「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年10月10日金曜日

ヨルガオが咲く

ヨルガオって不思議だ。
昨年は9月下旬頃から咲き始め
今年は、今日咲いた。
どうやって受粉するのだろうか?
昆虫の少なくなった秋になって、夜になって咲く。
匂いは無い。
ただ、この白さが月明かり、星明りで良く目立つ。

2008年10月9日木曜日

もらったアメリカモモンガ

もらった、アメリカモモンガ(Glaucomys volans)の生後3、4ヶ月の死体:
この鉢受けの内径は15センチである。
これは、6日(火)に専門学校の学生からもらったものである。
学生はペットショップから死体をもらったようだ。
ホルマリンに浸けていたのか、少しホルマリン臭さい。

今日は外出する用事がないし、朝から快晴なので処理した。
学生との約束で、①剥皮し、毛皮の標本をつくる、②解体、除肉し、腐らして骨挌を晒骨する、③その様子をメールで知らせる。

問題は、いつ死んでいつホルマリンに浸けたかであり、上手に剥皮できないかもしれないという恐れがあったが、首尾良く手首、足首のところまで剥皮できた。
すぐ、皮を棚板の裏に画鋲で留める。

痩せた個体で脂肪分は殆んどないので、お腹を開けただけで内臓も取り出さないで、そのまま水につける。

3、4ヶ月のチビなので、頭骨の各部分は縫合していないかもしれないので、身体部分とは別にして水につける。

このような仕事はいつも気持ちの良いものではない。
それでも、知りたいという欲求が学生が持っていたモノを云わば強引にもらいうけた。

ネズミ(齧歯)目の動物たちは、草食と肉食、雑食の歯の違いや、跳ねるものと殆んど跳ねないものの足の骨の違いなど、知りたいことがたくさん。

はじめて教会へ

葬儀場などでの、仏式のお葬式には何度か出席した。
煌びやかととも思える祭壇、
供花が所せましと並べられる。
しかも、それぞれの供花には、兄弟一同、〇〇会社会長、県会議員、市会議員、△△家、〇△家などまるで、この時とばかりの自己宣伝の場と化した祭壇となる。
弔辞も普段の付き合いの薄い人ほど、電報で自己宣伝をする。

葬儀場での供花や弔辞に戸惑いを覚えるのはぼくだけではないだろう。

知人のお母さんが89歳で逝き、
告別式が南林間駅近くの教会であるという。

10分前に教会に行き、はじめて細くて長い机を前にして座った。
正面の壁には大きな十字架がかかっている。
右手にはアップライト式のピアノくらいの大きさのオルガン。
オルガンをひいているは60代くらいの痩せた女性。
前奏曲はバッハの重厚なものだ。

時間がきて、牧師が前に立つ。
参列者一同賛美歌を歌う。
受付時に手にした式次第に、歌詞や楽譜が載っている。
祈祷があり、聖書の一部「賛歌。ダビデの詩」詩編23編1~6節が唱えられる。
賛美歌を再び歌う。
説教、祈祷、三度目の賛美歌を歌い、
牧師がの祝祷があり、友人が親族を代表して挨拶をする。
祭壇に並べられていた花を、棺の前に献花する。

出口付近で親族の方々が並んでおり、参列者にお礼を言っている。
ぼくは、友人と互いに目を見合って手を握り合い、「またね!」と教会とあとにした。

これほど、気持ちの良い葬儀に出たのは始めてだ。
良いと感じたのは、①簡素さ、②判り易い牧師の言葉、③一緒に歌うことによる開放感と一体感、③煙たくない事、④オルガン伴奏の重厚さがある。

2008年10月8日水曜日

世知辛い世の中(2)

実家は幼稚園をやっている。
この50年、幼稚園が休日のときでも
近所の子供たちが自由に園庭に入って
滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶことができるようにしてきた。
が、各地の公園でブランコの事故があってから、
夏休みや冬休みなどの長期休暇が始まると、
ブランコを外すようにしているようだ。

事故があると悪いのは子供やその親ではなく、
遊具を設置していた側の管理責任を問われることになるからだ。
地域とともに幼稚園があるのだが、
休日の時は自由に園庭に入れないようにしようかと迷っているいるようだ。

あるいは、ぼくは学生を連れて野外実習をやっている。
山では予期せぬ事故があるので、いろいろ事故にあった時のことを考える。
学校側からも学生に怪我をさせないように注意を受ける。
学生たちに素晴らしい体験をさせたいと思っていることが裏目に出てしまうことだってある。

今の学生たちは子供の頃に外遊びをほとんどしていないので、
ぼくにとっては予測不可能なことをやらかす。
渋谷の街を歩くのと山を歩くのと同じだと思っているようだ。
事故があった場合のことを考えると
学生たちを山に連れていけない気持ちになる。

