「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年9月11日木曜日

心地良い文化の違い

mainichi.jp/life/love/news/20080909org100036000c.html参照

フランスの独身女性法相が妊娠し、それが新聞を賑わせている。
独身なのにお腹の大きいのを指摘されて法相は;
私の私生活は複雑なの、、、、。
お腹の子が安定するまで静かにして、、、。
お国が違えばこれほど違うものかと思うほど、彼女の言葉は心地良いほどだ。
しかも、うるさい記者たちも納得する。
公の仕事と私生活と一緒にしないで、分けて考えられることが素晴らしい。
それが、日本ではどうだろう。
公私の区別なく業者と夫婦でゴルフをやったりしていた役人が捕まったけ!
議員や閣僚という権力をチラつかせて、賄賂を受け取ったのは誰だったけ?

変化した環境に対応できない


早朝の散歩から戻って、我家と隣の家の境目の門柱の間を何気なく除くと見たこともない変なものがいる。
木の枝でそぉーと取り出してみた。
なんのことはない。セミである。

アブラゼミの幼虫が地中からでて地面のコンクリートの上を最短でも4メートル歩き、門柱の間の隙間を登り始めた。
が、隙間の間で脱皮が始まった。
コンクリートと鉄の門柱の間は2センチあまりしかない。
幼虫の殻から脱皮しようにも、これ以上身体を出すことができなかったのだ。
翌日、アリに見つかって殺されてしまったのだろう。
内臓が食べられている。

セミが生まれる場所は親によって選ばれる。が、生まれた子供にとっては、生まれた場所から地中生活をして、さらに再び地上に出てきても、祖先たちが行ってきたように、只、登れば良いというものではない。それを選ぶ能力は見につけていない。

セミの生息する環境の変化は、100年前とは雲泥の差だろう。
セミが100年間でヒトが変えた環境に対応して、行動・生態を変えることなどできない。
ヒトは自分で自分の生息環境を作り変えてる動物である。
が、多くのヒトは激しく変わる環境に対応できなく、病死、事故死、自殺となって現われている。
ヒトは、自分で自分の生存を妨げる動物となっていることに気が付かなければいけない。

2008年9月10日水曜日

若者の目

先日、専門学校の卒業生と横浜で飲んだ。
彼女は、専門学校を出た後、青年協力隊で環境教育指導ということでガテマラに行っていた。
そこで、ワシントン条約では取引が禁止されている野生動物たちが、取引されている現場をみてきた。
中米の野生鳥獣が、日本を含む国々に流れていく。
自分の小さな存在では、取引を止めさせることは並大抵の努力ではダメだと知った。

ガテマラにいる時、日本の大学に野生鳥獣の取引に関するそんなことを調査・研究している大学があるなら大学に進学したいと言っていた。
スペイン語はもう自由に議論をできるくらいになっているようだ。
帰国してから、帯広畜産大学に進学した。

今回、横浜で会ったのは、夏休みを兼ねて東京にあるWWF内のTraffic Japanに研修に来ていたのだ。
彼女はスペイン語ばかりでなく、英語も自由に操れるようになるために英国に留学したいという。

夢を語る彼女の顔は、ぼくが以前知っている顔でなく、眩しいほど輝く目をしている若者の目になっている。
久しぶりの輝く目だ!
輝く目を持っている若者は、それだけで周囲の者たちに明るさと勇気をくれる。
多くの輝く目を持った若者が出てきて欲しい。それは、中年を過ぎた大人の問題なのだろう。

2008年9月8日月曜日

ジョギング(続)

北京オリンピックが終わった。
男女ともマラソンは惨敗に終わった。
金メダル候補と目されていた野口選手はオリンピックそのものにも参加できなかった。
野口選手は、オリンピックの前のインタビューで、走ることが好きであり、走った距離はウソをつかないと練習すればするほどタイムが良くなるようなことを言っていた。

