「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年3月22日土曜日

ハナダイコン (ショカツサイ)の思い出

ハナダイコンOrychophragmus violaceusはアブラナ科エゾスズシロ属である。この花にはショカツサイやアラセイトウという名前もある。

中国が原産であることは知っていた。
2月、3月のキンシコウ調査が終わる頃になると、秦嶺山脈の麓の山はモモの花を含むバラ科の樹木の花々が咲き、足元には薄紫色のハナダイコンの花が咲いている。
野山の春は素晴らしい。
桃源郷とはこんなものかと石に座る。

2008年3月17日月曜日

釧路湿原道路

サルルン展望台からの帰路、新しくできた釧路湿原道路を通って帰宅した。見ての通り、ぼくが運転している車以外、一台の車も見当たらない。
車から降りて、阿寒方面を撮った。クリックすると右の高台の上に釧路市湿原展望台の建物が写っているのが確認できる。
この道路は、一体全体何のために建設されたのだろうか?この数年間、帰省する度に中学生の頃釣りした新釧路川を溯上しようとすると、この建設工事のために行く手を阻まれていたのである。工事中は一直線に埃が舞い上がっていた。
http://www.mars.dti.ne.jp/~koitiro/hokkaido-tikamiti/kushiro/00Map-kushiro.html

湿原を東西にブッタ切るように道路が作られている。上のアドレスをクリックして下さい。

今後、この影響が湿原の環境に悪影響を及ぼすことは目に見えている。


環境省はどのような理由の下に、道路建設を許可したのだろうか?日本の省庁の中でもっとも力が弱い部署のため、圧力に屈してしまったのだろう。

ナワバリと人の生活

美容室から戻ってきた妹は、「あの店は夏前には閉めてしまう」と残念がっていた。付近に他に4軒も美容室ができたので、食べていけなくなってきたからのようだ。

どんな脊椎動物でもナワバリ(あるいは行動域)を形成する。個体でもつものもいれば集団でもつものがいる。群れて生活しているメダカでも金魚鉢に5、6匹入れるとナワバリを形成する。

ナワバリとは同じ仲間に対する個体や集団の空間的占有地域であり、同種の社会を秩序づけている。

私たち人間は集団生活をしているが、さまざまな状況で個人が持っている動物的ナワバリ感覚が表れる。いろんな状況の場所取り、席取り、順番待ちである。
花見で良い場所を占めるには、早朝から敷物を敷いたり、杭を打って紐を廻らしたりして自分の場所を宣言し、確保する。以前の小学校の運動会の父兄席はそうやって家族の場所が占められた。占められた場所は、他人が犯すことはできない暗黙の合意がある。
この場所取りが、電車や映画館の自由席の席取りに変わるが、これも一度占められた席を力づくでどかそうとはしない。席が空くと待っていた人がそこを占めることができる。つまり、順番待ちである。順番待ちの列に割り込む者は非難を浴びる。

ナワバリの機能は、場所取りとか順番待ち以外に、私たちの経済社会でも存在していた。お風呂屋、床屋、酒屋、米屋、クリニング店、雑貨屋、魚屋、肉屋はその地域に応じた数のものが存在していた。あるいは、タクシー会社やバス会社の数までも、それぞれの組合や連合会が互いに自主規制していた。
この自主規制は資本主義経済が生まれる前からあった素晴らしい制度であり、経済生活の歴史とともに必然的に形成されたものであると考える。

しかし、今は、消費者に安くて質の良いものを提供しようということで、規制を緩和して自由競争させる政策が大事にされている。その結果、いたるところに理容室ができ、過当競争の中で、市場調査などできない昔からあった個人の経営規模の小さなお店がつぶれていっている。新たに参入した店もやっていけなくなり、目まぐるしく変わる。釧路の街にどうしてこんなにタクシーが走っているのと不思議に思うくらいだ。これでは皆食べていけなくなり、消費者に安くて質の良いものを提供できなくなる。

大手のスーパーマーケットやコンビニ、安売り店の出現によって多くの地域の商店が消えてしまっている。また、この大手のスーパーやコンビニ間でも過当競争が行われるため、ある日突然、目の前にあったスーパーが消えてしまう。建売住宅の宣伝文句には「付近には、コンビニやスーパー、安売り店があり、便利」とうたっていたのだ。 が、5年もたたないで様変わりしてしまう。寒々とした荒廃した地域社会を作り上げているものに、この競争による経済界の不安定さがある。

今の政府は市民生活のことを考えていないので、市民生活の面からみた経済社会を見直す必要がある。市民生活には、順番待ちのようなナワバリ機能が生かされているのに、経済生活では、それが行政の力で取り払われてしまった。以前のような銭湯組合、理容組合などの自主規制がある程度必要ではないのか、そうすることで、社会秩序が維持され、人々が安心して生活できるのではないのだろうか?

2008年3月16日日曜日

サルルン展望台

最初に見つけたサルルン展望台近くのフクジュソウ一輪
近くにまとまって咲いていた。まだ、蕾の頭だけ出したばかりのものが多かった。
エゾジカの足跡。さすがにデカイ。
エゾジカ道がいたるところに走っていた。帰路、3頭のメスジカが国道を横断するのに出会った。 コゲラであってますか?ミズナラの木をつついていた。
サルボ展望台から:遠くの山並みは知床連山。手前はシラルトル湖。
今朝、9時過ぎにお袋と妹を乗せて釧路湿原が見渡せるサルボ展望台とサルルン展望台へ行ってきた。車の窓から入る日差しが強く、ハンドルを握る手の甲が日焼けしてひりひりしてくる。
展望台の登り口に駐車する。そこから、階段を登らなくてはならないので、お袋とイヌたちを車に残す。階段をゆっくり駆け上り尾根に着く。久し振りに走った。そこから左手がサルルン展望台で右手がサルボ展望台である。下をクリックすると釧路湿原サルルン展望台がみられる。
エゾジカ道が縦横についている。また、足跡や糞もある。

