「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2014年8月9日土曜日

衝撃のインド:続5 India shock

7月29日は4時半に起きて、5時にホテルをでる。
もちろん、まだ暗い。ガイドのジョシさんが言うには朝焼けをバックにタージマハルが綺麗に浮かび上がって見える場所が近くにあるというのだ。
道路脇のゴミ捨て場のようなところから草木がまばらに生えた場所に案内されてくる。
下は水溜りもあり、ゴミと一緒になって悪臭を放つ。
まだ暗くてタージマハルは見えない。
そのうち、しだいに目が慣れてきて周りの景色がわかり、ぼくらは道路横のゴミ捨て場であり、荒地であり雨が降れば水没するような場所にいることがわかる。
巨大なバッタだ。だが、羽根が短く赤い。早朝のため寒い?のか簡単に捕まえられる。
おや?羽根が赤くないのもいた。
残念ながら曇りのようで朝日があがらない。
タージマハルが見えてきた。肉眼でみるよりもデジタルカメラで撮った方が良く見える。
なるほど、これで朝日をバックにしたらさぞ神々しく輝いて見えるだろう。
イヌ!と注意を促される。野良イヌが一匹頼りなげにやってくる。
何か食べるものでもあればあげたいが、何もない。ゴメンネ!何もない!
と云うとその言葉がわかったかのように静かにブッシュの中に消えていった。
ホテル戻って朝食をとり、タージマハル観光に出かける。
チケット売り場付近は、ものすごい数のインド人の観光客だ。
観光地では欧米人や日本人、韓国人もいるのだが、イ
ンド人観光客とお土産売り屋で溢れ外国人観光客は目立たない。
それでも日本人だと判るとさまざまなインド人たちが言い寄ってくる。
あとで、話すことになるが、その中にはインド人から迫害されているような極貧の人たちもいる。
タージマハルの門である。
門の正面にタージマハールの全貌が見えだした。
衝撃のインド:続4でアーグラ城に息子によって幽閉された父王の最愛の妃のお墓が
このタージマハールである。
この妃、36歳の時に14人目の子供を産んだ時の産褥熱で逝ったようだ。
17世紀当時の王家でも14人の子供のうち成人まで育ったのは男4人の女2人だけだ。
おそらく早死にした多くは幼児期までに亡くなったのだろう。

門から出た観光客はタージマハルの壮観にただ見とれカメラで記念写真を撮っている。
手前は前庭であり、全て左右対称だ。
インドの人口の大半の80.5%がヒンズー教徒、イスラム教徒は次に多いが13.4%だ。
インド・イスラム建築を代表とする建築物のようだ。
タージマハルのベランダから門を一望する。
日向は暑いので、観光客の姿が左右の木陰に隠れた時を見計らって門の方を撮る。
20センチもない水深である。
ベランダをぐるっと回って裏へ、対岸から大勢の人たちがこちらを見ている。
手前の河原が何故か怪しい。
ペリカンだった。
門をでると、熱帯の3大花木のマダガスカル原産のホウオウボク(マメ科)があった。

2014年8月8日金曜日

涼しい早戸川  Cool the Hayato River

今日、5時半に矢部さんが迎えにくる。
早朝なので車窓から入ってくる風が気持ち良い。
早戸川林道を走る。魚止め橋を過ぎると舗装が切れるがそのまま道をいき、
ヘアピンカーブの前で車を止める。
天候がなんとなく怪しい。沢歩きなので雨が落ちてきたら帰ろうと話し合う。
1年振りの雷滝行である。
朽ちて落ちてしまいそうな橋は部分的な修理がされている。
が、全面的な整備でないので、心もとない。
ボタンヅルの花が咲いている。今だったんだ。ボタンヅルが咲くのは!
 朽ちた橋が落ちて、こんな場所もあった。
写真は帰りに撮ったものだ。
行きはここを下るのが気味悪いので、斜面を巻いて登山道に出た。
造林小屋は昨年よりもきれいになっている。
数パーティが利用しているようだ。
案の定、丸太の橋は流されていた。
流れが急だが、冷たくて気持ちが良い。
ここを渡渉するときに、左手の腕時計の下にヒルが一匹膨らんでいる。
上の場所を巻いた時に両手で木の根を持って上がった時、吸い付いたのだ。
スイスイ渡る矢部さん。 
しばらく、歩いていると大粒の雨がボタボタ落ちてくる。
8時20分、すぐ、退却だ!
こんなところで雨にやられたら、遭難だ。
戻り始めるの雨が止むが、再び小粒の雨粒がおちてくる。
家には11時には戻るかな?と思えたが渋滞に会い。11時を過ぎる。

こんな歩きをしながらもテン糞3個をゲットしてきた。


大きいコウベモグラ  A bigger Mogela wagura than M.imamizumii.

