2020年8月31日月曜日

キンギョやコイには胃袋が無い! Gold-fish and/or carp have no stomach.

 先日、専門学校へ行った時に、良く話しをする魚の先生に最近飼い始めたキンギョのコメットや朱文金の疑問について訊いた。

図1. ぼくが寄るといつも水面に出てきて口をパクパクさせる

我家のキンギョはいつも腹が減っているように餌をやるだけ食べるのはどうしてなのか?何とコイ科の魚には胃袋が無いというのだ。だから満腹感がないので食べ続けることが出来るようだ。なるほどそれで分かった。「金魚の糞」は切れないで長くぶら下っていることも絶え間なく食べることができるからなんだ!

2020年8月29日土曜日

久し振りのテン糞  The marten's droppings after long time

先日歩いた伊勢沢林道の続き:車を置いたのが奥野隧道を出て、通行止めの看板が出ている前に車を停める(図1)。この通行止めの場所、せめてもう100メートルくらい奥に入ったところに移してもらいたい。トンネルの開口位置に近いので車を停めるスペースが足りない。
歩いているとバイクが水沢橋の方からやってきた。ぼくに「釣りですか?」と聞いてきたので、「イエ、山登りです」と応えるとそのままバイクは通行止めの方に行った。両手にストックと持っている姿を見れば釣りでないことはすぐ判る筈だと思いながら歩く。
図1. 水沢橋方面の通行止め
テン糞を3ヶ所で見つけた。いずれも水沢橋まで行く途中であり、おもしろいことにテンなどの食肉目の糞は伊勢沢林道でも山道でも見つけられなかった。
図1.7:25 テン糞1
セミの肢・口部、小さな種子・1センチくらいの青黒い果皮
この種子はヒサカキ?(下図)
図1'. ヒサカキの種子?
図1'の種子を見た時は、表面のイボイボ状態からサルナシorマタタビと思った。が、サルナシの種子に比べると小さくて形が不揃いだ。マタタビかと思って、k-ta隊員からプレゼントされたマタタビ種子と比べたが、形があまりにも不揃いだ。鈴木庸夫他著「草木の種子と果実」誠文堂新光社を見た。ヒサカキの種子に似ているがどうだろうか?
この種子がテン糞1~3に含まれていた。大小さまざまで色も小さい種子は薄い褐色なのはヒサカキ?の果実が未熟のものが混じっているという事だろうか?
図2.7:32 テン糞2
クワガタムシ足・触覚・頭部部分・腹部、ヒサカキ?種子・果皮
図3. 7:38 テン糞3
42mmの細い触覚・肢、ヒサカキ?種子・果皮
図3'. ヒサカキ?の種子と共に出てきた甲虫の肢と触覚
細く長い触覚からどなたか同定できるかな?判ったら教えて下さい!カミキリの仲間と思ったが、カミキリの触覚なら節がありもっと太い。

2020年8月28日金曜日

少しの初めてのルート  The first short route!

25日は8月4日以来のほんの少しの山歩きを楽しんだ。伊勢沢林道を音見沢橋のところを曲がって焼小屋沢橋の方へは行かずに、そのまま真っ直ぐ音見沢に沿った道を進んでヘアピンカーブのところで朝食のオニギリを食べる。次第に山の雲が下りてきているので(図1)、早めに切り上げて帰ろうと思う。図6に歩いたルート示す。
図1.ガスが下がってきている
食べ終わって、水とスポーツドリンクを飲み、シカ柵に沿って尾根を登る。汗が面白いほど流れ落ちる。仕事道をいけば楽だったが、上半身を動かすためにこのルートを取る(図2)。
図2.ヘアピンカーブのすぐ後ろから右にあるシカ柵沿いに登る
真っ直ぐいくと仕事道だ
立ち木を捉まえて手前に引寄せる。まもなくピーク721への尾根に出る(図3)。ここは風が当たり気持ちが良いので休憩だ。仕事道が出てくるが尾根を直登する。汗だくになり。倒木のところからピーク721を巻くシカ道がある。ガスっていたのがうすらいできた。
図3.ピーク721への尾根
シカ道は歩きやすく(図4)、このまますんなりと巻いてくれると思ったが、ピーク721から東への尾根に差し掛かるとシカ道が乱れてしまった(図5)。尾根にシカ柵があるのだ。それでもひょいひょいと歩き、倒木でシカ柵が倒れているので、さらに柵を踏み倒して越える。
図4.トラバースしたシカ道を振り返る
図5.ピーク721と624を結ぶ尾根
僅かな距離であったが、初めてのルートは緊張し、楽しい。尾根を下り始めたらリスがモミの実を食べた痕がある(図7)。新しい、ぼくが近づいてきたことを知って逃げたようだ。
図6. 林道からシカ柵沿いに登り、尾根に出てからシカ道を歩き、再び尾根に出てから林道を歩いたルート
図7.モミの実を食べたリスの食痕 

