2009年9月30日水曜日

貧富の差(続々)

タンザニアのマハレ山塊国立公園のビレンゲ基地:
基地で働くレインジャーや管理官の子供たち
山から降りて来たら、右の川で食器洗いや洗濯をしていた。

トングエ族の子供を含む複数の部族の子供たち、
左の木の葉に隠れて座っている子は主任管理官の子供である。
ここでは、食べる物着る物に差がない。

2009年9月29日火曜日

貧富の差(続)

タンガニーカ中央にタンザニア側から突き出したマハレ山塊を北から南に縦断する。
トングエ族の人たちが井戸から水を汲み上げていた。

タンザニアには有名なマサイ族を含む86以上の部族がこの国で生活している。経済を握るのはインド人、アラビア人、ヨーロッパ人である。
国民の大半が貧しい。が、こここの人たちは明るく、よそ者をもてなすのが好きである。

ぼくは、3年間この国で暮らした。86以上の部族があるのに、ぼくが付き合ったのはトングエの人たちである。
トングエの人たちの中には金持ちはいない。というよりも金持ち=富める者ができないようになっている。食事時に歩くとと「カリブー」(いらしゃい!)と声が掛かる。

お金がなくても収穫がなくてもカリブーと声を掛けられるので生きていける。また、持たない者が持つ者に対して、物を要求すると、その物を与えなくてはならない。ぼくが使用人たちに渡す給与はその日の内に無くなる。両親兄弟親類がお金を借りにくるからだ。もちろん、借りるだけで返しはしない。

それは、村でも同じだ。富める村はできない

2009年9月28日月曜日

貧富の差

中国では海岸部と内陸部、都市部と農村部、漢族と他の民族、一部の金持ちと大多数の肉体労働者との間の貧困格差が拡大しているようだ。
それは、ぼくが2000年2月に西安に行った頃から見られていた。
下は、キンシコウの調査で基地にした百皇廟村の風景、西安の方を眺める。

耳に入ったところによると、この村の多くの人たちは西安の街へ家族もろとも出ていったようだ。
中国は共産党の一党独裁国家である。
富を分配し、平等を目指すのが共産党であった筈だ。
それが、幹部の汚職・腐敗がひどい状態まで進んでいるという。

最初に兵馬俑に行った時のことを思い出した。受付嬢がお客である僕が目の前で切符を差し出しているのに、編み物をする手を休めようとしなかった。
あるいは、キンシコウの保護区に入るのに、僕らにとっては不思議なお金を払わなければいけなかった。払うと幹部たちとその土地のレストランで宴会である。
そうそう、こんなことがあった。屋台で一個のキュウーイフルーツを買おうとしたら、保護区の役人が屋台の女性に何か一言二言云うと、女性は仕方なさそうにぼくに一袋あまりのキューイフルーツを手渡してくれた。お金を払おうとしたら、役人が手を振って遮った。すごく後ろめたい気持ちでその場を後にした。

富める国は貧しい国の安い労働力の上に成り立っている。富める人は貧しい人たちの上になりたっている。派遣会社は、以前の手配師たちと同じではないか!手配師(派遣会社)を必要とするような会社をなくしていかなくては、、。少なくても貧富の格差の拡大は人々が荒ぶ。
誰もが富める社会を望むよりも、誰もが貧しい社会を望みたい。

2009年9月26日土曜日

秋の収穫

庭の軒下から出てくる長芋(ナガイモ)のツルに今年は大粒のムカゴがたくさんついた。塩とバターでフライパンで炒めてビールの摘みとし、何度かに分けてムカゴご飯をたべた。
イチゴパックに容れるとあふれるくらい採れた。

昨夜は、トルコ旅行の反省会を我が家でやって、ムカゴご飯を出した。もちろん好評であった。
山菜やキノコ、あるいはサルナシをたくさん採ると豊かな気持ちになる。
つまり、蓄えるほどたくさんの食物は気持ちを落ち着かせる。