サルルン展望台への尾根道で、木柵があらわれたところで、フクジュソウを一輪見つける。いろいろ眺めていると、後ろにも横にも蕾の頭をもたげていた。今日は暑いと思えるほど日差しが強いので、午後には咲くのかもしれない。
湿原越しに阿寒の山々をみていたら、タンチョウが編隊を組んで飛んでいく。今度はサルボ展望台にいく。そこは、湿原を見張らせるように塔が建っていた。
釧路地方もようやく春が走ってやってきたようだ。が、サルルン湖の谷内坊主の水溜りをみたが、まだ氷が多く、カエルの卵は見つからず。

2008年3月15日土曜日

釧路川の水鳥

一昨日、釧路川で撮った水鳥を矢部康一さんに教えてもらった。上がコガモで、下はカモメの冬毛の抜け替わりの時のもののようだ。

カモというと旨い肉の代表みたいなものだが、一度も食べたことがない。カモシカはカモのように美味しいシカということで名付けられている。が、もちろんカモシカは天然記念物ということもあて、食べたことがない。一度でも味わってみたいものだ。
否、味わった。
キンシコウの調査地ではニホンカモシカの仲間が2、3種類いる。彼らが滑落して死んでいる(HPの「秦嶺山脈の動物たち」を見て!)。その肉を失敬して食べた。が、旨い! 美味!とはまったく感じなかった。ニホンカモシカは旨いが、他のカモシカの仲間はそうでないのか?
カモメまで名前が分らないなんて、まったく鳥痴である。ヒバリやカヤクグリやアオジなどの巣を見つける天才だったが、、、、、。

大学は生物科だったので、昆虫の名前、しかも甲虫だとか、甲虫でもカミキリムシだとか、チョウチョウの名前に詳しい者、鳥の名前に詳しい者、草木の名前に詳しい者がいた。

釧路では、セミは草むらで鳴いていて、ゆっくり手づかみできた。エゾクマゼミというようだ。上京して、近づいただけで銀バエのように飛ぶ、小さなセミたちが何種類もいるのでびっくりだ。チョウチョウもモンシロチョウ、キチョウ、アゲハ、キアゲハと、あとはタテハチョウの仲間が少しいるくらいで、セセリは大学で友人から教わるまでガの仲間だと思っていた(本当はもっともっとチョウが生息している)。

いずれにしても、種類が少ないのでコレクションするような興味がわかなかった。もっぱら、飼うことだった。が、多くは飼いきれなくて殺してしまった。鳥の巣を見つけ、孵化するまで毎日のように見続け、孵化したばかりのアカムクレの雛を持ち帰り殺したことになる。小学3、4年生くらいまでの話しである。

カジカとメメセン

今朝、知人が生昆布とカジカとメメセンを持ってきてくれた。カジカはあまりにもデカイのでさっそく腹を裂いて内臓を取り出し、美味しい肝臓などを取り分け、頭から出刃で縦に切り、ぶつ切りにしてボールにいれて、メメセンなどと共に兄貴の家に持っていく。

胃はドッチボールくらいに大きくなっており、裂くと、殻付きのツブやエビや溶けかかった得体の知れない魚などが一杯入っている。ツブの殻だけを取り出して、胃だけ煮てもおもしろうそう。
カジカはグロテスクなので小さな画像にしました。もちろんクリックするとデカクなります。

カジカの味噌汁はあらゆる味噌汁の中でもこれほど旨いものはないだろう。と思うくらい素晴らしいダシが出て旨い。サカナの肉、そのものは煮ると硬くなってたいしたものではない。だから、でかい頭も出刃で叩き切ってダシをだすためにいれる。山吹色の肝臓が旨いので子供の頃は随分欲しがったものだ。

カジカは味噌汁でしか食べたことがない。生の時はアンコウのようにフニャフニャな肉だ。下半身の肉の部分を唐揚げにしてみよう。

メメセンは釧路の方言でキンキのことである。いただいたメメセンは20センチ以下の小型のもの。どうするか?メメセンは鱗を落として、開いて塩をふって一夜干しにするか、あるいはワタをだして、塩一摘みを入れてひと煮して、熱々のところを大根おろしで食べるか、、、これが、好きだった。このメメセンは小さいので、薄醤油で煮る? 

今日は、お袋の二人での夕食なので、昔のように、カジカの味噌汁とメメセンは煮て大根おろしで食べることにしよう。もちろん、ビールは欠かせない。

2008年3月14日金曜日

流氷乗り

上の写真は3月11日のお昼前のものです。
ぼくの話しを聞いて実家の釧路ふたば幼稚園では、子供たちを連れて21年ぶりという流氷見物にいきました。
そこで、流氷に乗って遊んだのがこれです。
この後、ぼくがお袋と義姉を連れて行ったのですが、その時には海岸には降りられないように立ち入り禁止の標識が付いた柵が設けられておりました。

ここは、市が作った砂浜で 、暖かい季節にはここで子供たちが裸になって遊んでおります。
どうも、良心的な市民が園児が流氷の上で遊んでいると知らせたのでしょう。そのためにぼくらが行った時には立ち入り禁止になっていたわけです。

子供を引き連れていった妹の話しでは、この流氷は砂浜に打ち上げられたものなので危険ではない、市はすぐ立ち入り禁止の看板を立てると憤慨しておりました。

危険にさらされたことの無い子供はどのようなことが危険なのかわからずに、あるいは適切な行動ができずに大人になっていく。

この煽りを受けて、ぼくはオンザロック用に流氷を持って帰えることができませんでした、、、。残念!

