「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2010年8月5日木曜日

釧路動物園に行く!

お袋の妹たちを車に乗せて、釧路動物園に行く。
入り口の案内がないので危うく通り過ぎそうになる。
駐車場の案内も酷過ぎる。
シカの仲間の北米に生息するワピチがいた。
以前、ここでカリブーを見たことがある。
ワピチはニホンジカより二回りくらい大きい。
身体や目の周りにブヨが集っている。
キタキツネやエゾモモンガがいた。
オジロワシやオオワシがペアーでいた。
類人猿としてシロテテナガザル、オランウータン、チンパンジーがオス・メスでいた。
オランの赤ん坊が生まれている。
カナダカワウソのペアーが仲良くしていた。
帰路、人家も農家も全くないところでれき死体があった。
ネコであった。なぜ、ネコ?と思ったので、ひっくり返して道路から草むらに移した。
上にはすでに、トビとカラスが待っていた。
釧路動物園は内陸にあるため、暑かった。
飼育係とお客とのコンタクトが頻繁にあり、動物園側の良くなろうという姿勢が感じられた。
が、園長を含む、上部は市からの天下りだ。
地方都市の元気の無さ、地方の不活発は行政のあり方を変えることで半分は変わると思った。

2010年8月4日水曜日

釧路の夏!

昨夜、釧路に帰省した。
空港から国道をバスに乗って走った。
これほど暗いとは思わなかった。
地方都市は寂びれてきているが、夜になるとそれが如実にわかる。

涼しいというよりも寒いくらいである。
アムステルダムやブラッセルよりも寒いかな?
釧路を東京の避暑地として売り出したら良いのにと思う。
せめて、夏場だけでもかっての賑わいのある街になってもらいたい。

釧路沖で寒流と暖流がぶつかり合うので、夏の釧路は霧に覆われる。
陽が射せば暑いくらいだが、、、、。
ぼくが子供の頃は肝油を飲まされ、保健室に設置された太陽塔というものにサングラスをかけて入らされた。日照不足によるクル病の予防である。

太陽が顔を出せば、日差しが強いので暖かい。
そのため、花々の色が鮮やかだ。
ダリアは子供の頃、図工の時間にしばしば絵に描いた花である。
ピンクのダリアが咲き。
黄色のダリアが咲き始めていた。
釧路の夏休みは20日までだが、10日を過ぎると秋風が立つ。

今日は、これからお袋の納骨式だ。
8人姉妹の長女だったお袋だが、残っている妹たちは3人。
来釧したおばさんたちは賑やかだ。

嬉しいことに8月1日(日)の北海道新聞で「頭骨コレクション」が本の表紙とともに紹介されていた。
クリックすると拡大します。
是非、読んでみて!
凄くうれしい。

                                       

2010年8月3日火曜日

「ブラッセルのBurtonさんを訪ねる旅」を終えて!

7月27日に成田を発って、8月2日に戻ってきた。
箱根・湯河原のサルを一緒に観察したビフトンさんを訪ねる旅だった。
いつもは、南仏にバカンスに出かけるところを出発を遅らせて
ぼくらを待ち受けてくれた。
アムステルダムに2泊し、列車でブラッセル南駅に着くと、
彼はホームにいた。
25年前に来日した時に、
ぼく等2家族と一緒に思い出の湯河原でキャンプした。

彼が勤めるブラッセルから6つ目の地下鉄駅のモンゴメリー学校の前で:
明るいが、夜の9時を過ぎている。
グラン・プラス近くのシェ・レオンというレストランで美味しいムール貝の食事をした後で、、。
背骨と腰骨の病気のために、骨を削ったようで、背が低くなっていた。
日本には京大の国費留学生として湯河原のサルの調査・観察をしていた。
美味しいブランディーやウィスキーを教わったのは彼からであった。
彼は、カソリックの神父でありながら、科学を志していた。
上の神学校では図書室長?となり学生に教えたり、図書の管理をしている。

湯河原では何度か喧嘩をした間柄でもあった。
酒、パイプ、チェスが大好きな神父でもあった。
箱根・湯河原のサルを観察している時は、我が家に毎週のごとく泊った。
そのため、ジャガイモとキャベツを一緒に煮るだけの簡素なベルギー料理を教わった。

