2020年11月29日日曜日

伊勢沢林道・奥野林道を歩く3) Walked on Isezawa and Okuno forest road.3)

 伊勢沢林道でスポーツドリンクを飲んで十分休み、ストックをザックから外して伸ばし、もう、何年も前から下りている杉林の斜面をジグザクに進む。時々スギの太い幹を右手や左手で抱えるようにして下る。60代の頃に比べて一段とバランスが悪くなっているので、ついこの間まではヒョイヒョイ下りれた所なのに一歩一歩慎重に足を下ろす。この歳になって初めて恐る恐る足を出して足場を確かめなければ下れない人の気持ちが解かってきた感じがする。林道から降り始めてからなんと15分も掛かって伊勢沢だ。ここも岩の上をピョンピョンと渡れず、一歩一歩、岩が滑らないか確かめながら渡る。自分でもイヤになるくらいの慎重さだ!こうしなければ自分のバランス感覚と足腰のバネが不安なのだ。フー!っと沢中央の岩の上で溜息がでる。

沢を渡り、対岸の斜面をグイット両手のストックに力を込めて登る。と、目の前にキャタピラの跡だ。小型のブルがここまで下りて丸太を運んでいるブル道だ(図1)。この道を行くことにする。

図1.10:46 ブル道に出る
図1’. ブル道を登る
ブル道はドロンコ道と云っても良いほどで、登山靴の裏に泥が貼り付いて盛り上がり、まるで初春の腐れ雪を歩いているようで歩き辛い。今まで登っていたルートを行かなかったことを少し悔やむが、まー仕方がない。シカもここでは足を取られることだろう(図2)。ここは伊勢沢右岸尾根の813ピークと702ピークの間の鞍部にあたる所なのでそれぞれのピークからの水が流れてきていて泥泥状態だ。ここは真冬でも乾くことは無いだろう。
図2.10:50 シカ足跡
稜線には11時5分に出た。ここからも当然ブル道を下る。林道にはキャタピラの小型の小回りの利く丸太を運ぶ車と小型のユンボが置かれてあった(図3)。やはり、林道に下り立つとホッとする。伊勢沢林道から奥野林道まで1時間近くかかったことになる。学生なら30分かな?
図3.11:14 ユンボと奥に丸太を摘んだキャタピラ車
奥野林道は伊勢沢林道に比べて落ち葉が積もり重なっている箇所がない。伊勢沢林道は谷間にあり、風があまり強く当たらないのかもしれない。どこでお昼のインスタントラーメンを食べようかと思いながらゆっくり歩く。それでなくても歩くのが遅いので馬ノ背を過ぎ、松茸山入り口まで50分近く掛かる。ここで、駐車場に座って胡坐をかき、ガスストーブをセットし、鍋に水を容れて、生卵を落としインスタントを入れ火を点ける。ものの数分でお昼の完成だ!何故か山で食べるインスタントラーメンが美味しい。今の時季は野菜の代わりになる山菜が何も見当たらない。春から夏ならオオバコやアザミを含めてたくさんある。時にはキノコもある。
12時15分にお昼を食べ終え歩き出す。これまでは、膝が痛くなったのだが、今回は登りもゆっくりで、十分なお昼の時間をとって休んだからだろうか膝が全く痛くない。スキップをしたいくらいだ、、、、。
おー、この三出複葉は、カエデの仲間のメグスリノキだ!葉を拾ってフィールドノートに挟もうと思ったが、葉を折り畳まなけれノートに挟めないので諦めた。右側の松茸山側の斜面に3メートルくらいの細いメグスリノキがあった。
図4.紅葉したメグスリノキの葉
さらに、林道上を歩いている膜翅目のジガバチの仲間と思われる大きく黒いヤツがいた(図5)。これは誰なんだろう?
図5.12:29 ジガバチの仲間か?
専門学校の昆虫に詳しいT.KumagawaくんにTeamsで訊いたら、このハチはヒメバチ科のイヨヒメバチだと教えてくれた。
凄い!ぼくの保育社の図鑑には載ってないので、ネットで見た。

