「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2012年7月17日火曜日

虫コブだ! The gall !

境川の土手のサイクリング道路の続き
エゴノキだ!たくさん白っぽい実がぶら下がっている。
エゴの実に穴を開けてはいりこむ虫はいないのか?と思い実を眺める。
ん?なんだこれは?虫瘤だ。
ん?ここにもある。あ、こちらにもある。
ヌルデの虫瘤の形に似ていないこともない。
これは、実にアブラムシが卵を産んだのだろうか? 
エゴノキ・虫こぶでネット検索したら、すぐ分った。
エゴノネコアシアブラムシが、エゴノキの側芽に卵を産むとこのような形になるようだ。

虫コブの多くはアブラムシの揺りかごであり、何故このような形になるのだろうか?
エゴノキの側芽の細胞が癌化したためにこのような形になるのだろう。
アブラムシにとってはこのような奇妙な形の揺りかごをつくることで
エゴノキから多大の利益を得ているのだろう。
だが、ぼくのようなサルはこの虫こぶをもぎ取ってしまいたい衝動にもかられる。
あるいは、ほんとうにサルならこれを取って食べてしまうかもしれない。
そんな危険を乗り越えて、エゴノネコアシアブラムシはエゴノキの側芽に卵を産んで自分の仲間を増やしてきたことになる。

2012年7月16日月曜日

ジャノメチョウの仲間だ!

このところ、何故か足がむくんで靴を履くのも山用の毛の靴下を履いているような違和感がある。
以前は、学校から戻るとむくんでいたのだが、今は休日でもむくんでいる。
山歩きでは息切れするし、ちょっと気味が悪いので、内科で診てもらった。採尿、採血で翌日再び行く。が、とりあげて問題となるようなものはなかった。むくみをとる漢方薬をもらったが、漢方のため効果はまだでていない。
ぼくは、この半年で5キロも太ったのだ。運動不足なのはわかる。山歩きで息切れするのは太ったからだ。ゾウの足のように膨らんだ足に運動靴を履き、歩く。横浜市との市境の境川のサイクリング・歩行者道路を目指した。中高年の男女がスタイリッシュなスポーツウエアに身をつつみ、ぼくの脇を疾風が駆け抜けるがごとく走り去っていく。
こちらは、川を見たり、土手を見たり、ふらふら歩いている。
ん?このチョウチョウは?シジミチョウの仲間にしては大きい。
大きな蛇の目がある。
翅を閉じたり、開いたりしている、タテハチョウの仲間?
違う、ジャノメチョウの仲間だ。
愛用の「日本の蝶」保育社をみる。
ヒメウラナミジャノメの夏型のオスだ。

ジョギングする人たちもいるので、こんなところでカメラを構えてうろうろしていると邪魔なる。
帰路は道を変えて農道を歩く。
これは、ヤブマオが綺麗だ。
ぼくも、1日50キロを目ざして死にもの狂いで走っていたことがあった。
山道も走ってサルを追ったものだった。
膝を悪くし、山を歩けなくなったので走るのをやめた。
アフリカの山では登り下りがつづくと下りの時に膝が痛くて痛くて苦しんだ。
幸い、今はダブルストックで膝への負担が少なくなった。
しかし、それでも下りはイヤだ。
体重を減らさなければ、72キロは重い。しかし、食べること飲むことがやめられない。


何故、タメ糞場が放棄された?The reason why raccoon dogs don’t use the same places as their toilets.

