「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2010年8月9日月曜日

釧路の湿原!

今年の釧路は例年に比べて温かいせいか、初夏の花がほとんど終わっていた。
低地は湿原、高台はクマザザの群落となる。
アキタブキである。
フキと云えばこの大きなアキタブキしか知らなかった。
フキノトウも赤ん坊の握り拳くらいあり、2、3個採れば十分であった。
5、6月の朝の味噌汁はこのフキの茎であった。
大きく空洞があってストローのようにして汁を吸ったものだ。
釧路動物園の散策路脇のアキタブキ、ぼくの帽子を被せてみた。
フキの葉の大きさや背の高さが分かるでしょう。
オオマツヨイグサが咲いていた。
この花の名前が分からなかった。クサレダマという可愛そうな名前であり、
サクラソウ科・オカトラノオ属である。
これは、サルルン展望台に登った時に、その道沿いのヤマブドウの葉の表面に出ていた不思議な突起物だ。虫えいだと分かるので、「ヤマブドウ、葉、虫」で検索すると、ブドウトックリタマバエというハエの幼虫が一匹入っているようだ。
キンミズヒキである。何だか、関東地方でみるキンミズヒキよりも大きく鮮やかだ。
釧路の郊外の草むらにはどこにでも生えてくるホザキシモツケである。
湿地が好きなようだ。
湯河原にも丹沢にもあるツリガネニンジンである。
花が少し大きいようにおもう。
湿原に咲くタチギボウシである。
これはホソバノヤマハハコかな?
最後に、サルルン展望台への砂利道で、見つけたテン糞。
半分は踏み潰されている。
砂利を道に蒔いて欲しくないが、、、、、。
ブラッセル・釧路に行く前、丹沢でブヨと雨にやられて疲労したのが、ようやく回復してきた。
まだ、アムステルダム・ブラッセルの写真などを整理できていない。
さぁー、明日から二泊三日で専門学校生を連れての千葉の高宕山実習だ。
1、2年生合同で20名近い。
電気釜でしか御飯を炊けない学生たち、ちょっと大変だ。
しかし、今の若者は他人を思いやる気持ちが強いのでやっていけるだろう。

2010年8月8日日曜日

釧路の涼しさの原因!

釧路の夏は全国でもっとも涼しい。
子供の頃は一夏に気温が20度Cを越えるのが2、3度くらいしかなかった。
釧路の港祭りの時の花火大会は寒いので、セーターを着込んで見に行った。
この寒さは、今までずーと釧路沖で寒流と暖流がぶつかるために生じる霧が原因だと思ってきた。キャッチボールもできないほどの濃霧となるので、陽が射さず大地が温められない。

しかし、温暖化が叫ばれて山の植層も少し変わってきている。
晴天の日でも、釧路より北にある根室や北見より涼しい。
釧路の街は湿原地帯と海に囲まれている。
(サルボ展望台より、塘路湖)
広大な湿原の中に大小さまざまなたくさんの湖がある。
陽が射せば、湿原の水の蒸散作用により気化熱で温度が奪われる。
釧路の街の周りで、終日のごとく打ち水をしているようなものだ。

濃霧よる日光不足による低温と、
晴れると水の蒸散作用による気温低下がある。
この二つの自然の要因によって釧路の街の気温は低いのだ!
と帰りの飛行機の中から湿原を阿寒の山々を見ながら感じた。
釧路を、7、8、9月の関東地方の人たちの避暑地として勧めたい。

釧路動物園の中に見事にたくさんの花を咲かせていたサビタの木:
恐らく、当初は園芸用の樹木が植栽されていたのだろう。
サビタの種子が飛んできて芽生え、大きくなっただろう。

2010年8月6日金曜日

サルボ展望台から

叔母さんを連れて湿原を見渡せるサルルン展望台とサルボ展望台に行ってきた。
真夏のサルルン・サルボ展望台は始めてである。
塘路湖の中に茶色の動く物が!
カメラで撮り、拡大するとエゾジカのメスであった。
塘路湖には、水草のヒシ(アイヌ語でベカンベのこと)があるのでそれを食べているようだ。(クリックすると拡大してシカがわかります)
エゾジカが上のように湖に入って水草を食べるのを見たのは始めてだ。
このシーンを眺めながら、ニホンジカが湖に入って水草を食べることがあるだろうか?と思った。
かってはあったことだろうが、現在はそのような光景を見ることはできないであろう。