2020年8月27日木曜日

この♀は何クワガタ? Which stag-beetle is this female?

下の写真は、一昨日、伊勢沢林道歩きで見つけたクワガタの♀だ!しかし、何クワガタの♀か判らない。昨日は、専門学校の野生動物2年生の授業があった。このクラスには昆虫に詳しい、男女が一人ずついる。
ぼくは、お昼休みが終わった後の授業で、この写真を見てもらった。昆虫に詳しい人は言う事が違う。裏から見た写真を撮ってますか?裏からの写真とスケールが無いので、難しい!っと言っていた。が、T.K君はこれはミヤマクワガタの♀だと云う。それは、足の付け根に茶褐色の色が見えるからだ!んー?そんな色なんて見えない。
しかし、元の写真で見ると右の真ん中の肢の付け根が茶褐色なのが判る。見える人はすぐ見えてしまうのだ。

2020年8月25日火曜日

山は早くも秋の気配だ! Moutains are already signs of autumn!

今日は、昨夜涼しかったので伊勢沢林道を歩いてきた。車で東海大日学部の前を通った時はアブラゼミが騒がしかったが、清川村に入ると聴こえるのはミンミンゼミだ!今、我家の付近で鳴いているのもアブラゼミだ。伊勢沢林道沿いでもミンミンゼミが鳴いていた。彼らは鳴く場所を少し棲み分けているのかな?
さて、もうススキの穂が高く伸びていた(図1)。山は秋が来ているのかな?気温は21度だった。何となく、山は一足先に秋の気配である。
図1.ススキの穂
図2. オオイタドリの花が咲き誇る
図3. ヌルデの実がたくさん成っている
 

2020年8月24日月曜日

フクラスズメの成虫 Imago or Adult of Ramie caterpillar

 7月30日に金沢林道を歩いた時、林道沿いに生えているナガバヤブマオ(やまぼうしさんありがとう!)(図1)の葉にいた一匹の大きな毛虫(図2)をアップした。

図1.ナガバヤブマオ
図2.フクラスズメの終齢幼虫
鱗翅目が得意なS.Aさんから8月1日に、MicrosoftTeamsを通して成虫のフクラスズメの写真が送られてきていたのを忘れていた。簡易表示になっていたのを詳細表示にしてPCに取り込んだ。
彼女は「これはバナナにお酢をかけた仕掛に寄って来ている子です。」と説明をつけてくれた。ヘェー、流石に好きな子は観察の仕方まで要領を良く知っている。
この図3の写真を見て、なる程な!フクラスズメと名前が良く判る。しかし、スズメガ科Sphingidaeではなくてヤガ科Noctuidaeのようだ。なる程、スズメガは日中に花の蜜を吸うためにホバリングしているが、この写真は夜撮ったものだ。尚、このフクラスズメの英名Ramieはカラムシ科の植物を指すようだ。
図3.バナナにお酢をかけた物に寄って来たフクラスズメArcte coerula
S.Aさん撮る

2020年8月16日日曜日

日本の亜熱帯化?  Subtropicalization of our country、Japan?

 昨日は、釧路でストーブをつけたようだ。一昨日まではこれが釧路の気温かと思うのを天気予報で見ていた。が、釧路に住む妹から肌寒いのでストーブをつけたとラインで連絡がきた。

ぼくが子供の頃は20度を超えるのは8月の2、3日だけであった。だから、釧路の夏祭り(港祭り)で花火を見るのもセーターを着て外に出たものだ。もちろん、家には扇風機は無かった。それが今では、まだエアコンはないものの扇風機がある。

地球の温暖化が確実に進んでいるのだ。今、庭の木の下にぶら下げているカトレアがいくつか花を咲かせている(下写真)。もう、ぼくが住んでいるところは亜熱帯と同じ気温なのだ。

50年前台湾に行った時、ファレノプシスやデンドロなどが普通の家の庭の木に着生させているを見て羨ましく思ったものだ。5月から11月までは洋ラン類を屋外に出しっ放しにしても強風の時だけ室内に取り込むだけで大丈夫になった。


このまま温暖化が進行していくと丹沢の植物相も変わって行くのだろう。それに伴なって昆虫相や哺乳動物相も変遷していくと思うと恐ろしい。植物相は変れても、哺乳類は変われないで、死んでいくのかな?