しかし、このような余剰の食物の蓄積から富める者とそうでない者との差が生まれたのだ。たくさんの収穫物を共同で蓄えて、分配できるようにしたいものだが、、、。

2009年9月24日木曜日

こころの風景

人は各人がそれぞれ自分の心の風景をもつのだろう。
本を一つ取り上げても、読んだ時期がほとんど同じなのに受け取り方がずいぶん違う。
子供の頃、食べた物においても人それぞれの受け取り方が違っている。
ぼくはご飯が嫌いで、ジャガイモ、カボチャ、サツマイモ、トウモロコシの食事が好きであった。しかし、これが嫌だった言う人がいて驚いたことがある。
子供の頃、遊びまわった屋外の風景も同じように各人に違って受け止められているのだ。
下は前の家に植わっているナツメのの樹とその実

生まれてから高卒まで暮らした北海道釧路出身者にとって、ナツメという言葉は何故か憧れの懐かしさ、小学校唱歌の内地の風景を思い起こす。
小中学校で習ったすべての教科書に出てくる挿絵の風景は、遠い海を隔てた異国の風景であり、国語や音楽や理科、社会に出てくる桜や柿や水田、稲穂、気候や、鎮守の祭りのお話は北海道では味わえないものであった。

ぼくは教科書の中の街や田園の風景に憧れた、梅雨や台風にさえ憧れた。
生まれ故郷の心象風景は、灰色の空に覆われた寒々とした荒涼とした原野(釧路湿原)に埋もれる家屋である。

かっての日本人が欧米が憧れ、日本を卑下し欧米のすべてを美しく思い描く。
このようなことが宗主国である日本が日本語を含めてアジア各国に押し付けた時代があったのだ。今も帝国主義的に商品や文化という名である特定の価値観を押し付けている。

生まれ故郷が暗い寒々としたイメージを持つような子供を作り上げる教科書を含む文化は間違っているだろう。
そういう意味で、政府が変わったことによって美しい故郷が、水没から免れると考えられないものだろうか?
地方に目を向かせなく、東京へ、都会へという流れを作ってきたこれまでの政府の教えを払拭させる良い機会でもある。

2009年9月22日火曜日

丹沢実習で(4):このハチは?

丹沢実習で、見つけた昆虫。
ハナムグリが、、、、。

この腹部の長いツチバチの仲間が、幼虫を持って地面の上を這うようにして移動している。写真を撮ろうと近づいたら幼虫を置いて飛んでいった。しかし、また同じ幼虫を運んで移動していた。

最初に、置き去りにした幼虫をお玉の上に乗せて焼いて食べてみた。少しカシュナッツのような味がした。

このハチを調べた。キンケハラナガツチバチとも違う。なんというハチだろうか?そして幼虫はスズメバチの幼虫ではないかと思った。

イナゴやハチノコ、テッポウムシを食べるような昆虫食は、日本ばかりでなくアジアやアフリカでも見られる。東南アジアではクモ、ゴキブリ、セミ、タガメなども焼いて食べる。もともとサルの祖先は食虫類のような哺乳類だったようなので、サルやチンパンジーたちは多くの昆虫を食べる。ぼくらは魚、鳥、哺乳類の肉食は盛んだ。健康の面からも昆虫食による動物タンパクの摂取をすべきかもしれないと思うがいかがだろうか?

丹沢実習で(3):小鹿の年齢?