下は最後の日にブラッセル中央駅から空港駅往きの地下鉄を待つ。
暗いがお昼過ぎ頃だ。
オランダもベルギーの少し離れると北海道の景色で農業国というのが良くわかる。
アムステルダムもブラッセルも大都会なのに木々がたくさんあり、花がアイビーゼラニュームやサフイニアが綺麗であった。
街路樹が太く、高く伸びており、それが街を落ち着かせている。
それと、広告の看板・ネオンが少ないのと家々が統一されている。
日本は台風があるから、街路樹は剪定しなけれいけないのだろうし、
日本の町並みは好き勝手な色や建築になっている。

人は赤ん坊・子供・青年・壮年・老人があり、生と死がある。動物たちもそうだ。
人が造る組織や建造物、さらには自然観も生死・老若がある。
アムステルダムやブラッセルは銀髪の中年の街並みだ。
その点、横浜も東京もまだ少しギラツク壮年の街だ。

2010年7月31日土曜日

From Brusseles-Belgium

July 27th, arrived at Amsterdom and took tour of  "Fuusha".
We saw a very beautiful landsape like a picture.
Every house is arounded with flowers, which we can see in Japan.
Gamano ho!
\Yanagiran? to Fuusha!
Shiroi Hana no Hamanasu.
In Brusseles;
I will go back to Japan on August 2nd.

2010年7月26日月曜日

サルの群れに出会う

伝道・鬼ヶ岩ノ頭の帰路:
松茸山登山口を過ぎたところで、道路を横切るサルを目撃。
車を左に寄せて停車する。
アカンボウを腹につかまえさせた母子ザルが渡る(写真)。
右側の宮ヶ瀬湖側からだ。すでに林の中はサルたちの声がする。
電線をわたる個体もいる。
この個体は首に発信機をつけている。アカンボウを抱いている。
非常に警戒心が強いので、車から出て写真を撮ることができない。
オトナメスが草を採食している。
左腕が肘の下あたりから無いオトナオスがヒコヒコ歩いて車の方へくる。
群れについている少し周辺気味の個体だ。
この片腕になった原因はオス同士の喧嘩によるものだ。
しかし、ちょっと珍しい。オス同士の喧嘩によって腕が切られる場合の多くは、肘関節からだ。
肘関節に犬歯が入った時にスパッと肘から先の部分が離れ落ちる。
ククリワナの場合は後ろ足が多いので、やはりこの片腕の原因は若い時のオス同士の喧嘩によるものだろう。お尻の性皮も睾丸も大きいが、顔はもう中年である。
今の時季にこの群れに着いて歩いているということは、この片腕オスはこの群れのメンバーとして認められているオトナオスだ。
元気なワカモノオスが電線をわたる。
鳴き声や全体の木揺れなどからして40頭を超えると推定した。
この場所でこのように大きな群れに出会うのは初めてだ。
馬ノ背群が大きくなって戻ってきたのだろうか?
早戸川橋を渡ってこちらに来たのだろうか?
早戸川橋や金沢橋の上の糞の有無と新旧が分かれば、この群れは県立宮ヶ瀬ビジターセンター前の斜面に出没する群れでもある。

急にこの群れの存在の面白みが沸いてきた。
しかし、携帯は壊れ、身体はボロボロバテバテ状態だ。泣く泣く後にする。
翌朝早く来て、松茸山に登ればその様子が分かる筈だったが、その体力が無かった。

明日から箱根山のサルを追って一緒に奥湯河原で生活したベルギー人に会いにブラッセルに行き、帰国した翌日に釧路行き、釧路から戻ってから専門学校のチャレンジキャンパスや千葉富津の野外実習で、8月15日くらいまで予定で埋まっている。