現在の地球の温暖化は、我々人間が引き起こしたものであると云われている。石炭・石油などの化石燃料を使うことによる温室効果ガスの二酸化炭素が最大の原因であることが解かっている。

ぼくらが使っているエアコンの電気は、日本では化石燃料を燃やしてお湯を沸かしてタービンを回して作っている。ぼくが子供の頃の習った社会科で覚えているのは「日本は国土の大半が山岳地帯なので、川の流れが急で水力発電に適している」と云う事だった。で、小学校の修学旅行でも水力発電所の見学があった。それが、今、日本の電力源を調べると火力59.1%、原子力33%、水力7.6%、その他0.3%だ(2010年度)。何と水力が7.6%だけであって、6割近くが火力発電だ。日本という国土を生かした発電システムになっているとは言えない。

宮ヶ瀬ダムが出来る前に唐沢の途中に保養施設があり、そこは唐沢の水を利用した水力発電であった。いつも発電している訳ではなく施設を利用する時だけ沢の水を引いて発電していた。

アフリカにいた時、屋根の上に、長さ1m、幅50cmくらいのソーラパネルを2枚取り付けた。部屋の中には車用の12V蓄電池を4個置いて、部屋の蛍光灯と小さな電気釜とノートパソコン、プリンター、CDラジカセ、無線機、ラジオ用に使った。もちろん、同時にこれらの電化製品を使うことはできない。ノートパソコンとプリンター、蛍光灯、CDラジカセ、無線機は同時に仕えた。3.11後、計画停電が続いたので我家の屋根にもソーラパネルを置いた。

2020年8月13日木曜日

この白骨化した動物は誰? Who is this skeletonized animal?

先日、鴨川の千枚田付近で農業をやっている知人から下図のような写真が送られてきた。2年前彼は千枚田付近の道路で見つけたイタチの轢死体を持ってきてくれたのだ。「鴨川の街中で17年前くらい空き家になっていた家で、アナグマが住み着いていたらしい」と説明が付いてきた。
写真の動物は何ですかね?っと云うものだ。
皆さんは、何だと思いますか?
ぼくの答はコメントに載せたいと思います。
それにしてもボケている写真だ!
この動物がいた場所の説明もない。
知人にレスをして、ピントの合った写真が欲しいと云ったら写真は昔のモノでどうもスキャナーで撮ったようだ。
この動物は誰かわかりましたか?

2020年8月11日火曜日

暑い!  It's hot!

 今日は朝からずーと居間と隣り合った我が部屋もエアコンをつけっ放してBSのテレビ三昧だ。それで飽きて今パソコンの前に座っていると云う訳だ。連れ合いや娘から山へ行くことを止められている。熱中症で倒れるか死ぬと云うのだ。まー、こちらも先日栂立ノ頭に登った時にシカ柵を何度か潜った時にダニか得体の知れない虫に刺されて、胸や脇腹や二の腕が腫れて痛痒いので山行は自粛である。

丹沢山塊は最高峰でも蛭ヶ岳の1673mなのだ。せめて2000mを越えていればとつくづく思う。100m標高が高くなるにつれて0.6度気温が下がるので、平地で40度でも2000m登れば12度低くなるので28度だ。そうすると我が部屋のエアコンの設定温度である。あー、せめて2000mを越えていれば涼みに山に登れるだろうが、、、、。

何だか、今日1日でエアコンの部屋に慣れてしまった。庭の睡蓮鉢にキジバトが来て、水浴びをしようとしている。我が部屋からは網戸があるので、綺麗に撮れないので、二階のベランダからそーっと撮った。が、水浴びしないで飛び去った(図1)。

図1.水浴びしようと警戒するキジバト

図2. 猛暑に咲く庭のサルスベリ

2020年8月8日土曜日

暑い夏が好きだが!  I like hot summer, but、、、、!

