「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年4月16日水曜日

姿勢と社会的地位

キンシコウの群れは複数の単雄複雌群からなる。レッドポイントはある単雄複雌群内の唯一のオトナオスである。他はメスとコドモたちだ。身体はメスたちよりも一回り大きく、さらに両端の上唇にイボ状のものができる。これがメスやコドモたちを睥睨するようにして歩く。メスやコドモたちはこのオスに従う。
ぼくは、猫背とはいわないまでも、背を丸めたような姿勢である。この姿勢はお袋もそうであり、遺伝的なものかなと思っていた。が、妹も長女も胸を張って歩く。次女はぼくに似ている。妹も長女も背が低いので、できるだけ背を高く見せようとしていることは明らかである。91歳のお袋は若い時は、160センチを越えていたようで、大女と見られるのが嫌で、できるだけ背を低く見せようとした結果が猫背のようになったのかもしれない。じゃー、ぼくはどうしてなのだ?

先日、電車の中で、中年の女性が下を向いて一心に本を読んでいる。その姿がじつに美しい。背筋をまっすぐにし、胸を張っている。下を向いているのに胸を張っている。背が高い女性であった。

姿勢は胸を張り、背筋をピット伸ばした方が美しく、美人にさえ見える。

今日、始めての大学での2回目の授業があった。視聴覚器具を使い方がわからなかったので、講義後、友人の教授を訪ねて研究室に行った。が、不在だった。彼の3時限目の授業がある教室前で待っていた。

前の暗い廊下を胸を張ってどうどうと歩いてくる人物が同級生だとわかった。
すっかり、彼はだれもが大学の教授と思える姿勢と歩き方をしていた。
地位がその姿勢をつくるのだ。

群れのボスは、サルの研究者でなくてもボス(順位一位オス)を見つけることができる。姿勢と歩き方が堂々としているからだ。しかし、このボスも群れ落ちすると、これがあのボスかと思えるほどの貧相な姿となる。

もうすぐ、サル学会がある。学会で興味深いのは、各大学で胸を張って堂々と歩いていた筈の教授たちの大半が何故か群れ落ちしたボスザルのようにショボクレ、胸を張って堂々としているのは大学院を出たばかりのまだ職についていないようなワカモノだ。
学会という場は、現在、調査研究をし、たくさん論文を読みこなし、酒を飲みながら口角泡を飛ばして議論しているワカモノが堂々としているのは、なかなかの素晴らしい社会である。

2008年4月13日日曜日

野生動物探検隊

福浦港近くに住む、竹蔵丸の船長さんより、明日、フィールドを案内しますという電話がある。
いよいよ、おじさんたちの「野生動物探検隊」の2度目の会合でもある。
船長さんが漁に出られないときに観察しているフィールドへ連れていってもらう。営巣中のフクロウをみせてもらう。が、悲しいかな教えられた場所の樹洞をみても僕の目にはフクロウが見えない。なんと、その理由が今分った。読書やパソコン用のメガネをかけていたのだ。あまりのことに近眼用のメガネに変えることに気がつかなかったのだ。あ~無念。どうりで何もかも良く見えず、一気に老化が進行したのかとショックを覚えていたのだ。
次は、新たに見つけたというリスの巣。フクロウの巣からそんなに離れていない。おそらく何頭かのアカンボウが入っているのだろう。フクロウにお母さんがヤラレタラたいへんだ。
見つけたキクラゲを採り、オオシマザクラの花や葉、ミツバとともにインスタントラーメンに入れて食べる。キクラゲだけが味噌味に合わず。次回は塩ラーメンにしよう。

 昼食後、天昭山神社へ向かう。ノウサギの糞が昨年同様溜め糞のようにある。これまた、ちょっと不思議。そのうちテントでも張ってウンチをしている姿をみたい。神社付近のムササビ君たちはぼくらの声にビビッテ顔を出してくれなかった。竹林は、イノシシがメチャクチャに掘り起こしていた。が、撮った写真を見るとその様子が分らない。目で見た印象を写真は撮ってくれない。ン?構図などと決める腕が悪いのか?
上のアオキの実は、ムササビに食べられた痕であると考えられる。
下のキジのオス、車のフロントガラス越しに撮ったもの。コイツ、車で近づくと少し啼き、胸を膨らませて羽を震わすディスプレーをする。生意気にも我々探検隊に威嚇したようだ。実に綺麗で、肉もたっぷりある美味しそうなキジだった。

2008年4月9日水曜日

自然に焦がれる人、そうでない人

1968年の奥湯河原の天昭山神社前で、餌付けられていたT群のサルたち。右に泊まっているテントを張っているロープが見える。当時の写真をパソコンに取り込み中。
先日、丹沢の帰りに県立七沢森林公園に行った。ハイキングコースは整備され、斜面に岩を配し、その隙間にはスイセンが黄色の花をつけている。歩道沿いには園芸品種の石楠花が延々と植えられている。スイセンやシャクナゲは綺麗であり、きっと栽培の維持管理も楽なのかもしれない。ところどころに公園の清掃や修理をおこなう人たちが働いていた。ぼくにとっては、どうしてこうも人の手を入れなくてはいけないのだ。七沢の自然の森そのものを見せることができないのかと不満に思った。

帰路、夫婦連れに出会った。彼等は、「何にもない!」とぶつぶつを言い合っていた。彼等にとっての七沢森林公園は、尾根上には立派なレストランでもあり、横浜や江ノ島の方でも展望しながら食事をしたかったのかも知れない。あるいは、何かの遊戯施設でもあると勘違いしたのだろうか?

1980年代、各地に○○自然歩道なるものが作られハイキング道路などが整備された。しかし、それらの道は人がほとんど利用しなくなったため、草木で被われたり、台風や梅雨の大雨で道が崩壊している。

自然の美味しい空気を吸いにきた人々は、駐車場周辺のお店に立ち寄るが、山に入ろうとはしない。今の日本人の自然への親しみ方は、車で自然が残っている場所に行き、その駐車場周辺で飲み食いするだけで、自然の息吹を感じ取っているかのようだ。

都会に住んでいるから、自然を求めて山に来るのだが、「何もない!」と帰っていく。自然への接し方、親しみ方、遊び方が分らない、精神的な田舎の人だ。あるいは、箱庭の自然だけを求める人だ。

2月に釧路に行った時に兄貴夫婦に連れられて国際ツルセンターに行った時、霙が降る中を二人の欧州系の人が、写真を撮っていた。また、友人の話によると温泉に入るサルで知られる志賀高原の地獄谷野猿公園では、今は日本人の観光客よりも海外からのツアー客が多いようだ。また、丹沢に一緒に行っている矢部さんは、外国人の知人たちから、一緒に丹沢のサル観察に連れて行って欲しいとお願いされているようだ。

日本まできてサルを見たり、ツルを写真に撮ったりする。欧米の人たちにとっては先進国である日本に野生猿がいること自体信じがたいことなのである。

欧米人は精神的な都会人であり、いつも草木溢れる自然を渇望している。日本人は風景を見るだけで満足し、山中に入って浸ろうとはしない。

この違いはどこに起因するのか?欧米人は半砂漠のようなところで牧畜生活をしていたために、草木溢れる自然を渇望するのか?日本人は四季が明確であり、野山の植物が枯れることなどない豊かな自然に恵まれたきたために、敢て自然の中に浸かってまで楽しもうとはしないのか?

