動物には新生児から少年・青年の成長期さらには老年期などの誕生・成長・死の成長段階がある。 生き物は性成熟まで生き残る個体以上に多くの個体が死ぬから進化していける。
死亡する個体が少なくて多くの個体が長生きする種はそれだけ進化が制限される。
ニホンザルでもチンパンジーでも子供期は可愛らしい。大人は怖いので大人の顔色を伺う。しかし、成長を遂げた青少年期は自分の力を誇示したくなるようで、乱暴になる。
それは、ぼくらヒトでも同じだ。
中学生・高校生の少年期の若者は電車内を含む公共の場で、他の人々が目に入らないかのような傍若無人・無礼千万な行動をとり、それが自分たちの特権だとさえ思っている。
二輪車を大音響を立てて乗って走り回り、男も女も自分を誇示する。
怪我をすることも厭わない。怪我が勲章のように思っている。
さらには死をも厭わない。歳をとる程に死を恐れるが、少年は死との瀬戸際の危険な行為に生き甲斐を感じる。
動物たちの多くも乳児期と思春期の頃に多くの個体が死ぬ。
動物の個体に誕生から死までの成長段階があるように、動物が作る社会組織にも同じような成長段階がある。
ニホンザルやチンパンジーが作る最小の社会組織の群れ社会にも誕生があり、分裂や消滅がある。死・消滅があるから新しい群れが誕生する。
群れの成長期は群れの個体数が増加し、群れそのものが活気に満ちている。
しかし、老衰期になると群れ内の血縁集団間に明確な格差ができて、劣位の集団は群れの周辺でひっそりと暮らし、群れ全体に活気が見られなくなる。そして、その群れは分裂と言う形で消滅し、新たな複数の群れが誕生することになる。
2010年9月30日木曜日
2010年9月28日火曜日
カピパラとマーラの草の消化システム
専門学校でカピパラとマーラが飼われている。餌の大半は干し草である。
この2種はネズミの仲間である。日本に生息するネズミの仲間は雑食か植物食だ。
植物食でも草や葉を主食にすることはない。食べても消化することができないからだ。だから、果実や種子なら炭水化物やタンパク質なので消化することができる。
南米のネズミの仲間はセルロースを分解発酵するバクテリアをどこに持っているのだろうか?
タイトルを「カビパラとマーラ」から「カビパラとマーラの消化システム」に変えました。
この2種はネズミの仲間である。日本に生息するネズミの仲間は雑食か植物食だ。
植物食でも草や葉を主食にすることはない。食べても消化することができないからだ。だから、果実や種子なら炭水化物やタンパク質なので消化することができる。
南米のネズミの仲間はセルロースを分解発酵するバクテリアをどこに持っているのだろうか?
タイトルを「カビパラとマーラ」から「カビパラとマーラの消化システム」に変えました。
2010年9月24日金曜日
アタチガ沢のクマ糞の内容物
21日(火)にアタチガ沢右岸で見つけたクマ糞の拡大。
内容物は、特定の種子と恐らくその果皮や果柄だけだ。
ほんの少しの部分を小枝で取ってビニールの小袋に採集する。
水洗いして乾かした、種子である。
どこかで見たことがある種子の形状だ!
以前、サル糞の内容物にもあったタネだ!
モチノキ科アオハダと思い、ネットで調べる。
当たった!
