「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2016年1月19日火曜日

タヌキ糞の中身は?  What are the contents in the scats of racoon dog?

1月15日の丹沢実習で、土山峠から辺室山・物見峠を通って、不動沢左岸の尾根を下った。
歩いたルート図は下のFig.1にアップした。

今回は、タヌキ糞だけを水洗いして、糞内容物を調べた。

9:47、タヌキ糞①
マメガキ種子、サルナシ種子、腐葉砕片、砂、シカ毛多数
9:57、タヌキ糞②
サルナシ種子、ケンポナシ種子・果柄、バッタ産卵管・脚、シカ毛、小哺乳類毛
10:18、タヌキ糞③
マメガキ種子、腐葉砕片、小哺乳類毛多数
10:23、タヌキ糞④
マメガキ種子、ケンポナシ種子、寒天質状の物質、1、2センチ白毛・骨片(白毛と骨片からイノシシかな?)、1x3センチ四方の赤く厚い布切れ
12:42、タヌキ糞⑤
マメガキ種子・果肉・果皮、サルナシ種子、1センチ白毛

表1.タヌキ糞①、②、③、④、⑤の内容物のまとめ
5個の糞の内、マメガキの種子は4個から、サルナシの種子は3個から、ケンポナシの種子は2個の糞から出てきた。冬季のタヌキの糞内容物としてはお馴染みの物だ。キブシの種子が出てこないのがちょっと不思議だ。
動物質として、4個の糞からシカ毛やイノシシ毛と思われる毛が入っていた。10日(日)に辺室山一帯に猟犬の鳴き声と銃声がしていたので、狩猟後解体した後の捨てられた内臓を食べ、骨を齧ったものと思われる。タヌキ糞④の寒天質状の物はイノシシ?の内臓から出たものかもしれない。また、④から出た厚く赤い布きれは解体時の猟師の衣類の一部かもしれない。
③からはヒミズかジネズミの毛と思われるものが一塊出てきたが、骨や歯は出てこなかったので、同定できなかった。
Fig.1.1月15日のルートとタヌキ糞①~⑤があった位置

まだ、テン糞を水に浸けたままだ。外が寒いので、庭の水道栓で洗うには腹の下に力を入れなければ風邪を引いてしまいそうになる。しかし、我が家の周りの雪は全て消えてしまった。
30日(土)に再び、辺室山を自然観察で歩くが、もう一度降雪を期待する。

2016年1月18日月曜日

雪が降った朝は静か!   When it has snowed, the morning is quiet!

昨夜の雨が真夜中から雪になった。雪の降った朝は、騒音が雪に吸収されるためか静かだ。
二階のベランダから外を見た。雪が積もってはいるが、どんどん融けている。 
小田急線の線路沿いの道を通勤者が歩いている。
もう、べとべとの腐れ雪だ。
お日様が出ればすぐ融けて消えてしまうだろう。

来週の土曜日は、辺室山で「自然観察会」と称して「丹沢サル観察し隊」の皆さんと歩こうと思っていたが、当初の「雪上の足跡観察会」になるかな?
でも、10日以上もあるので清川村の雪も融けてしまうだろう。

ライブカメラで見ると宮ケ瀬は真っ白だ!
http://www.town.kiyokawa.kanagawa.jp/livecamera/index.html

2016年1月17日日曜日

カモシカのフィールドサイン   The field signs of Japanese serrow.

15日の丹沢実習で、辺室山・物見峠・不動沢右岸尾根を歩いた。

シカよりもカモシカのフィールドサインが目についた。
それは、恐らく、10日(日)にシカの個体数調節のための狩猟が行われたことにもよるだろう。
この1、2年以前に比べてシカを見る機会が少なくなっているのは個体数調節が行われている証でもある。

今回はカモシカのフィールドサインを見つけたので、それをアップしたい。
Fig.1はミヤマシキミがカモシカに食べられた痕である。
土山峠から辺室山、物見峠、三峰山、不動尻の登山道沿いのミヤマシキミはカモシカに食べられている。
Fig.1.食痕

