「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年12月25日木曜日

氷のない釧路川まで散歩

14時、雨が上がり、積もっていた雪はほとんど消えてしまった。
歳末に雨が降り、雪を消してしまうなんて、、、、、、。
老母は雨が凍ってアイスバーン状態になることを心配している。

陽が出始めたので手袋をつけ、マフラーをつけ、オーバーを着て外にでる。
実家がある双葉町から釧路川まで15分くらいの散歩コースである。
ここから海まで2キロくらいはあるだろう。
釧路川はゆっくり南(右方向)に向かって流れていると思って川面を眺めたら、満ち潮のようだ、枯れ葉がゆっくりと左の方向に流れている。

上流の方を見る。
上の写真の左に川縁の林の中の木に、今年の春つくられた小鳥の巣があった。
地上から1.5メートルくらいの位置にある。誰が作った巣だろうか、枯れ草や枯れ枝のほかに、ビニールの紐や破れたビニール袋まで巣材として使っている。
何羽ものカモメ(大きな鳥だ!)が川に浮かんでいたが、近くまできた。川に指を浸けてみたが、凍えるような冷たさは感じられない。
近くの公園の白樺の木にカラスの巣も見つけた。

子供の歓声!

昨日は雪景色、実家の幼稚園の子供たちが雪の中を転げまわっていた。
子供の歓声は、たのしい社会を、あかるい未来を、予感させる。
子供は社会の宝だ。

幼稚園は今日が終業式、来年1月20日までの長い冬休みに突入する。
が、今日は気温が高く、まるで春のように雪が溶け、屋根から雨だれが落ちる音がする。
園庭の雪も溶け始め、黒い土が出てきた。
暮れに、雪が溶けるなんて、温暖化の影響だろう。
が、午後からは冷え込んで雪の予報。

2008年12月24日水曜日

寒々とした街

飛行場をでて、まもなく牧場の横を通る。
牛が朝日を浴びて、雪下の草をあさっていた。
今朝、7時40分に羽田を発ち、9時半には釧路。10分の1も客が乗っていない。半分以上は何故か中国からの観光客。

帰省する度に、さびれていく街。住む人のいない家やマンションの部屋、借主募集中の空のビルや貸し事務所。人通りがまったく見られない通り。

ここで、ぼくは生まれ高卒までいた。今は老母と兄家族と妹がいる。

今日はクリスマスイブだ。クリスチャンではないが、美味しい夕食で皆で楽しみたい。

2008年12月23日火曜日

避雲地の関東地方

今日は朝から快晴:近隣の庭木
前の家の温州ミカン
モチノキ
我家のスイセン
カキ
我家の取り残したユズ
公園の紅梅はお正月には咲きそう

冬季の関東地方は晴れの日が多い。庭木も陽をいっぱいに浴びて気持ちよさそう。日向ではベコニアやゼラニューム、ランタナも花をつける。避暑地や避寒地があるなら、関東地方の冬は避雲地である。

定年後の、、、。

定年がある人、あるいは仕事を辞めることができる人はある意味で不幸かもしれない。

定年後、何故かこれまで仕事で貯えてきたモノそのものを捨て去ろうという人たちがいる。
あれほど情熱をかけて貯えてきたものを手放し、ともかく身軽になりたいようだ。
手放すことで新たな自分の人生、生き方を求めている。

しかし、ぼくから見ると、すすんで枯れ木になろうとしているかのようだ。
再び春が巡ってきて新芽が膨らんで、花を咲かせることはないのだ。
常緑樹のように葉を残していて、あらたな芽生えを促したら良いのにと思ってしまう。

せっかく身につけた、知識や技術を社会に還元しないのは、あるいは、できないのは社会にとっても不幸だ。
定年がない人、リタイヤできない人は、身体が動かなくなった時が定年であり、それまで仕事を究めようともがく。

2008年12月21日日曜日

今日は冬至

今日は二十四節季の一つの冬至である。
子供の頃は、冬至にはカボチャの入ったお汁粉を食べた。
西安に住む中国の人たちは餃子を家族で食べるようだ。
その謂われを聞いたが忘れてしまった。
我家の庭のユズの実が今年もたくさん稔った。
20個づつ近所4軒の家に配った。
ユズの木を切ってレモンを植えようと思っていたが、それが分かったのかユズは自分をアピールしてたくさん実をつけたのかもしれない。近隣のお付き合いのために残そう。
たくさんユズを浮かべたお風呂は何故か楽しく、子供に返ったような気持ちになるから不思議だ。
それは、5月の節句の菖蒲湯の時もそうだ。
お風呂に入りながらユズや菖蒲を沈めたりして遊ぶことが、童心にもどったような気持ちとなるからだろう。

