「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2010年8月18日水曜日

我が家の庭で!

早朝、4時過ぎ、我が家の前で怒鳴りあっている声が聞こえる。
30分も大声を出しているので、2階の窓越しに垣間見る。パトカーが停まり警察官が3名とシャツ姿の中年男が有料駐車場の前でもめている。ぼくがドアを開けて新聞を取りに外へ出たので、彼等は一斉にぼくを見る。「どうしましたか?」と聞いたが、警察官は答えず。
新聞を取って部屋に入り、庭に出る。
シジミチョウがいた。ヤマトシジミかな?それとも、、、、?
怒鳴りあいの声がしなくなり、それぞれ帰ったようだ。ぼくが顔を出したことが良かったのかな?
ジョロウグモの子供かな?と思って撮ったが、腹があまりにも細い。
クモの図鑑が無いので科も属も調べられず。
蚊が網にひっかっているので、大事にしてやりたい。
タイワンホトトギスが咲いていた。やはり秋がすぐそこにきているのだ!
このタイワンホトトギス、すぐ蔓延るので毎年連れ合いが抜いている。が、地下茎が残っていてこうやって出てくる。
畳が数枚しか引けないような狭い庭でも、鳥たちの糞やぼくが捨てる動物たちの糞で植えもしないものが出てくる。何故か、丹沢の山麓よりもヤブカが多いので、庭に出るのは重装備をしなければいけない。この写真を撮るのに3、4分の筈なのに、足や手や耳を刺されキンカンを塗りながらタイプしている有様だ。
植えもしないし、大事にもしないのにこのタカサゴユリがこうやってプランターに勝手に入り込んでくる。根が大きければ冬に茶碗蒸しにでも容れて食べてやるのに、花一つくらいの根はイチゴくらいの大きさだ。3、4本切花にして居間のテーブルに置くと豪華だが、日持ちしないのが残念だ。
今、もう7時になった。丹沢へ行く気持ちがそがれてしまった。
今夕は横浜で動物園の飼育人の人たちとの呑み会がある。明日は、ニフティのワイルドライフフォーラム時代の仲間が我が「頭骨コレクション」を見にやってくる。今日は家の周辺を散策することにしよう。

2010年8月17日火曜日

夏が終わった?

駐車場の横から庭に通じる小石を敷き詰めた上にアブラゼミのオスが死んでいる。
大きな音声を出して首尾良くメスにめぐり合って交尾したのだろうか?
夏が早くも終わろうとしているのだ。
セミが死んでいた庭に入るところに巨大なアザミが咲いている。
6月頃から目につき、通り道だが、どんなアザミになるのだろうかと残していた。
図鑑も見て調べようと思ったが、あまりにもアザミの仲間が多いので部屋の中の暑さとともにすぐギブアップである。
1メートル以上も草丈があり、葉も茎も堅く、触ることさえできないくらいトゲが痛い。
満開に開いて、このような咲き方である。左に咲き終わって種子を作っている花ガラがある。
この花の部分のトゲも堅く鋭く痛い。
外来種のアザミなのだろうか?
k-ta隊員かやまぼうしさん!もし見てくれたら教えて下さい。

2010年8月16日月曜日

アシナガの巣にスズメバチ?

久しぶりの日曜日、朝のまだ陽射しが強くならない内に道路に面した生垣を剪定することにした。まるでヤマアラシのように枝が伸び放題になっている。
隣近所の家でも枝を切っている。
斜め後ろのOさんの駐車場の屋根の軒先にドンブリくらいの大きさのハスの花が終わったようなスズメバチの巣がぶら下がっているのを見つけた。
ぼくが捕るからと云い、先ず、カメラで写す。

