「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年1月20日火曜日

顎の動きと食性

赤丸の部分は、頭蓋・側頭骨・下顎窩と名付けられている。下顎の関節突起がここに着く。
上から、
ニホンザル
後には下顎は移動できないが、前と左右にはある程度動かせる。
ニホンカモシカ
窩というよりも球状になっており、前後左右に下顎を動かせることが判る。
ニホンジカ
これもカモシカ同様に、下顎を回転させるように動かすことができる。反芻しているときの口のむしゃむしゃやっている状況が判る。
ノウサギ
左右は少しだけだが、前後には大きく移動できる。
臼歯の咬面には横に溝がついているので納得できる。
アフリカオニネズミ(ブク) をネズミの代表とした。
これも前後には大きく可動できる。
以上のように、雑食性のサルや草食性の者達は、堅い葉や樹皮、果実、種子を食べなくてはいけないために、前後、左右に下顎を動かして食物を擂り潰すのに適した関節構造をしている。

しかし、下の肉食性の者達は、関節がまるで車軸のように固定されていて、その中でしか回転運動のように下顎を上下にしか動かせない。
アナグマ
イタチである。
このような関節構造のためもあって、テンたちが果実を食べた時は、咀嚼しないでほぼ全て丸呑みになってしまうのだろう。

2009年1月19日月曜日

女性のアクビ!

秦嶺山脈のキンシコウRhinopithecus roxellanaのアクビ(Yawn)である。 今朝、横浜から乗ったJRは超満員であった。
ぼくの前の女性が大きな口を開けてアクビをした。
彼女の扁桃腺まで見えてしまった。

手も自由に動かせないくらいだったので、手で口元を覆うことは出来なくても下向きにでもアクビをしてもらいたかった。

アジア・アフリカに生息するヒトを含む狭鼻猿類のオスはメスと違って、長くて大きな犬歯をもつ。
オスザルは他個体がいるところで、これ見よがしにアクビを行う(上の写真)。
このアクビは、「ぼくはこんなに凄い犬歯をもっているんだぞ!何かあればこの犬歯で君らを攻撃しますよ!」という誇示行動である。

だから、犬歯のもたないメスはアクビをしない。
順位の低いオスもアクビをしない。
ヒトのオスはヒト化への道を辿るうちに、犬歯が短くメスのようになった。
それでもアクビがでて、大口を開けることがある。
しかし、この時ヒトは口元を手や他の物で隠す。

このヒトの行動は、「ごめんなさい、アクビをしてしまったが、あなた方に敵対心をもっているわけではありません」と口元を手や他の物で隠すように儀式化したと考えられる。

ヒトのオスのメス化は犬歯ばかりではないが、それは置いておくとして、、、。
ヒトのメスが人前で堂々とアクビをするのは、どう考えたら良いのかとぼくは考えている。

2009年1月18日日曜日

酔っ払い!

昨夜は、新宿で釧路湖陵高校の同期会があった。
A、B、C、Dの4クラスの人たちが参加した。
関東近在の者たちや、名古屋やホーチミン市に在住しているという人たちまでいた。
有名企業のエライさんになっている人たちなど第一線で活躍している人たちがいたが、高校時代は話をしたこともなかったような人たちと同じ高校の同期だということだけで、わいわい呑み合えた。

男同士の付き合いは仕事というが、全く仕事など関係なく話し合えるのも凄く良いものだ。
よびかけてくれた世話人に感謝したい。

ぼくは、こういう場では、一人ですぐ盛り上がってしまって、羽目を外してしまう。
学生時代の呑み方からまったく進歩していない、反省である。
寝過ごして、小田原まで行き、結局タクシーで帰ってきた。

咲いた!