イイギリの赤い実

19日の早戸大滝行きで、帰路、ツルウメモドキの赤と黄色の果実がいたるところで目についた。
葉が落ちたこの時季にツルウメモドキは鳥たちにアピールしているようだ。

ツルウメモドキに劣らずこのイイギリの赤い実は、ご覧のように鈴なりであり、紺碧のそらに浮いてみえる。
道の下の斜面なのに見上げるような高さに生っている。
下まで降りていくと落ちていた。

実を齧って、味わったが、甘いような苦いようなちょっと表現にこまる。
大きなタネが一個入っているのかと思ったら、サルナシのタネよりも一回り大きいタネが果実の中に26個入っていた。
鳥たちは、食べるだろうが、テンやサルは食べるだろうか?
まだ、実は利用されてないようで、これから食べられるのかもしれない。
このタネの長径は2ミリ、短径は1ミリである。

食事会

「丹沢サル観察し隊」の内山宅に招かれて、食事を頂いた。
選良さんのヒラメとスズキの刺し身やカルパチョ、アラの塩焼きが絶品であり、鏡子さんのイタリア料理はまるでお店で食べるようなできばえで、美味しくいただいた。
居酒屋やレストランでやる食事会もそれなりに楽しいものがあるが、このような集まりも凄く良いものだ。ただ、一方的に内山御夫婦に迷惑をかけてしまった感がある。 鏡子さんお疲れさま、また、有難うございました。

2008年12月20日土曜日

春?ミソサザイが囀る

早戸大滝の直下近くで、ミソサザイが囀っている。
よくとおる甲高い良い声で囀っている。
「お前、まだ、春ではないよ」と、、、、。
が、メスらしきもう一羽がやってきてなにやら、絡み合う。

二羽で、この岩の下の窪みに入ったり、出たり。
どうなってんだろうか?
このところ本格的に寒くなってきているのに、性行動とは?
ぼくは名立たる鳥の専門家たちと交流があったのに、まったくの鳥痴である。
しかし、ミソサザイだけは、スズメよりも一回りも二回りも小さな鳥なのに、囀りの声の高さと良い声に感動して、サルを追い始めて間もなく知った鳥でもある。
尾を上に跳ね上げて、小刻みに揺らしながら囀るすがたは誰が見ても可愛いと思うだろう。

テン糞のパレード

昨日の早戸大滝への山行は、もちろんサルのフィールドサイン探しも兼ねていた。
見つかったのはテン糞のみ。
ぼくらが歩くコースにテン糞が、まるで道標のケルンのように目についた。
朝、したばかりのようで、しっかり凍っていない。
内容物はサルナシの果皮とタネからなる。
これは、古い糞で、2週間くらい経つだろう。霜にあたり、熔け、再び霜にあたり、溶けを繰り返したものだ。内容物にやはりサルナシがあった。
これは、霜で凍っている状態。上はサルナシの果皮だ。中の濃い紫色の果皮(これは手にとって溶けたもの)が何の果実か不明。下の塊はがっちりと凍っている。上が古く、下は2、3日前のものか?
これは、一週間くらい前のもの、やはりサルナシの皮とタネが見える。
これもサルナシを食べたものだ。2,3日前のものか?
糞の大きさから推定して、メスの二個体による糞と考えた。
早戸川の沢沿いに500メートルくらいの間にあった。
彼らにとっては道標ではなく、行動域の境界線あたりにつける自分の主張のマーキングなのだ。
新旧の糞が二つあったところは二個体の行動域が重複しているところと考えた。
このように糞を見て想像するのも楽しい。

