1967年3月2日に鹿児島港から出国し、3月3日に那覇港に着き、6日に泊港から小さな貨客船に乗り換えて8日に基隆港に着いた。
当時の船旅の事を思いだされる。
鹿児島から那覇までは大きく綺麗なひめゆり丸であった。当時の沖縄に寄るには麻布のアメリカ大使館に行ってトランジットビザなるものを取らなければいけなかった。沖縄では2泊あったので、国際通りでジョニウォカーを買って、わざとテーブルの上に酒をこぼしてマッチで火を点け、皆で口に銜えたマルボローを炎に近づけて吸った。
泊港からの船はサンマ漁船をちょっと大きくしたような小さな船で、石垣島などの島に寄り、そこで台湾からの出稼ぎの人々を乗せた。
甲板には籠に入った鶏、繋がれた山羊、豚やその他の荷物が積まれていた。
泊港からの船の揺れは半端なものではなく、乗客の大半が気持ちが悪くなり吐いた。船底の船室は、底に板は置かれてあるものの壁は剥き出しで、壁板一枚で海水と接し、油とペンキと異様な臭いが立ち込めていた。ごろ寝状態であり、船底で船の揺れとともに転げ回った。
ぼくは船室の臭いが嫌で、甲板に出て座り、足を甲板から海側に出して手摺につかまっていた。
遠くを見たり、船の舳先から飛ぶ出すトビウオを眺めていた。
食事のカレーライスが出たが、当然のごとく食べられなかった。
こんな思いをしながらのタイワンザル調査が始まったのだ。
連れ合いと二人の部屋のベランダからの朝日
しかし、今回は那覇港を出ても揺れると云ってもテーブルの上に置いたワインのボトルやグラスが滑ったり倒れたりするわけでもなく、軽い揺れがあるくらいでこれが東シナ海なのか?っと思った。
今日、伊勢沢林道からちょっと山に入ってきた。シカたちに2度出逢うが、写真は撮れなかった。2時過ぎに帰宅。
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