釣り、昆布、イナゴは過度なる自己防衛であり
自分たちが作った権利の主張である。

それは、子供や学生の事故を
その管理及び責任者の側へ押し付ける考え方と根は同じだ。

川や海岸や山や、園庭や校庭でさえも自由に出入りできなくなれば、
ますます子供を含む人々は外遊びができなくなる。
さまざまな自然に触れ合う機会が失われ、
人々は歩かなくなり、
車窓から眺める押し付けられた景色を自然と思ってしまう。

海岸や川岸や山に自分の足で歩いて、
自然の息吹を、美しさを、
楽しさを、恐ろしさを、苦しさを味わってもらいたい。

この世知辛くなった世の中を変えていかねば、
人々はますます自己の権利を主張し、
子供はますます外遊びをしなくなり、、、、、、、。

人々はもはや五感で危険を察知することさえできなくなってきている。

2008年10月7日火曜日

世知辛い世の中(1)

夏に釧路に帰省した時、兄貴に内地(神奈川県)での川釣りの話しをした。
いたるところで規制があり、好きな時に魚釣りができなく、モツゴやオイカワという小魚を釣っていたり、ヨシノボリをすくっていても漁業関係者がきて、
「許可証は持っているか?」
「今は禁漁期間だ!」
「ここで魚を釣ってはダメ」と云われてしまう。

兄は家族で昆布森海岸に行ったときのことを話してくれた。
小さな子供を連れて陽の当たる砂浜を歩き、お弁当を食べて遊んでいた。
4歳になった息子が砂浜に打ち上げられている昆布を引っ張ってきた。
すると、60歳くらいの頬被りをした腰の曲がった女性がやってきて、
「お宅たち、漁業権を持っているのか?」と怒鳴ってきたという。
その言葉と迫力に驚いて、兄貴たちは声も出せなかったようだ。
小さな男の子が1メートルくらいの昆布を引っ張ったことくらいで、、、、。

川や海岸がいつから漁業組合のものになったのだろうか?

知人のYさんは先日、天気が良いので、5歳になる甥っ子と近くの川に遊びにいった。
川沿いの田圃の稲は、稲穂が金色に輝いていた。
田圃の周りの草叢を歩くと、イナゴがピョンピョン飛び回る。
甥っ子とイナゴ捕りをし始めていると、田圃の持ち主と思われる人から、
「お前たち、誰に断ってイナゴを捕っているんだ?ここはうちの田圃だぞ!」と怒鳴られたそうだ。
あまりの剣幕に、ビニール袋に居れたイナゴを放して、帰ってきたようだ。
畦道でイナゴを捕った訳でもないし、ましてや田圃に入った訳でもない。
イナゴは稲を食べて大きくなったことであろうが、川の土手のイナゴの所有権なんてあるのだろうか?

2008年10月5日日曜日

秋はどうして物悲しい?

昨日の境川沿いの秋:
アメリカセンダングサやススキが秋の気配、向こう側は横浜市。
近隣の花好きの人が植えたと思われるコスモス(秋桜)がサイクリン道路沿いで秋の陽を受ける。
何故、秋は物悲しくなるのだろうか?
あんなに嫌に思った蒸し暑さがなくなったのだから、喜びに満ち溢れた気持ちになってくると思うのだが、そうではない。
夏の暑さが恋しくさえ思うのは何故なのだろう。
冬から春になった喜び、春が近づいてくるウキウキした気持ちになるのは解る。
が、秋の寂しさ、人恋しさは何故?
と、アフリカのタンザニアに3年居た時のことを考えた。
雨季に入った時の喜びがある。
半年くらい乾期が続き、木や草ばかりでなく土や岩も乾ききってしまい、川床を掘ると腐ったような水が染み出してくる。それでも飲む。
ジーパンは洗って絞らなくても2時間くらいで乾いてしまう。
ありとあらゆるものが水を欲しがる。
そんな時にしだいに空気が湿ってきて、ダッダァーと雨がくる。
これは、水が欲しいので現実的な喜びである。
しかし、雨季が2、3週間くらい続くともう嫌になり、乾期が待ち遠しくなる。
乾期が来ると、ようやく雨季が終わってくれたかという喜びとまた水を求めて歩かなければならない思いが交差する。
タンザニアに居た時には、気候によって感傷的にはならない。
日本の四季はそれだけ穏やかであるということで、心に余裕を持たせてくれるのかな?

2008年10月4日土曜日

ハリネズミの死骸が売られていた

お土産のヘラジカの上顎文鎮で、思い出した。
下のモノは、12、3年前に東アフリカのタンザニアの市場で売っていたものを購入した。
ハリネズミ{食虫(モグラ)目}の頭骨の乾燥したものだ。

これは、どのような目的にために売られていたとおもいますか?

