「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2013年11月13日水曜日

この動物は? What's this animal?

葛西の専門学校で動物カメラマンの先生から貴重な物を見せてもらった。
60数年前にもらったツシマヤマネコのマフラーだという。
60数年前はツシマヤマネコは射殺されて肉として食べられていたようだ。
今ではとても考えられないことだ。
専門学校の卒業生も対馬野生生物保護センターに勤めている。
このようなマフラーを存在を知ったらきっと驚くことだろう。
 以前は、キツネなどのこのようなマフラーがあった。
ぼくが子供の頃は、お正月用に暮れに絞めたウサギの毛皮は冬用の耳掛けになったり、
冷気避けの肩当てとなった。
今では、そのようなマフラーやオーバー、あるいは耳掛けをしていれば、
動物愛護精神の一欠けらもない、野蛮な人と見られるだろう。
昨日、専門学校から戻ってきたら、NHKテレビでサルが農耕地や市街地に出て畑作物や
果樹を荒らすので、花火を鳴らしたり、パチンコで狙ったり、
空砲を撃ったりしているシーンが流されていた。
動物愛護の気持ちや野生動物保護の気持ちが強くなると、相変わらずこのような対応しかできないのかと残念に思った。40年前から変わっていないのだ。
サルに脅かしは効かないことはすでに分かっている筈だ。
威嚇だけだとサルはつけ上がって、更に悪いサルになることは目に見えている。
しかし、動物は山に帰ってもらい、人と共存したいと思う、
動物愛護精神に溢れた
サルを含む野生動物の保護管理はどうしてもこのような形になり、
効果はなく問題ばかり出てくることになりかねない。

2013年11月11日月曜日

テン糞の内容物  The Contents of the Marten's Scats.

11月8日の仏果山・高取山の続き
宮ケ瀬越から高取山へ行く途中にテン糞だ。赤丸地点。
中央の糞塊の左上に古い糞塊がある。
何度も、この場所をマーキングしているんだ。
中央の糞塊の左の三つの塊を除いて持ち帰った。
採取時に分かったのは、カキの種子と、サルナシの果皮と種子だった。
カキやサルナシの種子の他にどんな種子があるのか、0.5ミリメッシュの茶漉しにいれて
庭の水道栓で水洗いした。
茶漉しに残ったものをプラスチックの鉢皿にとって机の上に置いて、詳しく調べた。 
するとカヤの種子やクマノミズキの種子が混じっていた。
カヤの種子(a)1個
カキの種子(b)2個
クマノミズキの種子(c)1個と果皮果肉付き種子1個
サルナシの種子多数と果皮、果肉
(クリックすると拡大)
 
久しぶりの野生動物の糞だ。
実は、もう糞を拾うのは止めようと思っていたのだ。
でも、昨夜、いろいろアドバイスをうけて今まで通りやろうと思い直したのだ。
但し、停めている車には、名前と住所などの連絡先を書いた紙を誰もが分かるようにフロントガラスから見えるように置いておくことにする。
 

 

2013年11月10日日曜日

秋はキノコ! In Autumn Season, it's Mushroom!

高取山からの帰路、カラカサタケを見つける。
と、これだけではない4本が斜面の草むらから立ち上がっていた。
この日、中高年の登山パーティが7,8組おり、単独行の男女も5,6人いた。
そのため、登山道沿いにはキノコは見つからないだろうと思っていた。
すぐ斜面を下って写真を撮り、3本をゲット、一本は残す。
何となく嬉しさがこみ上げる。山の幸を収穫したからだ。
宮ケ瀬越を過ぎてからはキノコ目になって歩く。
あった!スッポンタケだ。でも、登山者が蹴とばしたのか折れている。
でも、ゲットする。独特の匂いがする。この傘の黒い部分が胞子になり匂うのだ。
洗うと落ちるようだ。
もう一本スッポンタケだ。これは乾いてしまっている。
写真を撮っただけでそのままにする。 
キノコ目になったら、不思議なキノコが、触ると猛烈に硬い。
何だ、このキノコは?まるで泥が固まったようだ。
さらに、また、枯れ木にへばりついているキノコが、 、、、。
もちろん、このままだ。
カラカサダケをフライにして食べた。
どうってことがない味だ。キノコ自体の香りよりもフライの味だ。
まだ、残っているので今夜くるお客さんに味見してもらおう。
スッポンタケはまだ食べたことがない。傘の部分の胞子のネバネバを水道で洗い流す。
独特の匂いが台所に拡がる。ぼくにとってはイヤな匂いというものではない。
部屋に取り込んだ洋蘭鉢と共に吊るしたが、不思議な匂いが立ち込めている。
乾かしてから料理に使うようだ。
 