なんといとも簡単に当たった。
でも、実際にアオハダの果実の種子を採取するまでは安心できない。
アオハダはたくさん実をつけるが、このように大量の糞をするくらいだから、一頭で一本のアオハダの木の実を食べつくしたことだろう。
でも、こうやって種子は消化されないで排出されるので、動物たちが歩き回る場所に分散されて新天地で発芽し生育していくんだ。
**:やまぼうしさんから、アオダモではなくアオハダとの指摘があり訂正させてもらいます。
嫌ですネ、自分ではアオハダと書いたつもりでした。
2010年9月23日木曜日
ハタチガ沢林道・アカチガ沢・作業道
9:36、ハタチガ沢林道を少し下り、沢へ下りて、遡上して間もなく、丸木で作った感じの良い作業道が岩壁をトラバースするように作られている。
沢は10センチくらいで浅い。
この橋を渡って突き当たりはイワタバコが群生している。
何段もの小滝だ。この滝沿いに登れば、鍋嵐から下るゴジラ尾根の677ピークだろう。
さらに上にも滝が続く。秋にもう一度来てみたい。
さらにアカチガ沢を遡上していくと、Jピークへといくような経路もある。
アカチガ沢の左岸から右岸に渡るザイルの手すりのついた丸木橋である。
アカチガ沢の右岸沿いの急斜面を行くと、今朝早くか前日のものと思われるクマ糞だ!
ほとんどが種子よりなる。
一部採集してきて水洗いした。あとで、アップします。
さらに、スズメバチの巣がバラバラになって落ちている。
なんとなく、クマが近くにいるのでは?ナタをザックから取り出す。
宮ヶ瀬尾根と能の爪を結ぶ稜線付近まで経路が続くことがわかる(後でGPSの軌跡から)。
稜線へと登る道と沢へ下る道があり、沢へ下る。
わずかに水が流れている枯れ沢を渡り、沢の左岸の尾根を登ることになる。
登り詰めていくと、「ん?この伐られた木、見たことがある!」
奥に仏果山が見える。
ここからひたすら尾根を登る。
シカの歯型(下顎の幅広の第一切歯の痕)がついた、立ち木が多い。
11:30、とうとうピークに到着
ここで、グレープフルーツを4分の1食べ、サンドイッチも食べる。
能の爪から鍋嵐までの道はこのピークの裏(南)側を巻くようについている。
ここから鍋嵐に向かう。思いのほか遠かった。
12:15~12:54まで鍋嵐で休息。
13:38、祠の分岐
植栽されたヒガンバナが5個、顔を出していた。
一個だけが開花し、他は蕾。
ここから辺室山を通って土山峠までがバテた。
2010年9月22日水曜日
土山峠から岩のピーク、林道の終点の出会いの峠まで
7:13、この経路の左の尾根を登る。
7:53、シカの糞、新しい糞は久しぶり!
シカ柵に苦労しながら、登っていくととうとう岩のピークにでる。
コナラのドングリが小枝をつけてたくさん落ちている。
コナラのドングリが小枝をつけてたくさん落ちている。
ゾウムシの仲間のハイイロチョッキリがドングリに穴を開けて卵を産んだのだ。
真ん中のドングリの帽子の部分に穴
詳細は、ハイイロチョッキリの土に潜る生活史(2009.09.16)のブログを見て!
尾根を南に進むと
8:35、アカマツの松毬の種子を食べたリスの食痕。
これと同じような食痕が10メートルも歩かないで3箇所にあった。
堤川林道とハタチガ沢林道の終点の出会いとなる峠で地図を見ながら休息し
ハタチガ沢林道に下りる。
途中で、ハイイロチョッキリがたくさんコナラのドングリ付き小枝を落としていた。
2010年9月21日火曜日
土山峠・アカチガ沢・鍋嵐・辺室山の軌跡
今朝は5時半に目覚める。まずい、寝過ごした!