この頭部、当初は水に浸けて腐らせて頭骨標本を作るつもりでしたが、これだけでも十分に歯式は見えるし、何と云っても皮膚から針が出ているのが、皮膚の裏からも見られるのでこのままにしている。
古いスルメのような匂いがする。
ハリネズミはアフリカ・ヨーロッパ・アジアに広く分布しているが、日本には生息していない。
が、近年、伊豆や小田原で見つかっている。
ペットが逃げたものだ。
あるいは、こころない者が逃がしたと思われる。
ブラックバスと同じように日本の自然を壊しているのだということを知ってもらいたい。

秋の気配

今朝は紺碧の空の下、カメラを持って横浜と藤沢の間を流れ片瀬海岸に注ぐ境川沿いのサイクリング道路へ:
子供の頃夢中で追ったトノサマバッタが日向で身体を温めている。
セイタカアワダチソウの花の上に、ウマオイのオスが花を食べている。 右と左では稲の成長が異なる。右はスズメ避けのためのネットが張られており、「稔るほど頭を垂れる稲穂かな!」になっている。
イナゴを捜したが、飛び出さなかった。

2008年10月3日金曜日

秋の気配の動物たち

10月2日の東丹沢:
7時43分、もう、肌寒いくらいである。林道上に寒さで動けなくなったウマオイがいた。
ウマオイは弱弱しいが、夜になるとスィーチョンと鳴いてメスを誘う。
首尾良くメスと出会って交尾できたのだろうか?
コオロギもキリギリスも春に孵化して、晩秋には死んでしまう。
随分、内容の凝縮した生き方をする動物だ。
失敗は許されない。
ぼくらは来年こそは!と未来へ希望を託す。
ウマオイたちはその希望を子供に託す。
大きなケヤキの木の幹に直径10センチくらいの穴が開いている。きっと、森の鳥たちや動物たちが利用しているのだろう。
穴の下にムササビの糞を捜したが見つけられなかった。モモンガでもここでは暮らせそうだ。 シラカシ、コナラ、ミズナラなどのドングリが早くも、林道に落ちている。それらを踏んでしまうと「ギャー」と叫んで死んでいくようだ。アケビの実はまだ割れてはいないが今年はたくさんアケビの実がなっている。早くも、アケビのタネだけのテンによる落し物が見つかった。 帰路、矢部さんがヤマカガシと指差す。まだ、首の周りに黄色の輪が残るコドモだ。生まれるのが遅かったようだ。この子が冬をどうやって地中に潜って過ごすのか、それまでお腹を満たすことができるのだろうか?このコドモは生まれてすぐに厳しい冬に対応しなければいけない。
ぼくの人生は失敗ばかりだが、大成功は老若男女を問わず多くの友人に恵まれたことだ。

2008年10月2日木曜日

サルナシの森の崩壊

今朝、5時半前に家を出て、矢部さんと共に東丹沢へ:
今日の目的は、サルナシ狩りである。
ぼくら2人だけの秘密の「サルナシの森」に足を向ける。
そこは、標高1150メートル前後あり、ほとんど木に登らずに、背伸びくらいで大量のサルナシが取れる場所だ。
が、驚いた。
「サルナシの森」は崩壊しており、古い炭焼き窯の跡さえも見えない。
(写真は崩壊した跡で木を見上げる矢部さん)
もう、愕然というより苦笑いである。サルナシの生食、サルナシ酒、サルナシジャムを語りながら登ってきたのだ。
サルナシのツルが絡まっている木の梢には、堅そうなサルナシの実が見つかった。
が、余りにも高く、足がかり、手がかりがないような木なので諦めるよりない。
サルがやってきて食べてくれることを祈りたい。 帰路は沢の水でインスタントラーメンの昼食。そばに生えてた三つ葉が旨かった。

この2、3年、サルナシの結実が良くなかったので、今年は期待していた。今年は例年に無く山が崩壊している箇所が多い。

2008年10月1日水曜日

学生の出席率と自分の考え

教えている専門学校で試験をやった。
今回は事前に範囲も、内容も教えなかった。
試験は、20点が穴埋め式で、他の80点は記述式にした。

穴埋め式だと、一応何かの言葉を書き入れてくるが、記述式にすると問題に対する答えをほとんど書かない学生がでてくる。
何も書かなければその問には点数は上げられない。

ぼくの記述式の問には、自分のアイデアで書きなさいとやるのだが、9割以上はぼくが授業で話ししたような内容で書いてくる。
そのような解答は読みたくもない。
が、ときどき自分のアイデアで書いてくる者がいる。
こういう学生は得てして、授業中に目立たなかったり、出席率が悪かったり、あるいは逆に授業中にぼくに注意されることが多い元気の良すぎる学生だったりする。

出席率が良くて、しっかりぼくの授業を聞いているような真面目な学生ほど、面白いくない答えを書いてくる。
この傾向は4年生の大学でも云える。

出席率が良くて、しっかり授業に集中して、しかも自分の頭で独自の考えを出せる学生が出てくるようにするには、どのような授業をすると良いのかまだ暗中模索が続いている。

何故、逃げる?