土山峠から湖岸林道を北上し清川トンネル方向への経路をとらずに、林道終点から
尾根に取り付く。
すると、登って5分くらいで最初にタヌキのタメ糞場がある、
さらに登っていくと再びタヌキのタメ糞場がある。

これらのタヌキの2ヶ所のトイレ(タメ糞場所)はとうとう放棄してしまったようだ。
先月からタメ糞場所なのに、二週間に一回分くらいの糞しかしなくなったのだ。
トイレが苗床となり、7月12日には苗が7,8センチ以上に伸びていたため、
木の苗を掻き分けて糞を探したが見つからなかった。
上のトイレよりも直線で100メートルくらい離れた同じ尾根上の場所。
ここには6月21日に一回分の新しい糞塊があった。
しかし、今回はどこにも糞は見当たらなかった。
始めは、糞虫の活動で、新しい糞はすぐ、虫たちによって運ばれてしまったっと思った。
そうならば、地面に糞虫たちが糞を運んだ穴が開いているはずだが、それも見当たらない。
タヌキのこの2ヶ所のタメ糞場所は、土山峠から湖岸林道の終点から20分も尾根を歩けばたどり着ける場所なので、タヌキの食性を糞から調べられる場所として重宝していたのだ。

何故、ここの尾根のトイレがタヌキたちによって使われなくなったのだろう。
この尾根を登っていくと宮ヶ瀬尾根の猿ヶ島に辿り着く。
この宮ヶ瀬尾根を南下していくと「不思議なミズキ」の地点の広々とした尾根にでる。
途中に幅5、60センチの細尾根がある。
その細尾根にもう何年もタヌキのトイレ(タメ糞場)がある。
下は、前の週の7月6日に鍋嵐に行った時のものだ。
ご覧のように、このトイレには実生苗が育っていない。
この細尾根のトイレは途切れることなくタヌキが使用する。
しかし、湖岸の実生苗が繁茂しているところはどうして使わなくなったのだろうか?

ぼくが考えた理由、タヌキは苗が密生して伸びているような場所ではウンチが出ないのだ。
つまり、お尻に草や実生苗が当たるような場所でウンチするのがイヤなのだ。
しかし、宮ヶ瀬尾根の細尾根で途切れることなくトイレとして利用するのは、
細尾根は動物たちの通り道でもあり、踏まれるために実生苗は育たない。
そのため、タヌキに取ってはウンチがしやすいのだろう。
ぼくらも山でウンチする時は、草が生えていれば尻に当たるのでそんな所を避ける。
湖岸の尾根は幅広い尾根なので、動物たちはわざわざタヌキのトイレに足を踏み入れて歩くこともないだろう。というよりもサルを含めて動物たちはなるべく不潔な糞を踏まないように歩いているのに気が付く。

タヌキは、草(苗)が生えていないような裸地をトイレとする。
実生苗が育ってくるとその場所を放棄し、別の場所をトイレにする。
タヌキはいつも禿山に種子を植え付けているようなものだ。
タヌキは森を作っている。
これは、タヌキばかりでなく、サルやクマやリスやテンも種子を植えて森林をつくっているのだ。
一方、草食動物であるシカやカモシカ、ノウサギは森林の破壊者なのだろうか?

2012年7月15日日曜日

「ヒトの子どもが寝小便するわけ」築地書館

ぼくの新しい本が昨日、出版社から送られてきた。
「ヒトの子どもが寝小便するわけ」築地書館、p233、定価:1800円+税
書店に並ぶのは来週の26日頃とのことです。
この本の内容や題名については、出版社といろいろありました。
それらのことはともかく、出版社の編集者のH.Hさんに感謝!
ぼくのつたない文章を辛抱強く読んでくれて、あれこれ意見を言ってくれました。

この頃思うことがある。
他人が意見を言ってくれている時に、その意見に聴く耳を持たなくてはならない。
また、他人が意見を言ってくれるような人になりたいものだ。
これから、ますます頭が硬くなっていくだろう。
他人の意見も聴かなくなるだろう。
しかし、いつまでも他人が意見を言ってくれて、その意見に耳を傾けられる人でいたい。

「頭骨コレクション」が増刷になったので一冊同時に送られてきた。
すぐ、中を見た。30ヶ所を越えるところが訂正されている。
嬉しい。
今度の本では、単純な誤りがないように校閲ゲラでは何度も見返した。
送られてきた本を半分読み返したが、問題はないようだが、そんな事はない。
どこかに見落としがあるはずだ。

2012年7月14日土曜日

カバマダラ?ツマグロヒョウモンのメスだ!Panlymnas chrysippus ? Not, Argyreus hyperbius is !