カトレアの仲間が咲いた。
以前は、ランや観葉植物などに凝ったことがあった。
アフリカ行きが決まったとき、植物好きの人たちに分譲した。
戻ったら、デンドロ、パフィオ、カトレア、オンシ、セロジネのそれぞれ1、2種だけが生存していた。
手入れをほとんどしなくても我家の環境にあったランたちが生きのこったことになる。
このカトレアは季節に関わらず花を楽しませてくれる。

来月にはパフィオペディラムやデンドロビュームが咲きそうだ。
部屋の中が甘い香りでみたされる。

2009年1月17日土曜日

イヌ科Canidae3属の下顎骨による同定

昨年11月8日にイヌ科Canidae3属の後眼窩突起や鼻骨による違いをしめした。
今日は、3属の下顎による違いを見ていただきます。
上の写真から、タヌキNictereutes procyonoides、キツネVulpes vulpes、イヌCanis familiaris
①:筋突起  
②:関節突起 
③:下顎角  
④:第二下顎角(福田がつけた私的名称)


a)タヌキでは、①の筋突起が下顎体からほぼ垂直に立ち上がる。他2種はゆるやかなカーブを描く。
b)タヌキとキツネでは、①から②への流れがほぼ垂直であるが、イヌでは内側へ入り込むようになる。
c)タヌキでは、③から④へ移行に段差ができるが、キツネ、イヌでは④は不明確である。
という具合に、下顎骨の片割れでも拾ったらイヌ、キツネ、タヌキの区別はできる。
ついでに言うと、イタチ科のアナグマは歯式が3・1・3・2で、タヌキの3・1・4・3(2)とは異なるので、下顎骨が短く、さらに④は不明確だ。

2009年1月16日金曜日

北岳は間違い!甲斐駒だ!

今朝、高取山から見えた『北岳』(過去2度アップ)は、「甲斐駒ケ岳(甲斐駒)」であると教えていただきました。
やまぼうしさん、御指摘ありがとうございます。

実は、今朝も見えていて写真を撮ったのですが、何となく「北岳?」となったためにアップしませんでした。虫が知らせたんですね。
やまぼうしさんは、清川村在住で、自然大好きのようで、高取山や仏果山も庭のように歩いているようです。サルがいるところに在住で羨ましいです。

初丹沢の高取山

5時に目が覚めたので、丹沢へ行くことにする。
お餅を一個焼いて海苔で巻いて食べ、テルモスに熱いコーヒーを容れて車にのる。
それでも家を出たのが6時10分頃で、車を走らせながら何処にいこうか迷う。
が、サルを見つけることにして、昨年末に哲学研究学徒と一緒に歩いて、サルに出合った仏果山に行くことにする。
7時20分に宮ヶ瀬湖沿いにある駐車場に停める。

先日とは逆回りで行こうと考える。
仏果山登山口から登って10分も歩くと、日陰になるところは雪が凍りつき、滑って歩きづらい。
まー、帰りは融けているだろう。
余りにも滑って歩きづらいので、道からちょっと外れて、堅く絞まった雪の上を歩く。
シカ糞を見つける。随分細長いのもある。
テン糞がある。
雪の上のフィールドサインとしての動物の足跡を期待していたのだが、あまりにも雪が降ってから日数が経ちすぎている。
8時27分に高取山に着く。
歩き始め約1時間である。
自分としては、身体全体の贅肉を取るためかなり無理して急いだので、汗だくだ。 道標のすぐ横にある鉄塔でできている四方が見渡せる見晴らし台に登る。
左の赤い矢印の山が丹沢山であり、右の矢印が蛭ヶ岳である。
ぼくは、この高取山と丹沢山・蛭ヶ岳の稜線までの山麓を、這いずりまわっていることになる。
と、目の下で小動物がピョンピョン移動するのが目に入る。
リスが鉄塔の下を走っては止まり、走っては止まりしながら移動していく。
何故か、黒っぽく見えた。
リスが通った辺りに足跡を探したが、雪の表面が堅く凍りついているので、足跡は残らず、残念!
連れ合いから、車を使うので何時に戻るか?とメールが入る。
で、慌てて、小走りでショートカットしながら下りる。
なんと、40分もかからないで車に辿り着く。
汗だくなので、セーターも脱ぐ、窓を開けたまま走る。
何故か、少し、重たい感じがする。
連れ合いの新車で、2度目の運転だ。
警笛がなりっぱなし、2、3度停めてみても分からない。
1キロくらい走って、ようやくサイドブレーキを引いたままであることが分かる。
左側に足でクラッチペダルのようについているやつだ。
スピード違反で酷い目に遭っているので、制限スピードより15キロくらいまでにする。
ともかく、11時5分前に家に戻ることができた。
事故無しですんで良かった。