今日は久しぶりに丹沢へ行ける日だ。
パン一枚を食べ、さらにパン2枚にイチジクジャムをはさんでサンドイッチにし、グレープフルーツを一個持って、早々に出かける。6時だ。
土山峠のバス停付近の空き地に車を置き、フェンスを乗り越える。
堤川林道の工事が始まったようだ。帰路は予定変更だ。
堤川林道に沿った尾根を登る。
うるさいくらいにシカ柵があり、ハシゴで乗り越えたり、破れ穴を潜ったり、戸を開けたり、4、5度そのようなことをして、岩のピークに着く。
そこから、宮ヶ瀬尾根を南下して、堤川林道の終点とハタチガ沢林道の終点の出会いとなる尾根に行き、そこで休憩。どういうコースをとるか地図を見ながら思案。
そこからハタチガ沢林道まで下りて、少し下り、ハタチガ(アカチガ??)沢に下りる。
それからのコースは、作業用経路の通りに歩いた。
久しぶりに鍋嵐に行くことが目的の一つだったので、足を伸ばす。
が、辺室山の登山路のかったるさで息が上がった。もってきたグレープフルーツがすごく美味かった。これからはレモンを持ってきたいくらいだ。
途中で新鮮なクマ糞を見つけた。一部をゲット。
今日は、まず、GPSの軌跡をカシミール3Dで電子国土で見たものだ。
2010年9月20日月曜日
遠隔地と中央
ぼくの生まれ故郷は道東の釧路である。
高校2年の時の修学旅行まで、北海道以外の世界を知らなかった。
釧路から列車と青函連絡船、奥羽本線で二昼夜かけて京都・奈良に辿り着き。
庭先に柿が生っているを始めて見つけて感激し、バスの中でその渋さを味わった。
出会う人々の日焼けした肌に、自分たちの肌と較べて異質の人々ではないかとさえ感じた。
水田の稲を見るのも始めてであれば、見る風景がすべて教科書のようであった。
小豆島、高松と周り、鎌倉・東京を経由してまた列車に揺られて釧路まで戻ってきた。
道産子にとっては北海道から南にある本州、四国は内地であった。
内地から転向してきた子たちは綺麗な服を着て、頭も良かったし可愛かった。
風の又三郎のように消えていく転校生もいた。
転校生は内地からやってきた。
内地に対する憧れのようなものが芽生えていた。
教科書は、音楽でも、国語でもぼくら道東で生まれた子供には想像さえつかないような
内地の農山村の世界が広がっている。
台風一つとっても道東の子供には楽しそうなものであった。
”夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、、、、、”
道東では、まだ若葉が茂っていない。
”桜、桜、弥生の空は、、、、、”
道東では桜が咲くのは皐月である。
国語の現代文や古文の文法が苦手であった。
現代文でもぼくらが日常使っている文法と違った。
日本のように北から南まで長い国の遠隔地で生活する人々にとっては、
中央の考えが知らないうちに押し付けられる。
中央は素晴らしい所、遠隔地は「いなか」と蔑まされる。
故郷へ錦を飾ると云うのがその表れであろう。
アメリカ、ロシア、中国は広大な国土をもった国である。
北海道生まれのぼくが考える以上にそれぞれの国の遠隔地で生まれた
子供たちは中央とのギャップに戸惑っているのだろう。
高校2年の時の修学旅行まで、北海道以外の世界を知らなかった。
釧路から列車と青函連絡船、奥羽本線で二昼夜かけて京都・奈良に辿り着き。
庭先に柿が生っているを始めて見つけて感激し、バスの中でその渋さを味わった。
出会う人々の日焼けした肌に、自分たちの肌と較べて異質の人々ではないかとさえ感じた。
水田の稲を見るのも始めてであれば、見る風景がすべて教科書のようであった。
小豆島、高松と周り、鎌倉・東京を経由してまた列車に揺られて釧路まで戻ってきた。
道産子にとっては北海道から南にある本州、四国は内地であった。
内地から転向してきた子たちは綺麗な服を着て、頭も良かったし可愛かった。
風の又三郎のように消えていく転校生もいた。
転校生は内地からやってきた。
内地に対する憧れのようなものが芽生えていた。
教科書は、音楽でも、国語でもぼくら道東で生まれた子供には想像さえつかないような
内地の農山村の世界が広がっている。
台風一つとっても道東の子供には楽しそうなものであった。
”夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、、、、、”
道東では、まだ若葉が茂っていない。
”桜、桜、弥生の空は、、、、、”
道東では桜が咲くのは皐月である。
国語の現代文や古文の文法が苦手であった。
現代文でもぼくらが日常使っている文法と違った。
日本のように北から南まで長い国の遠隔地で生活する人々にとっては、
中央の考えが知らないうちに押し付けられる。
中央は素晴らしい所、遠隔地は「いなか」と蔑まされる。
故郷へ錦を飾ると云うのがその表れであろう。
アメリカ、ロシア、中国は広大な国土をもった国である。
北海道生まれのぼくが考える以上にそれぞれの国の遠隔地で生まれた
子供たちは中央とのギャップに戸惑っているのだろう。
2010年9月19日日曜日
魚釣島の固有動物
尖閣諸島の魚釣島に固有の哺乳類が生息する。
齧歯目ネズミ科アカネズミ属のセスジアカネズミApodemus agrarius と
トガリネズミ目モグラ科モグラ属のセンカクモグラNesoscaptor uchidai である。
セスジアカネズミは1970年と1979年に採集されており、魚釣島以外では、台湾、中国本土、欧州に広く分布しているようだ。
センカクモグラは1976年に採集され、1991年に新種として登録されたようだ。現在では、モグラ属Mogera に含められるようだ。
魚釣島近海は漁場でもある。さらに地下資源が眠っているようだ。島は1978年に右翼団体によって持ち込まれたヤギによって植生が破壊されつつあるようで、セスジアカネズミやセンカクモグラは絶滅の危機にさらされている。
日本列島は北の北海道宗谷岬から南の八重山諸島の波照間島にいたるまでにたくさんの島々からなりたっている。そのため、その島固有の動物が生息する。
八重山諸島のすぐ北に尖閣列島があり、魚釣島があるわけだが、戦前は沖縄諸島の人々によって作られた船着場や魚工場があったようだ。
今、ご存知のように魚釣島が中国・台湾が自国の領土だと主張し始めている。
魚釣島への近隣の島々に住む人々の考えはどうなのだろうか?
齧歯目ネズミ科アカネズミ属のセスジアカネズミApodemus agrarius と
トガリネズミ目モグラ科モグラ属のセンカクモグラNesoscaptor uchidai である。
セスジアカネズミは1970年と1979年に採集されており、魚釣島以外では、台湾、中国本土、欧州に広く分布しているようだ。
センカクモグラは1976年に採集され、1991年に新種として登録されたようだ。現在では、モグラ属Mogera に含められるようだ。
魚釣島近海は漁場でもある。さらに地下資源が眠っているようだ。島は1978年に右翼団体によって持ち込まれたヤギによって植生が破壊されつつあるようで、セスジアカネズミやセンカクモグラは絶滅の危機にさらされている。
日本列島は北の北海道宗谷岬から南の八重山諸島の波照間島にいたるまでにたくさんの島々からなりたっている。そのため、その島固有の動物が生息する。
八重山諸島のすぐ北に尖閣列島があり、魚釣島があるわけだが、戦前は沖縄諸島の人々によって作られた船着場や魚工場があったようだ。
今、ご存知のように魚釣島が中国・台湾が自国の領土だと主張し始めている。
魚釣島への近隣の島々に住む人々の考えはどうなのだろうか?
2010年9月15日水曜日
ウリボウの下顎骨!
12日(日)にウリボウの様子を見に行って、石組みの枠から引っ張り出された頭骨部分を採集してきて水につけていた。この3昼夜の内にすっかり綺麗になった。
今朝、早起きして洗面所で洗う。
見てのとおり、切歯や犬歯は抜け落ちている。
さらに、まだ骨の各パーツが縫合していないため、水洗いするのにも注意が必要だった。
上からみた頭部、後頭骨部分がそっくり欠けている。
じつは、この下顎骨を皆さんに見てもらいたくて、まだ濡れたままなのに写真を撮った。
左右の下顎骨が正中線でまだしっかり癒合していないのだ。
縫合線が判る。
生後何週目の個体であるかは判らないが、少なくても誕生後すでに左右の下顎骨が癒合してはいないのだ。クリックして拡大して見て!