顔面と耳、腕のブヨによる痒みは改善されていない。これから衣類などをトランクに詰める。可能なら向こうからブログにアップしたい。今はウィスキーを呑みながら、、、、。

2010年7月25日日曜日

伝道~鬼ヶ岩ノ頭の往復軌跡

先日の伝道から造林小屋を通って、雷平まで行き、そこから、図のようなコースをとって鬼ヶ岩ノ頭までの蛭ヶ岳・丹沢山間の登山道を往復した。
往きは雷平から西側の尾根からとりついで登ったが、ウエイポイントのところで作業道に出くわした。帰路はこの作業道を下って雷平へでる。
雷平・登山道間で2度ウエイポイントと取っているが、へばっての休息である。登山道近くでの休息で派手にブヨに刺される。
ノートの記録では、
09:13、伝道発
09:32、造林小屋通過
10:06、雷平
10:20、川を渉る
10:30、尾根に取り付く
11:00、植林帯のシカ柵あり、いったんシカ柵に入るがでる。
11:15、横倒しのシカ柵から植林帯に入る
12:40、休憩する。カリントウを食べる。ウエイポイントをとる。すごいブヨだ。
13:10、登山道着
13:25、発、戻る。
13:45-:55、休む
14:45-15:00、休む
17:05、小屋発
17:24、伝道、林道着
これと、GPSの時刻と写真の時刻を合わせてみると、下りのコースは写真をほとんど撮っていないが、往きと同じくらいの時間がかかっている。下山時はカメラやGPSはビニール袋の中に入れた。
携帯がそのままザックのポケットだったので、濡れて壊れた。昨日、新しい簡単携帯を買う。

顔面や手がぷくぷくに膨らんで!

雷平・鬼ヶ岩ノ頭の続き

尾根を登りはじめてシカ柵が出始めた所にあった植物。
ヒノキの根元から出ているが、ヒノキの根に寄生している訳ではないだろう。
図鑑で見たことがある腐生・寄生植物の仲間だろうがこんな簡単なものが調べられない。

両耳及び顔面、クビがブヨに刺されたせいでぷくぷくに膨らみ、マブタも膨らんで目が開きづらい、痒くて集中力でず。
これは草原に入った時に木陰にあった。
シモツケソウ似ているが、、、。
キク科のフキのように大きな葉のメタカラコウ属の仲間
これは釧路にもある葉が輪生するクルマユリ、少し枯れかけていた。
もうすぐ、登山道にでる。
とうとう、朝からエアコンをつける。
目だけでなく口を開くのも重苦しい。
痒いばかりでなく人相が変わった。あと4、5日はこのブヨに刺された後遺症に悩まされる。
サルは次回にアップ!

2010年7月24日土曜日

雷平から鬼ヶ岩の頭を目差して!