2009年1月15日木曜日

梅ほころぶ!

今朝、6時30分明るくなってきているので庭をみると梅の花が5、6個開いている。
で、庭に下りてパチリ。
で、西の空を見ると寒空に白い月が浮かんでいる。
月はこちらが庭にでて来たのを見ていたような、、、そんな気にさせた明け方の白い月。
昨日、築地書館の編集者がきた。
「頭骨学入門」の本がGo!となり、本の内容・構成について話しあう。
すでに大きさもページ数も決められている。
薄手の本で不本意だが、名のある書き手ではないので仕方がない。

2009年1月14日水曜日

オジン・オバンと蔑称される原因は!

先日、テレビを見てはっと思った:
箱根駅伝で30年前、40年前の映像が流される。娘「皆、オヤジの身体つき!」。
成人式の特集で糸井重里氏と立花隆氏が爆笑問題と、糸井氏と立花氏の二十歳前後の写真がでる。
糸井氏、ジーンズに革ジャンでバイクに跨る。
立花氏、背広姿でネクタイを締めコートを羽織ってロンドンの街頭での写真、爆笑問題氏「わー、オヤジ!」

ぼくは団塊世代の波頭に立つ。
糸井氏の世代であり、立花氏はかなり上に思っていた。がそうは違わない。しかし、ぼくらの世代あたりで、大人への見方が変わっていった世代のような気がする。高校の時、昭和初期の二十歳前後の大学生が、英語やドイツ語やロシア語などの文学や哲学を翻訳しているのを知って驚いたことがあった。あるいは、明治維新を導いた志士たちも若い。が、肖像画では4,50代のオヤジである。

団塊世代も含めて以前の人たちは、大人への強い憧れがあったのではないだろうか?
そのオヤジ願望が仕草や体躯や思想にまで高められたのではないだろうか?

それが、今はオヤジになりたくない。
青春願望のような状態がずーと続いているのは何故なのだろう。

それは、経済成長を求めてきた、消費生活にあると考えられる。
常に新しいバージョンのものが発表され、消費者はそれに飛びつく。
新しいモノほど優れている。
古いモノはダメという考え方の流れが作られている。

オヤジ・オバン(=古いモノ)と蔑称され、さらに、元気の良い若者がもて囃されることから、それが社会全体の軽さを生み出している。
閉塞感があるのに軽い社会は、恐ろしく嫌な感じがする。

2009年1月11日日曜日

ネズミ科の頭骨の不思議

上の頭骨はニホンハタネズミ(茨城県産)のものである。
①:後頭骨、②:間頭頂骨、③:頭頂骨、④:前頭骨、⑤:鼻骨、⑥:側頭骨、⑦:上顎骨頬骨(上顎骨と頬骨が分かれていない)、⑧:上顎骨、⑨:聴胞、⑩:前顎骨である。

ネズミ目(RODENTIA)の中で、ネズミ科(MURIDAE)だけが、ネズミ目の他の動物やサル目(PRIMATES)やネコ目(CARNIVORA)などの他の動物の頭蓋骨には無い骨をもっている。

それは、②の間頭頂骨である。

子供の時ほど骨の数は多いが、成長すると骨の数が少なくなる(例:ヒト子供約270個、ヒト大人約200個)。また、祖先型から発展した動物は骨の数が少なくなる傾向がある(例:ウマの足)。