「子供の頃に、海に浮かぶ流氷の上を飛び歩くのは楽しかった」とお袋が懐かしがっていた。

2008年3月12日水曜日

子供の距離感と大人の距離感

3月9日に釧路川下流域で見つけたキンクロハジロ(矢部康一さんにメールで教えてもらう)。双眼鏡で見ると冷酷な目をしたカモです。どうもこれらはオスグループのようです。
子供の時は、お正月からお正月の丸1年は永遠にありそうなくらい長いものだった。あるいは、朝起きての朝食からから夕食までの時間は随分長く感じた。いつも空腹を忘れるために外をとびまわっていた。それが今ではすぐやってくる。先ほど、朝食を食べたと思ったらもう夕食を食べなくてはいけない。今年ももう桃の節句を過ぎてしまった。すぐ、新学期で端午の節句、梅雨がきて、夏休みとなっていく。
子供と大人では、このような時間感覚の違いはどのような原因・理由によって起きるのだろうか?子供の時間は密度が高く濃いもので、大人の時間は密度が低く希薄に感じる。

還暦を過ぎたぼくの記憶の中でも7、8割を子供の頃の記憶が占めている。子供の時間は密度が濃いから当然であろうか?「三つ子の魂百までも」という諺もあるし。この問題は宿題である。

釧路に来て、お袋とイヌたちを連れてゆっくりと1時間くらい散歩している。子供の時すごく遠方の地に思っていたようなところが、こんなに近いところにあったのかと驚いてしまう。

子供の頃の距離感と大人になってからの距離感がまるで違う。子供の頃は見知った町内から外れるともう不安になる。自分の安心できる地域というものと既知の地域が同じである。一歩、既知の地域から外れると、もうそこが100メートル離れようが、1キロ離れようが同じくらい不安で遠い地域にきたという感じをもつ。
子供が認識している地域が非常に狭い範囲であるのに対し、大人はかなり広い地域を認識している。これは、子供と大人の持っている情報量の違いであるだろう。大人は実際に行ったことのない地域でもさまざまな情報によってその地域を認識しているが、子供はたとえさまざまな情報が与えられたとしても情報を読み解くための経験が不足している。

この子供と大人の距離感の違いを情報を読み解く能力や経験の違いとするならば、個人によって距離感の違いがありそうだ。あるいは、絶対距離が同じであっても、その地に通勤通学している者ならば、そうではない地は遠くに感じる。同じ湘南台に住んでいる人にとっても、池袋を近いと思う人もいれば遠いと思う人もいる。恋人が池袋にいるならば、距離は関係ない。

となると、距離感の相違は、情報量とその分析能力、認識力、さらには自分の身が置かれた状況との情緒的感覚の違いであろうか? 
いずれにしても、大人になって認識世界が広がり、広がったために世界が狭く感じ、距離感が短くなっていく。

2008年3月11日火曜日

二日間だけの流氷接岸

流氷は今朝にはもうなくなっていたようだ。二日間だけの接岸だった。昨夕からの北風で沖合いに流されてしまったようだ。今は、雪が降っている。道東地方には流氷情報が天気予報とともに流れる。
昨日、早朝は一人で、午後からは91歳になるお袋と義姉を連れて流氷を見に行った。その帰り、義姉のナビで釧路港を車で見て回る。子供の頃、釣りをした岸壁は今は立派な埠頭になっており、大きな船が係留されていた。「ん?そうや!まさか、あのそうや?」 出てきたコックのような乗組員に聞く。「これでは南極の氷の海は無理です。」と応えられて、あれは宗谷だったことに気がつく。海上保安庁の沿岸警備艇だった。
岸壁と船との間で、中高年の人たちが寒そうに釣りをしている。チカであった。写真を撮らせてもらう。このバケツの人はぼくらの後から来て釣り糸を垂れた。皆一斉に「来た!」と言いながら次々に竿を上げる。2匹釣れ、3匹釣れとなってあげる人もいる。チカの群れが丁度回遊してきたようだ。道理で、近くのスーパーで10匹で50円で売っていた訳だ。フライではなく煮魚にした。
ぼくも小学低学年の時は鼻水を袖で拭い、手はしもやけ、アカギレ、イボ状態、頬はシラクモといった当時の子供としては普通?の姿でチカ釣りをしたものだ。当時の釧路は漁港で持っていたので、川魚や沼で釣れるワカサギはニワトリの餌であった。が、チカやコマイ、カレイは違った。カレイは釧路川の中流でも時々釣れた。当時はアクアリュームの設備など皆無だったので、カレイを水槽で生かして飼うことができなかった。
今日も、近くのスーパーに魚を見に行くと、20センチ前後の小さなコマイ14匹が180円で売っていた。もちろん買い、すぐハラワタを出して塩を振り、一夜干しにする。寒風に晒すだけで美味くなる。お袋も妹も、何故か肉好きだ。ぼくが帰省すると美味しい海産物が味わえると喜んでいる。釧路には新鮮で美味しく、しかも安い魚介類があるのを忘れてしまっていたようだ。明朝の味噌汁の実は100円で売っていたタチ(タラの精巣)だ。
近隣で採れた、獲れた季節の物を食材に使っていきたいものだ。


2008年3月10日月曜日

流氷接岸

今朝は早起きして、千代の浦海岸に流氷を見に行く。21年ぶりに釧路沿岸に接岸したと昨日のTVでやっていた。沖合いにあった流氷が昨日のお昼頃に海岸に着く。ぼくが二日前に見にいった時は遥か沖合いにあった。

流氷は樺太やシベリアの川や海で生まれたものが、春とともに太平洋に流れ出し、親潮に乗って釧路沖まで流れてくる。それが、銚子沖まで流れないで、南風によって、釧路沿岸に辿り着く。