車をヘ林道のアピンカーブのところに置く。伝道に着いてGPSのスイッチをオンにする。
今日の目的は、雷平・鬼ヶ岩ノ頭・蛭ヶ岳・姫次・榛ノ木丸・林道であったが、
朝食抜きで、ザックにはカップソバとカリントウ菓子だけであった。
鳥屋のお店でお弁当を買おうと思っていたが、まだ開いていなかった。
それでもどうにかなるだろうと伝道から雷平を目差す。
雷平で早戸大滝に行く橋のところで10時12分GPSのウエイポイントをとる。
10分くらい雷滝方面の道を歩き、目差す尾根のところで、川を渉る。
岩の上をぴょんぴょん跳んで渉る。
右に沢音を聞きながら尾根にとりつく。
登って間もなく、無葉ランの仲間?と思ったが、花が、、、、、。
シカ柵があったが、中に入るとヒノキの枝がたくさん落ちており、歩きづらいのでシカ柵を左にしてあるく。次第に傾斜がきつく歩きづらくなる。幸いシカ柵が倒れていたので、そこから尾根を目差す。
なんと、ヒノキ林の中に作業道のような道がある。これは結局鬼ヶ岩の頭まで続いていた。
この直登するような道に雨水が流れて土砂も流されている。
そこから早戸川の川原がみえた。
この辺りから顔と言わず、体中にまとわりつくようなブヨがうるさくなる。
上部は草原のようで、春はさまざまな花が咲くのだろうと思う。
もう、この頃はブヨがうるさくしかも刺すの顔はタオルの巻くようにして隠す。
丹沢山・蛭ヶ岳間の登山道に着き、疲れたのでどうしようか思案していると大学生くらいの男2女2の登山パーティが蛭ヶ岳方面からやってくる。蛭ヶ岳もブヨが多いという。
で、雲行きも怪しいので同じコースを戻ることに決める。
登山道から雷平方面への道の入り口。テープなどがぶら下がる。クリックしてみて!
13時20分:登山道を後にして道を下る。この頃はもうブヨを帽子で追い払うことだけが最大の関心事である。
メガネは曇るし、ブヨは刺すし、うるさいし、雨が落ちてきそうなので気持ちばかりが焦る。
もう、腹も減ってバテバテ状態で、水を飲むことがバテを助長させているのでないかとさえ思う。
ヒノキの植林帯に入ってもブヨの襲撃は収まらない。
雷も鳴り響き、雨を落ち始める。はじめは雨粒が天の恵みのように思える。
しかし、全身ずぶ濡れ状態になり、身体が冷え、足の指、脹脛、腿の筋肉ばかりでなく、指や腹の筋肉まで攣り始める。テタニー症の一種の軽い症状のようだ。
ヒノキ林の道は雷平の早戸大滝方面は渉る橋のところまで続いていた。
途中、カモシカがぼくの目の前でじっと立っていた。ぼくも雨の中彼が気がついて逃げるまでずーと立っていた。彼は、雷の音で移動する。
稲光が激しいので、光って、ゴロゴロという音を聞くまで歩きながら1、2、3と念仏のように言いながら下る。ゴロゴロという音の時に、今度はドブネズミよりももっと大きく、太っている齧歯類と思われる動物がぼくの前に出てきては隠れる。光りと音に驚いているのだ。
早戸大滝と雷平を結ぶ橋を渡り、さらに二つの橋を渡って、伝道の森林作業小屋に着く頃には雨も小止みになっている。
小屋に入って、寝転ぶ。今夜はここに泊ろうと思う。
手足や腹筋、顔面の痙攣が酷いので、ガスコンロでお湯を沸かし、カップソバを食べる。あれ程食べたいと思っていた食料なのに、全部食べきることができなかった。お湯を飲む。身体の震えがようやく止まる。車まで戻ればどうにかなるだろうと歩く。6時を過ぎているが明るい。
家に戻ったのが8時頃であった。
携帯が濡れて使用付加になり、家へは連絡がつけられなかった。
連れ合いも娘も遭難したと思ったようだ。
翌日のお昼まで連絡なかったら遭難したことになる。それまでは動くな!と云う。
連れ合いが車のフロントガラスのところに挟まってあった、鈴木庸夫さんからの伝言に気がつく。
今朝、鈴木さんが電話がある。遭難したと思ったようだ。

2010年7月22日木曜日

これが終わると夏休みだ!

昨日、慶應の春学期(動物行動学)の試験があり、採点にとりかかった。
当初は301名の履修者だったが、試験を受けたのは291名だった。
ぼくの試験は、暗記するものではなく問題に対して自分の考えを書くことを重んじているので、白紙同然の答案に接すると「どうして?」と考え込んでしまう。
幸い、今回は皆たくさん書いてくれた。ある学生は一枚の用紙では足りなくてもう一枚要求した。
引き込まれて読んでしまう文章もあれば、そうでないものもある。
自分の経験から問いに対して答えてくれたものは拙い文章であっても引き込まれる。
動物行動を含む、自然現象は経験した事実が大きな力をもつ。
昨日は夜中まで採点し、今朝は早起きして採点。

皆にAを与えたいが、、、、、。
採点をして、成績簿をつけ終わるとぼくの夏休みが始まる。

2010年7月21日水曜日

ヨグソミネバリ

ヨグソミネバリという名の樹木を小さなポケットサイズの図鑑で知ったのは学生の時だ。
その名前だけで、もう忘れることができなかった。
図鑑では見るものの実際に見たことがなかった。