Fig.2はカモシカがシキミの幼木の幹で角砥ぎをしたため、幹の周りの形成層部分まで剥がされたので
上部の部分が枯れかかってきている。
Fig.2.角砥ぎ

これは、シカの角砥ぎ!っと思った。が、近くによって見るとシカではなく、カモシカの角砥ぎであった。
それは、一見深く縦に彫られているように見えるが、カモシカの角砥ぎで形成層部分まで擦ったために
樹液が上から下に縦に流れた痕である。
Fig.3.角砥ぎ

Fig.4はカモシカの角砥ぎの痕だ。
 Fig.4. 角砥ぎ

Fig.5はカモシカの糞と考えて良いだろう。
この糞は随分長径が長い。
Fig.5. 糞

下のGPSのルート図は上のFig1.~Fig.5のカモシカのフィールドサインがあった場所だ。
Fig.6.GPS上のルート図
①から⑤はFig.1からFig.5を見つけた地点である。

学生たちは歩くのが早く、鳥たちに興味を持ち、落ちている羽根を拾ったりしているが、哺乳類のフィールドサインには注目しないのが、残念でならない。
もっとも、ぼくが野生動物探検隊の人たちと歩くと彼らは、植物、昆虫、鳥とありとあらゆる生き物に対して感動し、それらをルーペなどを使ってじっくりと観察しての歩みは、学生とぼくの歩みの比ではない。
自然に対する興味が、歩く速度になっているのかもしれない。
そういう意味で、野生動物探検隊の皆さんの自然に対する姿勢をもっと学ばなければならない。



2016年1月16日土曜日

丹沢の禿山の原因は本当にシカの食害だけによるの? Is the cause of the bald moutain of Tanzawa really based on the only deer feeding damage?

昨日は丹沢実習で土山峠から辺室山、物見峠を通り三峰山への尾根の途中で不動沢と鳥屋待沢の間の尾根を降りて谷太郎林道に出た。

下の写真1~3は、鍋嵐と辺室山の稜線が合流した付近で、山の神様の祠があるので、ぼくは「祠の峠」と呼んでいるところだ。

この付近のササは枯れてしまっている。
写真1

写真2

写真3

以前は、大気汚染による酸性雨が随分騒がれた事があった。
丹沢のブナの枯死も酸性雨の影響だと考えられた。

このところ、冬枯れの東丹沢を歩いていて目にするのは、2メートル以下の樹高の低くくて青い葉を茂らせている木は、ミヤマシキミ、シキミ、シロダモ、オニシバリとモミだけだ。
これらの木はシカが食べないから残り、さらに勢力を拡大していると考えられているようだ。
他の樹種の木はシカに芽生えの時に食べられるので消失してしまったと考えられている。

何も言わない、シカが悪の根源のように言われている。
しかし、どうだろうミヤマシキミ、シキミ、シロダモ、オニシバリ、モミは大気汚染・酸性雨に強い樹木であり、
大気汚染や酸性雨に弱い植物たちが消失してしまったとも考えられるだろう。

ぼくの故郷の釧路地方ではエゾジカが増えすぎて、シカ肉料理を出すレストランやシカ肉の缶詰が出回っている。しかし、釧路地方の野山の木や草がシカに食べられて、丹沢のようなに山の地肌が出ているような野山は見当たらない。丹沢よりまだまだ個体数密度が低いという訳だろうか?

山を歩いていると気になるので、この丹沢の禿山の問題は、この場で何度か問題した。
シカは確かに草木を食べる。でも、禿山の原因はシカだけでは解決しないだろう。
以前よりも目に見えない、臭いを嗅げないかたちで大気汚染が進んでいるのではないだろうか?

1970年代は釧路から飛行機で羽田に戻ってくると、桃灰色のスモッグの中から東京タワーの先端だけが出ていた。もう、そんな目に見える大気汚染は関東では無くなった。
しかし、日本中を覆う大気は1970年代と比べて綺麗になったとは言えないだろう。




2016年1月14日木曜日

テン糞にキハダの種子は? Did the seeds of Amur Corktree include in the scats of marten?

