「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2013年10月20日日曜日

思い出の奥湯河原 Okuyugawara of Memories

昨日の続き、奥湯河原で:
T.Kishidaさんの車は外車のようだ。広河原から藤木川に沿った山道に入ったが、
車底が擦るし、左右の木の枝や伸びた草がフロントガラスにぶつかりそうになるので、
車から降りて歩く。Burtonさんにとっての思い出の道を歩く。
彼は、その変わりように立ち止っては感嘆の声をあげる。
ホトトギスがちょうど見ごろであった。 
このヤクシソウは大きいので、別物かと思うほどだ。 
 神社に辿り着き、変わってない様子にBurtonさんは安堵したようだ。
ぼくの釧路の故郷の風景はずいぶん変わってしまった。
ぼくが出た小学校はなくなるし、中学は以前のとことにあるものの様子が違う。高校は以前の場所から移転してしまった。
いつまでも変わらないで欲しい物。それは、思い出の故郷の景色であり、何よりも小・中・高の建物や場所は変わらないで欲しい。残っていると恐らく一つ一つ昨日のように思い起こせることが失われてしまう。
懐かしい、神社を見て嬉しそうなBurtonさんだ。
彼は73歳になるので、もうこれが最後の来日だ。
欧州各地には、古い建物がしっかり残されている。
日本は地震・津波・台風による災害が多い国であるが、
もう少し、時を経ても同じ所に同じ建物が欲しいものだ。
神社前の休み台でカップラーメンを食べ、オニギリを食べ、お菓子やブドウを食べ、
男3人はビールを飲む。大満足だ。
神社のいつもの場所で記念撮影だ。
白雲の滝にも脚を向けてみたかったが、3月下旬に心臓に2本のバイバス手術をしたBurtonさんを考えて、取りやめた。もちろん、彼は大丈夫と強がった。 
奥湯河原は山菜が多い。これはモミジガサの花が終わったものだ。
葉を摘んで食べてみたがゴワゴワしていた。 
ゲンノショウコが咲いていた。
これはヨーロッパでも煎じて飲むようだ。
ぼくの子供の頃は、オオバコやゲンノショウコを根から抜いて採ったものを買ってくれたので、
お金が落ちているように思ったものだ。
M.Kishidaさんの運転なので、男たち3人は後の座席に移動して、そこでチビチビ飲む。
温泉に入り、出たあとは車の中でうとうと状態であった。
今朝は、上智大の教会で行われあるミサに出席するために出かけた。
雨が降っているし、行っても知人の神父さんたちが亡くなっているので止めようという気分になっていたが、元気を出して行くことを決める。
っと間もなく電話だ。誰から?ぼくが電話をとる。一昨日、我が家にBurtonさんを訪ねてきた統計学のS.Takakuraさんだった。10時から始まるミサに出るので、Burtonさんと教会で会いましょうと云うのだ。もちろん、今度はウキウキして出かけていった。
尚、Burtonさんは日本の文部省の国費留学生と来日した時から、カソリックの神父であり、動物行動の研究者であった。
ぼくらがイメージする神父像とは異なる。

2013年10月19日土曜日

天昭山野猿公園餌場跡

今日は、Kishidaさんの車で奥湯河原へ、
Burtonさんにとって、懐かしの餌場跡は木が生い茂り、寂しい感じのようだ。
天昭山神社まで登り、そこでお昼にする。
以前は、ミカン狩りの人たちが椿ラインから、白雲の滝を経由して降りてきたハイキングコースもすっかり荒れ果てている。
ぼくは年に2度くらいは来ているのでその移り変わりを知っているが、
30年振りにきたBurtonさんにとっては、寂しく感じたようだ。
帰りは、「いずみの湯」で温泉に浸かって1時間くらいのんびりする。
帰宅したのが4時半、すぐ電車に乗って、江の島へ向かう。
江の島の花火大会だ。
目の前で見る花火は素晴らしい。
 
 