昨夜あんなに降っていた雨が止み、真夏の強い日差しが射しこんできた。
庭に見慣れないチョウが飛んでいる。
慌てて机の上のカメラを取って、雨戸を開けてチョウを目で追う。
運良く、足元のランタナのピンクの花に止まった。
え?カバマダラダ!
小刻みに身体を動かす。ん?外側の翅の模様がちょっと違う。 
翅を閉じたり開いたり。これはタテハチョウ科のチョウの特徴的な翅の動きだ。 
図鑑で先ず、カバマダラを見る。内側の下羽の模様や外側の下羽の斑点模様が多すぎる。
カバマダラではない。
タテハチョウ科で探す。すぐ見つかる。ツマグロヒョウモンのメスだ。
ツマグロヒョウモンのメスは毒をもつカバマダラに擬態して鳥などに食べられないようにしているようだ。


マルミノヤマゴボウとヨウシュヤマゴボウ Pokeweed and its related species.

マルミノヤマゴボウとヨウシュヤマゴボウは同じものだと思っていた。
別種だと知ったのはヤマボウシさんから本「清川村の花図鑑」をいただいてからだ。
だから、区別できるようになってまだ4年?くらいしか経っていない。
どちらの実もドクウツギの実やマムシグサやヒヨドリジョウゴの実のように、ぼくのような食いしん坊の者でも、手に取って口に入れる気持ちになれない。
もう、見ただけで毒!と思うのだ。
このマルミノヤマゴボウはこれからあの独特の黒紫色になっていく。
毒というのは使いようによっては薬になるが、素人は扱いが難しい。
 ヨウシュヤマゴボウは花が咲いている。この実の汁はまるで赤葡萄酒色だ。
クワの黒く熟した実も赤葡萄酒色になるが、クワの実がなっているのは学生の時に初めて横浜市内で見たが、すぐ手に取って食べた。
が、このヨウシュヤマゴボウの実は手に取ってみたことさえない。
このような感じというのはどこからくるものだろうか?
不思議である。
丹沢実習で、今の学生たちは、「この水飲めますか?」と聞く。
ぼくは自分で判断できないのか?と思ってしまう。
台湾、東南アジア、中国、アフリカの山でも、沢の水なら大抵飲む。
だから、山歩き、サル調査には水筒を持って歩いた事はない。

ただアフリカでは、白濁した水、赤錆びた水など手をつけるのも躊躇してしまうような沢や川の水があった。しかし、その中に藻があったり、魚が泳いでいれば飲んだ。それよりも乾季に干上がった川底を掘るとドブの匂いのする腐った水があったが、それさえもタオルで泥や汚物だけでも浄化して飲んだ。喉の乾き、身体が水を欲している場合は、不衛生な水まで飲み干せてしまい、身体が生き返る。
亡くなった西田利貞さんは、踏みつぶされたゾウ糞の塊の中にあった水(ゾウの小便)まで飲んだようだ。

さて、丹沢の沢には水が流れていない。丹沢山塊に降った雨は表面水とはならず伏流水になって地下に潜ってしまう。大抵の山なら、尾根を歩いていても沢を10メートルも下れば地下に潜った水が表面水となってあらわれる。が、丹沢はダメだ。
ペットボトルを持ち歩かなければならない。この表面水が少ないことが丹沢の山にサルが少ないことにつながっているのではないだろうか?