2008年4月7日月曜日

竹の子

矢部さんが竹の子をザックに詰めて持ってきてくれた。米糠も一緒だ。すぐ、大鍋で茹でて、鍋に入りきらなかった残りを写真に取った。
竹の子は、洋風、中華風、和風の全てに合う食材となる。しかし、竹の子が出てくる竹林は奈良・平安朝の時代に遡ったような感じを与えてくれる場である。日本人の精神の場とも感じられるのが竹林である。


ぼくが生まれ育った北海道には竹林はない。七夕祭りで飾り物や願い事を書いた短冊を吊るすのは柳の木である。柳の細い葉としなやかさが竹にとって変わられる。子供の頃は柳の木の七夕飾りを見ながら、「笹の葉さらさら、軒端に揺れる、、、、」と歌ったのである。
柳はそのしなやかな枝から釣竿にもなった。

竹の子が顔を出す前に、山ではイノシシたちが竹林の至る所を掘り起こす、10センチから20センチくらい顔を出したところを今度はサルがガブリと齧る。

哺乳動物たちは、3、4月に冬期の食物欠乏からの栄養失調がたたって餓死することが多い。せっかく待ち遠しい春が来て竹の子が出てきたり、新芽が膨らんできてもそれらを食し、消化する体力が無く死んでしまう。しかし、昨年はドングリがたっぷり実ったので、衰弱死する哺乳類は一頭もでなかっただろう。今年の春の出産季は動物たちのベビーブームとなるのは、間違いない。

花の色と咲く時季

ハナミズキの花が開花し始めた。花ビラ(ガク)は葉っぱそのものであり、これから次第に白く色づいてくる。

ハナミズキの開花はどのような条件によって促されるのであろうか?サクラは開花前線から気温の上昇であることがわかる。ハナミズキは?
花の咲く時季で、不思議なのは、ウメやジンチョウゲやサクラである。何故、寒さで凍えるような時季に開花させるのであろうか。ウメは白く、あるいは紅く、ジンチョウゲは高貴な香りを放ちながら、サクラは淡い桃色の花を枝一杯につける。白色、紅色、桃色、香りは動物たちへのむけてのメッセージである筈である。しかし、この時季には昆虫はまだ越冬中だ。花粉を風によって運ばせるなら、色や匂いは必要ない。ヤナギやクロモジ、ヤシャブシのように目立ったないもので十分だ。
ウメやサクラは花が目立ち香りが良いだけに小鳥たちに啄ばまれる。サクラはムササビやサルにも食べられる。にも関わらず、サクラは毎年花を咲かせる。
植物の種子はその回りの果肉ごと動物に食べられることによって糞として排泄されて、分散するものも多い。サクランボはヒヨドリもイタチもサルも大好きであり、果実は動物たちに食べられる方が良いのだ。サクラは、綺麗な花をつけることによってここにあと3ヶ月後には美味しい実をつけますので、食べてくださいよという動物向けのメッセージなのだろうか?
植物の花の色と香りと時季で不思議なのはキンモクセイもそうだ。何故、寒くなってから素晴らしい香りを放つ花を咲かせるのか?誰にむけての匂いなのだろうか?まさか、同種の仲間にむけてのものではないだろう。
このようなことは、花の進化などを研究している植物学者からはそんなこともう答えは出てますよといわれそうだ。

2008年4月3日木曜日

虫の声、小鳥の声が聞こえない!

先日、NHKテレビで17年ゼミの大発生についてやっていた。セミが尻を振って鳴いているシーンや人々があまりにウルサイ鳴き声に耳を塞いでいるシーンが流れた。「セミが鳴いているのが聞こえるの?」と連れ合いに言うと、「え?鳴いているよ!」と応えた。娘がボリュームを上げてくれた。ナレーターの声が響く。しかし、ぼくにはセミの鳴き声が全く聞き取れない。音量とは関係なく聞き取れない音がある。

アフリカから戻った年の秋の夜に、「アフリカ行く前までは庭で虫たちが鳴いていたが、コオロギもいなくなってしまったのか?」「え?ウルサイくらいに鳴いているのが聞こえないの?」と連れ合いは怪訝そうな顔をした。学生たちと道路を歩いていて、「せんせい、危ない!」と袖を引っ張られる。すぐ後に自転車に乗った人がベルを鳴らしながらいた。あるいは、同じように手を歩道側に引っ張られたこともあった。真後ろに車がおり、運転手はぼくを睨んでいる。

居酒屋で飲む、皆の話しの半分以上は聞こえないのに、雰囲気で返事をしている自分に気づく。高い音が聞こえない。

不思議なのは、聞こえているのに、その音声・単語の意味が知覚・認知できないために聞き返してしまう。同じ単語を2、3度聞いてその意味が理解できる。突然、何かを云われた時に聞き返すことが多い。それは、聞こえているが、その音の意味を認識できないのである。このところの日常生活でもすぐ聞き返してしまうことが多くなった。

ぼくの最大の問題点は、野外に出て、動物たちの立てる音が聞こえなくなったことである。サルを含む、野生動物を見つける最大の武器は耳である。「あ、何?」と何かがこっそりと果実を食べている音がするので、静かに近づいてテンを発見する。あるいは、「ン?サル?」と対岸の斜面を見るとサルが採食しているのを見つける。身体中の全神経を逆立てて、つまり耳にしてちょっとした、空気の揺れまでも感じ取る能力。それが、耳・聴力である。キジバトが林床で何かを啄ばんでいる音、アカネズミが歩く音、はもちろんのこと、キリギリスが鳴き止み、体勢を変える音までが聞こえた。

目と耳が良い哺乳類はヒトやサルだけだ。他の哺乳類は、鼻と耳で物と見つけている。しかし、目の能力はその物を見つけたらその方向や距離まで一瞬の内に認識できる。しかし、臭いは空気の流れで揺れ動き、発生源を特定することは難しい。音は反射して、やはり発生源を特定するのが困難だ。ヒトが密やかに生活している野生動物を見つけることができるのは、耳と目が良いからである。

この能力がアフリカから戻って以来なくなってしまった。自然の息吹を感じ取る、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るの五感が備わっていてこそ、動物に出合うことができるのだ。今の自分は、視覚は老眼と近眼でダメ、聴覚は難聴になってしまった。触覚では、事故以来、右膝下部分と右頬、右上歯茎が痺れているようで無感覚である。しかし、これはたいしたことではないので、変わらないようなのは、嗅覚、味覚、触覚である。

アナグマやタヌキたちの鼻の良さにはぼくと格段の差があるが、ぼくの視覚や聴覚能力が落ちたので、これで目が悪く鼻が良い、動物たちの感覚に一歩近づいたとも云える。

2008年4月2日水曜日

カーブミラーとサルの行動

写真をクリックすると拡大します。4月2日のハタチ沢沿いの林道のカーブミラーにあったサルのフィールドサイン。
これほど、はっきりとサルの手形が残っているカーブミラーはない。サルは、カーブミラーに写る自分の姿に驚いて、威嚇をしたら、ミラーの相手も威嚇するので、さらに接近したら、相手も接近してきた。相手は弱そうなので、とうとう肉体的接触を伴う攻撃行動となった?

あるいは仲間と思って挨拶をしたら、ミラーの個体も同じ挨拶をしたので、接近したら、相手も接近してきてグルーミングしたのかな?