長い一日だった。

昨日は、朝、6時半に家を出て、葛西にある専門学校に行った。
この日は、授業として近くの江戸川動物園で、動物の観察データーのとり方の実習をおこなった。先ずは個体識別だ。ペンギン、ケナガクモザル、ジェフレクモザル、レッサーパンダ、ワラビ、プレーリードックなど、自分たちがこれから観察したい動物の識別をしてもらった。
下のオオアリクイは誰も見ようとはしなかった。
 ケナガクモザルはたくさんいるが、個体が識別されたボードがあった。
帰路、横浜駅近くのヨドバシカメラにより、Burtonさんが持ってきたiPhone、デジカメ、髭剃りなどの電気器具が使えるように変換アダプター160円を買う。ポイントカードを今夏のクロアチア旅行で紛失していたので、再発行してもらう。なんと、残っていたポイントがそのまま使えるのだ。
そのまま、西口駅前の交番の前で、Akabori氏を待つ、が現れない。
携帯にAkabori氏から連絡が入る。相鉄駅近くの交番の前だった。
無事、出会う。彼は脳梗塞で4年前に倒れ、麻痺が残っているとメールで知らせれてくれていたが、話し方も表情も、歩き方も全く以前と変わらず。リハビリで元に戻ったのであろう。
あれなら丹沢の山くらいなら歩けるだろう。
彼から、リンゴ、菓子、株主優待券などさまざまな物をもらう。
帰宅すると、BurtonさんがサルのD論をまとめるのに協力してくれた統計学者のS.Takakuraさんが来ていた。彼女はフランスに6年くらいいたようで、Burtonさんと二人でフランス語で話し合う。もう、Burtonさんは英語が出なくなる。何となく、フランス語が分かったような気になってくるから会話って不思議た。6時になり、Kishidaペアーがやってくる。楽しくなり、ウィスキーを少し飲み過ぎる。
 
今日は、これからKishidaさんの車で湯河原の餌場跡にコーヒーとカップラーメンをもって行って、
1970代後半を思い出そう。空模様があやしい。雨かな?
 

2013年10月16日水曜日

ビフトンさんが明朝来日する。 Burton-san will come to Japan, tomorrow morning.

1974年から81年まで国費留学生として箱根・湯河原でサルを追っていたベルギー人のビフトンさんが、突然、来日することになった。
今年のお花見の季節に来る予定であったが、出発2、3日前に心筋梗塞で倒れて
来日の予定が判らなくなった。
バイバス手術が上手くいったようで、元気になり突然明日から一週間の予定で
来ることになった。
ビフトンさんとは奥湯河原の山小屋で何度も言い合いの口喧嘩をした。
ぼくら日本人は残りご飯を大事にとっておく、彼は硬くなったパンや腐った牛乳や肉でも食べる。
食文化の違いが強烈だった。
美味しいブランデェーやウィスキーのオールドパーを初めて飲まされたのも、彼からだった。
 
下の写真は、1976年湯河原町天昭山神社野猿公園餌場で、台風のような大風によって剥がれ落ちた看板の前でのBurtonさん。この時ぼくは30歳だ。
2010年夏、ブラッセルの気軽に入れる小さなレストランでぼくら夫婦と知人のMiharu/Toru夫婦との食事。ムール貝の料理が最高だった。
今回は、ビフトンさんが来日できるのはおそらく最後だと思うので、当時のサル仲間とわいわいやるつもりだ。が、皆、もう歳だ。静かに吞んで語り合うことになるかな?もちろん、1時間でも上の写真の天昭山神社野猿公園餌場跡に連れていくつもりだ。
明日は成田空港に8時55分着のフィンランド航空でやってくる。成田・東京・我が家までは電車に乗るのが難しいので、出迎えに行くことになった。

台風一過

関東地方に台風が上陸する予報が出てたので、今日の慶応(日吉)の2時限目は休講だ。
風雨が止み、外をのぞいてみてびっくりだ。
お隣さんの玄関前に我が家のキンモクセイの花が落ちて吹き溜まっている。
連れ合いは、「少し乾いたら掃除してくる」と云って新聞を見ている。
今まで花が残っているとは思わなかった。
すでに香りが薄くなっているので枯れたのかと思っていたのだ。
伊豆大島では鉄砲水のように水が流れたようで、凄い状態だ。
鎌倉でも家の前の大岩が落ちてきて道を塞いだ。
関東地方に台風が上陸しないで良かった。船を持っているtake隊員のような人はこんな暴風雨の時は船のことが心配だろう。例え岸壁にしっかり係留していても無傷で収まるわけがないだろう。漁には出られないし、風雨が治まるまで船の様子を見守るしかない。それとも諦めて晴漁雨読とばかりに普段読みこなせない本でも読んでいるのだろうか?

