコウたちは上海動物園で飼育されるのであろう。が、中国はそろそろ動物園のキンシコウたちを保護区に戻すことを始めたどうだろうか?
西安動物園でみたキンシコウのオスは犬歯が切り取られていた。犬歯で飼育人を傷つけないようにとの処置であることを知った。カモシカの仲間も角を切られていた。宦官を生んだ国であり、動物に処置を施すのは当たり前の国である。

西安動物園で見たパンダは薄汚れていて灰色と黒の模様であった。動物園にきたお客のマナーはちょっと信じられないもので、檻の前で動物たちを本気で怒らしてそれを見て喜んでいた。つい、6年前のことである。

パンダにしてもキンシコウにしても中国大陸に生まれたばっかりに、中国外交の道具に使われる。横浜ズーラシアで生まれた子供までも親と一緒に期間がきたので戻された。今度は、またパンダを貸してくれるようだ。

もう、そろそろ動物たちを生息地から切り離して、人の都合で移動させるようなことを辞めたらいかがだろうか?希少動物なればこそ、尚一層パンダを四川省やその隣接する省の森に戻すことが望まれており、日本の動物園は、その現在の趣旨から云っても、もうパンダを借り受けるべきではないだろう。

2008年5月12日月曜日

動物的感覚を無くした人たち:最低のマナー

アリ地獄(ウスバカゲロウの幼虫)は雨が当たらない縁の下の一様な土がある所では、互いの距離が同じくらいに保たれてアリ地獄を作っている。昆虫の幼虫なのに計算して、相手の気持ちを考えてそうした訳ではない。

ベンチが二つあって一人の人が座っていれば、次に座りたり人は開いている方のベンチに腰掛ける。三人目の人が来て座ろうとする場合、座っていた人は端に移り、三人目の人はもう一方の端に座る。このようなことは、アフリカの人たちでも中国の田舎の人たちでも同じだ。見知らぬ者同士は互いにまったく自然にこのような座りかたができる。

仲の良い者同士なら一つのベンチに4人で座るかもしれない。恋人同士なら必要以上に接触し合うかもしれない。しかし、見知らぬ者同士は互いに接触しないようにするため、ほぼ同じ距離が保たれることになる。

一様な場でナワバリを形成した時に、まるでハチの巣状の正六角形のナワバリが形成される。このことによって、できるだけ多くの個体がナワバリを占めることができる。ベンチでの座り方も自然とこのようなナワバリ行動の発達したものだと解釈でき、見知らぬ者同士が、互いに不愉快な感情を持たないために生まれた行動とも云える。

集団生活をしているサルでは血縁者同士は接触し合うが、血縁関係の無い者同士は接触する時はケンカをする時くらいなものだ。あるいは交尾関係かリーダーフォロワー関係へと発展した者同士だけだ。

それが、どうだ、電車内でのシートの座り方は思考力の無い昆虫の幼虫でもできるようなことができない。ちょっと右に5センチずれると他にもう一人が座れるのに、その前に人が立っていても知らぬ顔。
まるで、腰を5センチずらすと損をしたとでも思っているのか?そうではなくてそのようにずれて第三者に座らしてやることが親切の押し売りになっているとでもいうのか、、、。中年のご婦人もサラリーマンも中学生もそのあたりのことがまったくダメになっている。

もはや、人とか動物とかいう段階を外れた「木偶の坊」である。「木偶」なら持ち上げて壁に立てかけたり、床に並べておけるのに、人と同じ形をしているので「木偶」とは区別できないから困る。

2008年5月11日日曜日

アナグマの穴 丹沢、辺室山

ヤマツツジが今が見ごろだった。

辺室山までの斜面に、アナグマの穴が全部で6.7個あった。半径10メートル以内にまとまってあるので、同じアナグマ一族が使っており、通路で繋がっているのだろう。この穴は手を入れると肘くらのところまでは写真のように大きいが、それから先は、左側に折れ曲がりぼくの拳だと入らないくらい狭いものになっている。
日本のアナグマと同じものがヨーロッパや中国にも生息する、ヨーロッパでは北から南までのアナグマが調査・研究されている。そんな訳でもないだろうが、日本のアナグマはまだまだこれからである。

キンシコウ調査時に、農家の人が撲殺したアナグマを二度唐揚げでご馳走してくれた。が、オイシイとは全く思わなかった。中国には3種類のアナグマの仲間がいるが、食べた個体の頭を貰ったが日本にいるMeles属 とは違っていた。下記の「哺乳類の骨」-「頭骨」-「眼窩下孔の大きさ」-(1)を参照してみて!
http://members2.jcom.home.ne.jp/fumio.fukuda/natureOK.html 
一度、コドモのアナグマを見てみたいものだ。きっとかなり可愛いヤツだろう。

2008年5月10日土曜日

小雨の中の土山峠・物見峠



今日は、教え子の女子と丹沢へ。土山峠から辺室山と通って煤ヶ谷へ抜けた。今日は雨模様なのは10日前くらいから知っていた。誰も今日は中止にしようと言ってこない。が、ぼくは出かける前まで中止にしようという連絡を待っていた。が、来ない。電車に乗ってすぐに御殿場在住の子から今日は行けませんとメール。そうだよな。小雨が降っているんだもの、行く気持ちが削がれるよな!と思いながら吊り革にぶら下っていた。他の二人に「御殿場からは行けないと連絡あり、今、電車の中」とメールする。すると、二人から「同じく電車中、本厚木で会いましょう」と来る。

ヒル避けのための飽和食塩水をたっぷり噴霧し、そぼつく雨の中を登る。コースはこちらに任されていたので、先日のサルに出会えそうな道を選ぶ。 アオバトがワァーオ、ワォーと啼いている。
ギンリョウソウが顔をだしている。ここのギンリョウソウは群生していない。しかも、ちょっと小さい。っと思いながら登っていたら、通常見かける群生している大きなものがあった。
驚いたことにこの登山道沿いにキンランがポツポツ出ている。花は再来週過ぎだろう。階段となっている古いスギの丸太の下からも出ていた。山草愛好者に見つからなければ良いと思いながら写真を撮る。キンラン、ギンラン、エビネは杉林が好きなようだ。