いずれにしても、群れに所属していないハナレザルがこのフィールドサインを残したと思われる。

フィールドサイン

今朝、K.Y.さんの車に5時半に乗って、家をでる。ハタチ沢でサル糞ありとの情報を得ていた。気持ち良い程の肌寒さの中を沢に沿った林道を歩く。サル糞は見つからなかったが、2,3箇所のカーブミラーにサルの足跡がある。

まだ、9時を回ったばかりなので、先週行った七沢森林公園に行く。職員の人にサルのことを聞くが、今週はまだ出てきていないようだ。
「尾根の散歩道」を歩いていると、異様に幹が濡れた木がある。クリックして拡大して!上端2箇所にリスが樹皮を削り取ったような痕があり、そこから樹液が流れ出ている。傷痕は地上から1.5メートルくらいの高さのところである。
3月4日の竹蔵丸の船長さんのリスが樹液を舐めている素晴らしい写真(http://white.ap.teacup.com/applet/takezou/archive?b=10)から、リスかムササビが樹液を舐めた痕と考えた。
しばらく尾根道を歩いていくと、今度は、ヤマザクラの花付き枝が散らばっている。良く見ると花弁だけが毟り取られて捨てられている。誰が、このようなイタズラを?サルではない、サルならもっと酷い枝の折り方をするし、花弁やガクを含めて無造作に毟り取る。
折れた、枝先をみると、錆びたナイフで切ったようになっている。枝を折り取ってもこのような形状にはならない。
ムササビの食痕だと、K.Y.さんが教えてくれる。すると、前の樹液があふれ出ていたのは、ムササビ?通りがかったバードウォチャーに聞くと、このあたりにはムササビはいない。リスはこの尾根では見たことがないと言う。バードウォチャーはフィールドサインには気をつけないからダメか、、、?



2008年4月1日火曜日

マングースの剥皮・除肉

冷蔵庫に容れておいたマングースを解体しようと、昨日、取り出した。凍っている。冷蔵庫を最も冷える状態にしていたのだ。とても剥皮や除肉はできないので、一個体だけを取り出し、写真を撮り、物置に置く。

今朝、9時から10時半までかかって処理する。オスであり、大きめの大豆を二個合わせたくらいの睾丸があった。毛皮を記念に保存処理しようかなと思ったが、面倒なので止める。頭部、左右の前脚、左右の後脚、胸部・腰部・尾部の6つに分け、除肉をして、頭部、脚部、他の三つをそれぞれ上部を切り取ったペットボトルに容れて、水に浸す。

除肉や腐敗をいそがせるには一度、軽く煮てから残りの肉を取ると良いのだが、急ぐわけでもないので大まかに肉を取っただけだ。動物淡白分解酵素も混ぜなくてよいだろう。

毎度のことであるが、このような作業をやっている時は息を潜めてやっている。気持ちが悪いのだ。
できれば、何人かの観客がいて、ワイワイ言い合いながら作業したい。観客の一人が皮を剥がすときに、身体の一部をつかんでいてくれれば、もっとスムーズに解体できる。

このマングースは、おそらく、捕殺後、すぐに内臓が抜かれ、素早く冷凍されたのであろう。ばらしている時にも腐敗臭がなかった。奄美野生生物保護センターの皆さんに感謝!

2008年3月31日月曜日

ネズミやリスによるエビフライ

竹蔵丸の船長さんへ:エビフライのことが気になり、Colins Guide to ANIMAL TRACKS and Signsの115ページには、マツボックリのリス、ネズミと小鳥たちの食痕のイラストがあります。
上はドイツトウヒ、中はマツですね。下は、左から13のスイスマツ、14・15はカラマツ、右はカナダトウヒ、右端のナッツはイチイです。
ヨーロッパアカリスSciurus vulgarisは約600グラムで同属のニホンリスより倍くらい大きいですね。
Colins Guide to Animal Tracks and Signsを是非図書館で見るか、取り寄せて見るなりしてください。

2008年3月29日土曜日

奄美大島からマングースの宅急便

丹沢から帰って写真をパソコンに取り込んでいると、宅急便が届いた。連れ合いは、「資料(肉)」なんて書いてあるけど死体でしょう?と非難がましく云う。送ってくれたのは、環境省奄美野生生物保護センター、クール宅急便で冷凍だ。思わずヤッター!と顔がほころんでしまった。ダンボールを開ける前に、2年前に奄美大島に行った教え子に感謝のメールをする。

新学期が始まるので授業の用意をしなくてはいけないので、しばらくはぼくの部屋にある冷蔵庫(冷凍庫が欲しい!)に容れておいて、腐敗しないうちに処理しなければならない。幸い、胃内容物の検査で内臓類は除去してあるようだ。いずれにしても一週間以内に剥皮して除肉し、水を容れたバケツに浸さなければならない。

奄美大島は、国の天然記念物「アマミノクロウサギ」が生息している島である。猛毒をもつハブを殺してもらおうとマングースが移入された。マングースはアマミノクロウサギを含む奄美大島の固有の動物たちをも捕食していると考えられる。それで、マングース大捕獲作戦が環境省の指導の下に行われているのである。マングースはどの程度ウサギを捕食しているのかを調べるために、捕獲したマングースの内臓は除去され、胃の中身が調べられている。解剖の任に当たっている職員には、御苦労様ですと労いの声をかけたい。一方、捕殺されたマングースに合掌!

2008年3月27日木曜日

老母の歩き方

昨日の金沢林道の帰路、見つけたベニマシコ。15枚くらいシャッターを押したうち、これが割合ピントが合っていた。
釧路では、今年91歳になったお袋の散歩に付き合った。2キロくらいの道のりを50分くらい掛けて歩く。足を引きずって歩く、膝を上げて歩くことができない。まるでコンパスのごとく後ろの足をそのまま前に引き出そう?とする。前に歩みを進めるのは、身体の重心の前方への移動と同時にどちらかの足が前方へ出されなくてはいけない。この二つが首尾良く行われることで、前へ歩きつづけることができる。
が、大腿、膝、足がまるで一本の棒のようになって前に出される。膝が上がらない上につま先が上がらないので、少しの段差があるともう、足を前へ出せなくなる。スロープのようなところだとスムーズに前に歩ける。

釧路のような街だと、どうにか老母でも歩くことができる。しかし、ぼくがチンパンジー調査でいたマハレ近郊の村々や、キゴマの街、あるいは、キンシコウの調査で行く西安から150キロ南西の秦嶺山脈の麓の村、これらの地域では老母が散歩することは不可能だろう。

散歩していると家ではイヌにしか声かけないのに、出会う人たちと挨拶を交わすことになる。外出することは刺激を与えて、肉体ばかりでなく精神をも活性化させていることが判る。

老人たちに優しい道路は障害者にも優しい道路である。
だが、一方でそのような道路で育った若者は、膝を上げないで、つま先を上げないで歩き、老人たちと同じように足裏を引きずって歩く。そのため、登山道を若者と一緒に歩くと、彼等は度々木の根や倒木、石などにつまずく。膝やつま先を上げて歩く当たり前の歩きができなくなってしまっている。