2008年12月19日金曜日

初冬の早戸大滝

今朝、まだまだ暗い4時半に矢部さんの車に同乗し、丹沢へ。
家を出て、すぐコンビニに寄ってお昼を買う。
7時14分:早戸川林道いき、魚止め橋を過ぎて車を置き、歩く。
7時26分:今は使われていない伝道の伐採小屋に着く。
このあたりにサルがいるならとうに利用させてもらっていただろう。
ここに泊まってみようと何度も思うが、一度もまだ泊まったことがない。
年々、小屋が荒れていくのが偲びない。
鳥屋森林組合の持ち物だと思うので、一度、使用許可を願い出てみたい。
掃除道具一式と大工道具、ベニヤ板などが必要だ。
7時57分:伐採小屋を過ぎて二度丸木橋を渡り、雷平から左側の道(右の道は雷滝へ)に入って過ぐ再び丸木橋を通過。
沢を何度か行ったり来たりしながら沢を詰めていく。
岩の表面が凍っているので、滑る。
昨年あたりからぼくの運動感覚が悪くなっているのが気になる。
ちょっと軽く跳べばすむものを、何度も躊躇って、足元を確かめるしまつだ。
8時38分、沢を詰めてきて左を見ると大滝が見える。
今年は水量が多いようだ。
何故か、例年寒い冬に早戸大滝にやってきている。
羊羹を半分にして食べる。美味かった。
10時23分:帰路、伝導の大堰堤の上で二人で買ってきたお昼を食べる。
約3時間で早戸大滝まで往復したことになる。

2008年12月18日木曜日

横浜、上星川からの富士山

友人が実家のお母さんのところに来ているので訪問した。
学生の時は、真夜中に押しかけてお櫃を開けて、生ニンニクの欠片と味噌でご飯を食べたことを思い出した。
お昼頃行ったが、新番地に変わっているし、周りの景色も変わっており、ようやくたどり着いた。
夕方、友人は駅近くまで送ってくれた。
南西には富士山が。
横浜は山あり、谷ありの地形である。
思わぬところに40年前の佇まいがあり、柿の実が実のっている下を車が高速でとおる。
日本経済は不況にまっしぐらに落ちているようだが、走る車は相変わらず多い。

この金融不安を契機に、車社会を含む、経済論理を考えなおしたいものだ。

2008年12月17日水曜日

ハタネズミを解剖しようとした!

野生生物探検隊のtake隊員から譲り受けたハタネズミを解剖・解体しようと冷蔵庫から取り出した。ビニール袋から取り出してみて、ちょっとびっくり、大きいのだ。
で、スケールと置いて写真を撮った。
が、見てもわかるようにたかだか10センチだ。
これなら、通常のハタネズミのサイズだ。

ここ最近、ヤチネズミの仲間を2種類見ていたので、彼らから比べると明らかに大きい。
首あたりに小型の猛禽に摑まれたような痕が残っている。
歯を見ようと口の中を見た。うわー、ハエの卵が縦にたくさん並んでいる。
で、首の傷の辺りを見ると、ここにもハエが卵を産みつけている。

このようなハエたちの嗅覚には驚くべきものがある。
ネズミの死体を目で見つけたのではなく、臭いで感知したのだろう。
しかも、産むべき箇所に産み付けている。

臭いはその源を辿るのは簡単なことではない。臭いはちょっとした風で流れるし、拡散する。どうやって臭い源まで辿り着くことができるのだろうか?
当然、風がある中の臭いで、ハエたちはその方向と距離を見極める能力を持っている。

アフリカでチンパンジーを捜しているとき、便意をもよおしてブッシュの中ですると、すぐミツバチやチョウ、ハエがやってきて、遅れて糞虫である甲虫類が羽音も高くやってくる。
昆虫たちの嗅覚の良さには驚くばかりであった。

2008年12月15日月曜日

キャノン会長・経団連会長の御手洗富士夫

西北大学の構内の3月:黄沙のスモッグ状態である。建物や街路樹の葉に触れると黄色く汚れる。
 知人の植物写真家の鈴木庸夫さんが、キャノンカメラの新製品の購入を辞めるとブログで書いていた。大分キャノンの非正規労働者1000人以上の首を切ったことへの怒りであるようだ。

 キャノン会長であり、経団連会長の御手洗富士夫氏は、会長としての最も品質劣る人間であろう。
このような程度が低いともいえる人間を日本経団連は会長として選んでいるのだ。
テレビや新聞でこの御手洗富士夫氏の発言を聞いていて、「国民のことを考えた経営者の資質は全く持っていなくて、労働者や国民のことよりも目先の利益のことだけを考えた質の劣る財界人であり、自分のことが大事な人である」と思ってきた。

 キャノンの今回の素早い首切りに対して、「御手洗富士夫」をネットで検索して読んだ。
 先ずは、検索してみて!