丹沢実習で、女子たちが拾ってきたオスの小鹿の下顎の切歯・犬歯を上から写真を撮った。
シカやカモシカの仲間の下顎の犬歯は切歯と同じように並び、まるで切歯が4対あるようにみえる。

左の第一切歯が乳歯から既に抜け替わり永久歯になっている。
右の第一切歯はまだ乳歯のままで、小さな歯だ。
エゾジカでは第一切歯が抜け替わるのは生後2年目の冬ということだ(小池・大泰司、1984)。
エゾジカの例をニホンジカに当てはめると、この小鹿は今年生まれではなく昨年生まれの個体なのだろうか?
とすると1歳半となるが角が出ていない。
身体の大きさからは今年生まれの個体と思ったのだが、、、。

2009年9月21日月曜日

丹沢実習で(2):カモシカに出逢う。

小鹿の解体作業を終え、林道を歩く。シカの足跡がアスファルト上に残る。正面の斜面に何かが動く。カモシカが急斜面からこちらを見ている。

斜面の直下まで近寄って写す。

若い個体と思ったら、そうではない。年齢推定に使われる角輪がいくつも重なってみえる。写真で見る限り7歳以上の個体だ。それにしても黒い毛皮の持ち主だ。
さらに歩いたところで再び別のカモシカを見つける。

サルのクワンという警戒音が前方の谷間に響く、先に歩いて学生にサルを見なかったか?と尋ねるとシカは見たがサルは見てないようだ。
カーブミラーにはサルの手形がついている。

林道終点となり、そこから尾根にとりついて稜線を目差す。急な登りであるし、途中からスギの植林地で間伐した幹や枝打ちした枝が縦横に転がっているので歩きづらい。稜線にでて一休みし、堤川林道を目差して下る。
稜線の直下にあったアナグマの巣穴

下は昨日見つけたエビフライ。

今回は、シカ、カモシカ、サル、アナグマ、リス、ムササビ、さらにはネズミのクルミ食痕などのフィールドサインを見つけることができた。
小鹿はオスで、左の第一切歯が永久歯に生え変わったばかりで、他は乳歯であった。この時季に面白半分で動物を撃つ人がいるのだ。もっとも6月に散弾で撃たれたばかりのタヌキを拾ったことがあるが、山歩きでそんな人たちがいるなんて恐ろしい。
猟期外の猟銃は警察に保管されるようなことにしてもらいたいくらいだ。

2009年9月20日日曜日

丹沢実習で(1):小鹿を拾い、運びおろす。

18日(金)・19(土)と一泊二日の丹沢野外実習があった。
山歩きが少ないので、自分たちで地図と磁石をたよりの尾根歩きをしてもらった。
男組と女組の2グループに分かれて、高畑山山頂で落ち合うことにした。
尾根歩きの基本として、高い所、常に高い所を目差して登ることと注意をした。

待ち合わせ時間がきても女組が来ないので、何かのアクシデントが生じたために来られないと判断し、山頂から尾根を下り、キャンプ場に着いた。
女子たちは、ぼくらに「びっくりするものを見つけた!」と目を輝かせて話す。

彼女らがまるで絵本に出てくるような狩人のような姿で、ニコニコと小鹿を担いでもってくる。
そうやって何度も交代しながら運びおろしたようだ。
もちろん、それからは小鹿の死因の話しで盛り上がった。

キャンプ場では解体作業ができないので、明日の早朝、人がやってこないところまで運んで解体することになった。
女子二人が笑いながら早朝シカを運ぶ。

暗いうちに小鹿を置いてきて、キャンプ場に戻り、朝食を食べ、後片付けをして小鹿のところへ行き、先ず、ぼくが皮の剥ぎ方を教える。学生たちの驚きの声をバックにある程度皮を剥がし、学生に代わる。男子は足を持つくらいであった。