ランニング中毒だった2,30年前までのぼくなら、そうだ!と野口選手の言葉に相槌を打っていただろう。
ぼくは、今年の春頃だったか野口選手の言葉を聞いて、余り走るな!走るならストレッチやイメージトレーニングをしなさいと言ってあげたいと思った。

男子マラソンの金メダリストのケニヤの選手は、50位以下に終わった日本の男子選手のことで、日本選手は練習をし過ぎるような発言をネットで見た。

どうも、日本のマラソンは科学的トレーニングから程遠いところの、コーチや選手の経験で走り込み練習に励んでいるとしか思えない。そういう科学的トレーニングの欠如が今回のオリンピックの結果ではないかと思っている。

野口選手や土佐選手のような可哀想な選手を出さないような指導・トレーニングをしてもらいたいものだ。

ジョギング

このところ4、50分くらいの散歩をしている。
歩くコースは、横浜市と藤沢市の市境を流れる境川に沿って作られたサイクリングロード。
5時頃、行くと、ジョギングをする者、イヌを散歩させる者、自転車に乗る者などがいる。

2、30年くらい前は、1日100キロを目標に朝、昼、夜と走っていた。
前に走っている人を見つけると、追い越すことを楽しみにしていた。
そのため、ジョギングではなくランニングだと言われたりした。
膝が痛く、椅子に座っていても立ち上がる時が一苦労であり、吊り皮にぶら下っていて目的の駅について最初の一歩、二歩を踏み出す時に膝が痛く、フラフラしながら歩いた。
しかし、走りだすと痛みがなくなり無限に走れそうな感じになった。

走ることを辞めたのは、ぼくの本来の仕事に支障をきたすようになったからだ。
山の登りは問題がない。が、下りは膝が痛く荷物を持ってもらっても下ることができなかった。
下る時に膝痛になるので、登りの歩き方を考えるようになった。
なるべく膝に力をいれないでゆっくり登ることを心がけた。
それでも15年以上も膝痛で悩んだ。

2本のストックを持ち始めたときは、まるでシカかカモシカのような四足動物になったような、四輪駆動にギアーチェンジしたような楽な気持ちになった。
下りも楽になった。が、楽になった分歩きすぎた。
膝へのサポーターもダメ、膝痛用のサプリメントも無意味。
膝痛はもう治らないものだと諦めた。
ただ、山の歩き方だけは変わった。
膝が痛くならないように登りも下りもそろりそろりと老人が歩くような歩き方となった。
その結果、膝痛から解放された。一泊二日くらいの登山なら全く平気となった。

そんな力を入れない歩き方は、足の筋肉ばかりか腹の筋肉もタルマセテしまった。
自分で早く歩いているつもりでも、サラリーマンたちに追い抜かれる。
足首の蹴る力や足全体の筋力が弱ってしまっている。

もう限界だと、今、街を歩く時は足首に力をいれて、跳ねを効かすようにして歩いている。
階段もできるだけ2段跳びに登っている。
散歩しながら、時々、ジョギングをしている。
膝はまだ痛くなってこないが、ちょっと不安でもある。

2008年9月7日日曜日

タメ糞、サル糞、食痕

丹沢日帰り学生実習の続き
 複数のイノシシが湿った地面を歩き回り、ミミズをさがし回った痕
アオバトの死骸:何故か頭部の毛が毟られて頭骨が出ていた。誰の仕業なのか?ぼくらが来たために獲物をそのままにして逃げたのだ。死後硬直した状態だった。
カモシカのエゴノキの樹皮食いの食痕:学生が樹皮に挟まった毛を見つける。このエゴノキは毎年のように同じように他の幹が食べられている。
タヌキの溜め糞である。これは前日か早朝のものだ。1メートルも離れていないところに溜め糞が昆虫たちに土中に運び込まれた、直径5、6ミリの穴が地面にたくさん開いていた。同じ穴が糞塊の右上にもある。
サル糞である。もう2、3週間も前のものであろう。黒く固くなっている。
5日(金)の東丹沢・尾根歩き(土山峠・宮ヶ瀬尾根・鍋割・登山道・辺室山・土山峠)は、雨と蒸し暑さを覚悟していたのに、実に涼しく気持ちが良かった。後1ヶ月もするともっともっと涼しくなってきて、サルやシカたちの恋の季節が始まる。

2008年9月6日土曜日

キノコがいっぱい!