と、書いてきて思い出した。そうなんだ、ぼくが丹沢のサル以外の動物たちの生活に興味を持ったのもその発端は「何故、丹沢では山の中にサルが少ないか?」だったんだ。

2012年7月13日金曜日

キノコ Mushroom

何故か、昨日のアップがうまくいかないので、あらためてアップする。

昨日は、林道歩きだけにとどめようと思っていた。
出かける前にヒル避けの飽和食塩水は靴下に噴霧しなかった。
土山峠から湖岸林道を清川トンネルに向かって歩き、林道終点から
ちょっとだけ尾根上のタタヌキのタメ糞を見に行く。が、新しい糞はなし。
ヒルがうじゃうじゃ足元に寄ってくる。脹脛の上の辺りが痛い。
ズボンを上げてみると太ったヒルが吸い付いている。
ザックから飽和食塩水の噴霧器をだし、足元に噴霧。
すぐ、下ることにする。
ドクベニタケだ。ゲット。
これはドクベニタケという名前だが食べられるようだ。
ツチアケビを写真に撮って、下るとこのキノコ!
図鑑で見たことがあるやつだ。ゲットする。 
小さいのもある。
ウスタケだった。5冊あるキノコ図鑑の2冊では不食or毒とある。
しかし、他の3冊は食とある。 
ドクベニタケは苦いようなので、薄く切って水に晒す。
ウスタケはゴミを取り除く。
夕食時、味噌汁とする。大根おろしを容れる。
ドクベニタケを沸騰した湯に入れたら、湯がピンク色になる。
連れ合いは嫌がる。ウスタケも入れて、沸騰させる。
味噌を入れて、沸騰しそうなときに大根おろしを入れて出来上がり。
食べる。両方ともイケル。ダシが良い。
ドクベニタケは生の時はボロボロと崩れやすいが煮るとしっかりする。
味はナラタケのようだ。
ぼくが食べて30分たったので、連れ合いも食べ始める。
初めてのキノコを食べる時は、海外で食べたこともない材料を口にした時のような気持ちだ。


土山峠付近の林道で

昨日は、雨と風が強かったが、堤川林道や湖岸林道沿いでは、木々は夏の装いだ。


ネムノキの花、アカメガシワの花、ムラサキシキブの花が咲いていた。
ツチアケビはもう終わりかけていた。
タヌキ糞は見つからず、テン糞を拾って帰ってきた。



2012年7月12日木曜日

雨の丹沢

雨と風が強い。
しかも、ヒルが多く、目的が達成出来ない。
甘かった。

2012年7月11日水曜日

フウランが咲く、カヤラン生きていた!

このフウラン、小豆島のサル調査の時に寒霞渓の頂上のロープウエー乗り場の近くの
土産物売り場で一株買ったものだ。もう、10年も前のことになる。
今では、株分けし、二鉢に植えている。
もう一つのフウランの鉢の隅にカヤランを植え付けている。今年の2月に林床に落ちていたカヤランを拾い、庭のウメの木に縛りつけていたのだが、どうも思わしくないので、5月にフウラン鉢に植え替えたのだ。太い根が出てきている。これは生き返った。大丈夫だ。
株が増えたなら山に戻しに行こう。何年後になるかな? 
いよいよ7月も第2週にはいった。学校はいよいよ来週でおしまいとなる。
残るは、再来週の慶應の試験である。今年度から250名に履修者を制限してもらったし、試験問題も採点しやすいようにしたので今回は楽かもしれない。
試験週が近づくにつれて教室が賑やかになってきた。
A(優)を取りたいなら、せめて14回の授業のうち10回以上は、ぼくの話しを聞いていなければ無理でしょう。進学、留学、就職、奨学金のためにAが欲しいようだ。
それなら、自分で安心できるように授業に出たら良いのだ!

2012年7月10日火曜日

ヤマユリだ! RubrumLily!