日本に生息する他の動物で間頭頂骨をもっているのはモグラ目(INSECTIVORA)である。

頭骨の大きな骨の数だけを問題にすると、日本産の動物においては、ネズミ目のネズミ科の動物とモグラ目のモグラ科の動物の頭骨は、哺乳類の祖先型に近いと言えるのではないだろうか。

初氷

庭の睡蓮鉢をみたら、凍っていた。
昨日から凍っていたのだろうか、昨朝の方が冷えていて近所の屋根には霜が下りていたから、今朝ではなく昨日から凍っていたのだろう。
初氷だ。
何となく嬉しいのがおかしい。
もう、このあたりでは氷は見られないのかと思っていた矢先だった。
そうそう、昨日は冷えたので、グッピーのためにヒーターと循環器をとりつけてやったのだ。
グッピーは釧路の昨年の夏に実家からペアーをもらってきたのだが、実家では真冬でもヒーターをいれていないのに、元気に泳ぎ回っている。もっとも室温が20度くらいあるので、水温も同程度になっているのだろう。
我家では、と言うよりも関東地方の家々の室温は釧路の実家よりも明らかに低い。釧路から戻った時は部屋の中が寒いくらいに感じたほどだ。そのためだろう、グッピーもほとんど動かず、日中の陽が射す時だけ泳いでいた。
しかし、今はもう休むことなく泳ぎ、昨夏生まれた子供が大きくなって親に性行動さえとり始めている。

関東地方に住むようになって、こちらの人々を見て思うことは、関東はある程度寒いのだから、厚手の下着やセーター、オーバーをしっかり着て、手袋や耳あてなどをつけるともっともっと活発に動き回れるのにと思ってしまう。
手袋をしないで袖の中に隠すようにして歩くのを、親から貧相だから、手袋をつけろ!と注意されたものだ。

2009年1月10日土曜日

チェンジしない風土

昨日の湯河原実習で、見つけたフキノウトウ。
このフキノウトウが出る場所は、ぼくの秘密の場所だ。
何十年も前から、ここだけが雪があっても顔を出す。
もちろん、昨日は寒かったが雨。
花が開いているのが二個もあった。
これを、2、3日水に浸けて、もう少し成長を促して大きくしてからいただく。
春の苦さを1月に味わえるなんて幸せだ。
昨日、冷たい雨中を探した甲斐があったのだ。
もっとも膝から下の裾がびしょびしょに濡れたが、帰りの「ままねの湯」でそれさえも解消された。
奥湯河原から広河原までの道路沿いの家並みは変わったが、山の中は木々が大きくなっただけで40年前と変わっていない。以前、あった大きなモミはあるし、大きくなったら碁盤に欲しいなぁーと思っていたカヤの木もある。沢沿いは台風や梅雨時の豪雨で流れが変わって土手が削られたりして少し変わっているが、尾根沿いや斜面は以前のままだ。
日向にはちゃんとフキノウトウが顔を出していた。
ある地域で代々農業を漁業を、あるいは製造、加工業を行ってきたのは、それで生活する人々はその地域の事を良く知っていたからであり、文化が継承されていくことになる。
チェンジ!チェンジ!と叫ばれているが、チェンジしない自然があるからこそ我々の生活があるのだと思う。
もう少し、否、しっかりその土地の風土に根差した生活スタイルを取り戻すべきではないだろうか!!

2009年1月9日金曜日

雨の湯河原実習

今日は、雨の中の専門学校の野外実習であった。

場所はぼくの青春の場とも云うべき湯河原である。
朝から雨なので参加者は2、3名かなと思っていたが、10名中6名だった。
小雨が絶え間なく降り、ガスっていて寒い。 湯河原から奥湯河原までバスで行き、広河原を通って、天昭山野猿公園跡を過ぎて間もなく沢からアオサキが一羽飛び出す。

しばらく歩いていると、イノシシのコドモが一頭、慌てて我々の3、4メートル前を右往左往する。3、40秒はあったように思う。十分に写真を撮れたのに、こちらは、カメラを構えて写真を撮る真似をしただけ。