辺室山で記念撮影。昨年、カモシカを見た斜面を見ると獣道がしっかりとついている。同じカモシカがいるのか?足跡はシカかカモシカか判断できず。

シラキの葉にビー玉程もある大きな虫瘤がいくつもついている。K嬢が割ると中から幼虫が一匹出てきた。

アナグマの穴が随分ある。手を入れると肘まで入った。

物見峠でお昼にしようと思ったが休憩台は濡れているし、雨脚が強くなってきたようなので、雨を凌げるような場所まで下ることにする。が、そのような場所がないので、傘を差してのお昼となる。

煤ヶ谷の家並みが時々見える。沢沿いの九十九織りの道を下る。車の音も聞こえ始める。ぼくらは小走りになる。登山の2メートルくらい下を茶色のノウサギが僕らと平行して走る。

煤ヶ谷から上がってきた白い透明ノビニールカッパを着た登山者のカップルに出会う。これから登ってどのようなコースを取るのか?男は白人であった。

首尾良く、宮ヶ瀬ビジターセンター50分発のバスに間に合った。ヒル避けを十分したせいか、ついていたヒルは一匹だけであった。

2008年5月8日木曜日

これは、タヌキの足跡?

5月15日の続き: キリの青紫色の花、なんとなくジャカランダの青い花を思い出す。
赤い →足跡はタヌキ?クリックすると拡大します。
林道上に張り出ている枝に大きなアオダイショウが日向ぼっこをしていた。

エビネはまだ早かった!

いつものように4時に起きる。今日の目的はエビネ観賞だ。
松茸山早戸川登山口のところに駐車。リスが一匹登山道の斜面にいる。上手に撮ろうとそろりそろりと近づいたが、逃げられる。リスは松茸山山頂付近にもいる。

エビネが何箇所も群落を作っている尾根にとりつく。登り始めてすぐに、左足首にチックと軽い痛さ、裾をたくし上げてみるとヒルが着いている。靴にもヒルが尺取運動をしながら登ってくる。さっそく、飽和食塩水を靴下が濡れるくらまで噴霧。右足にはヒルは一匹も着いていない。が、噴霧する。

胸まであるササ藪を両手で掻き分けるようにして這い登る。

昨年もあったヌタ場には、偶蹄類の足跡と、タヌキ?のような足跡。 こんな山奥にタヌキ?

開けた送電線の鉄塔下では、何匹ものクマバチが地上1メートルくらいの高さのところをホバリングしている。ナワバリを持っているようで、他個体がきたら追い出す?どうもレックを形成してメスを誘っているようだ。

肝腎のエビネはまだ花茎が伸びたばかりで、蕾も小さく、開花は再来週の始め頃だろう。 同じ尾根道を帰るのはつまらないので、沢へ下りる山道があったので、それを辿ることにした。何箇所も道が寸断されていたが、首尾良く沢まで辿りつく。ん?なんだ?ここは一度来たことがあるところだった。途中で気が付くべきなのに下まで降りてから気が付く。疲れがでる。
そこからすぐ沢を渡ることができないので、岸の岩伝いに上流まで行き、岩が飛び出ているところで対岸に渡り、斜面をよじ登る。見慣れた林道だ。ウツギの白い花が目に飛び込む。

ユキノシタ科の木の花の季節がやってきた、これが終わるとスイカズラ科の花が競うようにして咲く。 ガクウツギの花は清楚な感じ。
ミツバウツギの恥らうように下向きに咲き、か弱い感じの白い花。矢部さんが若葉を摘み始める。この若葉を茹でて胡麻和えにするとかなりイケルようだ。彼は、下戸なのに酒の肴のようなものが好きだ。キリの青紫色の花が咲いている。青い木の花からアフリカで見たジャカランダを思い出した
山側から林道上に張り出ている木の枝に大きなアオダイショウが休息していた。

今日は、林道で鳥の写真を狙っている定年退職した男性二人にサルの聞き込みをする。

二人とも、エ?ここにサルがいるんですか? と逆に聞き返してくる。

二人とも立派な望遠レンズつきの一眼レフだ。この林道でハクビシンを見たという。その写真を見せてもらう。すぐ横で撮っても逃げなかったようだ。他の方もハクビシンを見たことがあると言っていた。さらに、何とシマリスを見たことがあるというのだ。
シマリス情報は林道は異なるが、これで2件目になる。