2013年10月15日火曜日

我が家に棲みついているヤマアカガエル A montane brown frog which habits in my small garden.

先日、草むしりをしていた連れ合いが、この浮草が入っている水鉢からカエルが跳び出たので驚いたようだ。しかし、ぼくは庭でカエルを見ても写真に撮るチャンスがなかった。
今朝、スイレン鉢のグッピーの様子を見てから、何気なく浮草で埋まる水鉢に目をやると
カエルが頭を出している。が、すぐ潜ってしまった。
ぼくの部屋の庭に面した窓からはスイレン鉢や水鉢が見える。
本を読みながら、水鉢をのぞいていた。
すると、午後3時過ぎ、ん?よく判らない。双眼鏡で見た。あのカエルだ。
300mmで撮る。
3月13日に、この水鉢に卵塊があったことをアップした。
卵塊から生まれたオタマたちは、8月には全員分散していった。
今いるカエルは、これらのオタマを生んだ親だ。性別は不明だが、このカエルはこの水鉢があるから生きてこれているんだ。いずれにしてもコヤツと性別の違うヤツがいることになる。
横浜に住んでいる友人の庭にはガマガエルが数匹生息している。
庭に小さな池があるので、それがあるから友人宅のガマは生きていけるんだ。
カエルの生息環境は水場がなければダメだということだろう。
では、カナヘビは?トカゲは?イタチは?サルは?
 
我が家のヤマアカガエル、これから寒くなるといういうのに庭の土の中にでも潜るのかな?
自分の部屋でヤマアカガエルの鳴き声を聞いてみたい。ぼくの耳では無理かな?
台風が接近している。今朝、水鉢を見たらヤツがいた。何だか嬉しい。
今日は、これから葛西の専門学校だ。明後日は成田空港まで行かなければならない。
今週と来週は大変になりそうだ。

2013年10月14日月曜日

交通事故で死んだ小鹿  A fawn that was killed by traffic accident.

この小鹿はすでに乳離れした子だろうか?あるいはまだ母ジカのお乳を吸っているシカだろうか?
シカの第一切歯は他の切歯よりかなり幅広いのに、そのようには見えない。
しかも左の切歯3本と犬歯は前上方に伸びているのではなく、真上に伸びており、
さらに、犬歯は切歯とは異なっているのが明白だ。もちろん全て乳歯だ。
どうも、この小鹿はまだ母ジカのお乳を吸っていた個体であろうと思う。
口を開けて、歯の無い上顎の様子を知りたかったが、死後硬直のためだろう。
口を開くことができなかった。
ン??シカは受け口なんだ!
このように死んで間もないシカの口を開けて、歯を見たのは初めてだ。
前足の蹄の大きさを知りたいと思って、500円玉をスケールとしたが、一人であるのと、死後硬直のため上手く撮れず。左が左前足で、右が右前足の蹄だ。
後足の左足の蹄だ。
耳介の大きさ。
脚の長さや体長は、側溝のコンクリートの蓋の大きさから割り出せる。 
おそらく11日(金曜日)の夜に、この小鹿は母ジカの後について道路を渡ろうとしたのだが、飛ばす車にはねられたのであろう。この近くで、今年1月10日にタヌキの轢死体をアップしている。
 もしかして、この場所は動物たちにとっての通路になっているかもしれない。

2013年10月13日日曜日

小鹿の轢死体  A fawn corpse that was run over or hit by car.