流氷にはオホーツクの哺乳類も一緒に乗ってくるので、見渡したが確認できず。波間にはカモの仲間が20羽くらい漂っていたのと、カモメの仲間とカラスが数羽流氷の上で羽を休めていた。

昨日、今日と温かい、流氷到来とともに春が戸を叩いている。

2008年3月8日土曜日

釧路沖の流氷

釧路沖に5年ぶりに現れたという流氷を見にいった。車で20分くらいで千代の浦海岸にそびえる紫雲台墓地に着いた。ここの南端は断崖になっており下は海である。それぞれのお墓の前まで車で乗り付けることができる。南端まで行き、遠くの海を見ると、流氷が遠くに帯状にひしめいている。

子供の頃、朝礼で、「流氷の上に乗って遊ばないように!」と挨拶があった。あるいは「川を流れ下ってくる氷で遊ぶことは危険である」と云う注意があった。

それでも流氷に乗って遊ぶ子供が多かった。流氷に跳び乗るには勇気と瞬発力が必要とされた。滑って落ちれば氷の下の海や川の中である。
そのような子供たちの遊びに大人もいちいち干渉しなかったし、怪我をしたり、死んだりしても親は嘆き悲しむだけで誰も責めなかった。

2008年3月5日水曜日

ギンナンの溜め糞とイチョウの木

下の写真は、2004年11月に学生と奥湯河原の尾根道を下った時に見つけたタヌキのギンナンの溜め糞である。この事に関しては拙著「野生動物発見!ガイド」のP.91を読んでみて! 北海道の生まれのぼくにとってはイチョウの木にギンナンがなっているのを見たのは上京してからであり、まして地面に落ちている実を拾ったのはずーと後になってからであった。

一つ拾ったが、あまりの悪臭に捨てた。が、その後異変が起きた。小便をしたあと、何故か異様に陰部が痒いのである。それが銀杏の腐りかけた実を拾ったために生じた症状と知ったのは、陰部がかなり爛れた頃だった。

ギンナンは大好きである。茶碗蒸しに容れたのは無論のこと、封筒に容れてレンジでチンし7、8個パン、バチ、パンと弾けたのを見計らって取り出して、そのまま食べるのも旨い。

教え子のK.K.さんから今年も庭で採れたという綺麗なギンナンが送られてきた。下の袋のギンナンは送られてきたものの一部である。適度に柔らかく美味だ。 山の中でイチョウの木が生育しているのを見たことがない。イチョウは中国原産で、渡来してきてから有に1千年?以上は過ぎているだろう。

ギンナンを植えると翌年には芽が出て実生のイチョウの木を育てることができる。奥湯河原のタヌキは街まで降りてギンナンを拾い食いしてきて、それを糞として排出している。動物たちは果実を食べて種子を排出することで種子分散をおこなっている。

果実のタネの多くは腸内を通過することによって発芽しやすくなるようだ。そのため、木の実のタネを発芽させるには、お風呂の残り湯に一晩浸けておくと発芽しやすいと園芸の本などには書かれている。

しかし、山中でイチョウの木が生育しているのを見たことがない。発芽しかかった時、あるいは腸内で綺麗になったギンナンは今度は別の動物に食べられてしまうのだろうか?例えそうだとしても里山であっても、山中に一本もイチョウの木がないのはどういう訳だろう。

我が家の狭い庭にでもネズミモチ、ピラカンサ、マンリョウ、キューイフルーツまでもが鳥の落し物によって芽生えてくる。山では、実生のイチョウの生育を阻害するどんな要因があるのだろう。

今年始めてのフキノトウとムササビ確認

昨日、自然探索仲間のK.Y.さんと奥湯河原の天昭山神社に行く。途中の河原でフキノトウを摘む。まだ、フキノトウの季節としては10日ほど早い。今夜はこれを酢味噌和えで一杯やるのが楽しみだ。ぼくはビデオの1台をスギの木の三つの穴に向け、もう1台を軒下の一つの穴にセットし5時にスイッチを入れる。Yさんは別の軒下の穴にビデオを向ける。幸いなことに雨が止んだ。
Yさんは防寒対策に早くも羽毛服、ズボンを着始める。

5時03分:突然、アオゲラがキョキョキョキョッ!とけたたましく啼いて杉の木の幹に止まり、飛んでいく。ウン?穴から出たの?二人ともわからない。
5時55分:もう辺りは真っ暗、前の藪の木がぼーっと白い人が立っているように見える。すでに、ぼくのビデオは2台ともテープが終わったようだ。赤く点滅していたものが見えない。上を見上げると神社の屋根やスギの幹が空にシルエットとして見える。
6時10分:穴がたくさんあるスギの幹にムササビが頭を上にしているシルエットがある。「出た!ムササビ!」と小さな声を出しながら右手で指差す。Yさんは見たかな?と思いつつ、カメラを向けようかどうしようか判断が下せないうちに見えなくなる。5秒くらいも見ていただろうか?
「飛んだ!」と二人同時に声にならないような声をだす。神社の屋根の遥か上を真っ黒な座布団が飛んでいった。

Yさんの話しでは飛んでいったムササビが途中の木に着木して「グル、グル」とムササビ特有の声を出していたようだ。マラリアを何度かやって以来難聴になってしまったぼくには聞き取れず。

穴がスギの木にも神社の軒下にもたくさんあるから、まだ出てくるだろうと待ったが待ちきれず、ミゾレが降り始めてきていたのでビデオを回収し始める。

6時20分:神社の天井を走り、軒下からでるような音がした。その頃はヘッドライトをつけていたので、目は暗闇に慣れず、明かりが届くところしか見えず。

ムササビを確認したことで満足し、山道を下る。これが雨で滑るのと、これほどゴツゴツとした道だったのかと思うほど、ヘッドランプに照らされた道に難儀する。舗装された平坦な道に慣らされていた自分たちを知ることになる。