昨日の丹沢日帰り実習の続きです。

ウラグロニガイグチ:イグチの仲間がいろいろたくさんあった。
キンチャヤマイグチ:これと上のはお持ち帰りした。
ノウタケ:ホコリタケの仲間、他にホコリタケや、似たものに栗のようなツチグリがあった。
これは、採集してきたが、バス停留でキノコを分けていたら、マシュマロのような白い部分が、黒っぽく溶けかかってきたので、捨ててきた。一つはぼくが持ってきた。
これは、恐ろしい毒キノコのタマゴタケの仲間のテングタケの幼菌
これと、傘も茎も真っ白のドクツルタケがあった。赤い傘に白い斑点のあるベニテングタケはなかった。
カラカサタケもあった。これは、ぼくが天麩羅用にもらう。
不明、食べられそう。だがあやしそうなので、採らなかった。美味しいものだったら、残念。
この一見、ハツタケ風のキノコが多かった。食べれるかなと思って5個採ってきたが、まだ同定できていない。
タマゴタケは採りきれないほどで、イグチの仲間もたくさんでており、また、さまざまなキノコを見つけた。不明なキノコが多すぎるので調べる意欲が失われる。下ばかり見て歩いたせいかキクラゲの仲間は一つも見つけなかった。

クマ、熊の糞

9月5日の丹沢実習のコースは、7月19日に矢部さんと歩いたコースである。
宮ヶ瀬尾根を物見峠の方に歩いていると、昨日か一昨日のものと思われるクマの糞をみつける。
半端な量ではないし、内容物として一様に大きなタネが混じっている。
学生たちが、クマ糞を指さす。
上の場所から3メートルくらい離れた斜面の木の根元に(丁度、今ぼくがカメラを構えている足元)、その3、4倍の量のクマ糞をみつける。もちろん、内容物は上の写真と同じものだ。
土山峠の辺室山登山道口にも、宮ヶ瀬尾根を越えたハタチ沢に沿った林道終点にもクマ出没注意の看板があり、ハタチ沢では三日前にクマ檻をみつけている。矢部さんがブログに載せている。
http://ko1fujisawa.blogspot.com/
このあたりには、糞の量からすると割と大きなクマが生息しているようだ。
尾根上に大量に赤みがかったヤマボウシの果実が散乱している。
学生たちにも食べることを勧める。
皆、甘い、粉っぽいが甘いと言う。
ヤマボウシのタネが、クマ糞に含まれるタネであった。
このクマ、清川村の農耕地や市街地に出没しないで、この東丹沢の山麓で生活してもらいたい。そして、一度くらいは山中で会いたいものだ。

2008年9月5日金曜日

大量収穫のタマゴタケ

今日の丹沢日帰り実習:
参加した専門学校の学生は4/10であった。4人とも突然の雨に備えて傘とレインコート、着替えを準備してきていた。
しかも、暑い中を汗をかきながら尾根を登ったり降りたりすることを覚悟してきた。
ぼくは、バスの中で突然、今日の目的地の変更を宣言する。人数が少ないので、少し厳しいコースをやることにした。

不思議なほど涼しく、どうしてこんなに涼しいの何度も皆で言い合った。
だから、爽やかな冷風を受けて、Tシャツでは寒いくらいだった。こんなにもタマゴタケを見つけ採集したことはない。実家から通っている女子二人には、家庭内のだれもが3本づつ食べられる以上の収穫があり、この写真の後からは、もう見つけても採集はしなかった。