7月17日に友人より宅急便で送付されたコウベモグラについてアップした。
この個体を解体し、剥皮、徐肉して100均で買ってきたガラス瓶に水を容れて浸けといた。
5日、静かに汚物を流し、水道水で骨を晒した。
左側は下顎骨で、上2つはアズマモグラ、下2つはコウベモグラだ。
右は上からみたコウベモグラ(左)とアズマモクラ(右)の頭骨だ。
下顎骨はもちろん、頭蓋骨も全体で1.5倍くらくらい大きくみえる。
下は、頭蓋骨を底面から撮ったものだ。
次の写真は頭骨以外の骨の一部である。
A:肩甲骨、B:上腕骨、C:尺骨、D:橈骨、E: 、F:寛骨と仙骨が縫合合体
右J:大腿骨、H:腓骨と脛骨、I:頸椎骨7個、左J:前肢拇指の外側にある骨
コウベモグラがアズマモグラより大きいことを実感してもらうために、
コウベモグラの上腕骨と寛骨と仙骨の縫合合体した左側のものと
湯河原白銀林道のフクロウのペリットから出てきた右側4つの上腕骨と
右側3つの寛骨と仙骨の縫合したものを並べて比較した。
コウベモグラとアズマモグラでは、まるで、アズマモグラとヒミズの骨を比較しているのではと思うほどコウベモグラの骨はアズマモグラのものに比べて大きい。
コウベモグラを食べているフクロウは食べごたえがあるだろう。

2014年8月6日水曜日

衝撃のインド:続4  India shock!

母なるガンガー川のバナーラスを飛び立ってあの左右対称の綺麗な幾何学建築のタージマハルがあるアーグラに着く。先ず、レストランでお昼にするが、もともとカレー好きではないので、早くもカレー嫌いになっている自分に気が付く。
インドビールのKingFisherカワセミ飲んで、カレーを胃に流し込む。
ここでも青い唐辛子を一本カレー代わりに食べる。
赤い左岸のブロックを積み上げて作ったアーグラ城にチケットを切ってもらって向かう。
何と、ここもドブの臭いがする。この門までの橋の下は堀になっており水がゴミで腐っているのだ。
この7,8歳のハナレオスのアカゲザル、観光客のインド人たちを脅かしている。
日本にこんな悪ザルがいたなら即捕獲されてしまうかな?
ぼくはもちろんコヤツを追い払った。
門を潜ると幅5メートル高さ4メートルの壁に囲まれた登りになる。
敵が攻めてきて入城してきてもこの状態なら敵を左右からと前から攻撃しやすい。

これがアーグラ城である。
チケット売り場の前では絵葉書売りや土産物売りの子供や大人がわんさかいたのに
ここはほっと一息がつけるくらい閑散としている。
このお城には息子があのタージマハールをつくった父王を幽閉していたようだ。
権力欲の強い者が大きな建造物をつくる。
ここにも背中に5本の白線が走るリスがうろちょとしていた。
なんと餌までもらっている。
コヤツの警戒の音声は鋭く高く何度も叫ぶ。
どうもぼくは彼らの巣に近づいたようだった。
このムクドリくらいの大きさの鳥もよく見かけた。
インドはやはり暑い、脇腹や背中の一部が見えるサリーを巻いている女性も暑そうだ。
その点イスラム教徒の男たちの白い衣装は涼しげだ。





衝撃のインド:続3:India shock!

ガンガーを流れていく水葬された死者
 ぼくは思い出したようにショルダーバックから親父とお袋の火葬された骨の袋を取出し
川に流す。ガイドのジョシさんからは「大変良いことをしましたネ!」と感激の言葉を受ける。
メコン川河口で、親父の骨を散骨したのを皮切りに、黄河の支流、チェコのモルダウ川、ベトナムのフエ川、ナイル川、スリランカのマーオヤ川などでも散骨する。
ぼくも死んだら火葬して残った灰は、鉢植えの骨粉としての利用か石灰肥料として
散骨?してもらいたい。そうして土に戻りたい。

流された埋葬者はカラスなどの鳥たちや魚たちに食べられて、骨はガンガーに浸されるようだ。
火葬された灰というよりも生焼けの骨はそのままガンガーに流される。
大きな魚たちが飛び跳ねていた。

ガートの建物の壁を移動するアカゲザルの群れの動画です。
なんだか食べ過ぎてデブっている個体が多い。
ホテルに戻って朝食をとり、シャワーを浴びて空港へ向かう。
憧れ?のガンガー川を見ただけでもインドに来たかいがあった。
聖水を少し持ってきたが、飛行機に乗るのでホテルの花鉢に空けた。