沢に流れ込む小いさな流れで、土壌動物を漁っていたようだ(下の写真)。 天昭山神社でお昼にしたが、お賽銭箱があるあたりも雨滴が飛び跳ねて、座れる場所がない。それでも、座って、ぼくは白ガソリンのストーブをつけて、インスタントラーメンに卵、餅、キャベツを入れてたべる。

お昼を食べた後は、神社周辺のムササビやハクビシンの巣穴と思われる場所を皆で観察。ムササビがちょっと何事かと顔を出したがすぐ引っ込む。
白雲の滝まで行くが、滝壷が埋まってしまっており、かってそこで泳いだ場所の面影なし。女子3名が傘を持って滝の下まで行く。 滝から神社に戻り、荷物を持って帰ることにする。
餌場跡で、ノウサギの糞を探したが見つからず。フキノトウを見付ける。

寒かったが、湯治場の「ままねの湯」まで歩き、200円で十分に温まる。生憎の冷たい雨で山を歩くことができなかったが、温泉に入ることができたので救われた。

2009年1月8日木曜日

2匹のハタネズミ!

12月17日のブログに載せたハタネズミが大分腐ってきた。蓋をあけると猛烈に臭う。この2週間、帰省していたので蓋を閉めたまま机の下に置いておいたため、腐りのスピードが落ちたようだ。
2月には綺麗な骨を得られるだろう。
で、take隊員からもらったもう一体を今日、解剖し除肉し、水につけた。こちらのハタネズミも立派な身体だ。2匹とも頭骨は完全で、壊れていないようだ。

梅にメジロ

狭い庭の梅にウグイスではなく、二羽のメジロがやってきた。
さらに、ヤマガラが一羽、ナツツバキの木にいる。
二羽が一緒にとまったら、シャターを押そうと思っていたが、仲が悪いのか、あるいは仲が良いのか?近くに相手がくると追い払う。オスとメスの性行動とは思えない。が、ぼくは鳥痴だ。ケンカするほど仲が良いのか?不思議な二羽であった。いずれにしても穏やかな新春という言葉が当てはまるお昼前である。
白梅も来週始めには開きそうだ。

2009年1月7日水曜日

早くも春!

帰省する前の12月23日のブログで紹介した近くの円行公園の紅梅を見に行った。何と、もう満開であった。釧路は氷の世界だが、藤沢は早くも春が始まっている。
我が家の庭に水仙も花盛りだ。
庭の白梅の芽も膨らんできている。
と、書いてきて、、、、。
え?どうして? と疑問が生まれた。
公園には紅梅と白梅があるが、白梅の花芽はまだ開くのに2週間はかかりそう。
何故、紅梅の方が白梅よりも開花が早いの?
家人はチューリップなども花の色によって開花時季が少し異なると言う。

2009年1月5日月曜日

啄木の碑

これは港が見える米町公園にある啄木の短歌が刻みこまれている碑である。
「しらじらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな」
釧路は魚の港町であり、荒っぽい気性のところである。
西国出身の私の友人は、釧路を含む道東地方は民度が低いところだと称した。
確かに、西国の女性と比べると釧路の女性はガサツである。
にも関わらず、釧路では啄木のようなひ弱とも思えるような文学者好きである。
わずか数年しか釧路に滞在していなかったのに、啄木などを称える「港文館」まである。

ぼくも、子供の頃から啄木に親しんできた。

2009年1月4日日曜日

老母の脳梗塞

あと数日で92歳になるお袋が脳梗塞で倒れたのが一昨年の暮であった。

入院していた頃の症状:
視野狭窄が生じているようで、ぼくの顔が半分しか見えない。
字は全く理解することができない。平仮名でさえも読むことができない。
しかし、字を書くことができる。難しい漢字さえも書くことができる。
顔つきは呆けた感じ。