以下、ウイキペディアより、

「ヒメバチ科は甲虫や他のハチチョウ、クモなどを寄主として利用する捕食寄生者であり、農地を含む陸域生態系において他の昆虫を中心とした節足動物の個体数を制御する重要な役割を担っている。

昆虫の中でも特に巨大なグループであり、世界から約25,000種が知られている。しかし、この種数は分類の遅れなどの理由で実際の多様性を反映しておらず、未記載種(新種)を含めた推定種数では60,000~100,000種に達すると考えられている。」

何と厖大な種数だ。それだけ種分化できる多様な環境がある(あった)と云うことだ。

水沢橋前に堰堤があって、松茸山への階段ある場所の近くの道路が昨年の台風19号で崩壊したままだったが工事が始まっており、土砂を埋め戻しており来年3月17日には終わるようだ。
今回の林道歩きでは、二つの目的があったがテン糞は拾ったがケンポナシの種子は見つからず、ヤマユリの場所では、木の枝に縛った靴紐はあったが、ヤマユリの茎は林道側に垂れ下がり先についている筈の種子の詰まっていたであろう果実は無くなっていた。ガッカリだ!

2020年11月28日土曜日

テンは果実を食べてもほんの少ししか消化吸収しない。  Even if martens eat fruits, they can only digest and absorb very little.

今回の林道歩きで見つけ拾ってきた糞は伊勢沢林道で見つけた2個のテン糞だけであった(図1&図2)。テン糞1はサルナシとマメガキを食べたものであり、テン糞2はサルナシを食べたものであった。
図1.テン糞1
サルナシ種子3個、マメガキ種子・果肉
図1’.テン糞1の内容物
図1’と図2’のテン糞1とテン糞2を茶漉しに容れて流水で洗った残渣を白いプラスチックの鉢受けにあけたものである。
図1’では、マメガキの果肉が分解消化されずに出てきており、図2’ではサルナシの果肉つき果皮が出てきている。このようにテン糞では食べた果実の果肉や果皮が消化されずに、つまり栄養として腸で吸収されずに食べたものの相当量の果肉などがそのまま排泄されていることが解かる。

つまり、テンは甘く美味しいサルナシやマメガキの果実を食べたとしてもヒトなら、奥歯で噛んでバラバラにし、更に胃で細かにされる。そして小腸で、サルナシやマメガキの果肉の糖分が吸収されやすいようになるのだが、テンでは、歯で噛んで胃で細かにするという基本的物理的分解消化作用がほとんどなされていないことが解かる。
1個のカキの実やサルナシの実を食べても果実内の炭水化物をテンが消化・吸収するのはそのほんの僅かだろう。炭水化物は動物たちが動き回るためのエネルギー源である。こんな僅かなエネルギーしか摂取できないのに動き回るのは余程効率が良い生理的メカニズムをテンは持っているとしか考えられない。

小腸での酵素による化学的消化作用はどの程度のものなのだろうか?当然、既に明らかにされているだろう。どなたか動物たちの化学的消化作用についての知っている文献を教えて下さい。

図2.テン糞2
サルナシ種子・果肉・果皮
図2’. テン糞2の内容物
、、、とここまで書いてきて、今、ふと思った。サルナシやマメガキの今頃の果実は完熟しているので、果肉は果糖、ブドウ糖などの糖分がたっぷり含んでいるので、大雑把な物理的分解消化作用だけでもすぐに必要なエネルギー源を摂取できるので、生きていけるのかな?しかし、、、、。

2020年11月27日金曜日

伊勢沢林道・奥野林道を歩く2)  Walked on the Isezawa and the Okuno forest road 2)

