「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年9月4日金曜日

トルコの自然(5)ウチヒサール

ウチヒサール(尖った砦)を仰ぎ見る。この岩にある穴はハトの巣のようだ。ほとんどの岩に穴はハトの巣が多いという。土地が痩せているため、ハトの糞を集めて肥料とするためにハトが飼われたというが、何故ハトなの?肥料はニワトリやロバやヤギの糞ではダメ?と疑問に思った。
「ハトの谷」で、この峡谷の岩壁にも穴が開いている。ハトの巣のようだ。
これで、トルコにハトが異様に多い理由がわかった。しかし、、、、、。
キノコ岩となづけられた岩や、ラクダ岩と名付けられた岩など不思議な造形美の岩が点在する。
欧米の若い画学生が強い日差しの中で何人か風景画を描いていた。
ハトの谷におりる道があったので、下ると大きな枯れたアザミとリンゴの木があった。
さらに、乾いて水分が濃縮されたような花色のフヨウが咲いていた。
植物の適応力はすごいが、それにも増して人間はどんなところでも生活の基盤を作ってしまう動物だ。

2009年9月3日木曜日

トルコの自然(3)洞窟レストラン

トンガリ帽子の岩だらけのカッパドキアに着き、洞窟レストランでお昼である。
岩を掘り抜いて部屋をつくっている。
ぼくは中に入る前に早速レストランの前の岩の斜面を登ってみた。
レストランの内部は天井が2.5メートルくらいの高さであり、外の暑さに比べるとヒンヤリしている。房総半島の高宕山付近の石切り場の跡の洞穴もこのようにしたらおもしろいのにと思う。でも、地震が怖いか!小学校の二教室くらいの広さである。
食後、早々に外に出てレストランと一体となった丘に登る。乾燥した岩肌の土の上にきれいな様々な色の花が咲いている。このアネモネのような花が目に飛び込んだ。
これはシシウドを小型にして乾燥に耐えるようにした植物だ。
植物の写真を撮っていると、ロバを連れたおばあさんがいた。おばあさんといってもぼくと同じくらいかちょっと上くらいの年齢だろう。暑い日差しの中で、唯一の話し相手でいるかのようにロバと寄り添っていた。なんとなく写真を撮るのもはばかれたので、景色を撮るようにしてとった。
お互いに寄り添うロバとおばあさんは、キャラバンサライを見てきたこともあって、世俗を超越したこの中部アナトリア地方の人たちの姿を映しているようであった。
トルコはEUに加盟 はしていないが、ユーロやドル、さらには日本円まで使用できる。ドイツへ出稼ぎにいく人たちも多いようだが、トルコの国そのものが急速に発展しつつあるという印象をもった。トルコ人のガイドによるとトルコはイスラム教の国だが、「な~んちゃってイスラム」だと云う。ほとんどのレストランでビールやワインは飲めるし、トルコ人も飲んでいる。政教分離をしっかりうたっているのもトルコの特徴だ。もちろん、モスクはたくさんあるし時間になれば大音量のコーランが流れてくる。

秋を探しに丹沢へ(動物)

この日は、カマドウマが林道をピョンピョン跳ねているのを7、8匹も出合ったが、このタイワンキチョウ(と思うのですが、、、)が飛びまわっていた。 林道の真ん中にアシナガバチの巣が車に潰されている。
蠢くものがいるので、幼虫でも残っているのかと思ったらクロオオアリがハチの卵を取り出して運んでいた。
林道の山側の斜面の上部にこのハチの巣があったが、何かに襲われて転げ落ちたのだ。
誰がこのようなことをやったのだろうか?猛禽のハチクマにちがいない。幼虫が詰まっている巣は幼鳥のために持ち帰ったのかもしれない。
コアカソが軒並み上部を食べられている。
カモシカかシカが食べたのだ。
ん?テン?ハクビシン?逃げないので、双眼鏡でみるとノネコだった。
このネコ君は鳥屋地区で飼われているネコなのか?人家までは2キロ以上ある。
近づいて写真を撮ったが、すぐ斜面のブッシュに消えた。
今日は、大きなアオダイショウを見つけて引っ張り出したし、全体がやや淡い茶系の大きなトカゲ(丹沢にオカダトカゲいるのかな?)を2匹見たし、カナヘビもいたので、ノネコは十分生きていける。
トルコで見たノネコの表情と違う。日本のノラは人を信用していない疑わしそうな表情だ。