 ぼくは暑い夏が好きだ!

子供の頃は夏休みに海や川で泳げるところに住んでいる内地の人たちが羨ましかった。ぼくが生まれた当時の釧路では20度を超すのが8月に2、3日だけだった。だから、川や海で泳いでも10分でも水に浸かっていると30分は焚火に当たっていた。2度目に水に入るのは覚悟を決めて入った。でも5分くらいで上がって歯をガタガタ震わせながら焚火に当たって終わりだった。

金沢八景にある大学に入って、5月に逗子の海で泳いだ。海の中にビニールやその他のゴミが浮かび都会の海の汚さを知った。当時はもっとも近海が汚れていたときだった。5月の海なのに生温く焚火などしなくてもよかった。

アパートでの暑さはこたえた。動かずじっとしていても身体から汗が噴き出ることは釧路では経験したことがなかった。パンツ一枚になって足を水を張ったバケツに浸していても汗が噴き出るので、最初の夏はそうそうに帰省した。東京・横浜の夏は人が棲めるところではないと感じた。

奥湯河原・箱根で野生ザルを追うようになった。夏の山は暑く、沢の冷たい水を鱈腹飲み、暑い夏を楽しんだ。当時奥湯河原の天昭山神社の境内でテントを張り、雨の日は神社の堂守の夫婦からお堂の中に寝るように勧められた。夜、寝る時にテントの入り口の外に食べた食器類を出して寝ていて、食器についているご飯の残りを食べにきているイノシシやタヌキの鼻息を聴いて楽しんだ。山の夏の夜の暑さは感じなかった。

サル調査で台湾やインドネシアの暑い山を歩き、1994年2月にタンザニアのダルエスサラーム空港に着いた時は蒸し暑かったが、東京・横浜ほどではないと感じた。マハレ山塊国立公園のチンパンジー調査・餌付けで歩き回った。乾季の時はチンパンジーを探すというよりも水を求めて川辺林を歩き回った。飴でも舐めるように小石を口の中に入れてしゃぶると喉の渇きが抑えられるように感じた。

タンザニアには3年居たが、夜は暑くて寝苦しいのはダルエスサラームで宿泊するときだけだった。タンガニーカ湖に面するマハレの家(下の写真中央)や山小屋は快適だった。

実は、今朝3時頃、蒸し暑くて目が覚めた。顔や首、上半身は汗まみれだった。ガラス戸は開けている。が、エアコンも扇風機を点けてなかった。起きてシャワーを浴びた。

こんなに蒸し暑く感じたのは久しぶりだ。身体がまだ暑さに対応できないのか年齢によるものなのかわからない。

2020年8月7日金曜日

今の時季のテンやアナグマのエサは節足動物だけ? The foods of marten and badger in the summer season may be limited only arthropod.

8月4日に金沢林道終点・栂立ノ頭・タロベエ峰・早戸川橋と歩いた時に、見つけ拾った食肉目の糞は4個であった。しかし、テン糞1は林道終点に行くまでにどこかで落としてしまった。写真だけ載せる(図1)。拾った時の感じはこの内容物は昆虫などの節足動物かな?っと思った。

さて、拾ってきた3個の糞(図2~4)を洗った。アナグマ、テンの両者とも節足動物を食べたものだけで、果実を食べた痕跡はなかった。テン糞3と4は5メートルくらいしか離れていなく、テン糞3はまだ柔らかかったがテン糞4は固くなっていたので、前日のものと思われた。それぞれの糞の位置を下の図に示した。
図1. 7:41テン糞1
図2.13:04アナグマ糞
砂泥、昆虫の脚・外骨格
図3. 16:44テン糞2
大型甲虫(カブトムシ?)の脚・外骨格・内翅
図4.16:45テン糞3
ムカデ9cm、砂泥
今の時季のテンやアナグマ、さらにはタヌキ、キツネクマなどの食肉目の動物たちは食べられる果実は無いし、小鳥たちも巣立ってしまったので、エサとなるものが活発に動き回っている節足動物くらいしかいなのかもしれない。
サルばかりでなく食肉目の動物たちも夏季は冬季に次いで食物の欠乏季なんだ!