昨朝、塩水橋に行こうと思って、家を出たのが6時。
5時に出なければいけなかったのだ。
7時過ぎ、土山峠付近のカーブが多い曲がりくねった道で、ん?轢死体だ!
一瞬であったが、この時は大きさから大型犬?と思ったのだ。しかし、すぐ小鹿だと判る。
車を空き地があるところに停めて、カメラを持って50メートルくらい下る。
 車がひっきりなしに登ってくる。
ここでは、まずい、4トントラックなどのダンプがやってきたら、さらに轢かれてしまう。
鼻から血が流れている。 
カメラを肩にかけ、右手で両後足を左手で両前足を持って、下ってくる車と登ってくる車の合間を見計らって下り車線の方にある歩道に運ぶ。随分車の量が多い。三連休だからだろう。
写真を撮りながらさまざまな思いが頭の中を走る。
このような場所でなければ、お腹を割いて内臓を見てから、内臓を取り除き、せめて皮だけでも剥いで持ち帰るのに!それができるような場所でないから、せめて頭部だけでも切り離したい。車のトランクにこのまま積んで帰れば、連れ合いがイヤな顔をするだろう。
家の狭い庭で、小鹿を解体し、内臓を取り除き、皮を剥ぎ、手足を肩甲骨、大腿骨から切り離し、頭部は第一頸椎のところで切り取る。2時間はかかるだろう。
500坪くらいの敷地をもつ家なら、隣近所の目を気にすることもなくできるだろうに。
そんなことばかりを考えながら塩水橋に行った。
もう、ありとあらゆる車を置けるスペースは車で埋まっている。20台以上の車がありそうだ。
三連休だとこんなに多くの人たちが丹沢山に登るんだ。
昨日は、快晴で絶好の山日和だった。残念、あと一時間早くでるんだった。
帰りに、蹄の大きさや、歯の状態の写真を撮る。
 
帰ってきてからも、この小鹿の死体のことだ。以前とは変わった自分を知る。
以前なら、何も考えずに車のトランクに押し込んだだろう。
土山峠まで運んで、堤川林道まで運ぶのだった。そこなら、いくらでも処理の仕方があったのに!
もう、目や口にウジが湧いているかな?
あー、トランクに容れて堤川林道に運ぶのだった。
両手は、シカの獣臭さがとれず、何度も石鹸をつけて手を洗った。

2013年10月12日土曜日

季節は秋  The season is fall.

午後4時、南の空高く、上弦の月が見える。
ぼくらの目で見る月というのは不思議な天体だ。
ある時は、米粒ほどに見えたり、ある時は巨大なお盆のように丸く見えることがある。
どういう加減で大きく見えたり、小さく見えたりするのだろうか?
 我家の前のMさんは、ここ円行(湘南台の旧地名は円行)の生まれである。
兄弟親類がこの付近に住んでいる。
庭から貸し駐車場に覆いかぶさるようにナツメの枝が張り出ている。
大分、赤く熟していきているようだが、まだ黄色や青いのもある。
鳥などの動物たちには全く突かれていない。
 ナツメの木の隣は柿の木だ。このカキの実は甘い。
一個だけ、動物に五分の一くらい齧られているのある。
ヒョドリの仕業なのかカラスなのか、それともハクビシンなのか高いところの実なので判断が付きかねる。 カキを小さく切ってサラダに容れるのが好きだ。甘くておいしい。
今日は、久しぶりに塩水橋付近を探索してみよう。

2013年10月11日金曜日

Facebook Social network

今夏、クロアチアに行った時、アドリア海近くの道路沿いの糸杉に目が奪われた。糸杉はゴッホの絵で何度も描かれている木だ。この乾燥した石灰岩の土地に、糸杉だけが力強くどの木よりも高く伸びている。ゴッホがこの糸杉の力強さ、生命力に目を奪われたのも頷ける。
先日、三鷹の女子高校生が殺された。
つきまとい、ストカー行為を受けて学校や警察に相談していたようだ。
殺したのは21歳の若者で、どうやらFacebookで知り合ったようだ。

ぼくも2011年3月に知人に勧められてFacebookに入った。
しかし、Facebookから送られてくる、友達リクエスト、誕生日お祝い、友達紹介、ウォールへの投稿コメント案内などの案内メールが煩わしいので、今は全て配信停止にしている。
その一番は、友達リクエストだ。携帯には、一週間に一度くらい「アドレス変えました、登録願います!」などと全く見知らぬ人からくるが、このようなのはすぐ削除できる。
しかし、Facebookの友達リクエストは一日に何度も来たりする。しかも、多くは見知らぬ人たちだ。