綺麗に履皮した毛皮と足を並べて記念撮影。

前脚、後脚は女子たちがそれぞれ欲しがり、尾と耳も女子、頭部も女子で男子は最後まで腰が引いていた。

この小鹿の死因はなんと脊椎を撃たれたことであることが解かった。毛皮に直径1センチくらいの穴が開き、背骨に弾が貫通していた。

2009年9月16日水曜日

ハイイロチョッキリの土に潜る生活史

14日(月)にハタチ沢林道をつめて堤川林道超えの道を確かめたが、その時にもコナラのドングリ付き小枝が大量に落ちていた。
いくつかを拾ってきて、ドングリを確かめた。
ドングリ君のベレー帽の横に針で刺したような穴が開いている。
小さな卵か幼虫を見つけられると思ったが、3個試したがいずれも下のようになっているだけ。
どうも、いずれの場合も幼虫をつぶしてしまったようだ。
まだ、もってきたドングリが2個あるので、1ヶ月くらいしたら割ってみよう。
オトシブミ科のハイイロチョッキリの幼虫がいる筈だ!
ハイイロチョッキリは卵を産んで小枝を切り落とす。卵が孵ってドングリを食べて成長し、出てきて土に潜るということだ。この土に潜るという生活史が夏休みに新釧路川で獲ったゲンゴロウの仲間の幼虫も最後には、水から出て土に潜って蛹になるというのと似ている。コガネムシやバッタは卵・幼虫時代から土の中だが、土の中は安全なのか?安定した環境であることは確かだろう。

2009年9月15日火曜日

トルコの自然(16)サバサンド

前日の夕食はガラタ橋の下にあるレストランで食べ、最後の日のお昼は橋の近くの岸壁の屋台レストランで有名?なサバサンドを食べることにした。
なんとトルコで食べた料理でこれが一番美味しかったのだ。
というよりもそのくらいトルコ料理の濃厚で複雑な味に飽きていたのだ。
岸壁では釣り人がたくさん。
スレンレス製の鉄板の上にオリーブオイルをぬって、その上に三枚におろした棘(骨)抜きの半身の両面を焼く。
パゲットを半分にし、中に焼いたサバとタマネギのスライスを挟んだものが出される。
そのサンドイッチを小さな椅子のようなテーブルの上にある、レモン水(黄色の大きなボトル)、塩(真ん中のボトル)、胡椒(左の小さなヤツ)で自分で味付けして食べる。
下の物がサバサンドである。上の写真のN.Kさんが撮ったものだ。
塩・胡椒とレモンの香りだけの単純な味だけに、ぼくらの口には美味しく感じた。
トルコに着いた最初の日に食べたら、「な~んだ」と思ったころだろう。
街路樹はセイヨウトチノキのマロニエである。果実にトゲトゲがあるのでトチノキと異なる。クリックして拡大してみて!

2009年9月14日月曜日

今年始めてのサルナシを食べたテン糞

今朝、早起きをしたが、家を出たのが6時を過ぎていた。
今日は、ハタチ沢林道と土山峠からの堤川林道へ抜ける道を確認することであった。
林道の途中のガードレール下の路肩に生々しいテン糞見つける。
糞の内容物はサルナシを食べたものだ。まだ、未熟で硬いサルナシを食べたようで、サルナシの甘い発酵臭はない。サルばかりでなくテンも早生が好きなのか、あるいは食べ物がなくて硬いサルナシにとびついたのか?
ハタチ沢林道にのカーブミラーの多くがサルの足跡がついていた。
どうも一頭のサルがやったのではなく、複数のサルがカーブミラーに足跡を残したようだ。が肝腎のサル糞は見つからず。
今日は、すごくどうかしている。目印にする赤布を持っていくのを忘れてしまうし、
車から離れて歩き出したら、通過する車が止まって手を振る、近寄るとランプが点いたままだと注意してくれる。
ハタチ沢林道終点から南東に走る尾根を上がっていって清川トンネルからの稜線に辿りつき、朝飯にしようと思ったらコンビニで買ったオニギリなどの袋をそのまま車に置き忘れてきた。
稜線との出合いの場所は、何度か来たことがある。
南に行くと細尾根となり、1キロほどいくと物見峠と鍋嵐へのT字路になる。堤川林道への道を少し辿って戻り、サーモの熱いコーヒーを飲む。腹が減った。戻るよりない。
帰路、3箇所もイノシシ臭い(ブタ小屋の敷き藁の匂い)ところがあり、一つはすごく臭うのでブッシュの中にイノシシが潜んでいるのではと思ったくらいだ。いきなり飛び込まれたら、怪我をするので、離れて石を投げてみたが反応は無かった。
今日の場所はヒルが多い場所なので、どのくらい出てくるかと思ったらゼロだった。
もう、ヒルたちは夜が寒いので活動を止めたようだ。

2009年9月13日日曜日

テン糞の内容物のキブシのタネともう一種!