2020年8月6日木曜日

金沢林道終点から栂立ノ頭へ From the end of Kanezawa forest road to the top of Tsugadachinokashira

8月4日に金沢林道終点から栂立ノ頭に登ってタロベエ峰からは金沢川橋までの尾根を下らずに鉄塔見回り用の通路を下りてきた(図1)。
林道終点から河原に下りて(図2)から栂立ノ頭までの尾根に取り継いだが、始めはヒルに襲われる。幸い足元はしっかりヒル除け用の飽和食塩水を噴霧した靴下を履き、ズボンの裾を靴下の中に入れ、さらに内側に飽和食塩水を噴霧したスパッツをつけた。そのため、下半身は全くヒルの被害には遭わなかった。しかし、ヒルはズボンを上がり、腕や首や頭の上まで上がってくる。倒れたシカ柵を足下に踏んで尾根を右に左に歩くうちは良かったが、シカ柵がしっかり立っている場合は、歩きづらくなるとどうして柵の向こう側を歩きたい。そんな時は穴の開いたシカ柵を這いつくばって潜り抜けなければならない。どうしてもヒルは腕に首に着く。身体が硬くなっているから、スムーズに潜り抜けられない。バラ線が引っ掛かる。四苦八苦の連続だ。とても他人に見られた姿ではない。まるでカメのようにひっくり返ったりしながら右往左往しているのだ。まー、梅雨が明けたので林床はそんなに濡れていないので良しとしなければならない。
図1.8月4日に歩いたGPS上の軌跡
上部は思っていた以上に大きな岩が多く。シカ柵との兼ね合いで大変な思いをした。栂立ノ頭を目前にして岩場を巻こうと思ったが、これまた岩場なので戻り、尾根を行くことにする。位置を確かめるためスマホのGeographicaを見る。頂上付近にある最後の大岩にも難儀する。結局左に巻いて栂立ノ頭に辿り着く。
図2.9:45 林道終点から少し下って河原に下り、目の前の尾根を登る
図3.11:55 マンネンダケだ!
図4.12:56 クマが冬眠しそうな岩穴
図5. 13:04 アナグマ糞
河原から栂立ノ頭まで実に3時間50分も掛かる。登る時は「遅くても12時には山頂か!」っと思っていた。川原からの高低差は約400m、移動距離GPS上で4.2km(地図上の水平距離は1キロくらい)。登りは殆んどジグザクに歩いている。暑いので帽子を脱いでいたが、額から汗が落ちるので帽子を被る。ジョギング用のヘッドバンドが夏山には良いだろう。
図6.13:35 栂立ノ頭
山頂で、水を少し飲み、飽和食塩水を口の中に噴霧する。インスタントラーメン用に半分の水を使う。ラーメンも半分だ。それまで水を口を濡らす程度だけだった。マンネンダケを見つけたところ(図3)でグレープフルーツを1個食べた。これでかなり生き返っていた。
十分に身体を休め、チョコも食べ。水を少し飲む。タロベエ峰の鉄塔で最後の水を飲もう。ここで40分も休む。
図7. 14:12 栂立ノ頭で一息ついた
栂立ノ頭から地図と磁石で、シカ柵に沿った急な稜線をzigzagに下る。そしてちょっと登って六百沢ノ頭だ。下りもイヤだが登りは腿が上がらない。ここからタロベイ峰まで、磁石を使って先ず真北の稜線を進み、途中からタロベエ峰までの稜線に乗り換える。昨年の台風19号で今まであった踏み跡が折れた枝などが被さって判らなくなっている。ここで、Geographicaは抜群の威力を発揮する。自分の現在地が判るのが素晴らしい。これと地図と磁石があれば道迷いは無くなるだろう。ぼくのスマホはこれだけの為に持っているようなものだ。家ではWifiでネットもラインも使えるが。家から離れるとネットワークはオフにしてGeographicaだけの利用だ。
図8.14:52 六百沢ノ頭着 
タロベエ峰からは金沢川橋までの稜線を行かず、鉄塔見回り用の道を利用して早戸川林道に下りたつ。早戸川橋でテン糞を二個見つける。
図9.15:53 タロベエ峰に着く。
図10. 16:44 テン糞2
図11. 16:45 テン糞3
16時50分に松茸山登山口に着く。ここでストックを車の横の草叢に置き忘れる。鳥屋の店でスポーツドリンクとサイダーを買う。スポーツドリンクを飲むと身体の隅々まで生き返る。帰路はもの凄い渋滞で、帰宅したのは19時近くだった。

2020年8月5日水曜日

仔ダヌキの轢死体 A road kill of juvenile racoon-dog.