2008年3月26日水曜日

春の丹沢

25日に4時半に起きて、丹沢を歩いた。我が家から厚木まではサクラの花はもう3、4分咲きというところ、コブシやモクレン、レンギョウが咲き、春満開である。
松茸山を1時間半かけて登る、アセビの白い花、クロモジやダンコウバイの奇妙な形の黄色の花やヤシャブシのリスの尻尾のような花穂、キブシの花が飛び込む。
足元には、ナガバノスミレサイシンが咲いていた。
26日、今朝はK.Y.さんと金沢林道をあるいた。下はキブシの花。この花つきの枝が生花の材料として釧路で使われていた。
ちょっと早いんじゃーないと思った。モミジイチゴの花。
週末はお花見だ。

2008年3月22日土曜日

ハナダイコン (ショカツサイ)の思い出

ハナダイコンOrychophragmus violaceusはアブラナ科エゾスズシロ属である。この花にはショカツサイやアラセイトウという名前もある。

中国が原産であることは知っていた。
2月、3月のキンシコウ調査が終わる頃になると、秦嶺山脈の麓の山はモモの花を含むバラ科の樹木の花々が咲き、足元には薄紫色のハナダイコンの花が咲いている。
野山の春は素晴らしい。
桃源郷とはこんなものかと石に座る。

2008年3月17日月曜日

釧路湿原道路

サルルン展望台からの帰路、新しくできた釧路湿原道路を通って帰宅した。見ての通り、ぼくが運転している車以外、一台の車も見当たらない。
車から降りて、阿寒方面を撮った。クリックすると右の高台の上に釧路市湿原展望台の建物が写っているのが確認できる。
この道路は、一体全体何のために建設されたのだろうか?この数年間、帰省する度に中学生の頃釣りした新釧路川を溯上しようとすると、この建設工事のために行く手を阻まれていたのである。工事中は一直線に埃が舞い上がっていた。
http://www.mars.dti.ne.jp/~koitiro/hokkaido-tikamiti/kushiro/00Map-kushiro.html

湿原を東西にブッタ切るように道路が作られている。上のアドレスをクリックして下さい。

今後、この影響が湿原の環境に悪影響を及ぼすことは目に見えている。


環境省はどのような理由の下に、道路建設を許可したのだろうか?日本の省庁の中でもっとも力が弱い部署のため、圧力に屈してしまったのだろう。

ナワバリと人の生活

美容室から戻ってきた妹は、「あの店は夏前には閉めてしまう」と残念がっていた。付近に他に4軒も美容室ができたので、食べていけなくなってきたからのようだ。

どんな脊椎動物でもナワバリ(あるいは行動域)を形成する。個体でもつものもいれば集団でもつものがいる。群れて生活しているメダカでも金魚鉢に5、6匹入れるとナワバリを形成する。

ナワバリとは同じ仲間に対する個体や集団の空間的占有地域であり、同種の社会を秩序づけている。

私たち人間は集団生活をしているが、さまざまな状況で個人が持っている動物的ナワバリ感覚が表れる。いろんな状況の場所取り、席取り、順番待ちである。
花見で良い場所を占めるには、早朝から敷物を敷いたり、杭を打って紐を廻らしたりして自分の場所を宣言し、確保する。以前の小学校の運動会の父兄席はそうやって家族の場所が占められた。占められた場所は、他人が犯すことはできない暗黙の合意がある。
この場所取りが、電車や映画館の自由席の席取りに変わるが、これも一度占められた席を力づくでどかそうとはしない。席が空くと待っていた人がそこを占めることができる。つまり、順番待ちである。順番待ちの列に割り込む者は非難を浴びる。

ナワバリの機能は、場所取りとか順番待ち以外に、私たちの経済社会でも存在していた。お風呂屋、床屋、酒屋、米屋、クリニング店、雑貨屋、魚屋、肉屋はその地域に応じた数のものが存在していた。あるいは、タクシー会社やバス会社の数までも、それぞれの組合や連合会が互いに自主規制していた。
この自主規制は資本主義経済が生まれる前からあった素晴らしい制度であり、経済生活の歴史とともに必然的に形成されたものであると考える。

しかし、今は、消費者に安くて質の良いものを提供しようということで、規制を緩和して自由競争させる政策が大事にされている。その結果、いたるところに理容室ができ、過当競争の中で、市場調査などできない昔からあった個人の経営規模の小さなお店がつぶれていっている。新たに参入した店もやっていけなくなり、目まぐるしく変わる。釧路の街にどうしてこんなにタクシーが走っているのと不思議に思うくらいだ。これでは皆食べていけなくなり、消費者に安くて質の良いものを提供できなくなる。

大手のスーパーマーケットやコンビニ、安売り店の出現によって多くの地域の商店が消えてしまっている。また、この大手のスーパーやコンビニ間でも過当競争が行われるため、ある日突然、目の前にあったスーパーが消えてしまう。建売住宅の宣伝文句には「付近には、コンビニやスーパー、安売り店があり、便利」とうたっていたのだ。 が、5年もたたないで様変わりしてしまう。寒々とした荒廃した地域社会を作り上げているものに、この競争による経済界の不安定さがある。

今の政府は市民生活のことを考えていないので、市民生活の面からみた経済社会を見直す必要がある。市民生活には、順番待ちのようなナワバリ機能が生かされているのに、経済生活では、それが行政の力で取り払われてしまった。以前のような銭湯組合、理容組合などの自主規制がある程度必要ではないのか、そうすることで、社会秩序が維持され、人々が安心して生活できるのではないのだろうか?

2008年3月16日日曜日

サルルン展望台

最初に見つけたサルルン展望台近くのフクジュソウ一輪
近くにまとまって咲いていた。まだ、蕾の頭だけ出したばかりのものが多かった。
エゾジカの足跡。さすがにデカイ。
エゾジカ道がいたるところに走っていた。帰路、3頭のメスジカが国道を横断するのに出会った。 コゲラであってますか?ミズナラの木をつついていた。
サルボ展望台から:遠くの山並みは知床連山。手前はシラルトル湖。
今朝、9時過ぎにお袋と妹を乗せて釧路湿原が見渡せるサルボ展望台とサルルン展望台へ行ってきた。車の窓から入る日差しが強く、ハンドルを握る手の甲が日焼けしてひりひりしてくる。
展望台の登り口に駐車する。そこから、階段を登らなくてはならないので、お袋とイヌたちを車に残す。階段をゆっくり駆け上り尾根に着く。久し振りに走った。そこから左手がサルルン展望台で右手がサルボ展望台である。下をクリックすると釧路湿原サルルン展望台がみられる。
エゾジカ道が縦横についている。また、足跡や糞もある。

サルルン展望台への尾根道で、木柵があらわれたところで、フクジュソウを一輪見つける。いろいろ眺めていると、後ろにも横にも蕾の頭をもたげていた。今日は暑いと思えるほど日差しが強いので、午後には咲くのかもしれない。
湿原越しに阿寒の山々をみていたら、タンチョウが編隊を組んで飛んでいく。今度はサルボ展望台にいく。そこは、湿原を見張らせるように塔が建っていた。
釧路地方もようやく春が走ってやってきたようだ。が、サルルン湖の谷内坊主の水溜りをみたが、まだ氷が多く、カエルの卵は見つからず。