今日も雨で肌寒い。
6時、新聞を取りにドアを開けようとして、思いとどまり、自室に戻りデジカメをもってくる。
スイッチをオンにし、サンダルをつっかけてドアを開け身体を外にだし、ドアをゆっくり閉める。
ドアがカチと閉まる音がする。
猫吉がいたら、その音に気がつくだろうと思い、ステップを降り、駐車場の角を見る。
奥は少々暗い。が、ヤツがいるのがわかる。
レンズをヤツに向ける。カメラが焦点を合わせようと行ったり来たりしている。
自転車があるのと、暗いので合わせづらいのだ。
撮る。
上手く、ヤツがこちらを見ている。
この不信に満ちた目付き。
すぐぼくが新聞を取ってその場を離れたので、ヤツは逃げはしなかった。
しかし、ナゼ、猫吉は逃げるのだろう。
他所の誰かに虐められたことでもあるのだろうか?
それとも、ノネコ(野良猫)はヒトの側に居ながら、逃げることで生きながらえているのだろうか?
これから、寒い冬をどのように屋外で過ごしていくのだろうか?

2008年9月30日火曜日

頂いたお魚

お隣さんから頂いたお魚:
学校から戻ってまもなく電話。
お隣さんの奥さんからである。
ご主人が釣りから戻ってきたので、ちょっと庭に出てくれないかとのこと。
雨に濡れたサンダルをひっかけるとお隣の裏口が開いて、奥さんが出てくる。
「お刺し身が美味しいです」とスーパーの袋にはいった魚を渡される。
え!と思うほど重い。
魚の名前を聞き忘れたが、この魚、確か前にも頂いたヤツだ。
イサキだ!っと勝手に決め付ける(本当にそうかな?ネットでみたが確信もてず)。
すぐ、3枚におろす。トゲ(骨)を抜いて、皮を剥いて、刺し身にする。
アラを薄醤油で煮付ける。
他の一尾は今日、塩焼きで食べることにする。

刺し身が残ったので、塩辛にしてみる。塩と麹と少し酒を入れてかき混ぜて、ビンに容れ冷蔵庫へ。
内臓をオーブンで焼いて、猫吉にために車庫に、、。

今朝、車庫の皿を見るとまったく手をつけていない。猫吉が角にいたが、ぼくに気がつくとすぐ逃げる。
連れ合いは、「今時の猫はキャットフードでないと食べないのじゃないの?」
昨夜のアラの煮付けの頭部分(肉がたっぷりついている)を内臓と代えて置いた。
食べてくれるかな?

ヘラジカの大きさ比較

ヘラジカの右上額とニホンジカ(オス)の下顎を並べたものです。 上はニホンジカと問題のヘラジカの歯を同じように並べてみたものです。
このニホンジカは少なくても5歳以上の大人オスです。
両種は同じシカ科(Cervidae) ですが、こんなにも大きさが違うんですね。

ぼくは、釧路市立北方動物園でヘラジカを見たことがあるのですが、ぼくが背伸びして手を伸ばしてようやく彼の目の辺りにとどくような大きさでした。
目はマンゴーを半分は割ったくらいの大きさで、目の周りにいっぱいブヨがたかっていました。

ゆったりと歩く姿は優雅そのもので、自分の存在そのものを考えさせられました。

その後、釧路実習で行ったがいなく、代わりにニホンジカと同じCervus属の北米生息のワピチが放牧されておりました。

2008年9月29日月曜日

これは何するもの?

ある動物の右上額の頬歯
外側から見る:
内側から見る:
真上から見る:
この歯は、アラスカに行った動物カメラマンのF.S氏がアンカレッジのお土産店で買ってきてくれたものです。長さは16.5センチあり、結構重いですよ。

これは、何をする物として売られていたと思いますか?
また、この歯茎は誰のものなんでしょうか?

2008年9月28日日曜日

先日のカワネズミをみた付近で
ホトトギス 
ヌルデの虫瘤
ツルニンジン
昨日、今日と涼しいというより寒いくらいだ。
この寒さで、サルやシカたちも急速に発情するかな?
動物たちの発情を促す外的内的環境要因がはっきりしない。
複数の要因が絡み合って発情することはわかるが、、、、。

2008年9月27日土曜日

警戒音は言葉の始まり?