カモメとカラス

もう何年も幼稚園の庭の木にカラスの巣があり、毎年ヒナが巣立っているという。
このカラスたち庭に撒く餌(主に食事の残り)を綺麗に食べてくれるので、個体識別をして可愛がっているようだ。

大声で妹が呼ぶので、階下におりて行く。
カモメが来ているという。
カモメはカラスよりも二回りも大きいので、カラスはびくびくしている。
今年はサンマが不漁のようなので、カモメたちも港ばかりでなく釧路の市街地でも見られるようだ。

2010年8月5日木曜日

釧路動物園に行く!

お袋の妹たちを車に乗せて、釧路動物園に行く。
入り口の案内がないので危うく通り過ぎそうになる。
駐車場の案内も酷過ぎる。
シカの仲間の北米に生息するワピチがいた。
以前、ここでカリブーを見たことがある。
ワピチはニホンジカより二回りくらい大きい。
身体や目の周りにブヨが集っている。
キタキツネやエゾモモンガがいた。
オジロワシやオオワシがペアーでいた。
類人猿としてシロテテナガザル、オランウータン、チンパンジーがオス・メスでいた。
オランの赤ん坊が生まれている。
カナダカワウソのペアーが仲良くしていた。
帰路、人家も農家も全くないところでれき死体があった。
ネコであった。なぜ、ネコ?と思ったので、ひっくり返して道路から草むらに移した。
上にはすでに、トビとカラスが待っていた。
釧路動物園は内陸にあるため、暑かった。
飼育係とお客とのコンタクトが頻繁にあり、動物園側の良くなろうという姿勢が感じられた。
が、園長を含む、上部は市からの天下りだ。
地方都市の元気の無さ、地方の不活発は行政のあり方を変えることで半分は変わると思った。

2010年8月4日水曜日

釧路の夏!

昨夜、釧路に帰省した。
空港から国道をバスに乗って走った。
これほど暗いとは思わなかった。
地方都市は寂びれてきているが、夜になるとそれが如実にわかる。

涼しいというよりも寒いくらいである。
アムステルダムやブラッセルよりも寒いかな?
釧路を東京の避暑地として売り出したら良いのにと思う。
せめて、夏場だけでもかっての賑わいのある街になってもらいたい。

釧路沖で寒流と暖流がぶつかり合うので、夏の釧路は霧に覆われる。
陽が射せば暑いくらいだが、、、、。
ぼくが子供の頃は肝油を飲まされ、保健室に設置された太陽塔というものにサングラスをかけて入らされた。日照不足によるクル病の予防である。

太陽が顔を出せば、日差しが強いので暖かい。
そのため、花々の色が鮮やかだ。
ダリアは子供の頃、図工の時間にしばしば絵に描いた花である。
ピンクのダリアが咲き。
黄色のダリアが咲き始めていた。
釧路の夏休みは20日までだが、10日を過ぎると秋風が立つ。

今日は、これからお袋の納骨式だ。
8人姉妹の長女だったお袋だが、残っている妹たちは3人。
来釧したおばさんたちは賑やかだ。

嬉しいことに8月1日(日)の北海道新聞で「頭骨コレクション」が本の表紙とともに紹介されていた。
クリックすると拡大します。
是非、読んでみて!
凄くうれしい。

                                       

2010年8月3日火曜日

「ブラッセルのBurtonさんを訪ねる旅」を終えて!