Facebookは出会いの場を提供していることは間違いない。
殺された三鷹の女子高校生も友達リクエストを承認し、その事から交際が始まったのだろう。

ぼくが小・中学校の時なら、ペンフレンドorペンパルと云って、国内外を問わず手紙での交流があったものだ。
スヌーピの飼い主であるチャーリー・ブラウンはイングランドの女の子がペンフレンドだった。チャックにとっては彼女は唯一のペンフレンドだったが、その女の子は30名?のペンフレンドとやりとりしているのでチャックは驚いた。
Facebookでは、自分から友達リクエストをして1日に10名以上の友達になることも可能だ。でも、そのほとんどが外国人のペンフレンドのように全く知らない人たちばっかりだ。
Facebookは大勢の人たちに自分の事を発信したい政治家などには向いているかもしれない。が、たくさんの危険な落とし穴が待ち受けていることも、今回の事件は教えてくれている。

Social Newworkの一つとしてぼくはこのようにBlogで発信している。毎日、200名くらいの誰かが見てくれており、友人になった人たちもいて、一緒に山に出かけたりもしている。あるいは、20年前はNiftyの野生動物フォーラムに加わっていた。そこで情報を交換し合い。オフの出会いがあったりした。そのフォーラムの仲間と今でも年賀状で近況をやりとりしていたりする。

今回の事件は、ストーカー行為から殺人ということまで発展していった。ストーカー、つきまとい行為は片思いの極端な状態で、もうこのような状態になった男や女は理性では判断できなくなっている。この片思いが行きつく先は、自分の思いが通じない悔しさに、相手への恨み、憎しみに変化し傷つけたり殺しにまで発展していく。今回の事件は知り合ったきっかけがたまたまFacebookであったというだけだ。
 何故かこの頃このようなニュースを聞くことが多い。どんな出会いに関してでもありうることだが、異性が一方的に他の異性に興味をもち、最後には殺してしまうヒトというサルだけに見られる恐ろしい事件だ。

2013年10月10日木曜日

ザクロの赤い実  Red fruits of pomegranate.

キンモクセイの香りがしなくなったと思ったら、ザクロの真っ赤な実が目につくようになった。
我が家の道路を隔てた前のMさんの庭には、毎年、夏には真紅の花、秋には真っ赤な果実をつけるザクロの木がある。毎年、道行く人の目を楽しませてくれる。
この大きい実は週末には割けて傷口が開いたような中身を見せてくれるかな?
大きなザクロの木だ。
昨日まで、台風の影響で風が強かったが、今日は穏やかな朝だ。
このところ、とは言ってもこの1年くらい?毎朝、起きると腰が痛く、そろそろ歩きだ。
1時間もするとその痛みがなくなる。9月に越後湯沢でisa隊員特製のベットに寝た時は
腰が痛くならなかった。あるいは、夏にクロアチアを旅行した時も腰が痛くならなかった。どうも、10年以上も同じベットを使っているので、硬いマットだが凹みができているようだ。
今夜は床にキャンプで使う銀マットでも敷いて寝てみよう。
 

2013年10月9日水曜日

ヤモリ Gecko

昨日の授業は16時に終わり、駅前の本屋でかったカフカの「変身」を読みながら帰宅した。
もう、疲れに疲れていると連れ合いにメールしていたので、半分に切ったレモンとレモン汁の絞り器が用意してある。顔を洗い、手を洗い、ウガイをしてから着替え、早速レモンを絞って汁をコップにあけ、ウィスキーを3センチくらい注ぎ、氷をコップの8分目くらいまで容れてかき混ぜるのももどかしく、すぐ飲む。旨い。すきっ腹と疲れた体に染み通るように流れていく。
しばらく、ぼーとしながら飲んでいた。
っと、娘が床を指してて、「何アレー?」っと叫び声を上げる。
何だ?と見るとヤモリだ。
生まれて間もないヤモリだ。メンコイねぇー!
一昨日、ファレノプシスなどの蘭鉢を部屋に取り込んだ時に一緒に入ってきたんだ。
早速、写真を撮り、捕まえて蘭鉢に移してやる。 
ここにいても、餌となるものがないねぇー。
今朝見たら、もうどこに行ったものやら消えてしまった。
それにしても、昨日は専門学校の授業で、性淘汰のなかで、ヤモリの話をしたばっかりだった。
今日は、慶応秋学期3回目の授業がある。
そろそろどんなことを話すか目を通さなくては!

