最近、話題になっているアメフトの日大の監督・コーチ、及び日大の組織は、このところずーと国会で問題になっているモリカケと軌を一にしている。コーチは監督のことを忖度して本当の事を云えず、官僚たちは安倍首相に忖度して文書を書き換えや嘘を云わざるをえない。
ぼくは、海外のサル調査で、現地の農閑期の農民たちを雇った。台湾でも、中国でもぼくがサルを探すために、また追うために雇った人たちはぼくに気に入られようと、頼みもしないのに、ザックなどの重い物を持ちたがり、座る時にはその場ではもっとも座りやすく気持ちの良い場所を提供し、歩く時もぼくが歩きやすいように出ている木の枝は切り払い、雨後は雨露で濡れないように露を払いやクモの巣を払ってくれ、山に泊まった時はぼくに美味しい物を食べさせ、帰りには御土産までくれた。あるいは、空の状態をみて雨が降りそうだから明日は雨具を用意した方が良い、長い距離を歩くので杖があった方が良いとアドバイスもしてくれた。
しかし、アフリカの農民たちは台湾や中国であったようなことは事は無かった。ぼくに良く思われよう、気に入られようと云う気持ちが無いのだ。ぼくが疲れていて荷物を持ってもらいたいと思っても誰一人、ぼくの気持ちを察してくれようとはしなかった。だから、彼らに頼むかしなかればならなかった。あるいは、山小屋に泊りがけで出かける場合、いつもそれぞれが持つ食糧の詰め込みをぼくがやり、持ち歩く道具の彼らに渡すのだ。それらを彼らはタバコを吸いながらただじっとみているだけだ。雇い人であるぼくを助けようとはしない。それは、ぼくと現地との人たちとの関係だからではない、国立公園の人と職員たちとの間でもそうだ。上に立つものは必至に動き回り、下の者たちは言われない限り手伝おうとはしない。皆で力を合わせて物事をやり遂げようとする気持ちがないのだ。雨季に入って雲の状態を見て、雨雲が広がってきているから雨具を着るようにと云わなければ着ないし、明日は帰路が長いからと朝早く山を立とうと云わなければならないのもぼくだ。初めは、ぼくの力量を推し量っているのかな?と思った。
ぼくは、このアフリカの農民たちの態度にカルチャーショックを受けたものだ。アフリカで世話になった故富田浩造さんは、「アフリカの人たちは封建制の時代を経てこなかったから集団内の上下関係の意識が生まれてない」と云うことを教えてくれた。つまり、皆、上下関係のない横並び、平等の社会だ。
ところが、ぼくらは学校では生徒は先生に、先生は校長に敬意を払い、会社では上司の云うことを聞くことが当たり前の社会になっている。そのため、上司に良く思われようと忖度する人間がでてくる背景となっている。このような忖度する同じ地位の人は、小さな社会では「ヤツはゴマ摺りだ!」で片づけられる。
しかし、国政の場で、官僚たちが嘘をついてでも文書を書き換えてでも首相のことを忖度している。内閣府が官僚たちの人事権をもつ組織になってことが問題なのだ。
日大アメフト部は、監督→コーチ→選手の上下関係が明白であり、しかも監督から選手への強要(パワハラ)があったことは明らかだ。
今、自分は学校では、学生や学校側に忖度し、家庭では娘や連れ合いにも良く思われようとしている。こんな自分が解放されるのは山を一人で歩いている時だ。治ったと思った左足を思い切り動かし過ぎて、元の木阿弥になった。
ぼくは、海外のサル調査で、現地の農閑期の農民たちを雇った。台湾でも、中国でもぼくがサルを探すために、また追うために雇った人たちはぼくに気に入られようと、頼みもしないのに、ザックなどの重い物を持ちたがり、座る時にはその場ではもっとも座りやすく気持ちの良い場所を提供し、歩く時もぼくが歩きやすいように出ている木の枝は切り払い、雨後は雨露で濡れないように露を払いやクモの巣を払ってくれ、山に泊まった時はぼくに美味しい物を食べさせ、帰りには御土産までくれた。あるいは、空の状態をみて雨が降りそうだから明日は雨具を用意した方が良い、長い距離を歩くので杖があった方が良いとアドバイスもしてくれた。
しかし、アフリカの農民たちは台湾や中国であったようなことは事は無かった。ぼくに良く思われよう、気に入られようと云う気持ちが無いのだ。ぼくが疲れていて荷物を持ってもらいたいと思っても誰一人、ぼくの気持ちを察してくれようとはしなかった。だから、彼らに頼むかしなかればならなかった。あるいは、山小屋に泊りがけで出かける場合、いつもそれぞれが持つ食糧の詰め込みをぼくがやり、持ち歩く道具の彼らに渡すのだ。それらを彼らはタバコを吸いながらただじっとみているだけだ。雇い人であるぼくを助けようとはしない。それは、ぼくと現地との人たちとの関係だからではない、国立公園の人と職員たちとの間でもそうだ。上に立つものは必至に動き回り、下の者たちは言われない限り手伝おうとはしない。皆で力を合わせて物事をやり遂げようとする気持ちがないのだ。雨季に入って雲の状態を見て、雨雲が広がってきているから雨具を着るようにと云わなければ着ないし、明日は帰路が長いからと朝早く山を立とうと云わなければならないのもぼくだ。初めは、ぼくの力量を推し量っているのかな?と思った。
ぼくは、このアフリカの農民たちの態度にカルチャーショックを受けたものだ。アフリカで世話になった故富田浩造さんは、「アフリカの人たちは封建制の時代を経てこなかったから集団内の上下関係の意識が生まれてない」と云うことを教えてくれた。つまり、皆、上下関係のない横並び、平等の社会だ。
ところが、ぼくらは学校では生徒は先生に、先生は校長に敬意を払い、会社では上司の云うことを聞くことが当たり前の社会になっている。そのため、上司に良く思われようと忖度する人間がでてくる背景となっている。このような忖度する同じ地位の人は、小さな社会では「ヤツはゴマ摺りだ!」で片づけられる。
しかし、国政の場で、官僚たちが嘘をついてでも文書を書き換えてでも首相のことを忖度している。内閣府が官僚たちの人事権をもつ組織になってことが問題なのだ。
日大アメフト部は、監督→コーチ→選手の上下関係が明白であり、しかも監督から選手への強要(パワハラ)があったことは明らかだ。
今、自分は学校では、学生や学校側に忖度し、家庭では娘や連れ合いにも良く思われようとしている。こんな自分が解放されるのは山を一人で歩いている時だ。治ったと思った左足を思い切り動かし過ぎて、元の木阿弥になった。
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