やまぼうしさんからヨグソミネバリが早戸川林道沿いにあるということを知らされていた。
今回の雷滝行きの探索で教えてもらう。
沢側の斜面に生えていて、高木なので手にとって見ることができなかった。
が、もしぼくがこれを見つけたとしてもヨグソミネバリとは気がつかないであろう。
ハンノキ科のハンノキ属やカバノキ属に特有の果実の形。
これがヨグソミネバリなんだ!
枝を折って、サロメチール(サリチル酸メチル)の匂いを嗅ぐことはできなかったが、まるで学生の頃の写真でも見ているかのような気持ちであった。

しかし、気の毒な名だが、その名前なのでぼくでさえ覚えることができている。
ミズメ、アズサ、アズサカンバという他の名前ももっており、牧野新日本植物図鑑(北隆館)ではアズサが和名で、原色日本樹木図鑑(保育社)と日本の野生植物(平凡社)ではミズメが和名となっている。

2010年7月20日火曜日

マダラチョウ科の蛹

一昨日、早戸川林道でガガイモ科のコイケマ?を見ていた。
この仲間は有毒(アルカロイド)植物が多い。
そばの枝にまるでプラスチックでできたような透明なカプセルを見つけた。
見つけたのはやまぼうしさん?k-ta隊員?
これ、何だろう?
帰宅後、やまぼうしさんからアサギマダラの蛹の抜け殻のようだとメールがくる。
調べる。まさしくそうだ。

40年以上前の台湾の地本温泉付近の川原を歩いて山に入る時を思い出した。
周りの草むらが、大きさが殻付きピーナッツ状で、透明のキラキラ反射するものがクリスマスの時の小さな電球のようにたくさんぶら下がっていた。
チョウに詳しい友人(現在、台東在住)が「これはマダラチョウの蛹だ!」っと教えてくれた。

幼虫たちの食草は有毒物質を含んだ植物を食べるので、鳥たちがこのマダラチョウの仲間を食べないようだ。食べても吐き出すようだ。
上は2006年5月31日の丹沢の女王の蜜を吸っていたアサギマダラ。
この丹沢の女王(バイカウツギ)は伐採されてしまった。翌年、徒長枝が出たが、枯れた。

赤面の極み!

拙著「頭骨コレクション」築地書館でいくつか訂正したい箇所が見つかている。

増刷りになればその時に訂正できるのだが、こういう本は初版3000部刷ってそれでお仕舞いとなるだろう。
出版社のHP上に今週中にも二ヶ所については載せてくれるようだ。
医学部で解剖学を教えていた友人から指摘されたものは、ぼくとしては赤面の極みであり、穴があったら入りたい。

矢状縫合、矢状隆起を彼から指摘されなければこれからもずーと「やじょうほうごう」、「やじょうりゅうき」と読んでいただろう。
これは解剖学用語では「しじょうほうごう」、「しじょうりゅうき」と読むようだ。
で、手持ちの解剖学の図鑑や本を見た、「しじょう」である。

さらに、もう一つ、これはぼくの勘違いにもなるのだが、ヒゲクジラのヒゲは歯が変化したものではなく、口蓋の皮膚がヒゲ状になったものだ。

恥ずかしい!

拙著「頭骨コレクション」築地書館
を持っている方は是非、上の間違いを訂正してください。

2010年7月19日月曜日

雷滝コース

昨日は観察仲間と雷滝まで行ってきた。
魚止め橋から少しあがったところのカーブの広場に車を置き、歩く。
雷平までの二ヶ所ある橋が流されているかと思ったら、二つとも無事であった。
水量はやはり梅雨明けとは言え、豊富であり、沢という沢には水の流れができて、美しくさえあった。GPSの軌跡を見ると、雷平から雷滝までは500メートルもない距離である。
水量が多く、靴を脱いで渡渉しなければならないような状況だったが、雷滝の飛沫が飛び散るので沢を渡ってもお昼を食べる場所がないほど水に濡れているだろうと思えた。
飛沫が少しおさまった時に写す。
中央右の岩上は、この「故有事」のタイトルの写真で学生たちがたくさん並べるほど広い。
この上でも飛沫で濡れるだろう。
この滝壺は浅く、膝くらいまでしかないので、遊ぶのに適している。
向かって左(滝の右岸)に蛭ヶ岳に直登する道がある。

