2008年2月25日月曜日

零下の世界での想い出

        玄関前の曇りガラスのように凍りついたガラス

高校以来かもしれない。風呂上りに零下の夜を歩いた。
深々と寒さが刺しこんでくる。鼻水は凍り、鼻の中はもぞもぞする。顔面がなぜかつっぱったような感じ、濡れタオルはすぐ氷つき、広げていたまま板状となる。すぐ車にのる。あと5分も外にいれば、口髭や前髪も吐く息で氷つく。

家に着いて玄関の戸を開けたとたんメガネが曇った。子供の頃、寝る時には、湯たんぽを布団の中にいれていた。その後練炭を入れたカイロを使い、電気アンカ、電気毛布へと変わっていった。湯たんぼの時は、家の構造も貧弱だった。壁には断熱材など使っていなく、窓も二重ではなかった。居間に置いている金魚鉢の水まで凍った。凍った金魚鉢をストーブの近くに置いて氷を溶かした。氷に被われていた金魚は静かに動きはじめた。しかし、たいていは死んでしまった。寝ている布団まで凍った。ちょうどお腹の辺りの掛け布団と息がかかる掛け布団や毛布がバリバリに凍っていた。

しかし、今の北海道釧路の実家では終日、床暖房が効いており、ソーラシステムで部屋を温かくしている。そのため、美味しい漬物をつけることができなくなってしまった。母屋と離れた場所に物置でもない限り漬物樽を置いておく場所がない。この二十数年、実家に戻ってきても美味しい漬物はもらいものか、スーパーで買ってきたものだ。シャリシャリと粗目状の氷が混じったニシン漬け、ハタハタやカレイの飯寿司、大根や蕪の味噌漬や粕漬け、さらにはイカやサケの塩辛が懐かしい。
快適で便利な生活の上で、美味しい味覚を味わえなくなってしまった。

2008年2月23日土曜日

降雪の中のタンチョウヅル


雪が降る中をまりも国道(国道240号)を走り、阿寒国際ツルセンターへ。広い駐車場には車がたくさん停まっている。タンチョウ観察センターで、大人400円の入館料を払って外へ出ると。二名の外国人を含む多くの人たちが三脚を立て、長いレンズをつけたカメラをタンチョウヅルへ向けている。湿った雪が降っているため、タオルやビニール袋を被せてレンズやカメラを守っている。手足が寒いのだろう、カイロで手を温めている人が多い。様子からすると、もう何時間も否、何日もタンチョウヅルの一瞬の美しい姿を撮影するために待っているようだ。
ここは給餌場であるので、ハト、カラス、トビもいる。オジロワシやシマフクロウもやってくるようだ。

ぼくは兄貴夫婦に連れられて、すぐ側にある町営の「赤いベレー」で温泉(400円)を楽しみ、そのレストランで食事をする。ここのソフトクリームは絶品とのことだ。シカ肉やダチョウ肉の刺身やステーキを含めたさまざまな献立がメニューにでてあった。釧路市内でもシカ肉料理のレストランがいくつかあるようだ。



2008年2月22日金曜日

ヒヨドリが、、、。

ヒヨドリがいる。始めてヒヨドリを見たのは冬の金沢八景の横浜市大の構内であった。「ヒーヨ」と啼く鳥がヒヨドリだと友人から教わったのだった。冬になると山から里に下りてくる鳥だと知った。そのヒヨドリが釧路の実家の幼稚園の庭に来ている。これも釧路が温かくなっている証拠かな、、、。

子供の頃は、明るくなってから暗くなるまで外で遊び回っていたが、その美しい姿を鮮明に覚えている鳥がいる。3月頃、まるでおとぎ話しに出てくるようなカナリアより大きくて頭の毛が後ろ逆立ったような鳥である。2,30羽が一本のナナカマドの樹に群がり赤い実を啄ばむ。当時としては随分近くで見ることができる鳥でもあった。この鳥だけは獲ろうなどという気持ちはおこらず。できるだけ近くで見ていたが、すぐ一斉に飛び去ってしまった。当時は、リンゴ、ミカンなどを鳥に与えるなんていうことは全く考えられず、ただ樹に群がっているのを偶然に見ていただけであった。後で、それはヒレンジャクかキレンジャクだ知った。久しぶりにその綺麗な姿を見てみたいと思っている。

2008年2月18日月曜日

ハマナスの萎んだ果実(続)


ハマナスの実を食べたくなったので、イヌの散歩がてらに実を取ってきた。現場で一個摘み取ってその場でかじって食べてみた。びっくりだ。子供の頃食べた味と違う。まるで、霜にあたったガマズミの実を食べたような歯触り、舌触りであり、味も酸っぱい。もぎ取ってきたもう一個(上の写真)を割って、食べてみたが、やはり酸っぱい。甘味が感じられず、ただ酸っぱいだけだ。真冬の萎びた実なので、糖分が発酵して酸っぱくなったのだろうと思う。今夏でもぜひとも熟したヤツを食べてみたい。
縦に裂くと、中軸に沿ってタネが縦に放射状に並んでいる。その回りには触ると痒くなった細かい毛が密生している。この細かい毛が柔らかい皮膚に突き刺さるために口の回りなどが痒くなったのだろう。