今頃、ぼくが教えたバター焼きで醤油を掛けて食べるやりかたをしていることだろう。
さらに、巨大なホコリタケの仲間の幼菌などもたくさん採った。
雨を覚悟していたのに、涼しく、キノコ狩りのような一日であった。

今日は日帰り丹沢実習

雨模様の日がつづく
一昨日、昨日の天気予報、今朝の予報、皆、違う。
はっきりしているのは、何時雨が降ってもおかしくないということだ。

天気を予測できないとは、、、、。
まるで、真夏に梅雨がやってきたかのようだ。
晴れていても、急に暗雲がたれこめて雨となる。

その雨も降れば豪雨。

今日は、代えの上着や下着をもっていく、もちろん傘やレインコートももつ。
学生たちはさぞブーブーいうだろう。

動物は雨でも雪が降っても野山にいる。早朝も夜中も彼等は野山で暮らしている。
だから、ぼくらは雨の日も山に入るのだと学生に話している。

2008年9月4日木曜日

喉仏・のどぼとけ

昨日、ハタチ沢沿いの林道終点近くでアナグマの脊柱の一部の頚椎と胸椎をみつけて、頚椎の端の連なった三つの骨をもってきた。

ヒトをふくむ多くの哺乳類の首の骨(頚椎)は、首の長いキリンであろうとも7つの骨よりなっている。頭蓋骨に接する最初の頚椎を環椎、2番目の頚椎を軸椎という。

拾ってきた3つの頚椎は、軸椎(右端)と第3頚椎と第4頚椎(左端)であり、軸椎を喉仏とも呼ばれる。 親父が火葬されて、窯から出されてきた時に、葬儀社の職員が、何故か軸椎を取り上げて喉仏ですと別に置いた。ぼくは反射的に違うと小声で言った。

通常、ぼくらが言ってるノドボトケ(水を飲むと動くのでわかる)は触ることができる。触ってみて!
ぼくは、このノドボトケのことを葬儀社の職員が言ったのだと思った。

実は、後で知ったことなのだが、葬儀社の職員の言ったことが正しかったのである。

第2頚椎の軸椎をその形が仏様に似ていることから喉仏(ノドボトケ)と名付けられていたようだ。後になって、普通にぼくらが言っている軟骨でできている喉の出っ張りもノドボトケと言うようになったようだ。

しかし、軸椎をどう見たら、仏様に似ているのか、どのようにながめまわしてもダメ。仏の心、慈悲の心が乏しいのだろう。

2008年9月3日水曜日

ゲリラ豪雨後の丹沢

9月3日:東丹沢、ハタチ沢沿いの林道を歩く。
5時に矢部さんの車に乗って丹沢へ向かう。1時間ちょっとで着く。
宮ヶ瀬湖にそそぎこむ中津川の水面は流木や枯葉などが密集している。まるで、間違ってコーヒーの粉を撒いたようだ。
林道一面が河原のように砂、石、木の枝が散在している。
斜面の大きな木も根こそぎ倒れている。
スギ林の斜面をみると間伐された丸太などが林道方向に向かって流されている。
林道終点付近で、頚椎、脊椎、肋骨がひとまとまりとなっている。
豪雨によって、流れにくい、転がりにくい脊骨も斜面から流されたのだろう。
先日、見つけたアナグマのものだと思う。頚椎を持ち帰る。
矢部さんが言うには、先日、神奈川県の北東部は豪雨に襲われたということだ。
山の斜面の間伐材や枝打ちされた木々が流れ落ち。
斜面の土砂や岩が流されて、土石流のようになって林道上を流れた痕がいたるとこに残る。
林道歩きでこうだから、山の中は荒れ放題で、登山道や尾根道も倒木や岩が転げていたりして歩きづらくなっていることだろう。
全国の多くの山が最近の豪雨で荒れてしまっているだろう。
動物たちもさぞかし今夏は驚いているかもしれない。