ぼくは「頭骨コレクション」(築地書館)の17「なぜ、ヒトやサルの下顎骨は一つだけ?」で、
「サルやイノシシたちは離乳が過ぎるころにはしっかり咀嚼できるような下顎骨が必要なので、左右の下顎骨が癒合して生まれてくるのだ。p186」と書いた。
この記載は間違いであることになる。
次のように訂正したい。
「サルやイノシシたちは離乳が過ぎるころにはしっかり咀嚼できるような下顎骨が必要なので、サルでは左右の下顎骨が癒合して生まれくるし、イノシシでは生後まもなく下顎骨が癒合することになるのだ。」
一つの事実によってすぐ仮説が覆ってしまう。資料収集をすることを重んじなければいけない。
アフリカの帰りに大英博物館に一度行ったことがある。動物の骨格標本の展示物の多さに圧倒された。なおかつ、地下の部屋は何百という数のクジラの骨格標本があると知って、日本の動物学が太刀打ちするのは難しいかなと思ったものである。
2010年9月13日月曜日
身近にある見込み捜査=冤罪
厚生省の村木元局長が無罪となった。
検察側の勝手な思い込みによる流れの中に彼女が居たわけだ。が、その流れがウソであることが明確になった。
それにしても、厚生省の彼女の元上司や部下の男たちが捜査段階で彼女に指示をした、彼女から指示を受けたと偽証をした。
何故彼女のように頑張れなかったのか?
特にかっての上司であり、現在、町長をやっている男の人間性を疑う。
彼らが始めからウソをつかなければ検索は早い時期に方針を変えたであろう。
しかし、このようなことが日常茶飯に行われている訳ではないだろうが、事件が起こると警察・検察側は推論をした上で捜査をすることになる。
事件が起きた日時、人間関係、背景などから推論しその裏づけを取っていくことになる。
その裏づけが取れていないにも関わらず、見込み捜査をしていくからこのような冤罪を生むことになる。
特捜部が関与する事件だからぼくら庶民の生活とは関係しないと思ってはいけない。
数年前、鹿児島県議選で、大勢の市民が選挙違反事件で掴まり、裁判により冤罪となった。
これなどは、警察が勝手に事件を作り上げて市民を捕縄し、その結果、ある県議を当選させるというものだった。
この事件を担当した警察部長と当選した県議は親子同然の仲だったというから、これが現在の日本で起こった事件かと自分の耳目を疑いたくなる。
是非、ネットで鹿児島県議選 冤罪で検索してみて!
村木局長を冤罪に落としいれた特捜部も鹿児島県警察本部もなんのお咎めもないというのは不思議でもある。
冤罪によって殺人者のレッテルを貼られた人たちも大勢いるのだ。
見込み捜査のようなもので、ぼく自身が疑われたことがある。
平日に、家の近くで自転車(娘と二人で使用しているがもう15年以上も使っている古い物)に乗っていると、パトカーが擦り寄ってきて、停止を求められた。盗んだ自転車ではないかというものだった。
警察の考えでは、平日の昼間に中年男が無精ヒゲを生やし古びた自転車に乗っているのは、もう自転車泥棒=犯罪者という筋書きができているようだ。
幸い、家から50メートルも離れてない所だったので、家に帰るところなので家に来てもらった。
我が家で古い自転車なのは、新しい自転車はすぐ盗まれてしまうからだと説明した。これまで3台の自転車が盗まれた。
古い自転車だけは盗まれない。それで、かれらは納得である。
もし、これが数キロも離れたところで職務質問を受けていたらどうなっただろうか?
以来、なるべく平日に外出する時には、不精ヒゲを剃ることにしている。
(上は疑われた我が家の自転車)
2010年9月12日日曜日
ウリ坊あった!