2008年2月17日日曜日

ハマナスの萎んだ果実

カメラを持ってイヌの散歩。道路脇に植栽されたハマナスが氷状になった雪に埋もれている。萎んだ赤い実が、子供に採られず、鳥に啄ばまれもせずに残っている。

子供の頃の夏、釧路の海岸段丘一帯はハマナスやガンコウラン、フレップ(コケモモのこと)の花が咲き乱れた。 8月上旬には、ガンコウランの黒い実やフレップの赤い実は、ぼくら餓鬼たちのおやつであった。 中、下旬にはハマナスの赤く熟した実を争うように、採集して食べた。
ガンコウランやフレップの実よりもハマナスの実は旨かった。

ハマナスの実を割ると中に細かな毛に混じって黄色い種が入っていた。 種を取った手で、身体の柔らかい部分を触ると痒くなった。 それでもできるだけ多く採って口に放り込んだ。当然、口の回りも痒くなった。
一度、たくさんの実を採って帰った。お袋がそれらを一つ一つ種を取り出し、ジャムを作ってくれた。

今の子供たちはハマナスの味を知らないだろう。
暮れにお袋が倒れたので、釧路にきている。

2008年2月14日木曜日

恐ろしい鹿児島選挙違反事件

鳩山法相の発言は国民の立場からするとズレている。
警察側がでっち上げた鹿児島選挙違反事件は、冤罪と名付けるのもおこがましい恐ろしい犯罪である。
警察側の一方的なでっち上げによって、平穏に暮らしていた国民がいきなり警察の取調べを受け、拷問にも値するような異様な取調べを受ける。もし、この事件が一人だけを狙い撃ちにしてでっち上げられたならば、気の弱い人なら泣き寝入りしていたかもしれない。
このでっち上げに対して、警察側はどのような謝罪をしたのだろうか?冤罪にしてもロクロク捜査もしないで状況証拠が少しでも似ていれば、警察側の思い込みによって犯罪者にされてしまう。この冤罪は、犯罪そのものが生じているのだから、犯人がいる。
しかし、鹿児島選挙違反事件は事件そのものが発生していないのにもかかわらず、警察側で勝手にありもしない犯罪を作り上げて、その犯人として勝手に弱い国民に白羽の矢を当てる。
このような事件をでっちあげて、国民を犯罪者扱いした警察官には10年間に渡り減給するとかの制裁が必要ではないか。

このような警察の横暴がこのぼくたちの国で起きていることに恐ろしさを感じる。

2008年2月4日月曜日

初氷だが、、、、、

       昨日の雪で倒れたゼラニュームの花とスイレン鉢の薄氷

昨日降った雪で、気温が冷やされ零下まで下がったようだ。
スイレン鉢の水に薄氷が張っている。
実に久しぶりに見る庭の氷である。
ここに引っ越してきた30年前頃は、最低気温0度以下の冬が続いていた。
引越し祝いにもらった火鉢に水を容れて金魚を飼っていたが、冬になると凍るので、金魚を部屋の水槽に移し変えなければならなかった。
その火鉢も水を汲み出すのを忘れていたために凍って割れてしまった。
そのような冬が当たり前だった。
当然、ゼラニューム、ベゴニアの鉢やゴムの木の鉢は晩秋には部屋に取り入れたり、サンフレームを作ってその中に取り込んでいた。

それが今はどうだろうか?写真にも写っているが、ここ藤沢市湘南台ではゼラニュームは庭に植えっぱなしでも冬越しできる。30年前、ゼラニュームが屋外に植わっていたのは、この辺りでは湯河原や熱海であった。

地球の温暖化が、私たちの目に見えるスピードで早まっている。

2008年2月2日土曜日

冷凍餃子

問題になっている冷凍餃子について、考えさせれた。
冷凍食品をオイシイ、ウマイと思って食べたことがない。
いつも他に食べるものが無いから間に合わせで食べている。
冷凍食品は保存用の食物である。が、その保存は冷凍庫に容れなければならない。

昔からある保存食物には、乾燥されたもの、燻製にされたもの、発酵されたもの、凍らしたもの、塩、砂糖、酢、アルコールに漬けられたものがある。
燻製や凍らしたものは乾燥に類似する。大きくは、乾燥と発酵の二つに分けられるだろう。

日本での乾燥された食物の代表は、切干大根、鰹節、凍み豆腐、麩、湯葉、干瓢などがある。
発酵食品の代表は、納豆や味噌、醤油、お酒、漬物であろう。あるいは、チーズやヨーグルトがある。その他は、キノコや山菜を一度煮て塩漬けにして保存したり、塩鮭にしたり、数の子やタラコを塩漬けにしたり、果実を砂糖漬けにしたり、ジャムにしたり、数え上げればキリがない。

これらの古来よりある乾燥食物や発酵食物は常温で保存でき、冷凍庫のような特別な装置を必要とする容器に納めておく必要がない。さらに、これらの食物は食材が美味しく変身してしまうことである。つまり、乾燥、発酵させることによって保存し、しかも異なった風味の美味しい食物に変えている。

冷凍食品は、上手に解凍して、ようやく美味しく食べることができる。しかし、食品を凍らして解凍しているので、どうしても細かなところで、水分が抜け落ちたり、植物や肉の細胞が壊れたりして、凍らす前の食品の味とは程遠いものになってしまう。将来的には、この事を技術的に解決できるかもしれないが、古来よりある乾燥・発酵による保存食品には到底敵いそうもない。

今回の事件を機会に冷凍食品を避けて、ほんの数十分の時間をかけて家族皆で餃子作りをしてみたらいかがでしょうか?