2013年10月8日火曜日

クルマバハグマ Pertya rigidula

越後湯沢で初めてみた、植物です。
クルマバハグマというコウヤボウキの花に似たキク科です。
このハグマと云う名のつく 花が、丹沢にもあり、カシワバハグマと云うものがあります。
それは、カシワの葉に似たハグマのようだというので命名されたようです。
そのハグマっていったい何だと思った方は、ネットでハグマって検索してみてください。
この花が、そのハグマに似ているということです。
クルマバは、葉が放射状にでて、まるで車のような葉ですね。
そのような葉をもったハグマだからクルマバハグマと名付けられたのですね。
 
今日からぼくの一週間が始まる。
もう、来週にはベルギーから一緒に箱根湯河原でサルを追っていたJean Burtonさんがやってくる。来週、再来週と忙しくなりそうだ。
 

2013年10月6日日曜日

キンモクセイの香り漂う The scent of fragrant orange-colored olive drifts.

4日の金曜日に葛西に行った時に、キンモクセイの香りに気が付いた。
マンションの庭の木にオレンジ色の花を見つけ、近づいて匂いを胸いっぱい嗅いだ。
昨日、我が家に庭のキンモクセイも匂っているのに気が付いた。
今朝、学校へ行く前に匂いを嗅いだ。
葛西の専門学校から戻り、キンモクセイの写真を撮った。
匂い、香りを届けるられるような時代がくるだろうか?
 窓を開けると香りがぼくの部屋の中にもたちこめる。
このキンモクセイの香りを最後に、このような香りを街中ばかりでなく部屋の中にまで漂わせるのは、ジンチョウゲの花の季節をまたなくてはならない。
今、10月に入ってから部屋に取り入れたカトレアも咲いて、匂いを漂わせているが、
キンモクセイの香りには負ける。
このような強烈な良い匂いを漂わせて、キンモクセイはどんな昆虫を招こうとしているのだろう。
 
精神的に疲れた時は、良い香りの花が気持ちを落ち着かせる。
あるいは、好きな音楽が穏やかな気持ちにさせてくれる。
疲れると目を瞑りたい。
そしれ、静かな音か、香りの世界に浸りたい。
ヒトは視覚の動物だから疲れたならテレビを見たら余計疲れるだけだ。
ヒトの祖先の哺乳類は、1億5千万年前の中生代に生まれた。
その時は恐竜たちが闊歩しているので、日中は物陰で暮らし、
暗くなるとチョロチョロと活動していた。
暗闇の活動のため、視覚が衰え、嗅覚と聴覚が発達した。
ぼくらは良い匂いを嗅ぐ時は無意識のうちに目を瞑る。
目を閉じて、母親の胎内にいるような暗闇の時代に戻ることで安心するのかもしれない。

キノコ  Mushroom

まだ、越後湯沢の続きです。
今日は、食べられそうなキノコです。
ホウキタケの仲間に近く、ナギナタタケという。
この仲間の分類は専門研究者がいないので難しいようだ。
これは、食べられるキノコだった。図鑑を持って歩けば採ってきたものを!
ネットでは、この仲間に毒タケは少ないと述べているのもある。

エリマキツチグリだ。
ツチグリの幼菌は食べられるようだが、ぼくはまだ食べたことがない。
このエリマキツチグリはぼくの二冊の図鑑で不食となっている。
 チシオハツタケである。
良く似ているものにドクベニタケがあるが、食べられるのだ。
これらはもう何回か食べているが、美味しいというわけではなく少し苦辛いのだ。
ただ、食べられるキノコというだけだ。
塩漬けにすると辛みがとれるようだ。
ぼくは、キノコは味噌汁に実にして大根おろしをいれて食べるのが好きだ。
あるいは、豚汁の中にサトイモや数種のキノコを混ぜて食べるのが好きだ。
粉っぽいのやら、土臭いのやら、辛いのやら苦いのがあっても、
そのことを前もって知っていると土臭くて、あるいは辛くて旨いということになる。
 