9月4日にハタチガ沢林道で滑落死していたウリボウの様子を見に行ってきた。
台風が通り過ぎた時は、西丹沢で豪雨だった。しかし、東丹沢の伊勢沢を9日に歩いた限りではそれほどの降りではなかったようだった。その日にハタチガ沢林道へ入る事を禁じられたので、日曜日は工事関係者は来ていないだろうと、早朝に行ってきた。
赤布の目印をつけておいた現場に6時半についた。
途中、林道を歩いている時はウリボウは残っていると確信した。
台風通過時には、雨水が林道を走ったろうがそれほどではないことが分かる。
今回:左の斜面中央の下付近に草むらにウリボウを置いた。
前回:これは現場を上から見たところ。
右の石で囲った中にウリボウを埋葬した。
その上に、手前にある平たく大きな石を乗せた。
上に乗せていた石をのぞくとシデムシなどの腐肉を食べる昆虫たちが蠢いていた。
左の方に向けていた頭部が無い。
辺りを見回すと、1メートルくらい離れたところに下顎骨があり、頭蓋部は倒れている草の下になっていた。
タヌキか、アナグマかネズミたちがやってきて、頭部は引っ張り出したようだ。
さらに、前脚なども無い。石を浮かさないで、そのまま上に乗せておくのだった。
いつも反省だ。
散らばっている骨だけを採取してきた。
毛と虫と骨の部分は10月になったら取りにこよう。
2010年9月11日土曜日
ハタチガ沢林道でゲットしてきたテン糞
9月4日、ハタチガ沢林道を歩いていて見つけたテン糞である。
表面に内容物の種子が出ている。
今の時季にこのような小さな種子の果実は何?
水洗いして、種子を取り出す。
水洗いした他の残渣は果皮に果肉が厚くついたものであった。
果皮と果肉、および種子の色と形状から、あれだな~っと思った。
今の時季はまだ青く固い状態であるはずだ。
種子は一応、しっかり出来上がっているように思える。
この果実が熟す10月下旬には種子はもっと大きくなるのだろうか?
あるいは、ぼくが考えているものとは違うものだろうか?
この種子はサルナシだろう。
ニホンザルたちは、夏頃からまだ小さくて硬いサルナシやらアケビやらを食べる。
サルは視覚の動物だから青い果実でも見つけて食べることができる。
しかし、テンは臭い、香りでこのサルナシの果実を見つけて食べたということだろうか?
サルナシはマタタビ科である。ネコ科以外のイタチ科の動物にも彼らに臭いで影響を与えているのだろうか?知りたいものである。
2010年9月10日金曜日
草の実・木の実
昨日の伊勢沢林道で、
ハダカホオズキである。まだ色づいてない。
赤く色づいてから種子を採ろう。
サクカクヅル?アマヅル?
丹沢にはヤマブドウがほとんど見当たらないのがさみしい。
たっぷり雨が降ってくれたので、植物たちは生気を取り戻している。
きっと、シカやサルやウサギも水々しくなった草や葉に大満足のことだろう。
2010年9月9日木曜日
台風一過
昨日、丹沢へ行けなかったので、起きて、少し朝刊を見ただけで
前日作ったイチジクジャムを食パンに塗って、牛乳とともに食べ、車を走らす。
台風一過という感じとは程遠い空模様。
9月1日に早戸川に行くときに見つけたハクビシンの状態を見ようと、半原の方から行ったがあのウジが湧いていた死体は跡形も無く消えうせている。大雨で流されてしまったようだ。道路も歩道も綺麗さっぱりだ。宮ヶ瀬湖に流れ下ったのだ。
なんだか、がっかりである。
気持ちを変えて伊勢沢林道へ向かう。途中鳥屋の食料品店で弁当や飴玉などを買う。
急ぎ足で歩いても汗がすぐ出てくるわけではない。台風一過とともに秋が到来したかのように涼しい。ススキの穂も出始めている。