カワネズミが流れるように落ちていった、沢の向こうで「グァー、グワン」とシカの警戒音。
2頭のシカがこちらを見ながら、啼いている。
右上方にも仲間の2、3頭がいるようで、そちらからも「グワン、グァー」という音声。
おもしろいものだ。警戒を出さなければ気がつかないのに、、、。

仲間と一緒に生活する動物たちは、仲間に危険を知らせて、逃げる。
しかし、リス、クマ、アナグマ、ウサギ、テンなどの単独で生活する動物たちは、静かに逃げ、隠れる。
ヒトの言葉も仲間がいてこそ発達したのだということが理屈抜きにわかる。
授業中の学生のお喋りは困ったものだが、お喋りは頭の活性化に役立つ。
年寄りはもっともっとお喋りし、云いたいことを若い人たちに伝えるべきだ。

2008年9月26日金曜日

2008年9月25日木曜日

始めて出逢ったカワネズミ

林道の終点近く、基点の橋から3キロ以上歩いたことになる。
林道上を流れるこの沢の奥に、イワタバコがたくさん岩に着いているので何気なく沢の方に目をやると、、、、。
この小さな堰堤は林道の山側である。
下の写真の水溜りからネズミ状の小動物が一匹、顔を出すと不思議な泳ぎをし、この堰堤の縦15、横15センチくらいの小さな穴(写真中央の四角いやつ)に入った。
連れの矢部さんに「カワネズミだ!」と教える。
矢部さんはまったく気がつかなかったようだ。
しばらく、その穴の写真を撮ったりしていると、、、、。
矢部さんが、「カワネズミ!」とささやく。
足元の水溜りの中を泳いでいる。
カモノハシもこのように泳ぐ映像を見たことがあると思いながら、カワネズミを追う。
ヤツは、水底の枯葉の中を素早く泳ぎ回る。虫を探しているようだ。
すると、20センチくらいのヤマメが飛び出てきて、左の方の深みに隠れる。
ヤツの身体全体が不思議な空気の塊のように見える。
体毛全体についている気泡が身体を被っている。
その気泡のために身体が浮くような感じさえする。 上の写真の右の枝の下に潜っているのだが、ぼくのデジカメはシャッターがおりたり、おりなかったりする。オートにしているため、水中のヤツにピントを合わすことができないで、カメラが困っている。

沢の水溜りの水は林道上を流れて、本流の沢に落ちる。ヤツは、ぼくらの足下の2,3センチに水の中を流れるように移動して、沢側の堰堤から滑り降りて行ってしまった。落差、4メートルくらいある(下の写真)。カワネズミが落ちるように移動していった沢は、本流と合流する。
カワネズミをこんな1、2メートルの近さで見たのは始めてである。カワネズミという名前だが、モグラ(食虫)目トガリネズミ科カワネズミ属の動物である。

これから沢に近い所を歩く時は、カワネズミもいるという目を持って歩かなければいけない。それにしても、落差4メートルくらいもあるところも何も躊躇せずにスーと流れるように下りていったり、カモノハシのような(テレビで見ただけだが)泳ぎをしたり、何時呼吸するのか分からないほど水中にいたり、素早く水溜りから穴に入ったり、これまでぼくが知っている陸上性の哺乳類では、見たこともない非常に変わった行動・生態をもっている動物である。

あんな小さな林道上の水溜りに20センチくらいのヤマメがいることにも驚いた1日でした。

踏み潰されたクルミを食べるリス

丹沢に向かう途中にタヌキの轢死体、4,5度轢かれたようである。可哀想だがそのまま通り過ぎる。
東丹沢の道を走っていると、突然リスが飛び出し、道路上で何か食べている。
どうもクルミをたべているようだ。
フロントガラス越しの写真はちょっとぼけた感じなので、、、
ドアのガラス窓を下げて撮る。

慌てているのかどうもこれもピンボケだ。
5分くらい観察していたが、リスは食べ終えたのか湖側の斜面に入る。 彼が食べていたものは、車に轢き潰されたクルミであった。車にクルミを潰してもらって、その中身を食べるということを学習できると凄いのだが、、、、。

この日は、このリスの他に林道を歩いていても、リスを見つけた。落ちているクルミを持って木に登って、見えなくなくなった。

丹沢のリスの初秋の食物はクルミなのか?落ちているクルミが嫌に目についた。

今日は、僕にとっては生まれて始めての動物を見た。写真に撮ったが写ってない。動画にすべきだった。残念!

2008年9月24日水曜日

最後のミョウガ

昨日、ムカゴを採ったときにひょいと地面を見るとミョウガの花が咲いている。
今年、最後のミョウガだ。
美味しく食べられるミョウガは、このようにミョウガの蕾である。
左にミョウガの葉?茎?が伸びているが、地面の下で地下茎でこの蕾とつながっている。
植物の花のつき方って千差万別だ。
ミョウガの花(蕾)のように直接地面から顔をだすものが結構ある。
巨大花のラフレシアはあまりにも有名だが、ツチアケビやムヨウランもそれに近い。