仏果山に登った時もそうであったが、鼻水が出る。昨日はそれが酷い状態になる。
調子が悪いので、9時半にはベットに入る。首回りに寒気がする。高校のクラス会から戻ってきた連れ合いが胸に湿布薬を貼ってくれる。
今朝、6時に起きるが、頭がぼーっとする。
ズボン下を履き、長袖シャツに取り換える。首元が寒い感じがするので、首にマフラーを巻く。
落ち着いたと思ったら、地震だ。部屋に吊り下げているラン鉢が揺れている。

2013年11月9日土曜日

仏果山・高取山の秋 The autumn of Mt.Bukka and Mt.Takatori

高取山から宮ケ瀬ダムを望む
すっかり木々の葉が茶っぽくなっている。
展望台から降りて、お昼用にもってきたインスタントラーメンを食べようと、ラーメンの袋をだし、コッヘルやガスストーブの器具を出したが、、、、、、ガスタンクを忘れたことに気が付く。
ムゥ、ムゥ、ム!とうとうこのようなことが山であるとは。仏果山・高取山だから問題無いが、これが一泊や二泊の山行なら遭難ものだ。もっとも、ライターとマッチは常備しているので、焚き火をしてお湯を沸かすことができるが、高取山の山頂でそんなことはできない。
持ってきた羊羹を食べ、ミカンを食べサーモに入っている熱いお茶を飲んで帰ることにする。
前日に吉村昭の「島抜け・欠けた椀」を読んでいたので、この本の登場人物たちのように飢餓で苦しむには値しない。お昼一食抜いたって、甘い羊羹やミカンを食べたのだ。
と、思うと途端に身が軽くなりすいすい下りてくることができた。
 登山道沿いのカシワバハグマも花が終わった。 
 コウヤボウキはまだ見頃であった。 
ニシキギの葉もここでは紅くなりづらい。
が、小さいが赤い実が目をひく。 
ハダカホウズキが赤い実をぶら下げている。 
ムラサキシキブの仲間が紫色の実を輝かせていた。
そして、道に落ちていたのは、ウラジロノキのツブツブがついた赤い実。
もう、秋の真っ盛りなのだ。
東丹沢は山が低いので鮮やかな紅葉は見られない。
しかし、秋が深まっているのが判る。

東丹沢の秋はこれだ! The autumn of the eastern Tanzawa is this!

昨日東丹沢の仏果山に行った。
家を出たのが7時だったので、大棚沢の駐車場へ着いたのは9時チョイ過ぎだった。
朝の渋滞に巻き込まれてしまったのだ。
ゆっくり登る。まもなく中年のカメラを持った人に追い抜かれる。
ぼくより老けていると思われるのに勢い良く登って行く。
もう少し、回りの景色を見ながら歩くとさらに山登りが楽しくなりますよと声を掛けたい。
宮ケ瀬越で休んでいると中年の夫婦が足取り軽く会釈をして通り過ぎていく。
軽やかな足取りだ。荷物も軽そうだ。
何だってぼくの荷物は重いのだろう。
ザックを背負ったまま撮った。
今、測ってみた。全部で10キロ近くある。
大した重さではない。
でも、この重さと自分の体重とがだんだん効いてくるのだ。
仏果山山頂は登山者が多くいたので見晴台がある鉄塔の方には行かず、
ザックとストックを道の脇に置いてリュウノウギクの様子を見に行く。
咲いていた。
しかし、少し盛りが過ぎたようだ。
上から軽やかな足取りで過ぎていった夫婦が下りてきた。 
リュウノウギクは東丹沢の秋を象徴する花の一つだ。
この後、高取山に向かい、そこでお昼にしようと思ったが、、、、。

