2014年12月22日月曜日

天津神(あまつかみ)の社の屋根だった。

小唐沢橋から唐沢川を遡上していくと祠があった。
ばかなぼくは左右非対称に違和感をもった。
祠の正面、つまり手を合わせて拝む方は写真の左側にあたる。
で、昨日、土山峠を登って間もなく、祠があった。
これも左右非対称であり、右側が正面である。
下は、辺室山・物見峠・鍋嵐の「祠の分岐」にあるものだ。
祠の後方の尾根に沿っていくと鍋嵐だ。
これは正面からだ。
登山道の方から左側面を撮る。
正面、拝殿側には左右に柱があり、左右非対称の屋根を支えている。
谷太郎林道を歩いてきて、煤ケ谷の集落に入ると道路沿いに小さな神社があった。
この造りも左右非対称の屋根で拝殿側の正面に屋根が長く流れている。
何も知らないぼくは、煤ケ谷集落の神社の作りの特徴だとさえ思った。
どうも気になるので祠・神社でネット検索した。
すると、神社の屋根の形態には天津神(あまのかみ)と国津神(くにのかみ)があり、
拝殿側に屋根が流れているのが天津神のようであることが判った。

話しは代わるが、唐沢川にあるたくさんの炭焼き釜の跡は
煤ケ谷集落の先祖の方々が炭を焼いた跡だろう。
祠に、発起人名、山口音吉、山田才助、岩沢惣左エ門の名が刻まれていた。
これら三名の苗字は煤ケ谷では代表的な名前のようである。

煤ケ谷の人々が天津神を祭るようになったのはどのようなことからだろうか?
信仰心の無い北海道生まれのぼくにとっては神社は不思議なものと感じている。

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