土山峠・仏果山・高取山・半原の今回のルートで革籠石山の道標があるところまで
タヌキ糞やテン糞を見つけ拾うことができた。しかし、それからは全く見つけることができなかった。
登山者が多いため、糞は踏まれて靴底に付着してまき散らされてしまったようだ。
キハダがテン糞②とテン糞③の間のなだらかな尾根上にあったので、②や③の糞にいずれかに入っているのではと思い、注意深く洗ったが。見つけられなかった。

これまでもキハダの種子は食肉目の糞から見つかっていないので、やはり、テンやタヌキたちはこのキハダの果実の刺激臭がイヤなのかも知れない。
しかし、ネット検索しているとキハダの実を食べたクマ糞が載っている。
http://www.wwf.or.jp/activities/2015/06/1264603.html
さらに、白山山麓のクマがキハダに登って実を食べている写真もある。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/sizen/documents/sizen32.pdf

白山山麓のクマばかりでなくテンやタヌキもキハダの実を食べ、東丹沢のテンやタヌキはあるのに食べないとなると、テンやタヌキにも食物のLocality(地域差)があることになり、サルと同じように食物のCulture(文化)が存在することになる。この問題はまだまだこれからだ。
テンの食性についての論文などに目を通さなくてははならないだろう。

9:50、タヌキ糞
腐葉砕片、サルナシ種子
10:02、テン糞①
マメガキ種子・果肉・果皮
 
10:08、テン糞②
マメガキ種子・果肉・果皮
 
10:49、テン糞③
マメガキ種子・果肉・果皮
 

テンはキハダの実を食べなくても
カラスザンショウの実やカメムシを食べるサルなら食べるだろうと思うがどうだろうか?
この時季のサル糞も拾って洗ってみるか!
図1.1月10日のGPS上のルート

明日は今年初めての丹沢実習だ。雪ナシの冬山歩きなので、ちょっと面白さに欠けるかな?

2016年1月13日水曜日

白いヒゲは子孫を遠方に飛ばすため!  The white beard is to fly the descendants in the distance!

10日の仏果山・高取山で

土山峠から登っていくと、春にはたくさんのエビネの花を見ることができます。
いつもなら、エビネの葉は霜柱や雪に埋もれているのですが、
根元が落ち葉の毛布におおわれ陽の光を浴びて温かそうです。
今年は、春の花もいつもより早く咲くかなぁー。
オニシバリも根元が落ち葉におおわれて温かそう。
この蕾も早く開くかな?
一方、秋に咲いたコウヤボウキPertya scandensは、ぼくのアゴヒゲのような状態になっている。
しかし、ぼくと違うのはこれは子供の種子を飛ばすためだ。
高取山山頂からは、横浜や新宿方面が望めた。
痛ましい、子供虐待・子殺しの事件があった。
事件にあった子供はやはり一方の両親としか血が繋がっていなかった。
このような痛ましい事件を起こさないためにも、小さな子供がいる人の恋愛や再婚には
社会が見守る体制を作る必要があるだろう。
そうでなければ、これからも多くの小さな子供が虐待され殺され、
両親とも自分たちのした行為に苦しむことになるだろう。
http://members2.jcom.home.ne.jp/fumio.fukuda/behavOK.html
や拙著「ヒトの子供が寝小便するわけ」p19-26も見て下さい。

2016年1月12日火曜日

まだ、テンたちに食べられていないキハダの実  The fruit of Amur Corktree that have not yet eaten by marten and other mammals.

一昨日、Tさんと土山峠口から仏果山に登る途中の大きな木の枝にツグミくらいの大きさの白っぽい鳥が2羽とまり果実を啄んでいた。
その鳥の頭や胸、羽根の色などをしっかし確認できなかった。
樹の実は房状についており、葉と実でも落ちていればすぐ判るのだがと思って、辺りを探し回った。
枝には一枚も葉が残っていないので、林床は5センチから10センチくらい木の葉が積みあがっており、どれがこの大きな木の葉か分からなかった。
探すこと、5分、房ごと葉の上に落ちていた実を見つけ、ビニール袋に入れて持ち帰った。
拾った時に何だこの匂いは?っと思ったが大して気にしなかった。
先ほど、袋を開けると強烈な刺激臭が部屋中に発ち込めた。
あの鳥たちはこんな凄い匂いの果実を食べていたんだ。
ネットで、黒い実・刺激臭・房状・落葉樹・冬というキーワードで検索した。
キハダにぶつかったので、キハダ・種子で検索した。間違いなくキハダPhellodendron amurenseと分かった。 
果実の果皮を剥き、果肉を取り去ると黒褐色の種子を覆うように薄皮が付いている。
これは、乾かすと上の写真のようにはじけて自然に種子が出てきた。