今朝、日差しに誘われて何気なく、庭にでた。
え?これヤマユリだ!
てっきり隣のカノコユリのムカゴが落ちてできたものだと思っていた。
小さくいびつだがヤマユリだ。
今年は、玄関の方にも一本芽生えがあり、庭には3、4本見つけている。
それには含めていないものだった。
嬉しい。
ようやく、千葉の畦道、丹沢の山で採取してきたタネをばらまいていたのが
苗となり花が咲いたのだ。
匂いがしない?早朝は香らないのだ。

フウランも一輪咲いている。
フウランの鉢につけた。死んだと思っていたカヤランがなんと
太い元気な根をだしている。
これから学校だが、帰ってきてからじっくり見よう。
この晴れた天気、しばらく続いて欲しい。

2012年7月8日日曜日

七夕祭り A traditional Star festival

ぼくが生まれた釧路の七夕は、夏休みの8月7日に行われた。
だから、7月7日の七夕はなんとも感じが出ない。
それもその筈。
釧路の七夕飾りはヤナギの木に願い事や短冊をぶら下げるのだ。
小学校の時の音楽の時間の教科書は全国共通の教科書なので、
「笹の葉 さらさら ♪♪ 軒場にゆれる、、、♪♪、」
とヤナギの木を見ながら歌ったのだ。
もちろん、釧路で使われているのがヤナギの木であってササではないのは知っていた。
七夕の飾りつけは、夏休みの一大イベントであり、
終わった翌日に川に流したものだ。
しかし、10日も前から川辺で手頃なヤナギの枝を切ってきて、
玄関前の土に突き刺しているのだから、ヤナギから根が出て挿し木状態になっていて、
子ども心にヤナギの生命力の強さに驚いたものである。
そういう年中行事で使う木々の違いは他にもある。
お正月に使う、角松のマツである。
マツの木は釧路にはないから、トドマツやエゾマツなどが使われた。
だから、まったく雰囲気が異なる。考えれば、まるでクリスマスツリーだ。
何も、本州や四国、九州で行われていることと同じことをしなくても良いとは思うのだが、
北海道に移り住んだ祖先たちは自分たちの故郷を思い出してやっているのだ。
インドネシアでも、台湾でも、アフリカでもその地で暮らしている
日本人たちは日本の伝統的な祭りを楽しんでいる。
否、日本以上に日本から離れた国々で暮らす日本人たちは、日本の祭りや習慣、暮らしを大事にしているように思われる。

テン、タヌキ、アナグマたちの糞の内容物 The contents in scats of martens, a raccoon dog and a badger.

7月5日の続きです。
6時57分、テン糞
ムカデ脚付き1匹分、ガガンボの翅か?3枚、脚3本、腹部の殻
9時4分、テン糞
熊ノ爪付近で見つけた。
熊ノ爪から鍋嵐までの間は、もっともいろんな動物たちのフィールドサインが多い場所である。
ムカデ1匹分、鳥の羽毛と毛根多数、骨片多数、アリ2匹、昆虫の脚2本、外羽4枚、腹部殻、外骨格
8時4分、タヌキ糞
この場所は宮ヶ瀬尾根の細尾根の上であり、もう何年も同じ場所がタヌキのトイレになっている。
同じタヌキの家族ということなのかな?
小さな(15ミリ)のムカデ一匹、他不明物と土砂
9時14分、アナグマ糞
このアナグマ糞は719ピーク近くで見つけたものだが、熊ノ爪から719ピーク間でほぼ
確実にアナグマ糞を見つけることができる。少し、穴を掘ってトイレにしている。
この場所も同じアナグマ一族が年中利用している場所だ。
5,6ミリのサワガニの子が3匹、他土砂
以上であった。
テンはムカデや昆虫や小鳥を食べ、タヌキやアナグマは枯葉の積もった腐葉土に鼻を突っ込んで土壌動物などを食べていることが分る。サワガニの子は偶然に触覚で探り当てたものだろう。

今回、S.S君と歩いた、コースは下草がほとんどなく。
急斜面でも土石が剝き出しとなっており、風雨によって自然崩壊が進んでいる。
水源涵養林としての経路作りのために尾根沿いの樹木と切ったりすることは、実生苗が育つまで待ってもらいたい。