山用のストックを昨日車を置いた松茸山登山口の所に忘れてしまったので、ネット通販で今まで購入していた同じ物を求めた。が、在庫切れ、再入荷の予定ナシと云う事なので、意を決して昨日置き忘れた松茸山登山口まで行ってみた。
あった!置いたままになっていた!良かった行った甲斐があった!
帰路、来るときに道路際に轢死体があったので、その場所に差し掛かったので、徐行し目を凝らすとあった!カメラを持って、行ってみる。
今年生まれのタヌキの子供だ!まだ、親元からは分散していないだろうと思われるチビだった。お腹が破裂して内臓が出ている。性別を見なかったが、これ以上轢かれないように両前足を持って道路際の草叢の中に放り落とした。 行き交う車の運転手はぼくがこのタヌキの仔を持って歩いているので、徐行しながらぼくを見ていた。
仔ダヌキや仔ギツネが交通事故にあったり、なんらかの事故死するのは彼らが親元から分散するこの時期だ。親元から離れると全て自分一人でやらなくてはいけない。道路を横断しようとして轢かれたのだと思うが、新たな生息地を見つけるためは当然見も知らぬ土地に進出することになる。その為に生じる事故だ!
単独生活のノウサギやリスやクマ、カモシカも、集団生活のシカやサルも分散する性には違いがあるものの生まれた親元からの分散は多くの危険が伴う。
図1.仔ダヌキNyctereutes procyonoidesの轢死体 

イワタバコの花  Flowers of gesneria.

昨日は金沢林道終点から栂立ノ頭に登った。金沢川の河原に下りたのが9:45、栂立ノ頭に着いたのが13:35で、実に3時間50分掛かった。ヒルとシカ柵と岩場に難儀した。しかも、水が600ccのペットボトル一本だけだった。登る前に水を鱈腹飲み、ボトルに沢の水を満たした。帰路はすぐ鳥屋でスポーツ飲料を求めた。帰宅してからも手首のヒルが吸い付いていた部分から血が流れ落ちた。
金沢川の崩壊地で、陽が当たって弱っていたイワタバコが咲いていた。川土手が崩壊してそこに在った木々が失われたために陽が当たる葉は日焼けしチジレテいた。イワタバコは日陰の植物だ。星形の薄紫色の花はなんとも奇妙だ。
イワタバコConandron ramondioides
昨日はようやく車に辿り着いたせいか、ストックを車を置いたところに忘れてしまった。水を忘れ、最後はストックか!道路も凄い渋滞であり、7時頃帰宅し、着ていた物は洗濯機に入れ、シカ柵を潜ったのが3、4度のため泥だらけ状態であったため、先ず、手や腕の泥を落とし、頭を洗い、ようやく缶ビールにあり付き、バタンキュと寝た。

2020年8月3日月曜日

これはヒグラシ? Is this a evening cicada?

昨日は、チャレンジキャンパスで西葛西の専門学校へ行った。が、ぼく担当の野生動物保護管理専攻の学生は一人も来なかった。他の専攻が来ているのにぼく担当だけが来ないと空振り三振したような気持ちになる。6月から大体週一回電車に乗っているが、コロナ禍の感染の第2波が叫ばれているのに、家族連れを含めて電車に乗る人や駅付近の街を歩く人たちが増えている。皆、コロナ禍で自粛疲れしているのだ。
ぼくは街を歩く時はマスクを外し、手にはタオルハンカチを持ち、人と行き過ぎる時はマスクを口に当てる。