2009年9月2日水曜日

秋を探しに丹沢へ

7月に実習で丹沢へ行ったのを除くと、5月以来の丹沢林道歩きであった。
昨日は、午前中机に向っていたが、天気に誘われてお昼を食べずに12時ジャストに家をでる。
林道に入る鳥屋の最後のお店でパンなどを買い、奥野林道ゲート前の駐車場に車をとめる。
久しぶりの丹沢なのでまるで初恋の女性と会うような不安とウキウキとした感じがする。
アブラチャンの実がこんなにたくさんついている。
アカメガシワの実だ。
ウワミズザクラに実を探す。高いところにまだついていた。
コナラがしっかりとたくさん実をつけている。
懸案の秋を象徴する尾花のススキが穂を広げていた。
まだ、「枯れ尾花」とはいかず。
この日は、林道を跳ね回るカマドウマをたくさんみつける。また、林道の大きなスズメバチの巣が転がり落ちていた。
続きは動物たちをアップしたい。

2009年9月1日火曜日

トルコの自然(3)キャラバンサライ(隊商宿)

22日はコンヤからカッパドキアに向う。
途中で、キャラバンサライに立ち寄る。
シルクロードやスパイスロードを通ってやってきた商人たちを安全に泊まってもらうホテルのようなもの。サライとは城・宮殿という意味で、広大な荒地に宮殿のように大きいことからこのような名になった。この宿は旅人が1日に移動できる40-50キロ毎にあり、10世紀のセルジックトルコのスルタン(王)が各地に作らせ、宿賃は無料で、しかも様々なサービスがあった。その結果、交易が盛んになり繁栄をもたらした。
上の話しをガイドから聞いて、”損をして徳(得)をとれ”という諺がよぎった。
上の門を潜ると、中庭となり、左右に部屋があり、奥には人々が家畜と寝泊りした仕切りのない空間が広がっていた。これは、右側の奥から入り口の方を撮ったものだ。
壁の厚さは2メートルは超えるようなもので、旅人が安全に泊まれる。
最近まで、牛や山羊の寝倉として使っていたようで、家畜の臭いがたちこめていた。
それにしても天井が高い。
外は日差しがジリジリと強く暑いのに、この中は涼しい。壁の厚さが外気を遮断している。
各仕切りごとに小さな明かりをとる窓が5メートルくらい上にある。そこはハトの巣となっている。もしかしたら、コウモリもいるかもしれないと思って天井を見上げたが見つけられなかった。
キャラバンサライの前のレストランで昼食にする。
外を見ると、大きな荷物を乗せたバイクが2台。
ヨーロッパからボスボラス海峡を渡ってきた観光客だ。
レストランの門柱や壁に、大好きなスイカズラが咲いている。
分厚い葉である、こんな乾燥状態でもスイカズラは生きていけるのだ。
カッパドキアではスイカズラをたくさん見ることになる。
スイカズラはキンシコウの調査地の秦嶺山脈の山麓にも咲いていた。
スイカズラは東アジアが原産だからキャラバンによって運ばれてきたのだ。

2009年8月31日月曜日

小選挙区制は民意を反映する?

ぼくは、アフリカに行っていた時は別にして国内にいる時は、国政選挙や地方選挙の投票を欠かしたことがない。
今回は、驚いた。
投票所となる小学校の玄関から投票しようとする人の列ができて外に溢れ出ている。
少なくても今まで経験したことがないことである。
さらに、まるでスーパーの買い物に行くように子供連れで投票にきている人たちが多く目に付いたことだ。
人々の今回の選挙に対する熱意を感じた。
並んでいる列をみて、もっと電子化したら良いのにと思っていたら、選管からの用紙は電気的に読み取られて次に進む。以前のように名簿を括って名前をチェックするというやりかたから違っていたのも驚いたことの一つだった(これは全ての投票所でも同じだったのかな?)。
帰路、小田急線の線路沿いに咲くフヨウの花が目についた。
やはり、トルコの乾燥したところに咲いていたのはフヨウの仲間だ。
今回の選挙で、480議席のうち、民主が308、自民が119の当選者のようだ。
この2大政党で88.9パーセントの議席を確保している。
確か、選挙前の民主+自民支持者を合計しても50パーセント前後だった筈だ。
小選挙区制によって5人立候補しても一人しか選ばれない。
他の4候補を指示した民意は反映されない。
それを補うものとして比例代表制を取り入れているが、これも区割りしていることである。
比例代表制は国政選挙なのだから地方の区割りをやめ、全国一つでやるべきだ。
小選挙区制から中選挙区制に戻すべきだ。
民意が白か黒かの二つでわけられない。
ましてや今は多様な生き方をしている人たちが多く、多様な考え方に溢れている。
小選挙区制は「流れ」とか「風」だとか、非常に恐ろしいファシズムをも生み出す恐怖を感じる。

