2008年10月8日水曜日

世知辛い世の中(2)

実家は幼稚園をやっている。
この50年、幼稚園が休日のときでも
近所の子供たちが自由に園庭に入って
滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶことができるようにしてきた。
が、各地の公園でブランコの事故があってから、
夏休みや冬休みなどの長期休暇が始まると、
ブランコを外すようにしているようだ。

事故があると悪いのは子供やその親ではなく、
遊具を設置していた側の管理責任を問われることになるからだ。
地域とともに幼稚園があるのだが、
休日の時は自由に園庭に入れないようにしようかと迷っているいるようだ。

あるいは、ぼくは学生を連れて野外実習をやっている。
山では予期せぬ事故があるので、いろいろ事故にあった時のことを考える。
学校側からも学生に怪我をさせないように注意を受ける。
学生たちに素晴らしい体験をさせたいと思っていることが裏目に出てしまうことだってある。

今の学生たちは子供の頃に外遊びをほとんどしていないので、
ぼくにとっては予測不可能なことをやらかす。
渋谷の街を歩くのと山を歩くのと同じだと思っているようだ。
事故があった場合のことを考えると
学生たちを山に連れていけない気持ちになる。

釣り、昆布、イナゴは過度なる自己防衛であり
自分たちが作った権利の主張である。

それは、子供や学生の事故を
その管理及び責任者の側へ押し付ける考え方と根は同じだ。

川や海岸や山や、園庭や校庭でさえも自由に出入りできなくなれば、
ますます子供を含む人々は外遊びができなくなる。
さまざまな自然に触れ合う機会が失われ、
人々は歩かなくなり、
車窓から眺める押し付けられた景色を自然と思ってしまう。

海岸や川岸や山に自分の足で歩いて、
自然の息吹を、美しさを、
楽しさを、恐ろしさを、苦しさを味わってもらいたい。

この世知辛くなった世の中を変えていかねば、
人々はますます自己の権利を主張し、
子供はますます外遊びをしなくなり、、、、、、、。

人々はもはや五感で危険を察知することさえできなくなってきている。

6 件のコメント:

  1. できること、小さなことから始めようと思ってますが、しかしそれもなかなか・・・。

    前の日曜日には子供3人を含む家族8人を船に乗せ、ドライブと釣りをやりました。
    燃料代だけもらったけど、貸した道具が壊れた場合赤字になるし、どうしたらいいか、など問題点がでましたが、魚も釣れてみんな大喜びでした。

    林道の写真を小学校などに貼り出したい、なんてことも考えてます。
    地元の自然を知ることから始まりますね。

    遠くじゃダメだと思います。

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  2. take隊員さんのところは、本当に良い場所ですね。

    海が目の前、すぐ後に山なんていうところは日本全国各所にありますが、海の幸、山の幸、さらに千歳川や新崎川があるんですから、、。

    地元の農家の人でもテンやフクロウがいるなんてことが知らないので、林道の写真はどれもきっと小学生を感動させることだとおもいます。

    小中学校の遠足で歩くところがたくさんありますね。そう歩いてもらわなくては!

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  3. 日本で起きている事件の数々が、変わってしまった日本を物語っていると思います。もちつもたれつを自分の責任でやっていた快適さを手放して、法律や規則で身を守る時代ですね。

    ひとつの狭い庭にすら大きな宇宙があることに、いったいどれだけの人が目を向けているでしょう。おっしゃるように、本当の自然は美しいだけでなくて怖く辛い側面もありますが、そういったことも感じて初めて自然への畏怖が培われるのでしょう。

    ジャワへ来る観光客の多くは自然が多くていいところですねと言いますが、実際はほとんどが人の手の入った緑で、手付かずのところはほとんどありません。多くの人にとって、適度に人の手の入った自然のほうが快適に感じるのかもしれません。ただし人同士の間ではゆずりあいのある境界線のあいまいな感覚が生きています。法律や行政がいい加減な分、自分たちの裁量でうまいこと共存しています。自然はどんどん壊れていきますが、この感覚はなくならないといいなあと思います。

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  4. 雲山さんがおっしゃるように、日本全国どこでも「もちつもたれつを自分の責任でやっていた快適さ」を手放して法律や規則で身を守る時代になっている。

    ぼくがサル調査で行っていたアフリカ・中国・台湾やインドネシアの島々では、法律や条令など曖昧だから、いくらでも融通が利いた。
    それが、そこの国の人々を好きになり、そこに永住したくなったりする。

    日本も、「もちつ、、、快適さ」を以前のように取り戻すことはできないものか?

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  5. 昔は竹刀を持った先生なんかがいて、拳骨や耳を引っ張られるくらいは普通でしたが、そんな先生ほど好かれていたものでした。今そんなことをしたら訴えられてしまうんでしょうか。教育の現場もずいぶんやりにくくなってしまったことでしょう。何か問題が起きても、親のせいや学校のせいにしあうのでなく、お互いの立場で子供に最善を尽くせればいいのですが、昔のような良さを取り戻すのは大変でしょうね。

    快適な生活を目指して作られた規則に縛られ、自由が奪われてしまっていることや、五感で危険を察知する能力や問題を自力で解決する知恵が退化していることを自覚しなければいけない時が来ているように思います。

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  6. 子供に教え諭すなんていうが、算数を漢字の書き方の指導するなら、おしえさとすことで十分だ。しかし、
    倫理や、日常の規則のようなものについては「おしえさとして」分かるような代物ではない。
    ルール違反に関しては有無を言わさず、殴る鞭打つくらいの刑罰がしかるべく手段だと思っております。

    サルを含む動物たちなら噛み付いて懲らしめます。
    子供を体罰無しで育てられなかった結果が、教師に向かって「ババーとか馬鹿」と平気言う事になります。それに対してニコニコして対応しなければいけない教師は腹が煮え返るような思いでしょう。

    そんな風に育てられた子供が専門学校や大学に来るんですよ。しかも、学校側は子供とその親には頭が上がらない。
    バカばっかり世に送り出しているような感じさえします。

    2000年に西安の西北大学に行ったとき、こりゃー、日本はすぐ中国に負けてしまうと思ったものです。
    山の宿泊先の家の子供たちは真っ暗い5時頃に起きて、朝の朗読を行っている。しかも、そこの男の子は賢いと思っていたのに、義務教育なのに進級できなかったのには、驚きました。

    日本の大学・専門学校はよほどの成績で無い限り進級し卒業させます。

    しかし、ぼくは4年では卒業できなかった。大学2年になった4月の中旬頃、台湾から戻って、成績をみたら、半分以上不可だった。

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