さて、ミョウガは薄く刻んで、汁に落としたり、浅漬けに混ぜたり、天麩羅にしたり、どれも美味しい季節独特の食材だ。

2008年9月23日火曜日

ヤマイモのムカゴ

呑み会の連続で、山にいけなくなっている。
ヤブカに刺されるのを覚悟して、庭にでた。
カエデの木に絡まっているヤマイモの蔓にムカゴがついている。
もう何年も前に小さいムカゴを捨てたのだ。
今年は蔓が太くなってきている。
わずかこれだけだが、これをフライパンにちょっとバターを溶かして炒ると絶妙のビールのツマミだ。
あー、山にはたくさん取れる場所がある。
落石防止のために張った金網に絡まっているヤマイモは、日当たりが良いので、大きいムカゴがつく。
毎年一度はご飯を炊く時に一緒にいれてムカゴご飯にする。
季節のものは皆美味しい。

2008年9月22日月曜日

子殺しの恐ろしさ

福岡の公園で小学1年の子供が殺され、今度は千葉で5歳の保育園に通う女児が殺された。
子殺しと聞いただけで、何だか気味の悪い恐ろしさを感じる。
殺人者は大人だろう。
その大人が力の弱い子供を殺すということに得体の知れないおぞましさを感じるのだ。
成人男性同士のケンカで誤まって相手をナイフで刺し殺したというものと全く違うものがある。

サルを含む哺乳類でも子殺しが観察されている。子殺しが起きる状況も明らかになっている。
メスは乳飲み子を持っていると発情しない。
オスは自分の子を早く残すために、メスを発情させなければいけない。
そこで、オスによる子殺しという状況が生まれる。
これが、ライオンやハヌマンラングールで観察された子殺しである。
アメリカジリスでは、メスが率先して自分の子を殺して食べてしまい、新しいオスを受け入れるようになる。
どんな哺乳類でも殺される子は離乳前のアカンボウである。

千葉と福岡の子殺しは哺乳類で見られる子殺しとは全く異なったものである。
そのためであろう。ぼくには殺人者のおぞましさを感じてしまう。

2008年9月20日土曜日

秋:実・タネ

ボタンヅルの白い花がいつの間にか終わり、タネの入った実となっている。
このタネはどうやって分散するのだろうか?
風?動物に食べられて、排泄されて?乾いて飛び散る?動物の毛に着いて?
オオイタドリも実をつけていた。
このタネは乾いたら風に乗って運ばれそうだ。 植物は、タネを作るときも様々なやり方で受粉するが、稔ったタネを分散させるやりかたも様々だ。同じ所に棲む動物たちがたくさん関わっているのが、興味深い。

植物はもちろんのこと、動物もそのものだけでは生きていけない。皆、同じところに棲んでいる他の生き物がいてこそ自分たちの命を育むことができる。エゴヒゲゾウムイはエゴノキの天敵かもしれない。が、その幼虫を食べる小鳥たちがいて、その小鳥が糞をしたり、死んだりすることによって昆虫によって糞や死体が分解されて土に返っていく。

アフリカにいた時の部屋は、壁にはヤモリ、床にはトカゲ、天井にはヘビ、部屋の物陰にはサソリやネズミがいた。今のこの部屋は、ときどき可愛いハエトリグモがいるだけ。

コアカソ

先日の水沢林道で:
コアカソが果実をたくさんつけていた。
草本のアカソはどうなっているのか捜しながら歩いた。
が、アカソは見つからず。
このコアカソの果実(タネ)を見ると秋だ!

2008年9月18日木曜日

エゴノキの実に穴空けたのは誰?

take隊員へ
昨日、ハクビシン?の糞の中に入っていたタネのエゴノキの白い果実です。
フィールドにもありますネ!
見て下さい。ほとんどのこの果実に穴が一つだけ空いているんです。
分かりますか?
はい、マクロで撮ったものです。
エゴノキの果実に空いている穴は、外側が大きく、中にいくほど小さくなっております。
一個の果実には一個の穴が空いてます。

果実を3個持ってきたので、穴に向かってカッターとペンチで半分に切ってみました。果肉の部分も堅く、種子は指を怪我するのではと思うほどカッターではとても切れませんでした。

3個とも、穴は種子のところで止まっております。つまり種子には穴を空けられなかったのです。

果肉を取り去ると種皮の回りには、ビニール状の半透明の皮があり、これを取り除くと褐色の種子が出てくる。種子には穴が空いてなく。

3個の種子をカッターとペンチで割った。

一個は中は空洞、これがペンチでないと割れなかった。

一個は白い胚珠が詰まっていた。カッターで稜に沿って切れ目をいれて割る。

一個はカッターで割れた。中身をつぶれてしまったが、白い芋虫と思われるものだった。

穴は、小鳥が中の幼虫を突付きだそうとして空けたのだが、いずれも徒労に終わったようだ。

それにしてもエゴノキの種皮は何故こんなに堅いのだ、、、、、。

動物が食べて、誤まって種子を噛んでしまっても割れないので、そのまま種子(タネ)はウンチとして排泄されるように動物たちに食べられることによって、種子が堅いエゴノキに進化したのだろう。