2013年11月8日金曜日

仏果山

良い天気だ。
仏果山でリュウノウギクをとり高取山に来た。

2013年11月7日木曜日

赤福 伊勢のお土産  Akafuku -The souvenir of Ise-

伊勢土産の赤福をもらった。
各地のお土産の食べ物の中で、伊勢の赤福は最高だ!
幸い、連れ合いの友人で伊勢に実家があるH.Kさんが時々帰省するので、
この赤福を毎年味わうことができる。
何が、旨いと云っても、餡だ!
餡の練り方が最高だ。甘さが上品だ。
 
さまざまな地方の食べ物のお土産があるが、この赤福はその中でも超特級品だ。
名前は売れているが、大したことがないお土産も結構多い。
H.Kさん、ありがとう!甘党?のぼくにとっては赤福を前にすると至福の時となります。
 
ぼくは、甘党でもあり辛党でもあり、飲み食いする物にに好き嫌いがない。
日本酒と赤福が合うし、ウィスキーやブランディーにチョコが合う。
八方美人というところかな?

2013年11月6日水曜日

菊は秋の花 The chrysanthemum is the Autumn flower!

日曜日の散歩の続き
 
秋ですね。菊の花の香りが好き!
この白いまるで野生菊のリュウノウギクを園芸種として改良したばかりのような菊だ。 
食用菊ようだが、このような黄色だけの菊も良い。 
また、このように自然交配したような菊も味わい深い。
あった!とうとうあった。ぼくが子どもの頃はこのように仕立てた菊がずいぶんあった。
爺さんは、春、夏、秋、冬関係なく。菊の世話をしていた。
当時の釧路の厳冬期は20度以下になることが多かったので、爺さんが廃材で作ったフレームがあった。その中には、油粕と骨粉を混ぜて液肥にした樽があったり、菊を挿し木した苗が浅い木箱に所狭しと並べれていたり、ホクシャがさらに箱にいれられて大事にされていたり、嫌な臭いのする葉をもつゼラニュームが大事そうに育てられていた。
その場所は、爺さんの部屋のようなものであった。
爺さんから、挿し木の仕方や油粕を練って固形肥料にしたり、花卉の育て方を学んだ
 

2013年11月5日火曜日

散歩で!  Walking!

先日、境川沿いのサイクリングコースを散歩した時
日本大学の実習場の方の斜面に大きなムクノキがあった。
食べたいくらいの大きな青黒い実が生っていた。
採るのは諦めた。手が届きそうもない。
しかし、誰も見上げない。気が付かないようだ。
美味しいのに!
実習場横の空き地はセイタカアワダチソウでうまっていた。
何だか久しぶりにセイタカアワダチソウの群落にあったかな?
20年くらい前にセイタカアワダチソウが蔓延り始めた時は、
日本中がこの植物で覆われてしまうかな?っと思ったが、いつの間にか目立たなくなっていった。
しかし、この2、3年線路沿いのようなところで再び盛り返しているような気がする。
と、嫌われもののような帰化植物だが、しかし、さまざまな薬効があるようだ。
お茶にして飲んだり、お風呂に容れて薬湯にしたり、
喘息や胃腸病にも薬効があるらしい。
どうも、花が咲く前が効き目があるようなので、来年試してみよう。
 
と、歩いていると旧道の街角にサクラが咲いていた。
何というサクラなのだろう?

2013年11月4日月曜日

野生のヒラタケは美味い!  Wild Oyster caps taste good!