2008年3月2日日曜日

お祈りをするサル


アンコールワットの遺跡を観光してきた丹沢サル観察し隊のT.Yさんから面白い写真が送られてきた。
サル(これはニホンザルと近縁なカニクイザルのオトナオスですね)が進入禁止の遺跡の門前で一心に何かを祈っているようだったと言うのです。で、彼の心を乱さないように近寄って撮ったのが上の写真です。

辺りに人影はなく静かな森の中の寺院の遺跡のようです。

サルだから遺跡の寺院の前でこのような姿勢でいるとT.Yさんでなくても祈っているように思いますね。

では、このサルは何をしているのかとというと、その格好から休息して目を閉じているところだと思います。ニホンザルでもチンパンジーでも樹の又に腰を下ろし、両手、両足を会わすようにして休息することがあります。周りに他のサルたちがいたらなら、群れ内でも順位の高いサルでしょう。周りにサルの気配がなかったらなら、ソリタリー(ハナレザル:群れから離脱して、他の群れに移籍する途中か、群れとは一見関係なく生活しているサル)で、気温30度で静かな森の中で眠くなったものと思います。





2008年3月1日土曜日

ドングリの春

5時半に家を出て、およそ1時間かかって目的地の奥野林道ゲート前に着く。イワナやヤマメなどの釣りが解禁されたようだ。今日は随分渓流釣りの人たちの車がとまっている。サルのことを聞くと、金沢林道や神ノ川林道で群れに出合ったことがあると教えてくれる。

奥野林道は雪が凍っており、滑って歩きにくい。馬の背を過ぎて狐の面の岩場が見えるところまで行く。ここから見える蛭ヶ岳や丹沢山の雪に被われた北斜面が見える。

引き返して、松茸山に行くことにする。マメガキのタネが入ったタヌキの溜め糞とテンの糞を見つける。
階段を登る、ここは日向になっている。歩いていると暑いくらいだ。
ミズナラのドングリがまだたくさん落ちている。ネズミたちや、リスもイノシシもサル、シカ、カモシカも今年の冬は飽きるほどドングリを食べたことだろう。
ドングリを登山靴で踏んで潰してしまわないように注意して歩く。
どのドングリの種皮も割れて胚が赤褐色になってむき出しになっていて、根がでて地面に伸びている。
美味しそうだ!南斜面は春。

     振りかえって見る蛭ヶ岳の北斜面は寒々しい。北斜面はまだ真冬。





2008年2月25日月曜日

零下の世界での想い出

        玄関前の曇りガラスのように凍りついたガラス

高校以来かもしれない。風呂上りに零下の夜を歩いた。
深々と寒さが刺しこんでくる。鼻水は凍り、鼻の中はもぞもぞする。顔面がなぜかつっぱったような感じ、濡れタオルはすぐ氷つき、広げていたまま板状となる。すぐ車にのる。あと5分も外にいれば、口髭や前髪も吐く息で氷つく。

家に着いて玄関の戸を開けたとたんメガネが曇った。子供の頃、寝る時には、湯たんぽを布団の中にいれていた。その後練炭を入れたカイロを使い、電気アンカ、電気毛布へと変わっていった。湯たんぼの時は、家の構造も貧弱だった。壁には断熱材など使っていなく、窓も二重ではなかった。居間に置いている金魚鉢の水まで凍った。凍った金魚鉢をストーブの近くに置いて氷を溶かした。氷に被われていた金魚は静かに動きはじめた。しかし、たいていは死んでしまった。寝ている布団まで凍った。ちょうどお腹の辺りの掛け布団と息がかかる掛け布団や毛布がバリバリに凍っていた。

しかし、今の北海道釧路の実家では終日、床暖房が効いており、ソーラシステムで部屋を温かくしている。そのため、美味しい漬物をつけることができなくなってしまった。母屋と離れた場所に物置でもない限り漬物樽を置いておく場所がない。この二十数年、実家に戻ってきても美味しい漬物はもらいものか、スーパーで買ってきたものだ。シャリシャリと粗目状の氷が混じったニシン漬け、ハタハタやカレイの飯寿司、大根や蕪の味噌漬や粕漬け、さらにはイカやサケの塩辛が懐かしい。
快適で便利な生活の上で、美味しい味覚を味わえなくなってしまった。

2008年2月23日土曜日

降雪の中のタンチョウヅル


雪が降る中をまりも国道(国道240号)を走り、阿寒国際ツルセンターへ。広い駐車場には車がたくさん停まっている。タンチョウ観察センターで、大人400円の入館料を払って外へ出ると。二名の外国人を含む多くの人たちが三脚を立て、長いレンズをつけたカメラをタンチョウヅルへ向けている。湿った雪が降っているため、タオルやビニール袋を被せてレンズやカメラを守っている。手足が寒いのだろう、カイロで手を温めている人が多い。様子からすると、もう何時間も否、何日もタンチョウヅルの一瞬の美しい姿を撮影するために待っているようだ。
ここは給餌場であるので、ハト、カラス、トビもいる。オジロワシやシマフクロウもやってくるようだ。

ぼくは兄貴夫婦に連れられて、すぐ側にある町営の「赤いベレー」で温泉(400円)を楽しみ、そのレストランで食事をする。ここのソフトクリームは絶品とのことだ。シカ肉やダチョウ肉の刺身やステーキを含めたさまざまな献立がメニューにでてあった。釧路市内でもシカ肉料理のレストランがいくつかあるようだ。