いよいよ丹沢にもハクビシン、さらには逃げたペット(チョウセンシマリス?)が山に住み着き始めたのかもしれない。

2008年5月2日金曜日

子ザルが親を呼ぶ声




5月1日に出会ったサルの群れの声。聞こえるのは子ザルがはぐれて親を呼ぶ声である。

下の写真はぼくらに4メートルくらいまで近づいてきて、ぼくらの様子をうかがう7歳くらいのオス。矢部さんが写す。ぼくも撮ったが、前の草にピントが合いダメ。

斜面の崩落止めのコンクリートの上を歩く2歳オス。矢部さん写す。

久しぶりのサルの群れと鳴き声

5月1日:土山峠(神奈川県宮ヶ瀬湖南岸)で、出会ったサルの群れ。定期バスも通る通行量が多い道を仏果山側から辺室山側へ渡る。車の合間をみはからってまとまって一気に駆け抜ける。直線道路なのでどの車も70キロ以上で走り抜ける。右の後足がビッコのメスがいた。やはり交通事故に遭っているのだ。先日もこの場所で、車に轢かれたサルを目撃している人がいた。動物の横断注意の看板の他に時速を30キロ以下と制限すべきだ。動物の棲息場所に舗装道路を作ったのだから人は少し遠慮をしなければ!
始めの3,40分は、ぼくらを警戒していたサルたちも、しだいに姿を見せてくれるようになった。上は、ミツバアケビの花を食べている4歳メス。メスの場合は3,4歳になるともうピンクの乳首が胸にはっきりと見えるようになる。オスでは大人になっても乳首は見えづらい。ここでは、アケビの花以外に、フジの花やオオイタドリ、オニグルミの新芽を食べていた。
警戒しながらこちらをうかがう14、5歳のメス。この林道を渡りたいが、ぼくらがこちらにいるので躊躇している。
今年生まれのアカンボウを腹に抱えて一目散に林道を渡る10歳前後のメス。ぼくのデジカメではシャッタースピードを200分の1秒と固定すれば良かったのだ。
もう、警戒心がとれてきたコドモたち。左が3歳オス、右が2歳オス。
始めの頃は、このようにぼくらを見ている周辺のオスたちがいた。また、発信機を装着しているオスもいた。川弟群である。丹沢のサルたちも出産季に入っている。
サルやシカなどの野生動物の野荒しが問題になっている。彼等の生息域である山の中にも道路が作られる。ますます、彼等は山中では棲みづらくなっている。
治水工事としての護岸工事は今、見直されている。街中の川はもとより堰堤工事や、林道工事など山中の治山・治水の土木工事の方法や必要性を考え直さなければいけない。

2008年5月1日木曜日

早くもヒルとダニ!

5時半に矢部さんのところにより、丹沢へ向かう。もう、4時半過ぎから明るくなっている。水沢沿いにはダイモンジソウの群落がある。踏み分け道を探しながら歩き、焼山登山道にでる。一汗かき、気持ちが良い。
が、矢部さんの足にはヒルが付いていて、他に二匹が靴下に付いている。ぼくにはヒルは付いていないが、マダニが一匹付いていた。ヒルやダニたちも活動し始めた。「あぉ~あぉ~、あぁ~ぉ~」とアオバトやツツドリの声がコダマする。
そのまま登山道を下るとアナグマの巣穴?、その手前にアナグマの糞と何故かテンの糞。
さらに10メートルも進まないうちに再び同じような巣穴だ。が、この出入り口にもアナグマの糞。何故、穴の前に糞をするのか?ということはアナグマの巣穴ではなく共同トイレか?では先ほどのテン糞は何故?今は双方とも子育ての季節?イタチ科の仲間同士なので、互いに糞によるマーキングでナワバリを誇示しているのか?
日があたる場所でワラビを摘み、水沢橋方面への尾根を下る。キビタキという綺麗な小鳥を教えてもらう。途中、山椒の葉を摘み、モミジガサをたくさん摘み。車に乗って、クリスの仕事場がある神奈川県立七沢森林公園を目差す。宮ヶ瀬のやまびこ大橋を過ぎた、土山峠付近でサルを見つけ、2時間以上観察する。久しぶりで凄くうれしい。
帰り、ヘビがカエル♂(カエルの種類不明)を飲み込んでいるところに遭遇。
矢部さんと二人で写真を撮るものだから、ヘビは煩がってオタマがいる水場を泳ぎ渡り、斜面に登って飲み込みを続ける。
カエルの腹や足に婚姻色が表れているので、これから交尾しようとしていたのだ。それでコロコロ鳴いていたので、ヘビに見つかって捕食されてしまったのだ。きっとメスを呼ぶために鳴かなければ捕まらなかっただろう。 命がけの恋をしたのだ。

このヘビ、最初はヤマカガシだと思っていたら、矢部さんからコメントのような指摘があり、さらにすぐ矢部さんからシマヘビの可能性が高いと知らせてくらました。身体の紋様もさることながら、目の虹彩の色なども見なくては確実な同定ができそうもありません。もっともヘビ好きが見れば一目で分るのでしょう。

それにしても、コドモヘビは何故オトナとは紋様がちがう種がいるのか、鳥類や哺乳類のように子育てを行うなら、その紋様の違いが機能しているのが理解できる。しかし、ヘビたちは卵を産みっぱなしである。赤ちゃんヘビは孵化した時に外敵に襲われる可能性が高い。しかし、その時に毒蛇の紋様をしていれば少しは外敵に対する脅しになるだろう。このように合目的に考えるのは間違っているかもしれない。いずれにしても自然との競合の上で進化してきた今のヘビがいる。自然探索には興味が尽きない。

2008年4月29日火曜日

イタチがいなくなりアライグマが、、

横浜市と藤沢市の間を流れる境川は、江ノ島に流れる。正面に見えるのは横浜市営地下鉄の高架であり、右が横浜側、左が藤沢側である。

川底や土手はコンクリートで固められており、流れが速い。それでもモツゴ、コイ、ヨシノボリ、オイカワがいる。
今日は両側の土手をイタチの糞を探しながら歩いた。藤沢側のサイクリング道路にも横浜側の土手の上の道路にも犬の糞を除いてイタチの糞は見つけられなかった。
藤沢側で農作業をしている人に聞くと、「境川の護岸工事以降まったくイタチは見なくなった。それまでは随分イタズラされた」と懐かしそうに話してくれた。横浜側ではフキを摘んでいた人に聞いた。「10年前まではいた。今はアライグマがいる」と話してくれた。

護岸工事でイタチが巣を作るような穴を地面に空けられなくなってしまったのだ。イタチにとっては、カエルやザリガニや昆虫などの食物はあるが、営巣場所が確保できないのだ。一方、アライグマは下水道などの側溝を営巣場所にして十分生きていけるのだ。

2008年4月28日月曜日

チベット

北京オリンピンクが近づくにつれ、ますますチベット問題がクローズアップされてきている。チベットに旅行に行った人たちは、観光用のお店やレストラン行き、ホテルに泊まってもチベット人たちが虐げられていると話してくれる。中国人(漢族)のガイドが案内するのはどれも中国人経営の店。しかし、店の前や神社周辺で細々と生計を立ててお土産を売っているチベット人たちを見ることになる。

2005年春、秦嶺山脈の麓でのキンシコウの調査時、オーストラリアからの研究者、中国系アメリカ人の大学生とぼくの3人で、中国の大学院生たちとチベット問題を議論した。学生たちは私たち3名の言うことをほとんど聞き入れてくれない。チベットは独立した国家であり、中国が強大になった時に統合され、中国が弱くなると独立した。それさえも、理解してくれない。子供の頃からチベットは中国の祖国の一部だと教え込まれている。