伊勢沢林道を歩こうと思ったのは二つの理由からだ。一つはケンポナシの種子をテン糞の中に見つけたいことと、他は奥野林道で靴紐を木の枝に縛って印を付けていたところのヤマユリの種子を採ることであった。
ゲート脇をすり抜けて朝露で湿った枯葉が敷き詰められた林道を歩き、桃ノ木林道への道を過ぎ、橋の上から堰堤下の滝壺の中に5、6匹の10センチ前後のイワナ?ヤマメ?あるいはニジマスが泳いでいるのを見て、足を進める。軍手をしていないと手がカジカミそうだ。
テン糞だ! やったね!色からしてもしかしたらケンポナシの種子が入っているかも?財布の中に500円玉1枚しかない。500円コインを糞の大きさ比較の為において、ササ(ササの名前不明)の葉を撮った糞の目印としておく(図1)。どうもこの頃はテン糞を見つけると嬉しい。それは持ち帰って洗って内容物を調べる楽しみがあるためなのかもしれない。
図1.8:46 テン糞

アオツヅラフジの房状になった実が林道上に落ちていた。上を見上げたがツヅラフジの蔓は見当たらなかった。アンモナイトのような独特の形をした種子を見ようと思って潰したが、、、、。
図2.アオツヅラフジの実が落ちていた!

図3.9:07 晴れているがちょっとガスっている歩いてきた方を振り返る

図3’.9:07 林道は落ち葉で埋まる

道路際に大きなスズメバチが翅を震わせながら歩いている。こんな大きなスズメバチは今まで見たことがない。寒さで活動が鈍っているようだ。しかし、飛んでいった!あのスズメバチは越冬し忘れたのか?少し、温かいので出てきたのかな?
図4.9:09 随分大きなスズメバチだ!

シカ糞が林道上に散らばっていた。新しいようだが、朝露に濡れたようだ。
図5.9:20 朝露に濡れたシカ糞

図6. 9:21 やや紅葉だ!
っと、林道上の石の上にテン糞だ!サルナシを食べたので、果皮が消化されないでそのまま排泄されている。これがサル糞だとサルナシの果皮は消化されて、種子と果皮や果肉が分解・消化された細かな繊維状のモノが大半だ!
図7.9:25 明らかにサルナシを食べたテン糞だ!
音見沢橋に辿り着く。ここで休もうと思って歩いてきたが、日陰なのでそのまま進む。焼小屋沢橋も通過。
図8.9:43 焼小屋沢橋からみた沢の流れ
焼小屋沢橋を過ぎて緩やかな登りのヘアーピンカーブの手前で黍殻山方面を振り返る。こんど正確に地図とコンパスでここから見えている稜線の山はどこなのか確かめよう。
図9.9:47 焼山・黍殻山の稜線を仰ぎ見る
日向に出たので、一休みだ。スポーツドリンクを飲み、ストックをザックから外して伸ばす。地図やコンパスは持っているが、地図は見ずにこれから伊勢沢へ降りるルートを頭の中に浮かべ、久しぶりの記念写真だ!セーターを脱ぎ、ヤッケを着る。このヤッケは卒業生のKuribayashiさんから貰ったもので専門学校のネームがついている。これを重宝している。
図10.10:06 一休み
奥野隧道の鳥屋側に車を置いて歩き始めたのが8時6分、ここまで2時間も掛かっている。60代の時なら1時間くらいだろう。これだも学生との実習は息が上がる訳だ。自分のペースでゆっくりだ。これから伊勢沢右岸を走る尾根の813と702の間の鞍部を目差して沢を下る。準備はOKだ!