問題のハチの巣は右の駐車場の屋根の端にある。
下から見上げるとスズメバチが何匹もいる。ん?これはアシナガバチの巣ではないの?
上にレインギアを着て、帽子を被り、長靴を履き、作業用の皮手袋をつけて、
部屋にある脚立を持ってきて、ハチたちの動きを見ていて、飛び回らなくなって落ち着いたところをサーッとレジ袋を被せて、引き剥がす。
いとも簡単に引き剥がすことができた。簡単に引き剥がれないと思ったので、剪定バサミで根元を切ろうと考えて、剪定バサミをすぐ出せるようにズボンのポケットに入れておいたのだ。
駐車場の持ち主のOさんは、ありとあらゆる殺虫剤を5、6本も持ってきていたので、袋の中にシューっと噴霧する。袋をしっかり縛りOさんに渡す。
戻ってきたハチたちが5、6匹ぶんぶん飛び回るので、巣があった場所にシューと吹きかけて一件落着となる。

剪定した葉をタケボウキで履いていると、ン!ヤモリ!
すぐ捕まえる。もうヤモリはいなくなったと思っていたので嬉しい。後で写真を撮ろうと思って、玄関の靴箱の上の三文判の印鑑が入っている箱に移す。

道路掃除が終わり、汗だくになったのでシャワーを浴び、さぁーヤモリを写そうと思い机の前で箱を静かに開ける。家の鍵や車のキーの間に隠れるようにジッとしている。で、ヤツに触った。ピョンと飛び出て椅子の上に落ち、行方不明となる。
がっかりである。机の下や裏やパソコンの裏なども探したが見つからず。きっと何年も経った後に干乾びたヤモリを見つけることになるのだろう。この部屋はアリンコが時々出入りするくらいで虫が入れないので、まもなく餓死してしまう。本の間や頭骨の中に隠れたのかもしれない。

2010年8月15日日曜日

高宕山実習!三日目

三日目も天候が落ち着かない中を9時10分出発。
今日は、午後2時半までにマイクロバスが待っている場所まで戻らなくてはいけない。午前中だけの山歩きだ。
散策コースは、峰上・231ピーク・大崖・石射太郎・台倉・峰上の5.5キロ
231から大崖への道で、先頭のM君が危うくマムシを踏み損ねる。
捕まえて、皆でマムシを撮る。
大崖から石射太郎への途中尾根で、ミヤマクワガタを見つけて、写真!
石射太郎の山頂で集合写真。
Y君は風邪気味のため、丸太小屋で休息中。
台倉手前の244付近で昼食を取る。
I君が何故か右に隠れている。
台倉から芹尾根に少し登って、西に張り出す尾根を下る。
最後は沢を越えて戻る。
今回は、先頭を次々に学生たちに代わってもらった。
始めての山道を先頭を歩くことによって、山道の探し方、歩き方の初歩を学んで欲しいと思った。
三、四番目に歩いて「イヤ、そっちじゃない!右だ!」なんて声を掛けながら歩くのは楽だった。先頭はクモの巣を何度も顔に受けていたが、皆楽しんで歩いてくれた。13時50分に丸太小屋についた。4時間40分の自然探索であった。

ぼくの実習の基本は、休んだり、何かを見つけた時などの行動の変わり目に記録を付けることを重視している。レポートは出させない。山歩き、自然探索は楽しいということを知って欲しいのだ。

実習から戻った翌日、昨日とチャレンジキャンパスだった。明日もそうだ。今日は、久しぶりの骨休みだ。
丹沢へは8月に行けるだろうか?

2010年8月14日土曜日

高宕山実習!二日目

5時半に起きて朝食を食べ、昼食をもって8時45分に丸太小屋をでる。
231のピークまで登りだ、もうほとんど村人たちも利用しなくなった山道を倒木や竹、クモの巣などを避けながら歩く。それだけで汗が鼻先からも落ちる。
231を過ぎるとあとは高宕山までなだらからな尾根道である。
途中の石切り場跡の洞窟に入る。
ぼくらに驚いて大きなキクガシラが飛び回る。
下はコウモリの糞でふわふわだ!
洞窟に入った学生たちに並んでもらって記念撮影。
大崖と名づけられた岩場で、集合写真。
奥深い山の中の雰囲気がするとても気持ちの良いところ。
横須賀・久里浜の港も遠望できる。
ここでお昼を食べたが、風が強く、雨足が強くなったり、晴れたりの天気!
夕食の買出し組はここから宿舎に戻る。
残ったぼくらは高宕山を目差す。