轢き殺されたアカネズミ A large Japanese field mouse who was killed by cars

昨日、広沢寺温泉の市営駐車場に車を置いて、不動尻まで行きそこで行先を考えようと思った。
8時を過ぎているので、太陽はじりじり焼けつくようだ。
不動尻までは舗装された二の足林道の照り返しのため、
歩くのが嫌になってくる。
車が2台追い抜いて行くが、1台は家族連れで林道脇の沢遊びをしていた。
もう1台は水汲みの車だった。
いつもゲート前の沢の水を20リットルのポリタンクや2リットルのペットボトルに
汲み入れている人たちがいる。
ぼくは水道水も十分美味しいと思っているので、水を汲んで持ち帰ったことはない。
ゲートの手前でテン糞をゲットした。
     なんだか、今日はこのテン糞を拾っただけで帰っても良いかなーという気持ちになる。
不動尻の手前のところで、戻り、鐘ヶ嶽登山道口の手前で先ほど見落としたテン糞を見つける。
ここで座って、コンビニで買ってきたアメリカンドックを食べる。
何だか、このところ丹沢行きの朝食はこれになった。
テン糞2個を拾ったので、トンネルは潜らないで山越えをする。
で、山道を歩き始めてすぐ今度は新鮮で量も多いテン糞だ。
おー、こちらに足を向けて良かった。
稜線のT字路で30分の大休憩だ。
ここでもテン糞ゲットだ。
下りもゆっくりだ。
簡易トイレがある場所に着き、再び二の足林道歩きだ。
行きは誰にも会わなかったが、帰路は最初は単独行の男性、次は単独行の女性だった。
とその女性と挨拶を交わした直後、アカネズミの轢死体を見つける。
酷い状態だ。一度だけでなく2、3度轢かれたのではないだろうか?
運転席から道路上のアカネズミが見えない筈がない。
しかも、せいぜい30キロくらいのスピードで走るところだ。
インドでは、高速道路のようなところでもイヌ、ウシなどの動物が寝そべっていたりで、
かれらの足や尾を轢かないように運転している。
インドの社会のようにとは言わないまでも、もう少しヒト以外の動物たちの命を
大事にしてもらいたい。


2014年8月4日月曜日

衝撃のインド:続2 India shock!

3日目の早朝、5時にホテルを出てガンガー川のガート(岸辺)に向かう。
神聖な朝日を拝めるようだ。
ガート付近では、人を焼いた後の燃えかすが燻っている。
イヌたちがケンカをしながら燃えかすの中の物を引っ張り出して食べている。
人を焼いた臭いってこのような臭いなのかと戌年のぼくは鼻を動かす。

早くも薪が積まれて人を焼く準備がなされているガートもあり、ボートの上に白布で覆われた人が横たえられている。ヒンズー教徒にとっては、わざわざガンガーに来て死を待つ人も多いようだ。
死人は焼く前に一度ガンガーに浸けられてから、焼かれる。
積まれている薪は直径30センチくらいの太さのものもあり、燃やすのが大変だ。
最初にガソリン状の液体がかけられて火がつけられた。
ぼくらはそれらを横目で見ながら通り過ぎる。さまざまな臭いが漂う。
早くも、沐浴している人たちもいる。
ぼくらはボートに乗ってゆったりと流れる母なるガンガーへ乗り出す。
東のヒマラヤ山系の空に朝日が出始める。
日の出を見ると何となく厳粛な気持ちになるから不思議だ。
火葬が本格化している。
ボートには順番待ちの人が横たえられている。
ここで火葬されるのは槇を買える裕福な人たちのようだ。
川にはさまざまな物が流れていき。その上に鳥まで止まっている。
何か得体のしれない大きな物が流れてきた。
ツグミのような鳥が真ん中にいるのが分かるかな?
黙って川面を見ていたぼくらは”エ、人だ!”っと声を出す。
ぼくらのボートのすぐ横を静かに流れていく。
まるで、寝ているような30代の男性だ。
ボートの上の同行者は神妙な顔付きで、流れる水葬者をただ見続ける。
ぼくは他の漂流物と同じように写真を撮る。
ガイドのジョシさんによると、毒蛇でも咬まれてショック死した人は、生き返るかもしれないから
焼かないでバナナの樹の梯子に載せられてそのまま流されるようだ。
妊婦も火葬されないでそのまま流されるようだ。
ガンガーの水で産湯に浸かり、死してはガンガーに戻される。
ぼくらは、神妙な気持ちでただただガンガーの流れを見、ガート(岸辺)にも目をやる。
ガートにはたくさんの人々が沐浴をし始めている。
下はボート上からガート方面を撮ったものです。
3分以上あり、長いですがご覧ください。

衝撃のインド:続1 India shock!