 思っていた通りの、あるいはそれ以上の悪者である。
 こんな儲けのことばかりしか考えていないバカは即刻退陣してもらったわなければならない。
 
 経団連会長を含む、財界人の質がすごく落ちている、総理大臣を含む政治家の質も落ちているから、明日の日本が心配だ。
 あの土光敏光のような財界人はいなくなってしまったのか? 

2008年12月14日日曜日

組み立てた頭骨から、、、考える。

もう、何年も前にT.Sさんか宅急便で送られてきた房総のアカンボウザルの頭骨を木工用ボンドを用いて組み立てた。
乳歯の萌出具合から判断すると2ヶ月ちょっとたった赤ちゃんのものだ。
骨は薄ぺらであり、泥やゴミを落とすと割れてしまうので、泥などがついたままそのままボンドをつけた。
前歯のところの透明のものが乾いたボンドである。
ジグソーパズルの三次元というのはなかなか難しい。
組み立て終わると左右の頬骨が無い。
箱の中を探しても見当たらない。

頭蓋は、ヒトでは15種類23個の頭蓋骨(神経頭蓋:脳を被う)と顔面骨(内臓頭蓋:呼吸、消化器を被う)からなるが、サルではさらに多くの骨からなり、サルよりもキツネの方が多くの骨よりなっている。
例えば、前頭骨や下顎骨はキツネでは左右の一対2個あるが、サルやヒトでは1個となる。
前顎骨はキツネやサルでは2個だが、ヒトでは前顎骨そのものがなく、上顎骨が代用したかたちになっている。

このような骨数の減少は、歯の数でも同じことがいえる。
上顎骨の右だけをみると、キツネは哺乳類の基本的歯式の3・1・4・3(切歯・犬歯・前臼歯・臼歯)だが、ニホンザルやヒトでは2・1・2・3となるが、ヒトの第三臼歯(親知らず)は消失する傾向にある。

ウマの足の指骨の数の減少なども含めて考えると、進化とは基本装備を減らして単純化、身軽になることだとも言える。この説を今のぼくらの社会生活に換言して考えるならは、最近の世の中はなんとゴチャゴチャとした装備・道具に溢れていることだろうか?

2008年12月13日土曜日

北岳が見えた!

12月3日東丹沢の高取山から北岳が見えた。
翌週の10日も靄に霞んでいたが見えた。

過去、2度登ったことがある北岳。
何れも夏に登った。
30代の時と40代の時だった。
30代の時は行き帰りとも楽だったが、40代の時は間ノ岳、農鳥岳を越えて大門沢での下りで膝が痛みを感じた。
この時が膝痛の始まりだった。

遠くから見る北岳は、強烈な神々しさを感じる。
何故か、跪き涙が出そうになる。
形が綺麗な遠くから見る山は不思議な存在だ。
北岳だけでなく、
何かを語りかけてくるような人格さえ備えているような感じがする。

2008年12月12日金曜日

頭骨の授業は我家で!

今日は、朝から専門学校生たちに我家に来てもらって、サルの分類や頭骨の授業をやった。
ノートパソコンからテレビ画面に写して見せるためにパソコンとテレビを繋ぐケーブルを買ったがダメ。
結局、前に買っていたDELLの大きいディスプレーに接続してやる。
こんなことならもっと大きいディスプレーを買っておくんだった。
上手く、授業はできた。
お昼を食べてからさまざまな哺乳類の頭骨を見てもらいながら話しをしたが、授業の内容には興味がなく、頭骨そのものに興味があるようで、「これ、欲しい!」、「先生、ちょうだい!」、「わー、これ可愛い!」と自分のバックに隠すような素振りをこれ見よがしにするので、授業にならず。

彼らが帰った後、上顎と下顎がしっかり揃っているか確認し、頭骨の飾り棚や、トイレの頭骨まで見届ける始末だった。
授業にはならなかったが、頭骨に興味を持って欲しがってくれたことは大成功だ!