このキハダの種子、これまでのテン、タヌキ、アナグマの糞からまだ見つかっていない。でも、鳥は食べていた。
この凄い刺激臭は、テンたちが食べるのに苦にならないだろうと思うが、、、。かれらはぼくがとても食べられない苦い果実を食べ、サルは強い刺激臭のカメムシやカラスザンショウの実までカリポリ食べるのだ。

北海道ではキハダをシコリといい、アイヌの人たちはこの果実を乾燥させてカボチャと一緒に煮て食べるようだ。人が食べるのなら野生動物が食べない訳がない。ぼくは見落としていたのかもしれない。
しかし、長径4ミリ以上ある種子を見落とすとは思えないのだ、、、、、。

2016年1月11日月曜日

凄い数の登山者 ‐仏果山・高取山‐ Great number of climbers in Mt.Bukkasan & Mt.Tkatoriyama.

昨日は、土山峠から仏果山に登り、高取山に行き半原に下りた。
8時20分に、Tさんと本厚木駅前のバス停で待ち合わせる。
Tさんは今は医者だが以前はサルを追っていた。
案の定、バスは登山者やハイカーたちで一杯になった。
バスの中では中高年の人たちも子供のように大きな声を出している。楽しいのだ!
三峰山に行くのだろう半数くらいの人たちが煤ケ谷で下りた。土山峠で下りたのはぼくらだけだった。
歩き始めて間もなく、降りてくる単独行の人がいた。聞くと、これから大山に登るという。
ということは、土山峠・辺室山・物見峠・三峰山・唐沢峠・大山と行くわけだ、ぼくと同じくらいの歳なのに凄い体力とバイタリティーだ。
さらに、単独の男子や女子、二人のパーティの女子などと出会う。ランニングでぼくらを追い抜いていく者もいる。辺室山方面に、狩猟者が入っているのだろうイヌの鳴き声が聞こえる。
革籠石山で一息ついて、小休憩だ。横浜や都心の方まで良く見える。
細尾根を行くTさん。仏果山までは風が無く穏やか天気だった。
この頃も何組ものパーティに出合い、道を譲ったり、譲られたりだ。
当然、動物糞は全く見つけられなくなる。踏まれて登山靴の溝の隙間に入り込んでいるのだろう。
丹沢山や大山方面が青く見える。
仏果山でお昼を食べようと思ったが、山頂一帯はお昼を食べている人たちで溢れている。
山頂の道標を撮るにも座っている登山者が入る。実習で学生たちと登ってもこんなに人で埋まらない。
冷たい風が強くなってきたので、ぼくらは風が当たらない温かい場所を求めて宮ケ瀬越方面まで下り、お昼とする。家族連れを含む多くの人たちが通りすぎる。大山はさらに凄い賑わいなのだろう。
高取山の山頂で、二人の記念写真を撮る。Tさんはキャノンのぼくはニコンの新しいカメラでなかなか自動シャッターの操作が上手くいかず、時間がかかる。逆光なので絞りを開けて撮る。ニコンカメラの扱いに慣れているTさんが操作し成功だ。
半原方面に下りる人たちだ。ぼくらも半原方面に下りるが、愛川ふれあい村センター前バス停では、30分以上も待つので愛川繊維会館前の半原バス停まで10分くらい歩く。
半原から本厚木駅までは50分くらいかかった。駅前で二人で餃子を食べながら生ビールを4杯も飲み、大満足の1日だった。歩いたGPS上の距離は9.4キロだった。

2016年1月7日木曜日

テン糞とタヌキ糞の内容物 The contents of racoon dog & marten scats.