2008年3月15日土曜日

釧路川の水鳥

一昨日、釧路川で撮った水鳥を矢部康一さんに教えてもらった。上がコガモで、下はカモメの冬毛の抜け替わりの時のもののようだ。

カモというと旨い肉の代表みたいなものだが、一度も食べたことがない。カモシカはカモのように美味しいシカということで名付けられている。が、もちろんカモシカは天然記念物ということもあて、食べたことがない。一度でも味わってみたいものだ。
否、味わった。
キンシコウの調査地ではニホンカモシカの仲間が2、3種類いる。彼らが滑落して死んでいる(HPの「秦嶺山脈の動物たち」を見て!)。その肉を失敬して食べた。が、旨い! 美味!とはまったく感じなかった。ニホンカモシカは旨いが、他のカモシカの仲間はそうでないのか?
カモメまで名前が分らないなんて、まったく鳥痴である。ヒバリやカヤクグリやアオジなどの巣を見つける天才だったが、、、、、。

大学は生物科だったので、昆虫の名前、しかも甲虫だとか、甲虫でもカミキリムシだとか、チョウチョウの名前に詳しい者、鳥の名前に詳しい者、草木の名前に詳しい者がいた。

釧路では、セミは草むらで鳴いていて、ゆっくり手づかみできた。エゾクマゼミというようだ。上京して、近づいただけで銀バエのように飛ぶ、小さなセミたちが何種類もいるのでびっくりだ。チョウチョウもモンシロチョウ、キチョウ、アゲハ、キアゲハと、あとはタテハチョウの仲間が少しいるくらいで、セセリは大学で友人から教わるまでガの仲間だと思っていた(本当はもっともっとチョウが生息している)。

いずれにしても、種類が少ないのでコレクションするような興味がわかなかった。もっぱら、飼うことだった。が、多くは飼いきれなくて殺してしまった。鳥の巣を見つけ、孵化するまで毎日のように見続け、孵化したばかりのアカムクレの雛を持ち帰り殺したことになる。小学3、4年生くらいまでの話しである。

カジカとメメセン

今朝、知人が生昆布とカジカとメメセンを持ってきてくれた。カジカはあまりにもデカイのでさっそく腹を裂いて内臓を取り出し、美味しい肝臓などを取り分け、頭から出刃で縦に切り、ぶつ切りにしてボールにいれて、メメセンなどと共に兄貴の家に持っていく。

胃はドッチボールくらいに大きくなっており、裂くと、殻付きのツブやエビや溶けかかった得体の知れない魚などが一杯入っている。ツブの殻だけを取り出して、胃だけ煮てもおもしろうそう。
カジカはグロテスクなので小さな画像にしました。もちろんクリックするとデカクなります。

カジカの味噌汁はあらゆる味噌汁の中でもこれほど旨いものはないだろう。と思うくらい素晴らしいダシが出て旨い。サカナの肉、そのものは煮ると硬くなってたいしたものではない。だから、でかい頭も出刃で叩き切ってダシをだすためにいれる。山吹色の肝臓が旨いので子供の頃は随分欲しがったものだ。

カジカは味噌汁でしか食べたことがない。生の時はアンコウのようにフニャフニャな肉だ。下半身の肉の部分を唐揚げにしてみよう。

メメセンは釧路の方言でキンキのことである。いただいたメメセンは20センチ以下の小型のもの。どうするか?メメセンは鱗を落として、開いて塩をふって一夜干しにするか、あるいはワタをだして、塩一摘みを入れてひと煮して、熱々のところを大根おろしで食べるか、、、これが、好きだった。このメメセンは小さいので、薄醤油で煮る? 

今日は、お袋の二人での夕食なので、昔のように、カジカの味噌汁とメメセンは煮て大根おろしで食べることにしよう。もちろん、ビールは欠かせない。

2008年3月14日金曜日

流氷乗り

上の写真は3月11日のお昼前のものです。
ぼくの話しを聞いて実家の釧路ふたば幼稚園では、子供たちを連れて21年ぶりという流氷見物にいきました。
そこで、流氷に乗って遊んだのがこれです。
この後、ぼくがお袋と義姉を連れて行ったのですが、その時には海岸には降りられないように立ち入り禁止の標識が付いた柵が設けられておりました。

ここは、市が作った砂浜で 、暖かい季節にはここで子供たちが裸になって遊んでおります。
どうも、良心的な市民が園児が流氷の上で遊んでいると知らせたのでしょう。そのためにぼくらが行った時には立ち入り禁止になっていたわけです。

子供を引き連れていった妹の話しでは、この流氷は砂浜に打ち上げられたものなので危険ではない、市はすぐ立ち入り禁止の看板を立てると憤慨しておりました。

危険にさらされたことの無い子供はどのようなことが危険なのかわからずに、あるいは適切な行動ができずに大人になっていく。

この煽りを受けて、ぼくはオンザロック用に流氷を持って帰えることができませんでした、、、。残念!

「子供の頃に、海に浮かぶ流氷の上を飛び歩くのは楽しかった」とお袋が懐かしがっていた。

2008年3月12日水曜日

子供の距離感と大人の距離感

3月9日に釧路川下流域で見つけたキンクロハジロ(矢部康一さんにメールで教えてもらう)。双眼鏡で見ると冷酷な目をしたカモです。どうもこれらはオスグループのようです。
子供の時は、お正月からお正月の丸1年は永遠にありそうなくらい長いものだった。あるいは、朝起きての朝食からから夕食までの時間は随分長く感じた。いつも空腹を忘れるために外をとびまわっていた。それが今ではすぐやってくる。先ほど、朝食を食べたと思ったらもう夕食を食べなくてはいけない。今年ももう桃の節句を過ぎてしまった。すぐ、新学期で端午の節句、梅雨がきて、夏休みとなっていく。
子供と大人では、このような時間感覚の違いはどのような原因・理由によって起きるのだろうか?子供の時間は密度が高く濃いもので、大人の時間は密度が低く希薄に感じる。

還暦を過ぎたぼくの記憶の中でも7、8割を子供の頃の記憶が占めている。子供の時間は密度が濃いから当然であろうか?「三つ子の魂百までも」という諺もあるし。この問題は宿題である。

釧路に来て、お袋とイヌたちを連れてゆっくりと1時間くらい散歩している。子供の時すごく遠方の地に思っていたようなところが、こんなに近いところにあったのかと驚いてしまう。

子供の頃の距離感と大人になってからの距離感がまるで違う。子供の頃は見知った町内から外れるともう不安になる。自分の安心できる地域というものと既知の地域が同じである。一歩、既知の地域から外れると、もうそこが100メートル離れようが、1キロ離れようが同じくらい不安で遠い地域にきたという感じをもつ。
子供が認識している地域が非常に狭い範囲であるのに対し、大人はかなり広い地域を認識している。これは、子供と大人の持っている情報量の違いであるだろう。大人は実際に行ったことのない地域でもさまざまな情報によってその地域を認識しているが、子供はたとえさまざまな情報が与えられたとしても情報を読み解くための経験が不足している。

この子供と大人の距離感の違いを情報を読み解く能力や経験の違いとするならば、個人によって距離感の違いがありそうだ。あるいは、絶対距離が同じであっても、その地に通勤通学している者ならば、そうではない地は遠くに感じる。同じ湘南台に住んでいる人にとっても、池袋を近いと思う人もいれば遠いと思う人もいる。恋人が池袋にいるならば、距離は関係ない。

となると、距離感の相違は、情報量とその分析能力、認識力、さらには自分の身が置かれた状況との情緒的感覚の違いであろうか? 
いずれにしても、大人になって認識世界が広がり、広がったために世界が狭く感じ、距離感が短くなっていく。