陽に向かって、、。

12月10日:仏果山、山頂付近の細尾根の岩場に咲くリュウノウギク。
朝夕は0度以下になってるだろう。
葉が霜で赤紫に変色している。
陽に向かって最後の花弁を広げている。
植物の生命力には驚かされる。
ほとんど水分もないような岩に根を張って生きている。
春から秋にかけては、朝露や夜露を利用して生きているのだろう。
それでもしっかり花を咲かせ、タネを作っている。

ぼくらは、寒くなれば暖房をいれ、暗くなれば明かりをつけ、ノンノンと暮らして太り、体重を減らすための運動をする。
少しでもこのリュウノウギクの生き方を取り入れていきたいものだ。

2008年12月11日木曜日

ひ弱なソクラテス

高取山から蛭ヶ岳(中央の奥の山)12月3日の写真、昨日10日は山頂部全体が雲で覆われていた。
環境哲学を研究する学生たち6名(女子3、男子3)と矢部さんとぼくの8名で先週の逆コースで山歩きを楽しんだ。
女子1名は足のかがとに腫瘍があるとのことで最初から大丈夫?と思うほど歩きが鈍い。男子1名は中国からの留学生で39歳であり、他は20代の若者だ。
矢部さんにトップを歩いてもらって、ゆっくりしたペースでお話ししながら歩く。
環境哲学ってなんだか難しそうで、皆、研究室で本とニラメッコの毎日のようだ。
男子も女子もこのような山歩きには不向きのようで、歩くバランスが悪い。
矢部さんが後を振り返りながら、ゆっくりしたペースになるのも無理はない。

仏果山でのお昼では元気そうに見えた女子学生も高取山にある望遠塔には疲れて登って来られず。
帰路、ぼくの前で元気に歩いていた女子が転んで足を挫く。

バランスが良い歩きで元気なのは39歳の留学生と自転車で通学しているという男子だけだった。

「健全な肉体に健全な魂が宿る」とは思っていないが、例え、哲学を研究対象とするならば、少なくても若いときはもっともっと体力をつけ、瞬発力やバランス感覚を身につけるべきであろう。
環境哲学と名を売っているなら尚のことであろうと感じる。
研究室に閉じこもらず、野外に出て、自然の営みを目で見、耳で聞き、舌で味わい、肌で感じてこそ、思考がどうどう廻りにならず、論理的になる。
狭い部屋に閉じこもっての哲学はひ弱なソクラテスを生み出す。
昨日の環境哲学研究学徒等の山歩きが骨太の力に満ちた哲学を生み出してくれる一歩になることを望む。

2008年12月10日水曜日

サルの群れに出逢ったが!

今日は丹沢でサルに逢った。
仏果山に登ろうと思っていた矢先に、、、、!
オスグループなのかな?っと思って5,6分観察しておりましたが、ちょっと山に入るとチビやメスがいまいた。
道路際にでてきていたのは群れの周りにいる周辺部のオスたちだったんです。 (下の写真の個体は、カキの木に登っている16、7歳のオトナオス)
日本の動物を撮るのはぼくのカメラではダメ!
今持っているカメラを買ったのは、南アフリカの動物を撮るためで、遮るものがないところではゾウでもキリンでもピントが合う。
しかし、日本の動物は森の動物、知っているけれど林道で逢った時はオケーだった。
これで、解りました。
自分の永遠の恋人に逢ってもその写真を撮ることができない。
ピントが木の枝に合ってしまって、対象とするサルはボケてしまう。
丹沢の山でサルに会うのは、渋谷や新宿の街で有名人に合うよりも難しい。

しかし、こんな道端に山柿があったなんて、サルがいなければ気がつかなかった。
サルたちには見えていて、ぼくには見えなかった。ぼくの目はやはり節穴と同じ。

2008年12月9日火曜日

ヘビも虫も平気な女の子

秋の景色に彩られた高宕山近くの石射太郎である。
ここはかって高宕山T1群の餌場であった。
上の屋根が見える小屋付近で、女子学生が捕まえた冬眠前のシマヘビ(ですよね!)。
T女子学生はヘビを捕まえるのは、ぼくよりも上手かもしれない。
彼女の動きを見ていると子供の頃から野山を駆け巡っている姿が浮かんでくる。
野山から生まれた天然女子である。
女の子なのにという言い方は全く当てはまらない。
ヘビを見てキャーキャーと叫ぶ女子はどのような教育や思い込みがあって、ヘビを怖がるのだろうか?