インドに着いた翌朝、国内便で以前ベナレスと云ったワーラーナシーに飛び、
すぐ車で以前ガンジスと云ったガンガー川の岸辺(ガート)に向かう。
途中2度ガンガに流れる支流の橋を渡る。
岸辺はゴミ捨て場であり、溝の臭いがする。
ぼくの子供の頃の日本も何でも川に捨てていたのだ。
しかし、今は燃えない、腐らない自然分解しない化学物質の加工物が
天然の物と一緒に捨てられている。
これは、中国大陸も同じだ。
このあたりの環境教育を徹底するには、今教育を受けている子供たちが
大人になって次の次の世代が出てくるまでは難しい。
たくさんの巡礼者たちが歩く。皆裸足だ。
天秤棒のように肩に背負っているのは聖水であるガンガーの水を容れて
故郷へ持ち帰る容器だ。 
少しの聖水でも他の水に混ぜるとその水も聖水になるようだ。
車の上に載った巡礼者たちもいた。
それにしても凄い渋滞だ。
この夜はお祭りのようであった。
それでなくても全国から否世界各地から巡礼者や観光客が集まるのに、
凄い人混みだ。
まるで、江の島の花火大会を見にきたような雰囲気だ。 
急に、人々が騒ぎ始め、ガイドのジョシさんがぼくらに危険だから下がるように言う。
何事かと思ったら何のことはない小さなオオトカゲの子供のようだ。
どうも川を流れる物に載って流れてきたようだ。
ジョシさんがあまりにも怖がるので、ぼくはシッポをつかんでガンガーに放り投げた。 
ボートの上に落ちないで上手く川面に落ちてくれた。
お祭りを手漕ぎボートに乗って見る。
船頭さんは一人で、8人とジョシさんと船頭さん本人を載せて力強く漕ぐ、漕ぐ。
ぼくらは感動してしまう。 
聖なる川ガンガーは茶褐色に濁り、ホテイアオイを含むさまざまな物が流れてくる。
ぼくは当初はガンガーで、インドの人々に混じってうがいをして沐浴するつもりだったが、
うがいなどはとてもできそうもない。水そのものが汚いのだ。
インドに来て2日目だからそう思うのも当然か!
途中の支流で見たように、全ての物を川に流して身の回りを清らかにしようとする。

2014年8月3日日曜日

衝撃のインド India shock!

8日間の北インドの旅行を終えて帰ったきた。
インドはスリランカと同じく緑が豊富であった。
見た哺乳類はハヌマンラングール、アカゲザル、ウシ、スイギュウ、ラクダ、ウマ、ロバ、ヤギ、ブタ、イヌ、リスであった。
これらの哺乳類はヒト、ヒト、ヒトの海の中に混然と生きている。

飼い主のいない野良犬たちがゴミ漁りをするのは日本でも見慣れた光景であった。
が、ヒト、サル、ウシ、ウマ、ブタ、リス、ヤギたちがゴミ漁りをしている。
ウシやウマが道路沿いの新聞紙を食べる。
インドで生を受けたヒトや動物たちは自分がともかく食べ物にありつこうと頑張っている。
おそらく、インドではヒトの乳幼児の死亡率は日本とは比較にならないほど高いことだろう。
丈夫な身体を持って生まれたものだけが生きていける社会のように思われる。
灼熱の太陽の下でたくましくも、気の毒にも感じる。
ぼくが20歳の頃に見た台湾の混然とした社会には若かっただけにすぐ慣れた。
30代の東南アジアの貧富の差にもすぐ慣れた。
4、50代のアフリカの混沌にも度胆を抜かれたが疲れなかった。
しかし、インドは人々が途切れずにいて、
街の交通渋滞の中の隙間で生きている人や牛たちがいたり、
道路沿いの街路樹の下で生活している人、ゴミの中で生活する人や牛や犬たちがいたり、
観光地の王宮跡でもインドの観光客で溢れかえる。
観光できるたくさんのインドの人々がいる。一方、腹を空かせて餓死寸前の人々もいる。
一方、どうしてこんなところでサルが生きていけるのだろう。インドの国鳥のクジャクが生きていけるのだろうと思うほど、動物たちが周りにいても人々は気にしない。
日本ではすぐ排除されてしまうヘ野生動物が、インドでは嫌われずに生きていける。
インドは野生動物が生活していけるほど人々の心が豊かな国なのだ。
人が出したゴミで溢れていることが、動物たちを生かしているのかもしれない。
っと今思い始めている。