苔生している観音の階段を何段も登る。
12時半に高宕山に到着だ!
皆で、狭い岩場の上で記念写真!
風が強く、雨も再び降り出したので15分の滞在で戻る。
元気の良い学生たち、ぼくはこの無理な姿勢なため
脹脛の筋肉が少しつる。
1年生は授業を持っていないので名前はしらなかったが、
とうとう全員覚える。
後列、
Yuuki,Muto,Uchida,Yokoyama,Kuribayashi,Hnazawa,Kagetoshi
前列、
Nakamoto,Yamashiro,Shindo,Amemiya,Takeshita,Yamazaki,Mochizuki,Fukuda
帰路、トイレのため学生たちを先に行かせた。
遅れたので近道しようと斜面をトラバースし、足を滑らせ
1メートルほど滑る。
幸いに立ち木に腕を絡ませて、難を逃れる。

2010年8月13日金曜日

高宕山実習!

10日から12日まで2泊3日で専門学校の高宕山実習があった。
ここは、日本で6ヶ所あるニホンザルの天然記念物指定地域になっている。
1979年の夏にこの地域を歩き回り、サルを追った。
当時は山の中にも畑があったので、山道がしっかりしていた。

県道沿いでバスを降りて、ガマの穂がある道を歩く。
水田の稲穂を渡る風が気持ち良い。
この辺りで、学生たちはへばり始めている。
富津市宇藤原の外れにあるNPO法人の宿泊施設に落ち着いた後、昼食をとったらもう学生たちは元気、沢に連れていく。
房総半島は最高峰も400メートルちょっとなので、水はぬるい。
とうとう、川に着たまま寝転ぶYa君、もうまったく暑さは感じず。
夜は、この狭い部屋で全員18名が入って、夕食。
アシダカグモやゴキブリで熟睡できなかったようだ。
ようやく、第一日目が終わろうとしている。
半日、ちょっと歩いただけなのに疲れた。

2010年8月10日火曜日

久しぶりの東京湾フェリー

8時20分発の久里浜ー金谷間のフェリーに乗った。6年ぶりだ。
これから専門学校のタカゴ山実習が始まる。
気掛かりは台風の進路。
曇りでも雨が降らなければ万歳だ。
山歩きが楽しみだ。

2010年8月9日月曜日

釧路の湿原!

今年の釧路は例年に比べて温かいせいか、初夏の花がほとんど終わっていた。
低地は湿原、高台はクマザザの群落となる。
アキタブキである。
フキと云えばこの大きなアキタブキしか知らなかった。
フキノトウも赤ん坊の握り拳くらいあり、2、3個採れば十分であった。
5、6月の朝の味噌汁はこのフキの茎であった。
大きく空洞があってストローのようにして汁を吸ったものだ。
釧路動物園の散策路脇のアキタブキ、ぼくの帽子を被せてみた。
フキの葉の大きさや背の高さが分かるでしょう。
オオマツヨイグサが咲いていた。
この花の名前が分からなかった。クサレダマという可愛そうな名前であり、
サクラソウ科・オカトラノオ属である。
これは、サルルン展望台に登った時に、その道沿いのヤマブドウの葉の表面に出ていた不思議な突起物だ。虫えいだと分かるので、「ヤマブドウ、葉、虫」で検索すると、ブドウトックリタマバエというハエの幼虫が一匹入っているようだ。
キンミズヒキである。何だか、関東地方でみるキンミズヒキよりも大きく鮮やかだ。
釧路の郊外の草むらにはどこにでも生えてくるホザキシモツケである。
湿地が好きなようだ。
湯河原にも丹沢にもあるツリガネニンジンである。
花が少し大きいようにおもう。
湿原に咲くタチギボウシである。
これはホソバノヤマハハコかな?
最後に、サルルン展望台への砂利道で、見つけたテン糞。
半分は踏み潰されている。
砂利を道に蒔いて欲しくないが、、、、、。
ブラッセル・釧路に行く前、丹沢でブヨと雨にやられて疲労したのが、ようやく回復してきた。
まだ、アムステルダム・ブラッセルの写真などを整理できていない。
さぁー、明日から二泊三日で専門学校生を連れての千葉の高宕山実習だ。
1、2年生合同で20名近い。
電気釜でしか御飯を炊けない学生たち、ちょっと大変だ。
しかし、今の若者は他人を思いやる気持ちが強いのでやっていけるだろう。

2010年8月8日日曜日

釧路の涼しさの原因!