2008年2月22日金曜日

ヒヨドリが、、、。

ヒヨドリがいる。始めてヒヨドリを見たのは冬の金沢八景の横浜市大の構内であった。「ヒーヨ」と啼く鳥がヒヨドリだと友人から教わったのだった。冬になると山から里に下りてくる鳥だと知った。そのヒヨドリが釧路の実家の幼稚園の庭に来ている。これも釧路が温かくなっている証拠かな、、、。

子供の頃は、明るくなってから暗くなるまで外で遊び回っていたが、その美しい姿を鮮明に覚えている鳥がいる。3月頃、まるでおとぎ話しに出てくるようなカナリアより大きくて頭の毛が後ろ逆立ったような鳥である。2,30羽が一本のナナカマドの樹に群がり赤い実を啄ばむ。当時としては随分近くで見ることができる鳥でもあった。この鳥だけは獲ろうなどという気持ちはおこらず。できるだけ近くで見ていたが、すぐ一斉に飛び去ってしまった。当時は、リンゴ、ミカンなどを鳥に与えるなんていうことは全く考えられず、ただ樹に群がっているのを偶然に見ていただけであった。後で、それはヒレンジャクかキレンジャクだ知った。久しぶりにその綺麗な姿を見てみたいと思っている。

2008年2月18日月曜日

ハマナスの萎んだ果実(続)


ハマナスの実を食べたくなったので、イヌの散歩がてらに実を取ってきた。現場で一個摘み取ってその場でかじって食べてみた。びっくりだ。子供の頃食べた味と違う。まるで、霜にあたったガマズミの実を食べたような歯触り、舌触りであり、味も酸っぱい。もぎ取ってきたもう一個(上の写真)を割って、食べてみたが、やはり酸っぱい。甘味が感じられず、ただ酸っぱいだけだ。真冬の萎びた実なので、糖分が発酵して酸っぱくなったのだろうと思う。今夏でもぜひとも熟したヤツを食べてみたい。
縦に裂くと、中軸に沿ってタネが縦に放射状に並んでいる。その回りには触ると痒くなった細かい毛が密生している。この細かい毛が柔らかい皮膚に突き刺さるために口の回りなどが痒くなったのだろう。

2008年2月17日日曜日

ハマナスの萎んだ果実

カメラを持ってイヌの散歩。道路脇に植栽されたハマナスが氷状になった雪に埋もれている。萎んだ赤い実が、子供に採られず、鳥に啄ばまれもせずに残っている。

子供の頃の夏、釧路の海岸段丘一帯はハマナスやガンコウラン、フレップ(コケモモのこと)の花が咲き乱れた。 8月上旬には、ガンコウランの黒い実やフレップの赤い実は、ぼくら餓鬼たちのおやつであった。 中、下旬にはハマナスの赤く熟した実を争うように、採集して食べた。
ガンコウランやフレップの実よりもハマナスの実は旨かった。

ハマナスの実を割ると中に細かな毛に混じって黄色い種が入っていた。 種を取った手で、身体の柔らかい部分を触ると痒くなった。 それでもできるだけ多く採って口に放り込んだ。当然、口の回りも痒くなった。
一度、たくさんの実を採って帰った。お袋がそれらを一つ一つ種を取り出し、ジャムを作ってくれた。

今の子供たちはハマナスの味を知らないだろう。
暮れにお袋が倒れたので、釧路にきている。

2008年2月14日木曜日

恐ろしい鹿児島選挙違反事件

鳩山法相の発言は国民の立場からするとズレている。
警察側がでっち上げた鹿児島選挙違反事件は、冤罪と名付けるのもおこがましい恐ろしい犯罪である。
警察側の一方的なでっち上げによって、平穏に暮らしていた国民がいきなり警察の取調べを受け、拷問にも値するような異様な取調べを受ける。もし、この事件が一人だけを狙い撃ちにしてでっち上げられたならば、気の弱い人なら泣き寝入りしていたかもしれない。
このでっち上げに対して、警察側はどのような謝罪をしたのだろうか?冤罪にしてもロクロク捜査もしないで状況証拠が少しでも似ていれば、警察側の思い込みによって犯罪者にされてしまう。この冤罪は、犯罪そのものが生じているのだから、犯人がいる。
しかし、鹿児島選挙違反事件は事件そのものが発生していないのにもかかわらず、警察側で勝手にありもしない犯罪を作り上げて、その犯人として勝手に弱い国民に白羽の矢を当てる。
このような事件をでっちあげて、国民を犯罪者扱いした警察官には10年間に渡り減給するとかの制裁が必要ではないか。

このような警察の横暴がこのぼくたちの国で起きていることに恐ろしさを感じる。

2008年2月4日月曜日

初氷だが、、、、、

       昨日の雪で倒れたゼラニュームの花とスイレン鉢の薄氷

昨日降った雪で、気温が冷やされ零下まで下がったようだ。
スイレン鉢の水に薄氷が張っている。
実に久しぶりに見る庭の氷である。
ここに引っ越してきた30年前頃は、最低気温0度以下の冬が続いていた。
引越し祝いにもらった火鉢に水を容れて金魚を飼っていたが、冬になると凍るので、金魚を部屋の水槽に移し変えなければならなかった。
その火鉢も水を汲み出すのを忘れていたために凍って割れてしまった。
そのような冬が当たり前だった。
当然、ゼラニューム、ベゴニアの鉢やゴムの木の鉢は晩秋には部屋に取り入れたり、サンフレームを作ってその中に取り込んでいた。

それが今はどうだろうか?写真にも写っているが、ここ藤沢市湘南台ではゼラニュームは庭に植えっぱなしでも冬越しできる。30年前、ゼラニュームが屋外に植わっていたのは、この辺りでは湯河原や熱海であった。

地球の温暖化が、私たちの目に見えるスピードで早まっている。

2008年2月2日土曜日

冷凍餃子

問題になっている冷凍餃子について、考えさせれた。
冷凍食品をオイシイ、ウマイと思って食べたことがない。
いつも他に食べるものが無いから間に合わせで食べている。
冷凍食品は保存用の食物である。が、その保存は冷凍庫に容れなければならない。