7月27日に成田を発って、8月2日に戻ってきた。
箱根・湯河原のサルを一緒に観察したビフトンさんを訪ねる旅だった。
いつもは、南仏にバカンスに出かけるところを出発を遅らせて
ぼくらを待ち受けてくれた。
アムステルダムに2泊し、列車でブラッセル南駅に着くと、
彼はホームにいた。
25年前に来日した時に、
ぼく等2家族と一緒に思い出の湯河原でキャンプした。

彼が勤めるブラッセルから6つ目の地下鉄駅のモンゴメリー学校の前で:
明るいが、夜の9時を過ぎている。
グラン・プラス近くのシェ・レオンというレストランで美味しいムール貝の食事をした後で、、。
背骨と腰骨の病気のために、骨を削ったようで、背が低くなっていた。
日本には京大の国費留学生として湯河原のサルの調査・観察をしていた。
美味しいブランディーやウィスキーを教わったのは彼からであった。
彼は、カソリックの神父でありながら、科学を志していた。
上の神学校では図書室長?となり学生に教えたり、図書の管理をしている。

湯河原では何度か喧嘩をした間柄でもあった。
酒、パイプ、チェスが大好きな神父でもあった。
箱根・湯河原のサルを観察している時は、我が家に毎週のごとく泊った。
そのため、ジャガイモとキャベツを一緒に煮るだけの簡素なベルギー料理を教わった。

下は最後の日にブラッセル中央駅から空港駅往きの地下鉄を待つ。
暗いがお昼過ぎ頃だ。
オランダもベルギーの少し離れると北海道の景色で農業国というのが良くわかる。
アムステルダムもブラッセルも大都会なのに木々がたくさんあり、花がアイビーゼラニュームやサフイニアが綺麗であった。
街路樹が太く、高く伸びており、それが街を落ち着かせている。
それと、広告の看板・ネオンが少ないのと家々が統一されている。
日本は台風があるから、街路樹は剪定しなけれいけないのだろうし、
日本の町並みは好き勝手な色や建築になっている。

人は赤ん坊・子供・青年・壮年・老人があり、生と死がある。動物たちもそうだ。
人が造る組織や建造物、さらには自然観も生死・老若がある。
アムステルダムやブラッセルは銀髪の中年の街並みだ。
その点、横浜も東京もまだ少しギラツク壮年の街だ。

2010年7月31日土曜日

From Brusseles-Belgium

July 27th, arrived at Amsterdom and took tour of  "Fuusha".
We saw a very beautiful landsape like a picture.
Every house is arounded with flowers, which we can see in Japan.
Gamano ho!
\Yanagiran? to Fuusha!
Shiroi Hana no Hamanasu.
In Brusseles;
I will go back to Japan on August 2nd.

2010年7月26日月曜日

サルの群れに出会う

伝道・鬼ヶ岩ノ頭の帰路:
松茸山登山口を過ぎたところで、道路を横切るサルを目撃。
車を左に寄せて停車する。
アカンボウを腹につかまえさせた母子ザルが渡る(写真)。
右側の宮ヶ瀬湖側からだ。すでに林の中はサルたちの声がする。
電線をわたる個体もいる。
この個体は首に発信機をつけている。アカンボウを抱いている。
非常に警戒心が強いので、車から出て写真を撮ることができない。
オトナメスが草を採食している。
左腕が肘の下あたりから無いオトナオスがヒコヒコ歩いて車の方へくる。
群れについている少し周辺気味の個体だ。
この片腕になった原因はオス同士の喧嘩によるものだ。
しかし、ちょっと珍しい。オス同士の喧嘩によって腕が切られる場合の多くは、肘関節からだ。
肘関節に犬歯が入った時にスパッと肘から先の部分が離れ落ちる。
ククリワナの場合は後ろ足が多いので、やはりこの片腕の原因は若い時のオス同士の喧嘩によるものだろう。お尻の性皮も睾丸も大きいが、顔はもう中年である。
今の時季にこの群れに着いて歩いているということは、この片腕オスはこの群れのメンバーとして認められているオトナオスだ。
元気なワカモノオスが電線をわたる。
鳴き声や全体の木揺れなどからして40頭を超えると推定した。
この場所でこのように大きな群れに出会うのは初めてだ。
馬ノ背群が大きくなって戻ってきたのだろうか?
早戸川橋を渡ってこちらに来たのだろうか?
早戸川橋や金沢橋の上の糞の有無と新旧が分かれば、この群れは県立宮ヶ瀬ビジターセンター前の斜面に出没する群れでもある。

急にこの群れの存在の面白みが沸いてきた。
しかし、携帯は壊れ、身体はボロボロバテバテ状態だ。泣く泣く後にする。
翌朝早く来て、松茸山に登ればその様子が分かる筈だったが、その体力が無かった。