サルの話しや動物の話しならノートを取りながら耳を傾けてくれるが、チベット問題はダメだった。

2008年4月26日土曜日

あ!イノシシ、また、、

久しぶりの丹沢山塊の水沢林道である。サル調査が目的であるが、このところサルの痕跡すら見つけることができない。
歩き始めて間もなく、山側斜面からイノシシが一頭駆け下りて沢側斜面に入る。矢部さんが”イノシシ”と小声で言う。と、今度は二頭のイノシシが連なって駆け抜ける。大型犬のセパードよりも小さく柴犬よりも大きな個体だ。昨年生まれたヤツだろう。まだ、兄弟が一緒に行動しているのだ。
ナナフシがカエデの仲間の葉に何匹もいて柔らかい葉を食べていた。

林道終点まで歩き、戻る。イノシシに出会った辺りをすぎて、おじさんと話しをする。彼もこのところまったくサルの姿を見ていないようだ。このおじさんは、もう何年も前からこの水場がある辺りで自宅から持ち込んだ草木を植えて楽しんでいる。水場にはテンがくるようだ。5年目にしてシカに菜の花が食べられたと笑みを浮かべている(下の写真)。カキを植えるとサルがきてくれるかな?とニコニコしている。おじさんは2、3年前の11時頃に地面でムササビがヒヨドリくらいの大きさの鳥ともみ合っていたのを見たことがあるようだ。どうもそのムササビは営巣している鳥に近づきすぎたようだ。昼間である。

ゲート近くの杉林で矢部さんがリスを見つける。

帰路、サルを見たくて、七沢森林公園付近で土地を買って仕事をしているクルスのところに立ち寄る。サルは見られなかったがサル糞を見つけたし、楽しいナイジェリア出身の男たちとも知り合いになった。丹沢の帰りこの市街地に出る群れを観察しようかなと思い始めている。

2008年4月24日木曜日

一斉協調攻撃行動

ニホンザルの群れを観察していると、ちょっとした小競り合いをきっかけに、ある個体が群れのほとんど全個体から一斉に攻撃されることがある。
一斉攻撃の対象になる大半は群れのオスだ。しかし、そのオスが小さなコドモを泣かしたり、メスを苛めた訳ではない。大抵はオトナメスなどが出てきてギャーギャーとわめきちらすのだが、このメスのギャーギャーわめく声に誘発されて、それまでのんびりと横になっていたり、グルーミングしていたような個体までがまるで何かの合図があったようにとびおきて、加勢するように一斉にある特定の個体を攻撃する。
そのため、その個体がブッシュの中に逃げると4、50頭もの個体が一斉にブッシュの中を追うので、ブッシュがウエーブが起きたようにゆれる。これは、2、30メールも一斉に大勢の個体によって動くが20秒もしないで終わり、また、平穏な休息時間となる。
これを協調攻撃行動と云い、ニホンザルばかりでなくチンパンジーにも見られる。
時々、ギャーギャー啼き叫んでいたメスにこの行動が向けられることもある。

このサルに見られる協調攻撃行動を観察していると、集団生活をするものは絶えず他個体との一体感を求めているように思える。スケープゴートになる個体は集団の中でいつも何となく疎まれている個体であったり、そうでないこともある。それがある時爆発したように他個体が一斉に攻撃することになる。

このサルに見られる協調攻撃行動は、ぼくらの人の社会でも形を変えて見られる。それは、多勢に従う行動であり、勝ち馬に乗る行動だ。選挙でも雪崩現象が起きるのは他の多くのものとの一体感を求めているとも云えるが、勝利者に味方した方があらゆる面で得になるからだ。
民主主義は多数の意見の尊重だが、サルを観察している者にとっては、民主主義は少数者を結果的に無視し、捨て去る恐ろしい面をも持っていると思わざるを得ない。

中国におけるチベットの自主・独立の抑圧と米国の大統領の予備選挙をニュースで聞いていたら、上記のサルの一斉協調攻撃行動を思い浮かべてしまった。

ムササビの巣穴の新旧と条件

見ていた他の他の穴も撮ってきました。真ん中の大きな穴には樹液がでておりません。樹液が出ている穴は、ムササビが出入りする時に身体に樹液がつくとすると、ムササビ君はイヤだろうと思います。そうすると、樹液が出ない古い穴に居るということだ。taka隊員さんヒントをありがとう。

神社を下ったところにある杉の木にも穴が開いていた。一体、何本の杉の木に穴をあけているのだろう。一本、一本、調べなくてはいけないか?そうなると、巣穴を開ける、杉の木の立地条件も解りますね。
本当は、サルを見たい!

2008年4月23日水曜日

空振り!