音見沢橋に来たが、ここにはウワミズザクラがないことに気がつく。勘違いしていたのだ。
焼小屋沢橋を過ぎて、ヘアピンカーブのところから焼山方面を望む。
雨曇りで、時折雨粒が落ちる。
マツカゼソウが涼しげな風情である。
種子を見るために木の実を採りながらもどる。
オオバアサガラ、ミズキ、アカメガシワ、ウツギ、そしてヨウシュヤマゴボウ。
ハクビシンの屍骸がきれいさっぱり雨で流されてしまったので、ハタチガ沢のウリボウを見にいくことにする。が、橋を歩いていると工事の警備員のおじさんに押し戻される。「立入り禁止」だから戻れという。あまりの剣幕に戻ることにする。土山峠のところが空いていれば、そこからハタチガ沢に行こうと思ったが、土山峠のスペースには既に2台の車がある。
なんだか、イライラした気持ちになりながら帰宅。
ウリボウも流されてしまったかもしれない。
2010年9月8日水曜日
郵送されてきたオオアシトガリネズミ
網走方面を旅行した、高校時代の同窓生のT.Gさんからオオアシトガリネズミが封筒におさめらて郵送されてきた。5、6枚のビニール袋に収められていた。
彼から面白いものを拾ったので送るとメールがあったので、腐敗させるためのガラス容器を用意していた。連れ合いから受け取ったらすぐ、袋をやぶり、そのまま容器に移し水に浸した。
8月26日に水に浸けて、9月7日に上澄みの毛が混じった汚物を流し、
取り出したのが下の頭骨を含む、骨格だ。
残念ながら、一度踏まれたか郵送中に潰されたようだ。
頭頂骨や後頭骨、聴胞あるいは側頭骨部分、左の前額骨が壊れている。
みても分かるように、頬骨弓がないのが、トガリネズミ科の大特徴の一つである。
左の上顎骨の第一切歯を見てほしい。クリックして拡大!
一本の切歯なのに、鍵状に二つに分かれている。
下顎骨を見ると、切歯もは前方に長く突き出し、他の歯も鋭く尖っている。
下顎の第一切歯も伸びて、しかも4つの尖がりをもつ。
上・下の第一切歯とも他科の動物たちにはありえないような形だ。
このオオアシトガリネズミはミミズや土壌節足動物を
この鋭い歯で捕まえて噛み殺し潰して食べているようだ。
下顎を引き上げる咬筋は上顎のどの部分に付着しているのだろうか?
オオアシトガリネズミは前脚が少し大きく、これで腐葉土をかき分けて餌動物を探し回っているようだ。
左上:大腿骨、脛骨と腓骨がある。腓骨は足首から3分の2位が脛骨と合体している。
上腕骨や脛骨が左下方の寛骨の右にある。
唯一のオオアシトガリネズミの骨格なので、
100均でケースを買ってきて上のように収めた。
2010年9月7日火曜日
動物たちの糞の内容物
4日(土)のハタチガ沢林道歩きで:
橋の欄干の上に大きなサル糞が一個、強烈なお日様に晒されてカラカラだ。
一週間も前のものだろう。見てもわかるようにお米のモミガラがたくさん混じっている。
鳥屋か半原か清川の水田の稲を食べたのだ。
恐らくソリタリー(ハナレザル)が、水田を荒らしたのだ。
これは、テン糞だ。内容物に種子が入っているので、ゲットする。
ハクビシンの糞だろう。先ほどゲットしたテン糞の種子と同じものがたくさんある。
これも一塊ゲットする。
このテン糞を1日半、水に浸けて、糞を5ミリメッシュの茶漉しで洗った。
大半が果皮と下の種子であった。
このタネ????見たことあるような?
今の時季に果実を実らせている木だ!
ん?
流水で揉むようにして洗ったのに、果柄がついているのがあったので一緒に撮った。
ウワミズザクラ?イヌザクラ?あるいはシナノキ?それとも?
2010年9月6日月曜日
捕まえられたヤモリ!