しかし、中に入っていた幼虫はどうやって侵入したのか?虫が入り込んだ穴が無いので、花の終わり頃のまだ子房が堅くならない時に侵入するよりないだろう。

エゴノキの実を食べる動物

昨日の水沢林道歩きで、この糞は誰のもの?と一瞬とまどうような糞があった。
タヌキのものに似ているがそうではない。
ハクビシン?と矢部さん。
そう、きっとハクビシンのものだ!
この糞の左に大きな円錐状のタネがみえる。
このタネ、その場で同定できた。
なんとエゴノキの実のタネだ。

エゴノキの種子は有毒なサポニンを含み、縄文時代の遺跡に大量に出てくることがあるという。
当時の人々がタネを砕いて川に流し、麻痺した魚を獲るために使ったのではないかと、以前何かで読んだことがある。

それいらい、うつむいて咲く白い花や、枝にたくさん垂れ下がる白い果実が美しすぎてなんとなくオドロオドロしいモノのように感じていた。

その果実を食べて、種子をウンチとして排泄する動物がいるとは思わなかった。
糞の中に入っていた種子の廻りの果肉はきれいに消化されている。
種子にはサポニンが含まれるが、果肉は問題ないのだろう。

ハクビシンは丹沢山中では姿を見たことがないが、轢死体を拾っている。
彼の胃の中は栽培イチゴが一杯詰まっていた。
ハクビシンは東南アジアからの移入動物と考えられるが、エゴノキの種子を山中にばら撒いているのだ。

2008年9月17日水曜日

奥多摩の登山家のクマによる事故

奥多摩在住の登山家の山野井さんが親子クマに襲われて、大怪我をしたようだ。
命に別状がなくて良かった。
山野井さんは夫婦で世界の高峰を目差す登山家で、自宅の中にまでロッククライミングの練習用のものをつくっている。
以前、テレビ番組で彼等夫婦の生き方をみて、自分のやりたいことと貫いていることが素晴らしく、また、羨ましいと思った。

その彼がジョギングをしていて親子グマに出会って襲われ大怪我をし、地元の猟友会がその親子グマを捜し追っているようだ。

山野井さんはお気の毒であるが、奥多摩を含む私たちが住んでいる多くの地域はクマを含む野生動物の棲家に隣接しており、そこに山野井さんを含む私たち人間たちが居候しているようなものである。

ヒト一人の命は地球より重いという例えがあるが、クマを含むサルやシカやリスなどの野生動物も地球の自然を支える一員であることに変わりがない。
山野井さんという有名な登山家がクマに襲われることによって、マスコミによってクマばかりでなく多くの野生動物が害獣として扱われ、喧伝され、「裁判」を受けないままに有無を言わさず処刑されたり、捕獲されることを危惧する。

ただ、山野井さんの御両親が息子を襲ったクマをまったく問題にしないでお話ししている姿をニュースでみたが、すごく爽やかな印象であり、山野井さんの早期回復とこれからの活躍を祈りたい。

リスの食痕?

林道ゲート前の駐車場際のチカラシバが力強く伸びている。
久しぶりの丹沢水沢林道歩き
家を出て、5時半に矢部さんを拾い、丹沢へ向かう。
林道歩いていると、矢部さんが「リス!」と小声を出す。
リスが山側斜面から谷川の斜面へ、、、。
しばらく、リスが横切ったあたりを見ている。
「まだ見える?」とぼく。
「見えません」と矢部さん。
リスが横切ったあたりで、道路を見ると、カラスザンショウの実が散らばっている。
カラスザンショウの実を食べるのかな?と見上げると大きなカラスザンショウの木が林道上に枝を伸ばしている。
今度は、ぼくが「あ、リス!」と矢部さんに教える。
リスがぼくらの前方5、6メートルのところを谷側から山側斜面に、さーっと移動する。
そちらの方へ、2、3メートル進むと道路上にはクマシデの苞鱗が一枚、一枚たくさん落ちている。
タネがついているものとタネがついていない苞鱗が半々くらい。
ついているタネを齧ってみた。ほとんど実が入ってない。
もちろん頭上にはクマシデがたくさん果穂を下げている。
林道上に張り出ているクマシデやカラスザンショウの実を下げているとこでは、同じように実は散らばっていない。これらの実(タネ)をリスが食べた可能性が高い。

2008年9月16日火曜日

猫吉(ねこきち)

今、我家の庭を通るネコは2匹いる。
一匹は三毛猫で一匹は大きい黒猫だ。

軒下に置いてある空の鉢に死んだトカゲが7、8匹いたことがあった。
庭を通る猫がトカゲを殺したのだろう。
庭には来ないが、駐車場に子供の猫が一匹今春より住み着いている。
目を合わせるとすぐ逃げてしまう。
名前を猫吉とつけた。
家族の者たちも「今、猫吉がゴミの網の上にいたよ!」とか、「猫吉が来ないねー」とか、猫吉が話題の主になるようになってきた。

庭を通る猫は、どうどうと歩いて、伸び上がって睡蓮鉢から水を飲み、目が合っても「何か用があるの?」と問いたげな目つきをしてゆっくりと歩いていく。

駐車場の子猫の猫吉はどこかで飼われているのか、いたりいなかったりである。
サンマの残りを置いても来てくれないで、アリンコが集まっていることがある。
先ほど、イカのゲソを鉢受けに容れて置いておいた。
一時間ほどして行ってみると、食べている。
慌ててカメラを持っていったら、残りのゲソを持って行ってしまった。

ぼくは子供の頃も含めて猫を飼った経験がない。

2008年9月14日日曜日

中秋の名月?