―10月31日、釣りの後の奥湯河原の続き―
 
大堰堤でお昼を食べ終え、藤木川を越えて、支流の沢へ向かう。
その途中の枯れ木にヒラタケだ!
これを「大松」で汁の実にして皆で食べようと云ったら、猛然と反対された。
死にたくない、お腹を壊したくないなどと云われてしまう。
どうも、ぼくのキノコ知識では連れ合いも、学生も、探検隊の皆さんまでもが食べるのを拒否する。
家に持ち帰り、先ず、泥などの汚れを洗い落とし、綺麗に小鉢に容れる。
もう、誰が見てもこれはヒラタケだ。
もちろん、ぼくの持っている5つの図鑑と文章を読み、確信を得る。
下のようにして水に浸けておいたので少し成長する。
夕食と翌日の朝食と二日間にわたって、味噌汁で味わった。
もちろん、家族も一緒だ。
が、下のキノコは現場で、5ミリほど食べたのだが、図鑑に載ってない。
裏のヒダも茎もなく、平べったいのだ。
食べた時は、水分いっぱいであったが、持ち帰ったものは乾いてきて今は皮状になっている。
もちろん、食べてない。 
昨日も今日も、秋雨がしとしと降り注ぐ。今日こそ、丹沢へと5時に起きたが出鼻を挫かれた。
昨日は、横浜市と藤沢市の境を流れる境川沿いのサイクリング道路をちょっと歩く。
この頃は自転車の競技をやっているような服装で、突っ走る人たちが多くなった。
普段着でママチャリのペダルをこいでいた姿の人たちはどこに行ったのか?
ジョギングしている人たちもそうだ。
皆、競技会に参加しているような服装である。
そう云えば山登りの人たちや渓流釣りのスタイルもそうだ。
ザック、靴、ズボン、シャツと有名メーカーのロゴがついたものだ。
 
サイクリングやジョギングや山登り、釣り、そのものを楽しみ、
さらにはそのスタイルを楽しんでいる。
「ものは形から」と云われるが、
そのスタイルをすることによってより充実した気持ちになって行くのかもしれない。
 

2013年11月3日日曜日

ヒデコ(シオデ)がこんなところにいた! Catbrier there is!

 この湿気の多いところに生えるというヌマダイコン(下の写真)が、
奥湯河原にきた理由だった。
Sakaiさんによると天昭山神社付近はシダ植物で有名らしい。
そのようなことはここでサルを追っていたのに全く知らなかった。
でもアジャンタムの仲間のハコネシダを知り覚えたのはここでサルを追っていたからだろう。
同じように、沢沿いのヤマグワの葉をサルたちが採食している時に、
ハコネサンショウウオがいないかと石を剥がして探したことがあった。
トイレがある駐車場の下のところから、沢を渡り尾根を巻いて、
コクサギのブッシュうを漕いでいくと山の神と呼ばれていた小さな祠があった。
そこは、ぼくにとってはいつも背中がぞっとし両腕に鳥肌が立つところであった。
 
そのため、座ってタバコを吸い気持ちを落ち着かせる。
が、立ち上がるとザワザワと鳥肌が立つので、急いで通り過ぎたいところだった。
が、何故かそこに腰を下ろしてしまうような力が働いていた。
 
ここはT群(天昭山群)と名付けたサルの群れが
パークウエーに向かう時にしばしば利用する場所でもあった。
一人でそこを通る時は鳥肌が立ってザワザワして歩けなくなるのに、
学習塾で教えていた小学生と歩いた時は、何もザワザワした恐ろしさがなかった。
 
今回、総勢7名で行ったものだから、当たり前だが鳥肌が立つような恐ろしさがなかった。
また、小さな祠があった付近の沢の流れが変わり
マンジュシャゲの葉がたくさん茂っており、祠はなくなっていた。
 
コクサギのブッシュのところに、
まだ残る踏み分け道を塞ぐかのようにヒデコ(シオデ)の果実がなっていた。
ぼくは、山菜好きなので、こんなところにヒデコがあったならば見落とすことはない筈だ。
祠が流された代わりに来春もう一度一人で
ヒデコを採りに来いと誘われているのかもしれない。

2013年11月2日土曜日

哺乳類の気配 Sign or hint of mammals.