1ヶ月後の1月下旬には退院して10月までの症状:
テレビを見ることができない。読み・書きに関しては入院時の状態。
自分の記録を書き始めたが、書いたものを読み返すことができないので、途中で挫折。
妹を含め近親者に対して、烈火のごとく怒る。
同じ事を1日に何度も聞く。
息子・娘の言に従わない。
顔つきは般若の如し。

11月から2009年1月の現在までの症状:
テレビを見、新聞を読む。
年賀状を書く。
昨日から自分でテレビをつけられるようになった。
昨年の病状について尋ねたが、覚えていないようだ。
顔つきが脳梗塞前の顔に戻っている。

朝・昼・夜と三回薬を飲んでいるが、その量が半分になっている。
脳梗塞で、詰まっていた毛細血管の流れが良くなっているのかもしれない。
自分では、あと5年くらいは生きそうだと云う。
今回は実家に戻り、始めてお袋に感謝される。

脳梗塞後、退院して家に戻ってから、風呂のスイッチ(ぼくは複雑すぎて出来ない)、トイレの操作、戸締り、ガスストーブの火の点火・消火、ガスレンジの点火、電子レンジで食物を温めるは、問題なくできるが、テレビのリモコンの操作、電動按摩椅子の操作は出来なかった。

これが、ぼくがいる間に、テレビや電動按摩椅子の操作ができるようになった。
テレビや按摩椅子は脳梗塞になる前の2年前に買ったものであるが、他はもう15年近く馴染んだものである。
トイレも家のものは操作できるが、病院ではどうしたら良いのか一人では使いこなせない。

老人にとっては馴れた物や事が一番である。ぼくでも電車の切符を買うのに切符販売機に手こずることが多い。高齢者医療制度の変化を含めて、めまぐるしく変わる世の中は老人にとってはさぞかし住み辛いことは疑いがない。

政府は、50年、100年を見据えた変わらない政策を打ち出して欲しいものだ。また、めまぐるしく出てくる新製品、売らんかなの小刻みの新製品は止めてもらたい、10年、20年でも部品交換ができる良い製品を作って欲しい。それが、環境をも考えることに繋がるだろうし、高齢者にとっても安心して暮らせることになる。

和商市場

釧路駅前の和商市場:
1945年の戦後に駅前に集まった露天で市場が始まった。
ぼくが子供の頃も和商で昆布などの乾物や魚介類を買いにいった思い出がある。
当時の市場は、上野のアメ横と同じで、地面は野菜屑などが落ちており、活気とともに異様な匂いがした。
今日、昼ちょっと前に行ってみたが、開いているのは乾物屋さんなどの土産物店だけであり、鮮魚や野菜・果物などを売る店はまだ閉じていた。
そのためだろうか? お客もほとんどいなく閑散としたものだ。
明日帰るので、今夜食べる美味しい魚介でもと思ってきたが、肩透かしだった。

2009年1月3日土曜日

阿寒国際つるセンターまでの「まりも国道」

車の中から「阿寒国際つるセンター」までの道沿いの景色:
国道240号線は、釧路から網走までの一般国道だ。釧路から阿寒湖までを「まりも国道」と呼んで親しんでいる。

大楽毛から、「まりも国道」に入った車窓からみた景色
時々、シカ飛び出し注意の看板がある。
今回は、行きも帰りも周囲の牧場にシカが出ていないか注意していたが、一頭も確認できず。
もうすぐ、阿寒町である。
快晴なら、雌阿寒岳や雄雄阿寒岳が前方に見える筈なのだが、ダメ。
5月くらいになると道路沿いでは、コゴミ、アイヌネギ、ウド、ワラビなどの山菜を1時間もあれば、いっぱい採れる。
阿寒町に入る。
ここから、ツルセンターまでもう少し。
つるセンターで、カメラパーソンたちの横の垣根越しの藪にスズメがたくさんいた。
みな、寒くて「ふくら雀」になっていた。