2008年3月11日火曜日

二日間だけの流氷接岸

流氷は今朝にはもうなくなっていたようだ。二日間だけの接岸だった。昨夕からの北風で沖合いに流されてしまったようだ。今は、雪が降っている。道東地方には流氷情報が天気予報とともに流れる。
昨日、早朝は一人で、午後からは91歳になるお袋と義姉を連れて流氷を見に行った。その帰り、義姉のナビで釧路港を車で見て回る。子供の頃、釣りをした岸壁は今は立派な埠頭になっており、大きな船が係留されていた。「ん?そうや!まさか、あのそうや?」 出てきたコックのような乗組員に聞く。「これでは南極の氷の海は無理です。」と応えられて、あれは宗谷だったことに気がつく。海上保安庁の沿岸警備艇だった。
岸壁と船との間で、中高年の人たちが寒そうに釣りをしている。チカであった。写真を撮らせてもらう。このバケツの人はぼくらの後から来て釣り糸を垂れた。皆一斉に「来た!」と言いながら次々に竿を上げる。2匹釣れ、3匹釣れとなってあげる人もいる。チカの群れが丁度回遊してきたようだ。道理で、近くのスーパーで10匹で50円で売っていた訳だ。フライではなく煮魚にした。
ぼくも小学低学年の時は鼻水を袖で拭い、手はしもやけ、アカギレ、イボ状態、頬はシラクモといった当時の子供としては普通?の姿でチカ釣りをしたものだ。当時の釧路は漁港で持っていたので、川魚や沼で釣れるワカサギはニワトリの餌であった。が、チカやコマイ、カレイは違った。カレイは釧路川の中流でも時々釣れた。当時はアクアリュームの設備など皆無だったので、カレイを水槽で生かして飼うことができなかった。
今日も、近くのスーパーに魚を見に行くと、20センチ前後の小さなコマイ14匹が180円で売っていた。もちろん買い、すぐハラワタを出して塩を振り、一夜干しにする。寒風に晒すだけで美味くなる。お袋も妹も、何故か肉好きだ。ぼくが帰省すると美味しい海産物が味わえると喜んでいる。釧路には新鮮で美味しく、しかも安い魚介類があるのを忘れてしまっていたようだ。明朝の味噌汁の実は100円で売っていたタチ(タラの精巣)だ。
近隣で採れた、獲れた季節の物を食材に使っていきたいものだ。


2008年3月10日月曜日

流氷接岸

今朝は早起きして、千代の浦海岸に流氷を見に行く。21年ぶりに釧路沿岸に接岸したと昨日のTVでやっていた。沖合いにあった流氷が昨日のお昼頃に海岸に着く。ぼくが二日前に見にいった時は遥か沖合いにあった。

流氷は樺太やシベリアの川や海で生まれたものが、春とともに太平洋に流れ出し、親潮に乗って釧路沖まで流れてくる。それが、銚子沖まで流れないで、南風によって、釧路沿岸に辿り着く。

流氷にはオホーツクの哺乳類も一緒に乗ってくるので、見渡したが確認できず。波間にはカモの仲間が20羽くらい漂っていたのと、カモメの仲間とカラスが数羽流氷の上で羽を休めていた。

昨日、今日と温かい、流氷到来とともに春が戸を叩いている。

2008年3月8日土曜日

釧路沖の流氷

釧路沖に5年ぶりに現れたという流氷を見にいった。車で20分くらいで千代の浦海岸にそびえる紫雲台墓地に着いた。ここの南端は断崖になっており下は海である。それぞれのお墓の前まで車で乗り付けることができる。南端まで行き、遠くの海を見ると、流氷が遠くに帯状にひしめいている。

子供の頃、朝礼で、「流氷の上に乗って遊ばないように!」と挨拶があった。あるいは「川を流れ下ってくる氷で遊ぶことは危険である」と云う注意があった。

それでも流氷に乗って遊ぶ子供が多かった。流氷に跳び乗るには勇気と瞬発力が必要とされた。滑って落ちれば氷の下の海や川の中である。
そのような子供たちの遊びに大人もいちいち干渉しなかったし、怪我をしたり、死んだりしても親は嘆き悲しむだけで誰も責めなかった。

2008年3月5日水曜日

ギンナンの溜め糞とイチョウの木

下の写真は、2004年11月に学生と奥湯河原の尾根道を下った時に見つけたタヌキのギンナンの溜め糞である。この事に関しては拙著「野生動物発見!ガイド」のP.91を読んでみて! 北海道の生まれのぼくにとってはイチョウの木にギンナンがなっているのを見たのは上京してからであり、まして地面に落ちている実を拾ったのはずーと後になってからであった。

一つ拾ったが、あまりの悪臭に捨てた。が、その後異変が起きた。小便をしたあと、何故か異様に陰部が痒いのである。それが銀杏の腐りかけた実を拾ったために生じた症状と知ったのは、陰部がかなり爛れた頃だった。

ギンナンは大好きである。茶碗蒸しに容れたのは無論のこと、封筒に容れてレンジでチンし7、8個パン、バチ、パンと弾けたのを見計らって取り出して、そのまま食べるのも旨い。

教え子のK.K.さんから今年も庭で採れたという綺麗なギンナンが送られてきた。下の袋のギンナンは送られてきたものの一部である。適度に柔らかく美味だ。 山の中でイチョウの木が生育しているのを見たことがない。イチョウは中国原産で、渡来してきてから有に1千年?以上は過ぎているだろう。

ギンナンを植えると翌年には芽が出て実生のイチョウの木を育てることができる。奥湯河原のタヌキは街まで降りてギンナンを拾い食いしてきて、それを糞として排出している。動物たちは果実を食べて種子を排出することで種子分散をおこなっている。

果実のタネの多くは腸内を通過することによって発芽しやすくなるようだ。そのため、木の実のタネを発芽させるには、お風呂の残り湯に一晩浸けておくと発芽しやすいと園芸の本などには書かれている。

しかし、山中でイチョウの木が生育しているのを見たことがない。発芽しかかった時、あるいは腸内で綺麗になったギンナンは今度は別の動物に食べられてしまうのだろうか?例えそうだとしても里山であっても、山中に一本もイチョウの木がないのはどういう訳だろう。

我が家の狭い庭にでもネズミモチ、ピラカンサ、マンリョウ、キューイフルーツまでもが鳥の落し物によって芽生えてくる。山では、実生のイチョウの生育を阻害するどんな要因があるのだろう。

今年始めてのフキノトウとムササビ確認

昨日、自然探索仲間のK.Y.さんと奥湯河原の天昭山神社に行く。途中の河原でフキノトウを摘む。まだ、フキノトウの季節としては10日ほど早い。今夜はこれを酢味噌和えで一杯やるのが楽しみだ。ぼくはビデオの1台をスギの木の三つの穴に向け、もう1台を軒下の一つの穴にセットし5時にスイッチを入れる。Yさんは別の軒下の穴にビデオを向ける。幸いなことに雨が止んだ。
Yさんは防寒対策に早くも羽毛服、ズボンを着始める。