1月に撮ったときは、大きな穴が斜めに三つあっただけだが、これを見るともう1個新たに開けられ始めている。こんなにたくさんの穴はテンなどの外敵を混乱させるためなのか?
2時に起き、ビデオとカメラを点検し、矢部さんを待つ。3時丁度に矢部さんが来てくれる。車を走らせ奥湯河原のトイレがある駐車場に着いたのが4時10分。トイレから小さなコウモリが3匹出入りしている。停まったら写真に撮ろうとしたが、ヘッドランプの光の中を慌てたように飛びまわっている。
ヘッドランプの光を頼りに神社までの道を登る。
一度も休まずに登ったので、神社に着いたのが4時半で、まだ暗闇の世界だが、空は少し明るい感じ。早速、二人で巣穴を見上げる。神社の軒先の穴は諦めて、3月5日にムササビが摑まっていた杉の木を両側から囲むように二人で見上げる。
5時になり、もう十分に明るい。ぼくは斜面を背に寝転ぶ。アオバトが「わーあぉー、わぁおー」と2箇所で啼いている。ウグイスの「ほーほけきょ」もうるさいくらいに聞こえる。寒さに備えてきたのに寒い!
5時半になり、見上げる空にはカラス、カケス、トビ、ハトの仲間、小鳥たちが飛ぶのが視界に入る。鳥たちの朝のもっとも忙しい採食の時間のようだ。寝転んでいるので、尻が冷たくなってきた。
6時になる。6時半まで頑張ろうと話す。寒いが眠い。
もし、我々が見上げている木に飛び移ってきたら、その音だけで判る筈だ。あるいは神社の屋根裏に戻ってきたとしても着地した音で判るはずだ。空を飛ぶ鳥たちのシルエットがムササビと思いハットする。
6時半、ダメ。戻って来なかったのか?戻って来たならば、しばらく穴から顔を出していることもあるので、穴という穴を二人で双眼鏡で見る。ダメ。帰ることにする。
帰路の道沿いのアオキの実に食痕がついている。さらには、神社の下100メートルくらいの杉の木にも大きな穴が開いており、ムササビの爪を立てて登ったような痕がついている。ムササビの留まり木とでも思えるような杉の木がいくつかあった。樹皮が擦り切れている。
アオキの実の食痕はどれも4,5日前以上のものであり、ムササビは食べ物を別の物に移したようだ。
4月13日に見たときは、おびただしい量の生々しいノウサギの糞があったが、今日はそれらが皆、古くなって白っぽくなっていた。新しい糞は見当たらない。しかし、ササとオオイタドリの古いウサギの食痕を見つけた。駐車場のトイレの天井をみたが、コウモリはまったく見つけることができなかった。

西湘バイバスを走っていると竹内さんから電話があった。今日は、空振り三振もいいとこだ。

2008年4月20日日曜日

エビネとネキリムシ

新学期が始まって気持ちの余裕が無いのと、雨模様で山には行けない日が続く。今日はせっかくの土曜なのに朝起きると曇り空だった。今日も山行きをあきらめる。庭を見る。 エビネが咲き始めた。しかし、7本出ていた花茎のうち2本が倒れている。ん?何故?と思ってみると、花茎の根元付近からまるでウサギにでも齧られたような斜めの切り口になっている。さらに、見ると咲き始めた花や蕾も齧られたような痕が残っている。

ヨウトウムシとネキリムシ(いずれも数種類の蛾の幼虫)の仕業だ。花茎が伸びてきて蕾が膨らみ、花が咲き始めると切り倒すなんて、、、。しかも、土の中に隠れていて、夜になると出てきて齧るのだ。

辺りをみるとユリも食べられている。仕方がない、退治しなくてはならない。昼間出てくると小鳥たちの餌食になるために、夜活動するように進化したヤツだ。

柔らかい葉っぱを食べる蛾の幼虫は、イモムシと毛虫がいるが、夜活動するのは体色も体毛も地味で目立たない。摘んでも丸くなってしまう。昼間活動するイモムシは派手な色で、見た目も気色悪い。摘もうとすると威嚇のようなポーズをするものがいたり、気味悪い液を出したりする。毛虫は、毛に触れただけで痒くなったりするものがいる。かれらもどうやったら天敵にやられないように葉っぱを食べることができるか、日夜生存のための努力をしていることになる。

2008年4月19日土曜日

ヒゲは何のため?

ぼくがヒゲを生やし始めて30年以上になる。動機は若く見られたくなかったことだった。 今朝、鏡を見て、剃り落そうかな?と少し考えてしまった。

哺乳類はケモノと云われるように顔から手足の甲まで毛でおおわれている。サルの仲間だけが顔に毛が少なく、顔を含む全身に少ないのは、サイやゾウやカバがいる。が、彼らは毛を少なくした代わりに皮膚を厚くしている。サルの仲間の顔に毛が少なくてもサイやゾウのように皮膚を厚くしているわけではない。
さて、哺乳類の口の回りに生える毛をヒゲと称し、この口の回りの毛は、機能上2つに分けられる。1つは、モグラやネズミの仲間やイヌやアザラシの仲間などがもっている感覚毛と称される細いがしっかりした毛と、もう一つは、ヤギのアゴヒゲとサルの仲間に見られる口髭であり、仲間に見せる毛である。

サルの仲間のヒゲを見ていただこう。
パタスモンキーErythrocebus patas、アフリカ生息
http://animaldiversity.ummz.umich.edu/site/resources/corel_cd/patas.jpg/view.html
ブラッザモンキーCercopithecus neglectus、アフリカ生息
http://www.theprimata.com/cercopithecus_neglectus.html
エンペラータマリンSaguinus imperator 南米生息
http://animaldiversity.ummz.umich.edu/site/resources/mzm2/61.mr2.jpg/view.html
いずれも立派なヒゲである。これらのサルたちはオスもメスも同じようなヒゲをたくわえている。
両性ともヒゲが生えているが、パタスではオスの体はメスの倍くらい大きく、長い犬歯をもっている。
ブラッザモンキーもオスの方がメスよりも大きな体を持ち、犬歯が長く鮮やかブルーの睾丸を持っている。 エンペラータマリンは500g前後の小さなサルで、両性ともヒゲをたくわえるが、オスはメスよりも大きい体をもつ。

いずれのサルたちもオトナになるにつれてヒゲが立派になる。性別に係わりなく伸びるので、ヒゲは仲間に対して性成熟に達したことを示している。
人では、オスだけが思春期以降、ヒゲが濃くなり始めるので、二次性徴としての性成熟の象徴なのだ。
人はサルたちとは違ってオスの犬歯の長さはメスのように短くなって性的二型が小さくなっている*。不精ヒゲは毛嫌いされ、さらにヒゲさえも剃り落として、最近では化粧までしてメスの顔に近づけようとしている。ますますオスはメスらしくなろうとオスらしさを失いユニセックスの道へ進んでいく。
オスらしさを取り戻さなければ、父親の存在も危うくなる。

ぼくは、ヒゲを残すことにした。
*:オスの犬歯がメスの犬歯の長さに比べてはるかに長いのはニホンザルや、ヒヒ、チンパンジーなどアジア・アフリカに棲む狭鼻猿である。ただし、テナガザルは両性とも長い犬歯をもつ。