ふくら雀になっているせいか、神奈川県でみるスズメよりも一回り大きい感じがしたので、何度もお前たちスズメだよね!と確かめてしまった。

2009年1月2日金曜日

ツルセンターでの給餌

タンチョウヅル雪原に広がってなんとなく手持ちぶたさ。
タチョウたち同じ方向に目を向ける。
タンチョウもカラスもカメラパーソンたちも騒がしくなる。
バケツを持っておじさんがでてくる。
餌(何か不明、ドジョウ?トウモロコシ?)を撒きはじめる。
オジロワシたちが十数羽旋回し始める。
何羽ものオジロワシが餌を取ろうと急降下し始める。
この時、餌がトウモロコシではないことを知る。
カメラパーソンたちのお喋りは完全に止み、シャッターを押すと同時に3コマ撮れるように設定している音が響き渡る。
ぼくのカメラで瞬間的映像はとても撮れないので、カメラパーソンたちを写すことになる。
ぼくにとっては非常に異様な光景であった。
まず、タンチョウヅルはもう十分な個体数になっているだろう。
もう、絶滅の危機をまぬがれている筈なので、餌付けを続ける必要性があるのだろうか?
ぼくが高校生くらいの頃、タンチョウヅルの写真を撮る釧路在住の医者の林田恒夫さんがいた。
彼は、年中一人で、タンチョウを追って、写真を撮っていたと記憶している。
皆、裕福になって多くの人が高額なカメラを買い揃えることができるようになった。
その一方、生き物を見つめる姿勢の大事なものが失われてしまった印象をもっている。
素晴らしい写真とは高額な機材から生まれるとはかぎらない。

2009年1月1日木曜日

阿寒タンチョウ観察センター分館

昼食後、温かくなってきたのでお袋を連れて阿寒国際ツルセンターに妹の運転で行ってきた。
「生まれて始めて野外でこんなに多くのタンチョウヅルを見た!」お袋が感激して云う。
タンチョウヅル、カラス、オオワシ、オジロワシ、スズメ、キタキツネをみた。
温暖化の影響か?
元旦なのに道路の雪が解け、しかも阿寒は釧路に比べるとはるかに雪が多いところなのにせいぜい30センチくらいなものか、、、。
元旦なので国道はトラックなどの営業車は走っておらず、車はちらほらしか見えない。
が、阿寒国際ツルセンターの駐車場は空いているところを探さなければならないほどだ。
別館のタンチョウ観察センターに行って大人一人400円を払って外にでると、200羽以上いるタンチョウヅルを写真に撮ろうとする中高年のカメラパーセンの人たちが6、70人はいる。
多くは、一メートルはあろうかと思えるような長い筒上のレンズをつけて、お喋りをしながら何かを待っている。
おそらく大半のカメラパーソンはアマチュアなのだろう。男性ばかりでなく女性もいる。顔馴染みがいるようだ、声を掛け合い、鶴居だ、羅臼だと話しをしている。情報を交換し合っているようだ。
オジロワシが十羽くらいでやってきた、ジー、ジー、ジーと皆レンズを向けてシャッターを押す。
ぼくは、思わず、カメラパーソンたちを撮ってしまった。

新年おめでとう御座います。

2009年元旦6時50分の朝焼け

皆様、今年も宜しくおねがいします。

ここは運河公園と言って、釧路川と新釧路川を結ぶ運河であった。
ぼくが子供のころはすでに無用となっており、埋め戻されて緑地帯となっている。
新しい年が始まって、外に出た。
寒さもあって身が引き締まる。
車で朝日が海から昇るところまで行こうと思ったのだが、道がアイスバーン状態なので諦めた。
一台の車も走ってない。
で、近くの運河公園まで行って朝日!と思ったが、灰色の雲が空を覆っている。
今年は、さまざまな雲をとり除いて歩かなければいけない。
まず、歩く道をしっかり決めなくては!
不惑の歳はとうに過ぎたのに、ぼくはいつまでも想い悩む。