1月4日に広沢寺温泉から見城山・日向山・梅ノ木尾根の大沢分岐・山ノ神隧道のルートで
テン糞6カ所とタヌキ糞1カ所で見つけ拾ってきた糞を水洗いした。
下の図は糞を見つけた場所を示す。

通年なら1月の厳冬期に入り、霜が降り、霜柱が何度も出来たり融けたりして早朝の林床は氷結しているが、日の当たる斜面では表面が融けてはいるが3、4センチ下は凍っている。
しかし、今冬は暖冬のため、雨量の少ない関東の太平洋側の山塊は埃っぽいほどカラカラに乾いている。

このような天候による山の外的環境の変化が、山で暮らす動物たちにとって、今までとは違って温かくて過ごしやすいものなのか、あるいはまた温かいが為に過ごしづらいものなのか、ちょっと不明である。

林床に落ちた果実を見つけるには凍った雪が無いだけに簡単だ。そういう意味では過ごしやすい冬なのかな?しかし、昆虫などの節足動物、さらにはネズミやトガリネズミなどの小哺乳類はこのような暖冬では、どのようなところに越冬するのだろうか?それによってテンやタヌキたちの食料事情も変わることになるだろう。

ともかく、見つけたテン糞①~⑥を下記にアップする。
内容物で最も多かったのは、マメガキの種子・果肉・果皮で3個の糞から、エゾエノキの種子・果肉・果皮が2個の糞から、さらに、キブシやヒサカキカマツカの種子が1個の糞に入っていた。
テン糞②、④はマメガキの種子と果肉・果皮だけであり、テン糞③はエゾエノキの種子と果肉・果皮だけであった。テン糞⑤はキブシ種子とカマツカの種子・果肉・果皮であったが、キブシの種子は10個と非常に称するであった。また、テン糞⑥はマメガキ種子が1個だけであり、多数のヒサカキ種子・果肉・果皮が含まれさらにバッタの脚が一本入っていた。

タヌキ糞ではマメガキの種子と腐葉砕片や昆虫の脚翅外骨格がたくさん入っており、マメガキの種皮の色も腐葉砕片や昆虫の外骨格のように黒く染まっていた。テン糞にマメガキの種子が入っていた場合は果肉つき果皮もあるのだが、タヌキ糞では果肉・果皮と判断できるものが見られなかった。

タヌキとテンでは、果実の果肉や果皮などの植物繊維の消化能力に違いがあることが判る。
表1に分析結果を載せた。

9:20、テン糞①

9:27、テン糞②

9:57、テン糞③

12:23、テン糞④

12:27、テン糞⑤

13:37、テン糞⑥

13:47、タヌキ糞

表1 糞の内容物

2016年1月6日水曜日

梅の花が咲き出した!  The plum blossoms has come into bloom!

 先ほど、お昼を食べた後一昨日拾って持ってきたテン糞などを洗おうと庭に出た。
が、今日は、お日様も出てなく寒いので、一度部屋に戻ってマフラーをして再び庭に出た。
先日蕾を撮った梅の木の花が3輪咲いているのに気が付いた。
また、部屋に戻り三脚とNikon D5500を持って出た。
先日も山に持って行ったのはSony Cyber‐shotだが、Nikonに慣れないといけないので使うことにした。
マニュアルでピントを合わせるのがLumixやSonyのものより何だか楽な感じがする。
で、雄蕊にピンを合わせていて、梅の花の雄蕊の出かたが綺麗な放射状になっている訳ではなく、
ふにゃふにゃしたようにだらしない感じで伸びている。
この雄蕊の伸び方には、どんな機能的な意味があるのだろうか?っと考えてしまう。

っと、まだ糞を洗っていないことを思い出した。洗うか!

2016年1月5日火曜日

不思議なミヤマシキミ  Mysterious Skimmia sp.

昨日、梅ノ木尾根を登っている途中で、ミヤマシキミの群落があった。
これは、赤い実がついている。
 しかし、これはもうほとlんど咲きそうな蕾だ。
ミヤマシキミでは1本の木に果実が付き、花が咲いていることもある。
上の赤い果実の木にも小さな蕾が付いていた。
ミヤマシキミはオス株とメス株があるようだ。
この群落のミヤマシキミを見る限りでは、メス株の開花は遅く、オス株の開花は早いようだ。
でもどうして?