2012年7月7日土曜日

アカモミタケ

土山峠から堤川林道終点から鍋嵐をめざし、そこで早い昼食。
帰路は、「熊の爪」から「祠の分岐」にでて、辺室山・土山峠の登山路を戻ってきた。
学生のS.S君は身が軽く、ぴょんぴょん飛び跳ねながら下っていく。
アカモミタケだ。今年初めてのものだ。
枯葉に埋まるようにして出てきていた。
このキノコ少し白っぽいが、間違いないだろう。
茎を追ったり、傘を折ると赤い血のような汁がでた。
このためにアカモミタケは見分けやすい。
ぼくは、このキノコが好きだ。
味や香りには欠けるが、歯触りというか舌触りがよい。
それよりもシイタケのように安心して食べられるからかもしれない。 
味噌汁に容れても良いし、煮物にしても良い。
味噌汁で、大根おろしを容れて一緒に食べるとなお一層うまい。
だが、昨日はイグチの仲間も一本容れて、キュウリやナスも具として食べた。

下のキノコ、取ってきたが、同定できず。
秋の広葉樹林にでるオオワライタケやコレラタケというのにも似ているが、
せめてこの枯れ木が同定できれば、まだ少しはキノコの名前に近づける。
かじって舌先で転がして味わったが、特にどうってことがない。
が、食べるのはやめた。
あー、キノコを良く知っている人と一緒に山を歩きたいものだ。

2012年7月6日金曜日

東丹沢歩き!  Walking in the east Tanzawa mountains.

昨日、7月6日の土山峠から「不思議なミズキ」・鍋嵐・「祠の峠」
そして、辺室山を通って土山峠まで戻ってきたGPSの軌跡だ。
が、何故か土山峠でGPSをoffにしょうとしたら、すでにoffになっていた。
このようなことは始めてだ。
ともかく、バテた1日だった。
宮ヶ瀬尾根の東側は新しいシカ柵でこんなにも植生が回復してきている。
モミジイチゴやニガイチゴもたくさん実をつけている。
しかし、シカ柵に覆われないぼくらは歩く西側でも今年は木の実生の苗がでている。
草の芽生えは見られないが木々の芽生えが見られる。
シカの頭数を日常的に間引いている効果がでてきたのか?
ここを過ぎる頃はすでにバテテいる。
朝飯用にパンを食べようと無理無理食べるが、1個がようやくだ。
「熊の爪」を過ぎて鍋嵐へ稜線を歩いている時に、後にいたS.S君が来ない。
しゃがんで北面の谷を覗いている。
小さな真っ黒の影のような物が斜面を走り去って行ったという。
え!それは子グマだ。緊張感が増し、カメラを構える。
が、母グマが咳払いするような威嚇の声は聞こえない。
最後の鍋嵐までの急峻な登り、S.S君を先にいかせる。
ぼくは、ゆっくり登るが、息は切れ、汗は額や鼻先、さらにはまつ毛からも落ちる。
この頃はすでに上着を脱いでシャツ1枚になっているのに、このありさまだ。

鍋嵐に着いたのが10時ちょっと前、ここで早めの昼食をとり大休息。
記念写真を撮り、下る。 
S.S君はまるでハンミョウのように飛ぶように降りていく。
身が軽いし、足腰のバネがぼくとは雲泥の差があるのだ。 
帰路、清川村のコンビニに寄り、サイダーを買う。
子どもの頃の味だ。
慶應SFCの前でS.S君をおろし、帰宅。
着ていた全てを洗濯機にブチ込みスイッチオン。
こちらはシャワーを浴びて、缶ビールで生き返る。
新しい、テン糞やタヌキ糞、アナグマ糞を拾ってきたので、週末はこれらの水洗いだ。
今日は、これから専門学校だ。なんだか、足首が痛い感じ。この1ヶ月で体重が5キロ増え、70キロの大台を超えた。このために脚に負担がかかっているようだ。それで、バテたのかもしれない。

