2023年2月14日火曜日

死を少しだけ考えた  I thought about death a little.

先日、友人の母親が亡くなったので葬儀に参列してきた。自分の両親が逝った時は葬儀が終わったらもう葬儀の事や死の事など考えなかった。しかし、昨年2度、今年早くも1度目の葬儀に参列して、死の事を考えるようになった。それは自分が歳をとったせいもあるだろう。
サル調査で、見知らぬ土地の里山の藪の中を歩き回っていて藪に埋もれた古いお墓にぶつかると妙に不安な気持ちがして一瞬でも早くその場から立ち去りたかった。お墓の下には死んだ人が埋められているという事を知っていたからだ。海外のサル調査でも身体が竦み歩けなくなるような時があり、その場から早く立ち去りたいと思うことが度々あった。特にスラベシ島では背筋がゾッとするようなが場所があった。しかし、アフリカでは以前村が存在した場所を歩き回ってもゾッとするような場所はどこにもなかった。アフリカでも土葬だが、村々では特に墓地を決めているわけではなかったので、土葬の場に小さな石が一つ置かれたり、木を植えられたりするだけであり、それらが自然に消えてしまっていたせいかも知れない。
キンシコウの調査で秦嶺山脈の麓にある玉皇廟村をベースにして山に入っていた。村から離れた処に土葬のお墓があった(図1)。ここまで遺体を棺桶に入れて運んできたのだ。でも、こんなものだとイノシシなどが掘り起こさないか心配であるが、重い石を置いているので、大丈夫なのだろう。お墓に大きな石を乗せるのは野生動物に掘り起こされるのを防ぐためなんだっとこの時思った。
図1.玉皇廟村の里山にあるお墓
クロアチアの首都のザクレブで公園のようになったお墓を歩いた。どのお墓も大きな石が置かれていた。しかし、ぼくにはどうにもこの石の下には棺桶がありその中に死んだ人が横たわっているっとしか思えなかった。
図1.ザクレブのお墓
インドのベナレスに行く前は、ぼくもインドの人たちと同じようにガンジス川で口を漱ぎ、沐浴をしようと思っていた。が、岸辺で死人を焼き、翌朝になってもまだ燻っている異様な臭いと、うろつく野良犬とそれらの半焼けの骨などをガンジスに捨てる光景を見て、とても沐浴する気など失せてしまった。それは水葬で若い男がまるで水草に乗っているかのように流れて行くのを見たせいかもしれない。
図2.ガンジス川の水葬
父親が2001年3月に亡くなってから、その遺灰を、メコン川、モルダウ川、黄河、ナイル川、スリランカのマハ・オヤ川、ガンジス川に撒いた。何故か自分がその土地の水とともに海に流れて行くように感じ、さらに撒いた灰を魚たちが寄ってきてバシャバシャ食べる様子を見て、仏教の輪廻思想が生まれるのも判ったような気がした。
図3.ガンジスで両親遺灰を撒く
ぼくは骨はほとんど気味悪いとも恐ろしいとも思ない。枕元に置いて眺めている。しかし、干からびた状態でも肉が付いたものは嫌だ。ぼくは死んだら火葬してもらってできる限り骨は細かくして草花や野菜の骨粉として利用してもらいたいと思っている。90歳くらいで火葬した骨は崩して粉々にするとマグカップ一杯くらいもないだろう。

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