昔からある保存食物には、乾燥されたもの、燻製にされたもの、発酵されたもの、凍らしたもの、塩、砂糖、酢、アルコールに漬けられたものがある。
燻製や凍らしたものは乾燥に類似する。大きくは、乾燥と発酵の二つに分けられるだろう。

日本での乾燥された食物の代表は、切干大根、鰹節、凍み豆腐、麩、湯葉、干瓢などがある。
発酵食品の代表は、納豆や味噌、醤油、お酒、漬物であろう。あるいは、チーズやヨーグルトがある。その他は、キノコや山菜を一度煮て塩漬けにして保存したり、塩鮭にしたり、数の子やタラコを塩漬けにしたり、果実を砂糖漬けにしたり、ジャムにしたり、数え上げればキリがない。

これらの古来よりある乾燥食物や発酵食物は常温で保存でき、冷凍庫のような特別な装置を必要とする容器に納めておく必要がない。さらに、これらの食物は食材が美味しく変身してしまうことである。つまり、乾燥、発酵させることによって保存し、しかも異なった風味の美味しい食物に変えている。

冷凍食品は、上手に解凍して、ようやく美味しく食べることができる。しかし、食品を凍らして解凍しているので、どうしても細かなところで、水分が抜け落ちたり、植物や肉の細胞が壊れたりして、凍らす前の食品の味とは程遠いものになってしまう。将来的には、この事を技術的に解決できるかもしれないが、古来よりある乾燥・発酵による保存食品には到底敵いそうもない。

今回の事件を機会に冷凍食品を避けて、ほんの数十分の時間をかけて家族皆で餃子作りをしてみたらいかがでしょうか?

2008年1月31日木曜日

ノロウィルス

 23日(水):岡山から戻ると広島から大好きなカキが送られてきていた。22日に殻から剥がしたのに、加熱して下さいとある。カキは生食が一番美味しいのに残念だ。カキ鍋にした。
 24日(木):カキのバター焼きをした。
 25日(金):東京駅前で高校の同級生と呑み会。
 26日(土):残り全部をカキフライにした。もちろん食べ切れなかった。
 27日(日):カキフライの残りでカキ丼にした。夜中、胃腸の調子が悪く目覚める。痛いというほどのことでもない。胃が少し気持ち悪いかな?という程度。お腹がゴロゴロするので、トイレに行く。下痢だった。
 28日(月):次女は何でもないようだ。元気良く仕事に出かけた。こちらは辛いので、午前中からベッドで休む。この日は何も食べなかった。
 29日(火):昨日よりも良くなったようだ。ネットでノロウィルスの症状を見る。ノロウィルスにやられたのだ。水を飲むとそのままお尻から水鉄砲のように出る。終日ベットで休む。
 30日(水):丸二日間食べなかったので、少しはメタボが改善された筈。夕食にマーボー豆腐を作る。 次女は旨いと言って食べる。こちらは胃が縮小したようですぐ腹一杯になる。
 
 二日間の絶食と久しぶりにアルコールを飲まなかったので、体内の悪いものが排出されたような爽快感!

 何故、ノロウィルスに罹ったか?それは、生のカキに触った後、手を洗わなかったせいだろう。ぼくは調理をした後で見た目で汚れていなければ手を洗う習慣が無いことを知った。以後、気をつけたい。

2008年1月27日日曜日

白鵬や朝青龍の強さ

モンゴル出身のお相撲さんの強さは、強靭な足腰と敏捷性及び集中力である。
この面に関しては日本のお相撲さんの誰も敵わない。

白鵬の大関琴三喜に対する素早い上手投げ!
あるいは、朝青龍の早さと集中力!

子供の時の外遊びの差がモンゴルと日本のお相撲さんの強さの違いであると感じた。

中学・高校・大学と全国優勝した逸材であろうとも、
幼児から小学校時代の外遊びが足りなければ、最後の勝者になれない。
格闘技の力や反射神経は子供時代の外遊びで身につくものだ。
子供時代の経験の有無は、ピアニストなどの音楽家や囲碁・将棋の棋士にも大事である。

子供が身体全体を使ってあらゆる方面にアンテナを伸ばしている時に、室内でのテレビゲームで過ごさせるのは想像力の無い人間を養殖しているようなもので、日本にとっての不の遺産を抱えることにならねば良いと考える。

2008年1月26日土曜日

梅の花が咲く

この梅の花の写真を含めて、ブログの写真を左クリックするとパソコンの画面一面に拡大されます。 この一週間、この冬一番の寒さが続いているのに、梅の蕾が膨らみ花がちらほら咲き始めた。梅の花の開花を促すのは、気温の較差ではないことが分る。このところ冬至の頃から較べると、日照時間が長くなり始めている。それを梅の木はいち早く感知しているのだ。ん?となると街路灯の近くや、ネオンサインが瞬く都会の公園の梅の木はもっと早い?