9月5日の湯河原野生生物探検隊で大発見したテン糞の中身のキブシのタネ。
左のタネがテン糞に入っていたもの。
右のタネがキブシの実をつぶしてタネを取り出して水洗いしたもの。
比較しやすいように方眼紙に並べて置いた。
右のキブシの実をつぶして取り出したタネの方がツヤツヤしているのは湿っているせいかもしれない。
しかし、4時間経ってからも同じようにツヤツヤしている。違うもの?動物のお腹を通ってきたタネは下のタネもそうだが光沢が無くなるの?

下のタネは上のタネが入っていた同じテン糞に入っていた、もう一つの種類の違うタネ。
糞を水洗いして取り出す。
このタネは?
明るい光の下でなら1ミリ程度のものならぼくのカメラでも固定させてマクロで撮れる。
上のタネの植物を知りたい!

トルコの自然(15)ボスボラス海峡

最後の日に、地中海と黒海を結ぶというかヨーロッパとアジアを結ぶボスポラス海峡を船に乗って両岸の景色や海峡そのものを見ることになった。
我々が予約してある船がまだきていない。待つ間ぶらぶらとその辺りを見ていると、USUKUDAR ISKELESとある乗船口を見付けた。このUSUKUDARは江里チエミがヒットさせた歌、「♪♪ウーシュクダーラ ♪♪ ギーデーリッケン、、、、、、♪♪」である。この歌はトルコの民謡のようで、USUKUDARはトルコ西部の地名とある。
もっともこのブログを見る多くの人たちは江里チエミを知らないだろう。
確か、高倉健との結婚歴もある筈だ。
ここに停まる船に乗るとUSKUDARにいけるのだ。
隣の船着場にきた5,60人は乗れそうな船に乗る。我々6人だけだ。
巨大な客船が停泊していた。世界一周をしている船のようだ。さすがに東西を結ぶ要所の海峡だけあって船の往来が激しい。
ガイドはトルコにイスタンブール、ボスポラス海峡がある限り経済的に安泰とのことだ。
ルメリ・ヒサルの要塞跡。ここに行ってみたいものだ。海峡の幅が狭くなっている。
海峡の両岸には、船着場、ホテル、別荘が立ち並び、お金持ちの場所というイメージだ。

たくさんのカモメに混じって、ウミウが波間に漂っていた。ボスポラス海峡に流そうと思っていた親父の骨を、移動車の中に置いたままであった。まー、ナイルに流しているので良しとした。
トルコの集中豪雨による大洪水をTVニュースで見たが、驚きだ。

2009年9月12日土曜日

コナラの実つき枝を落としたものは?

先日の湯河原野生生物探検隊で、解明できなかったフィールド・サイン。
それらを写すtake隊員。
林道にコナラの木の枝が覆いかぶさるようになっていれば、
コナラのドングリつき小枝がいくつも落ちている。早朝か、前夜に落ちたものだ。
強風にあおられて落ちたのではないことが判る。
どの実つき小枝もほぼ同じ箇所から落とされている。
小枝は何者かによって切り落とされたのだ。
無理矢理折ったり、ひっぱたりしてこのような切り口にはならない。
切り口は0.5ミリ以下の虫眼鏡でしか見えないような細いスジが数本走っている。
細い前歯を持っている齧歯類が齧り落としたのだ。
で、ネズミという結論に達したが、ここにはアカネズミやハタネズミがいる。
木の枝先にいけるのは尾の長いアカネズミなのか?
それとも主食が植物食のハタネズミなのか?
でも、ナゼ!
落としてから後で食べるのか?
果実食・種子食の動物にはサルもいる。
ニホンザルにとっては真夏は美味しい食物が無い時季でもある。
ドングリもまだしっかり熟していないし、サルナシやアケビもこれからだ。
で、サルたちはまだ未熟な果実を食べることになる。
同じようにドングリを食べるネズミにとっては完熟まで待てずに早生食いをするのかもしれない。
夜間に林道に出てきて落としたドングリを食べている姿を見たい!