2020年11月26日木曜日

伊勢沢林道・奥野林道を歩く。  Walked on the Isezawa and the Okuno forest road

6時半頃家を出る。このところ日の出が6時過ぎなのでなんとなく出遅れてしまう。6時を過ぎていたので清川村への道は、もう渋滞気味だ。やはり、暗い内に家を出れば良かったと思う。
久しぶりに丹沢行きを前夜に決め、家族に宣言した。このところ、火・水の学校があると疲れ果ててしまって、とても山へ行こうという気モチすら起きなかった。これではダメだと思い。水曜日はウィスキーを鱈腹(ダブルで3杯か!)飲み、8時にベットに入る。1時、3時、4時と起きてトイレに行くが、5時に再び目覚め起きる。
メールをチェックした後、朝食を食べ、明るくなるまでパソコンに向かう。
車を奥野隧道の手前の所に置く。
車からでるとヒンヤリとしている。セーターを着る。
水沢橋の手前の所から焼山を撮る(図.1&2)。
図1. 正面に焼山が見える

図2. 図1の場所でカメラをズームアップ
工事が始まっていた。来年3月中旬には終わるようだ。ここが終わっても、伊勢沢林道は一ヶ所崩壊しており、さらに林道が土石流で土砂や木で埋まっている箇所がある。水沢橋まで車を早く乗り入れたいものだ。
図3. 水沢橋前の道路の崩壊場所が工事中だ!

図4. 来年3月17日には終わるようだ
今日は、伊勢沢林道を行き、音見橋、焼小屋沢橋を過ぎてから伊勢沢を下りて奥野林道に出た。
 

2020年11月23日月曜日

昆虫の不思議  The mysteries of insects

11月7日にサツマイモ掘りをした時に見つけたイモムシを11日にアップした。そのイモムシはナカジロシタバの幼虫であった。幼虫をプラ容器に容れていたら2日ほど動き回っているので、サツマイモの薄切りを中に置いた。が、葉ではないので食べてはくれず、どこか居場所を探し回るように動いている。先週はその動きも鈍くなりサツマイモと容器の間で動かなくなった。死んだか!っと思ったが、もしかしたらと思いそのままにしておいた。昨日見たら、サナギになっていた(図1)。
幼虫だった外皮の背にサナギになっている。このサナギを同定してくれた鱗翅目が好きなS.Iさんに譲り渡そう!
図1.ナカジロシタバAedia leucomelasの蛹
チョウやガの仲間の鱗翅目は、卵・幼虫・蛹・成虫と完全変態する。幼虫から蛹になるのは、環境が悪化した(エサが無くなった)ための防衛システムなのだろうか?蛹ならエサを食べなくても長く生きていける。

実は、サツマイモ掘りの時にトノサマバッタも持ち帰った。コヤツ、カーテンにつかまっていたが、今日はパフィオペディラムの葉の上でガラス越しの陽に当たっている。11月7日から今日まで16日間も飲まず食わずで生きている(図2)。どこにそんなエネルギーがあるのだろう?こやつ、このまま成虫で越冬するのかな?ぼくらヒトは飲み食いせずに16日間も生きていけるだろうか?しかし、越冬するヤマネは2ヶ月も3ヶ月も生きていける。ヤマネの冬越しの生理をヒトに応用できないだろうか?

図2.トノサマバッタLocusta migratoria

2020年11月22日日曜日

仏果山の今の時季の野生動物はサルナシを食べている  The wild animals in this season ate the fruits of taravine in Mt.Bukka

20日(金)の土山峠・仏果山・宮ヶ瀬越・仏果山登山口のルート(図6参照)で5ヵ所でテン糞を見つけた。全5個のテン糞にサルナシの種子や果肉付き果皮さらに昆虫の脚が入っていた。テン糞2には直翅目の産卵管が4本もあった。この時季に直翅目のメスが固まって越冬しようとしていたのであろう。表1にテン糞5個の内容物をまとめた。
図1.10:54 テン糞1Marten scat
サルナシActinidia arguta種子・果肉・果皮、バッタAcrididae脚・外皮