トルコの自然(3)果実の木の国

21日はパムッカレからコンヤへ向った。
途中のレストランでトルコ風ピザをたべたり、コンヤでは舞踏教団メブラーナ教の博物館(下)を見学したり、夕食を兼ねてレストランで神秘的なメブレビー教団の旋舞を鑑賞。
お昼にピザを食べたレストランの周辺は果実畑のようであり、それはトルコの街路樹も果実のなる木が植えられていたりして、乾燥したトルコの大地はまさに甘くおいしい果実を生み出すところだった。
下は、レストランの壁や回りを囲むようにツタのように植えられていたノブドウ(の仲間だと思う)。
街路樹にもグアバが植えつけられており、トルコではオリーブ同様に自然木のような感じだ。
プルーンやネクタリン、リンゴが道沿いの果樹畑にたくさん植えられている。
もちろん、昼食に立ち寄ったレストラン近くの街路樹のネクタリンはまだ硬かったが一つ食べた。
トルコでリンゴがなる?リンゴは冷涼な地域の果実だと思ったが、トルコは朝・夕は半袖では寒い。そのため美味しいリンゴもたくさん作られている。
下も昼食のレストラン近くで見つけたリンゴの木。
他にブドウやスイカが目に付いた。いずれも、甘みが濃縮されていておいしかった。ぼくは柑橘類がたくさん植えられているのではないかと果樹園があると目を向けたが、ぼくが今回通ったところでは目につかなかった。

2009年8月30日日曜日

トルコの自然(2)パムッカレ続

21日の朝、ホテルで朝食をすまし、300キロ東方にあるコンヤへ向う。
昨日のパムッカレの石灰棚を下から仰ぎ見る。
まるで、塩の山だ。8時を過ぎたばかりなのにもう観光客が歩いているのが見える。
石灰棚をバックに集合写真。寄りかかっている柵のすぐ後ろに石灰棚から流れて落ちてきた温水池がある。もちろん、すぐ側までいって池の水に手をつけ舐める。生ぬるい水だ。
手をつけたらメダカが寄ってきた。それをみて嬉しくなった。このようなアルカリ性の水の中にもやはり生き物はいるんだ。コケを食べているのだろう。
メダカの仲間だ。わかるかな?クリックして拡大してみて!
ぼくの名前を呼ぶ声がするが、他に何かいないか探しているとオタマジャクシをみつけた。
大きなオタマである。餌が豊富であるとも思えないので、共食いでもして大きくなってきたのだろうか。それともプランクトンのようなものを食べているのか?生き物たちの生存力に脱帽だ!
干乾びたような土には、ベンケイソウの仲間のような花が咲いている。
このパムッカレにも古代都市ヒエラポリスの遺跡が残っている。

2009年8月29日土曜日

トルコの自然(2)パムッカレ

エフェス(エフェソス)の古代遺跡から車で移動して、パムッカレの石灰棚を見に行く。お昼を食べたので、着いたのは午後4時を回っている。
それでも、凄い欧米からの観光客の数だ。
ここにもたくさんの遺跡が転がっているので、欧米人にとっては日本人の邪馬台国の遺跡を求めてきているようなものなのか?
不思議な景観である。この景観の小規模のものも見たことがない。
ガイドの説明によれば、観光客の増加によって立ち入り禁止区域も増加したようだ。
それは、そうだ。夕方近くなのにこのような人込みである。
36度はあるという温泉のようだが、ギラギラ日差しなので温かくないという水温である。
ご覧のように欧米の人々は裸になって、温水に使っている。
ぼくは、水の中に生物がいないか探しもとめたが、ダメ!
石灰だからアルカリ性が強いせいだろうか?しかし、翌日見つける。
切符売り場近くにいた、痩せイヌ。お尻を撫ぜるとついてきた。中型犬より少し大きめだ。このような雑種が欲しい。何よりも目がおとなしい。食べ物がないのが残念だった。
フヨウそのもののような花。乾燥に耐えている。
ウリ科なのか?つる性の赤ん坊の握りこぶしほどの花。左がその蕾。
ここには別の白い花も見える。
チューリップがトルコ原産だと知った。夏場の高温と乾燥に耐えるには地中の根茎状態で過ごすように適応したのだ。ヒヤシンスなどの春先の球根類も地中海や中近東の夏場に乾燥する地帯が原産地だ。そう云えば夏場に枯れるシクラメンもトルコなどの中近東が原産のようだ。
植物は1年間の気候に応じた特別な適応の仕方をしている。とここまで書いてきて動物も同じだと気がついた。