それぞれの郷愁を感じる風景

富津市高溝、宇藤原は、都心から3時間あれば来れる地域である。マイカーなら2時間で来れるだろう。
ちょっと街から外れた房総丘陵の中は、ぼくが小学校の教科書に載っているような風景がまだたくさん残っている。
ガマや、ジュジュダマがあり、柿が赤い実をつけてぶら下っている。
この里山の風景はぼくにとっては教科書の風景であるが、少し懐かしさを覚える。
日向にリンドウが咲いていた。
時代によって、生まれ育った地域によって郷愁を覚える風景も異なったものになるだろう。
ぼくにとっては、教科書のものよりも寒風吹きすさぶ根釧原野の荒涼とした風景だ。

2008年12月8日月曜日

千葉実習2

千葉県富津市宇藤原での専門学校エココミュニケーション学科野生動物レインジャー専攻の2年生の実習:夕食時の集合写真:テーブルの上には潰したニワトリの肉が並ぶ。潰す時は、涙ぐんで立ち竦んでいた女子もニコニコだ。
早くも咲いている水仙
朝食後、出かける前の集合写真
コウモリがぶら下る洞窟内で
高宕山方面・石射太郎方面・宇藤原方面の分かれ道で:
大崖から横須賀・久里浜方面を見ると富士山が天空に浮かんでいた。
石射太郎でお昼にする。
宿泊している家を出ると、すぐ廃道になったような踏み分け道を登る。木の枝や竹が倒れて覆い被さる。ようやく登りきったかと思うと、サル防御用の電気柵がある。戸を開けて平な道をいくと、つるつる滑る坂道が各所にある。
学生達はキャーキャーと叫びながら歩く。
ぼくは「これはビギニングだ!」と叫ぶ。
大崖という見晴らしの良い場で小休憩、石射太郎でお昼にし、廃屋がある台倉を通って、尾根道に入る。下りは再び滑る道、沢を渡り、泥んこの中を歩き、イノシシ檻が仕掛けられているところに登って戻ってくる。

野外実習を嫌がっていたような学生たちだが、皆、ワイワイ、キャーキャーと元気が良い。山歩きの楽しさを存分に味わってくれたと思う。

2008年12月7日日曜日

湯河原野生動物探検隊

7日、湯河原野生動物探検隊の集まりがあった。

真鶴駅前で植物写真家のisa隊員とtaka隊員の二人と落ち合い、林道へ向かう。すぐいけると思ったのが、ショートカットしたつもりがそうではなく、藪をつき抜けたり、道に迷ったりして、2時間半以上もかけて林道にたどり着く。「愛の鐘?」がある見晴らしの良いところで、海で仕事中のtake隊員に、のどかに浮かんでいる5、6艘のどれに乗っているのか携帯で尋ねる。

下の写真はisa隊員から教えてもらった、ノササゲである。この鮮やかなに青紫色の鞘に魅せられた。今まで山を歩いていて、ノササゲに気づいたことがなかった。ぼくにとっては新知見ともいえるマメ科の植物との出会いである。
湯河原の山や丹沢の山を40年も歩いているのに、この綺麗なノササゲの鞘に気づかない。
たくさんのことを目にしているのに全く気づかないでこれからも生きていくのかと思うと、残念である。
新しい知人を得ることによって、自分の目が開かれた。
植物写真家のisa隊員とtaka隊員は夫婦である。

泥足でイノシシが林道を横断する場所が、数箇所あり、道路が汚れている。横断する前に少し躊躇するのだろうか?道路の端を行ったり来たりしているのか?少し汚れている。

2008年12月6日土曜日

とうとうサルに出逢ったが、、、、!

今朝は5時半に起きて、パン2枚とハム2枚とサラダ菜とコンソメスープの朝食をとり、弁当をザックに容れて8時半に宿泊している廃屋のような古い農家を出る。
石切場の址の地下へ通じる竪穴をとおり、コウモリたちを見た後、大崖、石射太郎、台倉を廻って宇藤原の宿泊にしている古い家に着く。
部屋の中を掃除、整理整頓して、宇藤原を後にする。 宇藤原を過ぎて歩いていて休耕田跡にジュズダマやガマの穂があったので写真を撮っていると、オスザルの声。来た方を振り返ると北方の林の木が揺れている。オスザルが一頭いる。近づいていって観察したいが、バスに間に合わなくなる。

オスザルの木揺すりをしながらの「ガッガッガ」という声を聞きながらバス停まで急ぐ。
オスザルが一頭、樹上にいる(クリックすると拡大します)。久しぶりの発情オスの「ガッガッガ!ガッガッガ!」の声を聞いたし、写真を撮れたので嬉しくなって、学生たちを追い越してトップにでる。後ろ髪を引かれるが、バスが1日に5本もないので仕方がない。