図2. 11:32 テン糞2
サルナシ種子・果皮・果肉、ヒサカキEurya japonica種子・果皮・果肉、バッタ脚・産卵管・外皮

図3. 11:49 テン糞3
サルナシ種子・果肉・果皮、昆虫脚・外皮

図4. 12:14 テン糞4
サルナシ種子・果肉・果皮、マメガキDiospyros lotus種子、

図5. 13:24 テン糞5
マメガキ種子、サルナシ種子・種皮・果肉、バッタ脚

表1.テン糞1~5の内容物


さらに、11時52分に学生から手渡しされた親指位の大きさの硬い白っぽくなった糞(タヌキ糞だと思っていた)、水に浸けて洗ったら水が黄土色に変わり、サルナシの種子がたくさんあった。つまり、サルがサルナシを食べた糞だった。サルナシを食べたサル糞の大半がサルナシの果肉や果皮が分解消化されて細かくなった繊維であり、20%くらいが種子であった。
テンはサルナシの果皮や果肉を分解できずに果肉付き果皮がそのままの状態で排泄するが、サルはテンに比べるとサルナシの果皮や果肉を随分細かく分解・消化していると云える。
      
図6. ルート図とテン糞位置~

2020年11月21日土曜日

丹沢実習で仏果山に登る   Climbed to Mt.Bukka as the Tanzawa exercize

昨日は、宿泊実習をとりやめて1・2年生合同で仏果山を登った。1ヶ月前は辺室山に登り、ぼくにとってはそれ以来である。何故か、丹沢へ行こうという気持ちが起こらなかったからだ。そのため、身体は萎え学生たちに途中までは登山道沿いに見られるフィールドサインなどについて話していたが、革籠石山の手前から学生たちがぼくの歩きに痺れを切らして先に歩き、ぼくのザックをI君に運んでもらう始末だ。
だから、革籠石山から仏果山までの稜線歩きではぼくは学生たちから遅れて歩いた。だから、稜線上に咲くリュウノウギクやヤクシソウを教えられなかった。
土山峠でバスを降りた時から強風が吹き、稜線上では木の葉が舞い、顔に当たり吹き飛ばされるようになるので2、3度立ち止まるほどの風だった。
図1. 12:29 仏果山より100mくらい手前のピークの学生たち
図2.リュウノウギク
図3. ヤクシソウ
図4. 13:15 昼食後、仏果山山頂で集合写真
仏果山山頂で、時々雨が落ちてきたので、高取山へは寄らずに宮ヶ瀬越からまっすぐ仏果山登山口までおりた。その途中で真っ赤に燃えるような紅葉となっている木があった(図5)。
下りなら学生たちに着いていけるだろうと思ったが、彼らは飛び跳ねるように歩く。こちらは太腿が攣りそうなのでゆっくり足を下ろす。みるみる学生たちは消えていった。
ぼくの歩きでは仏果山登山口14:54分のバスに間に合いそうもないので、2度のショートカットで学生たちの前にでることができ、15分前にバス停に辿り着いた。
図5. 14:03 紅葉の木があった

2020年11月15日日曜日

チョウの同定  The identification of butterfly

昨日、麗らかな日差しに誘われて庭に出た。ん?シジミチョウの仲間が飛んでいる。停まった!モッコウバラの枝先だ(図1)。逆光だが仕方がない。近寄ろうとしたら、すぐ飛んだ。舞い上がったが降りてきて今度は鉢植えのユキヤナギの枝に停まった(図2)。
調べたらヤマトシジミの♂の秋型のようだ。ぼくは40代そこそこで亡くなったM先輩からチョウの事を教わり、同級生にもチョウに詳しいNとSがいたが、全くと言って良いほどいまだにチョウを区別できない。と云うよりも鱗翅目の蝶と蛾の違いさえ分からないのだ。
ただ、アゲハチョウ科、シロチョウ科、セセリチョウ科、シジミチョウ科、タテハチョウ科の区別はできるようになったので、今のようにデジカメで写真に撮れると見た時の記憶と撮った写真から上記の5科の区別ができて、その科の中の絵合わせをしてようやく同定できる。これはフィルムカメラの時代にはできなかったことだ!
図1. モッコウバラの枝に停まるヤマトシジミZizeeria maha
図2. ユキヤナギの葉に停まるヤマトシジミ
今日はチャレンジキャンパスで学校だ。昨日届いたマウスシールドを持っていこう。電車はもう以前と変わりないくらい混んできた。感染していても無症状の人が増えているようだ。皆マスクをしている。窓も少し開けられ風が流れている。電車やバスに乗って感染したというニュースはまだない。学校の対面授業中に感染したというニュースもまだない。