トルコの自然(14)ガラタ橋

金角湾にかかるガラタ橋で釣りをする人たち。
このような釣り人を見るとほっとするから不思議だ。
釣り竿を貸すのかな?
この魚は何だろう?
上の魚が生きている状態、何故、このようにして釣った魚を橋を通る人に見えるようにしているの?
売り物だ!釣った魚を売っているのだ。さらに、餌のエビまで売っている。
この魚を唐揚げにしたら美味しそう。あるいは醤油の煮魚もいけそう。
カッパドキアでニジマスのただ焼いただけのお昼を食べたが、ニジマスでも塩を振って焼くと美味しいのにとその時思った。トルコの魚料理はどのようなものになるのか。
トルコを含むヨーロッパ・アフリカ圏の料理のベースは、トマトとタマネギだ。この味が好きなのに、今回のトルコ旅行では飽きてしまった。塩・胡椒、塩・唐辛子の単純味付けの料理を口に出来なかったために、トルコ料理が飽きてしまったのだろう。

2009年9月11日金曜日

トルコの自然(13)地下の貯水池

378年にできた水道橋、現在は約800m残っているようだ。水は北の森から地下宮殿まで流れていたようだ。
エジプトでもそうだが、乾燥して雨が少ない所ほど水道・灌漑設備が発達する。
しかし、8,9日にイスタンブールに降った豪雨があり、洪水により40名が死亡したようだ。二日間の降水量は年間降水量の3分の1に達し、この80年で最大の豪雨だったようだ。異常気象のせいなのか?

ここは地下宮殿の異名をもつ地下の貯水池の入り口。まるで、地下鉄乗り場の入り口だ。
内部は薄暗く、中は小学校のグランドくらいの広さがあり、高さ(深さ)8メートルほどのようだ。
今でも地下に水が溜まっており、発見されるまで人々は地面に穴を開けて水を汲んだり、魚を釣ったりしていたようだ。
下のような石柱によって天井を支えている。
コイがたくさんいた。
外敵が水に毒を混入させた場合、コイの死によって毒の存在がわかる。
石柱には涙模様、この模様を模っ石や絵が魔除けになるようで、お土産として売られている。 逆さになったメドゥーサの石柱、
横倒しのメドゥーサの石柱
ギリシャ神話にでてくる怪物メドゥーサ(髪の毛はヘビで有名)が石柱に彫り込まれて天井を支えていることもさることながら、ここでもカッパドキカにある地下都市の岩を掘り抜く技術に驚く。
水に困っているからこのような地下の貯水タンクをつくったのに、豪雨でグランドバザールまで浸水とはどういうことだ。
イスタンブールのお世話になった人たちはどうなっただろうか?心配だ!

続)キブシのタネの大発見!

isa隊員から、キブシとテン糞の写真が送られてきた。
クリックすると拡大します。上のテン糞に4個のキブシのタネが見える。真ん中の3個はキブシのタネ。
テン糞の間にあるキブシの実は、take隊員が割ってタネを見やすくしたもの、テン糞の上部にはキブシの果皮つき果肉があるが、夕方で暗かったのでちょっと判りづらいかな!下はその拡大。
isa隊員の撮影している様子。
一眼レフカメラが欲しくなった。