今回は、植物に詳しいやまぼうしさんやk-ta隊員、植物カメラマンの鈴木庸夫さんが一緒であったので、ヨコグラノキ、ヨグソミネバリ、コミヤマスミレ、オオクマヤナギ、ホソエカエデ(ウリハダカエデだと思っていた)、ボロギク、そして可愛い花のバイカツツジを教えてもらった。
今、あらためて図鑑で確認している。
上は朽ちた橋を渡る鈴木さん。
このような朽ちた橋が4、5ヶ所あった。

絶好の山日和であったので、70過ぎの男性二人や、若者のカップルなど数パーティにであった。
普段はほとんど登山者を見かけないコースである。

シカによるアブラチャンの樹皮食いの痕

16日(金)の高取山・仏果山・土山峠のコースを辿った。
革籠石山を下って、斜面を横切る登山道が続く。
その辺りの木々のほとんどはアブラチャンだ。
ちょっと古いが、樹皮食いの痕をみつけた。
幅広の切歯の痕であるので、シカによるものと断定した。
数箇所の木立の樹皮が食われている。
下から上に向けて齧ったようだ。

向山トンネル・高取山の尾根歩きコース

16日(金)の実習で歩いたコースのGPS軌跡
向山トンネルのところから登る。
9時15分、向山トンネル横の門を超えると階段があるがすぐ消える。
左方上方に向かって歩き、尾根に取り付く。
立ち木を利用して登っていく。楽チンなコースである。
GPS軌跡上の矢印→の地点。ここに看板と、シカ柵を越えられる梯子がある。
ここから15分で山頂である。
仏果山・宮ヶ瀬越えからきたO君と合流。
 高取山山頂(赤いポイント)で記念写真。
山頂の展望台からぼくらが登ってきた尾根を眼下に見る。
ゆっくり登って1時間25分の楽なコースであった。

2010年7月17日土曜日

バンビだ!

丹沢実習、8時40分発の宮ヶ瀬行きのバスに乗る。
学生は二人だけなので、向山トンネルから高取山を目差すことにする。
仏果山登山口から歩いてすぐ、先日カモシカを見つけたKagetoshiさんがシカ!と声をあげる。
トラックや乗用車が走るすぐ横の山側の斜面に小鹿のバンビが!
まだ、足取りもままならないようである。
また、痩せてもいる。
盛んに草を食べている。
ぼくが咳をしても、こちらを見ようともしない。しかし、動くとこちらをじっと見る。
自力で採食できる小鹿なのにどうして母親と一緒にいないのだろう?
しかも、このバンビはメスのようである。
シカではメスの子はもちろんことアカンボウは母親とはいつも一緒である。
オスの子はしばらくすると母親から離れる。
このバンビは採食しているが、痩せた様子と歩き方から
まだ、母親のミルクを飲むために、ブッシュの中でじっと母親を待っていなければならない個体であろう。が、子供の積極性と興味で、母親がやって来るのを待ちきれずに立ち上がって採食している個体であると考える。
30分くらいこのバンビを観察して、向山トンネルに向かう。
湖側から登りなさいという感じのしっかりした扉がある。
階段があるがすぐ無くなり、尾根に取り付く。
急斜面であるが、立ち木があるので、つかまって登りやすい。
なんと1時間半もかからず高取山に着く。
山頂近くで一時間遅れのOguchi君ともどんぴしゃりで出会う。
まったくヒルのいないコースであった。

この日は、高取山・仏果山・土山峠とコースをとったが、最後の下りでヒルに襲われ学生たちは走り下る。ぼくの靴もスパッツも塩が滲みこんでいるので関係ないと思っていたら、手の甲に吸い付いていた。

2010年7月16日金曜日

そろそろ梅雨明け!

昨日の早戸川は水たちが争って流れ下っているようだった。
この水の流れや林道の落石や倒木をみて、引き返した。
水沢橋手前のヤブデマリの果実である。
小雨が上がっていくようで、霧が消えていく。
キブシの実はこんなに大きくなっている。
今日は、夏休み前最後の、専門学校の丹沢実習である。
今朝の天気では暑い山歩きになりそうだ。
仏果山である。
サルかシカ、あるいはカモシカに出会えるかな?