このところ子供の頃、野原や川沿いの土手で採ってきたボリボリ(味や舌触りはナラタケに似る)のことを思い出す。あれほど美味しいキノコはないだろうと思うくらいである。
ボリボリはナラタケのようだが、キノコ全体の姿が違う。
ボリボリはしっかりかたまって背丈も低い。が、神奈川県で見るナラタケは背丈が10センチにとどきそうなくらい大きなものもある。
味も、神奈川県のものはしまりがない。釧路のボリボリと神奈川県のナラタケは同じものかもしれないが、ぼくには違うものに感じる。
このブログを見てくださっている皆様に、釧路のボリボリの入った味噌汁を食べさせてあげたい。
 
昨日の哺乳類談話会は聖マリアンナ医科大学のNagaoka氏の古人骨の話しだった。
人骨の年齢推定は股関節にあたる寛骨臼の摩耗状態や骨質を判断基準にしているようだ。
以前の研究者は60歳以上の人の骨でも、それよりもずーと若い人の骨と誤って推定したようだ。
箱根湯河原のサルの生存曲線を作ってみたことがあるが、昔の人たちは
野生のサルたちと同じように生後まもなくの死亡率が非常に高かったようだ。
そこが、医学の発達した現代の生存曲線と大きな違いだ。
 
今日は、これから葛西の専門学校へ高校生向けのチャレンジキャンパスの授業だ。動物たちの骨を持っていって見てもらおう。

2013年10月5日土曜日

ヤマブドウとサルナシの果実酒 Two kinds of ratafia made from arguta and cimson glory vine

9月27日、28日に越後湯沢で、皆でヤマブドウやサルナシ狩りをした。
収穫物を皆で分けた。ぼくは分け前の一部を25度の焼酎に漬けた。氷砂糖は少しだけだ。
ヤマブドウやサルナシの果実は中空に浮かんでいる。
ヤマブドウを漬けたEarlyTimesのビンではヤマブドウの回りの焼酎の色が
赤紫色になっている。一週間経っただけなのに果皮の色が早くも染み出ているのだ。
何だかおいしそうだネ!
あと1ヶ月もしたら、ちょっと味わってみよう。
子供の頃、親父が作っていた葡萄酒は、ヤマブドウの実を一粒ずつ一升瓶の中に容れて、
瓶の口から菜箸のような長い棒で上から突いてある程度、実を崩し、ゴミが入らないように
瓶口を新聞紙で包んだだけであった。
そんな一升瓶が調理台の下に3、4本あった。
暮れ近くなると、発酵して泡が盛り上がり、たくさんブドウの粒を容れた瓶からは
ブドウの果皮や種子が溢れていたことがあった。
そんな葡萄酒は色も悪く、気持ち悪いものであったが、好奇心から舐めていた。
甘いものでなかったので、美味しいと思ったことはなかった。
出来上がった葡萄酒は濁ったピンク色をしており、お正月に飲まされても美味しいとは思わなかった。でも、親たちは今年は寒かったので発酵が足りないとか、なんとか言いながら楽しんでいた。
 
今日は、夕方から四ツ谷で哺乳類談話会だ。
今回は、古人骨の話しだ。

2013年10月4日金曜日

ミズナラの葉の宝石のような虫こぶ The galls like jewels on the leaf of Oak.

越後湯沢で:
ミズナラの葉に甘そうな瑞々しい実がついている。
何の虫こぶだろうか?
きれいな虫こぶだ。
このようにミズナラの葉の主脈に着いている。
ミズナラにとっては栄養物を横取りされる害虫だ。
 ネットで「ミズナラ 赤 虫こぶ」とやったら、すぐ出てきた。
ナラハヒラタマルタマフシという虫こぶで、
ナラハヒラタマルタマバチというハチが卵を産み付けて
このような宝石のようになったもののように思われるが、この赤い宝石は卵が産みつけられた
葉脈が次第にこのように真ん丸になるのかな?
まさか卵が葉脈から栄養分を吸い取ってこのように大きく丸くなるの?
ともかくこのタマバチ類の専門家に聞かなければわからない。

2013年10月3日木曜日

ウメバチソウ Pamassia palustris

苗場山で見た、ウメバチソウである。
秋に咲く花のようには思えない。
どちらかと云うと初春に咲く花のような雰囲気をもっていた。
園芸品種のように大きく見栄えのする花弁だ。
葉がおもしろい。ハート型の葉を根元にもっている。
見えている葉の下の根元にさらに2、3枚のハート形の葉がある。

マムシとアオダイショウの歯の違い The different between teeth of Mamushi pit-viper & Rat snake.