2008年1月24日木曜日

備中松山城と臥牛山のサル

岡山県高梁市は城下町であり、臥牛山の山頂には、日本の三大山城の一つである備中松山城がある。22日の降雪で幻想的な雰囲気となった。
  この臥牛山天然記念物指定地域内を遊動するサルの群れが生息している。以前は観光用に餌付けされていたが、今は高梁市社会教育委員会が保護管理している。
 農耕地への出没を食い止めるために僅かながらの給餌をしているが、人との接触が無くなったせいか、ぼくが近づくと逃げ、人を威嚇するような個体が少ない。サルたちの毛の色艶も良く、以前の餌付けのサルで見られたような怪我をしているような個体が非常に少なくなっている。
 この教育委員会にはサルの保護管理に専門に携わる若い女性職員がいて頑張っている。

2008年1月17日木曜日

2羽のメジロ

イヨカンを切って鉢の上に置いた。
どこで見ていたのか2羽のメジロがやってくる。
いつも2羽でやってくるが、2羽が仲良く採食するところを見たことがない。
2羽の間には優劣があり、必ずどちらかが逃げてしまう。
偶然に2羽が一緒になったところを撮った。
見合うと突付くので、互いに相手を見ないようにしている。

ヒヨドリにしてもそうだが、どこにいて餌の存在が分るのだろうか?
いつもどこで過ごしているのだろうか?
近くに林があるわけではない。

2008年1月16日水曜日

ムササビの巣

奥湯河原の天昭山神社野猿公園跡にノウサギを見に行った。昨年3月には、あんなにたくさんあったフンを1個も見つけることができなかった。
神社まで登ってみた。正面の屋根の最上部の棟ちかくの壁に齧られてできた拳が入るくらいの穴があいている。


さらに、軒裏をみると齧られて開けられた穴がある(下写真)。軒裏には計7個の穴をみつけた。
軒下に鼻クソを丸めたような黒っぽいものが落ちていないか探した。軒下にはヤブランが植えられていてムササビのフンを見つけ出すことができなかった。

さらに、神社の側に立っているスギの大木にも直径7,8センチの穴が5,6個開いている。このスギの木はもちろん枯れ木ではなく元気良く生きている。キツツキが虫を探した訳ではない。
春になったらテントを持ってきて、終日観察することにしよう。




2008年1月14日月曜日

電車内での飲食

先日、京浜急行電車に乗ったら、何かちょっと嫌な臭いがする。
座っている女性の二人連れが腿の間にジュースか清涼飲料水の紙パックを挟み、
コンビニで買ってきた袋からパンを取り出して食べている。
彼女らは堂々と食べて横浜で下りていった。

狭い電車内で食事は、他の人たちにとっては実に不愉快な臭いに感じる。
その臭いよりも、車内での飲食は品が良くない行動である。

帰省列車、旅行列車なら車内で食事するのは許される。
近距離間の通勤電車内での食事は慎むべきである。
お腹が空いていたとしても1時間くらいは我慢できよう。

2008年1月11日金曜日

野生動物による農作物被害

今日は、小田急伊勢原駅前からバスに乗り、終点の日向薬師で下りて大山山頂を目差し、帰路は阿夫利神社下社・蓑毛越えを通って蓑毛でバスに乗り秦野駅へ、、。


日向薬師でサル注意の看板がある。伊勢原の農協のものだ。ネットで畑を囲っている。畑にいた人と話しをする。10年くらい前からサル、イノシシ、シカが山から下りてきて農作物を荒らすという。
全体をネットで覆われている畑を除いて、大根の葉が食べられ(上の写真)、白菜が食べられている。しかし、一方では熟した柿がたくさん木に残っている。あー、そのうちあの柿もヒヨドリやカラスを含む野生鳥獣に食べられてしまうだろうと思う。

農協は春や夏の害虫対策や早春の霜対策、梅雨時の長雨対策指導などと同じように、野生鳥獣対策をもっと実態を把握して行うべきだ。ベト病対策、アブラムシ対策、ヨトウムシ対策の薬はそれぞれ別物だ。野生鳥獣に対しては、それが殆んど一律であるのは残念なことである。

2008年1月9日水曜日

避寒地・避曇地の関東


昨夜、釧路より帰京:
昨夜8時頃の釧路の気温は、零下9度
車のエアコンを強でも、足元から冷気が押し寄せてくる
道路沿いには凍のような雪
アイスバーンのような黒光りする道
カーブはゆっくりでも恐ろしい
羽田では、手袋を取り、マフラーやコートを取る
今朝、庭を見ると、水仙の白い花
釧路では5月に水仙が咲く

2008年1月6日日曜日

釧路港と幣舞橋

釧路港を眺める

 小学低学年までは、富士見町に住んでいたので、当時、鯨の解体工場があった先の岸壁に座って釣りをしたものだ。秋刀魚の切り身を餌にしてカレイやコマイを釣った。

 幣舞橋を歩いたり、バスに乗ったりして湖陵高校まで

 釧路は帰省する度に寂びれていく。店舗が閉まり、マンションやアパートの空室が目立つ。かって賑やかな通りだった北大通りと南大通りをつなぐ幣舞橋も日曜日のお昼なのに人も車もちらほらだ。

2008年1月5日土曜日

変わった釧路原野(湿原)


3日の夜に、啄木が
「さいはての 駅に降り立ち 雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき」
と詠んだ、我故郷の釧路にきた。

お袋が入院した病院の駐車場から見る冬空は、中学の時覚えた
啄木の歌が自然に口からでる。

この病院が建っているあたりは、ぼくが子供の頃は一面の原野(湿原)であった。
この時季は、山スキーを履いて、雪原をどこまでも歩いていけた。

2008年1月2日水曜日

お正月 国旗掲揚の旗日


元旦:昨日、横浜市と藤沢市のあいだを流れる境川沿いにある鯖神社に行った。いつも、まったく一人も会わない参道に多くの参拝客がいた。甘酒のサービスまであり、隠れたような神社も良いものだとおもいながら帰路についた。途中、門松とともに国旗を掲揚している家があり、珍しくて写真を撮った。
以前は、お正月はもちろんのこと祭日には国旗を掲揚する家が多かったものである。湘南台公園で大きなテントが幾つか張られ、マイクで音声が流れていた。テントの屋根には「藤沢カトリック教会」と書いてあり、テント内には大鍋が幾つか見えた。ホームレスの人たちへの炊き出しであった。正月早々、幾つか考えさせられることを目にした日であった。