2009年8月28日金曜日

トルコの自然(1のコウノトリ)

コウノトリがいた石柱に近づいてみると、巣があるようだ。
麦藁のような枯れ草が分厚く積み上げられている。
ヒナでもいるのだろうか。
親鳥とおもえる個体がしきりに巣材の藁を修理しているようすだ。
これが丹沢での出来事なら、時間を気にしなくても良いのだが、ツアーとなれば皆の後を追いかけなければならない。
コウノトリなんて見たことがないが、絵本に出てくるような場所で営巣しているのだからコウノトリで良いのでしょうネ!
しかし、日差しを遮るものがないのに、暑くないのだろうかと心配した。
さらに、古の人々が直径2メートルもありそうな石を積み上げていく技術に、ぼくはクラクラしてしまった。

トルコの自然(1)

ここでは、数回にわたってトルコ旅行(イスタンブール・イズミール・パムッカレ・コンヤ・カッパドキア・イスタンブール)について気が着いたことを述べる。
国内便と車での移動の旅行社の企画旅行なので観光地めぐりである。
そこで見られた動物・植物・自然について簡単にアップし、詳細はホームページの載せていきたい。

先ず、いきなりエフェス遺跡:
ご覧のように乾燥した大地にこの中央アジアの国トルコがある。
ここはかってクレオパトラもやってきた港町だったようだ。
が、今は海から離れている(これがちょっと理解できない)。
下は度肝を抜かれた図書館!
まるで混み合った海水浴場の雰囲気。
熱気ムンムンの肌を露出して日焼けして痛そうな欧米女性や太ったおじさん、おばさんたち。
そんな人ごみの中にネコちゃんがいるんです。
トルコはネコ天国?と思えるほどネコがいて、撫でても逃げません。
紀元前の遺跡は、レリーフを撫でたり頬ずりしたり触りほうだいである。
そんなところに生えていた巨大なマツバボタンのような植物。
ラッセルルピナス状に咲いていた花
遺跡はもっと修復すると良いのにと思う程、ごろごろ転がったまま。
石柱の上に動くものが、コウノトリだ!
トルコは雨が降るのは秋から春で、夏は乾季のような状態で雨がほとんど降らないようだ。
それでも乾燥に強い植物が生きている。
植林もされている。
トルコの生き物は大地に生活しているのではなく、巨大な岩の上に生活できるように適応してきたかのようだ。

2009年8月26日水曜日

日本食に焦がれたトルコ旅行

19日から今日26日までの8日間のトルコ旅行であった。
全てにわたって旅行社任せの3家族6人のツアーであった。
自分で安チケットを買い、現地の空港に着いたら、現地のお金に替え、乗る車の交渉をし、ホテルで部屋の有無を確かめ、帰国便の予約確認をしなければいけないこともなく、食事をとるレストランも動き回るスケジュールも決まっている。
これまで、海外に出たなら、現地の物を食べることをモットーにしてきた。
トルコはトルコ料理を期待していた。が、3食全て決まったトルコ料理には二日目で辟易してしまった。あんなに期待していたトマト、豆、ナス、人参、肉料理、パンなのに胃が受け付けなくなってしまった。
美味しく豊富なリンゴ、ネクタリン、オレンジ、ブドウ、スイカ、メロンでさえも、、、、、、、、。
暑さと足を引きずっての歩きに疲れ、あるいは朝からのビールやワインに疲れ、へとへとになって帰ってきた。

杉本様、五島様、コメントありがとうございました。
上は雲海の中から富士山だけが顔を出して出迎えてくれた。感激!

2009年8月18日火曜日

甲府から身延線

突然の訃報で、身延線の中央市まで往復した。
小田急線・横浜線・中央線・身延線と乗り継いだ片道3時間の旅程であった。
身延線はこれまで4、5度乗ったが、寝ていたので周りの景色を見たことがなかった。
車窓から見える景色に、ある種の懐かしさを覚え子供のように外を眺めた。
横浜線では乗り降りするのに自分でドア右のボタンを押してドアを開けるのに、驚き。
中央線では中央高速道路と並行して走る電車に車に負けるなと応援し。
電車から声が届きそうなところにある家々の佇まいに安らかな気持ちになった。
(下は、勝沼付近のブドウ畑)
通夜の葬儀は、遺体に向って右女子、左男子で親族だけが会場に座り、知人・友人は会場外で待機するというものであった。
一人の息子と従弟を残して53歳で逝ったまゆみさん、、、、、、、、、!
娘を失った両親のことを想いながら、同じコースをもどる。
冷房が効き過ぎた閑散とした車内であった。