2008年9月1日月曜日

値段は自分が決める

ベトナム通貨の10万ドン紙幣の裏側である。
日本円の価値で650円くらいの価値がある。
久しぶりの海外で、あらためて物の価値、値段について考えさせられた。
物の値段は交渉によって決まる。
一個のオレンジを買うのも、
一切れの豚肉を買うのも、
トイレットペーパーを買うのも、
タクシーに乗るのも、
話し合いによって決まる。

高い(=損をした)か安い(=得をした)かは、買う側のその物に対する価値をどのように置いているかだ。
物の価値というものは、その物を必要とする者と、それを欲しい者との交渉によって決まる。
塩を渇望している者は、塩10キロと牛1頭を交換して得したと思う。
一方、牛を欲しかった者は、塩10キロを得て得したと思う。
物々交換の時代はこうやってそれぞれの物の価値が決まったのだ。

今は世界中どこでもお金で物と交換できる貨幣経済の世の中だ。

日本では、ありとあらゆるお店で物の値段が決まって貼り出されている。
売る側が、買う側の反応を見て一方的に値段を決めているのだ。
しかし、生産者と仲買業者との間では話し合いが行われている。
豊作であれば、値が下がるから畑の野菜がブルトーザーで踏み潰される。
以前なら、生産者から消費者へ安く大量に与えることができたのに、、。

2008年8月31日日曜日

夏痩せ!

サルたちにとっては、夏は冬に次いで食べるものが無い季節である。
春は柔らかい新葉や蕾、花がまわりにあふれる。
秋はおいしいドングリや果実がたくさんある。
真夏は、葉も堅くなりおいしくない。昆虫は豊富だが、腹を満たせるほどつかまれられない。
冬は、もう樹皮や冬芽だ。

真夏は、美味しい食物をもとめて一年で最も長い距離を遊動しなければならない。
当然、痩せる。毛代わりが5月から始まるので、真夏のサルは気の毒なくらい猿相がかわる。
写真は1975年7月の箱根T群の親子。母親の柔毛がおちて皮膚が見えている。
ヒトである僕は「夏痩せ」したことがなく、子供の頃から夏休みになると太る。
夏休みは、宿題を終え、外を駆け回って戻ると、美味しいスイカを腹がはちきれる程食べ、サイダーを飲み、冷たいキャンディーを食べ、また、外に出ていく。
お昼の、お米より大好きなトウモロコシやカボチャ、ジャガイモを食べ、しかもポケットにしのばせて外に出ていき、暗くなってから戻る。
遊び疲れているので、夕食後はそのまま寝てしまった。そう、よく牛になると怒られたものだ。

今は、冷たいキャンディーがビールに変わった。

サルたちは、秋になるとたくましく見えるほどがっちりした身体に変わる。
一方、ぼくは秋になり、学校が始まると痩せていった。
が、今は、夏も秋も年中ビールを飲んでいるので、今夏は一層腹回りが大きくなった。

2008年8月30日土曜日

物が一杯

今回のベトナム旅行で、ホーチミンの書斎をみた。
何も無い部屋と言っても言い過ぎではないほどの、簡素・簡潔な部屋である。
机の上にあるのは電気スタンドとペン立てと文鎮くらいなものだ、他は何も無い。
わが部屋は、ホーチミンの部屋の半分くらいの6畳間。
動物の死体やビールが入った冷蔵庫
スチール製のファイルボックス
床から天井までの部屋の片面一面の本棚や衣類が入るロッカー
植木鉢や水槽や本を乗せているワゴンが三つ
骨の入った箱、山道具の入った箱
山用の大きなザックや街用の小さなザックやカバンなど

さらに、机やファイルボックスや箱の上に、電話、3台のパソコン、蛍光灯スタンド、オーディオ機器、CDやMD、プリンター、スキャナーなどゴチャゴチャとした文房具が散らばる。

ホーチミンが現在生きていたらどのような書斎になっただろうか?
やはり、簡素・簡潔な書斎だろう。

今度のベトナム旅行は食べ過ぎ、飲み過ぎの旅でもあった。
我家に戻り、お茶漬けを食べ、自省の念にかられる。

2008年8月29日金曜日

こんなところにもカブトガニ!