釧路の夏は全国でもっとも涼しい。
子供の頃は一夏に気温が20度Cを越えるのが2、3度くらいしかなかった。
釧路の港祭りの時の花火大会は寒いので、セーターを着込んで見に行った。
この寒さは、今までずーと釧路沖で寒流と暖流がぶつかるために生じる霧が原因だと思ってきた。キャッチボールもできないほどの濃霧となるので、陽が射さず大地が温められない。

しかし、温暖化が叫ばれて山の植層も少し変わってきている。
晴天の日でも、釧路より北にある根室や北見より涼しい。
釧路の街は湿原地帯と海に囲まれている。
(サルボ展望台より、塘路湖)
広大な湿原の中に大小さまざまなたくさんの湖がある。
陽が射せば、湿原の水の蒸散作用により気化熱で温度が奪われる。
釧路の街の周りで、終日のごとく打ち水をしているようなものだ。

濃霧よる日光不足による低温と、
晴れると水の蒸散作用による気温低下がある。
この二つの自然の要因によって釧路の街の気温は低いのだ!
と帰りの飛行機の中から湿原を阿寒の山々を見ながら感じた。
釧路を、7、8、9月の関東地方の人たちの避暑地として勧めたい。

釧路動物園の中に見事にたくさんの花を咲かせていたサビタの木:
恐らく、当初は園芸用の樹木が植栽されていたのだろう。
サビタの種子が飛んできて芽生え、大きくなっただろう。

2010年8月6日金曜日

サルボ展望台から

叔母さんを連れて湿原を見渡せるサルルン展望台とサルボ展望台に行ってきた。
真夏のサルルン・サルボ展望台は始めてである。
塘路湖の中に茶色の動く物が!
カメラで撮り、拡大するとエゾジカのメスであった。
塘路湖には、水草のヒシ(アイヌ語でベカンベのこと)があるのでそれを食べているようだ。(クリックすると拡大してシカがわかります)
エゾジカが上のように湖に入って水草を食べるのを見たのは始めてだ。
このシーンを眺めながら、ニホンジカが湖に入って水草を食べることがあるだろうか?と思った。
かってはあったことだろうが、現在はそのような光景を見ることはできないであろう。

カモメとカラス

もう何年も幼稚園の庭の木にカラスの巣があり、毎年ヒナが巣立っているという。
このカラスたち庭に撒く餌(主に食事の残り)を綺麗に食べてくれるので、個体識別をして可愛がっているようだ。

大声で妹が呼ぶので、階下におりて行く。
カモメが来ているという。
カモメはカラスよりも二回りも大きいので、カラスはびくびくしている。
今年はサンマが不漁のようなので、カモメたちも港ばかりでなく釧路の市街地でも見られるようだ。

2010年8月5日木曜日

釧路動物園に行く!

お袋の妹たちを車に乗せて、釧路動物園に行く。
入り口の案内がないので危うく通り過ぎそうになる。
駐車場の案内も酷過ぎる。
シカの仲間の北米に生息するワピチがいた。
以前、ここでカリブーを見たことがある。
ワピチはニホンジカより二回りくらい大きい。
身体や目の周りにブヨが集っている。
キタキツネやエゾモモンガがいた。
オジロワシやオオワシがペアーでいた。
類人猿としてシロテテナガザル、オランウータン、チンパンジーがオス・メスでいた。
オランの赤ん坊が生まれている。
カナダカワウソのペアーが仲良くしていた。
帰路、人家も農家も全くないところでれき死体があった。
ネコであった。なぜ、ネコ?と思ったので、ひっくり返して道路から草むらに移した。
上にはすでに、トビとカラスが待っていた。
釧路動物園は内陸にあるため、暑かった。
飼育係とお客とのコンタクトが頻繁にあり、動物園側の良くなろうという姿勢が感じられた。
が、園長を含む、上部は市からの天下りだ。
地方都市の元気の無さ、地方の不活発は行政のあり方を変えることで半分は変わると思った。

2010年8月4日水曜日

釧路の夏!