2012年7月5日木曜日

友人の文章が中学生の受験用国語に載った。

昨日、性行動学者の友人と飲んだ。
飲み放題で、ぼくらはそれぞれビール6杯は呑んだ。
満足している。彼とは、飲んで駅の階段から転げ落ちて怪我をしたり(ぼくは無傷だった)、中国のキンシコウの調査地でも白酒をしこたま飲み何度か前後不覚となっている。
彼は、訳本以外に10冊以上の本を世に問うている。
その中の一冊、「ヒト家をつくるサル」京都大学出版会が、中学生の受験用国語の問題集に取り上げられたというのだ。それによって、毎年1万円のお金が振り込まれるようだ。
ぼくは、小中高の頃の国語は嫌いだった。
特に、試験問題だ。
次の文章を読み、問に答えよというのが不得意だった。
〇〇がこれというのはどの語彙、あるいは文章を指しているかというのが特に苦手だった。
しかし、友人の文章は論理的な文章なので、主語・述語・目的語が明快なのだ。
彼の名は榎本知郎だ。彼は、論文を書くために論理的な文章を書くための
練習を40年ちかくしてきたために、一般書でもそのような書き方になってしまうようだ。
小中学校の国語の試験問題で、主語はどれか?目的語は?
あるいは、「それ」とは何を指しているかとう問は答えられなかった。
日本語、ぼくらが日常話していることば、あるいは書いている言葉は、論理的とは思われない。
しかし、それで何一つ不自由はしないし、それが当たり前、普通だと思っている。
日本語というのは、主語さえも曖昧なことが多い。ましてや述語や目的語は曖昧模糊とている。
友人の榎本氏の本の文章が、中学生の国語の問題集に取り入れられたことは、
友人としても大変うれしいことだ。もちろん、彼も喜んでいる。
そのため、昨日の酒は旨かった。
しかし、と論理的に文章を掛けないぼくは思うのだ。
日本語なんだから、曖昧模糊とした文章でもその中の文意が伝われば
いいんじゃないのと思っている。

今日は、慶應の学生と丹沢に行ってきた。
朝飯を食べずに行ったせいか、あるいは暑かったせいか、バテバテだった。
下は、今年初めてのホコリタケの仲間ノウタケだ。
もちろんまだ若いのでゲットしてきた。

2012年7月4日水曜日

暗闇で捕食する哺乳類たち Almost mammals which can find out and eat somethings in the velvet darkness.

清川トンネル内のコウモリのコロニーの下にコウモリ糞が落ちていた。
その側に、コウモリ糞とはまったく違う糞があった。
テンかイタチの糞である。
もちろん持ち帰った。
コウモリの骨でも出てこないか楽しみである。
水洗いした。
この二つの塊で一匹分のオオゲジの殻と脚であった。
長い脚がなかったらムカデとするところだった。
洗っていて驚きというかすごい感動を味わった。
それは、「サルは視覚の動物だが、アナグマ、テン、クマ、イノシシなどの他の哺乳類は目が見えない」とまで学生たちに話していたからだ。
目が見えないというよりも、嗅覚や聴覚の動物だ。
生活を視覚ではなく嗅覚や聴覚に頼っている。

清川トンネルのコウモリのコロニーがあった場所はトンネルの真ん中あたりだ。
この辺りはトンネルの出口の明かりが遠くに見えるだけで、自分の手を目の前に持っていってもまったく見えない真っ暗闇の世界だ。
そんな暗闇の中でテンorイタチがオオゲジを捕食している。
テンたちはオオゲジの歩く音か臭いで探り当てて捕食したのだろう。

テンやイタチは木に登ってクワの実などの果実も食べる。
果実を食べる時は匂いで判断するんだろう。
では、鳥やネズミやカエルを捕食するときは?

クマが食べていた物は? The foods which a black bear ate?