8月23日:ハノイから約4時間かかって180キロ離れた世界遺産のハロル湾に行った。

遊覧船が何艘もあり、湾内の奇岩・奇峰を巡る。
水上生活村に立ち寄った。

カブトガニがサメのような魚と一緒に生け簀に入ってる。
カブトガニは美味しいようだが、裏返したのを見ると巨大なゴキブリのようでもあり、食べる気持ちが失せた。
話しの種に食べてみるんだった。

残りはホームページの自然の中でアップしていくつもりです。

2008年8月28日木曜日

クチトンネルの中の動物

8月26日:ホーチミン(サイゴン)郊外のベトナム共産ゲリラが地下にトンネルを張り巡らして米軍に抵抗したクチ村がある。2度目の観光であるが、前回見えなかったものが見えた観光でもあった。

トンネルの入り口から蓋に枯葉や土を乗せて入って見せる兵士
蓋をピタっと占めると上からでは解からなくなる。
観光客用に広げられたトンネルに入る。
蒸し風呂状態である。
もう、汗が流れ落ちる。
ベトナムの人たちはほっそりと痩せているが、欧米人や日本人、韓国人の観光客はメタボなので辛い。
今回は入り口近くにだけ明かりがあった。中は真っ暗。デジカメや携帯の明かりで歩く。
前方からキャー、キャーと叫ぶ女性たちの声がする。
で、携帯の明かりで照らして見ると、ゲジゲジのデカイやつがいる。
アフリカにもいたファンティエンペン・ワームとやつだ(下の写真)。
と、何か飛び回っている。コウモリだ。
コウモリを写そうと思っても難しい。 出ると、お土産屋があり、トンネル内にいる動物の標本が売られている。サソリもいたんだ。気がつかなかった。 コウモリが2種類以上いるようだ。
トンネルから出て、間もなく土砂降りの雨となる。汗と雨で寒いくらいに濡れる。

社会主義国に限らず、都市名や道路名に偉人の名前をつける国が多い、日本はそのようなことが無いことと誇るべきかもしれない。

2008年8月26日火曜日

Anicent Monkey

Aug.26: I went to Musium to see the Anicent Statures in Danang.
This monkey St. seems to be rhesus monkey.
We have very hot temp(about 34,5 degree) and deep wet(more than 80%) in Vietnum.
There are many kind of beautiful flowers.
I will go to Saigon, tonight.
This PC is not good. I am irritate becasse this PC is very late. But, I must pay 10 Dollers per ten minutes.

2008年8月24日日曜日

from Vietnam

August,23: from Vietnam
In the famous bay, there are 2000 islands in the bay, called Keirin of Sea.
In this island, the local people says that there are two groups of monkeys and that monkey has yellow fur. Maybe I suppose that the monkeys are rhesus monkeys.
I have eaten many kind of tropical frouits, that is, dragon frouit, ryugan, mango, and others.
I have drunken now because of local tasty beer.

2008年8月22日金曜日

ベトナム観光

2004年2月のベトナム・メコンデルタで:
網目状の水路となっていた。
土手を護岸工事してコンクリートで固めていなく、まったく自然のままの状態なので、サカナやエビ、カニが泥と水面の境あたりでうろちょろしていた。
子供にとってはすべてが遊び場だ。
今日から7日間の予定で、2度目のベトナムです。
いつも持っていくトランクがガラガラに空いている。
山道具や調査用具などが入らないからだ。
それでも、コンパスと双眼鏡は必需品として容れた。