2008年4月16日水曜日

姿勢と社会的地位

キンシコウの群れは複数の単雄複雌群からなる。レッドポイントはある単雄複雌群内の唯一のオトナオスである。他はメスとコドモたちだ。身体はメスたちよりも一回り大きく、さらに両端の上唇にイボ状のものができる。これがメスやコドモたちを睥睨するようにして歩く。メスやコドモたちはこのオスに従う。
ぼくは、猫背とはいわないまでも、背を丸めたような姿勢である。この姿勢はお袋もそうであり、遺伝的なものかなと思っていた。が、妹も長女も胸を張って歩く。次女はぼくに似ている。妹も長女も背が低いので、できるだけ背を高く見せようとしていることは明らかである。91歳のお袋は若い時は、160センチを越えていたようで、大女と見られるのが嫌で、できるだけ背を低く見せようとした結果が猫背のようになったのかもしれない。じゃー、ぼくはどうしてなのだ?

先日、電車の中で、中年の女性が下を向いて一心に本を読んでいる。その姿がじつに美しい。背筋をまっすぐにし、胸を張っている。下を向いているのに胸を張っている。背が高い女性であった。

姿勢は胸を張り、背筋をピット伸ばした方が美しく、美人にさえ見える。

今日、始めての大学での2回目の授業があった。視聴覚器具を使い方がわからなかったので、講義後、友人の教授を訪ねて研究室に行った。が、不在だった。彼の3時限目の授業がある教室前で待っていた。

前の暗い廊下を胸を張ってどうどうと歩いてくる人物が同級生だとわかった。
すっかり、彼はだれもが大学の教授と思える姿勢と歩き方をしていた。
地位がその姿勢をつくるのだ。

群れのボスは、サルの研究者でなくてもボス(順位一位オス)を見つけることができる。姿勢と歩き方が堂々としているからだ。しかし、このボスも群れ落ちすると、これがあのボスかと思えるほどの貧相な姿となる。

もうすぐ、サル学会がある。学会で興味深いのは、各大学で胸を張って堂々と歩いていた筈の教授たちの大半が何故か群れ落ちしたボスザルのようにショボクレ、胸を張って堂々としているのは大学院を出たばかりのまだ職についていないようなワカモノだ。
学会という場は、現在、調査研究をし、たくさん論文を読みこなし、酒を飲みながら口角泡を飛ばして議論しているワカモノが堂々としているのは、なかなかの素晴らしい社会である。

2008年4月13日日曜日

野生動物探検隊

福浦港近くに住む、竹蔵丸の船長さんより、明日、フィールドを案内しますという電話がある。
いよいよ、おじさんたちの「野生動物探検隊」の2度目の会合でもある。
船長さんが漁に出られないときに観察しているフィールドへ連れていってもらう。営巣中のフクロウをみせてもらう。が、悲しいかな教えられた場所の樹洞をみても僕の目にはフクロウが見えない。なんと、その理由が今分った。読書やパソコン用のメガネをかけていたのだ。あまりのことに近眼用のメガネに変えることに気がつかなかったのだ。あ~無念。どうりで何もかも良く見えず、一気に老化が進行したのかとショックを覚えていたのだ。
次は、新たに見つけたというリスの巣。フクロウの巣からそんなに離れていない。おそらく何頭かのアカンボウが入っているのだろう。フクロウにお母さんがヤラレタラたいへんだ。
見つけたキクラゲを採り、オオシマザクラの花や葉、ミツバとともにインスタントラーメンに入れて食べる。キクラゲだけが味噌味に合わず。次回は塩ラーメンにしよう。

 昼食後、天昭山神社へ向かう。ノウサギの糞が昨年同様溜め糞のようにある。これまた、ちょっと不思議。そのうちテントでも張ってウンチをしている姿をみたい。神社付近のムササビ君たちはぼくらの声にビビッテ顔を出してくれなかった。竹林は、イノシシがメチャクチャに掘り起こしていた。が、撮った写真を見るとその様子が分らない。目で見た印象を写真は撮ってくれない。ン?構図などと決める腕が悪いのか?
上のアオキの実は、ムササビに食べられた痕であると考えられる。
下のキジのオス、車のフロントガラス越しに撮ったもの。コイツ、車で近づくと少し啼き、胸を膨らませて羽を震わすディスプレーをする。生意気にも我々探検隊に威嚇したようだ。実に綺麗で、肉もたっぷりある美味しそうなキジだった。

2008年4月9日水曜日

自然に焦がれる人、そうでない人

1968年の奥湯河原の天昭山神社前で、餌付けられていたT群のサルたち。右に泊まっているテントを張っているロープが見える。当時の写真をパソコンに取り込み中。
先日、丹沢の帰りに県立七沢森林公園に行った。ハイキングコースは整備され、斜面に岩を配し、その隙間にはスイセンが黄色の花をつけている。歩道沿いには園芸品種の石楠花が延々と植えられている。スイセンやシャクナゲは綺麗であり、きっと栽培の維持管理も楽なのかもしれない。ところどころに公園の清掃や修理をおこなう人たちが働いていた。ぼくにとっては、どうしてこうも人の手を入れなくてはいけないのだ。七沢の自然の森そのものを見せることができないのかと不満に思った。

帰路、夫婦連れに出会った。彼等は、「何にもない!」とぶつぶつを言い合っていた。彼等にとっての七沢森林公園は、尾根上には立派なレストランでもあり、横浜や江ノ島の方でも展望しながら食事をしたかったのかも知れない。あるいは、何かの遊戯施設でもあると勘違いしたのだろうか?