ここのミヤマシキミはシカにもカモシカにも全く食べられた痕が無い。
しかし、辺室山山頂付近のミヤマシキミはひどく食べられている。
このような細い枝ごと齧り取られた場合は、シカなのかカモシカなのか全く同定できない。
シカは草食Herbivoraでカモシカは葉食Folivoraだと言われているが、シカも、樹皮食いをするので、
明確な切歯の歯型が残らない場合は同定できない。
上は2011年9月の辺室山山頂付近のミヤマシキミ、枝先の葉もろとも食べられている。

2016年1月4日月曜日

初山歩き  First hiking.

明日から学校なので、たくさんついた体重を減らすために丹沢山麓を歩いた。
広沢寺温泉の厚木市の無料駐車場に車を置き、そこからすぐに山を登り始める。
見城山へ登るのだ。この時季いつもなら霜柱が融けてドロドロになるのだが、今冬は温かいため
霜柱ができないのだろう。乾いた土を踏みしめることになる。
見城山を過ぎて、日向山に向かう途中愛犬を連れたハイカーに出会う。
丁度、こちらがテン糞を拾っている時であったので、怪訝な顔してぼくを見て下りて行く。
日向山を過ぎて、今度は梅ノ木尾根を登ることになる。
10キロ以上は歩かないと2キロは減らないので、弁天の森キャンプ場の方へは下りずに、
大山方面に登る。
大山山頂が良く見える場所まできたので、写真を撮っていると若者のハイカーがやってくる。
彼に道を譲るが、彼も少し離れたところで大山を眺めている。が、すぐ歩き出した。早い!
ぼくはゼイゼイと荒い呼吸をしながら後を追うが、彼はすぐ消えてしまう。ぼくも大山に登って富士山を見たいが、帰路がきついので大沢分岐で止めて、鐘ヶ嶽の方面の痩せ尾根を下ることにする。
ここを下るのは初めてだ。登りは楽だが、下りは滑ると大変なので、ストックを短くしてザックに付け、
尾根の木の根を命綱にして下る。
途中の東屋で時間を見たら12時を回っているので、お昼のカップラーメンだ。
歩くと暑くなるが、休むと冷えるので卒業生の女子からもらった学校のヤッケを着る。
お昼を食べ終え、熱いお茶をたっぷり飲んで出発だ。
山の神隧道の所に下りて舗装道路を車を置いた場所まで歩く。
今日歩いたGPS上の距離は10.3キロであった。少しは体重が減ったかな?

車で帰る途中、信号待ちの交差点で前の車に追突してしまう。
今も落ち込んでいる。

2016年1月2日土曜日

梅の花が開きそうだ! The plum bud is likely to open!

お正月もまだ二日目、もう4、5日たったような感じだ。
これはぼくばかりでなく連れ合いもそうだ。これはどうしてだ?

我が家の庭の梅がお日様の日差しを受けて早くも開きそう。
手持ちでピンを合わせるのが大変だった。
撮ってみてこうやって見てわかったのだが、白梅なのにピンクの花弁だ。
まるで恥じらいを見せて顔を染めたようだ。
いつもは、1月下旬に開花するのだが、今年は早いのかな?

2016年1月1日金曜日

謹賀新年 Happy New Year

いよいよ新しい年の朝を迎えた。
何故か、当たりの空気もすがすがしい感じがするから面白い。
大晦日は22時にはもう眠くなってベットに入ってしまった。
久しぶりに飲んだ日本酒で眠くなったのだ。

今年は申年だ。ぼくが生まれて初めて野生ザルを奥湯河原の天昭山神社の境内で見てから丁度50年目になる。以来、ずーとサルを含む野生動物に興味を持って生きてきた。

下の四猿の置物は2008年のベトナム旅行の時にフエで買い求めたものだ。
見ざる、言わざる、聞かざると股間を押さえている猿だ。

年を経ると共に、
見え辛くなり、話し下手になり、難聴気味になり、若い時あんなに悩んだ性の問題から解放された。
これからはおのずから四猿のようになっていくのだ。
ともあれ、このぼくらの社会の貧富の格差の拡大を阻止しなければ、世界の右傾化は進行し、
人々の感情は殺風景なものになってしまう。
皆様、今年も宜しく!