13日(土)の夕方の太陽である。
我家の前の道路から西に沈む太陽が、まるで中秋の名月のように沈んでいった。
何人もの人が足をとめて見入った。
ベトナムに行った8月下旬、どの街でも大々的に月餅が売られていた。
春節(旧正月)の次に中秋節の祝いが行われる。
知人や友人に月餅を贈り、家族が一緒になって月餅を食べる。
中秋節に月餅を食べるのは中国はもちろん、太陰暦の二四節季が伝わった周辺諸国みられるようだ。

ぼくが子供の頃は、十五夜の日に、ススキや野の草花を花瓶に挿し、お団子、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、カボチャ、ブドウやナシ、モモなどが窓際の机の上に置かれていた。
今では、そんな行事もしなくなった。

遠くのザイールの山並みに赤々と沈む太陽の美しさに見とれていた生活を思い出した。

家の周り

ユリ科のツルボが目に付いた。
線路沿いに夏の真っ盛りの時に咲く。
アサツキのような球根があるが、食べられるのだろうか?
早朝の散歩をしながら時々走ったりしている。
走れなくなっている。身体全体が重い感じだ。昨夜量ると71キロ。これでも減ったはずだ。
今朝は、行きはジョギング、帰りは歩いた。
境川に沿って、水田があり、稲穂が重たげだ。
「稔るほど 頭を垂れ」かと思いながら歩く。
もう、ススキも元気良く穂をだしている。
「枯れ尾花」までまだまだかかりそう。
ノビルが白い花を咲かせ、ツユクサが青い花を、ツキミソウが黄色の花を咲かせている土手を後にしてきたら、家の側の線路沿いのツルボが咲いているのに気がついたのだ。

歩くということは、自分の周りに目を向けられるということを今更ながらわかる。
しかし、どうして走れなくなったのだろう。走ろうとしても腰が落ちた感じになってしまう。腰を上げ、胸を張って走るんは、雲山さんの云う筋トレをして、体重を減らさない限り無理ですね。

2008年9月13日土曜日

ホトトギス

ホトトギスが咲いていた。
庭にはすでに秋が到来だ。
花や茎の感じが以前あったタイワンホトトギスと違っている。
でも、確か昨年も、一昨年もこの花だった、、、。
ここに移ってきて30年過ぎた。
当初はタイワンホトトギスは地下茎でどんどん延びてはびこるので、晩秋に毟り取っていた記憶がある。タイワンホトトギスの茎は太く、花色や柄ももっと赤茶けたいた筈だ。

で、本で調べた。ヤマホトトギスと花の咲き方がいっしょだが、花がちょっと違う。最近はヤマホトトギスとタイワンホトトギスの雑種ができているという。

結局、タイワンホトトギスを抜き取り、しだいにヤマホトトギスとの交雑種に変わっていったのだと思っている。しかし、このホトトギスは可憐な草姿であり、タイワンホトトギスの荒々しさがない。
これはヤマホトトギスそのものなのだろうか?

2008年9月12日金曜日

オンブバッタ

ベトナムから戻ったら、フクシャが丸坊主になって枯れている。
昨夕、シソの葉を取りに庭にでたら、ほとんど虫に食べられている。
インチパチエンスもなんだか虫食いだ。
今朝、学校へ行く前にインパチエンスをみると、2、3センチくらいのオンブバッタがたくさんいる。
昨夕、気が付かなかったのは葉の色と区別しがたい色をしているからだ。

フクシャを食べ、シソを食べ、今度はインパチエンスを食べている。
オンブバッタを一匹一匹摘んで除くことはできる。
が、止めた。
このわずか数平方メートルの狭い庭でもオンブバッタが生きているんだ。
それに庭はヤブカが多くて長靴、長ズボン、長袖シャツ、軍手と重装備で出ても首筋や耳や顔がやられる。
5分も出ていられない。

狭い庭の睡蓮鉢に水が入っているからボウフラがわく。
シジュウカラが水浴びし、野良猫が水を飲む。
トカゲが動き回る。

トカゲはオンブバッタを食べているのだろう。
時々姿をみる小鳥たちもバッタを食べているのだろう。
あと1ヶ月もするとオンブバッタもいなくなる。
インパチエンスには悪いが、それまで我慢してもらおう。