明日から箱根山のサルを追って一緒に奥湯河原で生活したベルギー人に会いにブラッセルに行き、帰国した翌日に釧路行き、釧路から戻ってから専門学校のチャレンジキャンパスや千葉富津の野外実習で、8月15日くらいまで予定で埋まっている。

顔面と耳、腕のブヨによる痒みは改善されていない。これから衣類などをトランクに詰める。可能なら向こうからブログにアップしたい。今はウィスキーを呑みながら、、、、。

2010年7月25日日曜日

伝道~鬼ヶ岩ノ頭の往復軌跡

先日の伝道から造林小屋を通って、雷平まで行き、そこから、図のようなコースをとって鬼ヶ岩ノ頭までの蛭ヶ岳・丹沢山間の登山道を往復した。
往きは雷平から西側の尾根からとりついで登ったが、ウエイポイントのところで作業道に出くわした。帰路はこの作業道を下って雷平へでる。
雷平・登山道間で2度ウエイポイントと取っているが、へばっての休息である。登山道近くでの休息で派手にブヨに刺される。
ノートの記録では、
09:13、伝道発
09:32、造林小屋通過
10:06、雷平
10:20、川を渉る
10:30、尾根に取り付く
11:00、植林帯のシカ柵あり、いったんシカ柵に入るがでる。
11:15、横倒しのシカ柵から植林帯に入る
12:40、休憩する。カリントウを食べる。ウエイポイントをとる。すごいブヨだ。
13:10、登山道着
13:25、発、戻る。
13:45-:55、休む
14:45-15:00、休む
17:05、小屋発
17:24、伝道、林道着
これと、GPSの時刻と写真の時刻を合わせてみると、下りのコースは写真をほとんど撮っていないが、往きと同じくらいの時間がかかっている。下山時はカメラやGPSはビニール袋の中に入れた。
携帯がそのままザックのポケットだったので、濡れて壊れた。昨日、新しい簡単携帯を買う。

顔面や手がぷくぷくに膨らんで!

雷平・鬼ヶ岩ノ頭の続き

尾根を登りはじめてシカ柵が出始めた所にあった植物。
ヒノキの根元から出ているが、ヒノキの根に寄生している訳ではないだろう。
図鑑で見たことがある腐生・寄生植物の仲間だろうがこんな簡単なものが調べられない。

両耳及び顔面、クビがブヨに刺されたせいでぷくぷくに膨らみ、マブタも膨らんで目が開きづらい、痒くて集中力でず。
これは草原に入った時に木陰にあった。
シモツケソウ似ているが、、、。
キク科のフキのように大きな葉のメタカラコウ属の仲間
これは釧路にもある葉が輪生するクルマユリ、少し枯れかけていた。
もうすぐ、登山道にでる。
とうとう、朝からエアコンをつける。
目だけでなく口を開くのも重苦しい。
痒いばかりでなく人相が変わった。あと4、5日はこのブヨに刺された後遺症に悩まされる。
サルは次回にアップ!

2010年7月24日土曜日

雷平から鬼ヶ岩の頭を目差して!

