2009年12月20日日曜日

車社会が地方を過疎化させた

横浜から高速バスでアクアラインを通って木更津へ、木更津から内房線の上総湊へ、
そこから戸面原ダム行きのバスで環へ、環から2時間歩いて目的地の富津市宇藤原へ
帰路は、この逆のコース、バスは1日7本であり、15時30分の次が最終便の17時15分の
となるため、15時30分のバスに間に合うように急ぐ。

上手く内房線の登りの15時56分に間に合った。1時間に一本の登りである。
上総湊から木更津までの車窓から長閑な里山がみえる。
木更津の駅前のビルはテナント募集の張り紙を多く、人通りも少ない。
高速バスにのって、横浜駅東口に着いた。
下りて、びっくりだ。
え?どうしたの?なにがあったの?
どうしてこんなに人がいるの?
人、ヒト、ひとの洪水である。
歩くのに人を避けて歩く。
始めて、上京したときのことを思い出した。
東京はどこもお祭りのようだと思った。
大きなザックに後ろめたい気持ちになる満員電車。

車の運転ができる人は車社会は便利だろう
歳をとると車の運転ができなくなる
高齢化社会などと言われるが、社会のシステムはそのようになっていない。
地方が寂れるには、不便な交通網が追い討ちをかけている。
不便な交通網は、人々が車を運転するからだ。
これはモータリゼーションの世の中をすすめた、自動車会社とそれに安易に乗った人々の責任だ。
このような時代を変えなくては!

東南アジアのようにワゴン車タイプの小さなバスを走らせられないものだろうか?
さらには、2、3両連結の電車で、もっと停まる駅を増やし、本数を増やしたら
と思いながら寝入った。

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