さて、7月30日に金沢林道を歩いていた時、足元にギーギー啼きながらセミが落ちてきた。すぐに写真を撮り、捕まえようとしたら飛んで逃げられてしまった。もっとも、逃がさないように絶対捕まえるという姿勢(気持ちも体勢も)ではなかったのでまー仕方がない。しかし、このセミは?アブラゼミのような翅の色はしていないし、ミンミンゼミのように大きくもない。昨夜、気になって下の写真を見た。
ヒグラシだ!道理で足元に落ちてきた時も飛んで逃げた時も何だかか弱い声に聞こえたのだ。ヒグラシは晩夏のセミのイメージだが、保育社の図鑑 昆虫(中根、青木、石川著)では、7月10日ごろから鳴きはじめるようだ。
チョウやガは幼虫の食草があるが、セミの幼虫は種によって決まった食木なんていうものがあるのだろうか?
ヒグラシTanna japonensis
照ノ富士が大相撲7月場所で優勝した。なんだか凄く嬉しいのは何故だろう? それは一度大関を経験した者が序二段から這い上がってきた力強さに感動するからだろう。

2020年8月1日土曜日

台湾の人々  Taiwanese people    

台湾の李登輝元総統が亡くなった。
ぼくは台湾には凄い思い入れがある。まだ20歳の1967年3月に台湾に船に乗って行ったからだ。鹿児島まで汽車で行き鹿児島で一泊し、3月2日に鹿児島港を出て3日に那覇港に着き、6日に泊港から出て8日に基隆港に着いている。
このような詳しい日程は当時のパスポート(下記)を見て分かった。泊港を出てから基隆まで石垣島に寄ったりしながらであり、サンマ漁船よりも一回り大きな貨客船は、島に寄ると台湾からの出稼ぎの人たちがニワトリやヤギなどとともに乗り込み。甲板はヤギやニワトリが入った竹籠や荷物などが積まれていた。客室は異様な臭いの船底であり、東シナ海の荒波で揺れて戻したくなるので、ぼくは甲板の船縁で船とともに飛ぶトビウオを眺めて過ごした。船酔いのため食事はとても食べられなかった。
当時沖縄はアメリカの統治下であったので、麻布の大使館に行って通過ビザを取り、円をドルに換えた。そのドルで那覇の国際通りでジョニ黒を買い、マルボローを買ってホテルで皆で吸い飲んだ。ぼくらは台湾の生物調査と云う名目で、先輩3名とぼくとの4人の隊であった。もちろんぼくはタイワンザル担当だ!当時の大学の地学を教えてくれたのが台湾出身の林先生であり、床屋を含むありとあらゆる屋台が並ぶ台北で二日間に渡って案内してもらう。
帰路は4月7日に基隆を出ている。ほとんど1ヶ月の台湾滞在であった。
当時のパスポート
当時の台湾の人々は日本の植民地であったため、殆んどの人が日本語を理解し話すことができた。そして強調したいのは亡くなった李登輝氏に代表されるように日本に対して親しみを持っており、おじさん、おばさんが日常語であった。ぼくらは行く先々で大歓迎を受けた。2回目に行った時には向こうの人たちと話し込むことができるようになり、彼らは自分たちを第二日本人と思っており、戦後、日本が引き上げたあと蒋介石などと大陸から渡ってきた人たちを外省人と云って嫌っていた。台湾と戦争をして日本は台湾を取り戻して欲しいなどとも云われたことさえもあった。
台湾に元から住んでいた高砂族の人たちも含めて、日本の支配下にあった人々は、国民学校で日本人、台湾人、高砂族の区別なく宿題を忘れたり、悪い事をした者は殴られたと云う。勉強やスポーツのできる者は誰もが優遇されたようだ。袖の下が効かないのが日本の統治下の台湾だったようだ。それが外省人がやってきてからは汚いやりかたが蔓延ったようだ。

台湾には観光も含めて6回行った。親しくなった台湾の人たちからはこちらがお返しできないような歓迎を受けたくさんの御土産を貰った。娘がアメリカの大学で中国語を学んだ時に夏に台湾のサマースクールで出かけ向こうの家にホームステイした。そこでも大歓迎を受け、娘が困るようなたくさん御土産を持たされた。このような気質・風習は大陸の中国の人も含めて一緒かもしれない。

日本は中国に配慮して台湾という国を認めないでいるが、台湾の人たちの日本への気持ちを思うと日本政府の態度が許せない。政府は経済的に強い国にも物申すフランスのような国になって欲しい。

台湾の人たちの日本に対する思いと韓国・朝鮮の人たちの日本への思いの違いはどうしてなんだろう。ぼくは韓国にはサルがいないので行ったことがないが、連れ合いに拠ると韓国の食事は旨いし何度も行きたい国の一つらしい。

最後に、台湾の食事はどれも日本人には合って旨い!