今朝、部屋の中にバケツがある。
蓋の上に、「ヤモリがトイレにいた」と娘が広告の裏に書いた紙が置かれている。
そっと蓋を取る。ヤモリがいた。我が家は網戸もしっかりしたものなので、ヤブカ一匹は入れないのに、どうやって生きていたのか。
まず、写真を撮り、庭に放してやる。
この暑さで、日本が亜熱帯化している表れで我が家にも頻繁にヤモリを見られるようになったのか?それとも、、、、、、?ちょっとどういうことなのか分からない。でも、ぼくにとってはヤモリの居る環境の家は素晴らしい!
2010年9月5日日曜日
ダンドボロギクの乱舞
昨日のハタチガ沢一帯は、
白いフワフワしたものが谷間に乱舞していた。
はじめは、トンボがたくさん羽化して飛び回って、太陽の光を浴びて白く光っているのかと思った。
林道上の空中にも白いものが飛び回っている。
谷間をとフワフワしているのものも同じものだ。
先日、覚えたダンドボロギクが白い綿帽子となり、ちょっと風が吹くだけで舞い上がっている。
木陰からシカたちを見ながら、同時に幻想的ともいえるダンドボロギクの綿毛の乱舞の中にいた。
林道沿いの斜面の草本は上のダンドボロギクのようにまるでドライフラワーのようになっている。雨が欲しい。
谷川の斜面に咲くタラノキの花
ヌルデの花
コマツナギの花がまだ咲いている。
なんと、ジャケツイバラの花が狂い咲きしている。
林道歩きは日差しを遮るところが少ないが、沢からひんやりした風が吹いてきて気持ちが良い。谷間を望む木陰に座っていると電車通勤の不愉快な出来事も霧散した。
2010年9月4日土曜日
久しぶりのハタチガ沢林道
昨日は専門学校から戻ってから、アエラ誌の取材を受けた。
今朝、9月1日にYabeさんと一緒に見つけた轢死したハクビシンの状態を見にいってきた。
なんと、歩道の端に乗せておいたが、車道の方に尾が落ちている。
こんなにも腐敗が早いものかと驚いている。
全身に白くお米を散らしたようなものがウジ虫であり、四方に広がっている。
肉はほとんど無さそうである。
クリックすると拡大するが気色悪いのでやめること。
実は、ハクビシンの手足の裏を見たかったのだが、それが敵わなかった。
このまま帰るのも馬鹿らしいので、久しぶりにハタチガ沢林道へ行った。
道路沿いに車が停められないように柵が置かれている。
こんな事をするなら駐車場を作ってほしい。
橋を渡って、林道をしばらく行くと、ん!腐った肉の臭い!
辺りを見回し、フンフンと臭いを嗅ぎながら歩く。
ウリボウが死んでいる。ハクビシンが三日目でほとんど形をなしていないので、
ウリボウは昨日の早朝、死んだものと思われる。
前足(右)はこんなに小さい。
この崖から滑落したのだ。即死だったのだろう。
崖下の道路ぎわにウリボウが、、、。
ウリボウをぼくだけが分かるところに移し、動物たちに持ち去られないように、
大きな石で囲んで、埋葬した(白骨化を待つことにした)。
7月にハタチガ沢沿いの斜面を歩いていて、クマさんの母子に出会った場所:
クマさんがいないか?熊棚はないか?なめるようにして対岸の斜面を見ていた。
ん?動く物がある。クマさんか?
いやいや、クマさんではなく3頭のシカである。
はじめはシカのメスたちの集まり(メスグループ)だと思っていた。
双眼鏡で見ていると、3頭とも袋角をもったオスたちである。
クリックして拡大すると袋角が判る。まだ、10センチにも満たないような袋角だ。
オスジカたちは今の時季にオスグループを形成しているのだ。
30分くらい、木陰に隠れて彼らの採食の様子を見ていた。
平和なものだ。3頭の間で争い一つ起こらない。ニホンザルとは大違いだ!
林道終点まで行く途中に、山側斜面を駆け上るシカが2、3頭見える。
帰りに再びシカたちがまだいるか覗くと、
「クワーン」という警戒音!先ほど見た場所よりも高い位置だ!