観光地巡りなのだが、ヒトと付き合いの長い自然を見てきたい。

2008年8月20日水曜日

渋谷のサル

渋谷駅にニホンザルのオスが出没したことがテレビのニュースとなった。
5歳くらいの若いオスだ。
顔が少し赤みがかってきているが、睾丸はまだ白かった。

野生個体ならば、八王子か奥多摩の野生ザルの群れで生まれた個体だろう。
ニホンザルのオスは2歳~8歳くらいまでの間に生まれた群れから出ていく。
箱根・湯河原での観察をまとめると、4歳前後で出生群から出ていく。

出て行った個体が、箱根・湯河原の他の群れで見つかるのは大体半年くらいしてからだ。彼等は群れから出る前に何度か隣の他の群れのオスたちと交流しているのがわかっている。

しかし、約60キロ離れた伊豆半島南端の波勝崎の群れに加わった個体が3頭いたが、これらは1年以上かけて波勝崎の群れに辿り着いている。

また、生まれた群れの食物が豊富な時期に群れから出ていったか、あるいは乏しい時期に出て行ったかをしらべると、食物が欠乏した時には遠方に移動することがわかった。

渋谷のオスザルは生まれた群れの環境が悪くなったので、見切りをつけて新天地を求めて約50キロ離れた渋谷までやってきたのだろう。あと2ヶ月もすると発情季が始まる。上野動物園のサル山にでも飛び込んでくれれば良いが、、、。

このような個体は人を恐れているのだから、虐めないで欲しい。

文化は世界へ

1974年2月:天昭山野猿公園で、他の群れから加入したオトナオスの廻りに集まった1・2歳のコドモオスたち。母親からは群れのシキタリを、オトナオスからはオスとしての生き方を学び、4~6歳くらいで群れから離脱し、他の群れに接近・加入し、文化を伝えていく。
オリンピックのテレビ観戦をしていて思った。
レスリング、シンクロで日本人のコーチがアメリカや中国を指導しメダル争いをする。
日本のスポーツも外国によばれて選手たちを指導するようになった。

日本では、多くの技術者がやってきて明治以降の日本の発展に寄与してきた。
スポーツの世界でもしかりだ。

外国の優秀な文化を取り入れるためには、日本は随や唐まで使者を送った。
現在でも、日本は海外研修と称して海外の優れた技術を導入しようとしている。

一方、優秀な技術をもった日本人が海外で働き、技術を伝えている。
東南アジアのダム工事開発、道路や橋の設計に関わる人、
精密機械のための技術や工場の運営・管理を指導している人、
アフリカで農業や漁業、医療や行政の指導をしている人、

優れた技術を学びに来た者が自国へ持ち帰って広めていったり、
優れた技術をもった者が外国へその技術を伝えて行く。

明治以降、海外から導入された技術は少なくても貧しい農山村をなくしてくれた。
今では自由競争という一見公平に思える考え方が導入され、再び、貧富の格差が大きくなってきている。
インターネットが普及した現在、技術文化の交流はますます加速化されるかもしれない。
が、私たちは無批判に受け入れるのではなく、考える頭をもたなければならない。

2008年8月19日火曜日

アナグマもサルも食べるものの、このタネは?

アメリカハナミズキの種子:
我家の庭のハナミズキの実(まだ、赤く熟していない)の青い果皮と果肉を取り除いた。
縦軸にそった筋がまだはっきりしません。
丹沢・ ハタチ沢沿いの林道で見つけたアナグマやサルの糞の内容物に含まれていたタネ。
isa隊員のおっしゃるようにハナミズキのタネは縦に筋があります。下のホームページ参照。
しかし、庭の未熟のタネには縦筋がまだはっきりしません。
丹沢・ハタチ沢から持ち帰った糞を改めて見て、このタネを取り出して見ました。
どうも、これは考えていたようなタネではありません。
タネはタネであっても稲の玄米のようなものです。
サルは今の時季の稲穂を食べて、野嵐しをします。
つまり、早稲食いなのです。
ぼくの記憶としては、この時季に稲穂を食べたサル糞は、籾殻が一杯つまったもので、このような玄米状のものでは無かったと思います。
もし、早稲を食べたとしたら、籾殻があるはずです。
また、アナグマがこの時季の稲穂を食べているなんていう話しも聞いたことがありません。
このタネ?
う~ん、何のタネだろう?