竹蔵丸に乗っての釣りを終え、釣れた獲物を料理屋「大松」に預け、
ぼくらは山を目差した。
Yabe車には、ぼくとやまぼうしさんとSakaiさん、take隊員車にはk-ta隊員とisa隊員である。
take隊員車は先に行ってしまう。ぼくは白銀林道に行ったものと思ったが、Sakaiさんは星ヶ山見晴台に行ったと思うと云う。take隊員が「上だ、隊長が知っている所」と云いながら車を出したのだ。
星ヶ山見晴台にはtake隊員たちはいない。で、白銀林道に行く。いない。
携帯が通じた。なんと、奥湯河原にいるのだ。
そのまま、白銀林道を行く。未舗装のでこぼこ道で、
左右の木々の枝や生い茂った草を分けるようにYabe車は進む。
白銀橋を過ぎ、ようやく頼朝が隠れたとされる「しとどの窟」の入口に辿り着く。
が、林道の鉄の門が閉まっている。
が、Sakaiさんとやまぼうしさんは二人下りて、慣れた手つきで門を開ける。
椿ラインと名付けられた県道を下り、奥湯河原に出たところで、take隊員から電話がある。
大堰堤付近で、ヌマダイコンを見ているようだ。
ようやく、再会だ。
お日様があたる大堰堤の上でお昼にする。
サルの尻を追っていたときは、堰堤の上から足を投げ出して座ったものだが、、、、、。
道路と堰堤の際のコンクリートの上にアケビのタネだらけのテン糞が、この日もあった。
この辺りを行動域にするテンにとって、どうしても匂い付け(scent marking)したくなる場所なのだ。 
昼食後、少し歩き回ってみることにする。
ん?何の跡かな?
穴が掘られ、水が溜まっている。
辺りの木々の葉に泥が飛び散っている。
他に2、3ヶ所このような場がある。
サルがいた時は、この辺りの粘土は土食と云ってサルたちが食べたものだ。
どうも、ここはイノシシのヌタ場のようだ。
この付近にサルの気配がなくなったのは残念だ。
天昭山神社の裏山深くに生息していたサルたちを、堂守がサツマイモで餌付けして、2、3年かけてしだいに神社の境内まで引っ張ってきた。その時は50数頭であったようだが、それが120頭を越え、ミカンに被害を出すようになった。
そんな訳で餌付けが放棄され、天昭山群はちりじりになってしまった。
時代が餌付けを必要とし、時代がサルを害獣へと追いやった。
全て、ぼくら人間がサルや自然を思い通りにしようとした結果である。
自然に対して真摯な気持ちにならなければ、とんでもないしっぺ返しを受けるかもしれない。

2013年11月1日金曜日

野生生物探検隊の会合、先ずは釣り The meeting of Wildlife Expedition, Firstly, Sea Fishing!

真鶴駅前8時集合が、7時ちょっと過ぎに着いてしまった。
竹蔵丸が係留されている港に向かったが、真鶴港にはない。
真鶴半島を一周することになった。信じられないような鬱蒼とした森だ。
このような森があるから半島周辺は魚が豊富なんだ。
7時47分着の熱海行きの電車がとまり、やまぼうしさん、sakaiさん、isa隊員、k-ta隊員が下りてきた。全員がYabeさんの車に乗れないので、みなさんに福浦港まで歩いてもらう。
ぼくはYabeさんの車で福浦港に行く。
竹蔵丸がある。
take隊員が一人で汗だくになりながら動き回っている。 
take隊員の釣り針とテグスの結び方の速さに驚く。
ぼくも小学校の頃から釣り針とテグスの結び方を覚えたが、一本結ぶのに3、4分はかかる。
take隊員は、竹蔵丸という釣り船の船長なので、もう、あーと云う間にやってのける。
皆さんもやってくる。
船長のtake隊員がロープを引いて船をできるだけ寄せ、女性たちを船に乗らせる。
一応、竿や仕掛けや餌のことを聞き、船が動きだす。
もう、遠くに見える陸の景色に見とれたり、くるまった仕掛けの針とテグスをほどいたり。
みな、歓声をあげたりしている。
温かい。寒くない。
下の写真は、右が幕山で、正面に航行管制のパラボナアンテナのが見えるのだが、、、。
これが凍っていたオキアミ。これを窓が開く円筒形のものに容れて魚たちをおびきよせ、
このオキアミ一匹の尾ととり、そこに釣り針をさして餌とする。
釣れなかったk-ta隊員はイトヨリダイが連れて大喜びの顔。ぼくらも嬉しいものだ。
戦果、大きな真鯛はisa隊員が釣り上げた。
この後、奥湯河原に行き、少し歩き回る。そのことについては明日。
 
奥湯河原を4時で切り上げ、真鶴のお店「大松」へ。
ぼくらの釣った魚が刺身として出てくる。
もう、最高の気分であった。
アマダイ左と右イトヨリダイ。アマダイがこりこり感がある。
イトヨリダイ左とサバ。サバが意外に旨かった。
真鯛は云うにおよばず。
塩焼も旨い!
初めビールで、あとは芋焼酎。そして、アラの味噌汁が最高。
柿を食べて酔いを醒ます。