昨夜、釧路に帰省した。
空港から国道をバスに乗って走った。
これほど暗いとは思わなかった。
地方都市は寂びれてきているが、夜になるとそれが如実にわかる。

涼しいというよりも寒いくらいである。
アムステルダムやブラッセルよりも寒いかな?
釧路を東京の避暑地として売り出したら良いのにと思う。
せめて、夏場だけでもかっての賑わいのある街になってもらいたい。

釧路沖で寒流と暖流がぶつかり合うので、夏の釧路は霧に覆われる。
陽が射せば暑いくらいだが、、、、。
ぼくが子供の頃は肝油を飲まされ、保健室に設置された太陽塔というものにサングラスをかけて入らされた。日照不足によるクル病の予防である。

太陽が顔を出せば、日差しが強いので暖かい。
そのため、花々の色が鮮やかだ。
ダリアは子供の頃、図工の時間にしばしば絵に描いた花である。
ピンクのダリアが咲き。
黄色のダリアが咲き始めていた。
釧路の夏休みは20日までだが、10日を過ぎると秋風が立つ。

今日は、これからお袋の納骨式だ。
8人姉妹の長女だったお袋だが、残っている妹たちは3人。
来釧したおばさんたちは賑やかだ。

嬉しいことに8月1日(日)の北海道新聞で「頭骨コレクション」が本の表紙とともに紹介されていた。
クリックすると拡大します。
是非、読んでみて!
凄くうれしい。

                                       

2010年8月3日火曜日

「ブラッセルのBurtonさんを訪ねる旅」を終えて!

7月27日に成田を発って、8月2日に戻ってきた。
箱根・湯河原のサルを一緒に観察したビフトンさんを訪ねる旅だった。
いつもは、南仏にバカンスに出かけるところを出発を遅らせて
ぼくらを待ち受けてくれた。
アムステルダムに2泊し、列車でブラッセル南駅に着くと、
彼はホームにいた。
25年前に来日した時に、
ぼく等2家族と一緒に思い出の湯河原でキャンプした。

彼が勤めるブラッセルから6つ目の地下鉄駅のモンゴメリー学校の前で:
明るいが、夜の9時を過ぎている。
グラン・プラス近くのシェ・レオンというレストランで美味しいムール貝の食事をした後で、、。
背骨と腰骨の病気のために、骨を削ったようで、背が低くなっていた。
日本には京大の国費留学生として湯河原のサルの調査・観察をしていた。
美味しいブランディーやウィスキーを教わったのは彼からであった。
彼は、カソリックの神父でありながら、科学を志していた。
上の神学校では図書室長?となり学生に教えたり、図書の管理をしている。

湯河原では何度か喧嘩をした間柄でもあった。
酒、パイプ、チェスが大好きな神父でもあった。
箱根・湯河原のサルを観察している時は、我が家に毎週のごとく泊った。
そのため、ジャガイモとキャベツを一緒に煮るだけの簡素なベルギー料理を教わった。

下は最後の日にブラッセル中央駅から空港駅往きの地下鉄を待つ。
暗いがお昼過ぎ頃だ。
オランダもベルギーの少し離れると北海道の景色で農業国というのが良くわかる。
アムステルダムもブラッセルも大都会なのに木々がたくさんあり、花がアイビーゼラニュームやサフイニアが綺麗であった。
街路樹が太く、高く伸びており、それが街を落ち着かせている。
それと、広告の看板・ネオンが少ないのと家々が統一されている。
日本は台風があるから、街路樹は剪定しなけれいけないのだろうし、
日本の町並みは好き勝手な色や建築になっている。

人は赤ん坊・子供・青年・壮年・老人があり、生と死がある。動物たちもそうだ。
人が造る組織や建造物、さらには自然観も生死・老若がある。
アムステルダムやブラッセルは銀髪の中年の街並みだ。
その点、横浜も東京もまだ少しギラツク壮年の街だ。