2008年8月18日月曜日

何の痕?

「野生動物探検隊」で、林道を歩いていた。
あれ? これぇ~?
丹沢なら、シカかカモシカの食痕だ!
イノコズチの先っぽの方が摘み取られている。
この一週間くらい前に、何者かが林道沿いにあるイノコズチの穂先というか新葉の部分を摘み取っている。

右端に探検隊のtaka隊員がその状態を観察している。
目の前にあるイノコズチだけの先っぽが摘み取られている。
イタドリなどの他の草は摘み取られていない。
クリックすると大きくなるので、その切り口の状態が少しはわかる。
人が鎌やナイフで切ったものでもなく、ノウサギが伸び上がって鋭い前歯で噛み切ったものでもない。
それは、ぼくらの親指の爪と人差し指の腹を使って摘んだような状態だ。

もし、これが人が故意にやったものでないとするとシカかカモシカ、あるいはヤギかウシが食べた痕だ。 彼等は上の前歯がないので、上顎と下の前歯で草を挟んで引きちぎるから、下で絡めちぎる。
ヤギやウシなら、もう少しさまざまな草を食べた痕があるだろう。

1キロくらい歩いた2箇所に、シカがイノコズチを食べた痕のようなものがあった。

幕山や南郷山付近にシカが生息しているという話しは聞いていない。
が、春には、シカの骨を拾っている。
丹沢のシカが分散して、酒匂川や早川を渡ってきているのだろうか?

2008年8月17日日曜日

懐かしい花々

昨日「野生動物探検隊」の集まりがあった。
幕山の山頂でお昼をたべる。
およそ40年振りに幕山の山頂にたった。
以前は木など生えてなく、山頂一帯は草原であった。

幕山山頂から真鶴半島を見る。
オミナエシが咲き
ワレモコウがあり
カワラナデシコが咲いていた。
これらの花は、40年前学生だった頃に、同級生の植物の詳しい女子から教わったものだ。

幕山はロッククライミングの練習地として知られていた。新崎川に沿ってあった城堀地区や鍛冶屋地区のミカン畑であった場所は今は住宅地となったり、梅の木がたくさん植えられて幕山公園となったりして以前の面影がほとんどなくなってしまった。

しかし、幕山の山頂域の草叢にナデシコやワレモコウ、オミナエシ、ヤマホトトギスがあり、遠い学生時代を思い起こさせてくれた。

マルミノヤマゴボウ

マルミノヤマゴボウ 丹沢・ハタチ沢林道沿いで
この異様な赤紫色は遠くからでもよく目立つ。
はじめヨウシュヤマゴボウかと思った。
が、違う。
あまりにも毒々しいので、これも帰化植物かなと思って調べた。
学名:Phytolacca japonica  となっている。
れっきとした日本固有の植物だ。
秋になって丸い実をつけた状態を見たい。

ヤマゴボウ科にはヤマゴボウ、ヨウシュヤマゴボウ、マルミノヤマゴボウと3種日本の山野に生育しているが、いづれも毒であるようだ。
決して根をキンピラなどにして食べないようにしよう。

2008年8月15日金曜日

サル、アナグマ、テンも食べた果実は?

丹沢・ハタチ沢沿いの林道で見つけた糞
サルの糞1
サルの糞2
サルの糞1と糞2も内容物は同じで、アナグマの糞のタネと同じものが入っている。
イタチの糞 ウワミズザクラのタネが混じっている。
テンの糞1  このタネも思い出せない。
テンの糞2  このテンはイタチと同じようにウワミズザクラの実を食べている。実はまだ、枝に着いているので、テンもイタチも木登りしてウワミズザクラの橙色から赤っぽい実を食べたものと思われる。