寒くなると空気は乾燥し、水分を含むウィルスは乾いて軽くなり空気中にたくさん漂うことになる。より一層マスクと手洗いに注意を払いたい。

2020年11月13日金曜日

友人を思い出す黄色のキク   The yellow chrysanthemum which I remember my friend

今、庭には白い原種のようなリュウノウギクに似たキクと下の黄色のキクが咲いている。この黄色のキクは、横浜に居た友人の庭にあったクサソテツ(コゴミ)を一株貰った時にこのキクのか細い茎が一本おまけについてきたのだ。友人は名護に移住し、横浜の家も売られてしまった。だから、春から夏にはクサソテツに友人を思い出し、秋になるとこのキクの花で友人を思い浮かべる。
今日は2時限目の特別な授業があった。それは、来週20・21日に予定していた1、2年合同の大倉での宿泊実習を中止して、1、2年合同の日帰りの丹沢実習となったので、実習の説明を1年生に向けてしてきたのだ。
今月1日に大倉の滝沢園キャンプ場を下見に行き、ヤル気まんまんだったが、火曜にはコロナの感染状況をニュースで見て宿泊を中止にしたのだ。
学生たちは、電車やバスの中ではマスクをさせ、お喋りは控えるなら日帰りなら、コロナ感染から免れるだろう。
コロナ禍を恐れていたら、対面授業もできなくなる。学校側からフェースシールドを提供されたが、明日、アマゾンに注文したマウスシールドがくる。マウスシールドはどんなものか一度使ってみたい。

2020年11月11日水曜日

このイモムシは? Who is this caterpillar?

先日のサツマイモ掘りの後、汚れたズボンの土を先ずタワシで落とそうとしたら、イモムシが付いていた。このイモムシは誰の幼虫だろうか?サツマイモを食草とする鱗翅目の幼虫だろう。ネットで食草・サツマイモ葉・幼虫とやってみた。イモキバガ、エビガラスズメなどの蛾の幼虫が出てきた。しかし、図1のイモムシと違う。
図1. サツマイモの葉を食べるAedia leucomelas
専門学校のAiseさんは、蝶や蛾などの鱗翅目に詳しくその幼虫などを飼っている。彼女は実家に戻っているが、Teamsで訊いてみた。今朝、パソコンを立ち上げたら、昨夜遅く彼女からの返信があった。ヤガ科のナカジロシタバAedia leucomelasの幼虫のようだ。ネットでナカジロシタバをみた。これは終齢幼虫のようで、サナギで越冬するようだ。


2020年11月9日月曜日

アカネズミのサツマイモの食べ方  How to eat sweetpotatoes of the large Japanese field mouse

7日のサツマイモ掘りで、随分サツマイモがアカネズミに食べられていた。地上部の葉や蔓を取り除くと至る所に握りこぶしが入るくらいの大きなネズミの穴があった(図1)。
図1. 畝に開けられたアカネズミApodemus speciosusの穴
全ての品種のサツマイモが食べられている。食べ方はさまざまだ。上から齧っているものもあれば、中ほどから齧っていたり、しかし、大半は図のようにした半分が齧り取られている。アカネズミも満足しただろう。
図2. アカネズミに食べられたシルクスウィート
野生動物による根菜の被害では、アカネズミの食べ方は何となく許せる。というのは、図2の写真のようにしっかり半分近くを食べているからだ。
たくさんのサツマイモを少しずつ齧りつくというような腹が立つような食べ方をしていない。これは恐らく、地中に穴を掘って掘り進んでぶつかったイモから食べているということが解かる。そのイモをある程度食べていると隣の別のイモにぶつかり食べるのだ。満腹になったらそこで眠るかな?
まー、ネズミだから当然の食べ方とも言える。