先月の9月6日に専門学校の丹沢実習で大倉から塔ノ岳に登った時に、
石で胴を叩き潰されて殺されたマムシを見つけ、頭部を切り離してゲットした。
その頭部をChumanさんに渡し、晒骨してもらった。
10月1日に、彼女は晒骨した頭骨を小さなタッパーに容れてもってきた。
1か月もかからないで写真のマムシの頭部が以下のように綺麗な骨になった。
上部は上顎骨や下顎骨であり、下部に頸椎というか脊椎骨がある。
左右の平たい骨は頭蓋の一部である。
 歯がついている骨がA,B,C,Dの7個ある。
 Eの先にはDがそれぞれついていたのだろう。
DとEは下顎骨と下顎歯である。
Cは左の上顎骨であり、右の上顎骨が見当たらない。
Aは毒液を出す左右の上顎の先端にある牙だ、4ミリほどの長さがある。
Bはどこの歯になるのかな?一対ある。
下はアオダイショウの頭蓋骨と歯だ。
明らかな違いは毒液を出す牙がアオダイショウには見当たらない。
マムシの左右一対の牙(前額骨になるから切歯)はすごく頑丈にできている。
しかし、他の歯骨はモロイ。同じくアオダイショウの歯骨は全てモロイ。
テンやキツネあるいはタヌキにアオダイショウが食べられたとしたら、
齧歯目やトガリネズミ目の歯骨のように崩れずに
しっかりした状態で糞として排出されるかどうかちょっと疑問だ。
 
それにしても、マムシの牙は他の歯に比べると大きくて頑丈で鋭い。
マムシに噛まれたら、服の上からでもこの牙が深く突き刺さることが良くわかる。
Bの歯はどこに位置する歯なのだろうか?
死んだばかりのマムシを見つけて解剖して調べてみたい。

2013年10月2日水曜日

奥野林道沿いのテン糞とハクビシン糞 Scats of martens and palm civets along the Okuno forest road.

先週月曜日の9月23日に、Yabeさんと奥野林道を歩いた時に見つけたテン糞とハクビシン糞の内容物は、両者とも秋の果実よりなっていた。
9:23、テン糞
 全てがアケビの種子だ。
 9:23、テン糞
 何とこのテン糞は沢の中の岩の上にあった。
 サルナシ種子と果皮よりなっていた。
 8:46、ハクビシン糞
 下に層になっているのはカヤの種子だ。その上に黒褐色の糞塊が3個ある。
 この黒っぽい一塊を持ってきた。
 下のカヤの種子は糞の細かな内容物が雨で洗い流されたり、糞虫に運ばれたものと考えられる。
 水洗いすると、カマドウマの脚の欠片と、今、生っている3種類の果実の果皮と種子が出てきた。
 たくさんの種子はサルナシで、下の写真に見えているのはマメガキの未熟な種子だ。
 もう一種は何だと思いますか?
 ぼくは鳥は食べるだろうが、動物たちは食べないと思ったいたものだ。
 9:20、ハクビシン糞
 サルナシの果皮と種子よりなる。
  この糞の主は上のハクビシンとは違うだろう。糞の内容物が全く異なった。
動物たちの糞はもう拾わないつもりであったが、やはり内容物が分からないと水洗いして知りたくなる。

2013年10月1日火曜日

大きいツリバナの実 A big furit of Euonymus oxyphyllus

越後湯沢の続き:
巨大なツリバナで、ぼくたち5人は驚いた。
採ってきたこの傘の直径は35mmある。
日本海側の植物は、北海道の植物のように大きい。
3ヶ月以上も雪で覆われてしまうので、寒さにじっと耐えしのび、
春の訪れとともに一気に成長するからだろうか?
越後湯沢の畑の野菜たちも大きいのは、種子の時の冬の寒さが影響しているのかな?
この辺りで獲れるコシヒカリは特別に美味しいようだ。
冷たい水も影響しているのかな?
そうそう、沢の水が冷たく透き通っている。清流という言葉が合う。
残念だが最高峰が1700mに届かない丹沢山塊にはこのような清流はない。
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