5時03分:突然、アオゲラがキョキョキョキョッ!とけたたましく啼いて杉の木の幹に止まり、飛んでいく。ウン?穴から出たの?二人ともわからない。
5時55分:もう辺りは真っ暗、前の藪の木がぼーっと白い人が立っているように見える。すでに、ぼくのビデオは2台ともテープが終わったようだ。赤く点滅していたものが見えない。上を見上げると神社の屋根やスギの幹が空にシルエットとして見える。
6時10分:穴がたくさんあるスギの幹にムササビが頭を上にしているシルエットがある。「出た!ムササビ!」と小さな声を出しながら右手で指差す。Yさんは見たかな?と思いつつ、カメラを向けようかどうしようか判断が下せないうちに見えなくなる。5秒くらいも見ていただろうか?
「飛んだ!」と二人同時に声にならないような声をだす。神社の屋根の遥か上を真っ黒な座布団が飛んでいった。

Yさんの話しでは飛んでいったムササビが途中の木に着木して「グル、グル」とムササビ特有の声を出していたようだ。マラリアを何度かやって以来難聴になってしまったぼくには聞き取れず。

穴がスギの木にも神社の軒下にもたくさんあるから、まだ出てくるだろうと待ったが待ちきれず、ミゾレが降り始めてきていたのでビデオを回収し始める。

6時20分:神社の天井を走り、軒下からでるような音がした。その頃はヘッドライトをつけていたので、目は暗闇に慣れず、明かりが届くところしか見えず。

ムササビを確認したことで満足し、山道を下る。これが雨で滑るのと、これほどゴツゴツとした道だったのかと思うほど、ヘッドランプに照らされた道に難儀する。舗装された平坦な道に慣らされていた自分たちを知ることになる。

2008年3月2日日曜日

お祈りをするサル


アンコールワットの遺跡を観光してきた丹沢サル観察し隊のT.Yさんから面白い写真が送られてきた。
サル(これはニホンザルと近縁なカニクイザルのオトナオスですね)が進入禁止の遺跡の門前で一心に何かを祈っているようだったと言うのです。で、彼の心を乱さないように近寄って撮ったのが上の写真です。

辺りに人影はなく静かな森の中の寺院の遺跡のようです。

サルだから遺跡の寺院の前でこのような姿勢でいるとT.Yさんでなくても祈っているように思いますね。

では、このサルは何をしているのかとというと、その格好から休息して目を閉じているところだと思います。ニホンザルでもチンパンジーでも樹の又に腰を下ろし、両手、両足を会わすようにして休息することがあります。周りに他のサルたちがいたらなら、群れ内でも順位の高いサルでしょう。周りにサルの気配がなかったらなら、ソリタリー(ハナレザル:群れから離脱して、他の群れに移籍する途中か、群れとは一見関係なく生活しているサル)で、気温30度で静かな森の中で眠くなったものと思います。





2008年3月1日土曜日

ドングリの春

5時半に家を出て、およそ1時間かかって目的地の奥野林道ゲート前に着く。イワナやヤマメなどの釣りが解禁されたようだ。今日は随分渓流釣りの人たちの車がとまっている。サルのことを聞くと、金沢林道や神ノ川林道で群れに出合ったことがあると教えてくれる。

奥野林道は雪が凍っており、滑って歩きにくい。馬の背を過ぎて狐の面の岩場が見えるところまで行く。ここから見える蛭ヶ岳や丹沢山の雪に被われた北斜面が見える。

引き返して、松茸山に行くことにする。マメガキのタネが入ったタヌキの溜め糞とテンの糞を見つける。
階段を登る、ここは日向になっている。歩いていると暑いくらいだ。
ミズナラのドングリがまだたくさん落ちている。ネズミたちや、リスもイノシシもサル、シカ、カモシカも今年の冬は飽きるほどドングリを食べたことだろう。
ドングリを登山靴で踏んで潰してしまわないように注意して歩く。
どのドングリの種皮も割れて胚が赤褐色になってむき出しになっていて、根がでて地面に伸びている。
美味しそうだ!南斜面は春。

     振りかえって見る蛭ヶ岳の北斜面は寒々しい。北斜面はまだ真冬。





2008年2月25日月曜日

零下の世界での想い出

        玄関前の曇りガラスのように凍りついたガラス

高校以来かもしれない。風呂上りに零下の夜を歩いた。
深々と寒さが刺しこんでくる。鼻水は凍り、鼻の中はもぞもぞする。顔面がなぜかつっぱったような感じ、濡れタオルはすぐ氷つき、広げていたまま板状となる。すぐ車にのる。あと5分も外にいれば、口髭や前髪も吐く息で氷つく。

家に着いて玄関の戸を開けたとたんメガネが曇った。子供の頃、寝る時には、湯たんぽを布団の中にいれていた。その後練炭を入れたカイロを使い、電気アンカ、電気毛布へと変わっていった。湯たんぼの時は、家の構造も貧弱だった。壁には断熱材など使っていなく、窓も二重ではなかった。居間に置いている金魚鉢の水まで凍った。凍った金魚鉢をストーブの近くに置いて氷を溶かした。氷に被われていた金魚は静かに動きはじめた。しかし、たいていは死んでしまった。寝ている布団まで凍った。ちょうどお腹の辺りの掛け布団と息がかかる掛け布団や毛布がバリバリに凍っていた。

しかし、今の北海道釧路の実家では終日、床暖房が効いており、ソーラシステムで部屋を温かくしている。そのため、美味しい漬物をつけることができなくなってしまった。母屋と離れた場所に物置でもない限り漬物樽を置いておく場所がない。この二十数年、実家に戻ってきても美味しい漬物はもらいものか、スーパーで買ってきたものだ。シャリシャリと粗目状の氷が混じったニシン漬け、ハタハタやカレイの飯寿司、大根や蕪の味噌漬や粕漬け、さらにはイカやサケの塩辛が懐かしい。
快適で便利な生活の上で、美味しい味覚を味わえなくなってしまった。

2008年2月23日土曜日

降雪の中のタンチョウヅル


雪が降る中をまりも国道(国道240号)を走り、阿寒国際ツルセンターへ。広い駐車場には車がたくさん停まっている。タンチョウ観察センターで、大人400円の入館料を払って外へ出ると。二名の外国人を含む多くの人たちが三脚を立て、長いレンズをつけたカメラをタンチョウヅルへ向けている。湿った雪が降っているため、タオルやビニール袋を被せてレンズやカメラを守っている。手足が寒いのだろう、カイロで手を温めている人が多い。様子からすると、もう何時間も否、何日もタンチョウヅルの一瞬の美しい姿を撮影するために待っているようだ。
ここは給餌場であるので、ハト、カラス、トビもいる。オジロワシやシマフクロウもやってくるようだ。

ぼくは兄貴夫婦に連れられて、すぐ側にある町営の「赤いベレー」で温泉(400円)を楽しみ、そのレストランで食事をする。ここのソフトクリームは絶品とのことだ。シカ肉やダチョウ肉の刺身やステーキを含めたさまざまな献立がメニューにでてあった。釧路市内でもシカ肉料理のレストランがいくつかあるようだ。



2008年2月22日金曜日

ヒヨドリが、、、。

ヒヨドリがいる。始めてヒヨドリを見たのは冬の金沢八景の横浜市大の構内であった。「ヒーヨ」と啼く鳥がヒヨドリだと友人から教わったのだった。冬になると山から里に下りてくる鳥だと知った。そのヒヨドリが釧路の実家の幼稚園の庭に来ている。これも釧路が温かくなっている証拠かな、、、。