2020年11月8日日曜日

サツマイモ掘りとカワウソ  The sweetpotato digging and otter

サツマイモ掘りの作業は、先ず畑を覆うサツマイモの葉や蔓の地上部を一畝ごとにどかす事から始まる。Noboruさんが鎌を持って、根元を切り、3人がかりで葉や蔓を引っ張って丸めて片側に並べる。
ぼくは、軍手をつけ、帽子を被り、山靴を履き、膝までのスパッツをつけヤッケを着て作業を始めた。が、すぐに暑くなったので、上半身はヤッケやセーターを脱ぎ、帽子も取り、首に巻いていたハンカチも外す。Noboruさんに畝にフォークを突き刺してサツマイモ全体を浮かせてもらう。ぼくは中腰になれないので、両足を畝に着いて両手でサツマイモを掘る。このような這い蹲ったような姿勢は、山ではシカ柵の穴を通る時や、倒木を潜ったりする時だけなので、二株を掘ったくらいの15分くらいでもうギブアップ状態になる。でも、Noboruさんの奥さんのKさんと二人で、畝の端から中央に向けて掘っていく。一畝の半分も掘らない内によろけるように立ち上がりスポーツドリンクを飲みに行く。彼女はそのまま続けて掘っている。
図1. サツマイモ畑
図2. 掘り出したシルクスイート
図2'. 収穫したシルクスイート
半分を終えたので、お昼だ!ぼくはインスタントラーメンと生卵を持っていったので、山用ガストープでお湯を沸かして食べる。Noburuさん夫婦は卓上コンロでお湯を沸かしカップラーメンだ。ぼくは、出された漬物やリンゴやカキ、菓子なども食べる。
ぼくはNoboruさんが子供の頃の境川の土手について訊く。当時の土手は幅2メートルくらい細い竹が密集していて、そこを分け入って魚釣りをしたようだ。フナ、ウナギなんかが釣れ、泳ぎもしたようだ。
何よりも驚いたのが当時の境川には水に潜る巨大なネズミのようなものがいたと云う。え?それはカワウソだ!
当時と今の土手の違いについて話し合う。土手が護岸工事の為にコンクリートで覆われてしまったので、流れが速くなり、カワウソやイタチがいなくなってしまい、高校生くらいの時から生活排水や工場の排水で汚れたのでとても泳ぐ気持ちにはならなかったようだ。
図3. 収穫したサツマイモ
図3'. 収穫した甘くねっとりした安穏芋
ぼくが、1966年に逗子に住んだ時の逗子海岸は、ビニール袋などのゴミがたくさん浮いていた。多摩川はまるで洗剤で白く泡立っているような状況だった。金沢八景でハゼ釣りをしても奇形のハゼが釣れた。当時の日本は経済成長の右肩が急激に伸びている状況だった。川崎市の工場群の煙による公害はむろんのこと、湯河原を含む各地で奇形ザルがたくさん生まれ、人のサイドマイドなどの薬害も60年代から70年代である。果実や野菜の農薬問題もあって、海の汚染が叫ばれた。当時、魚や牛乳の摂取まで農薬による汚染で問題視された。今の海は当時よりもさらに汚染が進んでいるだろうに、、、、、。

中国やインド多くの発展途上国が、今、問題となっている環境汚染を日本は経験し、水俣病で死んだり、病気の後遺症を抱えている人たちもいる。

公害病の源の大半、企業の姿勢の問題だ。個人個人も環境を汚染させない努力をし続けなければいけない。

ぼくは、カブやナスを貰って先に帰ってきた。彼らはこれから後片付けと掘ったサツマイモの干すために並べなくてはならない。それを知っていながら戻ってきたので後ろめたい。