1980年代、各地に○○自然歩道なるものが作られハイキング道路などが整備された。しかし、それらの道は人がほとんど利用しなくなったため、草木で被われたり、台風や梅雨の大雨で道が崩壊している。

自然の美味しい空気を吸いにきた人々は、駐車場周辺のお店に立ち寄るが、山に入ろうとはしない。今の日本人の自然への親しみ方は、車で自然が残っている場所に行き、その駐車場周辺で飲み食いするだけで、自然の息吹を感じ取っているかのようだ。

都会に住んでいるから、自然を求めて山に来るのだが、「何もない!」と帰っていく。自然への接し方、親しみ方、遊び方が分らない、精神的な田舎の人だ。あるいは、箱庭の自然だけを求める人だ。

2月に釧路に行った時に兄貴夫婦に連れられて国際ツルセンターに行った時、霙が降る中を二人の欧州系の人が、写真を撮っていた。また、友人の話によると温泉に入るサルで知られる志賀高原の地獄谷野猿公園では、今は日本人の観光客よりも海外からのツアー客が多いようだ。また、丹沢に一緒に行っている矢部さんは、外国人の知人たちから、一緒に丹沢のサル観察に連れて行って欲しいとお願いされているようだ。

日本まできてサルを見たり、ツルを写真に撮ったりする。欧米の人たちにとっては先進国である日本に野生猿がいること自体信じがたいことなのである。

欧米人は精神的な都会人であり、いつも草木溢れる自然を渇望している。日本人は風景を見るだけで満足し、山中に入って浸ろうとはしない。

この違いはどこに起因するのか?欧米人は半砂漠のようなところで牧畜生活をしていたために、草木溢れる自然を渇望するのか?日本人は四季が明確であり、野山の植物が枯れることなどない豊かな自然に恵まれたきたために、敢て自然の中に浸かってまで楽しもうとはしないのか?

2008年4月7日月曜日

竹の子

矢部さんが竹の子をザックに詰めて持ってきてくれた。米糠も一緒だ。すぐ、大鍋で茹でて、鍋に入りきらなかった残りを写真に取った。
竹の子は、洋風、中華風、和風の全てに合う食材となる。しかし、竹の子が出てくる竹林は奈良・平安朝の時代に遡ったような感じを与えてくれる場である。日本人の精神の場とも感じられるのが竹林である。


ぼくが生まれ育った北海道には竹林はない。七夕祭りで飾り物や願い事を書いた短冊を吊るすのは柳の木である。柳の細い葉としなやかさが竹にとって変わられる。子供の頃は柳の木の七夕飾りを見ながら、「笹の葉さらさら、軒端に揺れる、、、、」と歌ったのである。
柳はそのしなやかな枝から釣竿にもなった。

竹の子が顔を出す前に、山ではイノシシたちが竹林の至る所を掘り起こす、10センチから20センチくらい顔を出したところを今度はサルがガブリと齧る。

哺乳動物たちは、3、4月に冬期の食物欠乏からの栄養失調がたたって餓死することが多い。せっかく待ち遠しい春が来て竹の子が出てきたり、新芽が膨らんできてもそれらを食し、消化する体力が無く死んでしまう。しかし、昨年はドングリがたっぷり実ったので、衰弱死する哺乳類は一頭もでなかっただろう。今年の春の出産季は動物たちのベビーブームとなるのは、間違いない。

花の色と咲く時季

ハナミズキの花が開花し始めた。花ビラ(ガク)は葉っぱそのものであり、これから次第に白く色づいてくる。

ハナミズキの開花はどのような条件によって促されるのであろうか?サクラは開花前線から気温の上昇であることがわかる。ハナミズキは?
花の咲く時季で、不思議なのは、ウメやジンチョウゲやサクラである。何故、寒さで凍えるような時季に開花させるのであろうか。ウメは白く、あるいは紅く、ジンチョウゲは高貴な香りを放ちながら、サクラは淡い桃色の花を枝一杯につける。白色、紅色、桃色、香りは動物たちへのむけてのメッセージである筈である。しかし、この時季には昆虫はまだ越冬中だ。花粉を風によって運ばせるなら、色や匂いは必要ない。ヤナギやクロモジ、ヤシャブシのように目立ったないもので十分だ。
ウメやサクラは花が目立ち香りが良いだけに小鳥たちに啄ばまれる。サクラはムササビやサルにも食べられる。にも関わらず、サクラは毎年花を咲かせる。
植物の種子はその回りの果肉ごと動物に食べられることによって糞として排泄されて、分散するものも多い。サクランボはヒヨドリもイタチもサルも大好きであり、果実は動物たちに食べられる方が良いのだ。サクラは、綺麗な花をつけることによってここにあと3ヶ月後には美味しい実をつけますので、食べてくださいよという動物向けのメッセージなのだろうか?
植物の花の色と香りと時季で不思議なのはキンモクセイもそうだ。何故、寒くなってから素晴らしい香りを放つ花を咲かせるのか?誰にむけての匂いなのだろうか?まさか、同種の仲間にむけてのものではないだろう。
このようなことは、花の進化などを研究している植物学者からはそんなこともう答えは出てますよといわれそうだ。

2008年4月3日木曜日

虫の声、小鳥の声が聞こえない!

先日、NHKテレビで17年ゼミの大発生についてやっていた。セミが尻を振って鳴いているシーンや人々があまりにウルサイ鳴き声に耳を塞いでいるシーンが流れた。「セミが鳴いているのが聞こえるの?」と連れ合いに言うと、「え?鳴いているよ!」と応えた。娘がボリュームを上げてくれた。ナレーターの声が響く。しかし、ぼくにはセミの鳴き声が全く聞き取れない。音量とは関係なく聞き取れない音がある。

アフリカから戻った年の秋の夜に、「アフリカ行く前までは庭で虫たちが鳴いていたが、コオロギもいなくなってしまったのか?」「え?ウルサイくらいに鳴いているのが聞こえないの?」と連れ合いは怪訝そうな顔をした。学生たちと道路を歩いていて、「せんせい、危ない!」と袖を引っ張られる。すぐ後に自転車に乗った人がベルを鳴らしながらいた。あるいは、同じように手を歩道側に引っ張られたこともあった。真後ろに車がおり、運転手はぼくを睨んでいる。