子供の頃は、明るくなってから暗くなるまで外で遊び回っていたが、その美しい姿を鮮明に覚えている鳥がいる。3月頃、まるでおとぎ話しに出てくるようなカナリアより大きくて頭の毛が後ろ逆立ったような鳥である。2,30羽が一本のナナカマドの樹に群がり赤い実を啄ばむ。当時としては随分近くで見ることができる鳥でもあった。この鳥だけは獲ろうなどという気持ちはおこらず。できるだけ近くで見ていたが、すぐ一斉に飛び去ってしまった。当時は、リンゴ、ミカンなどを鳥に与えるなんていうことは全く考えられず、ただ樹に群がっているのを偶然に見ていただけであった。後で、それはヒレンジャクかキレンジャクだ知った。久しぶりにその綺麗な姿を見てみたいと思っている。

2008年2月18日月曜日

ハマナスの萎んだ果実(続)


ハマナスの実を食べたくなったので、イヌの散歩がてらに実を取ってきた。現場で一個摘み取ってその場でかじって食べてみた。びっくりだ。子供の頃食べた味と違う。まるで、霜にあたったガマズミの実を食べたような歯触り、舌触りであり、味も酸っぱい。もぎ取ってきたもう一個(上の写真)を割って、食べてみたが、やはり酸っぱい。甘味が感じられず、ただ酸っぱいだけだ。真冬の萎びた実なので、糖分が発酵して酸っぱくなったのだろうと思う。今夏でもぜひとも熟したヤツを食べてみたい。
縦に裂くと、中軸に沿ってタネが縦に放射状に並んでいる。その回りには触ると痒くなった細かい毛が密生している。この細かい毛が柔らかい皮膚に突き刺さるために口の回りなどが痒くなったのだろう。

2008年2月17日日曜日

ハマナスの萎んだ果実

カメラを持ってイヌの散歩。道路脇に植栽されたハマナスが氷状になった雪に埋もれている。萎んだ赤い実が、子供に採られず、鳥に啄ばまれもせずに残っている。

子供の頃の夏、釧路の海岸段丘一帯はハマナスやガンコウラン、フレップ(コケモモのこと)の花が咲き乱れた。 8月上旬には、ガンコウランの黒い実やフレップの赤い実は、ぼくら餓鬼たちのおやつであった。 中、下旬にはハマナスの赤く熟した実を争うように、採集して食べた。
ガンコウランやフレップの実よりもハマナスの実は旨かった。

ハマナスの実を割ると中に細かな毛に混じって黄色い種が入っていた。 種を取った手で、身体の柔らかい部分を触ると痒くなった。 それでもできるだけ多く採って口に放り込んだ。当然、口の回りも痒くなった。
一度、たくさんの実を採って帰った。お袋がそれらを一つ一つ種を取り出し、ジャムを作ってくれた。

今の子供たちはハマナスの味を知らないだろう。
暮れにお袋が倒れたので、釧路にきている。

2008年2月14日木曜日

恐ろしい鹿児島選挙違反事件

鳩山法相の発言は国民の立場からするとズレている。
警察側がでっち上げた鹿児島選挙違反事件は、冤罪と名付けるのもおこがましい恐ろしい犯罪である。
警察側の一方的なでっち上げによって、平穏に暮らしていた国民がいきなり警察の取調べを受け、拷問にも値するような異様な取調べを受ける。もし、この事件が一人だけを狙い撃ちにしてでっち上げられたならば、気の弱い人なら泣き寝入りしていたかもしれない。
このでっち上げに対して、警察側はどのような謝罪をしたのだろうか?冤罪にしてもロクロク捜査もしないで状況証拠が少しでも似ていれば、警察側の思い込みによって犯罪者にされてしまう。この冤罪は、犯罪そのものが生じているのだから、犯人がいる。
しかし、鹿児島選挙違反事件は事件そのものが発生していないのにもかかわらず、警察側で勝手にありもしない犯罪を作り上げて、その犯人として勝手に弱い国民に白羽の矢を当てる。
このような事件をでっちあげて、国民を犯罪者扱いした警察官には10年間に渡り減給するとかの制裁が必要ではないか。

このような警察の横暴がこのぼくたちの国で起きていることに恐ろしさを感じる。

2008年2月4日月曜日

初氷だが、、、、、

       昨日の雪で倒れたゼラニュームの花とスイレン鉢の薄氷

昨日降った雪で、気温が冷やされ零下まで下がったようだ。
スイレン鉢の水に薄氷が張っている。
実に久しぶりに見る庭の氷である。
ここに引っ越してきた30年前頃は、最低気温0度以下の冬が続いていた。
引越し祝いにもらった火鉢に水を容れて金魚を飼っていたが、冬になると凍るので、金魚を部屋の水槽に移し変えなければならなかった。
その火鉢も水を汲み出すのを忘れていたために凍って割れてしまった。
そのような冬が当たり前だった。
当然、ゼラニューム、ベゴニアの鉢やゴムの木の鉢は晩秋には部屋に取り入れたり、サンフレームを作ってその中に取り込んでいた。

それが今はどうだろうか?写真にも写っているが、ここ藤沢市湘南台ではゼラニュームは庭に植えっぱなしでも冬越しできる。30年前、ゼラニュームが屋外に植わっていたのは、この辺りでは湯河原や熱海であった。

地球の温暖化が、私たちの目に見えるスピードで早まっている。

2008年2月2日土曜日

冷凍餃子

問題になっている冷凍餃子について、考えさせれた。
冷凍食品をオイシイ、ウマイと思って食べたことがない。
いつも他に食べるものが無いから間に合わせで食べている。
冷凍食品は保存用の食物である。が、その保存は冷凍庫に容れなければならない。

昔からある保存食物には、乾燥されたもの、燻製にされたもの、発酵されたもの、凍らしたもの、塩、砂糖、酢、アルコールに漬けられたものがある。
燻製や凍らしたものは乾燥に類似する。大きくは、乾燥と発酵の二つに分けられるだろう。

日本での乾燥された食物の代表は、切干大根、鰹節、凍み豆腐、麩、湯葉、干瓢などがある。
発酵食品の代表は、納豆や味噌、醤油、お酒、漬物であろう。あるいは、チーズやヨーグルトがある。その他は、キノコや山菜を一度煮て塩漬けにして保存したり、塩鮭にしたり、数の子やタラコを塩漬けにしたり、果実を砂糖漬けにしたり、ジャムにしたり、数え上げればキリがない。

これらの古来よりある乾燥食物や発酵食物は常温で保存でき、冷凍庫のような特別な装置を必要とする容器に納めておく必要がない。さらに、これらの食物は食材が美味しく変身してしまうことである。つまり、乾燥、発酵させることによって保存し、しかも異なった風味の美味しい食物に変えている。

冷凍食品は、上手に解凍して、ようやく美味しく食べることができる。しかし、食品を凍らして解凍しているので、どうしても細かなところで、水分が抜け落ちたり、植物や肉の細胞が壊れたりして、凍らす前の食品の味とは程遠いものになってしまう。将来的には、この事を技術的に解決できるかもしれないが、古来よりある乾燥・発酵による保存食品には到底敵いそうもない。

今回の事件を機会に冷凍食品を避けて、ほんの数十分の時間をかけて家族皆で餃子作りをしてみたらいかがでしょうか?