車をヘ林道のアピンカーブのところに置く。伝道に着いてGPSのスイッチをオンにする。
今日の目的は、雷平・鬼ヶ岩ノ頭・蛭ヶ岳・姫次・榛ノ木丸・林道であったが、
朝食抜きで、ザックにはカップソバとカリントウ菓子だけであった。
鳥屋のお店でお弁当を買おうと思っていたが、まだ開いていなかった。
それでもどうにかなるだろうと伝道から雷平を目差す。
雷平で早戸大滝に行く橋のところで10時12分GPSのウエイポイントをとる。
10分くらい雷滝方面の道を歩き、目差す尾根のところで、川を渉る。
岩の上をぴょんぴょん跳んで渉る。
右に沢音を聞きながら尾根にとりつく。
登って間もなく、無葉ランの仲間?と思ったが、花が、、、、、。
シカ柵があったが、中に入るとヒノキの枝がたくさん落ちており、歩きづらいのでシカ柵を左にしてあるく。次第に傾斜がきつく歩きづらくなる。幸いシカ柵が倒れていたので、そこから尾根を目差す。
なんと、ヒノキ林の中に作業道のような道がある。これは結局鬼ヶ岩の頭まで続いていた。
この直登するような道に雨水が流れて土砂も流されている。
そこから早戸川の川原がみえた。
この辺りから顔と言わず、体中にまとわりつくようなブヨがうるさくなる。
上部は草原のようで、春はさまざまな花が咲くのだろうと思う。
もう、この頃はブヨがうるさくしかも刺すの顔はタオルの巻くようにして隠す。
丹沢山・蛭ヶ岳間の登山道に着き、疲れたのでどうしようか思案していると大学生くらいの男2女2の登山パーティが蛭ヶ岳方面からやってくる。蛭ヶ岳もブヨが多いという。
で、雲行きも怪しいので同じコースを戻ることに決める。
登山道から雷平方面への道の入り口。テープなどがぶら下がる。クリックしてみて!
13時20分:登山道を後にして道を下る。この頃はもうブヨを帽子で追い払うことだけが最大の関心事である。
メガネは曇るし、ブヨは刺すし、うるさいし、雨が落ちてきそうなので気持ちばかりが焦る。
もう、腹も減ってバテバテ状態で、水を飲むことがバテを助長させているのでないかとさえ思う。
ヒノキの植林帯に入ってもブヨの襲撃は収まらない。
雷も鳴り響き、雨を落ち始める。はじめは雨粒が天の恵みのように思える。
しかし、全身ずぶ濡れ状態になり、身体が冷え、足の指、脹脛、腿の筋肉ばかりでなく、指や腹の筋肉まで攣り始める。テタニー症の一種の軽い症状のようだ。
ヒノキ林の道は雷平の早戸大滝方面は渉る橋のところまで続いていた。
途中、カモシカがぼくの目の前でじっと立っていた。ぼくも雨の中彼が気がついて逃げるまでずーと立っていた。彼は、雷の音で移動する。
稲光が激しいので、光って、ゴロゴロという音を聞くまで歩きながら1、2、3と念仏のように言いながら下る。ゴロゴロという音の時に、今度はドブネズミよりももっと大きく、太っている齧歯類と思われる動物がぼくの前に出てきては隠れる。光りと音に驚いているのだ。
早戸大滝と雷平を結ぶ橋を渡り、さらに二つの橋を渡って、伝道の森林作業小屋に着く頃には雨も小止みになっている。
小屋に入って、寝転ぶ。今夜はここに泊ろうと思う。
手足や腹筋、顔面の痙攣が酷いので、ガスコンロでお湯を沸かし、カップソバを食べる。あれ程食べたいと思っていた食料なのに、全部食べきることができなかった。お湯を飲む。身体の震えがようやく止まる。車まで戻ればどうにかなるだろうと歩く。6時を過ぎているが明るい。
家に戻ったのが8時頃であった。
携帯が濡れて使用付加になり、家へは連絡がつけられなかった。
連れ合いも娘も遭難したと思ったようだ。
翌日のお昼まで連絡なかったら遭難したことになる。それまでは動くな!と云う。
連れ合いが車のフロントガラスのところに挟まってあった、鈴木庸夫さんからの伝言に気がつく。
今朝、鈴木さんが電話がある。遭難したと思ったようだ。

2010年7月22日木曜日

これが終わると夏休みだ!

昨日、慶應の春学期(動物行動学)の試験があり、採点にとりかかった。
当初は301名の履修者だったが、試験を受けたのは291名だった。
ぼくの試験は、暗記するものではなく問題に対して自分の考えを書くことを重んじているので、白紙同然の答案に接すると「どうして?」と考え込んでしまう。
幸い、今回は皆たくさん書いてくれた。ある学生は一枚の用紙では足りなくてもう一枚要求した。
引き込まれて読んでしまう文章もあれば、そうでないものもある。
自分の経験から問いに対して答えてくれたものは拙い文章であっても引き込まれる。
動物行動を含む、自然現象は経験した事実が大きな力をもつ。
昨日は夜中まで採点し、今朝は早起きして採点。

皆にAを与えたいが、、、、、。
採点をして、成績簿をつけ終わるとぼくの夏休みが始まる。