居酒屋で飲む、皆の話しの半分以上は聞こえないのに、雰囲気で返事をしている自分に気づく。高い音が聞こえない。

不思議なのは、聞こえているのに、その音声・単語の意味が知覚・認知できないために聞き返してしまう。同じ単語を2、3度聞いてその意味が理解できる。突然、何かを云われた時に聞き返すことが多い。それは、聞こえているが、その音の意味を認識できないのである。このところの日常生活でもすぐ聞き返してしまうことが多くなった。

ぼくの最大の問題点は、野外に出て、動物たちの立てる音が聞こえなくなったことである。サルを含む、野生動物を見つける最大の武器は耳である。「あ、何?」と何かがこっそりと果実を食べている音がするので、静かに近づいてテンを発見する。あるいは、「ン?サル?」と対岸の斜面を見るとサルが採食しているのを見つける。身体中の全神経を逆立てて、つまり耳にしてちょっとした、空気の揺れまでも感じ取る能力。それが、耳・聴力である。キジバトが林床で何かを啄ばんでいる音、アカネズミが歩く音、はもちろんのこと、キリギリスが鳴き止み、体勢を変える音までが聞こえた。

目と耳が良い哺乳類はヒトやサルだけだ。他の哺乳類は、鼻と耳で物と見つけている。しかし、目の能力はその物を見つけたらその方向や距離まで一瞬の内に認識できる。しかし、臭いは空気の流れで揺れ動き、発生源を特定することは難しい。音は反射して、やはり発生源を特定するのが困難だ。ヒトが密やかに生活している野生動物を見つけることができるのは、耳と目が良いからである。

この能力がアフリカから戻って以来なくなってしまった。自然の息吹を感じ取る、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るの五感が備わっていてこそ、動物に出合うことができるのだ。今の自分は、視覚は老眼と近眼でダメ、聴覚は難聴になってしまった。触覚では、事故以来、右膝下部分と右頬、右上歯茎が痺れているようで無感覚である。しかし、これはたいしたことではないので、変わらないようなのは、嗅覚、味覚、触覚である。

アナグマやタヌキたちの鼻の良さにはぼくと格段の差があるが、ぼくの視覚や聴覚能力が落ちたので、これで目が悪く鼻が良い、動物たちの感覚に一歩近づいたとも云える。

2008年4月2日水曜日

カーブミラーとサルの行動

写真をクリックすると拡大します。4月2日のハタチ沢沿いの林道のカーブミラーにあったサルのフィールドサイン。
これほど、はっきりとサルの手形が残っているカーブミラーはない。サルは、カーブミラーに写る自分の姿に驚いて、威嚇をしたら、ミラーの相手も威嚇するので、さらに接近したら、相手も接近してきた。相手は弱そうなので、とうとう肉体的接触を伴う攻撃行動となった?

あるいは仲間と思って挨拶をしたら、ミラーの個体も同じ挨拶をしたので、接近したら、相手も接近してきてグルーミングしたのかな?

いずれにしても、群れに所属していないハナレザルがこのフィールドサインを残したと思われる。

フィールドサイン

今朝、K.Y.さんの車に5時半に乗って、家をでる。ハタチ沢でサル糞ありとの情報を得ていた。気持ち良い程の肌寒さの中を沢に沿った林道を歩く。サル糞は見つからなかったが、2,3箇所のカーブミラーにサルの足跡がある。

まだ、9時を回ったばかりなので、先週行った七沢森林公園に行く。職員の人にサルのことを聞くが、今週はまだ出てきていないようだ。
「尾根の散歩道」を歩いていると、異様に幹が濡れた木がある。クリックして拡大して!上端2箇所にリスが樹皮を削り取ったような痕があり、そこから樹液が流れ出ている。傷痕は地上から1.5メートルくらいの高さのところである。
3月4日の竹蔵丸の船長さんのリスが樹液を舐めている素晴らしい写真(http://white.ap.teacup.com/applet/takezou/archive?b=10)から、リスかムササビが樹液を舐めた痕と考えた。
しばらく尾根道を歩いていくと、今度は、ヤマザクラの花付き枝が散らばっている。良く見ると花弁だけが毟り取られて捨てられている。誰が、このようなイタズラを?サルではない、サルならもっと酷い枝の折り方をするし、花弁やガクを含めて無造作に毟り取る。
折れた、枝先をみると、錆びたナイフで切ったようになっている。枝を折り取ってもこのような形状にはならない。
ムササビの食痕だと、K.Y.さんが教えてくれる。すると、前の樹液があふれ出ていたのは、ムササビ?通りがかったバードウォチャーに聞くと、このあたりにはムササビはいない。リスはこの尾根では見たことがないと言う。バードウォチャーはフィールドサインには気をつけないからダメか、、、?



2008年4月1日火曜日

マングースの剥皮・除肉

冷蔵庫に容れておいたマングースを解体しようと、昨日、取り出した。凍っている。冷蔵庫を最も冷える状態にしていたのだ。とても剥皮や除肉はできないので、一個体だけを取り出し、写真を撮り、物置に置く。

今朝、9時から10時半までかかって処理する。オスであり、大きめの大豆を二個合わせたくらいの睾丸があった。毛皮を記念に保存処理しようかなと思ったが、面倒なので止める。頭部、左右の前脚、左右の後脚、胸部・腰部・尾部の6つに分け、除肉をして、頭部、脚部、他の三つをそれぞれ上部を切り取ったペットボトルに容れて、水に浸す。

除肉や腐敗をいそがせるには一度、軽く煮てから残りの肉を取ると良いのだが、急ぐわけでもないので大まかに肉を取っただけだ。動物淡白分解酵素も混ぜなくてよいだろう。

毎度のことであるが、このような作業をやっている時は息を潜めてやっている。気持ちが悪いのだ。
できれば、何人かの観客がいて、ワイワイ言い合いながら作業したい。観客の一人が皮を剥がすときに、身体の一部をつかんでいてくれれば、もっとスムーズに解体できる。

このマングースは、おそらく、捕殺後、すぐに内臓が抜かれ、素早く冷凍されたのであろう。ばらしている時にも腐敗臭がなかった。奄美野生生物保護センターの皆さんに感謝!