6月29日の丹沢実習で、見つけたクマ糞
ハタチガ沢林道の沢側の路肩にあった。
10日から2週間くらい前のものだった。
雨に当たっているので固くなってボロボロ状態だ。
この時季のクマは何を食べているのだろうか?
モミジイチゴの実はすでに終わっているが、水洗いが楽しみだ。
イタチやテン糞は全て持ち帰るのだが、あまりにも多いのでほんの一部を持ち帰る。
洗った。
イチゴやクワなどの種子は全くでてこなかった。
全て、ミズナラかコナラ、あるいはシラカシなどのドングリだけを漁ったと思われる内容物だった。
明るい茶色に見えるのは、ドングリの種皮である。
洗っているうちに、これイノシシ糞ではないの?と思った。
が、イノシシ糞ならこのように一様なドングリだけを食べたような内容物にはならない。
必ず、土砂がかなりの割合で混じり、さらに土壌動物の外骨格が混じる。
この糞は、ドングリをミキサーにかけたともいうべきものだった。
林道のカーブ沿いに雨で流れて溜まったドングリがある。
それらを食べたのだ。と結論付けた。

2012年7月3日火曜日

イタチとテンの糞 Scats of weasel and marten

6月29日の丹沢実習でイタチ、テン、クマ糞を見つけ持ち帰った。
12時8分:イタチ糞
鳥の羽毛根が白く見える。
水洗いすると、これは、トリの羽毛と骨片だけだった。
12時12分:またもやイタチ糞だ。
水洗いすると、ネズミ科の上顎の切歯が一本と噛み砕かれた切歯と、たくさんの骨片が出てきた。
切歯が真上にあるのがわかるかな?クリックして拡大してみて!
この切歯はネズミ亜科のアカネズミのものと分かった。
(アカネズミとハタネズミの上顎切歯の違いについて、自然・動植物-哺乳類の頭骨と骨-歯のところにアップした。)
12時42分:テン糞だ。
羽毛根の白いのがわかる。
水洗いした。
毛根や頭骨の破片、及び骨片が多数でてきた。
中央上のドーナツ状の骨片は眼窩の中に納まり、眼球を覆っているものだ。
Sclerotic ring(硬化した輪)、日本語の名称はなんて云うのか?
このリングの大きさはtake隊員よりもらったホオジロのものよりも小さい。
ホオジロよりさらに小さな小鳥を食べたものだろうか?

この時季のイタチやテンは、小鳥やネズミを食べているが、今の時季は鳥も哺乳類の多くも
育児の時である。巣にいるオトナの鳥やネズミがイタチやテンに狙われたとしても素早く逃げることができるだろう。食べられた個体は、巣立ち前の幼鳥か母親から分散したばかりの子どものネズミではないだろうか。
糞中の歯や骨、あるいは毛でオトナか子どもを区別できるようになりたいものだ。

2012年7月2日月曜日

ネジバナ a kind of orchids.

昨日から両足が腿からくるぶしまで猛烈に痒い。
足がプチプチと赤くなっている。
隣の六会駅前にある皮膚科まで自転車を走らす。
線路沿いにたくさんネジバナが咲いている。
一つや二つではない、たくさんだ。

皮膚科から戻り、カメラを持って線路沿いを歩く。
あるある。綺麗だ!
近くのものをアップして除いて、びっくりだ。
花の一つ一つはカトレアの花にもにている。
カメラのファインダーを覗いて気が付くなんて、不思議だ。 
ネジバナはこのねじれている全体を一つとして見ていて、
一つ一つの花をじっくり見たことがなかった。
このように全体を見ていて、一つ一つは見ていないような物の見方はたくさんあるのだ。
今の学生たちは云々、政治家たちは、イスラム教徒は、こうだと決めつけた見方をしている。
あるいは、逆に、木を見て森を見ないこともたくさんあるのだ。
ものの見方は難しい。